『第一分隊増速、機関一杯。左逐次回頭、針路一〇五』
矢継ぎ早の指示を受け取るや、三隻の重巡洋艦が速力を上げた。脚部艤装のスクリュープロペラが回転数を上げ、海水を勢いよく後ろへ押しやる。その反動が、急激な加速となって、青葉を突き出す。
突然の動きに「丙」は驚いた様子だった。だがその頭を、第二分隊の砲撃が抑える。
『で。古鷹たち置いて行って、どうするつもり?』
青葉のすぐ後ろ、加古が尋ねる。少し棘のある言い方は、たった今敵艦の砲撃の的になっているのが、彼女の姉妹艦であるからだろうか。
鳥海が答える。
『深海棲艦と同じことをします』
手振りだけで、彼女は目の前を指し示した。そこには黒々とした島影。
『あの島を背にして、敵艦隊の目を誤魔化しつつ、急襲を仕掛けます。現れるであろう敵増援の取る航路は、島が多いおかげで、ある程度絞れますから』
『……古鷹たちは囮ってわけか』
それだけ漏らして、加古は再び黙る。口にこそ出さないが、姉妹艦を囮にされることへの抵抗がありありとわかった。作戦自体の意義は理解できるから、反対の意を表明していないだけのことだろう。
鳥海の方も、特にそれ以上何も言わない。
島の影に紛れるようにしながら、第一分隊はその時を待つ。時折、第二分隊と「丙」部隊の砲声が聞こえてくる。砲力で「丙」部隊に勝っているとは言い難い第二分隊だが、全く譲らずに渡り合っている。最後尾の天龍に至っては、腰に下げていた特式携行重刀を抜き、物理的に深海棲艦に切りかかっている始末だ。
その時、鳥海の艤装で光が瞬いた。通信用のライトガンだ。
トトト。短符を数秒間連続したそれは、敵艦を見つけたことを示している。改めて電探を確認すれば、第二分隊を挟撃せんとするかのように、新手の反応が迫っていた。この海域に第八艦隊以外の味方艦隊はいない。
鳥海が転針を指示する。新たに現れた敵艦隊(出現方向から「甲」と推測)は、どうやらこちらにはまだ気づいていない。第一分隊は、その裏をかくべく、複縦陣をなす「甲」部隊の背後へ回ろうとしていた。
「っ!」
次の瞬間、「甲」部隊が発砲した。砲炎は見えるだけで五つ。すなわち「甲」部隊の戦力は、巡洋艦五隻以上を含んでいる。
事前報告では、重巡洋艦四、軽巡洋艦二、駆逐艦六となっていたはずだ。大体数は合う。
鳥海からさらに指示が飛ぶ。信号の内容は「右魚雷戦用意」。逆探に反応がないところから、至近距離まで接近しての雷撃が可能と判断したのだろう。実際、「甲」部隊との距離は一万を切ろうとしているが、あちらに気づいた素振りはない。深海棲艦は電探を装備していないのだ。
相手が見えているこちらと、こちらが見えていない相手。この差は大きい。
「甲」部隊は、第二分隊に射撃を集中している。「丙」部隊の残存を撃破した第二分隊もまた、これに応えている。が、いかんせん砲力の差が大きく、まともな撃ち合いにはならない。漏れ聞こえてくる通信からは、古鷹が回避を優先した指示を飛ばしていることがわかる。
それでも、全弾を回避することはできず、ポツポツと被弾の火柱が上がった。戦闘・航行に支障の出る艦はないが、このままいつまでも耐えられるものではない。
(まだですか、鳥海……!?)
