艦これ~extra voyage~   作:瑞穂国

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鉄底編です。
夜間砲戦マシマシでいきましょう。


鉄底
鉄底(一)


 伸ばした手は、結局、光る水面を掴むことはなかった。

 

 それは一連のイメージ。はっきりとしない影、夢、幻。

 

 けれど確かな、記憶。誰かが事実経験した、記憶。

 

 

 

――鉄の、水底。

 

 

 

 声が、する。光る水面とは反対側、永遠に近い闇の奥底。彼女の声が聞こえてくる。

 

 

 

――ようやく、アナタもここに、来た。

 

 

 

 白い手が、背後から伸びてくる。細くしなやかな指、腕。ふっくらとした手のひら。しかしそこに色はなく、血の通った温もりは微塵も感じられなかった。

 

 手が、体にまとわりつく。抱き着かれた、そう理解して、とっさに振りほどこうとする。けれど、体は言うことを聞かない。まるで金縛りにでもあったかのようだ。

 

 柔らかな感触が背中に密着する。おおよそ体温というものが全く感じられないそれは、人の形をしていても、何か得体の知れない軟体動物に触られているような、そんな感覚だった。本能的な悪寒が、背筋を幾重にも走り抜ける。動かない体が、小刻みに震えていることだけ、はっきりと感じられた。

 

 クスクス。彼女が耳元で笑う。

 

 

 

――やっぱり、憶えてないんだ。アナタのことも、ワタシのことも。

 

 

 

 くすぐるような声。耳にかかる吐息。痺れるような何かが、一瞬頭の中をよぎる。どこかの風景が、フラッシュバックする。

 

 あれは、何だ。

 

 

 

――おいで。ワタシのところへ、おいで。その時は、全部思い出させてあげる。アナタのことも。ワタシのことも。……アナタの、残酷さも。

 

 

 

 手が離れる。一瞬だけ感じられた名残惜しさにハッとして、背中を振り向いた。

 

 海の底に、深遠が横たわる。その只中へと吸い込まれていく彼女は、寂し気に笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

「吹雪ちゃん……?」

 

 呼びかけられて、我に返った。ボーっとしていた頭がやっとの思いで活性化し、周囲の状況を把握する。自分に呼びかけてきたのは、複縦陣で隣に位置する、睦月だった。

 

 吹雪所属の一挺艦含めた挺身艦隊は、一七四五時をもってサーモン海域内――変色海域へ進入していた。同時刻までに、機動部隊は敵機動部隊の北方誘引に成功しており、これの約半数を無力化したと報告があった。一七〇〇時点で、敵機動部隊が反転し挺身艦隊を襲撃することは不可能と判断した比叡は、隷下の艦隊にサーモン海域への進入を下令。二群に分かれた挺身艦隊は、前路掃討の二挺艦を前方に、主力の一挺艦を後方に置いて、一路変色海域の中心点を目指していた。

 一挺艦の戦艦三隻の直衛である吹雪は、同じく直衛を務める睦月と共に、複縦陣の最前に位置取っている。すぐ後方には、挺身艦隊を取りまとめる比叡と姉妹艦の霧島、その後ろは大和と神通だ。

 

 変色海域突入から、すでに一時間強。外部との通信は完全に遮断され、短距離の無線も使えない。艦娘間のやり取りは、口頭か信号灯の二択だった。

 そんな状況での睦月の呼びかけに、吹雪は頷いて返す。

 

「うん、大丈夫。なんでもないよ」

「そう?心ここにあらず、って感じだったけど……」

 

 言葉に詰まる。傍目にもわかるくらい、自分の意識は遠のいていたらしい。

 なおも心配そうに見つめてくる睦月に、大丈夫だからとはにかむ。事実、今は何ともない。声も聞こえてこない。

 私の意識は、はっきりとここにある。

 

(……だけど)

 

 はっきりと、憶えてもいる。今までなぜ忘れていたのか。なぜ思い出そうとしなかったのか。なぜ気づかなかったのか。

 なぜ、気づこうとしなかったのか。

 

 夢を、見てきた。

 夢じゃ、なかった。

 彼女の感触は、確かに残っている。恐ろしいほど、明瞭に。

 

(ずっと、わたしを呼んでいた)

 

 何があるのか、誰がいるのか、全くわからない。正直にいえば、とても怖い。

 だけど、行かなければならない。行って、確かめなければならない。

 わたしは何のためにここにいるのか。その答えを。

 

 艦隊は進む。夜闇が迫りつつあるサーモン海のさざ波を切り裂き、艦娘たちは深海棲艦の牙城へ踏み込もうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 挺身艦隊総旗艦兼一挺艦旗艦である比叡の責務は、多岐にわたっていた。元々、作戦行動中の責務が多いのが、旗艦という役職であるが、大艦隊の総旗艦と小艦隊の旗艦の兼務となると、気の休まる時間は微塵もなかった。

