「光よ、痛みを消し去れ。ルイト・アン・ルート。」
今は午後の診察の時間。足をひねったネコに、ミアが治癒魔法をかけていたところです。
『先生、ありがとう!』
「いいえ。これでだいぶ歩けるようにはなったと思うけど、まだ高いところからは飛び降りないでね。」
『分かった。』
「明日また来てね。怪我の具合を見たいから。」
足に包帯を巻いたネコは、伸びをしてのどを鳴らします。
『明日、お礼にリンゴ持ってくるよ。』
「ほんとに!やったぁ!」
まだ少し足を引きずっていますが、自力で歩いて診療所を去っていきました。
「流石ミアだね。さっきは立つことすらできなかったのに、あそこまで治しちゃうなんて。」
マイはミアの隣に来て言いました。
「ああいう風に、気持ちよく帰ってもらうのが嬉しいんだ。」
ミアは微笑みます。
「ところで、マイは星見の塔卒業して、この後どうするの。何か資格でも取る?」
「うーん、一応、英検4級は持ってるけど。」
「いや、
「そうだなぁ……。」
マイはうつむきました。
「ソリス……。」
「ん?何、ミア。」
「ソリスみたいな先生、いないかなぁ。あんなにガサツなのは嫌だけど。」
窓を開けたミアは、医術の師匠・ソリスがいる、カール・ナライの方角を見て目を細めます。
「私、そろそろ獣医に専念してもいいのかなぁって。」
マイもミアの隣に来て、窓の桟に頬杖をつきました。
「ふぅん。確かに患者さんはほとんど人以外だよね。」
「まぁ、魔法医は私だけだし、別に、獣医に専念しなくてもいいのかな。」
マイは頬杖をついたままつぶやきます。
「医者……か。」
「マイが医者になりたい!?」
レンとミアは目を見開きました。
「まぁ、星見の塔の落ちこぼれでもなれたんだし――ったぁっ!」
ミアに足を踏まれたレンは、テーブルに足をぶつけました。
「だって、本当だろ。アンリ先生に教えてもらったことの内、どれくらい覚えてるんだか。100年前のアムリオンを治めていた人は?」
「お、覚えてるよ!えっと…………分からない。」
「ほら、やっぱり。」
「と、とにかく、こっちはレンを薬剤師として雇ってやってるんだから、そういう言葉は慎みなさいよね。」
「ホントのこと言ってるだけなんだよなぁ。」
と、そこに。
「静かにしないと、どうなるか分かってるよね?ラシール・ゴー……。」
マイの手の平に、青白い炎が灯ります。
「ひいっ!」
レンとミアは姿勢を正して、お互い目を背けました。マイが1つ火球を放てば、診療所は丸焦げになるでしょう。
ミアは咳払いをしました。
「次の試験は……3ヶ月後かぁ。3ヶ月じゃ結構厳しいなぁ。」
「それでもやってみるよ。ミアに教えてもらえるし。」
マイはミアに向き直ると、頭を下げて、「ミア先生、よろしくお願いします。」と言いました。
「よ、よろしく。」
マイから『先生』と呼ばれて、動揺を隠せないミアでした。
次の日から、マイはミアから本を借りたり、本屋で買ったりして勉強を始めました。ミアの助手として、医師免許がなくてもできる仕事は率先してこなしました。
「マイ、まだ起きてんのか。」
レンがドアから覗いています。
「キリのいいところで終わらせるから。」
マイは振り返らずに答えます。
「明日もあるんだから、早く寝ろよ。」
「はいはい、分かってる。」
「マイ、最近疲れが溜まってるんじゃない?大丈夫?」
「うん、平気、平気。大丈夫だよ。」
マイが勉強を始めて1ヶ月が経ちました。マイは朝食の準備をしているはずなのですが、姿がありません。
「あれ、マイは?」
「さぁ?知らない。」
そこに、トイレから戻ったマイが来ました。2人はすぐに異変を感じました。マイのまぶたがとろんとしています。
「レン、ミア。これからご飯作るから……。」
そう言うと、膝をついて倒れてしまったのです。
「マイっ!」
レンはマイの肩を叩いて意識があるのを確認すると、ミアはマイの額に手を当てました。
「うわっ、ひどい熱!早くベッドに!」
「分かった!」
ミアはマイの自室のドアを開け、マイを抱っこしたレンを通します。
レンがマイを横たえると、マイはうっすらと目を開けました。
「レン……ミア……ごめんね。」
「もう、無理するから。」
ミアはタオルをマイの額に乗せました。
「マイが好きなカモミールを採ってくるから。ちゃんと休めよ。」
「うん。レン、ありがとう。」
マイは微笑みましたが、苦笑いのような顔になっているんだろうな、と思っていました。
マイはこの後風邪のような症状が出たため、このまま隔離となりました。レンとミアは、自分が保菌している可能性を考え、マスクをして診察を続けました。
風邪なら、長くても2日から3日すれば熱が下がりますが、マイは5日経っても下がりません。
「マイ、全然熱下がらないなぁ。花粉症とかのアレルギーは、確かなかったよね?」
