あたしは大変に後ろ向きなので、行事を祝うことが苦手だった。
それは別になんてことないいつもと変わらない日なのに、人間はなにかと理由をつけて祝ったり騒いだりしたがる。
そんなことに人形まで巻き込むなんて、無意味にもほどがある。
今朝の指揮官は早起きだったみたい。あたしがスリープモードを解除するともう部屋を出た後だった。
ご丁寧に部屋に備え付けられてる机にマグカップが置いてあって、
『おはよう。温めて飲んでね』
と書かれた付箋が貼り付けられていた。伝言通りレンジで加熱してから飲んだ。
あたしもあたしで今日はやることがある。いそいそと支度をして部屋を出た。
今朝最初に向かったのはカフェだ。カフェに用事があるというより、カフェに預けてある荷物に用事がある。
「おはよスプリングフィールド」
「おはようございます」
今朝は彼女も早い。今日は忙しい日だから。
「Vectorのはこれでしたね。はいどうぞ」
「ん」
飾り気のないただの茶色い紙袋を受け取る。奥を見ると他のはリボンがついてたり、模様がついてたり。人に贈るのにはふさわしい見た目をしている。
今日はそういう日だってデータがあるから知ってるけど、この浮ついた雰囲気がどうも気に食わなくて鼻を鳴らした。
「ふん」
「不機嫌ですね」
面白そうにスプリングフィールドが笑う。
「人形が行事を祝うなんて何の意味があるんだか」
「特にありませんよ。楽しいだけです」
「楽しいかぁ……」
こんなので志気が上がるんなら簡単な話だけれども。
「でも一応参加するんですね」
スプリングフィールドは私の荷物を指さす。
「一応ね」
意味なんてのはやってから考えたらいいんだよ、と話す指揮官の音声データをなぜか検索していた。
さっきから指揮官に用事があるから探してるっていうのに全く見つからない。
執務室にいなければ資料室にもいない。いそうなところは探して回って、それでもなお見つからない。どこにいるんだか。
今日は特にやるべき業務もないから別にいいのだけど、こっちは用事があるから困ってる。
「あれ、Vectorさんどうしました?」
廊下の向こうからカリーナが近寄ってくる。
「指揮官知らない?」
「指揮官様ならこれ配って歩いてますよ」
彼女は胸元の花を示した。なんだろうこれ、紫のひらひらした花びら。すれ違う他の職員も服につけてた。
「造花の裏側に安全ピンがついてて服につけられるんですよ」
「なんでこれを?」
「日頃の感謝らしいですよ。今日は贈り物をしていい日だからって張り切ってるそうです」
検索が終了した。これはトルコキキョウという花みたい。確かに花言葉に感謝が含まれてる。
「なんせバレンタインですからね」
「へーふーん、なるほどね」
確かに、今日は贈り物をしていい日だってことは知ってる。知ってるけども。
なんだか釈然としない気分になってため息をついた。
昼に食堂に行くと、やっと指揮官を見つけられた。片手に持ったバスケットに山盛りあの花を入れて忙しそうに配って歩いている。
本当に全部の職員に配るつもりなんだろうか? そこそこの人数がいると思うけれど。
このままだと食事も取らないだろうから声をかけておこう。
「指揮官」
「あ、Vector」
振り返った顔は嬉しそうで楽しそうで。この人は行事に意味を見いだしてることがすぐに理解できる。
「食事の時間なくなるよ」
「いやでも」
「食べないと。楽しいのは分かったから少しは落ち着きなって」
「それもそうか。そんなに楽しそう?」
「顔緩んでるよ」
「確かに。顔が熱い」
指揮官は手で頬に触れて確認していた。サーモカメラを通すといつもより首から上の温度が高く見えるからその認識は合ってる。
食事を受け取って席につく。指揮官はいつもより上機嫌に見えた。
「バレンタインそんなに楽しい?」