 ただでさえ、日没前後という気の張りつめる時間帯だ。頭が上げそうになる悲鳴を抑えて、比叡はその任を全うしていた。

 

 クロスベアリングによる位置の把握、チャートを用いた航路の確認、暗礁等への注意勧告、敵艦隊への警戒。電探がお釈迦になっている以上、その航法は一時代昔と大差なかった。

 

(もう少ししたら天測もできそうだなぁ)

 

 そんな見当違いのことを考えつつ、比叡は少し上方の空を見上げた。耳を澄ますと、微かに発動機の音が聞こえる。それは、上空に上がっている、零水偵の「金星」発動機が上げる唸りだ。

 その零水偵から、信号灯による発光信号が送られてくる。「テ・キ・エ・イ・ナ・シ」。二挺艦からの報告だ。

 零水偵の役割は、前方に展開している二挺艦との、連絡の中継だった。視界的には水平線の手前とはいえ、二万近い距離を空けている二挺艦とでは、口頭や信号灯でのやり取りは不可能だ。そこで、間に零水偵を置き、中継点として利用することにしたのだ。これであれば、挺身艦隊間の連絡網は確保できる。

 

(後は……)

 

 チラリ。手元のストップウォッチを確認する。変色海域進入と同時に計測を始めたその時間は、挺身艦隊の離脱限界を刻々と刻み続けている。長門から示された離脱限界の条件は、海域進入から六時間以内に海域中心に到達できなかった場合。あるいは敵艦隊との戦闘による被害が甚大で、戦艦三隻が全て中破判定以上になった場合。また、海域突入から四時間の時点で、中破判定以上の艦娘は、全て離脱せよとのことだった。

 

 変色海域への突入から、すでに一時間。艦隊は最も遅い大和に合わせ、二七ノットで航進してきた。単純計算では、あと三時間半ほどで変色海域中心に辿り着くはずだが――

 

(一筋縄じゃ、いかないよね)

 

 西の水平線で細い線になりつつある夕陽を見つめ、比叡は生唾を飲み込む。ここからは星の支配する時間だ。電探の使えない海は、手探りに近い。鍛え上げた夜間見張り員も、どこまで通用するか。

 

 水平線に沈みゆく夕陽の光が、一瞬緑色になった。唐突の出来事に目を細める。幻想的な光が水平線に広がり、やがて薄らいでいく。話に聞くオーロラのようだと思ったが、また別の現象だ。

 グリーンフラッシュ。空気の澄んだ日、稀に見ることのできる現象だ。太陽は水平線の向こうに消えるその一瞬、緑色の光を放つ。この海で見たのは初めてだ。

 よもや吉兆か。しかし比叡は、すぐにその考えを改めた。

 

(あの世とこの世の境目、黄泉の光、か。縁起悪いなぁ)

 

 一部でそのような伝承があることを思い出し、顔をしかめる。頭を振って、嫌な考えを隅に追いやった。吉兆と取るか、凶兆と取るか、結局は受け取り手次第だ。

 

 束の間の幻想が消え去り、辺りは本格的に夜の様相を呈し始める。月齢は一桁台、月詠の加護は期待できなかった。頼れるのは、己の五感のみ。

 

「比叡より挺身艦隊各艦。以後、夜間航海となせ。警戒を厳に」

 

 事前に決めていた符号を、発光信号として各艦に送信する。程なく了解の意が返って来た。挺身艦隊はさらなる警戒を敷く。

 

 その間、比叡は上空警戒の零水偵を出すように、霧島と大和に下令した。弾着観測のような精密な作業は望めないが、上空から敵艦隊の接近を報せることはできる。今は少しでも、警戒の目が欲しい。

 五分ほどで、四機の零水偵が発艦した。単葉双フロートの水上機が、一挺艦の上空一千へと駆け上り、旋回しながら辺りの警戒にあたる。どの程度効果があるかは不明だが、ともかくこれで見張りの眼が増える。

 

 時刻は一九〇〇を回った。依然サーモン海は、不気味な静けさに包まれていた。

 

 

 

 二挺艦の接敵は、時刻が間もなく二〇〇〇になろうかという時だった。

 

『我、敵艦隊と接触。これと交戦せり』

 

 零水偵を経由した報告と、水平線近くに砲炎が見えたのがほぼ同時だった。上空を旋回していた零水偵の一機が、確認のために二挺艦上空に向かう。ほどなく、零水偵から報告が上げられた。

 敵艦隊の編成は、巡洋艦四、駆逐艦六。快速警戒部隊の一隊と思われた。

 

(見つかったか……!)

