艦これ~extra voyage~   作:瑞穂国

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異変
異変(一)


 瞼の裏に浮かんだのは、久しぶりに思い出した、過去の光景だった。

 

 一種走馬灯のような記憶の片鱗は、水底から空を見上げるところから始まる。

 

 憎しみ。妬み。渇き。憧れ。そして何よりも大きな未練。そんな感覚だけをはっきりと憶えている。

 

 曖昧な断片をちぐはぐに繋ぎ合わせた映像は、すぐにどこかの空へ。波間を走る何かの群れ。海面に反射する砲炎。

 

 それらに色はない。

 

 当時のワタシにとって、世界とはそういうものだった。ただの白と黒の集まりで、大した意味などなかった。

 

 けれども明確に憶えている感覚がある。ワタシは何かに惹かれ、どこかを目指し、ひたすらに海を進んでいたことを。

 

 行きついた先に待っていたのは、炎という名の現実。焼けただれた我が身が、水底へと引きずられていく瞬間。

 

 ……そうして、気づいた時には、私は艦娘になっていた。その理由も、記憶の意味も、知らぬまま。

 

 

 

 

 

 

 艦娘たちの交流を目的とした祭の賑わいから、加賀はいくばくか距離を置いていた。丸太を切り出しただけのベンチに腰掛け、目を閉じる。その瞼の裏を記憶が通り過ぎ切ったその時、声をかける者がいた。

 

「ちょっと。いくらショートランドでも、風邪引くわよ」

 

 重い瞼を開くと、ツインテールを揺らす瑞鶴が立っていた。その手には二本のラムネ瓶。

 

「……何か用?」

「よ、用がないと、話しかけちゃいけないわけ?」

 

 どこかむすっとした表情になった彼女は、押し付けるようにしてラムネ瓶を渡してくる。

 

「ほら、これ」

 

 差し出された瓶をしげしげと見つめ、加賀は瑞鶴を見る。一体どういう風の吹き回しだ。

 

「あんた、ずっと祭から離れたところにいるでしょ。喉とか……乾いてるんじゃない」

 

 そんなことをのたまいながら、少しずつ顔がそっぽを向いて行ってしまう。わずかに見える耳たぶが真っ赤になっていたが、今日出ている屋台で酒類は扱われていないはずだ。

 

「い、いいから受け取りなさいよ!」

 

 最後には半ば放り投げるようにして、ラムネ瓶を胸元に押し付けてきた。それから乱雑に自分の分を開ける。当然のごとく、盛大に泡が噴き出して、瑞鶴の服を濡らした。

 

「うわあぁぁっ、せっかく着付けた浴衣が!」

 

 瑞鶴が悲鳴を上げる。彼女が着ていたのは、明石が貸し出しをしていた浴衣であった。慌ただしい後輩だ。

 そんな後輩が、わざわざ気を遣ってくるほど、今の自分は難しい顔をしていただろうか。

 

「ありがたくもらっておくわ。浴衣、綺麗にしてから返すのよ」

 

 それ以上その場に留まるほど度胸はなく。留まった時に後輩から浴びせられるであろう質問の答えも持ち合わせておらず。加賀はいつも通りに平静を装ってその場を立ち去る。

 加賀の内心を知ってか知らずか、後輩が追いかけてくることはなかった。

 

 何がそんなに引っかかっているのか。正直はっきりとはしない。いうなれば勘。自分のキャラではないと思いながらも、そう言うしかなかった。

 敬礼した如月の姿を、何度も反芻する。患者着の袖口。そこに見えたのは影だったのか、あるいは何かの痣か。

 

(まさか、ね)

 

 最悪の想定をし過ぎるのはよくないと、赤城にもよく言われている。きっと今回もその類だ。

 そう言い聞かせてもなお、胸のざわつきが収まることはなかった。

 

 

 

 

 

 

「五航戦、哨戒任務に就きます」

 

 整列した六人の艦娘を代表して、五航戦旗艦翔鶴が敬礼する。それに長門は応え、口を開いた。

 

「敵艦隊の増援がいつになるかわからない。気を引き締めて哨戒に当たってくれ」

 

 それだけを述べ、哨戒艦隊を送り出す。四十フィートコンテナ改造の出撃ドックに艦娘たちが入り、それぞれの艤装を装着して出撃していった。

 

