ちょっとやりすぎたような気もする。
さあっ、と風が吹き抜け草木を揺らす。
周囲を見回してもアスファルトの地面もコンクリートの建築物もない。頭上に張り巡らされた電線も見当たらない。
見知らぬ景色のはずなのに、どこか懐かしさを感じる場所に、僕はいた。
「ここが、異世界……」
――思っていたよりも、平穏だ。
魔王によって人口が減り続けていると聞かされた身としては、もっと荒廃した世界を想像していたのだが。あるいは、この場所がまだそうなっていないだけなのか。
異世界に到着した瞬間に何者かに襲われるよりはマシか。
周囲に人の気配も姿も見当たらない。ひとまずは安全な場所、と思っていいだろう。
あの天使の女性が気を利かせたのかもしれない。
周囲の状況はとりあえず後回しに、手早く自身の状態を確認する。
「……ない、な」
着ている服はすっかり馴染んだアッシュフォード学園の学生服だ。これは眠りに就く前と変わらない。が、制服の内側に隠しておいたハンドガンや軍用ナイフなど、所持していた物が何一つ残っていない。代わりに、長方形のカードケース、のような物とこれは……長財布、だろうか。
カードケースの方にはタロットカードのようなカードが計十一枚。おそらくこれが僕が選んだ特典のクラスカード、なのだろう。そう言えばこれはどうやって使う物なのだろ――ッ!?
「ぐっ、おっ……ッ!?」
ずきり、と頭を鈍器で殴りつけられたような鈍い痛みが襲う。同時に、僕が知らない情報が好き勝手に頭の中に流れ込んでくる。
実際に殴られたわけでもなければ片頭痛持ちのわけでもない。となるとまさかこれが知識の刷り込みなのか。
幸いにしてそれらの現象は数秒で治まったが、あの天使、丁寧な物腰の割に仕事が雑ではないだろうか。
「とりあえず……使い方は、分かった。はあ……」
未だに残っているような痛みに息を吐く。
知りたい事は知れた。言語習得の副作用も、今のところ感じられない。切り替えよう。
次は財布だが、中を覗くと紙幣が五枚ほど入っていた。
異世界での貨幣価値など分かるはずもないが、これが僕の全財産だ。掏られないように気を付けよう。
所持品は以上だ。あとやるべき事と言えば、手にした力の実践と、住居、職の確保か。
後者は街へ行けばどうにかなるとして、今はクラスカードを実際に使ってみるべきか。
ケースに入っていた十一枚のカードを取り出し、手の平の中で広げる。
カードにはそれぞれ異なる絵柄が描かれており、これが対応する能力を教えているのだろう。
与えられた知識によれば、カードに対応する英霊はランダム。更に、これから対応する英霊を変更することは不可能。つまり、何を引いたとしても文句は受け付けられない、ということか。
カードを一度全てケースに戻し、そのケースをベルトに通して固定する。
どうやらこのケースも特別製らしく、自身が望むカードが自動的に一番上に来るようになっているらしい。試しに一枚引き抜くと、カードに描かれていたのは弓を構えた兵士の姿が。
「やってみるか……
瞬間、絶大な力が奔流となって体の中に流れ込む。
膨大な力は全身へと巡り、形を変えて顕現する。
これが、英霊。これが、神話に名を刻んだ者の力。
身に纏う装束すら変化して、自らを英霊へと昇華する――
「これは……凄まじいな」
手には深紅の弓。アッシュフォードの制服は軽鎧へと変わっていた。
夢幻召喚、アーチャー。これがその姿。
体の底から力が湧き出る……いや、力と言うプールに身を浸しているかのような感覚。
それと同時に、僕の中から何かが抜けていくような不思議な感覚を覚えた。
おそらく、これがこの世界で言うところの魔力、なのだろう。英霊、サーヴァントと一体化している間は常時魔力を消費するらしい。
「しかし弓はあっても矢がないとは……うん?」
脳裏に湧き出る知らない知識。
それは、この英霊の力とその使い方。刷り込まれた物ではなく、カードと繋がった英霊が教えてくれているのか……
知識に従い、力を使う。
――弓矢作成 A
魔力を消費し、空いた片手に一本の矢が生成される。
魔力、という未知の力を行使するのに迷う必要はない。カードと繋がる英霊が、自然とその使い方を示してくれる。
