私は大変に臆病なので、危険なことに近づくのが苦手だった。
君子危うきに近寄らず。危険なことからは身を引くべきだ。
安全に慎重に、それが一番自分に向いているし長生きできる。それが底辺で生き延びる秘訣。
「は、う、べくたぁ」
「んっしきか、だめっ」
メキッ
「ぐあ」
以上が事の顛末である。
目の前でM16が息も絶え絶えに喘いでいる。
「はは、は、指揮官、も、勘弁して」
「……何もしてない」
「いやだってさぁ、んっふふ」
彼女は笑いすぎで呼吸困難に陥っているのだ。それも私の話を聞いただけで。
「肋骨折れるとか、あはは」
「折れてないよ、ヒビだって」
諸般の事情があって私の肋骨にヒビが入ったのだが、M16はそれがツボにはまってしまったらしい。
見舞いに来ておいてなんだその態度は。
「盛り上がりすぎて折れちゃうなんて」
「うるっさいなぁ」
おかげさまで入院する必要こそないものの全治三週間で今日明日は自室療養となった。サラシをきっちり巻かれて前に屈むことはできない。
いいのだ。今は咳をするだけで悶えるほど痛い。悶えると更に痛い。
「これROが指揮官にってさ」
細長い紙袋を受け取って中身を確認する。出てきたのはマジックハンドだ。
「なにこれ?」
「床に物落としたら拾えないだろうってさ」
「なーる」
ROらしい気遣いだ。
「ほんでこれがSOP2から」
受け取ったのはカルシウムのタブレットだった。これはわかる。
「早く治さないとね」
「治るまで指揮官にだっこは禁止だってきつく言い聞かせたから」
「さすがお姉さん」
M4不在でもしっかり姉をやっているM16は信頼できる。彼女がいてくれるだけで割とSOP2は制御できるのだ。
「で、私からのお見舞いは」
「あるんだ。てっきり治ったときに一杯奢るとかかと」
「まあそれでもいいんだけどさ」
こほん、とM16は咳払いした。
「少し書類の改ざんをした報告をもってお見舞いとしようかなと」
「改ざん?」
M16は頷いた。
「指揮官は転んだことになってる」
「ふっあ、いてて」
吹き出した拍子に胸に痛みが走った。結構響くな。
「そうだったね、この報告書はヘリアンさんの目にも入る」
「そうなると色々面倒だからさ。ただVectorの不具合確認はペルシカさんのとこに情報と解析依頼がいったからそこはあきらめて」
「うげぇ……」
これは次回の通信が恐ろしい。
「でもよくペルシカさんやってくれたね。忙しいんじゃないの?」
「忙しいけど、私が話した時に自分からやりたいって言い出した」
「話したのかよ!」
「軽い笑い話のつもりだったんだって。まあ悪いようにはされないから」
「そこは信頼してるけども。Vectorは不具合がある扱いになってるんだね」
「まあ本来なら人形は人間を傷つけられないからね。大丈夫、ペルシカさんがリミッターの数値完璧に調整してくれるよ」
これも内密に行われるんだろう。そして後で感想を聞かせろとペルシカさんにせっつかれるんだろう。
感想を伝えるにしてもあと三週間は待っててほしいと頼むしかない。
それにしても、Vectorの点検すら内密に行われているとすると、単に書類の改ざんだけではなくかなり多くの職員が関わっていることになる。それこそここの職員のほぼ全員が。
「なんだか、えらく特別扱いされている気がする」
神妙な面もちでそう呟くとM16は自分の妹たちに見せるような顔で微笑んだ。
「愛されてるんだよ」
彼女の頭のなで方は肋骨に響かなかった。
業務終了時間がきた。今日は一日中横になって過ごしてしまい、妙な不完全燃焼感がある。
先ほどパトロールの指揮を任せていたROから本日も異常なしの連絡がきた。間もなくVectorも点検から戻ってくるだろう。
「いやぁひっきりなしだったなぁ」
