私は大変に憶病なので、現在の記録を残すことが苦手だった。
明日のことすら約束されないというのにどうして今日のことを記録するのか。そこに未練が残すようなことをしてしまったら、今後の自分が変わってしまいそうで恐ろしくて。
だったら見返すための記録なんてなくっていい。
「指揮官くんはなかなか不良だね」
私が報告書を作りたくないからカリーナに頼んでいることを話すと、ペルシカさんはそう言った。
「適材適所ですよ」
「そう言って部下にやりたくない仕事を押し付けるのか。大した不良だよ」
そう言われると痛いのだ。別に私だって作れないわけではないが、カリーナの作った書類の方が何倍も出来がいい。一度ヘリアンさんに提出してお怒りの通信をもらったことがある。
「へたくそが作った汚いものをもらうより、出来がいいものの方が価値があるでしょう?」
「拗ねない拗ねない」
通信の向こうでケラケラ笑う声と、ぎしっと椅子がきしむ音が聞こえた。
「そんな指揮官くんにお手軽な記録の作り方を教えてあげよう」
「ろくでもない予感がします」
「素晴らしい信頼だね。だがまともなものだからがっかりしないでほしい」
「本当にまともなら願ったりかなったりです」
「そう。じゃあ期待していて。いい贈り物をあげるからさ」
ほらもうろくでもない予感しかしないじゃないか、と言いたいのはぐっとこらえることにした。
「いやー不良だと言ったのは撤回するよ」
久しぶりに対面したペルシカさんはいつも通信越しに見るニヤニヤ笑いだった。反対に私はひどく不機嫌な顔をしている。
今日はG&Kの創立記念パーティで非汚染地域の会場に出向いているのだ。人形も連れてきてくれと頼まれたので、AR小隊とくじ引きで勝った数人を連れてきている。
「メッセージ通りにしてくれるとは実に従順だね」
「持ってこなかったら何言われるかわかったもんじゃないですから」
私は首からえらく古いインスタントカメラを下げて憎々しげにカメラの元持ち主を見た。
このカメラが届いたのは件の通信から数日後だった。中には緩衝材で包まれたカメラ、それから
『今度のパーティにこれを持ってきてバシバシ記録を取りたまえ』
と書かれた手紙だった。見た瞬間口から踏まれたカエルみたいな声が出た。やっぱりろくでもなかった。
「どーして苦手だってことをわざわざやらせますかね?」
「やり方が簡単なら苦手意識を克服できるかもしれないよ?」
「人の苦手で遊ばないでください」
「つれないねぇ」
当の本人は楽しんでいるだけなようで。この人に、苦手意識に対して寄り添ってあげよう、なんて優しさはかけらもないのだろう。
からかわれてばかりも悔しいが到底仕返しもできない。仕方ないから記念すべき一枚目の被写体を彼女にしてやった。
カメラは撮影するとすぐに写真が出てくるタイプのものだ。カリーナに調べてもらったところポラロイドと呼ばれるもののようで、かつて存在していた企業名らしい。
シャッターを押してやるとほどなくして写真が出てきた。
「そうそう、そうやって使うんだよ」
「現像されましたよ、パーティ会場にいつも通りの白衣とスリッパで来た科学者の写真」
「……かわいくないねぇ」
目の下に隈がある顔で言われたところで怖くもなんともない。いいからきちんと睡眠をとってほしい。
ちゃんとしてれば見てくれはいいだろうに、もったいない。なんてことは黙っておくのが花だ。
「指揮官、ここにいたのか」
後ろから聞き覚えのある声がして振り向くと、上司のヘリアンさんがそこにいた。いつものスーツではなくドレス姿だ。これはなかなか似合うがいかんせん顔が仕事モードだ。もっと服装に合わせて肩の力を抜けばいいのに。
「お久しぶりですヘリアンさん。どうかしましたか?」
「その、M16がな」
あっ嫌な予感がする。確か大分飲んでいたような……
「M16が何か粗相でも……」
「いや大丈夫だ、貴官のことをえらく褒めて回っている」
「はぁ、それが何か問題でしょうか?」
「褒めているのだが、尻が世界遺産級だと」
それを聞いて頭痛がしてきた。思わずうめき声のように、あのバカ、と声が漏れる。M16の雇い主はというと必死に声を出さないようにはしているようだが体をくの字に曲げて肩を震わせている。
M16は司令部で飲むときに大抵私を誘う。私は飲めないので断るがどうしても断り切れないときは付き合ってやっている。
で、まあ飲むのだが、酔った彼女はどうも私の尻がお気に召すようで執拗に触ってくるのだ。抵抗してしかりつけてやりたいが私も酔っているので何もできない。それに、酔っ払いに対する説教ほど無意味なこともないのだ。
「あらぬ誤解を受けているようだから解いて回ったほうがいいぞ」
「はぁ……お気遣い痛み入ります。いってきます」
そうしてふらふらと誤解を解く行脚が始まった。
非汚染地域ならば屋外に何の対策もなく出て構わない。特に今日は晴天で、傘も何もいらない。夜風は心地よく火照った体をなで、風の音が耳にやさしい。
「もーむり」
タイル張りの床に大の字になったまま発した声は夜空に溶けていった。
あの後、酔っ払いM16のせいで発生した『S09地区の指揮官はM16に尻をいいようにされている』というあらぬ誤解を解いて回り、途中で合流したM4に姉を叱ってもらい、くじ引きで勝利したから連れてきたスコーピオンと一緒になってはしゃぎまわるSOP2を捕まえて、そうこうしている間に挨拶する人挨拶する人みんなに酒を勧められるので断ることもできず。