「見送り?」

 

 穏やかな海面を切り裂く影が豆粒ほどになった頃、背中から陸奥が声をかけてきた。彼女には、他に四人の艦娘を集めるよう、お願いしていた。

 

「全員、集まったか?」

「ええ。あとは貴女だけよ」

「わかった。今行こう」

 

 踵を返し、長門は陸奥を伴って艦隊指揮所を目指す。陽は昇った。南方海域の新しい一日が始まる。

 

 

 

「――というわけだ。しばらく、私が指揮官代理として、南方作戦の指揮を執る。ここにいる者には、参謀として臨時司令部に参加し、意見を述べてもらいたい」

 

 集まった五人――陸奥、金剛、比叡、赤城、加賀を見回し、長門はそう述べた。全員艦隊旗艦の経験が豊富な艦娘たちである。

 

「南方作戦の現状はすでに昨日共有したので割愛させてもらう。ここで共有することは二点。海域の変色と謎の声についてだ」

 

 昨日報告があってから、ショートランドの書棚と中央の書庫(刑部のコネ)でサーモン海域に関する書籍の調査が行われていた。その結果報告が、今朝長門のところに上げられたのだ。

 

「結論から言うと、サーモン海域で今回のような現象の発生は確認されなかった」

 

 それが調査の結果であった。サーモン海域に関する古今東西の書籍の中に、海域の変色や声のような自然現象は確認されなかった。

 

「頼みの綱は、青葉の録音テープだったが……()()()()()()()()()()

「それは……どういう、ことですか?」

 

 比叡が尋ねる。

 

「文字通りの意味だ。テープに声は録音されていなかった。該当する箇所には、謎のノイズが混じっていただけだった」

 

 結局その声とやらが、何だったのか。それは当時その場にいた艦娘たちにしか、与り知らぬ事案となってしまった。

 

 とにかく、と長門は切り替える。

 

「現在、別の海域に似たような現象はないか、引き続き調査中だが望みは薄い。よって予定通り、調査艦隊を派遣し、当泊地で独自調査を行うこととする」

 

 とはいえ、事はそう簡単ではない。サーモン海域は南方作戦の最前線であり、いつ敵艦隊と遭遇してもおかしくない海域だ。海域の調査には水上機母艦の艦娘が当たる予定だが、彼女らの貧弱な武装では不安がある。

 

「調査艦隊旗艦は金剛に任せる。出撃は明朝。頼んだぞ」

「OK、任せるデース!」

 

 一任された金剛は親指を立てて自信満々に答える。彼女は過去に大規模な船団護衛作戦も経験しており、調査艦隊の護衛を任せるには最も適任と言えた。

 

「明日は哨戒空母部隊も攻撃兵装で待機させる。何かあった時は、全力で彼女らの防空圏内に退避してくれ」

 

 長門がそう念押しして、話は終わった。

 

 

 

 

 

 

 憂鬱な思考のせいで眠りは浅く、体はだるいままだが鍛錬を欠かすわけにはいかなかった。空母艦娘である加賀にとって、弓の扱いはそのまま艦載機運用能力に関わってくる。日々の調整は欠かせない。

 

 が。

 

――「今日はあまり集中できてないみたいですね。何かありましたか?」

 

 聡い相方にはすべてお見通しだったらしく、狙いからわずかにずれた矢を回収しながら、誤魔化すのが精一杯だった。それ以上追求してくるような赤城ではない。自分が本当にダメになった時は、問いかけなどせず問答無用で迫ってくるのだから。

 

 集中力の乱れは、ひいては大して眠れなかったことに原因がある。不十分な眠りの原因にも心当たりがある。その辺りの思考がぐるぐると渦巻き、また鬱屈した気分が押し寄せる。そんな自分にうんざりした。

 

 道場から寮までの道のりを、少しばかり砂浜に寄り道する。多少なりと気分転換にはなるだろうか。

 

(甘い考えね)

 

 一人で歩く砂浜など、思考の海への誘い以外の何ものでもなかった。

 

 が、その時。腹の底に響く重低音が空気を震わせた。本能的に身構えた加賀は、音の方向を探す。

 

(あそこは……)

 