38度台から下がらない体温計を見て、ミアは質問します。
「うん、ないよ。あのさ、昨日くらいからあのカモミールの匂いがしなくなったんだけど。」
マイは布団から手を出して、テーブルの上の花瓶を指さしました。
「えっ、匂いするよ。じゃあこれは?」
ミアはさっきまで食べていたチョコレートを持ってきます。
「……しない。チョコの匂いしない。」
「うーん、嗅覚もやられてるなぁ。」
ミアはカルテに書き込むと、タオルを濡らしてマイの額に乗せます。
「ミア、これ普通の風邪じゃないね。」
「私もそう思う。だとしたら何だろう。」
マイも考えますが、頭痛がひどくなってきたので、また目を閉じました。
しかし次の日、マイの熱が平熱に下がったのです。
「36.5度。舌で測ることを考えても平熱だね。よかったぁ!」
確かに頭痛も収まり、だるさもありません。
「まだ完治じゃないけど。」
マイはミアから借りている本を取って、勉強を再開しました。
この部屋から出なければいいのです。数日ぶりの勉強です。
「熱が下がったからって、無理したらまたぶり返すからね。」
「もちろんだよ。完全には治ってないから分かってる。」
マイが医師になりたいと思ったのは、ミアと再会してからではなく、それよりもっと前からでした。
小学5年生くらいから見始めた、医療ドラマがきっかけです。同じ頃に『トリシア』シリーズの本にも出会って、マイはお医者さんというものに憧れるようになりました。そのドラマとトリシアの共通点は、『その人がどんな身分であれ、目の前の患者は絶対に見放さない』こと。自分の医療行為と釣り合う額を払えない患者でも、医師としての義務を果たす。こういう、当たり前のことを当たり前にできる人がかっこいいな、と思っているのです。
「ロスクランナ・コラール・アールド・ヴェ・ベントイン・アガス・フェリック!」
マイは自分に半透明になる魔法をかけました。熱が下がって魔力が戻り、魔法が使えるようになりました。
姿見に自身を映すと、マイはうなずきました。
「やっぱり。私、肺炎起こしてる。」
普通の風邪であれば、肺にこのようなもやはできません。
「呼吸数が増えてるのも、そういうことか。」
その夜、マイの熱は40度台まで上がってしまいました。
ミアは体温計を見てため息をつきました。
「マイ、肺の状態を見たいんだけど――」
「やっぱり肺炎だった。肺にもやがあった。」
マイは食い気味に伝えます。
「やっぱりかぁ。」
ミアは書き込んだカルテをテーブルに置きました。
「今のところ、症状を抑える薬しか出せないんだよね。原因が細菌なのかウイルスなのか、はっきりしない限りは。とりあえず、これ飲んで。」
レンが調合した薬をマイの口に流し込みます。
「明日から診療所は、マイがよくなるまで休みにしよう。」
理由は言わずとも、マイは分かっていました。
「ごめんね。でも、他の患者さんにうつしちゃいけないから。」
「うん。症状が出ないだけで、私もかかってるかもしれないからね。」
マイは薬を飲むために外したマスクをつけると、布団を被って目を閉じました。
数時間後、息苦しさに目を覚ましました。咳をしすぎて腹筋が痛みます。
息を吸うだけで、激しい痛みに襲われました。ガラスの破片を吸い込んだかのようです。肺を膨らまして呼吸するのがしんどいのです。
肺炎がひどくなると、陸でも溺れるってこういうことか、と身に染みました。
肺だけではありません。他の臓器も痛みます。
「これは……かなり……ヤバい……。」
マイは大量の汗をかいていて、唇は紫色をしていました。
全身が痛むので、体を起こすことすらできません。2人を呼ぼうにも、まともに声を出せないのです。
「お願い……早く来て……。」
遠のく意識で必死に訴えますが、別室にいる2人には届きません。
マイの手が宙を掴み、バタッと手が降ろされました。
10分後、マスクをしたレンがマイの自室に入ってきました。
「うん、寝てるな……ん?」
ベッドからだらりと垂れた腕、血色のない顔。
「マイ、大丈夫か?マイ!」
肩を叩きますが、マイの反応はありません。
レンは耳をマイの口に近づけます。
「……呼吸してない!」
3本指でマイの首に当て、脈を確認します。
「脈はある。」
レンは階段の近くまで走り、「ミア、ミア!マイが!」と言ってミアを呼びました。
「分かった、今行く!」
ミアの返事を聞いたレンは、すぐにマイの元に戻り、白衣のポケットから人工呼吸用のマウスピースを取り出して、マイに被せます。こうすることで、患者からの感染の危険をほぼ回避できます。
マイのあごを上げ、人工呼吸を開始しました。
そこにミアも駆けつけました。その様子を見て、酸素マスクと酸素濃度計を用意します。
「レン、ありがとう。マスクに変えるから。レンは心電図計と点滴お願い。」
「了解。」
