私は大変に臆病なので、恥をかくことが苦手だった。
恥をかけば印象に残る。できれば誰の印象にも残らず静かにひっそりと生きていたい。
特に恥というのはマイナスの印象なのだから、かいていいことなど何もないのだ。
だがアルコールはその敷居を容易に跨がせるから恐ろしい。
「おーい起きろ指揮官」
背中に手を当てられてゆさゆさと動かされる。眠たい目を擦ってやっと顔を上げると目の前に水入りのグラスが差し出された。
「ほら、酒と同じ量飲め。なんなら三倍飲め」
「ううぅありがとう」
M16からグラスを受け取って飲み始める。アルコールのない液体が身体に染みていく。
今夜は司令部の近くにあるバーにM16とトンプソンと来ている。酒を飲む、といえばこの組み合わせだ。
「ボス、ずいぶん険しい顔だったが悪夢でも見たか?」
「んーまあ、多分?」
「体温が上がって悪夢を見るようではまだまだ赤ん坊だな。ホットミルクの方がいいか?」
「余計なお世話だ」
「そうカッカするなって指揮官。今日は私らの奢りだからさ」
今日は珍しく彼女たちの奢りらしい。まあ奢られても私なんて全然飲めないのだから大した出費にはならないが。
奢られる理由には飲み会が開催された理由にある。
「で、そろそろ新婚生活について話す気になったか指揮官?」
「話せないってんなら不本意だがボスにもう少し飲ませないとな」
「お前ら、明日覚えとけ」
要するにこいつらは私の惚気話をつまみに飲みたいのだ。はた迷惑な話である。
私がVectorに指輪を渡したことはその日の内にみんなが知ることになった。カリーナの口に戸は立てられない。
ここ最近忙しかったり厳しい任務が続いたりしたため、少しでもこういう明るい話題が必要なのだ、と自分をなだめすかしている。
ただこうしてからかわれたり色々聞かれたりすることには慣れていない。Vectorはいつも通りの涼しい顔で「別に」とか「特になにも変わらないよ」とか返すものだからそういうのが全て私に回ってくる。
「別に、面白い話なんて何もないよ」
「またまた謙遜して」
「下手な隠し事はやめておくんだな、ボス」
彼女らは私をつつけば何か出てくると信じているようだ。上司としては部下の信頼に応えたいがしかし。
「本当に何もない」
「そんなはずない。デートとか行っただろ?」
「行ってないよ」
「愛をささやいたりささやかれたりは?」
「しない」
本当である。嘘はついてない。
「おっかしーなー、キスしてることとセックスしてることは聞いてるんだけど」
「待って、なんで」
「むしろボスが知られてないと思ったことの方が驚きだ」
途端に居心地が悪くなって誤魔化すために水を飲んだ。私のプライバシーなんてものはないんだろうか。
大体そこまで知ってるのであればわざわざ私から話すことは何もないんだ。
「それ以外何もないよ。毎日同じ部屋で寝起きしてるだけ」
「いや待て、それを話してくれ」
「そーいうのが聞きたいんだよ指揮官」
M16が馴れ馴れしく肩を組んできたのを払いのけた。酔ってる彼女は遠慮なしに体重をかけてくるからかなり重たいんだ。
「え? 毎日? 連日連夜なの?」
「ボスは顔に似合わずお盛んなんだな」
「そうでなくて、健康上の問題でそうしないとダメなんだ」
「あぁ例の眠れないやつか。へーふーん嫁さんに添い寝してもらうと眠れるのか」
「やっぱり赤ん坊じゃないか」
「うるさいうるさい」
今日はずっとこうして分の悪いやり取りを続けないといけないから困ったものだ。もう一口水を飲んで落ち着こうとする。
「でも、それだって誓約する前からしてもらってた」
「へー随分仲良かったんだ」
「ふーんそうかそうか」
「なんだよ」
「いえいえ」
「続けて」
はぁ、とため息をついた。続けても何も、これ以上何も出てこない。二人とも楽しそうだし私ももう飲めそうにないし勘弁してもらいたい。
「わかった、こうしよう。何か困ってることないか?」
「百戦錬磨のM16がボスの相談に乗ってくれるってさ」
「えー、うーん」
まあ、確かに、女性の扱いに関してM16ほど頼りになる存在もいない。
それもおかしな話なんだが。
「さっきの、その、デートしたり、愛をささやいたりってのは、円滑な関係に必要なことなのかな」