青葉は無言のまま目の前の鳥海を見遣る。この時点で彼我の距離はすでに六千。巡洋艦の雷撃距離としては十分だ。
焦る気持ちに耐え切れず、青葉が意見具申しようと口を開きかけた時だ。
まばゆい一条の光が、サーモン海の闇を切り裂いた。
一刀両断。刀のきらめきにも似たそれは、迷いなく夜の海を貫き、深海棲艦の姿を露わにした。
探照灯だ。敵艦の位置を明確にする代わり、自らの存在もさらけ出すことになるそれを、鳥海はこのタイミングで使用してきた。
突如として光の世界に引きずり出された「甲」部隊先頭のリ級が、眩しさからか目もとを歪めた。
『第二分隊は離脱!第一分隊、右砲戦、右魚雷戦用意!』
回避運動を続けていた第二分隊が、一目散に離脱していく。逆に青葉たちは、腰や足首に据えられた魚雷発射管を展開する。発射管では、鈍色の弾頭をぎらつかせる魚雷が、海中へ放たれる時を今や遅しと待ちわびていた。
鳥海、青葉、加古の三隻は、全て別型式の重巡洋艦だ。各々性能は違う。とはいえ、魚雷については皆同性能だ。
口径は六一サンチ。燃焼剤に純酸素を用いるこの魚雷は、長大な射程と高い速力、破格の威力を備えた驚異の攻撃兵器だ。しかも、純酸素使用によって航跡が残りにくくなるというおまけ付き。
距離を六千まで詰めたことで、射程を気にしなくてもよくなった。よって雷速は最大に設定されている。また、探照灯のおかげで、敵艦隊の動きもよく見える。
『投雷始め!』
鳥海の号令に合わせ、第一分隊の全員が踏ん張る。圧搾空気の音が連続し、魚雷が海中へと投入された。鋼鉄製の長槍たちは、深海棲艦の土手っ腹を貫かんと、発揮しうる最大速力で海中を突き進んでいく。その航跡は、夜の海に紛れて、すぐに見えなくなった。
『目標を各個に捕捉!準備出来次第、撃ち方始め!』
鳥海が改めて指示するまでもなく、青葉も加古も測敵を終えていた。
「てーっ!」
三つの砲炎が重なる。こちらへ注意を引き付ける意味も込めて、第一分隊は最初から派手な斉射を放っていた。大きな反動と衝撃が、三隻を波間に押し付ける。
突然の来訪者に、深海棲艦は明らかに慌てていた。そしてそれ以上の混乱を避けるべく、まずはセオリー通りに、探照灯を照らしている鳥海から撃破しようとしてくる。だがその砲撃は、第一分隊からすでに一拍遅れていた。
(うまいやり方ですねぇ)
第二射の結果を観測しながら、青葉は鳥海の手腕に舌を巻く。
探照灯で敵の焦燥を誘い、砲撃によって注意を引き付ける。混乱した事態を収拾するべく、敵は何とかこちらを撃破しようと、砲撃戦に応じてくる。魚雷のことなど頭にない。夜間で航跡も見えないとなれば、なおさら気づかれる可能性は低くなる。
これは必ず命中する。確信に似た予感を青葉は抱いていた。
とはいえ、魚雷が到達するまではまだ時間がある。六千の距離で放った速力五十ノットの魚雷が航走を終えるまで、およそ四分。その間、敵艦の注意を引き続けなければ。
そんな計算をしつつ、第一分隊は砲撃を加え続ける。探照灯ありでの砲撃だ。四射目で命中弾が出始め、六射目には三隻が斉射に移行する。
一方の深海棲艦も、砲撃は正確だ。自ら姿を曝している鳥海に砲弾が集中し、多数の水柱がその周囲を覆う。時々爆炎が踊り、鳥海が苦悶の声を上げた。
『第二分隊、再突入します』
鳥海の苦境を知ってか知らずか、体勢を整えた第二分隊の古鷹が提案してくる。しかし鳥海は、これを却下した。
『魚雷到達までの辛抱です。第二分隊は輸送船団攻撃に向けて砲弾を温存してください』
というのが彼女の主張だった。
渋々といった様子だったが、古鷹はこれを了承。今は遠巻きに第一分隊の戦いを見つめている。
『到達まで十秒!』
相手取っていたリ級を火達磨に変え、鳥海が叫ぶ。間もなく時間だ。
鳥海が新たに照らしたネ級の側面に、巨大な海水の塊が出現した。天を突かんばかりの水柱が二本。その狭間でわずかに見えたネ級の顔は、これ以上ないほど苦々し気に歪められていた。
他の深海棲艦にも魚雷が命中し始める。砲撃によって炎上した各艦の光が、「甲」部隊に起きていることを赤々と照らし出した。水柱が立ち上るたび、深海棲艦が苦悶の声を上げ、炎に身を引き裂かれる。
最終的な命中弾は七発。巡洋艦三隻と駆逐艦二隻に命中し、うち巡洋艦一隻を除いた四隻が、その場で轟沈した。上々の戦果だ。
『残りの敵艦に砲撃を集中!』
ようやく探照灯を消した鳥海が、追い討ちを命じる。一時に艦を失った「甲」部隊に、最早統率は存在しなかった。たちどころに被弾し、波間へとその身を沈めていく。中には味方同士で衝突し、爆発炎上して擱座する深海棲艦もいた。
「甲」部隊の掃討が完了するのに、魚雷命中から五分とかからなかった。
最後に残ったリ級が、弾雨の中に消え去る。鳥海は砲撃止めを下令し、「逐次集マレ」と呼びかける。
「鳥海、本当に問題ありませんか?」
青葉の問いかけに、鳥海は微かな笑みを浮かべて答えた。
『もちろんよ。まだまだやれるわ』
最も損傷の激しかった鳥海は、それでも小破の判定。戦闘・航行ともに支障はなく、作戦続行は十分可能だ。
『このままガ島敵泊地へ突入。敵輸送船団を撃滅します』
鳥海の号令一下、隊列を組みなおした第八艦隊は、一路サーモン海域の奥地を目指した。