 

 内心歯噛みするが、こればかりは致し方ない。そういつまでも、幸運は続かないものだ。むしろこの二時間、接敵がなかったことに感謝するべきだろう。

 

 問題はここからだ。警戒艦隊に見つかったということは、その呼びかけで他の艦隊も集まってくる可能性がある。

 実際のところ、変色海域内において深海棲艦の電波機器類が有効であるかどうかは、はっきりとしなかった。艦娘側の通信機器が使えないのだから、深海棲艦もまた、電波障害によって通信不能であると考えるのが普通だ。

 が、相手は変色海域にあっても艤装の侵食を受けない存在だ。あるいは妨害電波も、深海棲艦には影響がないのではないか。そう考えることもできた。

 常に最悪の事態を想定することは大切だ。それにこれだけ派手に砲炎と砲声を挙げれば、嫌でも目立つ。どちらにしろ敵艦隊はこちらに寄ってくるものと、考えるべきだ。

 

「一挺艦は針路このまま。接敵中の敵艦隊への対処は、二挺艦に任せます。更なる敵艦隊の接近に注意」

 

 一挺艦各艦にそう下令した時だ。ふと視界の端に、何か光るものが見えた気がした。

 

(何?)

 

 その正体を確認しようと、顔を光の方向へ向ける。だがすでに、そんな光は存在しなくなっていた。あるいは、比叡の幻覚であったのか。

 否、そんなはずはない。比叡はさらに目を凝らす。艦隊針路から左へ三〇度ほどの海域を。

 視界には何もない。あるのは島影と、一面の黒い海。どれほど目を皿のようにしようと、光の正体は掴めなかった。

 

 代わりに。

 

 答えは視覚ではなく、聴覚によってもたらされた。絶望に最も近い音の連なりが、遥か高空で奏でられる。ハッとして目を見開き、頭上を見上げた。

 何も見えない。けれど確かに、それはそこにあった。破壊と終焉をもたらす黒鉄の使者が、闇夜の空に紛れて、こちらを見降ろしている。押し潰さんばかりの威圧を放っている。

 雲量一。快晴の夜空に輝く星の光が、何かで遮られた。

 比叡は確信した。と同時に叫んだ。

 

「衝撃に備え!」

 

 それを言い終わるか終わらないかのうちに、甲高い風切り音が頭上を圧迫し、やがて途切れた。

 次に襲ってきたのは、経験したこともないような衝撃と、膨大な量の海水だった。足元が激しく揺さぶられ、あわや転倒しそうになる。本能的に閉じそうになった目を無理矢理こじ開けて、比叡はそれを見た。

 比叡の身長の、二倍はあろうかという、白亜の巨塔。それは全て、巻き上げられた海水だった。戦艦の主砲弾という、規格外の質量、破壊力によって叩き起こされた、とてつもない量の海水の塊だった。

 水柱は四本。それが立て続けに二度、計八本。時間差射撃から、二隻の敵戦艦がいることがわかる。

 となれば――

 

「一挺艦、合戦用意!」

 

 突発的な瀑布による轟音に負けじと、比叡は声を張る。崩れながら降り注ぐ無数の水滴が前髪を濡らした。滴る海水を震わせて、比叡は叫ぶ。

 

「針路一〇五!砲戦用意!目標、」

 

 その時、第二射が放たれた。今度こそ、見逃しはしなかった。

 

 水平線にくっきりと浮かぶ影。巨大な艤装の上げる砲炎で、自身を赤々と照らし出す人影。まるで自らが、この(舞台)の主役とでも言うように。この(帝国)の支配者とでも言うように。優雅さすら感じる佇まいでこちらを睥睨し、口元に笑みすら浮かべる。たゆたう海のように広く、長い髪が、ゆるるかに風になびく。スラリとした立ち姿からは威厳が溢れ出し、周囲全てを平伏させんとする。絶対覇者、百艦の王、君臨する者。破壊と蹂躙を司り、その理不尽さは美しくすらある。

 戦艦棲姫。姫の名にふさわしく、多数の従者を従えた()()()は、その妖艶な双眸で、しかとこちらを捉えていた。

 

 明確な敵。だというのに、不思議と敵意は感じられなかった。

 

(ああ、そうか)

 

 比叡は思い至る。

 

 彼女らは姫。生まれながらにして覇者であり、この海に君臨し、支配してきた。彼女らにとって私たちは、ただの蹂躙の対象に過ぎない。それは当たり前の成り行きで、当然の責務で、必然の行為。ゆえに、彼女らにとって艦娘は、排除するべき障害ではなく、だから断じて敵たりえない。

 

(こ……っの、)

 

 比叡は力の限り、()を睨んだ。

 

「目標、敵戦艦!粉微塵に叩き潰せ!」

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