「もしかして指揮官は愛情表現のやり方がキスとセックスしかないと思ってる?」
「そんなことはない、断じて」
「まあ分かるぜ。Vectorは反応薄いからな」
「そうかそうか、やっても甲斐を感じられないか」
M16はあたりを見回すと手のあいていたウェイトレスの自律人形へ手招きした。
自律人形は十代後半くらいの少女に見えた。アルコールをメインに扱う店で働かせる見た目としてはアウトなんだろうが、ここはそういったことを気にしてはいけない店のようだ。
「ウィスキーを一杯追加で。それからこの後何時に上がるか教えてくれる? 部屋にとっておきがあるんだけど一人で飲むのはさみしくてさ」
M16が彼女の手に触れながらそう言うと、ウェイトレスの顔は面白いくらい赤くなった。
突然、先日ヘリアンさんから、M16が近隣の自律人形へちょっかいをかけているからしっかり監督しておけ、と叱られたことを思い出した。
「おいコラ」
「それくらいにしとけ。また行きつけを出禁に変えるつもりか」
「わーかったって。ごめんね」
M16は触れていた手にチップを握らせて手を振った。
まあでも、多分あの人形は何らかの方法で上がる時間を伝えるんじゃないかな、ということは想像に易かった。
「こんな感じ」
「わかるかよ」
「要するに言葉選びとそれに適した動作さ」
「トンプソンのがわかりやすかった」
「せっかくお手本見せたのに」
空になったグラスに目を移す。手のひらの温度で氷が溶け、カランと音を立てた。
私もああすれば多少はVectorを動揺させられるんだろうか?
「すみません、私にもウィスキーを」
「大丈夫か指揮官?」
心配そうにこちらに視線を寄越したM16をしっかりと見つめ返した。
「練習、する」
こんなの素面ではやってられない。
M16とトンプソンから、
「指揮官に飲ませすぎたから迎えにきてやってくれ」
と連絡が入ったのは深夜近くだった。どうせこんなことになるだろうと思って待っていてよかった。
バーは司令部から歩いていける距離にあり、今日は天気もいいことから傘やマスクなしに外を歩ける。迎えに行くのに特によけいな物はいらないだろう。
扉を開けると酒気が漂ってくる。アルコールに弱い指揮官だからきっと店に入るとき一度咽せただろうに。
部下に誘われるとどうしても断りきれない時があるのがあの人のいいところ。
「迎えにきたよ」
「サンキュー」
「ご覧の有様だ」
のぞき込むとトンプソンとM16に挟まれた席で指揮官はカウンターに突っ伏していた。
「寝てる?」
「みたいだな」
「あれだけ水飲めって言ったんだけどなぁ」
どうも意固地になってアルコールを飲み続けたようで。
肩を叩いて起こしてやる。
「指揮官起きて、帰るよ」
「ううん……」
もぞもぞと身じろぎして、指揮官は緩慢な動きで顔を上げた。重たそうにまぶたを開けて、それから柔らかく破顔した。
「べくたぁ」
「そうだよ。帰ろう」
「うん」
「歩ける?」
「うん」
そうは言うものの立ち上がった足元はふらふらで、仕方なく肩を貸すことにした。
「せっかくVectorが来たら甘いこと言うんだって張り切ってたけど無理だったか」
「ちょっとからかいすぎたな」
「なんとなく想像ついてたけどそういうことか」
「うんまあ。ごめんごめん」
「今日の会計は持つから許してくれ」
もたれかかってくる指揮官の体温は高くて、自棄になって飲み続けたんだろうと思われる。
この人は想像以上に照れ屋だから、アルコールに頼りでもしないと思い切ったことはできない。
けど誰も知らないことが一つだけある。
「別に変わったこと言われなくてもさ、名前呼ばれるだけで結構数値上がるんだよ」
わかりづらいだろうけどね、と続けると、M16とトンプソンはポカンと口を開けてあたしを見つめていた。
あたしは、それじゃあ、と軽く告げて指揮官を連れて店を出た。
明るい月夜だった。少し砂埃の匂いがするだけで風もない。
「楽しかった?」
「うん」
「よかったね」
「うん」
指揮官の返答が一辺倒になってきたから、もうこの状態では何も覚えてないだろう。
朝目覚めて、どうやって帰ってきたんだ、と首を傾げる姿を想像して口元が緩んだ。
「今度あたしともどこか出かけようよ」
「うん」
多分今のも覚えてないと思うから、明日もう一度言ってあげよう。