“提督”とは元々清朝における武官の役職名を指し、十二人の陸路提督と三人の水師提督の総称として用いられていた。
日本では嘉永六年に浦賀沖に来航したペリーを『水師提督マツテウセベルリ』と表記した事から、転じて『海軍における艦隊指揮官』を指すようになり、英語の『Admiral』の訳語として『提督』の呼称が定着していった。
当初は将官。つまり、最低でも准将か代将相当官で無ければ呼ばれる事は無かったが、深海棲艦と艦娘が現れてからは『艦娘艦隊も含めた、海軍の艦隊指揮官』全般を指すようになった。そのため今では、佐官になれれば『提督』と呼ばれるようにもなっている。
―大辞輪より、抜粋
――――――
「で、なんで言い出しっぺの私が尾行しなけりゃならないわけ?」
「んなこと知らないわよ。じゃんけんに負けた以上、諦めなさい」
ある日のこと。泊地の敷地内を歩き回る徹心、その数十米後方の物陰から村雨ともう一人―曙の二人組がこっそり追従している。
傍から見ると奇妙奇天烈な光景だが、これには理由があった。
「えっと、1400。工廠へ、っと」
「そう言えば、最近爆雷の数が増えて来た気がするわね」
「あ、それなんだけど。最近潜水艦が出るって噂になってるから、その対策よ」
「ふぅん・・・・・・」
村雨の言う事を片手間で聞きつつ、曙は監視を続ける。単眼鏡をのぞき込み、戸が開くのを今か今かと待ち続ける事、十数分ほど。
「あっ、来た!」
「ちょっ、待ちなさいよ!」
工廠の扉が開けられ、徹心が出てくるのを確認すると、二人は慌ててその後を追い始めた。
――――――
「さて、皆さんに集まって貰った理由は他でもありません。我が艦隊の提督、東郷徹心大佐の事についてです!!」
パラオ泊地にある小さな会議室。でかでかと『私達の提督』と書ききった村雨が、目の前に座っている艦娘達に黒板を叩いて力説する。
彼女以外にこの場に居るのは、一部を除いたパラオ所属の大半。室内の窓はカーテンが閉じられ、いかにも秘密の会合と言った雰囲気を醸し出している。
事の発端は数日前。徹心が泊地所属の艦娘達に対して、色々な事―主に、泊地の居心地など―を聞いて回っていた事が切欠だ。
「でも、私達は何一つ提督に聞いていない!」
「なので、私達の手で司令を丸裸にしてしまおうと言う計画だ。今回はスペシャルゲストも呼んできているぞ。東郷司令が新任時代に指揮下にあった艦娘、叢雲だ!」
「って、待ちなさい!! 何でこんな縛られてる訳!?」
やや大げさな形で紹介され、叢雲が会議室に入ってきた。いや、連れてこられたと言うべきか。それも、まるで捕虜か何かの如く縄でグルグル巻きにされて。
「どうせお前の事だ。興味ないと言って流す積もりだったんだろう? そうはいかん」
「だったら縄を解きなさいよ!」
「まあ、良いだろう」
「ったく・・・・・・。で、アイツの話よね?」
「そうそう。提督がどんな人となりだったのかを教えて欲しいの」
「言っておくけど、私もアイツの事は知らない事の方が多いわよ」
漸く拘束が解かれた事に安堵しながらも、未だ怒り冷めやらぬ状態で彼女は席に着いて語り始める。
「
「それなら新聞で読んだぞ。当時は大変だったらしいじゃないか」
「大変なんてもんじゃないわよ。こっちは駆逐艦がたった四隻、向こうはその倍以上、加えて引き上げ人員満載でろくすっぽに速度の出せない輸送船を守りながらの強行軍。神経すり減らして本土に辿り着いてみれば、お祭り騒ぎの英雄扱い。ああ、もう、思い出したら頭痛くなってきた・・・・・・」
「ありがとう。それは何というか・・・・・・お疲れ様」
比喩でも何でも無く頭痛がしてきたらしく、顔をしかめて額に手をやる叢雲。これ以上は、彼女から得られるのは無い。少なくとも村雨は、そう判断した。
だが、この程度は磯風も言ったとおり報道された情報だ。これだけでは足りない。
「あ、あのっ」
此所で、おずおずと挙手する者が。春雨だ。何か言いたい事があるのでは、と姉なりに察した村雨は目で続きを促す。
「最近、司令官の様子がおかしい気がします」
すると彼女は、此所へ来て特大の爆弾を投げ込んできたのだ。それにより、会議室の中は途端にざわつき始める。
「ここの所、月に二、三回くらいの頻度で街へ出かけている様なんです。最初は内向きの話だと思って放っておいたんですけど、この前見た時は高そうなお酒を持っているのを見ました」
「それについては私も提督に伺ってみたのだけど、大半は『別に良いんじゃ無いか?』だの、『聞いても得はしないと思うのだが』だの言ってはぐらかされました」
「そう言われると、益々気になるのぉ」
