「流石に上着がないと寒い季節になってきたわね」
杏子がマミのもとに来なくなってからしばらく経ち、街には雪が降り始め、季節は冬に近づいているのが目に見えていた。
それと同時に学校指定の制服だけでは防寒具として機能しなくなり始め、制服の上から雪と同じくらいに真っ白なダッフルコートと薄いピンク色のマフラーを首に巻いていおり、マフラーから出ている綺麗に整えられた金色の髪の毛は艷やかに輝いていた。
マミの左手には卵型に形を変えているソウルジェムを添えて、パトロールへと足を運んでいたが、ソウルジェムは光り輝くことを止めているかのように、魔女や使い魔の反応は乏しかった。
マミ自身も街の中へ粒子状に散布している魔力から、魔女や使い魔が少ないことが分かってはいたのだが、外に出ていたい気分であったので散歩のように街を歩いていた。
「(夏もいいけど、冬のほうが空気が澄んでいて良いわね。ベタつかないし、虫も少ないし、おしゃれも冬服のほうが色々試せるもの)」
周りを見渡してみれば、学校から帰宅している学生や足元を寒そうにしている小学生。スーツ姿の男性や女性の姿に、買い物に出ている主婦らしき人たちが見えていた。
この景色はマミの護ってきた平和であり、それを眺めることが少しだけ好きだった。
自分がやっていることが正しいとは思っていなくとも、この街を、人々を守れることが少し誇らしく思えたから。父と母が暮らしていたこの街を護ること。そして、魔法少女としての正義がそこにあると。自己満足でもそう思えたからだった。
「次のニュースです」
「……あら?」
街なかのビルに設置してある巨大な液晶画面から、スーツ姿の男性がニュースを読み上げていた。
いつもの光景ではあったが、空気が澄んでいる冬だったこともあり、マミにはその声がいつもよりも鮮明に聞こえていた。
「昨夜未明____風見野市の民家で火災が発生しているとの近隣住民からの通報がありました。駆けつけた消防隊員により火は間もなく消し止められましたが、建物の一部を焼失し、民家からはこの家に住む一家三人の内二人の遺体と、一人の軽傷が発見されました。遺体が見つかったのは佐倉____」
最近になって聞き慣れた単語が飛び出し、耳を傾けている程度だったマミは、思わずニュースの画面に目を向けた。
「____現場の状態から、警察は無理心中を図った可能性が高いとみて捜査を続けています」
「佐倉さんのお父さん……結局、話した意味は無かったのね」
友人の家族が死んだ。
当事者ではなくても、自分自身にとっても大きな事件のはずなのに、マミにはそれが当たり前のように、頭の中に入っていった。
昔の自分だったらどうしたのだろうか。なりふり構わず佐倉のもとに駆け出しただろうか。
自問自答の末出した答えは、ニュースを眺め続けながら涙を静かに流すことだった。
もう、あの温かい家庭はない。マミにとって偽物でも、あのとき杏子の家にお邪魔したときに、温かく出迎えてくれたあの家族は燃えてなくなった。
魔法少女になったときから後悔し続けていた、強く望み続けていた家族を、感じることできなくなったと思うと、涙が頬を伝った。
「(佐倉さん。これが貴女が出した答えなら、私は何も言わないわ)」
マミが願いを叶えたあの日。
交通事故で、朦朧としていた意識の中で、振り絞るように出して答えたあの時とは違い、杏子は考える時間がある中で、家族を手放す選択をとった。
「ふふっ……そろそろ会いに行きましょう。待っててね、佐倉さん」
冷たい空気の中。白い息を大きく吐きつつ、マミは風見野市に歩いていった。
その足は、誰かを心配しているような足取りではなく、重苦しいような足取りでもなく、鼻歌でも聞こえそうなほどに、嬉しそうな足取りだった。
「杏子」
真っ白な雪が敷き積もる教会の前で、雪と同じように真っ白な色をしたキュゥべえは、教会を見上げる杏子に声をかけていた。
