島影へ完全に隠れた大和たちは、各々の損傷を確認する。とは言っても、まともに撃たれたのは大和だけであり、確認することといえば、変色海域による主機への侵食具合くらいだ。
主機を一度止め、大和は改めて自らの損傷を確認する。被弾は一発。右舷側の三番副砲があった付近に、大穴が穿たれている。砲塔周りは特に装甲の厚い部位だ。そこを、距離八千だったとはいえ、こうも易々撃ち抜いてくるとは。
(おそらく、一八インチ砲……いや、もっと、か)
損傷個所を応急処置しながら、大和はそう分析する。
たった一度だけ肉眼で捉えた敵艦には、大和と同等かそれ以上の大きさがある砲塔が据えられていた。ただし、見た限りでは戦艦棲姫のような三連装砲ではなく、連装砲であった。必然的に、搭載されている砲は、大和のものよりも大口径であるはずだ。であれば、その砲は四六サンチ砲を越えた、五一サンチ砲相当――二〇インチ砲であると考えられる。それが連装四基で計八門。
装甲についても、ニ〇インチ砲対応のものを装備しているはずだ。例え大和の四六サンチ砲であっても、貫通は容易くはあるまい。
八方塞がり。しかし大和は、一つ、この状況を打開しうる手を考えついていた。
「大和さん」
思案に耽っていた大和を、鳥海が呼ぶ。落ち着いた目が、完全に据わっていた。彼女もまだやるつもりだ。
「今一度、作戦目的の確認を、お願いします。二つの目標の、どちらを優先されるのか」
鳥海の言う二つの作戦目的とは、光の柱の撃破と、吹雪の海域中心への到達のことである。いずれも、達成するべき作戦目標として、長門から事前に開示されていた。
大和は特に悩むこともなく、口を開く。
「作戦目標に変わりはありません。二つの目標は、相反するものではないと、私は考えています。最終目的である変色海域の解消は変わりません。そこへのアプローチの仕方が違うだけです」
大和の話を、五人は黙って聞いていた。
「光の柱を破壊することは、どちらかといえば対症療法です。対して、吹雪さんを変色海域の中心点へ送り届けることは、より根本的な解決を目指すものです」
彼女は――吹雪は
海域の中心にいる「彼女」が、何を目的に吹雪を呼んでいるのかは知らないが、より根本的な変色海域の根絶を目指すのならば、「彼女」と接触する他はない。現状、それが叶うのは、吹雪だけだ。
さらに、ここに来て、この海域の深海棲艦が、いかな行動原理で戦っているのかもはっきりしてきた。明らかに、その動きは艦娘を撃破するものではなく、艦娘が光の柱に近づくことを阻まんとするものであった。「彼女」のもとへ艦娘が到達することは、深海棲艦にとって何か不都合なことがあるのだ。
故に、光の柱の撃破は、あくまで対症療法。「彼女」との接触ではどうにもならなかった際の保険的意味合いが強い。大和はそう認識していた。
「そのどちらを達成するにしても、障害になる物は変わりません。私が光の柱を破壊するには、敵艦隊を撃破しなければなりません。吹雪さんが光の柱へ接触するには、敵艦隊を撃破しなければなりません。克服するべき障害が変わらない以上、現時点で私は、作戦目的両方の達成を諦めません」
大和はそう締める。決意の籠った表情の鳥海が、殊更ゆっくりと、言葉を発する。
「……わかりました。それでは私は、敵艦隊を撃破し、作戦成功への活路を開くことに集中します」