加えて偶然にも、浜風が似たような状況に遭遇していたと言う事も、言の重みを増させている。
「話せないなら、直接確かめれば良いじゃ無い。提督の秘密、知りたくない?」
――――――
そして場面は、冒頭の尾行者達へと戻る。
工廠からの道すがら、彼は酒保に立ち寄っている所だった。
「買い物かしら?」
「そう言えば、提督ってよくアメを舐めてるけど、あれここで買っていたのかしら?」
確かに村雨の言うように、徹心はよく懐にドロップの缶を忍ばせている。考えが行き詰まったり、怒りが収まらなくなった時などに度々口に含んでいるのは、曙も含め周知の事だった。
「で、話変わるけどさ。曙は何味が好き?」
「いきなり何よ、藪から棒に」
「村雨はハッカ味に目が無くてね。あの刺激がたまらないのよ~」
「アタシは嫌いよ。何か、歯磨き粉みたい」
「あの良さが解らないなんて・・・・・・。まだまだお子様ね」
「お子様言うな、この乳牛!」
「出てきたよ?」
「話聞けや!」
会話と言うにはやや一方的な遣り取りを余所に、徹心が酒保から出てきた。その手には、何やら瓶らしき物を包んだ風呂敷が。
彼の買った物をこの時に応対した主計科の上等兵に聞いたところ、『珍しく、お酒を買っていった』らしい。
「これって・・・・・・!」
「話は本当だったみたいね。ありがとう、おじさま!」
「おう、きぃつけてや」
まるで近所の子供でも見るような彼の目線に曙はうんざりしながらも、村雨と共にその後を追いかける。あらかじめ書いておいた外出届を守衛に見せ、泊地を出てから定期便に乗り込む事十数分。あれよと言う間に本島であるコロール島にまで二人は辿り着いたのだが・・・・・・
「・・・・・・何か可笑しいわね」
「全然反対側じゃない、この道」
ここまではてっきり、日本人街へ向かうものだとばかり思っていた二人の予想に反して、徹心が向かった先は大通りを挟んだ反対側、旧独逸街の方角だった。
パラオは元々、第一次大戦の終結まではドイツの委任統治領だった過去があり、その際の中心地だったのが旧独逸街なのだが、社会基盤の整備が殆ど行われておらず、今ではダウンタウンの類いと化していた。基本的には近づく人間は殆ど居ないはずなのだが、徹心はまるで勝手知ったるかの如く、すいすいと旧独逸街を歩いて行く。
「うーん、何かあっちにあったかしら?」
「知らないわよ」
慣れぬ土地に苦戦しながらも、追跡を続ける二人。
「きゃっ!?」
「!?」
不意に同じ角から現れた何かにぶつかって村雨が尻餅をついてしまう。尻をさすりながら立ち上がった彼女の視線の先には・・・・・・
「提・・・・・・督・・・・・・?」
「何をしているんだ、こんな所で」
自分達の上官の、変わらぬ仏頂面があった。
「もう一度聞こう。こんな所でどうしたんだ?」
「あ、いや、えっと、これは・・・・・・その・・・・・・」
「アンタの後を付けてきたのよ!」
「あ、曙!?」
言葉に詰まる村雨を余所に、曙は横から割り込んで更に続ける。
「春雨の話だと、ちょくちょく泊地を出ているらしいじゃない! 一体全体どういうつもり!? まさかとは思うけど、敵に情報売っているんじゃないんでしょうね!?」
「ちょっ、曙!」
「・・・・・・・・・・・・」
止める村雨の声も聞かず。まくし立てるように言い放つ彼女に対し、徹心の眉間の皺が本数を増していく。元々反骨心の強い艦娘だと、村雨は思っていたのだがまさかここまでのものだったことは予想していなかったのだ。
『このままでは、最悪上官侮辱で処断される理由を作りかねない』。そう思い、止めようとする。
「できれば知られたく無かったんだが・・・・・・仕方ない、付いてこい」
「帰れと言われても帰らないから・・・・・・って、えぇっ!?」
だがまたしても予想に反して、彼の口から発せられたのは容認とも取れる台詞。その事に村雨はもちろん、曙でさえも目を白黒させながら後に付いていく。歩く事数分。一軒の建物の前で、彼の足は止まった。
ある程度設えは良いようにも見えるものの、人が居なくなった事により確実に寂れてしまっている。看板に書かれた独逸語も、一部は掠れて読めなくなっていた。
「えっと、パラオス・・・・・・ナ・・・・・・ナァ・・・・・・なんて読むの?」
「“パラオ・ナァトシュ・ラーデン”。『パラオのお菓子屋』と言う意味だ」
「お菓子屋?」
「見れば解る。・・・・・・Excuse me,sir」
そう言って、流ちょうな英語で挨拶をしながら店の中へと入る徹心。
その一番奥のカウンターらしき所の前には、小麦色の肌をした老爺が揺り椅子に腰掛け、新聞片手にパイプを吹かしている。
「ご老人、注文していた物を受け取りに来ました」