 うっすらとした黒煙を見つけたのは、丁度演習場のある方向であった。確か、今日の午前中は――

 

 まさか。嫌な予感がじっとりとした汗となる。いても立ってもいられず、加賀は煙の方向へと走り出していた。

 

 演習場に辿り着くと、三つの人影が岸壁に上がってくるところだった。それを不安そうに見守る人影がさらに一つ。誰であるかは容易にわかった。

 足を震わせ、おぼつかない足取りの如月を、吹雪と夕立が支えている。陸でそれを迎えるのは睦月だ。

 うつむいた如月の表情は、何かに怯えるように暗かった。

 

「何があった?」

 

 騒ぎを聞きつけたのか、庁舎の方から長門が駆けつけてきた。加賀の方にチラリとだけ目線をやった長門は、そのまま四人の駆逐艦娘に歩み寄る。

 

 長門の問いかけに、四人は押し黙ったままだった。

 

 加賀は改めて辺りを見回す。先ほど見えた煙の根元は、演習場脇の小さな小屋から立ち上っていた。チリチリと小さな火災が起きており、妖精たちが消火作業に当たっている。

そして現場には、艦娘なら絶対に見分けられる、砲弾による弾痕。

 

「あの……如月ちゃんが……」

 

 不安げな目のまま、吹雪が口を開く。長門はそれだけで何かを察したらしかった。

 

「わかった。四人とも、もう上がれ。如月は明石のところで診てもらってこい」

 

 それだけ言い残して、長門は踵を返した。その視線が再び加賀と交錯する。

 

「……長門さん!」

 

 今度こそ、加賀は呼び止めずにいられなかった。最早思い過ごしではない。あるいは自らのネガティブな感情が、現実をも引き寄せてしまったのではないか。

 

 せめて当事者には――如月と親しい彼女らには、報せるべきだ。たとえ残酷な事実だとしても。

 

 ためらいともとれる間の後、針路を変更した長門の後ろでは、か細く震える如月を、同じようにか細い両腕で、睦月が抱き留めていた。

 

 

 

「……言うつもりか。仮にも最上級の軍機だぞ。艦娘たちの中でも、我々ごく一部にしか報されていないことだ」

 

 木陰の誰にも目につかない位置で、長門はそう釘を刺した。この場の最高指揮官であり、横須賀では提督から多くを任されている彼女の言葉だけあり、重い。それでも加賀は、譲るつもりがなかった。

 

「いつかは知られることです。私たちが気づいたように、彼女たちもいつか気づく」

「……例えそれが、彼女らにむごい現実を伝えることになっても、か?」

 

 この問いかけには、はっきりと答えることができなかった。

 

「わかりません。……それでも、残り僅かかもしれない時間を、有意義に過ごすことくらい、できるかもしれません」

「救われない願いだな」

 

 長門はかぶりを振った。正論だ。

 知らない方がいいことなど、この世界には溢れている。

 

「如月は……あれは、()()()()()()()()()()。そんな現実を、彼女らが受け入れられると思うか?」

「……だからこそ、です。だからこそ、その死の理由を、彼女らは知りたがるのではないでしょうか」

 

 加賀の言葉に、長門は腕を組んで黙考する。凛々しい顔立ちが険しく歪められ、より一層の迫力を伴う。その唇は固く引き結ばれたままだ。

 

「……わかった。全部は無理だが、私から伝えよう」

 

 諦めに近い溜め息を吐いて、長門がそう言った。だが加賀は、首を横に振る。

 

「私から伝えます」

 

 断固たる意志を込めたその言葉に、長門はこめかみを揉むと、踵を返すことで了承の意を示した。

 

 

 

 木陰から出てすぐさま、加賀は自らの失策を悟った。ただでは通さない。そんな意志を内面から滲み出させて、瑞鶴が立っていたからだ。

 せめてもの抵抗に、その横を素通りしようとする。だがそんなことで諦めてくれるほど、この後輩は従順ではなかった。

 

「何の話を、してたの」

 

 深い瞳が真っ直ぐに加賀を捉える。誤魔化しはきかないと一目でわかった。

 

 今度は加賀が諦めの溜息を吐く番だった。

 

「そうね……貴女にも、話しておいた方がいいかもしれない」

 

 その時加賀は、初めて彼女と出会った時のことを思い出していた。

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