残敵掃討を終えた三隻の駆逐艦を、大和含めた一挺艦の各艦は、沈黙と共に迎え入れた。傷つき、妖精の応急修理を受ける各艦が、たった一隻の駆逐艦を注視している。彼女は本来、ここにいてはいけないはずの艦娘だ。
駆逐艦如月。深海棲艦へと変質している艦娘。それを如実に示すように、星の光に照らされる表情は、蒼白を通り越した能面のような白さだ。顔の半分が爛れたように見えるのは、深海棲艦に侵食されているからだろうか。右の瞳には、赤い月を宿している。
「敵艦隊の撃滅を確認しました」
合流したところで、吹雪が比叡に報告する。それに頷いた比叡は、チラリと如月に目をやった後、口を開く。
「被害を集計後、二挺艦と合流します。今後の方針は、その場で決定します」
すぐに、各艦の被害が報告される。
大破……比叡、神通
中破……霧島
小破……大和、睦月
損傷軽微……吹雪、如月
以上が一挺艦の損害として比叡に報告された。これに頷き、比叡は二挺艦との合流を命じる。あちらの戦闘が終了していることは、上空の零水偵から報されていた。
損傷艦を後方に集めつつ、一挺艦は強速で進んでいく。前路掃討は睦月と如月。その後ろに大和と、吹雪が続いた。
「大和さん」
前方に意識を集中していた大和に、今日初めて吹雪が話しかけてきた。作戦行動中に私語をするような艦娘ではない。大和は多少不思議に思いながらも、返事をした。
「はい、どうかしましたか、吹雪さん?」
暗順応したことでわずかに見て取れる吹雪の表情は、とても落ち着いているように見えた。
「一人で戦艦棲姫二隻を撃破するなんて、さすがです」
そう言う彼女に、今朝のどこか覇気のない、憂いを帯びた表情は浮かんでいない。むしろ何かを振り払い、すっきりとしたような印象さえ受ける。
悩み、惑い、それでも前を見据える。吹雪という艦娘の在り方を、彼女は思い出したのかもしれない。
(これでもう、大丈夫ですね)
あるいはそれを伝えるため、彼女は今話しかけてきたのかもしれない、というのは考え過ぎだろうか。
「ええ。でもそれは、比叡さんと霧島さんの奮闘あってのことです」
後ろに控える、傷ついた二戦艦のことを思う。この砲が存分にその力を発揮できたのは、彼女たちの踏ん張りがあったからに他ならない。
「託されたのですから。それに応えなくては、戦艦の名が廃ります」
大和の答えに、吹雪はとても満足そうに笑って、頷いた。
十分ほどで、二つの挺身艦隊は合流を果たした。激戦を潜り抜けた艦娘たちは、互いに肩を叩き合う。束の間の笑顔が、それぞれの顔に浮かんでいた。
二挺艦もまた大きな損害を被っていた。
無傷の者はいない。全艦が何かしらの手傷を負っている状態だ。一挺艦が戦闘をしている間、三個の敵警戒艦隊を相手取ったというのだから、それも致し方のないことと言えた。
鳥海からの報告を黙って聞いていた比叡は、一つ頷いて顔を上げる。その瞳は、今度こそ真っ直ぐに、如月のことを捉えていた。
「如月。どうしてあなたが、ここにいるのですか」
普段の比叡からは考えられないような、重い声が響く。誰もが口を閉ざし、如月を見つめる。ただ、睦月と吹雪だけは、その答えを知っているかのように、瞳の奥をきらめかせていた。
答える如月は、ただ真っ直ぐに比叡を見つめ、さも当たり前のように返した。
「睦月ちゃんを助けるために、ここに来ました」
「それは睦月を、この海域から連れ帰る、ということではなく?」
「はい。それは睦月ちゃんも望んでいないはずです。私はあくまで、睦月ちゃんの望みを叶えてあげたい。彼女が進むというのなら、その助けになってあげたい。そして……そして、叶うなら、残り少ない時間を、彼女の側で過ごしたい」
如月の答えに、一点の曇りもない。それが真実だ。そう如実に示す、回答だった。
「あなたは、あなたの意志で、ここにいるということですか?」
