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深い霧に包まれたキス島の海を、大発動艇だけでなく、あり合わせの木材などで作られた筏が艦娘達の手で曳かれ、天燐丸との間をせわしなく往復する。
少々の波乱はあったものの、兵達の移乗は滞りなく行われていた。その過程で霞は、装備品は最低限しか持って行けない事を伝えていたのだが、これに関しては意外なことにあっさりと受け入れられていた。
『自慢では無いが、ライフルくらいは本国に行けば掃いて捨てるほどある。これで命を買ったと思えば、安い物だ』
と言うのは、リー軍曹の談である。そうして最後の大発動艇が人員を運び終えたのを見て、彼女は発動艇を自沈させた。
「積載を確保するためだけど、もったいないね」
沈み行く張りぼてのような見かけの船を、五月雨は外套の奥からもの悲しそうに見つめている。いくら人命が掛かっているとは言え、大発動艇は決して安くは無い。それを躊躇いも無く沈めて良い物なのか、と彼女は霞に問うた。
「まあその通りだけど、リー軍曹もさっき言っていたでしょ? 『命を買ったと思えば安い』って」
「そう、なのかな・・・・・・?」
「そう言うことよ。命は特に、高いから・・・・・・」
「そっか・・・・・・。霞ちゃんは、長生き出来たからね」
「死に損なった、とも言うけどね」
「おーい、二人ともぉー!! そろそろ出発するけぇ、はよ戻ってきぃー!!」
それに対し彼女は、皮肉と喩えと本音を混ぜて答える。互いに和やかな雰囲気になりかけたところで、浦風が遠くから、準備が整ったことを報せてきた。
「今行くわ! 行きましょう」
「うんっ!」
話を途中で終わらせて、二人は天燐丸の元へと急ぐ。彼女らが合流するのに合わせて、船はゆっくりとキス島から離れていく。今度はその身に、大事な
だが行きはともかくとして、帰り道はこれまで以上に難しい道のりだ。敵に見つからないよう静かに、それでいて迅速に。なおかつ陽動部隊と合流するタイミングも考慮しながら移動しなければならないのだから。
「うぅ~・・・・・・」
特に、これまで難しい作戦を殆ど経験してこなかった第六十二戦隊の駆逐艦の四人は、尚更緊張を強いられていた。
「高波ちゃん、もうすこし落ち着こうよ」
「こ、これでも、落ち着いて、いる、かも、です」
「あぁ、これは駄目だ。完全に参ってる」
「だ、大丈夫なの?」
「大丈夫だよ・・・・・・多分」
片言なのかそうでないのか解らなくなるような、しゃべり方をする姉を見て朝霜は頭を掻く。この面子の中では一番の古株である朧は、表面上は落ち着いているようだがこの寒さにもかかわらず額に嫌な汗が浮かんでいる。照月にとっても、それは変わらなかった。
「あーあ。せっかく借りてきた水上電探も、大佐に使うなって言われたから意味ないわね・・・・・・」
「け、けど、愛宕さんは万が一もあり得るから持っておきなさい、って言っていたかも、です」
そう。作戦の都合上救援部隊は、よっぽどのことで無い限りは索敵用の装備。つまり、目も耳も全く使えない状態なのだ。敵がこちらに気付く可能性は少ないが、逆を言えばそれは、此方が敵を先に捕捉出来る可能性も低くなるのと同義である。
「ケッ。高波ねーちゃんは愛宕を信用しすぎなんだよ」
「でっ、でも、同じ艦隊の仲間だから・・・・・・」
「だーかーらっ! それが行けないんだよ! この電探だって、アレの持ち物って聞いてからこの方、何時誤作動を起こすかヒヤヒヤしているんだよ」
「あっ、朝霜だって色眼鏡が過ぎるかも・・・・・・です!」
「んだとぉ!?」
「はわわわ、二人とも怒らないでぇ!」
「静かにしなさい! 敵に見つかるわよ!!」
言い合いを始めようとする二人を見て『またか・・・・・・』と呆れる朧に、オロオロし始める照月。偶々伝令の為に直ぐ近くにいた霞が止めなければ、このまま喧嘩になっていただろう。
「今は隠密行動中なのよ。解ってるの?」
「けどよぉ、霞・・・・・・」
「けども、やけども無い! 大体アンタは・・・・・・」
彼女はそのまま朝霜をとっ捕まえて、説教を始めようとしたその時だった。
「!? でんぱしょうしゃをたんち!!」
