翡翠のヒロインになった俺   作:とはるみな

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 どこまでも澄みきった快晴の下。

 

 茹だるような暑さに浮かんだ汗をタオルで拭きながら、俺は一年通ってすっかり馴染んだ教室のドアを開けた。

 

 

「おはよー……」

 

 

 我ながらか細く情けない声が出た。

 小さく目立たない挨拶。

 

 これだから陽キャになれないのだと、小さく苦笑しつつ、仕切りを潜ろうとして気づく。

 

 皆が、クラス全員が、俺の方をジッと見つめていることに。

 

 

 遅刻したわけでもない。

 特別物音を立てて教室に入ったわけでもない。

 

 

 後ろに誰かいるのかと振り返ってみるも誰もいない。

 

 なのにも関わらず、皆視線は変わらず俺へと注がれ続けている。

 

「……なんだよ…なぁ、圭介? 」

 

 居たたまれなくなり、親友に疑問をぶつけると、圭介は心底不思議そうな顔を作って、告げた。

 

「貴方は……誰ですか?」

 

「は? いやいや冗談はよせって。森島だよ。森島由宇。ほら、そこに席もあるじゃn......――」

 

 

 一瞬何を言われたのか分からなかった。

 が、どうせドッキリか何かだろう。そう考え、自分の座席を指差そうとした俺は固まった。

 

 何もなかった。自分の座席があった場所には何も物がなかったのだ。

 

 座席だけを取り除いた不自然に空いた空間に、俺は怒りを通り越して呆れを覚えた。

 

 空いたスペースに机を詰める訳でもなく、そのまま放置。これだけあからさまということは十中八九冗談のつもりなのだろう。そう判断したからだ。

 

 

「……おいおい、お前ら……質の悪いドッキリはほどほどにしとけよ。マジで虐めかと思ったじゃんか。で、どこに隠したんだよ……?」

 

 

 これでこのドッキリは終了。またいつも通りの日常が始まる。

 そう思っていた。だが、

 

 

「いや、だから君は一体誰なんだ?」

 

 同じ疑問を再度投げ掛ける圭介の表情は真剣そのもので……。

 

 

「……は? さ、流石に度がすぎるぞ……もうすぐ先生が来るから…………さ…………?」

 

 

 何故か圭介が懐から出した手鏡に俺は言葉を失った。

 

 足に付き添うなくらいの緑の長髪に、目映く光る金の瞳。

 水色のブラウスに、デニムのショートパンツ。

 そして服を僅かに押し上げる双丘。

 

 映っていた俺じゃない俺の姿に……固まっていると再度、圭介は告げる。

 

 

「なぁ、お前は一体誰なんだ?」

 

 

 まるで無機質な機械音のような声色で告げる圭介に俺は何一つ言葉を発することが出来なかった。

 

 

 俺は……俺は、一体…………

 

 誰なんだ?

 

 

 

 

 

 

 

 

「はっ!? 」

 

 

 目を開くと、そこに圭介の姿はなかった。

 ていうか教室ですらなかった。

 

 先程までの光景が綺麗さっぱり消え去って、代わりに見覚えのある木目がついた天井が視界一杯広がっていた。

 

 

「――夢か……」

 

 

 チュンチュンと小鳥の囀ずり音を耳にしながら、ベッドからゆっくりと起き上がる。

 

 

 嫌な夢を見ていた。

 とても嫌な夢を。

 

 ……いや、あれは本当に夢……だったのだろうか。

 親にも先生にも俺の存在が忘れ去られてしまった現状、クラスメイトや友人が俺のことを覚えている可能性の方が低い。

 

 

「……結構堪えるなぁ……」

 

 

 今まで気にしないようにしていたが…………実際にあんな風に正面から俺のことを知らないと言われると、例え夢とは言え、精神的に来るものがある。

 

「…………はぁ……」

 

 

 森島由宇として生きてきた俺のことを覚えているのは俺だけ……か。

 

 

 

 ……絶対に……絶対に俺だけは俺のことを忘れないようにしよう……だって――

 

 ――そうしなきゃ、俺の、森島由宇のこれまでの人生が完全に否定されてしまうから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――俺が翡翠のヒロインになってから5日目の朝が来た。


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