「まどか、願い事は決まったかい?」
「キュゥべえ、また来たの? 私は魔法少女にはなれないよ」
その夜、まどかは自室にあるベッドの上で、さやかから詳しく聞いた魔法少女姿のマミを、ノートに描き広げたものを眺めながらゆったりと過ごしていたのだが、突然訪れたキュゥべえに困ったような表情を浮かべていた。
キュゥべえに魔法少女の契約を持ちかけれたその日から、まどかの暇な時間を見つけては魔法少女の勧誘を持ちかけていた。
「僕の立場で急かすわけには行かないから強制はしないさ。ただ、君には願いを何でも一つだけ叶える事が出来るということを、知っておいてもらいたくてね」
「願いを叶える前に、まずはマミさんとほむらちゃんに相談するから大丈夫だよ」
「願いを叶えざるをえない状況ということも、君たちにはあるのだろう?」
「……マミさんのことを、言ってるの?」
事故で死にかけていたところを、考える余裕さえなかったその時に、キュゥべえにすがる思いで願いを叶えたマミ。キュゥべえが言っているのはその事を指しているのだろうとまどかは思っていた。
趣味が悪い。
キュゥべえには感情がないと聞いてはいるが、まどかにとって嫌な部分を突いて来ているように感じて、不快な気分だった。
強くて、優しくて、憧れのお姉さん。一つしか年が違うだけなのに、まどかにとってマミという存在は、どんな人たちよりも魅力的に見えていた。
わざわざ契約の話にマミのことを例に出してくるキュゥべえは、そんなマミを汚そうとしてくるモノに見えてしまった。
しかし、これはまどかの被害妄想に似た何かに過ぎない。マミが事故にあった瞬間にキュゥべえが現れなければ、今の今まで生きてまどかたちに出会うことは出来なかった。
キュゥべえの言うように、マミは願いを叶えざるをえない状況だったのは事実である。事故に遭う前のマミの前に現れて、今から事故に遭うから願いを決めたほうが良いよなんて助言を、キュゥべえが言うことは出来ない。だから、マミが魔法少女になったのはキュゥべえが悪いという訳でもなく、まどかが今更考えたところで仕方のないことだった。
そんな事を考えていると、まどかは不思議に思ってしまったことがあった。
何故、自分はこんなにもマミに対して執着心を抱いているのだろうか。他の魔法少女を例に出すことなど特に不思議ではないことだ。
なのに何故マミのこと直接指しているわけでもなく、仄めかせるようなことを口に出しただけなのに、自分はこんなにも感情を揺らしているのだろう、と。
思い返してみれば、まどかはマミに対して取った行動というのは、甘えているようなことが多いように感じていた。
マミから抱き寄せてくる事もあっただろうが、まどかが自らマミの腕に組み付いた事もあった。
腰に手を回したり、マミの姿が見えただけで目で追ってしまい、声を聞くだけで喜んでしまうことも多かった。
一緒にいるだけで、なんだか多幸感を感じてしまうことがあった。
だが、出会って数日足らずの人間に、ここまでの信頼を寄せてしまうものなのだろうか。この街の人間を護っている魔法少女と聞き、それは凄いことであり、尊敬を抱いてしまうことだと思ってはいるが、魔法少女というだけで、あそこまでの雰囲気を出せるものなのだろうか。そう思っていた。
「ねぇキュゥべえ」
「どうしたんだい?」
「私には、マミさんが他の人たちとは違う人に見えるんだ。魅力っていうのかな、雰囲気とか、佇まいとか……一緒になんてことののない会話をしてるだけでも、凄く輝いて見えるんだ。それって、マミさんが魔法少女だからなのかな……」
「僕には人間の言う魅力というものは理解できない。だから、まどかの質問に答えることは難しい。ただ、魔法少女になる前の素質……つまり、人に巻き付いている因果について話すことは出来るよ」
「因果?」
人間の言う魅力に該当するものかは分からないが、それに近い物かもしれない因果という事柄についてキュゥべえは喋り始めた。
「因果というものは、魔法少女の潜在力を決めるものなんだ。例えば、一国の女王やお姫様。君の身近なもので例えると、総理大臣や天皇の娘が挙げられるだろうね。周りの人にどれだけ影響を及ぼすか。それが、その少女が背負い込んでいる因果に関係あるんだ」
その少女に背負い込まれている因果が多ければ多いほど、魔法少女としての潜在力は高まり、まどかの言う魅力に繋がるのかもしれないとキュゥべえは語った。
だが、マミからは一国の女王といった肩書のようなものは持っていないように思えたので、キュゥべえの答えには更に疑問をいだいていた。