私は見舞いの品が並べられた室内を眺めてつぶやいた。M16が来た後に次から次から見舞い客が来たのだ。
ちょうどよかったのでスコーピオンにも治るまで飛びついてきたらいけないと言い聞かせておいた。ヒビが骨折に進化するのだけはごめんだ。
ドアが開く音が聞こえた。Vectorが帰ってきたようだ。
「おかえり」
「ただい……指揮官死ぬの?」
「それが十数時間ぶりにかける言葉ですか」
まあでも葬式をやろうってくらいの量ではある。
「ずいぶんもらったね」
「どうも私は愛されてるらしい。悪いけど食料品だけ冷蔵庫入れといてくれる?」
「いいよ」
これだけあれこれ売れたのだからカリーナは繁盛しただろう。たまにはケガをするのもありだな。
さて、こじれる前に先手必勝だ。
「Vector、夕べはごめん」
「あたしもごめん。力みすぎた」
先に謝っておかないとVectorはどんどんネガティブになる。早め早めに手を打っておいて損はない。まあ、それで失敗することもまたあるけど。
「意固地になって焦らしすぎました。限度をわきまえます」
「本当だよ。回路焼き切れるかと思った」
「うっわ」
「なに喜んでるの? 馬鹿?」
「多少はうまくなったかなと」
「こんなことになるなら下手くそのままでいい」
「はい」
普段あまりにも下手くそ下手くそ言われるので研究してやってみたらこれだ。もうこっち方面の向上心は捨ててやろうか。
それでもきっと私はまた余計な知恵を仕入れるのだろう。またこうしてケガをすることになってもまた挑戦してしまうのだろう。
「リミッターの数値は調整してもらったから、もうあの程度じゃ折れないよ」
「そっか。どうせ試せって言われてるんでしょ」
「そりゃ、ね」
設定した人が設定した人だから、とVectorは続けた。ほら見たことか。
「Vectorはさ、ああいうことするの嫌?」
「指揮官がしたいなら付き合うよ」
「いやそういうんじゃなくて」
自分で続けるのが気恥ずかしくなってしまって口ごもる。聞かなきゃよかった。
「別に、好きも嫌もないよ」
「そうでしょうけど」
「指揮官に合わせたり必要に応じてるだけであって、好きでしてるとか嫌だからしないとかそういうのはない」
「わかってるけど」
そう言うだろうなと思ってた答えが帰ってきて安心半分、がっかり半分。
「何か期待してた?」
こうやって薄ら笑いを浮かべられるのも慣れっこだ。
「そもそも遺伝子の引き継ぎができないんだから無意味じゃん」
「いいんだよ、意味なんてないんだから」
子孫提供を目的としない性行為に意味なんて元々ないのだ。
「やることなすこと全てに意味がある必要なんてないでしょ? 意味のないおまじないやゲン担ぎだってある」
「指揮官は意味のない行為が好きってこと?」
「行為自体に意味はない。でも動機と目的はあるからしたいと思う」
「ふーん」
心底興味のない反応をされた。恥ずかしい思いをしながら話したってのになんだよ。
しゃべって喉が渇いたのと、悔しいのを紛らわすためにそろりと上体を起こし、枕元に置いたペットボトルに手を伸ばした。生ぬるい水が喉に落ちていく。
「そういう基準で考えるならあたしもしたいよ」
「ぶへアッ!?」
そして派手に吹き出した。その拍子にむせてしまって、これが肋骨に響いて痛いのなんのって。地獄だ。
しっかりしなよ、なんて言いながらVectorは背中をさすってくれるが、今はそんなことどうだっていい、重要じゃない。
「げほ、なんてこと言うんだ……」
むせながら息も絶え絶えに、目尻にうっすら涙が浮かんでる気配すら感じながらなんとか絞り出した。
「要はしたいたしたくないの話なんでしょ? それなら動機も目的もあるからしたい」
「各々の内容は?」
呼吸が落ち着いてきたから少し聞ける余裕が得られた。