目下、海軍最強と目される巡洋艦の回答に、大和は無言の頷きをもって応えた。
「ここが正念場です。必ずや敵の防衛網を突破し、光の柱へ到達しなければなりません」
一挺艦の面々を、大和は見回す。暗闇の中でも、その瞳が爛々と輝いているのがわかる。皆やる気だ。この逆境でも、闘志を失ってはいない。
これなら、まだ戦える。
「これより先は、艦隊を二分します。私以外の皆さんは、その快足をもって敵中の一点突破を狙ってください。私は敵戦艦を撃破します」
「……それは、」
そこまで言って、鳥海は口をつぐむ。
彼女も理解しているはずだ。敵戦艦は、あまりにも規格外すぎる。大和一隻では到底敵わない。今の一挺艦六隻が束でかかって、ようやく仕留められるか否か、という難敵だ。
ただしそれは、あくまで正攻法の話だ。
「何か、勝算が、あるんですね」
吹雪が控えめに訊いてくる。心配を極限まで押し殺した問いかけに、大和は可能な限りの自信をこめて答える。それが今できる、精一杯だ。
「ええ。とても困難な、ある種賭けに近い手ですが……必ずや、皆さんの期待に応えて見せましょう」
そうして、笑って見せる。苦難の中でこそ、笑わなければ。それこそが、指揮官に求められる素質だ。
「時間があまりありません。すぐに、取り掛かりましょう」
大和の呼びかけで、各自が戦闘への準備を整える。これが、正真正銘、最後の戦いだ。
誰からともなく、拳を突き合わせていた。砲炎に巻かれ、硝煙にまみれ、潮水を被った、六つの手。握られた拳が、ごくごく自然に寄りあう。
大和の短い一言が、戦闘開始の合図になった
「武運長久を」
鳥海を先頭に置き、駆逐艦四隻、最後尾に大和を置いた単縦陣の一挺艦は、二十八ノットで島の海岸沿いを驀進していた。座礁ギリギリの、危険極まりない航行だ。少しでも引き波の加減を見誤れば、脚部艤装が砂浜や暗礁に乗り上げ、損傷してしまう。
そんな危険を冒してもなお、こんな航路を取っているのは、ひとえに敵艦隊から発見されるリスクを避けるためであった。事実、この島沿いの航路を取った敵超巨大戦艦を、大和たちは距離八千でようやく認識したのだ。しかも、それは敵の砲炎が見えたからである。全く発砲しなければ、より至近まで近づける。
一挺艦は、一先ず身を隠した場所から、島を反時計回りに進んでいた。こちらの接近を警戒している敵艦隊は、先ほどとそれほど変わっていない位置に陣取っているはずだ。島の反対側から飛び出せば、敵艦隊の裏をかくことができる。
かつ、おそらくは最も、敵戦艦との距離が縮まる位置を取ることができる。大和には、その方が好都合だ。
『敵艦隊見ゆ。右十度、距離八〇(八千)』
先頭の鳥海から、発光信号が送られる。チャート通りなら、すでに島を半周ほどしたはずだ。いつ会敵してもおかしくはない。
報告のあった方へ大和も目を凝らす。暗順応した目であれば、輪郭ぐらいは十二分に捉えられた。何より、あの超巨大戦艦が、どれほどの暗闇の中でもはっきりとした影となってその存在を示していた。
(六千……せめて七千まで、気づかれないといいのですが)
それがあまりにも都合のいい願望であることは、大和自身が一番わかっていた。
いくら島影を利用したところで、さすがに七千まで近づけば、何隻かが気づくだろう。
実際、その動きはすぐに始まった。
『敵艦隊に動きあり』
(気づかれた……!)