自分でも不思議に思えるほど、能力の行使に不安がない。
あとはこの弓を試し撃ちしたいところではあるが、周囲に敵影がない以上はそれもできない。
――千里眼 A
「う、わ……っ!」
急激に視界が広がる。今まで見えなかった彼方の景色すらはっきりと見渡す事が出来る。
その景色の中に、奇妙な二人組の姿を見た。
というのも、僕とそう変わらない年頃の男女が、目測三メートルほどの大きさのカエルに挑もうとしていたからだ。あのカエルの巨体から推察するに、あれがこの異世界にいると言うモンスター、なのだろう。危険性があるのかどうかは微妙だが、知識がないので何とも言えない。
あのカエルがモンスターだとすれば、あの二人はそれを討伐しに来たのだろうが……見るからに素人だ。
男の方は防具の一つも身に着けておらず、ジャージ姿で得物はショートソードが一本。しかもへっぴり腰でカエルに正面から挑もうとしてあっけなく逆襲されて必死に逃げ惑っている。視力がよくなっても流石に聴覚までは強化されなかったか、声は聞こえないが、何を言っているかは分かる。どうも、もう一人の女の方に助けを求めているらしい。
その女の方だが……これもまた妙だ。青い長髪の中々類を見ない美少女、なのだがこちらは何も手にしていない。天女が纏うような羽衣を身に着けているが、あれにどれほどの効果があるのだろう。僕には分からないが、逃げ惑う男の方とは違って彼女の顔には余裕が見える。と、言うか、必死にカエルから逃げる男を見て爆笑していた。仲間ではないのだろうか……あ、食われた。
先刻まで男の方を追っていたカエルが不意に標的を変え、助力を乞われて調子に乗っていた女の方へと向かい、丸呑みにするというコントのような一連の流れはもしやネタなのだろうか。
「助けなくてもいいような気もするけど……」
矢を番える。
弓に心得はあるが、数キロ離れた場所から正確に射抜けるほどの技術は僕にはない。だけど、胸の奥に――いや、一体化したこの英霊には確信があった。
自信とは違う。まるでその程度の事は難しくもないと言うような感覚。
誰に言われずとも、
呼吸を止め、矢を引き、そして離す。
淀みのない一連の動作には、思考を挟む隙間もない。
気付けば、矢を放っていた。
放たれた矢は空を切り、風を裂いて飛翔し――女を呑み込んだカエルの頭をいとも容易く粉砕した。
慣れない剣を携え女を助け出そうとしていた男は突然頭を粉砕されたカエルにポカン、と間の抜けた表情をさらし、きょろきょろと周囲を見回していた。カエルの口から投げ出された女には注意を向けていない辺り、彼もいい根性している。
自分でやった――いや、違う。
これは、僕の力ではない。
僕ではなく、僕に力を貸している英霊が凄まじいのだ。
決して、驕ってはいけない。
「……自惚れるなよ、ライ」
声に出して、戒める。
手にした力に驕り、強大な力に溺れた結果が――あの忌まわしき惨劇を生み出した。
それを、忘れてはいけない。
「……あ、また食われた」
気付けば先程カエルに食われた女がまたしても捕食されていた。学習しないのだろうか。
見捨ててしまうわけにもいかない。
再度矢を生成し、即座に二射目を放った。
一射目よりも早く、無駄なく、放たれた矢は寸分の狂いもなくカエルの頭にコインサイズの穴を空けた。
先刻は盛大にカエルの頭を粉砕したせいで、女が投げ出されてしまった。見たところ怪我はないだろうが、威力の調整を怠ったのは確かだ。それらを踏まえた二射目はものの見事に貫通した。
……段々と、この力の事が分かってきた気がする。
遠方の二人から視線を外し、遠くの街を見つける。
あの街がここから一番近い街、か。クラスカードの使い方は大体把握した。残りのカードについては追々確かめていけばいいだろう。
遠くへ見える街を目指して、僕は勢いよく地面を蹴った。
§
――結論から言って、僕は英霊を未だ過小評価していたらしい。
歩いても走っても最低一時間はかかるだろうと予想していた道を、わずか数分で走破した僕は、英霊への認識を改めるしかなかった。
あるいは、この英霊が特別凄まじいだけなのか。