さらに私がインスタントカメラを持っていると知ると方々から撮ってくれと頼まれるから余計に大変だった。
飲みすぎで頭はぐるぐるするし、SOP2とスコーピオンを追って走り回るし、カメラを使うのは意外と神経を使うしでもうへとへとだ。もう無理、帰りたい。
「指揮官」
「はいもうむりです」
死角から声をかけてきた誰かにそう答えてしまうくらいには無理だ。
「お水持ってきたので飲んでください」
聞き覚えのある声に気を許してもそもそ起き上がるとAR-15がグラスを片手に私を見下ろしていた。私が立ち上がらないのを認めると彼女はしゃがんでくれた。
「飲めます?」
「飲むのはいける」
ありがたく水を受け取ってちびちび飲む。心なしか気分がよくなった気がする。
「M16とSOP2がとんだ迷惑を」
「いやぁいいよぉ、だいぶ慣れたし」
事実、彼女たちがやってきてから飽きない。何もないよりはいい気がする。今日みたいのが毎回続くと困るけれども。
「M16は反省しているようでした。SOP2ははしゃぎつかれて眠そうになっていたので、M4が先に車に連れて帰りました」
「そっか、楽しめてたならなによりだよ」
「はい、ええ。M16はいつもより陽気に飲んでましたし、SOP2も眠たくなるまではしゃぐなんてめったにないです。M4もM4で普段より表情が柔らかかったので楽しんでいたかと」
「……前々から思ってたけどAR-15って結構みんなのことよく見てるね」
グラスを半分ほど空にして大分頭が働いてきたのか、少し考えられるようになってきた。私の何気ないつぶやきにAR-15は苦笑する。
「それくらいしか取り柄がないですから」
だめだ、ちょっと難しいことを言われるとすぐわからなくなる。思わず首をかしげてしまう。彼女はそんな私の動作で理解が及んでいないことを察してくれたようだった。
「私は彼女たちと違って民生品なので、よく見てサポートするくらいしかできることがありませんので」
「そう、かな?」
私の目から見れば彼女も十分すぎるほどに優秀なのだが。まあでも彼女が求める優秀さはそうじゃないんだろうっていうことはこの期間で理解したつもりだ。
AR-15の劣等感というかコンプレックスは彼女の理想が高いが故なんじゃないかと思ったことがある。彼女が求めるのはAR小隊の一歩先で、そんなものは並大抵では成し遂げられない。
「指揮官、私はお役に立てていますか?」
「戦場で役に立ててないと感じるならそれは私のせいだよ」
彼女たちが十二分に力を発揮するために指揮をするのが私の仕事なのだから。しかしこう答えてしまうと真面目な彼女は顔を曇らせるわけで。
「頼りにしてるよ。いつも助かってる」
「でも」
「誰が一番とか私には難しくて決められないよ」
編成の組み方、配置、戦う相手、時間帯によって誰がどれだけ活躍できるかは大きく変わる。だから性能が発揮できてないのならそれは本当に私が悪い。
「少なくとも今この瞬間は一番だよ。水を持ってきてくれたのはファインプレーだった」
「それは、よかったです」
そう言っても浮かない顔だ。
楽しい場所に来てM16やSOP2のように身を任せて楽しむ者もいればM4のようにフォローに回りつつも無難に楽しむ者もいる。もちろん私のように不測の事態に巻き込まれて辟易する者だっている。
ただ一定数いるのはAR-15のように、なぜか後ろ向きのことを考えてしまう者だ。楽しさに対する反動でネガティブになる、なんてことがないとも限らない。特に、こういった少し喧騒から離れたところでは。
案外彼女も人間っぽいところがあるんだなとちょっとかわいく感じてしまう。不安を吐き出させてあげたいのなら私から聞くべきだろう。
「まだ何か聞きたいことがある?」
「……指揮官から見て私は彼女たちよりも勝っている点があるでしょうか?」
「顔」
「は?」
淀みなく出た返答に彼女は半音低い声を出した。
「君はとても美人だよ」
「そういうことを聞いてるわけでは……いえ、指揮官、まだ酔っていますね?」
「お人形さんみたいな顔してる」
「当たり前です。人形ですから」
「一番星みたいだよ」
「大げさです。まったくこれだから酔っぱらいは」
心底呆れた顔でため息をつかれた。これほど言葉を尽くしても伝わらないとは。本気だったのだけどなぁ、と空振りしてしまったことを残念に思う。
まあでも酔っていると思われるならそうなのかもしれない。素面ではこんなことは言わない。
「どうですか美人さん、記念に一枚」
「酔っ払いの相手は好きではないのですが、もう好きにしてください」
でも本当に、酔っていなくても君の細い髪も、青く輝く目も、すっと通った鼻筋も、意志の強い口元も、すらりと長い手足も、とても美しいと思ってるんだ、なんてことはきっと言わないのが花なんだ。言ってしまうと勿体ないような、もっと大切にしていたい感覚なんだ。
私は柱を背にふらふら立ち上がると、最後の一枚のフィルムを彼女のために使った。
なんてこともあったなぁ、実に写真写りのいい顔だ。と、写真を眺めながら思い返す。S05地区への道のりは車を使ったとて短くなく、多少感傷に浸る時間くらいはある。
なるほど、現在の記録は未来で思い返すためにとるもの。しかしそれは未来があることを信じている余裕のある存在にだけ許される行為で、私からすればいささか傲慢だ。
ただ、取っておくのも悪くないんだと思える。特に、なくしてしまったものは。