「うん。初めてなんだ。憧れてて」
照れくさそうにはにかむ顔は少し幼く感じる。珍しいから記録しておこう。こういうのきっとかわいいっていうんだ。
「学校に行ったことなかったから体験したことがなくてさ。でも親しい人やお世話になった人に贈り物をしていい日ってのは聞いてて」
「やってみたかったんだ」
「変かな?」
「別に。人間らしくていいんじゃない?」
「てことはVectorから見たら理解できなくて変なんだね」
「まあね。あたしからしたら妙な雰囲気のただの日常だし」
はは、と指揮官は軽く笑った。それからあたしに花を渡してくる。
「Vectorは特別だよ」
受け取ったのはバラだった。意味はわざわざ検索しなくてもわかる。
「指揮官もベタなことするね」
「悪かったな」
茶化すとすぐに口がへの字に曲がった。今日の指揮官は通常と比較してテンションが高い。よく感情が顔に出てる。今日という日を楽しみにしてたのは本当みたいだ。
指揮官がやっているバレンタインは西洋の文化の方だ。西の方では花を渡したり多くの人に贈り物をしたりするらしい。
対してあたしやカフェに荷物を預けていた面子がやっていたのは東洋の文化の方で。大切に思っている相手にチョコレートを渡す方だった。
本命だとか義理だとか、そんな前置きをして渡す文化だって知ってた。だからあたしも前もって準備をしてて。
認めよう。あたしも楽しみにしてた。一番最初に指揮官にチョコレートを渡そうと思ってて、指揮官も受け取るだろうと信じて疑ってなくて。だから早くにカフェに行って。それなのに指揮官はあたしを待っていなくて、楽しんでるのは別のことで。
同じバレンタインなんだ。むしろ西洋の文化の方が本場で、東洋の文化の方は誰かが考えた偽物で。だから指揮官の方が正しいって理解できる。
あたしは間違ったことをして、勝手に指揮官があたしから一番最初にチョコレートを受け取るって期待して、それを裏切られた気になってる。明らかにエラーだ。こんなのは正しくない。修正しないと。
「今日さ、情報の整理したいから午後は部屋にいていい?」
「いいよ。特に出撃要請もないし。もし緊急に何かあったら呼ぶから、その時だけよろしく」
「わかった」
そうして紙袋を渡さずに部屋に持って帰った。
違うことを楽しもうとしていたのなら意味なんてない。
結局緊急の呼び出しはなく、業務終了の時間になった。スケジュールを確認すると指揮官にはこの後ヘリアンさんとペルシカさんに定期報告の予定が入ってて、帰ってくるのは少し遅くなりそうだった。
手元の本が読み終わったので次のを取るために立ち上がる。ふと今朝飲み物が入ってたマグカップをカメラがとらえた。洗っておくのを忘れてたんだ。洗おう。
マグカップを片手に廊下にあるキッチンへ向かうと、タイミングよく指揮官が戻ってきた。
「ただいま」
「おかえり。もう報告終わったの?」
「うん。今日は早く帰ってやれって叱られた」
「だったら業務終了後に通信の予定入れなきゃいいのに」
「言えてる」
指揮官はコートとマフラーを脱いで玄関脇に掛けた。室内は暖房が効いていても外は冷える。
「それ飲んだんだ」
そして洗っているマグカップを示した。
「うん」
「おいしかった?」
「普通だったよ」
「む、そうか。失敗したかな?」
「なんだったのあれ?」
「ホットチョコレート。やっぱり一度冷めちゃうとダメか」
落ち着いて今朝のログを遡る。確かに味覚センサはカカオ成分を検出していた。途端に感情のパラメータが不安定になった。
あたしはとんでもない勘違いをしていたかもしれない。勘違いだったことを確定させるために質問が必要だ。
「なんでそんなの作ったの?」
「だって今日バレンタインだし」
