あたしは大変に後ろ向きなので、生きている存在が苦手だ。
いつか死ぬその存在にどうしてやればいいのかわからない。
あたしにできる唯一のことは、その時を早めてやることだけ。
目を覚ます。正確にはスリープモードを切る。
シャッターを開きカメラを起動させると、隣で寝息を立てる人間が一人。
指揮官が目覚めるきっちり一時間前だ。
今日は眉間に皺が寄ってないし、呼吸も穏やかだから夢見は悪くなさそう。
唸っているときは少し早めだけど起こしてやっている。
顔色も正常だから今日も健康だろう。いつも通り目覚めるはずだ。
データベースと比較して健康状態を把握、それから諸々の更新をしておく。
そうだ、温度の確認もしよう、と掛け布団の指揮官領土へと手を伸ばす。
あたしの領土はそうでもないのに、指揮官の領土は温かい。生き物の体温を感じる。
うん、いつも通りの温度で、湿度もそれほど高くない。これで湿度が高かったりしたら寝起きに水を飲ませるつもりだった。
少し掛け布団がずり落ちているから肩にかけ直してやった。夕べは特に何もせず寝たから服は着ているのだけど、起きるときに冷えていると寝起きが悪いようだ。
起床時のパラメータを決められないなんて人間は不便だ。
こうしてパラメータを整えるためにあれこれ手を加えてやるのは結構楽しいから別にいいのだけれども。
まだ指揮官が起きるまでは大分時間があるので、やることを済ませたら後は黙って顔を眺める。
先ほど温度を確認したのが面白かったのでもう一度領土侵犯してみる。温度センサの数値が変わっていく。
今し方布団をかけた肩あたりは少し低い。試しに触れてみると少しセンサの数値が下がった。
そのまま手を滑らすようにして首に触れてみる。ここは数値が高い。なんでも首には太い血管が通ってるらしく、そのため温度が高くなるんだとか。
人形も首には大切なケーブルが集中している。そのあたりは人間の構造を真似しているんだろう。
それにしても、指の下から伝わってくる振動には感情指数が乱される。
これは血液の流れで、ここは指揮官の急所で、あたしが何か変なバグを起こして乱暴に扱えば生命活動が停止する。
指揮官はそんなことをあたしが想定してるとも知らずに穏やかに眠っている。それは間違いなく手放しの信頼。あたしならそんなことはしないだろう、というのではなく、あたしにならそんなことをされてもいいのだ、という類の。
身に余る信頼だと思った。いつか指揮官にそう言われたときに耳を疑った。だから何かの聞き間違いだと願って聞き直したのに、
『Vectorになら何されてもいいよ』
と指揮官は笑った。本気なんだこの人は。
あたしがなかなか本質を見せずにいる間に指揮官はどんどん踏み込んできて、いつでも飛び込んでこいと言わんばかりにあれもこれもを注ぐ。
指揮官がそんないつになるか分からないあたしからの本質を待っていられるのも信頼のなせる業で、それをありがたくも恐ろしく思う。
その効率の悪さは生きている人間だけが許されることだ。人形ならもっと効率よくパートナーを変えたり見限ったりするのに、この人は生き物だから私に拘る。
『失望した?』と聞いても『全然』と答えられる。
『懲りないね』と言っても『そいつはどうも』と笑う。
どうしようもなく指揮官は生きていて、だからこそその時を感じてしまって怖くなる。
突然頬に温かい物が触れて反射的に身体が跳ねた。
目をやると指揮官が薄目を開けてあたしの頬に手を伸ばしていた。
「まだ時間あるよ」
「んん」
指揮官は何度か瞬きしてから、うぅん、と伸びをしてすっかり目を開いた。
「怖い夢でもみた?」
「人形は夢なんてみないよ」
「変な顔してたよ」
よくないことを考えて感情指数がマイナスに振れたんだろう。
「指揮官はいつか死ぬの?」
考えていたことを口に出すと指揮官の眉間に深い皺が寄った。
しまった、またやった。つい考えたことの終点を口に出すから、話が飛んで伝わってしまう。
「寝起きに随分難しいことを聞いてくるね」
「ごめん」
「とりあえず、そういったことを考えてたのはわかった」
「うん」
指揮官の手はそのままあたしの頬を撫で続ける。多分感情指数が乱れてるのを察してて、なんとかしようとしてくれている。
触れられていると乱れが収まっていく。
「生きている限り死は避けられないよ。いつか必ず死ぬ」
「そっか。人形も死ぬのかな」
「どうなんだろう? 初期化したら今のVectorはいなくなるよね」
「うん。でもあたしの残したバックアップは少なからず次のVectorに引き継がれるから、終わることはない」
オーナーのプライバシーに関わらない武器の使い方や戦闘での立ち回りは、たとえ本体が破損しても引き継がれる。
そういった意味ではあたしはずっと続いていく。
「でもそれは、Vectorであって君ではないわけだ。君という個が失われた時点でそれは死だよ」
「あたしという個?」
「そう。製品としての戦術人形Vectorではなくて君自身」
その言葉に対して再び感情指数は乱れた。
製品でないあたしとは一体何なんだろう? 人間はそんな個を常に持っているんだろうか?