「それじゃあマミさんは、それだけ多くの人たちに影響するほどの因果を持っていたってこと?」
「マミはごく一般的な少女さ。少し家庭が裕福だったと言えるかもしれないけど、それでも僕が出した例には当てはまらないね……ただ、僕から魔法少女が魔女に変わるという話を聞いたとき、君たちの言葉を使うなら、人が変わったと表現できるほどになっていたと思うよ」
「人が、変わった?」
「うん、元々マミは自分が魔法少女だってことを隠そうとしていたから、なるべく人との関わり合いを避けようとしていた時期があったんだ」
「あのマミさんが?」
人間付き合いが苦手そうな印象は無かった。
むしろ、自然と人の心に入ることが得意だと思えるほど、まどかから見たマミは物事を見据えているように感じた。
実際に通学路や学内でマミを見かけたときは、隣には友人であろう人物を何人も見たことがある。そのマミが人付き合いを好まない方だったと言われても、想像することが難しかった。
「だけど、見滝原を一人で護ると言い始めてからかな、マミは死に物狂いと表現しているように、利用できるものは何でも利用しながら魔法少女としての自分を高めて、今まで我慢していたらしい友人と遊ぶことも積極的にして、それでも本当に街の人々を傷つけないように護っていたんだ」
「本当に、人が変わったみたい……」
「昔からの付き合いでマミの側にいることは多かったけど、マミの周りにいた人間たちは口を揃えて言ってたよ。巴さん変わったねって」
「そっか……マミさんは魔法少女になったその日から変わったんじゃなくて、魔法少女なってから、変わった切っ掛けがあったから変わろうとしたんだね……」
まどかはキュゥべえの話を聞いて、少しだけ自分の中にある不安感が拭われたような気がしていた。
魔法少女の勧誘を何度も断ってはいるが、もし自分が魔法少女になったときの姿を想像していないといえば嘘になる。鈍くさければなんの取り柄もない。マミのように格好良く、素敵な人になれれば願いなんてものは叶えなくても良い。そう思うこともあった。
だが、マミは魔法少女だから他の人よりも魅力的に見えるんじゃない。魔法少女を通して変わったかもしれないが、マミ自身が変わる切っ掛けを拾って変わろうとしただけなんだと知ると、魔法少女になっただけで変わろうとしていた自分がずるいように思えていた。
マミさんは様々な経験をして素敵な人になったんだなと、自己完結をしてスッキリとしたのか、ベッドに転んでいたこともあり襲ってくる眠気に身を委ねようと瞳を閉じ始めていた。
だが、キュゥべえはまだ話が終わっていないと言うように、そのまま喋り続けていた。
そして、まどかにとってその話は、眠気も吹き飛んでしまう衝撃的なものだった。
「マミが変わってから、見滝原を中心に周りの環境も大きく変わったよ。見滝原を一人で護るということは、そこに住んでいた魔法少女と対立をするということになるよね。マミは対立を好む少女ではなかったんだけど、魔女と同時に魔法少女も倒すようにしたんだ。魔法少女はいずれ魔女になる。だから、魔法少女もその対象だって言ってたよ」
「……っえ!? ちょ、ちょっと待ってよ。それって魔法少女……つまりは、マミさんは、自分たちと同じくらいの子たちを……その、こ、ころ……いなくなるようにしたって、ことなの?」
「そうだね、この世からはいなくなった。つまり、魔法少女のまま殺害したことになるよ。僕たちは魔女になったときのエネルギーを必要にしてたから、あんなことをされると困るんだけどなぁ」
「え、嘘。そ、そんな、こと……で、でも、マミさんは、街の人々を護ろうと。いや、でも、そんな……っ!」
マミは魔法少女を殺している。キュゥべえはそう言った。
考えてみれば確かにそうだ。
見滝原を護っているのはマミだけであり、他の魔法少女は存在しない。だけど、最初からマミだけしかいなかったという訳でもなかったはずだと、まどかは今更ながら気づいた。
もしかしたら、無意識に気づかないふりをして、記憶の端に追いやろうとしていたのかもしれない。魔法少女と契約することは珍しくないはずなのに、考えないようにしていたのだ。
まどかが通っている中学校には既に魔法少女の契約を交わしている二人と、その素質を持っている二人が固まっている。もしかしたら、自分たちが知らないだけで他の女の子も素質を持っているかもしれない。そう考えると、見滝原市という広大な土地には魔法少女になっている子たちは多くいたはずだ。
