――不意に気がつくと、僕はどことも知れぬ場所で、椅子に座り込んでいた。
見たところこの場所は何らかの部屋のようで、目の前には簡素な事務机と椅子があり、その椅子には背中に白い翼を生やした女性……比喩でもなく、正しく天使のような女が座っていた。
どう考えてもおかしい状況であるにも拘わらず、僕が冷静でいられるのは、単に突然の事態に思考が追い付いていないからだ。
「死後の世界へようこそ、ライゼル・S・ブリタニアさん。残念ながらつい先ほど貴方の生は終わりを迎えました」
「……は?」
こちらをまっすぐに見つめる天使は、口を開いたかと思えばそんな突拍子もないことを言い出した。
……ちょっと待て。僕が、死んだ?
「待ってくれ。それはあり得ない」
「確かに、ご自身の死を受け止められないのは仕方のないことです。ですが、理解してもらわなければ話を進める事も出来ません」
「違う、そうじゃない」
別に、自分が絶対に死なないなどと思っているわけではない。
人はいずれ死ぬ。そんなことは分かっているし、
だが、それでも僕が死ぬのはありえない。
だって――
「僕は遺跡で――神根島の遺跡で眠りに就いていたはずだ。あの場所は世界と切り離されている。そこで眠っていた僕が目覚めてもいないのに死ぬ事などありえないだろう」
「崩壊しました」
「……は?」
簡潔に、それでいて淡々と、目前の天使は口を開いた。
「貴方が眠っていた遺跡ですが、あの場所は
「随分と間抜けな死に方を……」
と言うか僕が眠りに就いてから外で何があったと言うのか。
確かに戦乱の真っただ中ではあったが、遺跡のある場所は無人島だ。進攻の際の中継ポイントに適しているわけでもないだろうに。
とは言え……自分が死んだ、という事実に納得は出来た。いや、正直に言えばまだ腑に落ちないのだが、それはひとまず置いておく。
「それで? これから僕はどうなるんだ? ……大方、地獄かどこかに連れて行かれるんだろうが」
「いいえ。ライゼルさん。貴方には三つの選択肢があります」
「……とりあえず、ライゼルさんは止めてくれ。不快だ。呼ぶなら『ライ』と呼んでくれ」
「失礼しました」
と、小さく頭を下げる天使。
表情が変わらないので何を考えているのかはいまいち読み取れないが……悪意は感じない。
しかし選択肢、とは何だろうか。死人の行く先は天国か地獄の二択ではないのか。いや、そもそもそれは選択権を与えてもいいのだろうか。
「一つは人間として生まれ変わり、今の貴方と変わらぬ生をもう一度生きる道。もう一つは、天国へ行き、そこで永遠に暮らす道。そして最後に、貴方が生きた世界とは違う世界で、魔王を倒すためにそのままの姿で異世界へ行く道」
「……」
……なんとも、反応に困る選択肢だ。
未だに理解が追い付かないが、天使の言葉をあるがままに受け止めて、一応考えてみる。
まず一つ目。
これは、ない。記憶を失うにしろそうでないにしろ、もう一度人生をやり直すことは出来ない。
ただでさえ決して許されない事をした。記憶を失ったところで、歴史をやり直したところで、犯した罪の重さが消えるわけはない。それに、今の僕の記憶が消えてしまうのなら、それは――あの、奇跡のような光り輝く出会いを全てなかったことにする、という事だ。
それは……それだけは出来ない。こんな事を望める立場でも身分でもないが、それだけは、決して。
なら二つ目。
天国、とだけ聞くと不満は浮かびそうにないのだが……
「質問をいいだろうか」
「なんなりと」
「天国、と言ったが、それはどういうところなんだ?」
「一言で語るなら、何もありません。天国へ行けるのは既に死んだ者のみ。死んでいるので食事の必要も、食料もなく、何もないので何かを作ることもできません。肉体もないため性交もできません。その他テレビ、漫画、ゲームなどと言った娯楽もありません。することと言えば……先人たちと日向ぼっこをしながら世間話、ぐらいでしょうか」
ある意味それは地獄のような気もするが、仏教的に言う天国に近い。キリスト教であるなら一人につき一人、妻となる天使が迎えられる、とは言うが。
宗教にはあまりいい思い出はないのでそれほど詳しくはないのだが。
無意味なほどに無駄な知識を刷り込んだバトレーも、その辺りの知識は刷り込まなかったらしい。
では最後、三つ目、なのだが……
これは意味が分からない。
異世界、というのはまだいい。そもそも元の世界の時点で似たような物なら既に体感済みだ。
「三つ目の異世界について詳しく聞いてもいいだろうか?」
「はい」
そうして得られた情報を要約すると、その異世界には魔王がいて、その魔王率いる魔王軍の進行によって多くの人々が死に、現在異世界では右肩下がりに人口が激減中、らしい。その異世界で死んだ者たちは魔王軍によって殺された事でトラウマになっており、死者のほとんどがその世界での生まれ変わりを拒否しているらしく、このままでは子供が生まれない世界になってしまう危機に陥っているらしい。
そこで、その異世界以外の異世界――つまり、僕が生まれた元の世界や、それに類似する世界から若くして死に、未練が残る者たちを異世界に送り込んで世界の崩壊を防ぐことになったらしい。