「魔女退治に行かないのかい? 君はしばらくソウルジェムを浄化してないはずだ」
「……」
キュゥべえの声に、杏子は何も反応を示さなかったが、何かに気づいたように教会の前から歩き出した。
教会から少し外れた林の中に、魔女の空間が存在していた。
杏子は足を踏み入れると、目の前にはこの世のものとは異質な存在でる魔女が佇んでいた。
「(私が父さんのために願った奇跡は、父さんのためじゃなくて自分のためだったんだ)」
魔女は杏子に反応すると、使い魔が杏子に向けられる。杏子はそれを防ぐこともなく、体中に傷をつけていった。
「(父さんの話を聞いてくれないことに、そんな父さんを見てるのがあたしは我慢ならなかったんだ。だから、あたしはあたしのために願った。そして満足した)」
杏子は傷を作りながら、魔女のもとに向かい歩いていった。
「(あたしの願いは、あたしの奇跡は、多くの街の人を守ることに引き換えに、大切な家族をバラバラにして、燃やし尽くした____モモの幻影とともに)」
魔女の腕と思われる部分が、杏子を強く払いのけるように打ち付けると、杏子はそのまま地面に転がるように打ち付けていった。
『なるべく後悔をしないようにやりなさい。自分が大切に思うものは、何が何でも手放さないようにしなさい。それが出来る力は、十分身についてるはずだから』
「(父さんと母さんを助けることは出来なかった。でも、モモだけは。あいつだけは、あたしの手で守りたかった。それでも、後悔だらけだよ。マミさん)」
体を強く打ち付けられ、体からは痛ましく血が流れている。腕は折れ、おかしい方向にねじり曲がっていた。
それでも杏子は、痛みを感じていないような素振りで、ゆっくりと立ち上がった。
「(頭の中がぐちゃぐちゃなはずなのに。後悔だらけで、嫌なことだらけで、痛くて苦しくて、どうしようもないぐらいなのに____)」
顔を上げた杏子の瞳は、魔女を鋭く貫く。その瞬間、足元からは血のように深い紅色に染まったひし形の模様が、鎖のように連なり勢いよく広がっていた。
魔女は杏子にとどめを刺そうと飛び出してくるが、足元に伸びていた模様から大量の槍が伸び始めると、魔女の攻撃が届く前には貫き、あっけなく終わっていた。
「はは、受け入れたら、こんなにも心が冴え渡ってる」
体は血に染まり、腕は折れ曲がっていた。
それでも杏子の顔は、静かに笑っていた。
「ちょっと疲れたかな……体に、力が入らないや……」
瞳は徐々に閉じ、前のめりに体が倒れ始める。
幸い雪に覆われた地面が体を受け止めてくれるだろうと思いながら、体の感覚に従い倒れ始めていったが、それは叶わずに終わった。
「頑張ったわね、佐倉さん」
「マミ、さん?」
倒れそうになっていた杏子を、マミが受け止めていた。
「マミさん……護れなかった……家族を二人も死なせたんだ、私のせいで……」
「それでもあなたは一人を護ったのでしょう?」
「モモだけは、なんとしても護りたかった……私の身勝手な願いで、自己満足で、家族を死なせて、家族を護ったんだ……最低だよ……」
「それでもあなたはそれを選んだ……助けたなら、助けたいなら、生き続けなさい。モモちゃんのために。これ以上後悔しないように。後悔し続けないように……」
「ごめんね……父さん、母さん、モモ……ごめんね、マミさん……あたしはもう……一緒に……戦え、ないよ……」
杏子の声は徐々に小さくなり、最後にはマミの胸の中で小さく息をしていた。
「あは、やっぱり……あなたは最高の魔法少女よ。佐倉さん……」
杏子の頭を小さく撫でたあと、マミは杏子を抱きかかえて歩き始めた。
浄化していないはずの杏子のソウルジェムは、濁ったような色ではなく、深紅色に輝いていた。
「はいどうぞ、ジンジャーティーにしてみたの。体も温まると思うわ」
「ありがとう、着替えまで借りちゃって」