レンと素早く交代したミアは、酸素マスクをマイにつけ、出力する圧力を調節しながら、今までのマイの症状を整理していました。
「マイが発症したのは、4月17日。発熱した直後に咳・痰・咽頭痛。熱は38度台が5日続いた。嗅覚・味覚障害あり。今日の朝に1度、熱が36.5度まで下がったけど、さっきは40度まで上がった。そして意識を失い、呼吸が停止した。肺炎を起こしている。」
ミアが考えている間に、酸素濃度計の測定結果が出ました。
「58パーセント。レンの人工呼吸で少しはマシだと思うけど。」
レンが心電図計と点滴を持ってきました。
「点滴に抗菌薬入れるから持ってきて。」
「そうだと思って持ってきた。」
レンは注射器をミアに渡し、点滴に注入します。
「まだ心臓が止まっていないことに救われたよ。」
マイの腕に点滴の針を刺しました。酸素濃度はまだ60パーセント台ですが、心電図の波形は規則正しいものでした。
「抗菌薬入れた時点で分かったと思うけど、敗血症を起こしてる。全身に浄化の魔法をかけるからレンもお願い。」
「分かった。」
敗血症とは、血管やリンパ管に病原体が入って全身を巡り、重い臓器障害が出て重篤な状態のこと。マイの場合、肺炎を起こした病原体が、血管の中に入ってしまったのでしょう。
「「ティフール・エッシュ!」」
2人は浄化の呪文を唱えると、マイは白い光に包まれました。
「敗血症からARDSも起こしてる。」
「急性呼吸促迫症候群(きゅうせいこきゅうそくはくしょうこうぐん)だね。」
「そう。肺胞が膨れ上がってる。レン、もう1回肺に浄化の魔法を。」
目配せをした2人は、息ぴったりに魔旋律を唱えました。
「どうしてもっと早く治療しなかったんだよ。」
酸素濃度計とにらめっこするレンが言います。
「肺炎は、マイくらいの年齢なら自然治癒が1番なの。それに、さっき病原体がウイルスじゃなくて細菌だったのが分かったから。ウイルスなら浄化の魔旋律は効かないからね。」
浄化の魔法は、特定の細菌の細胞壁を壊す効果がありますが、ウイルスには細胞壁がないので効かないのです。
「そうだね。こんな短期間で急激に悪化するなんて、まだ理由があるんじゃないのか。」
「『サイトカインストーム』だと思う。免疫システムが暴走すること。たぶん、肺で急激に増えた細菌に免疫が対応しようとしたら、制御できなくて健康な細胞までも壊してる。」
ミアは片手をマイの胸にかざし、「ルイト・アン・ルート。」と、治癒魔法をかけました。
「ということは、免疫を抑える薬だね。持ってくる。」
レンがまた取りに行き、薬が入った注射器をミアに渡し、点滴に追加します。
「正常な働きに戻って。ファイ・ビータ・アッシュ。」
弱った体力を回復させる魔旋律です。免疫システムの正常化にも効くものです。
しばらくして、マイが目を覚ましました。
「マイ……!よかった。おかえり。」
涙ぐんでいるミアの顔を見て、自分にたくさんの機械が繋がれていることに気づきました。
「ただいま。」
酸素マスクで声が曇ります。
「レン、ミア、ありがとう。そしてごめんなさい。医者になろう者が迷惑をかけてしまって。」
「ホントだよ。寿命が縮む。」
レンは冗談を言いますが、ミアの返答は違いました。
「いいの。私もおんなじことしたから。」
マイの手を握るミアは、今まで見たことがないくらいの柔らかい笑顔でした。
「歴史を変える前の話。診療所をずっと休み取らずにやり続けた結果、倒れちゃって色んな人に迷惑や心配をかけた。マイもこれで分かっただろうし、ね?」
「うん、反省してる。」
マイはこの後、気を失っていた時のことを聞かされ、息ぴったりなミアとレンや、ミアの迅速かつ的確な診断に感動しました。
2ヶ月後、診療所で白衣を着る人が1人増えました。
「私はマイ先生に、うちの愛犬はミア先生にお世話になっているの。」
「レン先生もいいわよねぇ。あの3人、三つ子のきょうだいなんだってね。」
「それに、3人とも、音楽も嗜んでいるらしいわ。どこかの大会で優勝、とか。」
と、立ち話をしているおばさまたちの前を通りすぎた、三つ子でした。
一昨日投稿してからのスピード執筆です笑
他のサイトで投稿し始めてから、実に1年がかりで、トリップレッツの話全部の「起」の部分が終わりました。
今回の話は、ちょうどタイムリーな話題に近いと思います。マイが体調を崩すというのは頭にあったのですが、最初は消化器系にしていました。でも、この際だから呼吸器系にしちまえ!ということで、こうなりました。消化器系だと、私はエグい表現を使いがちだというのもあります笑
次の話は「⒎ 血涙」です。「激しい怒りや悲しみのために流す涙」の意味です。察する通り、バトル回です。小6で初めて書いた小説(トリップレッツの話と同内容)にも出てきた、思い入れのある話です。お楽しみに。