ああそうだ、勘違いだった。指揮官はきっちりチョコの受け渡しをするバレンタインを行っていて、それを正しく受け取れてなかったのはあたしの方だった。
「ごめん指揮官、あたし間違えてた」
「何を?」
「指揮官からチョコ受け取ってることに気づいてなくて」
「いいんだよ。慌てて出て行ってろくな伝言もしなかった私がいけないんだから」
「そうじゃなくて、それのことじゃなくて」
両肩に軽い重さを検知する。指揮官が肩に手を乗せていた。
「落ち着いて、座って話そう」
こういうのを優しいっていうんだろうけれど、今はその優しさが少し苦しい。それでも提案を蹴るほどではないから、大人しく従った。
椅子に腰かけて、深呼吸をさせられて、いくらか感情パラメータが落ち着いてきた。指揮官はいつもと変わらない様子であたしが話し始めるのを待っている。
放っておけばいつまでも待っていそうだから、話さないと。
「今日」
「うん」
「てっきり指揮官はあたしを優先するだろうと」
「うん」
「勝手に思い込んで、期待してて」
「うん」
「花を配って歩いてるって知って、勝手に失望してた。みんなとは違う花もらってたのにさ」
「そっか」
「指揮官が楽しみにしてたなんて知らなくて」
「言ってなかったからね」
「指揮官にとっても大事な日だったのに」
「うーん」
指揮官は視線を逸らして頬を掻いた。これは情けないと感じてることを打ち明けるときの癖だってよく記録してる。
「実は、ヘリアンさんとペルシカさんに叱られたのはそれで」
「う、うん」
「本来バレンタインは恋人の祭典なんだから呑気に花配って歩いてないでVector優先しろってさ」
「……大きなお世話」
「そうなんだけどさ、その通りだよ。私はどうしても照れくさくて遠回りしちゃうから、いつもVectorを不安にさせていけない」
「別に不安なんて」
「させてるよ。君が起きるまで待ってて最初にチョコレートをもらえばよかったんだ。申し訳ないけど他の人から山ほどチョコもらってしまって」
「そっか」
口から出た音声は想定以上に気落ちしているようになってしまった。わかってたことなのに。
「だから、その、今日最後のチョコって枠を用意してる」
「最後の?」
「私は好きな食べ物は一番最後までとっておくタイプなので」
そうだっただろうか? ログを漁って指揮官の食事のパターンを確認してみるけれどそんな傾向はない。
「いつも割と早い段階で食べてるけど」
「ログ漁るの早いってば! そういうことにしといてよ……埋め合わせしたい」
「あぁ、なるほど」
つまり、指揮官も今日のことは後悔しててなんとかしたいってことで、だからこんな支離滅裂なことを言ってる。
あたしのことで必死になってる指揮官は妙に面白くて、特別で、それだけで意味がある。
「仕方ないなぁ」
なんてもったい付けてやりながら飾りっ気のない紙袋を取り出した。
「はいこれ」
「へへ、ありがとう」
目尻が下がって口角が上がって、上気して頬に赤みが差してて、若干の興奮で瞳孔が開き気味になって。今日一番嬉しそうな顔だった。
「これは本命チョコってやつ?」
「義理も本命もないよ。それしか用意してない」
「へぇそっか。そっかぁ」
気の抜けきった笑顔でそう言われると何か言い返す気もなくなる。こんなに喜ぶなら毎日だって用意してあげるけれど、これは指揮官が今日という日に意味を与えているからしてる顔。
指揮官の手は紙袋から小箱を取り出し、慎重に開ける。そんなにしなくてもガラス細工じゃあるまいし。中身はたった二つのトリュフチョコだ。
「おぉ、丸い、かわいい。作ったの? すごいね」
「別にただ溶かして固めただけだよ。他の子からも似たようなものもらったでしょ?」
「実は食べるのはこれが最初」
やっぱり好きな物は早めに食べるんじゃないか、なんて言うのはよしておく。最後にもらって最初に食べることで指揮官の中でこれを特別な物にするつもりなんだろう。