「個って、なに?」
「難しいなぁ。例えば同じ人間でも私とカリーナは別の存在だよね。それと同じように君と他のVectorも別の存在」
「そうなの?」
「その、なんだ、別のVectorが私を好きになるとは限らないよね」
こんなことをこの人は視線をそらしながら言う。照れている時の癖だって記録してある。
「うん、そうとは限らない」
「この状態は君自身しか持っていないのだから、君固有のものだ。つまり君という個の持つものだよ」
「そっか……」
納得して噛み締める。
いつの間にかあたしは個としての意識を持っていて、これを手放してしまったときが死。あたしにも死がある。
「あたしも死ぬんだね。安心した」
「安心しないで、こまめにバックアップ取って」
「気をつける」
「私も長生きするから。落ち着いた?」
「うん。ありがとう。指揮官のそういうとこ好きだよ」
珍しく素直に口に出してみた。
指揮官は少し目を見開いてからもぞもぞと口元を布団に埋めた。
照れるとこういう反応もするのか。記録しよう。
「そういうって」
「優しいよね」
「そうかな?」
「誰に対しても分け隔てなく」
「誉められたことかなそれは」
「他の人形と同じようにあたしにも優しくしてくれるのは、悪くないよ」
指揮官はすっかり顔を布団に埋めてしまった。今している顔を記録されたくないんだろう。そして布団の中からもごもごしゃべる。
「結構特別扱いしてるよ」
「誓約したから?」
「もっと前。多分最初から」
「……そういえば指揮官、最初に待ってたって言ったね。あれはどうして?」
聞いてみると指揮官の頭が布団から飛び出してきた。布団の熱と、あと多分会話の内容のせいで顔が真っ赤になっている。
「覚えてたの!?」
「記録してたよ。大抵の人形が最初の一言は記録するけど」
「忘れててほしかった……」
「待ってたって、なに?」
指揮官はうんうん唸りながらあたしを見たりあさっての方向を見たり。
悩んでいるけれど、なんだかんだで隠さないことはわかっている。わかっていて聞くのだからあたしも大概狡いのだ。少し人間くさくなったと思う。
指揮官がもそもそ手を伸ばして、今度はあたしの左手を握る。そのまま薬指に触れて、何かを確かめるように指輪をなぞった。決心がついたみたいだ。
「笑わないでね」
「わかった」
「発注して、来るってわかったときに、どんな人形だってデータをもらって、その、見た目が好みだった、から」
今の情報から該当する語句を検索する。複数ヒットした単語からより一致しているものを選んだ。
「一目惚れってやつ?」
「これ以上は言わない」
指揮官はぐるりと背中を向けるように寝返りを打った。顔は見えないけれど辛うじて見える耳の先が赤い。そこに血液がよく通っているんだ。
かわいそうに、この人はきっと今どこかに穴があいたら全身の血液が抜けて死んでしまうんだろう。耳の先まで赤くなってるときは大抵それくらい温かくなっていて、指揮官も穏やかでいられない。
そうなってるのを何度も見てきて、何度も大切に記録してきた。あたしという個が持つ大切なもの。
時計を見ると活動開始時間まであと三十分はある。うんよし。
「あの、Vectorさん、なにを」
「あと三十分あるから」
「なんで馬乗りになる必要が」
「気分が乗ったから」
「…………どこでスイッチ踏んだ?」
「あたしを個として認識してるあたり」
「大分前じゃん。仕事に支障が出るから勘弁して」
「大丈夫」
「何の根拠があって、あっこら」
「指揮官寝てるだけでいいから」
もう少しだけ指揮官のデータ収集にいそしんでも、きっといいはず。