「はい」
なおも視線を真っ直ぐに交わらせる比叡と如月。やがて比叡が、控えめな溜め息を吐いた。
「……わかりました。私はその意志を、あなたの想いを、信頼します」
比叡が微かな笑みを浮かべる。
「私が書類を何枚か書いて、長門さんに怒られるだけですから」
損傷の小さい艦が集められ、一挺艦が再編された。顔ぶれは以下の通り。
・挺身艦隊第一群
第一部隊〔大和〕〔鳥海〕〔吹雪〕〔睦月〕〔如月〕〔夕立〕
この他、北上と大井も損傷は少なかったが、二人は雷撃に特化した重雷装艦であり、すでにその魚雷を撃ち尽くしていたため、編成からは外されていた。
損傷の激しい艦娘たちとは、ここで別れることとなる。彼女らは元来た道を戻ってこの変色海域を抜け、自力でショートランドまでたどり着く必要がある。
大和にできるのは、その無事を祈ることだけだ。
「貴艦隊の健闘を祈ります」
旗艦移譲とともに、比叡はそう言って大和に敬礼した。同じように敬礼を返して、大和は踵を返す。
今、一挺艦を率いているのは、大和なのだ。この先の作戦の成否は、大和の双肩にかかっている。
吹雪をポイント・レコリスへ送り届け、同時に光の柱を撃破する。
最大の障害となったであろう敵戦艦は撃破したが、依然深海棲艦の戦力は健在だ。巡洋艦主体の警戒部隊は数個艦隊残っており、これらが妨害してくることは十分に考えられた。総数を半分以下まで減らし、それも軽艦艇中心の編成となった挺身艦隊では、数に任せて攻められることが一番きつい。それは重々承知の上だ。
大和率いる一挺艦は、吹雪を先頭に置き、睦月、如月、夕立、鳥海、大和の順で単縦陣を敷いた。速力を大和の二八ノットに合わせ、島影を縫うように、艦隊は進んでく。あと二時間弱もあれば、ポイント・レコリスに到達するだろう。
この時点で、すでに変色海域突入から三時間半。各艦の艤装に、赤い海からの侵食が始まっている。重大な損傷に至ってこそいないものの、時折刺すような痛みが、艤装を通して襲ってきた。その度に、言いようのない悪寒が背筋を走り抜ける。
(あまり、猶予はありませんね)
大和は再度気を引き締め、水平線にうっすらと姿を現し始めた光の柱を凝視した。
それから一時間、一挺艦は何事もなく、サーモン海域を進んでいた。途中、暗礁地帯を通過したが、岩に接触する艦もなく、今は比較的開けた海域を航行中だ。
そして、視界が開けたことにより、より鮮明に、
光の柱だ。モノクロの航空写真で見るよりも、ずっと鮮明に、目の前にそびえている。丈高い戦艦の主砲弾による水柱を「天を突くほど」と表現するが、あの光の柱は文字通り、天まで届いている。柱の上端は見切れて、最早どこまで伸びているのか、皆目見当もつかない。さらに、余程の光量なのか、周囲の海域が柱の光で淡く照らし出されていた。
(あれが、変色海域の中心。光の柱)
私たちが――吹雪が到るべき場所。
ポイント・レコリス――ガ島沖の海域にそびえ立つ光の柱までは、まだ幾ばくかの距離があるはずだ。だというのに、これほどにはっきりと視界に捉えることができる。もはや、チャートを見ながらその位置を確かめる必要もない。
「最後の島影が近いです。横合いからの襲撃に注意してください」
大和は注意を促す。目視できる範囲に、敵艦の姿はない。だが、光の柱の手前、針路右手に見える島、あの影を利用すれば、身を隠すことができる。横合いから奇襲するにはもってこいだ。
大和含め、六人分の眼が、辺りを最大限に警戒する。各艦に配属された夜間見張り員もだ。特に、鳥海に配備された熟練の妖精に、大和は期待を寄せていた。最初のサーモン海域突入戦でも、真っ先に敵艦を発見した妖精だ。
大和は、わずかに進路を変えるよう、下令する。島と距離を開けるためだ。最接近で二千だった距離が、これで三千になるはずだ。