一度マミの部屋に招き入れ、マミの治療を受けた杏子は、先程まで血みどろになっていた体はきれいになり、折れた腕も元通りになっていた。
マミは色々あって疲れただろうと思い、今日のところはとりあえず家に泊まるように話を進め、お茶をご馳走していた。
「モモちゃんはどうしてるの?」
「今は病院で静かに眠ってる……それと、私の幻覚魔法をかけてるから、しばらくはそのまま眠ってる状態が続くと思う」
「そう……」
淡々と話してはいたが、それでも全てを納得しきれていないのか、少しだけ暗い雰囲気がまとわりついていた。
「助けたこと……後悔、してはだめよ。あの子にはもう、あなたしかいないんだから。それと同時に、あなたにはもう、あの子しかいないのだから」
「それでもやっぱり、父さんたちを助けることが出来たんじゃないかって、飲み込んだはずなのに、何度も思うよ」
「そんなの、飲み込めきれるわけないじゃない。でも、それでいいのよ。佐倉さんはお父さんを助けることが出来なかったかもしれない。だけど、佐倉さんは妹を護ったの。たった一人の妹を」
「……父さんは、モモと母さんと三人で自殺をすることが、父さんにとっての救いだったんだと思う……だけど私は、モモの幻影を父さんに見せて、偽物と自殺していったんだ……」
杏子は、今まで起きていたことを、今まで起きたことを吐き出すように、懺悔するように話し始めていた。
「その救いさえ奪った。父さんはあたしのことを魔女だと言ってたけど、本当にそう思う。マミさんの言う通りだったよ」
「……」
「モモは、あたしに助けられることが、本当に望んでいたことだったのかな。あのまま一緒に死なせてあげたほうが、モモのためになったんじゃないかな……怖い。モモにかけた魔法が解けたとき、モモになんて言われるか不安なんだ……」
「佐倉さん……」
杏子の腕は小さく震えていた。
ソファーに座っている杏子の隣に、寄り添うようにマミも座り始めると、震えていた手を握って落ち着かせようとしていた。
「幻影・幻覚・偽物の姿。あたしの魔法にぴったりだった。知らずしらずに周りに嘘をついて、大切な家族にも嘘をついて、自分にも嘘をついていたんだ。だけど、父さんに言われたこと、マミさんに言われたこと、私自身が思ったこと、全部受け入れたら、スッキリしたよ。おかしいぐらいに……それでも____」
杏子はマミの手を払い除け立ち上がると、マミの前に力強く立った。
「マミさんの言う通り、あたしは後悔したくない……違う、これ以上後悔したくないんだ。人間も、魔法少女も、あたしが手に届く範囲だけは、あたしが出来ることはしたい。やれることはしてみたいんだ。助ける助けないを選ぶかもしれない。ときには手放すかもしれない。あのときの私が魔法少女を殺したみたいに……だけど、今度は殺す以外も探したい。そして、父さんは助けれなかったけど、モモは助けれたと思いたいんだ。それが自己満足だったとしても……これがあたしの、ぼろぼろだけど、あたしの正義だった」
「……」
「マミさんの正義とあたしの正義は違う。だから、あんたと一緒に戦えなくなった……ごめん」
怒られるのを覚悟していた。
マミの正義は強く折れない。そして、不可能だと思うようなことを、彼女は実行する実力もあった。
マミの正義に憧れを持ち、ここまで強くしてもらいながらも、途中でついていけなくなったから離れようなんて言えば、失望をされるのではないかと思っていた。
しかし、杏子の予想は全くの逆であった。
「素敵……」
「マミ……さん?」
突然、勢いよくソファーから立ち上がったマミから頬に両手を添えられ、杏子は思わず硬直した。
手付きは想像している以上に優しく、杏子の思っていた対応とは全くの逆のことをされて、困惑していた。
そして、マミの瞳を直視していた。
直視せざるをえなかった。
その時のマミは、今まで輝いて見えていたはずのマミの瞳は、杏子には何故か酷く濁っているように見えていた。
