ショートランド基地の作戦指揮室は、コテージのような急造の建物だった。もちろん、運び込まれている設備類一式は最新のものだが、木造平屋建て、窓は吹き曝しという状態では、どうも締まりがない。ミスマッチとはこのことを言うのだろう。
作戦室中央。南方海域全域の海図が広げられた机を挟んで、長門は鳥海と向き合っていた。第八艦隊の初陣となった、サーモン海域夜間突入作戦の報告を受けるためだ。横須賀鎮守府の秘書艦でもある長門は、提督が到着するまでの指揮官代理を務めている。
「以上が詳細になります。敵輸送船団の撃滅に成功し、作戦目的は十分に果たしました」
「そうか、ご苦労」
報告書の内容を補いつつ進められた鳥海の報告に対し、長門は首肯でもって応えた。
「これで深海棲艦の出鼻をくじくことができた。今後の作戦展開も有利に運んでいくことができる」
戦果は上々。作戦目的は完遂されたのだ。
それでも長門の表情が晴れないのは、懸念すべき事案がもたらされたからに他ならない。
まあ、でもそれは、目の前の鳥海には咎の無いことだ。
「報告ご苦労。しっかり休め」
「はい。失礼します」
一礼と共に作戦指令室を後にした鳥海を目線だけで見送り、長門は椅子に深く腰掛けなおす。その手には小さなカセットテープ。鳥海が置いていったものだ。
「長門もご苦労様」
控えていた陸奥が労いの言葉をかけた。眉をハの字に下げて苦笑している。
「到着してそのまま徹夜で指揮なんて、無茶が過ぎるわよ。少し仮眠してきたら?」
せっかくの陸奥の申し出だが、長門はかぶりを振る。
「そういうわけにはいかない。例の件で明石が報告に来るからな。それまではここにいる。それに、提督に報告も必要だしな」
「……真面目なんだから、まったく」
溜め息混じりに呟いて、陸奥は表情を改めた。
「この先、どうするつもり?」
「どうもこうもない。提督が着任するまで、私がここで指揮を執り続けるだけさ」
長門は目の前の海図に目を落とす。
「今回の作戦で、深海棲艦の揚陸作戦はとん挫した。だがそれで諦める奴らではない。必ず二度目の揚陸作戦を実施してくる。今回よりもさらに、陣容を充実させてな」
深海棲艦を示す赤の駒を、長門はサーモン海域のさらに奥、E海域と呼ばれる地点に配置する。
「サーモン海域を偵察中の潜水艦隊から、敵増援と思しき艦隊を捉えたと報告が上がっている。推進器音からして、少なくとも二隻の戦艦を含んでいるとな」
「まだ諦めていないってことね」
陸奥の指摘に頷く。
「しばらくはここで、踏ん張り続けなければならない」
ほどなく、作戦指揮室に明石がやって来た。迎えに行かせた赤城と加賀も一緒だ。さらに、今日の当直である比叡と、明日の当直である金剛も顔を見せている。
「如月の状態はどうだ?」
単刀直入な長門の問いに、明石は笑顔で答える。
「一通り検査をしましたが、特に異常は見られませんでしたね。しばらくは経過観察をする必要があるでしょうけど、本人も至って元気なようですし、工廠併設病棟で隔離することもないと思います」
明石の報告にいくばくか安堵の息を吐く。
だが明石の表情は、すぐ困り顔に変わった。
「ただ、その……気になる点があるんです」
手元のボードに目を落としながら、明石が口を開く。
「記憶の保持が確認されました。断片的ですが……以前、横須賀鎮守府に所属していた時の、如月さんの記憶があります」
長門以下、その場にいた全員が息を飲む。
「かなり断片的ではありますが。W島攻略戦時に轟沈したことやその前後の記憶は曖昧なんですが、こと睦月さんのこととなると、鮮明に覚えている部分も多いです」
明石がボードの端を指で叩く。考え事をするときの癖だ。
「こんなことは初めてで……上手く説明できないのですが。思うに如月さんは、新たに邂逅したというより、
「では、ドロップではないと、言いたいのか?」
「あくまで私の私見です。古鷹さんや青葉さんの報告は、ドロップそのものでしたし。ですが、単純にドロップと判断するには、不自然な点が見られます」
そこまで言い切って、明石が一歩下がる。工廠の取締役としての役割はここまでだ。あとは長門たち首脳陣の判断となる。
「……本案件をD事案とする」