そして案の定、十数分とせずに、それが現れた。
「敵艦見ゆ!」
振り向きながら、鳥海が叫んだ。見張り員妖精が、艦影を確認したという。距離一万二千。島影からこちらの行く手を塞ぐように、展開してくるという。
大和も、見張り員と共に目を凝らす。黒々とした島の向こうから、人型、あるいは魚型の影が次々に現れる。どれもどちらかといえば小柄な艦影だ。巡洋艦を主体とした、警戒艦隊であった。
「合戦用意。距離八千より砲戦を開始します」
言うと同時に、発光信号を送る。全力航進中の単縦陣では、さすがに最後尾と先頭の間で声のやり取りはできない。
駆逐艦たちから了解の返答が返ってくる。口火を切るのは大和と鳥海だが、吹雪たち駆逐艦もまた、敵陣に切り込んでもらわなければなるまい。
やがて、その時が来る。
「てーっ!」
号令と共に、大和は先頭のリ級へ第一射を放った。数秒遅れで、鳥海も砲撃を始める。それを皮切りに、最後の夜戦が開始された。
大和の第一射がリ級を包み、鳥海の砲撃はツ級に降り注ぐ。深海棲艦たちは咆哮を上げ、自らも反撃の砲火を放った。
間髪を置かず、大和は第二射を放つ。先の戦闘で、夜戦の感覚は掴んだつもりだ。そう時間を置かず、命中弾を出して見せる。
鳥海の射撃間隔は、大和のそれよりも半分ほどと短い。命中弾を得るのは彼女の方が早いだろう。実際、すでに弾着を迎えた鳥海の第二射は、ツ級の正面至近で炸裂していた。早ければ、次辺りにでも、命中弾が出そうだ。
負けてはいられまい。手数で劣るとはいえ、射撃指揮装置の性能は大和の方が上なのだ。同距離で撃ち始めて後れを取ったとあれば、戦艦の恥だ。
第二射が弾着する。リ級の姿が極太の水柱で隠され、すわ轟沈したかと錯覚させる。だが実際には、観測射として放った三発が、全てリ級の手前で炸裂しているだけだ。今回も命中、夾叉ともにない。
戦果を挙げるのは、やはり鳥海の方が早かった。大和の第三射に先駆けて放たれた鳥海の第四射が、ツ級の艦上で炸裂して爆炎を上げる。暗闇の先でもはっきりと見て取れる炎だ。赤々とした光に、ツ級が肩をわななかせる。
大和も、準備の整った第三射を放った。この辺りで、敵艦隊の陣容も大方判明する。今撃ち合っているリ級とツ級を含め、巡洋艦四、駆逐艦十の艦隊だ。
やはり、どうあっても手数でこちらが劣る。早々に、巡洋艦を二隻、排除しておきたかった。大和と鳥海であれば可能なはずだ。
大和の第三射が飛翔を終え、リ級に降り注ぐ。弾着の結果を見届け、大和は小さく拳を握った。命中の炎は見えないが、リ級の右に一発、左に二発。夾叉だ。次から命中弾が見込める。
鳥海に続き、大和は斉射の準備に入った。最大最強の四六サンチ砲だ。戦艦棲姫を二隻も屠ったこの砲ならば、巡洋艦の一隻など、簡単にこの世界から消し去ることができるだろう。
砲塔内で妖精たちが忙しなく動き、揚弾された四六サンチ砲弾を尾栓から込め、装薬を詰める。後はここまでの射撃で判明した諸元を入力し、砲を俯仰するだけだ。
あと数秒で射撃の準備が完了する。主砲発射を告げるブザーを、大和が準備した時だ。
突然、夜が光でかき消された。否、そんなはずはない。だからきっと錯覚に違いないのだが、それでもやはり、そのように思わずにはいられなかった。
閃光は、散々警戒していた島の方から生じていた。淡い曙光などではない。太陽がそっくりそのまま現れたかのような、他のあらゆる光の存在をも許さぬ、王の威光のごとき輝き。一挺艦の全艦が息を飲み、目をすがめてしまうような光景だった。
それが砲炎だと気づくのに、数秒を擁した。
嫌な、予感がする。本能としか言いようがない冷や汗が、体のあらゆる毛穴から噴き出し、じっとりと大和の肌を濡らす。
逃げろ。あれは、
飛翔音が迫る。戦艦棲姫のそれに倍するような、重苦しい空気の振動。空が降ってくる感覚。