いずれにせよ、このクラスカードが後の戦いで十二分に役立つ事は身に染みて理解出来た。
街も近付いて来たので、怪しまれないように変身を解除する。
先程の男がジャージを着ていたのなら、現在僕が着ている制服も不自然ではないだろう。下手に武装している姿を見られて敵対などされてしまえば最悪だ。
体内から排出されたクラスカードに一言謝辞を述べ、ケースへと戻す。ここから先は徒歩で行こう。
ほどなくして街へ到着した僕は――何故か目立っていた。
いや、何故か、ではないか。
街へは簡単に入る事が出来たのだが、明らかに僕の服装は浮いていた。
石造りの街中に、音を立てて走る馬車。並ぶ家々はレンガ製。文化レベルが中世程度だったこの世界では、当然学生服など見当たらない。
よくよく考えてみれば、先程の男はこの世界の住人ではなく僕より前にこの異世界へとやってきた人間だったのだろう。あまりにも目立った点がなかったのでその可能性を失念していた。
これでは先刻までの変身した状態の方がまだこの街の風景に馴染めただろう。
さて、どうしようか。注目を集めてはいるが、あからさまな敵対感情は感じられない。興味と……好奇、だろうか。青い髪の女がいた時点で僕の髪色程度に不思議がるとは思えないので、やはり学生服が目立つのだろう。収入源も確保出来ていない状態で、出費を抑えるに越したことはないが……諦めが肝心か。
害があるわけでもないのなら、放置していて構わないだろう。見ず知らずの赤の他人にどう思われようと興味はない。
とは言っても、情報も何もない事にはどうする事も出来ない。
「すみません、お聞きしたい事があるのですが、よろしいでしょうか?」
なるべく柔らかく、優しい表情を心がけて、先刻から呆けたように僕を見ていた女性に話しかけた。
「ひゃいっ!? な、ななななにゃんでせうか!?」
「実は旅をしていてこの街へはつい先程着いたのですが……恥ずかしながら路銀が心許なく、旅費を集めるまでの収入源を探しているのです。どこか、仕事を斡旋してくれる場所を教えていただけないでしょうか?」
「しゅごとでしゅきゃっ!?」
……方言か? 聞き取れないほどではないので気にはしないでおこう。
それよりも言葉が通じてよかった。言語習得のデメリットがないのではなく、そもそも習得していない、とかだったら出先から躓くところだった。
「し、しゅごとにゃらギルドに行けばあると思いもす!」
「ギルド、ね……ありがとうございます。よろしければ、ギルドまでの道を教えていただけませんか?」
「私が案内します」
「あ、はい」
急に標準語になった女性に手を引かれ、『ギルド』とやらに向かう道すがら、この街について色々と尋ねてみた。
この街の名前はアクセル。通称駆け出し冒険者の街、と言われ、街周辺の危険なモンスターはとうの昔に軒並み討伐され、子供も普通に森へ遊びに行けるほど安全かつ平穏な街らしい。この街では魔王軍による侵攻など遠い異国の出来事にしか思えないのだろう。
平和ボケ、とも言えるが逆に言えばアクセルはそれほど治安がいいとも言える。
「きょっ! ここが、冒険者ギルドになります」
案内されたのはそれなりに大きな建物で、中からは食べ物の匂いやアルコールの匂いが香る。レストラン……雰囲気からして酒場が併設されているのだろう。
大した距離を移動したわけでもないのに何故か顔を真っ赤に染めた女性に向き直り、なるべく自然に見えるよう心がけて笑顔を浮かべた。
「親切にありがとうございます。今はまだ持ち合わせが心許ないですが……いつかこのお礼に食事でもご馳走させてください」
「食、事……ふ」
「……ふ?」
「ふもっふーーーーーーーーーッ!!」
「ッ!?」
謎の奇声を上げて、親切に案内してくれた女性はどこかへと去って行ってしまった……
ふもっふとは何だ。いや、違う。体調でも悪かったのだろうか。ずっと顔も赤かったし。
周囲の人たちが何事か、とこちらを振り向き何故か「ああ……」と納得したように頷いて顔を背けた。僕は何一つ納得できていないが。
それほど自分は奇特な風貌をしているのだろうか。
「まあ……いいか」
何はともあれ今は冒険者ギルドだ。手に職を着けない限りは先に進めない。