大和は直感した。同時に、次に何をするべきかもわかっていた。
「
発光信号で、短符を連打する。本来は航空攻撃の際に使用される信号だ。疾風迅雷。まさしく航空機のように、敵陣を突破せよ。そんな意味も込め、速力の早い五隻に指示を飛ばす。
大和を除いた五隻(一挺艦二分隊)は、迷うことなく、主機を一杯に吹かした。全艦が三十四ノットを発揮可能だ。六ノット分の速力差があれば、大和との距離はみるみるうちに広がっていく。五隻の快速艦は、敵が態勢を整える前にその防衛線を突破せんと試みる。
その五隻に対し、敵巡洋艦や駆逐艦が、行く手を阻まんと集まってくる。その針路に立ち塞がる。
そして、超巨大戦艦もまた、その身を緩慢に翻し、吹雪たちへその砲口を向けんとする。
(それだけは、させない)
あなたの相手は私だ。私がその砲を撃ち砕く。
主砲発射を告げるブザーが鳴る。同時に大和は、数秒という短時間、探照灯を点灯した。当然、超巨大戦艦に向けて、だ。
「最後まで付き合ってもらいます!私の
それは、死のダンスへの誘い。どちらかが倒れるまで、あるいはどちらもが倒れるまで終わることのない、舞踏会。夜を舞台にした、巨砲と巨砲の協奏、あるいは狂騒。
白い光で浮かび上がった
四六サンチ砲が咆哮する。閃光、轟音、爆風。海面のさざ波すらも薙ぎ払い、決意の鉄槌が振り下ろされる。何物にも邪魔されない、最強を決める戦いが、ここに始まった。
*
「最大戦速を維持!何があっても、速力を緩めないで!」
敵艦隊と会敵した時点で、鳥海からすぐさま指示が飛んできた。異論を挟む余地はない。吹雪たちは頷いて、さらに先を目指す。各々主砲を構え、臨戦態勢だ。
真正面に飛び出してきた駆逐艦へ向け、鳥海が発砲する。距離は四千もなかった。初弾から二〇・三サンチ砲弾が命中し、駆逐艦の薄い装甲を撃ち砕く。さらにそこへ、高角砲による射撃まで始まり、駆逐艦は三十秒ほどで鉄屑になり果てた。
背後から巨大な砲声が聞こえてきた。大和と超巨大戦艦の撃ち合いが始まったのだろう。最早何者にも、そこに介入する余地はない。巨砲と巨砲、鋼のぶつかり合いが、夜の海に響き渡る。
(大和さん……)
出撃前の、彼女の言葉が蘇る。今まさに、彼女はその身を賭して、吹雪たちの活路を開かんとしている。
――「託されたのですから。それに応えなくては、戦艦の名が廃ります」
大和はそう言った。
駆逐艦も、同じことだ。はっきり言って、彼女たちの性能は、お世辞にも高いとは言えない。戦艦や巡洋艦と撃ち合いなどできないし、命中弾は例え駆逐艦の一発でも致命傷になり得る。
それでも、魚雷という切り札を抱えている。一撃のもとに敵艦を屠れる必殺の兵器を持っている。ゆえに、戦艦も巡洋艦も、その身で駆逐艦を守り、活路を開く。
託されたのなら。一度背負ったのなら。最後までやり遂げて見せなければ、駆逐艦の名が廃るというものだ。
振り返りはしない。今はただ、前を見つめ、目指すところへと突き進んでいく。
その視界に、立ち塞がる深海棲艦。
「左魚雷戦用意!」
鳥海が即断し、各艦に魚雷の準備を命じる。全五隻、雷数にして三十四。全ての発射が可能だ。
この雷撃を露払いとし、しかる後に敵艦隊へ切り込む。これが鳥海の算段だろう。
「魚雷発射始め!」
鳥海の号令に合わせ、圧搾空気の音が響く。発射管から放たれた三十四本の魚雷は、静かに海面下へと沈み込み、夜闇に紛れて敵艦隊へと肉薄していく。彼我の距離、六千もない。しかも正面を向いて反航の状態だ。魚雷到達までは三分弱といったところか。
魚雷の航走を確認し、鳥海は改めて敵艦隊への突撃を再開した。二分隊五隻は一本槍となって、敵艦隊へ肉薄していく。
