翡翠のヒロインになった俺   作:とはるみな

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 薄暗い夜道を、ただ黙々と進んでいた。

 

 どれくらい歩いたのかも分からない。そもそもこれからどこに向かえばいいのかも分からなかった。

 

 しかし、立ち止まってしまうともう進めない気がして、俺は頭に残った約束だけを原動力に、足を動かし続けた。

 

 見知らぬ道を歩きながら思う。

 

 ――何故俺だけがこんなに辛い思いをしなければならない

 ――何故俺だけ……

 

 息が苦しい。胸が痛い。

 どれだけ強い肉体を持っていても、脆弱な俺の精神は変わらない。重圧に耐え切れず、悲鳴を上げながら押し潰されている。

 いっそのこと精神ごと変われてしまっていたら良かったのに。

 

「……もう嫌だ」

 

 ポツリと、そんな弱音が口から出た。

 

「……嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。なんで、どうして、俺が何をした!? 何で俺なんだよ――」

 

 一度口にしてしまえば弱音はもう止まらなかった。

 

 そんな自分が情けなくて。どうしようもなかった。

 

 俺はこれから何をすればいい。どうやって生きればいい。

 

 ――それすらも分からない。

 

 森島由宇として生き続けるのがいいのか。

 森島由宇を圧し殺してヴェーチェルを演じて生きればいいのか。

 

 ――分からない。俺には分からない。

 

 誰か教えてくれ。誰か答えてくれ。誰か……。

 

 助けてくれ。

 

 

 

「ヴェーチェル? ようやく見つけたぞっ、ヴェーチェル!」

 

 声のする方を向くと、そこにはジャージ上下を身に纏い、息を荒げる矢野司の姿があった。

 

 最悪だ……矢野だけには会いたくなかった……。

 きっと今俺は酷い表情をしている。おおよそヴェーチェルがしないような顔を。そんな顔を矢野だけには見られたくなかった。

 

 急いでいつもの表情を貼り付けようとするが上手くいかない。

 

 そうこうしているうちに、矢野はゼイゼイと荒い息を整えると、その額に浮かび上がっていた汗をタオルで拭き、探したぞ、と改めて声を出して。

 俺の表情を見て固まった。

 

 あぁ……しまった。見られてしまった。間に合わなかった。

 

「どうしたんだ、ヴェーチェル。泣いてたのか?」

「いや、そのこれは……」

 

 何と言い訳をすればいいのか。

 両の手で顔を隠しながら考えて――。

 

お前(・・)らしくない顔だな」

 

 俺の中で何かが壊れる音がした。

 

「黙れ………」

 

 ボソッと声が漏れる。

 

 駄目だ。矢野は悪くない。悪いのはヴェーチェルを演じた俺なのだから。森島由宇を知らないのは当たり前だ。

 だからこそ、これ以上はただの八つ当たり。そう頭では理解しているのに。

 俺の口は歯止めが効かなくなっていた。

 

「私らしくってなんだよ……私の本質も知らないくせに……知ったような口を叩くな!」

 

 俺は矢野を押し退け、街灯のない細道へと歩き出した。

 

「おいっ! どうしたんだよ、ヴェーチェル!? ……うわっ!?」

 

 それでも尚、俺を追いかけてこようとする矢野の前に、ビュンと強風を吹き付ける。

 

「ごめん……今までありがと……バイバイお父さん」

 

 突然の強風は目眩ましとして充分な効果を発揮したようで、矢野が腕で目を覆っている隙に俺は細道へと姿を隠した。

 

 

 

 

 

 

 

 結局のところ、俺は森島由宇にもヴェーチェルにもなりきれない半端者だ。

 どちらも中途半端に足を踏み入れていて、歪な存在となっている。

 そして、その結果がこの有り様だ。

 

 森島由宇としての親友も失い、ヴェーチェルとしての保護者も失った。

 

 もう()に残っているものはほとんどない。

 

 故に思う。

 

 数少ない残っているものの一つ。先程から胸に渦巻き始めた災禍姫の本能とも言える感情に従ってみるのはどうかな、と。

 

 『壊したい』という破壊欲求に。

 

 遊園地の時は気のせいだと流したが、今はむしろこれが私の新たな本質だと認めつつある。

 

 なに、どうせ誰も気に止めはしない。

 人一人簡単に忘れてしまう世界だ。ちょっとくらい壊したってすぐに忘れるに違いない。

 だから、ね。

 

 少しくらい壊してもいいでしょ?

 


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