「てっ、敵!?」
照月の船員妖精が慌てて報告してくる。その瞬間から、その場の空気は別物に変えられた。
「んだよ、もう見つかったのか・・・・・・!?」
「いえ、しゅうきがいっていですので、おそらくさがしているさいちゅうとおもわれます」
「そう・・・・・・それなら、好都合ね」
即座に思考を緊張状態に持ち込みながら、霞は言う。
「連中の電探には、私達は岩か何かにしか見えていないはずよ。事前に他の面子と天燐丸にも伝えていたけど、このままゆっくりと進むわよ」
「そっか。行きの倍掛かるって言っていたのは、これだったのね」
「そう言うこと。後は、そのまま見逃してくれることを祈るばかりね・・・・・・」
姿勢を低くし、外套の裾が海水を吸うのにも構うことなく。五人は前進を続ける。その間にも、特に精度の良い照月の電探には、断続的に電波を探知し続けていた、その時である。
「きゃぁっ!?」
彼女達の来た所―キス島の方角から、大きな音が。それを皮切りに、発砲音と爆発音が次々と奏で始められた。
「なっ、何なの!?」
「多分だけど、連中島に砲撃しているんだわ。生き残りを潰すために」
「ってことは、こっちにはまだ気付いていないって事か・・・・・・んだよ、驚かせやがって」
「とは言え、この音・・・・・・。気が狂いそうになるわね」
「はいはい、理性がある内に行動する。照月は前衛部隊に、朧は天燐丸に伝令をお願い。砲撃が止んだら、少し速度を速めるわよ」
「わかった」
「うん!」
正体がわかったところで多少は安心出来たのか、伝令役の指示をする霞。流石の彼女もこういった局面は余り経験が無いのか、先ほどから彼女の心臓はいつも以上に強く脈動していた。
「この調子なら、何とかなりそうかしら?」
「はい。あの、霞さん」
「何?」
「旗艦って、大変ですか?」
そんな中、高波が彼女に質問してくる。
「まあ、大変なんて物じゃないわよ。旗艦を任されるって事は、指揮官から『信頼』されてないとできないもの」
「そうなんですか?」
「そう。任務は完遂する、仲間を導く、そのどちらもやらないといけないのが辛いところだけどね」
「高波も、出来るでしょうか・・・・・・?」
「こう言うのは経験よ。まあ、コツとしては言うことを聞かない奴がいたら、蹴っ飛ばしてやりなさいな」
「はう!?」
「・・・・・・冗談よ。それが無理なら、まずは・・・・・・」
「なっ、何だぁっ!?」
高波の質問に答え、霞は更にアドバイスもしようとした、その時だ。
不意に、高波の背中に背負われた艤装。そこに備え付けられた水上電探が、けたたましい音と共に作動し始めたのだ。
「何してるのよ! 早く電探を止めなさいな!!」
「さっきから止めようとしているのだけれど、全然制御が効かなくて・・・・・・」
「くそっ駄目だ、止まらねぇ!!」
「あぁもう、貸して!!」
高波が慌てて船員妖精に電探の停止を指示し、朝霜も外側から止めようとするが一向に止む気配がない。それを見かねて霞は、艤装から出ている電探の発信器を鷲づかみにした。
「止まりなさいこのポンコツが・・・・・・! 止まりなさいっての!!」
「ひぅっ!?」
「この手に限るわね」
そのまま力任せに引っこ抜かれる対空電探。するとその下から、彼女の船員妖精とは別の、いかにも悪そうな顔をした妖精が這い出してきたのだ。
「げっ!? こいつは・・・・・・。姉ちゃん、この電探は誰から借りたんだっけ!?」
「えっと、確か愛宕さんが『万が一もあるから、良いのを貸すわね』って・・・・・・」
「やっぱり・・・・・・!!」
「朝霜、この妖精さん知ってるの?」
問うてくる霞に対し、その正体に心当たりがあるのか、朝霜の目の色が変わった。
「こいつら、愛宕専属の装備妖精だ。アイツにしては妙に気前が良いなと思ったらこれだよ、畜生!」
「ふぎゅっ!」
悪態を吐きながらも、彼女はその妖精を捕まえて、強引に巾着袋の中にねじ込みつつ言う。
「てことは、私達嵌められたかも・・・・・・?」
「十中八九そうなるわね。こうなったら仕方が無いわ、各隊に緊急伝達! 何時でも戦闘出来るように指示して!!」
「でっ、でもそうしたら敵に・・・・・・」