指揮官はその小さいチョコをもったいなさそうに半分かじった。口の中で噛み砕く音をマイクが拾う。
「中に何か入ってる」
「クルミ入れたんだよ。好きでしょ?」
「好き」
続けて残ったかじりかけの半分を口に運び、指先についたチョコを舐め取った。
普段なら行儀が悪いと指摘するけど、今日はしない。
「おいしいよこれ」
「よかった。味見してないから」
「こんなにおいしいのに?」
「ただの雰囲気でしょ。配分と時間は正しいから正しくできてるよ」
「ふむ」
指揮官は何か納得したように頷いて、今度はかじらずに丸々一個全てを口の中に入れた。
そしてそのまま、何を考えたのか唇を重ねてきた。正直驚いたけど、何かやりたいことがあるんだろうから拒否はしないでおいてあげる。
しばらくしてこちらの口内に侵入してきた舌には溶けかけのチョコが乗っていた。
別にこんなことしなくたって食べろと言われたら食べたのに。ただ、検索に先ほどの「恋人の祭典なんだから」という言葉がヒットした。だったらこのやり方でもいい。
鼻で呼吸しながら指揮官の舌が運んできたチョコを舐めた。うん、甘い。正しく作れてよかった。
これだけで満足しなかったのが指揮官の方で、もっと味わえと言わんばかりに尚も溶けかけのチョコをぐいぐい押しつけてくる。大人しくその度に舐めてやるけれど、もうチョコが甘いのか指揮官の唾液が甘いのか判別がつかない。
そろそろ口の中にたまってきた唾液を飲み込みたいけど指揮官の舌が邪魔でどうにもならない。肩を叩いて離れるように伝えてみる。意志は伝わったようで指揮官は離れていった。
少し名残惜しく感じるけど服に付きでもしたら後が大変だ。チョコはなかなか落ちない。
唾液を飲み下すと興奮しきった指揮官と目が合った。耳どころか目まで赤くなってる。これは相当だ。
「べ、べくた」
「ストップ。シャワー浴びてきて」
「はい」
別にあたし自身は嫌じゃないけれど、そうさせないと最中に指揮官はしきりに汗臭くないか聞いてくる。それはそれで興醒めなんだ。割り込みの処理が入ると少し反応が遅くなる。
「今日は私ががんばるから」
「はいはいわかったわかった」
いちいち言わなくていいのに妙に気合いが入ってる。多分今日がそういう日だから。
さてどうしてやるか。指揮官がそんなに張り切ってるなら特別な日に花を添えてやってもいい。確かこの部屋に置いてあったような……あったあった。
行事を祝うことに関してVectorとしては意味を与えられないけれど、あたし個人としては恋人がこんなに楽しむのなら意味があるって定義していい。
「シャワー浴びました」
「早いね。カラスの行水っていうんだっけ?」
「うん、そうそ……えええVectorそれ」
「この前アイリスのとこから届いたんだよ。指揮官が選んだんでしょ、この下着」
「えぇあぁはいそうですうわぁ」
「ちゃんと見なよ」
「景観が、よすぎて」
「要は似合うってことでいいの?」
「はい。あーわーうわぁ脱がすのもったいない」
「早くしなよ。がんばるんでしょ」
「そうでした。あれ? ホックがない……」
「これ前にあるんだよ。指揮官いつも外すのにもたもたするからそっちにしてもらった」
「あーそっかーそっかーなるほどなー」
「口はいいから手を動かして」
「わかってます。あ、そうだ」
「なに?」
「街の一番いいレストラン、今日は取れなかったんだけど週末に予約取ったから、一緒に行こう」
こんなタイミングでこんなことを言うなんて、今日の指揮官はいつもと違って変だ。でもそれは今日がそういう日だから。そんな理由でいい。
腕を回してぎゅっと抱きしめてみる。あたしだって今日がそういう日ならこれでいい。
「仕方ないなぁ。いいよ」
これはこれで意味のあること。