「・・・・・・・・・・・・」
「ご老人?」
「ちょっと、クソ提督。無視されているじゃない・・・・・・!?」
「そんな事もあろうかと、今日はお礼の品も持ってきています」
だが彼は、徹心が声を掛けても此方を一顧だにしない。いや、一応目線を向けるような動きはしたが、それもごく僅かだ。相も変わらず、紫煙をくゆらせている。
それを見て、徹心は次の手として泊地から持ってきた包み―多少なりとも上質なラム酒の瓶をちらつかせる。
「ホ、面白い。少しはこのジジイの考えが読めるとはの」
「これでも、人を率いる立場ですので」
「はっ、言うじゃ無いか。ちょっと待ってろ、今持ってきてやるわい」
するとどうだろうか。老爺は小麦色の顔を破顔させ、揺り椅子から立ち上がって包みを受け取ったのだ。だが、二人が驚いたのはそこじゃない。
「お、おじいさん、日本語を・・・・・・?」
「ん? まあ、色々あっての」
「そ、そうなんですかぁ・・・・・・」
奥へと入る老爺に対し、やや気まずそうに相づちを打ちながら村雨は周囲を見渡す。
外観と違って、中は掃除の手がある程度行き届いているのか。古さこそ感じられるものの、くたびれた感じはなさそうに彼女の目に映った。
棚には、村雨がイメージしていたお菓子屋のそれとは異なり、缶詰やドライフルーツが多く陳列されている。恐らく、パラオの気候では焼き菓子や生菓子は保存が利かないから選ばれたのだろう。その商品達の中には、瓶詰めにされた飴もあった。
「あ、提督これって・・・・・・」
「ああ。自分がいつも持っている飴だ」
「普通は小分けで売っているんじゃが、瓶で買っていくのはこの小僧くらいじゃよ。お陰で年だというのに、増産させられたぞ」
「だから今回は、そのお礼も兼ねて奮発したんですよ」
「まあ、そう言うことにしておくわい。ほれ、頼んでいた奴じゃ」
そう言って戻って来た彼の手には、飴の詰まった瓶が。先ほど村雨が指した瓶と比べると些かこぢんまりとしているが、中に入れられた琥珀色のそれは、まるで本物の琥珀のように輝いている。
「ありがとうございました。では、いずれまた」
「おう、もう二度と来なくても良いぞ。っと、あぁそうだ」
「何か?」
「ほれ、お嬢ちゃん二人にだ」
支払いを済ませ、帰ろうとした所で不意に、老爺が呼び止めてくる。振り向くと、その彼の手には棒付き飴が二本、握られている。
「二人は何時でも来てくれていいからの。オマケしてやる」
「あ、ありがとう・・・・・・」
「頂きますね、おじいさん」
今度こそ用事を終え、改めて店を出る三人。切欠はどうあれ、後ろ暗い事をしてしまった故に気まずい空気が流れていく。
「・・・・・・ねえ」
「うん?」
「その・・・・・・さっきは悪かったわよ。スパイだの何だの言って・・・・・・」
「ああ、その事か・・・・・・」
その中で恐る恐る、曙は謝罪した。徹心はそう言ってはいるものの、彼女としては気にしてしまっている。村雨も言葉こそ発していないが、似たような面持ちだ。
「別に気にしてはいない、隠していた事は事実だからな。ただ・・・・・・」
「ただ?」
「この事は、できれば他の者には伏せてくれると助かる」
「・・・・・・くすっ」
が、その次に告げられた言葉に、彼女は思わず顔をほころばせる。
「それじゃあ、そうさせて貰おうかしら?」
――――――
「で、どうだったんですか!?」
「ほぼ半日使ったって事は、掴んだのよね!? そうなのよね!?」
戻って来た二人を待っていたのは、泊地にて待機していた他の艦娘達からの質問攻めだった。
「きっと女と逢い引きしているに決まってるわ! お酒を持っていったって事は、そうに決まってる!!」
「いやいや、偉い人からの特命だと谷風さんは見たね」
「単純に外でしっぽり飲みたかっただけじゃないかな?」
「もう一度聞くけど、どうだったの?」
口々にあれやこれやと推論が並べ立てられていくのを余所に、浜風が彼女らに問いかけてくる。それに対して村雨は
「んー・・・・・・ヒミツ♪」
「そう、ですか・・・・・・」
徹心との約束もあってか。そう答えるに留まった。
だがコレが、後々になって彼の身に降りかかる災難になろうとは。この時は誰も知らなかった。他でもない当事者である、村雨にとっても・・・・・・。
次回、『北の才媛』
ある若年士官曰く、「何時の日か―」
(※作者後書き)
アクションの無い話しは、どうも苦手です・・・。OTL
それから、独逸街云々の部分は架空の物です。実際のパラオの歴史とは関連は薄いので、ご了承願います。
それと、多分ですが今回が今年最後の投稿になると思います。それでは皆様、良いお年を。