霞の指示に対して躊躇する高波。すると、遠くからの砲声と同時に、彼女の間近で盛大な水しぶきが立ち上がった。
「どのみち、既にこっちを捕捉しているみたいね。責任は私が取るから、急いで!!」
「わかった!!」
「りょ、了解かも・・・・・・です!!」
「で、伝令ぃー!!」
「
霞が指示を出そうとしたその時、天燐丸の進行方向から春雨と谷風が走ってきた。
「だ、第三駆逐班、敵艦隊と接触、交戦を始めました!」
「第二班も同じだ。霞、何か指示はないかい!?」
「遅かったみたいね・・・・・・。無線封鎖解除、及び、全武装使用許可! 各艦の判断で応戦!!」
「解りました!!」
「がってん!!」
「おい!!」
砲撃されたことは天燐丸の方にも伝わったのか、デッキの上から大声で聞いて来る者が一人。意外なことに、それはマードッグ大尉だった。
「敵が来たのか!?」
「ええ、そうよ!! 戦闘になるから、船の中に隠れていなさい!!」
「何を言ってるんだ!? カミカゼでどうにかなる相手じゃないんだぞ、バケモノどもは!!」
「そんなこと言ったって・・・・・・きゃっ!」
霞もまた大声で答えていた所、彼女の背後に再び着弾。水しぶきが盛大に彼女の元へ降り注ぐ。
「・・・・・・とにかく今は、私達に任せなさい!! 仲間の受け売りだけど、一隻でも一人でも、救えるなら救うのが軍人よ!!」
「っ、わかった・・・・・・!」
その一言を残し、忸怩たる思いで天燐丸の船内に戻っていくマードッグ大尉。それを見送った霞は、髪を束ねているリボンを締め直し、気合を入れた。
「さて、ガンガン行くわよ!」
「がってん!!」
「わかりました!!」
「『了解(かも・・・・・・です)!!』」
そして、周りにいた僚艦達にすかさず檄を飛ばす。霧中が生もうとした奇跡は、皮肉にも今度は霧の如く消え失せてしまった瞬間だった。
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《司令部より、空母各艦へ。間もなく霧の発生が予測される。最終攻撃隊を発進、収容した後、一時後退せよ》
《鳳翔、了解です。・・・・・・まったく、大佐も人使いが荒いですね。風向き、良し・・・・・・。航空部隊、発艦!》
「なあ、霧島ぁ!!」
「何ですか!?」
海の上でドンパチ賑やかにやるのは、俺―木曾にとっても望むところであり、同時に軽巡として俺の本分だと思っていた。
「敵の動きが妙だ! 少しずつだが、下がっている!」
だからこそ、長いこと戦場に身を置いていたからこそ解る物だったのかもしれない、この違和感。まるで津波の前の、海水が沖まで一気に引いていく様な、静かな違和感。
「確かに、可笑しいわね・・・・・・。瑞穂さん、観測機からの報告は!?」
「待ってください、今・・・・・・。やはり、後衛から徐々に移動していますね。戦線を立て直すつもりでしょうか?」
最初は自分の目を疑った。だから瑞穂に俯瞰で見て貰った。今度は耳を疑った。だからもう一度だけ、目をこらして見た。
「だとしても妙だぞ。戦術的には、向こうの方が有利のはず。追ってくることはあっても、下がる事なんてあり得るのか?」
「恐らくだけど・・・・・・気候の影響かもしれないわね」
「気候の?」
「ええ」
考えてみれば当然だ。東郷大佐も言っていたとおり、この時季のアルフォンシーノ列島は濃い霧が立ちこめる時間が多い。霧の所為で視界が悪くなれば、艦載機を用いた攻撃はもちろん、遠距離砲撃も困難になってしまう以上、空母が多いであろう後衛が下がるのも理解出来る。
だが『あの戦争』の最中に、米国は射撃管制用の高性能電探を実用化している。連中の中にそれを取り込んでいる個体がいるのではないか。可能性は低いだろうが、思い至ったと言うことは絶無と言う訳では無い事も意味する。
「とにかく今、鳳翔さんが最後の攻撃隊を出したわ。それが戻ったら、こちらも後退命令が出るはずよ」
「了解だ」
「わかりました」
不安は拭えそうにない。だが、ここで騒いだところで、どうにかなるような事でも無い。そう思った俺は、目の前に広がっている現実に対し、今一度突撃を敢行する。
「俺に勝負を挑む馬鹿は何奴だ・・・・・・?」