D事案とは、海域での艦娘との邂逅を意味する。日課報告書とは別途に報告書が作成され、邂逅した艦娘の状態が詳細に記録されることとなる。また、提督の判断によっては、艦娘の隔離も選択肢に入ってくる。
だが今回、この特殊な事案を、そのままD事案として処理していいものか。
「いいの?」
長門の真意を確かめるように、陸奥が尋ねる。長門はそれに頷いた。
「このまま処理するのが一番現実的だ」
そのまま長門は明石を促す。明石は一礼して、D事案指定時に必要な書類の作成に戻っていった。
その背中を見送り、長門は改めて室内の面々を見回した。
「それで、私たち全員を集めた理由はなんデスカ?」
五人を代表して尋ねたのは金剛だった。長門はそれに答えるべく、先ほど鳥海が提出した報告書を差し出す。
「気になる報告が二つあった。ここで共有しておきたい」
「気になる報告?」
すでに報されていた陸奥を除いて、四人が顔を見合わせる。
「サーモン海域において、急激な海の変色が確認されている。具体的には、赤黒い色に変わるそうだ」
「赤潮ではなくて、ですか?」
挙手して尋ねた比叡に長門は首を振る。
「地理的条件からは考えづらい。それに赤潮ならば、それほど急に色が変わることもない」
長門の説明に納得したらしく、比叡は手を下げる。
「もう一つ。謎の声を聞いたという証言が、第八艦隊各艦から上がっている。こちらについては全くもって原因不明だ」
先ほどのカセットテープがそれだ。青葉がとっさに持っていた録音機器で録音したものらしい。
「……海域の変色に、謎の声。サーモン海域に、何かあるのでしょうか」
オカルトじみた話題に誰もが首を捻る。思考の海に沈もうとする空気を振り払うように、長門は柏手を打った。
「サーモン海域独特の自然現象である可能性もある。中央の文書を調べてみるが、いずれにしろ一度、調査のために艦隊を送るつもりだ」
長門の宣言で、その場はともかくお開きとなった。
◇
電話の相手は至極驚いた様子だった。
無理もない。上官の不在を唐突に告げられた部下の心持ちは、同じような経験がある身としても理解できる。
口の端に小さく笑みを浮かべて、刑部横須賀鎮守府提督は電話を取っていた。
『……それでは提督は、ショートランドで指揮をお執りにならない、と?』
「そういうことだ」
確認を求める声に、短く答える。電話をかけてきた長門は、いまだ納得していない様子であった。
『理由をお聞かせいただいても、よろしいでしょうか?』
「君も知っての通り、以前から北方海域に不穏な動きがあってな。そこへきてここ数日、深海棲艦の活動が活発化している」
日本国政府にとって、北方海域は南方海域と並ぶ重要海域だ。同海域は米国との連絡航路が通っており、長引きつつある深海棲艦との戦争を継続するには、安全確保が不可欠な海域である。北方海域の深海棲艦排除は、最優先事項とされた。
もっとも、理由はもういくらかあるのだが。
「同地はソ連との関係も絡む、複雑な海域だ。ゆえに、その辺りに精通した、私が適任と判断されたのだろう。司令部直々の申し出とあっては、私も断れない」
『……理由は、わかりました。それでは、南方作戦の指揮は、どなたが?』
「トラックの大神に頼んでおいた。もっとも、あいつも今本土に来ていてな。そっちに着くのは一週間後になりそうだ。それまでは、君が指揮を執るといい」
電話口で、長門が諦めに近い溜め息を吐くのが聞こえた。
『しばらくは私が預かります。大神提督には、連絡がつきますか?』
「ああ、教えよう」
大神の今連絡が取れる番号、それからトラックとの連絡船に繋がる番号を教え、電話を切る。
それを待っていたように、部屋の扉が開いた。
「終わったか?」
部屋に入ってきたのは、着古された第一種軍装を身に着ける男性だった。浅黒く焼けた肌が船乗りであったことを思わせる。無精ひげとほりの深い皺が、年齢以上に年老いて見せていた。
「はい」
「相変わらず嘘がうまいな」
刑部は笑ってそれを否定する。
「嘘はついてませんよ。いくつか言っていないことはありますが」
「……司令部からお前に声がかかったのは本当だが、それをねじ込んだのはお前自身だろう」
「さて、何の話でしょう」
この辺りを軽く流すくらいは朝飯前だ。無意味と悟ったのか、相手がそれ以上追求してくることはなかった。代わりに二つ言い残して部屋を去る。
「急いで支度しろ。大湊行きの電車が出るぞ」