「目的は単純に指揮官のデータがもっとほしいから。些細なことでもいいから情報収集をしたい」
「お、おう」
とんでもないことを顔色一つ変えずに言える人形は時にうらやましい。
「Vectorはなんか、すごいね。私はそんなストレートに言えない」
「事実を言ってるだけ」
「それで、動機は?」
「手土産持って見舞いに来る人と同じ」
首を傾げてしばし考える。
『愛されてるんだよ』
とM16に言われたのを思い出すまでそれほどかからなかった。
「そう、そうか、そうですか」
「指揮官は?」
「んんん」
聞かれるのはわかっていたけど聞かれて困らないわけではない。特に私には事実を淡々と語るのが苦手な時もあって。人間誰しもそうなのだけど。
「したいから」
「……がっかりさせないでよ」
「事実です」
好きだから嫌だからとかでなく、したいからするというのが一番近しい理由で、申し訳ないけどそれ以上でもそれ以下でもない。
「それだけならがんばる必要ないじゃん」
「するなら相手にもよくなってもらいたい」
「人間って理解不能だよ。またケガしたらどうするの?」
彼女がそれを気にしてくれていることはよくわかってて、先ほど背中をさすってくれたときもいつもより弱々しく触れてきたから相当堪えてるんだと思っていた。
私はというと、別にそんなこと気にしてなかったりする。Vectorが私の情報がほしいというなら、骨の折れ方まで全てくれてやろうと思うくらい、私は彼女に何をされてもいいんだ。
「設定変えてもらったなら大丈夫だよ。ペルシカさんを信じよう?」
ただそれを口に出して伝えてやろうとは思わない。
私が周りにどれだけ愛されてるのかを身を持って知ったように、Vectorだって私からどれだけ愛されてるのか身を持って知ればいい。私が思い知らせてやればいい。
それもまた彼女のデータ収集になる。
「勇敢というか無謀というか」
「チャレンジャーであることは大切だよ」
「こんなことで挑戦し続けなくていいから」
ため息をつくVectorにはまだ伝わってなさそうだけど、彼女なら理解してくれると信じている。
「とにかく、私は遺伝子提供を目的としない性行為ってのはお互いのためにするコミュニケーションだって思ってる、ので、私だけよくても意味なくて、Vectorにもよくなってもらいたいなーと、常に考えて、ます」
「その結果やりすぎで肋骨折れてもそう言うの?」
「うん。加減がダメであったけど方向性は正しかった」
「馬鹿だなぁ」
「失敗は成功の母だもの。また色々試さないと」
「あたしを実験体にするつもり?」
「他に実験体を用意してほしいの?」
聞き返すと珍しくVectorは黙った。心配しなくても他の誰も相手にするつもりなんてない。
「大丈夫だよ。Vectorにしか被験者頼まないから」
「ふぅん。まあいいけど」
あ、いいのか、と認識すると頬が緩みそうで。それを気づかれたくないから片手で口元を覆った。
「当分動けないから無理だけど、日常生活で困ることあったら介助よろしく」
「それくらいはするよ。食べ物も口まで運んであげようか?」
「恥ずかしいけど痛いときは頼むかも」
これだけ軽口を叩いても一向に近づいてこないVectorにしびれを切らして手を伸ばした。
彼女の手を掴むとこわばる感覚を認められた。
きゅっと握られてこちらに触れてこない指を何度か撫でていると少しずつ力が抜けてきたので、夕べしてたように指が互い違いになるように手を握った。
「懲りないね」
「懲りたくないね」
何度目かの軽口でやっといつも通りになってくれたVectorの、なんとめんどくせぇことか。不安ならそうだと早く言ってくれればいいのに。
けどそんな彼女にとことん付き合って骨を折られるかもしれない危険を冒してまで中に入り込もうとする私も、大概なのだ。