しかし、その濁りの奥底に、その濁りも打ち消してしまうほどに、強く輝いて見えるものがあったから。
そして、その瞳はゆっくりと細くなり、口元が三日月に変わり始めた。
「素敵……とっても素敵だわ、佐倉さん。やっぱりあなたは、最高の魔法少女になった……ふふ、うふふふふ! どうしましょう、こんなにも素敵になるなんて、あぁ、辛くても壊れそうになっても、美しく輝こうとしている魔法少女がいる!」
狂気に満ちているように喜び溢れているマミの姿がそこにあった。
今までやってきたことの全てが報われたと言わんばかりに、その喜び方は異常だった。
困惑を隠せない杏子の返答も待たず、突然マミは杏子の体に密着させてその豊満な体いっぱいに杏子を抱きしめていた。
杏子の体を確かめるように、頭から臀部にかけて手を添わせてくるマミにゾワゾワとしながらも、杏子はマミを払いのけることが出来ずにいた。
「あなたは私と同じ……素敵よ佐倉さん。こんなに素敵になるなんて。愛おしいわ……」
「どうしたんだよ。変だよ、マミさん。何を言って……」
「ねえ佐倉さん、最後のレッスン受ける気はないかしら。とっても楽しいお茶会が開かれそうなの。私だけが招待されるには惜しいくらいに楽しい楽しいお茶会が、ね? だから、一緒に行きましょう」
「落ち着けよマミ! 一体どうしちゃったのさ!」
杏子の心配もよそに、マミは続けて喋り続けた。
「私はどうもしていないわ。変わったのは佐倉さんだけ。あなたが私と出会ったときより、大きく成長しただけなの。たったそれだけのことよ。そんなことよりも、最後のレッスン受けましょう? 今の佐倉さんならきっといい経験になるはずだから」
「(くそっ、一体どうなってやがる。幻覚……違う、目の前にいるマミさんは確かに本物だ。だったらこれも、こんな姿の巴マミも、あんたの本性なのかよ……!)」
聖母のように甘やかし、姉のように優しく、しかし時には厳しい普段のマミも、無駄が少なく理論的に、それでいて正義の味方のように砕けない心を持ち、目の前のことだけではなく遠くを見定めていた冷静さを持ったマミも、目の前にいる狂気のように、異常とも言っていいほどに喜びに打ち震えているマミも、杏子にとっては本物に見えていた。
嘘がなかった。
嘘を感じる隙間は微塵たりとも見当たらなかった。
違和感を感じないほどに、杏子が出会ってから今まで目の前にいた巴マミは本物だった。
そして、とある話を思い出した。
『今は考え方も何もかも変わって、そんなことも少なくなったけどね』
『考え方が変わった?』
『えぇ、少しね、色々あったのよ。』
杏子が相談していたとき、濁したような言い方があったことを思い出していた。
「(元々、あたしと出会う前には、マミさんはどこかが壊れていたんだ……何かがあったんだ。マミさんの中で、決定的な何かが……!)」
「それで、佐倉さん。お返事はいかがかしら?」
「……あんたの弟子を全うしたって言うんだったら、弟子のあたしは師匠の姿を見届ける責任もあるはずだ。良いぜ、マミ。その招待状、受け取ってやるよ」
「ふふっ……それじゃあ今日は、佐倉さんが一人前の魔法少女になった記念でご馳走でも作ってあげる。それに、一緒にお風呂も入って、一緒のお布団で寝ましょう? そのほうが温かいと思うし、色々あったからいーっぱい慰めてあげるわ」
「情緒不安定すぎんだろ……」
杏子の返事に満足した表情を見せると、高揚している気分が抜けきっていない様子を見せながら、小走りでキッチンへと向かっていった。
その夜は、マミの言う通り一緒にお風呂に入り、同じ布団の中に潜り、マミの言う通り疲弊していた心を癒やしてくるように甘やかされ続けていた。
複雑な心を抱きながら、杏子はマミの言うお茶会というものを考えながらも、一時の心安らぐ暖かさにまぶたは自然と閉じていった。