意識を切り替えて、僕はギルドの中へと足を踏み入れた。
「あ、いらっしゃいま……せ……」
店員らしき赤毛の女性からの挨拶が、僕の顔を見た瞬間に尻つぼみに消えて行く。……だから、先刻から一体何なんだ。僕の顔に一体何が付いていると言うんだ。
そしてどうしてだか僕が入店するまでは喧騒に包まれていたギルド内が物音一つ聞こえないほどシンと静まり返ってしまっていた。
……誰も彼も人の顔を見るなり呆けた顔をしてくれる。何かの嫌がらせだろうか。
いや、いい。これらは気にしない事にする。
とりあえず、最初に見かけた赤毛の女性にギルドで仕事を斡旋してもらうにはどうすればいいのか尋ねてみよう。
「すみません、一つ、お聞きしても?」
「ふぁいっ! にゃんでしょうかっ!?」
「ギルドで仕事を紹介してもらえると聞いて来たのですが、その手続きはどこで行えばいいのでしょうか?」
「あ、お、お仕事案内なら奥のカウンターへどうぞ! 今すぐ案内しますね!」
「いや、見えているので別に――」
「案内、しますねっ!」
「……はい。お願いします」
妙に迫力のある女性の態度に思わず頷いてしまったが、別に害があるわけでもない、か。これで不当にチップを要求されなければいいのだけれど。
周囲からやけに視線を集めている気もするが……やはり害意は感じられない。
どう言う対応を取るのが正解なのか……とりあえず、愛想を振りまいておくことにした。
恩人――ミレイさんに言われ、鏡の前で日々練習した成果を今こそここに。
頬の筋肉が引きつらないように気を付けて、渾身の笑顔を向けた。愛想よく、なので手を振る事も忘れずに。
――瞬間、音が爆発した。
『きゃああああああああああああああっ!!』
『うおおおおおおおおおおおおおおおっ!!』
「な、何だっ!?」
一体何が起きた!? 僕が何をしたと言うんだ!?
困惑する僕を置き去りに僕の周囲にギルド内にたむろしていた人たちが餌に群がる鯉のごとく殺到する。ちょっとした恐怖映像だ。
「ふぁあああああああっ! イケメン! イケメンだわっ!」
「きゃわいしゅぎるぅうううううっ! 尊しゅぎるよぉおおおおおおおおっ!」
「なんなんだよぉおおおおおおおっ! イケメンすぎるだろうがよぉおおおおおおおっ!」
「お、俺男だけど君ならイケると思うんだ!」
「――答えは得た。俺は、君に会うために生まれて来たんだ……」
「天使だ! むさい男女しかいないアクセルのギルドに天使が降臨したぞ!」
「おうお前表出ろや」
約一名が数名の女性冒険者(でいいのだろうか)に引きずられて外へと出て行った。
……現実逃避は止めよう。いや、現実を見据えたところでどう対応すればいいのか。正直これは想定外だ。
一人の人間に大勢の人が殺到する姿は以前にTVで見た人気アイドルのようだ。ここに立っているのがアイドルだったのなら、僕も他人事でいられるのだが。
まさか異世界に来てファンが殺到するアイドルの気持ちが分かるとは思わなかった。……出来れば知らないままでいたかったかな、とも思う。
「え、え~と、その、まずは僕の用事を済ませてからでもいいでしょうか?」
『はいっ! すみませんっ!』
「お、おお……」
ザッ、と一斉に離れた。
そこらの軍隊より統制が執れている気がする。
「はい! 終わったら髪撫でていいですか!?」
「え、あ、うん。それくらいなら」
「はい! 終わったらほっぺた触ってもいいですか!?」
「え、あ、まあ……はい」
「はい! 終わったら耳舐めていいですか!?」
「いや、それはちょっと」
『ぶっ殺せ! 追放じゃあああああああっ!』
……仲いいなあ。
これも治安のいいアクセルの街ならではの風景なのだろう。きっと。
みんな優しく人がいいので他所から来たであろう僕が早くこの街に馴染めるように気を使って騒いでいるのだろう。多分。
うん。きっと。多分。そうなのだろう。
「……え、何この騒ぎ?」
――と、疲れた顔でギルドに入って来た少年が店内の騒ぎを唖然と見つめていた。
クラスカードの説明は大分簡略化しています。長々と説明するよりはざっくりと大雑把にした方が読みやすいかな、と。