ざっくりと、分かりやすくまとめると、次元を跨いだ移民計画、とでも言うべきか。
だが――
「それはいいが、そうやって送り込まれた人たちはその……使い物になるのか?」
「仰りたい事は理解できます。勿論、肉体と記憶をそのままに送るだけ、ではありません」
自分で言うのもなんだが、僕はそれなりに特殊な経歴を持っている。異世界、とやらがどれほど危険なのかは分からないが、そう簡単には殺されない自信は、ある。だが、僕のような人間はほんの一握り……その大半が争いとは無縁の平和な暮らしを送っていた少年少女であるなら……
「異世界へ向っていただく際、彼らには一人につき一つ、好きなものを持って行ける権利があります。強力な特殊能力であったり、なんらかの才能であったり、神器級の武具であったりと様々です。それらによって即戦力として異世界へ行ってもらいます」
「それはそれで問題があるような……」
「当然メリットばかりでもありません。異世界へ送られた際に神々の力で脳に負荷をかけ、異世界の言語を習得することができます。が、その負荷に耐え切れず、頭がパーになる可能性もあります。更に――」
とつとつと、天使は本当に異世界へ向かわせる気があるのか疑いを向けてしまうほど、言語習得のデメリットに留まらず、これまで送られた人たち……大半が日本人との事だが、彼らの末路や生存率、異世界の世知辛さなどを洗いざらいに語り聞かされた。
誠実、と言えばそうなのだろうが、これでは話を聞いた人は例え望む力を手に入れたとしても異世界へ行こうとするのかどうか。
「――以上となりますが、考えは決まりましたか?」
「……少し、考えさせてくれ」
自分の命に未練はない。――いや、はっきりと言えば、死んでよかったとすら思っている。
それでも迷ってしまうのは、天使の言葉を聞いたからだろう。
『魔王を倒した暁には、その偉業に見合った贈り物を授けましょう。たとえどんな願いでも、一つだけ叶えると言う、贈り物を』
僕は……どうするべきなのだろうか。
幸いにして、制限時間などはないらしい。
好きなだけ考えてくれと言わんばかりに天使は黙したまま僕の決断を待っている。
……目を、閉じる。
『――ライ』
『――兄様』
記憶の底で、響く声に目を開く。
ああ、そうだ。
「異世界にいる魔王を倒せば、本当にどんな願いでも叶えてくれるのか?」
「神に誓って」
「それがたとえ――死者を蘇らせるという願いでも?」
「かの世界に既に蘇生魔法は存在しますが……ええ、勿論。魔王の再来となる願いでなければ、可能です」
「そう、か」
そうか。それなら、僕の願いは決まっている。
どうすべきかも、分かった。
きっと、そのために僕は死んだのだろう。
「分かった。僕は、その異世界とやらに行くよ」
「ありがとうございます、ライさん。それでは、異世界に持って行くものを選んでください」
参考としてどうぞ、と手渡されたのは机の引き出しから取り出したファイル。
ファイルをめくり、中の書類に隅々まで目を通す。
《怪力》、《超魔力》、《再生》《魔剣ムラマサ》、《聖剣アロンダイト》……などなど、よく分からないものから神話に名高き伝説の宝具などの名前が整然と記されていた。
名称からして凄まじい能力、性能なのは分かる。だが、どうにもしっくりとこない。
一部が強力なだけで勝利できるほど、戦いは甘くはない。
強力な能力に浮かれて死ぬ、なんて無様をさらすつもりは、ない。
「……ん?」
ふと、数々の名前が並ぶ中の一つに目が留まる。
「この、《クラスカード》って言うのは、何なんだ?」
「クラスカード、ですか? それは英霊……神話や伝承などで語られる英雄などの一側面を切り取った者、『サーヴァント』の力を自由に使用するための媒体、とでも言いましょうか」
「ふ、む……?」
分かるような、分からないような。
反応から考えて、この天使自身もこれらを全て完璧に把握しているというわけではないのか。
「元々は『Fate』という創作に登場する物だったと思いますが……申し訳ありません。少々お時間をいただければ詳しい内容をお調べしますが」
「……いや、いい。使い方と注意点が分かれば十分だ」
一通り見てみても、目ぼしいものは見つかりそうにない。なら、唯一注意を惹かれた物にするべきか。
恩人曰く、僕は難しく考えすぎてしまうらしい。たまには直感任せに決めてみるのもいいだろう。
役に立たないものを進めて来たりはしないだろうし、好みに任せているだけで性能に大差はないはずだ。
「了解しました。それではライさん。貴方をこれから異世界へと送ります」
瞬間、僕の足下から青い光が放たれる。
驚いて下を向くと、青く光る魔法陣が展開されていた。
この魔法陣で異世界に送るらしい。
「……そう言えば、礼を言ってなかったな」
「それが仕事ですので」
「それでも――ありがとう」
「ええ――数多の勇者候補の中から貴方が魔王を打ち倒す事を祈っています。……さあ、旅立ちの時です!」
一際強く輝く魔法陣の光が、僕の体を、意識を包んで行く――
クラスカードを特典に選ぶってあんまり見ないよね。