衝撃に備え。そんな、簡単な注意すら、洩れることを許されなかった。
巨大な海水のオベリスクが四本、大和の視界に立ち上った。世界を洗い流す洪水のごとき大波が大和を、そして付近にいた鳥海を襲う。
大和の脚部艤装が、ギシギシと悲鳴を上げていた。そんな馬鹿な。四六サンチ砲の衝撃に耐えうるよう、どんな艦娘よりも頑丈になっている大和の脚部艤装が、たった四発の砲弾が起こした波に弄ばれていた。たかだか大海に漂う小舟だと嘲笑うかのようなうねりに、
こいつはただ事ではない。大和はすぐに、この砲弾の送り主を探した。
だが、発砲炎の見えたところに、艦影はなかった。どれほど目を凝らしても、ごつごつとした島の輪郭しか確認できない。どこにも、深海棲艦らしきものは、見当たらないのだ。
一体どこから。焦燥の汗が髪から滴る海水に混じって頬を伝う。
二度目の砲火が放たれた。先程と同じ閃光が夜の海を走り抜け、辺り一面を照らし出す。暗順応した目には刺激が強い。
思わず閉じそうになる目を無理にこじ開け、大和は光源の辺りを見遣る。そして、気づいた。
島などではない。先程まで大和も見張り員も島の影だと思っていたもの。しかしそれは、断じて島などではなかった。
さりとて、艦というには、あまりにも大き過ぎた。ゆえに妖精も、それを島だと思ってしまったのだ。
戦艦棲姫に酷似した艤装。しかし背後に控える異形は、一回りも二回りも大きい。当然ながら、そこに備えられる主砲塔も大きく、威圧的だ。がっぷりと開いた口が二つ見え、頭に当たる部分が複数あることを窺わせる。太い腕、ごつごつとした体。海の上にいてはいけない、怪異、怪物。海から産まれ出でたそれを、あるいはリヴァイアサンと、はたまたセイレーンと呼ぶのだろうか。
だが、忘れてはならないことがある。あくまであの怪物は、付随品に過ぎない。女王アリに対する働きアリ。女帝に対する騎士。
かの怪物ですらかしずく者。海の怪物と呼ばれるものすら統べる者。異形を従え、あらゆる怪異の頂点にある者。
戦艦棲姫は、所詮前座に過ぎなかったのだ。なぜならここに、真の意味で女帝と呼べる者がいるのだから。
スラリと伸びた長身。海面に届き、波間に漂う黒髪。純黒のドレス。憐れみを帯びた瞳。彼女こそが、真にこの海に君臨する者。
敵わない。大和は直感した。このままでは勝てない。
その直感を裏付けるものはいくらでもある。戦艦棲姫を凌駕する巨躯。大和をも揺るがす巨砲。どれ一つとっても、大和が敵う道理がなかった。
第二射が降り注ぐ。改めて大和は、自らの直感が正しかったことを悟った。
飛翔音が途切れた瞬間、先と同じように巨木のごとき水柱が立ち上った。一つ違ったのは、より直接的な衝撃が、大和を襲ったこと。
金属がぶつかり合う音ではない。聞こえてきたのは、いとも容易く、分厚い装甲板が裂ける音。対四六サンチ砲対策が施された大和の装甲が、薄い木板か何かのように叩き割られる感覚。
「一旦、体勢を立て直します!全艦進路反転、島影へ身を隠してください!」
我武者羅に突撃するだけではだめだ。そこに活路はない。まだ双方距離があるうちに、一旦敵の射線を切らなければ。
大和の命令で、一挺艦は針路を反転し、各々に、島影を目指す。幸いにして、敵艦隊が追撃してくる様子はない。光の柱への進路を塞いだまま、速力を落として周遊を再開する。未知の巨大戦艦も同じだ。
(やはり、そういうことですか)
圧倒的優位を活かすことなく、追撃を試みないその意図は、おそらく作戦開始前に分析されていた通りだろう。深海棲艦の目的は、艦娘の撃滅ではなく、吹雪をあの光の柱へ近づけさせないことにある。
好機、と捉えるべきだろうか。到底敵いそうもない相手であることを確認していながら、意外にも、大和の闘志はいまだ潰えていなかった。