それじゃあ、その魔法少女は一体どこに消えたと言うのだろうか。
全員が引っ越した。
魔女にやられた。
マミが一人になるまでなんて現実的じゃない。10人、20人。もしくはそれ以上。キュゥべえの言う通り殺し続けていけば、マミの目の前にはどれだけの死体の山が積まれるのだろう。
マミの歩いてきた道には、どれだけ人の死が関わっているのだろう。それだけのことを、精神を保ったまま出来るのだろうか。出来ることなのだろうか。そして、まどかは分かった。
「変わりたくて変わったんじゃない。マミさんは、変わらざるをえなかったんだ。じゃないと、そんなの耐えられるわけがない……我慢してできることじゃないよ……」
人間は護るべき対象だとマミ言った。
自分の命をも、時間も、体も削って護る、大切な人々だと。そう語りかけているマミの表情は、まどかは今でも鮮明に思い出せるほどに自愛に満ちていた表情だった。
頭を撫でる手のひらは優しくて、膝枕をしてもらったときの温かさ。ほのかに香る甘い香り。そして、中学生には見合わない大きな乳房は、全てを受け止めてくれるのではないかと思うほどに柔らかかった。
今でもまどかの大切な記憶であり、何度思い返しても幸せにしてくれるものだった。
そこまでの表情を、雰囲気を出すまでに、一体どれだけの覚悟が必要だったんだろう。一体どれだけの決意が必要だったんだろう。まどかには想像が出来なかった。
ただの少女であるまどかには、出来るはずもなかった。
魔法少女はいずれ魔女になり、人間に危害を与える化け物に変わる。だからこそ、マミは魔法少女を魔女と同様に倒している。私達と同じ様な、護るべき対象である人間だとは思わず。
ならば、その先には一体何があるのだろうか。途方も無い地獄の道を進んで行った先には、マミの求めるものがあるのだろうか。
マミには叶えたい夢があると語った。何年かかるかは分からないが、それでも成し遂げたい夢があると。その先には、一体何があるのだろうか。
魔女を殺し、使い魔を殺し、魔法少女を殺し、人を助ける。
魔女を殺し、使い魔を殺し、魔法少女を殺し、人を助ける。
幾千もの繰り返した先には、積み上がっていく死体の上を進み掴み取ったものは、一体なんだろう。そしてまどかには、ほむらの言っていた言葉が頭を突き刺さった。
夢も希望も溢れてはいない。
その先のものは何もない。
「あ、あう……いや……嫌っ!」
魔法少女がたどり着く先を想像したとき、まどかには焼け野原が見えた。
なにもかも存在しない平地に、たった一人で立っているマミの姿が見えてしまい、まどかは思わず頭を布団で覆った。
どれだけ地獄に身を投じようとも、見返りなんてものがありもしなくても、魔法少女には救いはない。
その事実が、まどかにはおぞましくて仕方がなかった。
だから口にしてしまった。
優しすぎるほどに優しく、自己犠牲の強いまどかは、尊敬しているマミが言ってほしくない言葉を口に出してしまった。
「私が願いを叶えたら……マミさんたちを、魔法少女たちを、救うことが出来るのかな……」
「出来るよ」
「え?」
「君には途方も無い願いを叶えるだけの資質がある。僕にも測定しきれないほどにね」
拾ってほしくはなかった。
深い意味があって言った訳ではない。ただ、単純にそう思っただけだった。
行き着く先がない魔法少女に、人間を護ろうとしたマミに、何も存在しない焼け野原ではなく、救いのようなものがあってくれたらと思っただけだ。
だから、そんな魔法少女を作り上げているあなたが、私の声を拾い上げ、まるで希望でもあるかのように語ろうとして欲しくないと、まどかは嫌な考えばかり浮かんでしまいジクジクと痛む頭を抑えながら思っていた。
「僕らにも不可解だけど、君には膨大な因果の糸が巻き付いている。だから、君が魔法少女になれば、マミになんて引けを取らない、マミよりもずっと強い魔法少女になれるよ」
「そんな……私に、そんな物があるはずない。私はなにもないよ」
取り柄も何もない。そんな自分が嫌だった。
だけど今だけは、そんな自分を好きになれそうだった。
だから、まどかは何度も何度も何もないと言い聞かせた。
嘘をつかないキュゥべえの言葉が反響する心の中を、黙らせるかのように言い聞かせた。
聞きたくはない。
何度も断ってきたキュゥべえのそのセリフを耳に入れたくはないと切に思った。
願いはしない。思っただけだ。
だからまどかの思いは叶わなかった。
キュゥべえは、笑顔という言葉がへばりついたような表情でそう言った。
「だから、僕と契約して、魔法少女になって欲しいんだ!」