三隻の敵巡洋艦が発砲した。二隻のリ級と一隻のネ級がその艤装に砲炎を躍らせ、二分隊の行く手を阻もうとする。その猛進を止めようとする。
それに撃ち返すのは、鳥海だ。腰を取り巻くように据えられた艤装は、戦艦のそれに酷似している。安定性は抜群だ。射撃プラットフォームとしてこれ以上に適したものはない。
鳥海の二〇・三サンチ砲が咆哮する。徹甲弾が咆哮から飛び出し、行く手を阻むものを排除しようとする。
前進を後押しする一撃。前進を押し戻す一撃。双方が放物線を描いて交差し、大気を鳴動させながら目標へと降り注ぐ。戦艦のそれには劣るとはいえ、大砲としては十分すぎる大きさと威力だ。
ほとんど同時の弾着。相対速度が大き過ぎるために、お互いに命中弾はない。それでも、まぐれに近い至近弾が生じて、制服を濡らす。艤装に弾片がぶつかる。
二度、三度。鳥海と敵巡洋艦が砲火を交わすが、命中も、夾叉もない。派手な砲炎を撃ち上げている割に、双方の被害は皆無であった。
ただ、吹雪含めて四隻の駆逐艦は、鳥海の狙いを理解していた。
この砲撃は、魚雷到達までの囮だ。こちらの鳥海一隻に対して、あちらは重巡が三隻。いくら鳥海が強力な巡洋艦といえど、三倍の兵力差をひっくり返すのは容易ではない。ゆえに、先に放った魚雷が、少しでも敵の戦力を削ってくれるのを待っているのだ。
魚雷の命中率を上げるには、相手を予想した針路の通りに進ませる必要がある。ゆえに鳥海は砲撃で気を逸らし、魚雷への警戒を薄くさせているのだ。
必ず当たる。吹雪はそう確信した。そしてそれを裏付けるように、目の前の敵艦正面で、巨大な水柱が噴き上がった。五隻から放たれた九三式魚雷が命中した瞬間だった。
「針路〇九〇!」
戦果の確認もそこそこに、鳥海が針路の変更を指示した。横陣を敷いてこちらの進路を塞ぐ敵艦隊、その中央に魚雷によって穿たれた戦力の空白へ向け、二分隊は突っ込む。
死中に活。虎穴に入らずんば虎子を得ず。もはや遠巻きにやり過ごすなどという考えはない。
魚雷によって生じた被害は、巡洋艦一、駆逐艦二の撃沈、駆逐艦一の大破であった。浸水過多により波間へと飲み込まれつつある敵艦に目を遣ることなく、二分隊は敵艦隊中央を韋駄天のごとく駆け抜ける。
だが、ただで行かせてくれるほど、深海棲艦は甘くはなかった。
はっきりした理由はわからない。だが間違いなく、彼女らは吹雪を、何が何でもあの柱に近づけたくはないようだった。
態勢を整えることもせず、残った深海棲艦が発砲した。四隻を失ったとはいえ、いまだ七隻が健在だ。残ったリ級とネ級が八インチ砲を振りかざし、駆逐艦が五インチ砲をこれでもかと撃ちつけてくる。もはや上がる水柱を数えることが馬鹿らしくなるほどだった。
「本艦目標、左舷敵艦隊。夕立、睦月、如月目標、右舷敵艦隊。吹雪は単艦にて光の柱へ向かえ」
鳥海は、何の躊躇もなく、そう下令した。吹雪を除いた四人は、躊躇うことなく、それぞれの目標へと転針していく。ただの一言も、言葉を発することなく。
交わすべき言葉は交わした。託すべき想いは託した。叶える願いは皆に共通だ。そして向かう先は、吹雪だけが知っている。それぞれの決意を、ただただ示すのみ。
「さあ、素敵なパーティーしましょ」
夕立の口癖だけが聞こえてきた。それだけで十分だ。
光の柱は、もう目と鼻の先まで迫っていた。眩い光の根元、全てを飲み込む海の深淵へ、吹雪は向かう。
迷いはない。今はただ、そこにいる
最後の助走をつけた吹雪の体が、深淵から飛び出し、宙に浮く。艤装は海面を離れ、艦でありながら、吹雪は空を飛んでいた。
光の柱が近づく。乳白色の世界が吹雪を飲み込んでいく。感覚は研ぎ澄まされているのに、意識だけはどこか遠くへ飛ばされる、そんな心地がした。
――おいでませ。鉄の水底へ。