強く気高く孤高のマミさん【完結】   作:ss書くマン

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40話 恋も戦争も先手必勝

 

 

 ほむらから聞かされた、女子中学生のする恋バナと言うにはあまりにも甘い空気が漂わなかった相談。

 退院して間もない恭介に告白を考えている女子生徒が、見滝原中学校の中にいる。そこまで積極的に話しかけてこないほむらが態々忠告して来た事態は、文字通りさやかは釘を刺された思いだった。

 

 覚悟しておくように。そこまでして強く念を押して来たほむらは、誰が告白するか知らないと言っていた。

 しかし、知らないと言ったはずのその誰かを、まるで知っているように語っていたのはさやかでさえ分かりやすい内容であった。

 それでも隠そうとしている事は、何かしらの大きな意味がある。事態は思っているよりも深刻であり、想像以上に早く事が動いているのかも知れないと、さやかはなんとなく察していた。

 

 つまりは、ほむらが相談して来たその時から、さやかは何があっても良いように身構えていたのだ。

 身構えてはいた。だが___まさか、ここまで早く言われていた局面に立たされようとは、さやかも思ってもいなかった。

 

 忠告を受けてから一日も経っておらず、現在では通い慣れたファーストフード店のとある場所で座っていた。

 その席には、さやかを含めて二人の少女が静かに対面している。つまり、目の前に座る少女に、さやかは呼び出されていた状態だった。

 

 理由は分かりきっている。そして理解する。さやかを呼び出した少女___志筑仁美から声をかけられたときにはもう、ほむらに忠告された通りに事態は既に始まっていたと。

 

「それで、話って何?」

 

「恋の相談ですわ」

 

 分かっているはずなのに、白々しいほどの質問をしてしまっていた。

 もしかしたら思い違いかも知れない。悪い賭けではあるが、もしかしたらの可能性も考慮した。

 だが、その思いは仁美から返された言葉によりバッサリと切られてしまう。

 さやかは恋愛相談をされるほど恋愛をしてきた訳では無い。それを、付き合いの短くない仁美が知らない訳が無かった。

 

 それでも最近好きな人が出来たから、仲の良い友人に相談しに来たと言うには、仁美に漂う空気はほむらの時のように甘くない。

 それでも一体何の話かと聞いてみたものの、恋愛がらみで忠告を受けてから間もなく仁美からそんな話を切り出されてしまえば、もう誰に対しての恋愛相談なのかは予想がついてしまった。

 

 そして、恋の相談をしたいと言ったように、ゆっくりと仁美の口が開き始める。

 

「私ね、前からさやかさんやまどかさんに秘密にしていたことがあるんです……ずっと前から、私___上条恭介くんの事を、お慕いしていましたの。」

 

 秘密にしていた事がある。だが、中学生の秘密事などたかが知れている。

 

 秘密と言う割にはすぐに口を開き、話題性のあるものであれば瞬く間に話が広まる。

 結局中学生の言う秘密とは、その言葉の意味を律儀に守るほど大した事でもなく、ただ大げさに言うことで自分に構って欲しいだけの世迷い言だ。

 だが、仁美の言う秘密は、そんな中学生の言う秘密とは訳が違う。さやか今までの事を思い返し感じていた。

 

「(仁美が恭介のことが好きだなんて、全く知らなかった)」

 

 仁美が恭介の事を好きと言う話は、本当に初めて聞いた。

 少なくとも二年以上は一緒に居たはずなのに、そんな事一切分からなければ、雰囲気を匂わせるような事もしていなかった。

 

 学内でも特に秀才と言われ、自分とは真反対な暮らしを過ごしている、超が付くほどのお嬢様。

 中学生と言う、大人から見ればまだまだ幼い年頃だとしても、年の離れた大人と共に行動している事が多いからか、中学生には見合わない落ち着いた物腰と佇まいをしている。

 そんな彼女が使う何処にでもある秘密という言葉。本当の意味での使われ方を、さやかは初めて見せ付けられた感じがしていた。

 自分以外にも恭介が好きな女子生徒が居る。その事を覚悟し、身構えていたさやかにとっては、好きな人が一緒だと言う衝撃よりも、人としての意識の違いに驚きを感じてしまっていた。

 

「(それにても。真正面から伝えて来るなんて思ってもなかったなぁ)」

 

 告白するなら告白すればいいのに、態々恭介の事を好きだと知っている自分に対して、直接宣言してくるとは思わなかった。

 これでは秘密にしていた利点を自ら無くしたも同然なはずなのに、どうしてそんな遠回しな事をしてくるのだろうかと、特別慌てるような事もなく冷えていた頭で考えていた。

 

「全然気づかなかったよ。本当に。そんな素振りなんて感じなかった……そっかそっか、恭介のやつも中々隅に置けないなぁ」

 

 驚いている。しかし、ほむらからの忠告に加えて、多少のことでは動じなくなった精神力が働き、そんな姿が仁美には妙に余裕そうな姿に見えていた。

 

「さやかさんは、上条くんとは幼馴染でしたわね」

 

「まぁ、うん。そうだけど……」

 

 生まれた頃からの付き合いという訳ではない。だが、それでも人生の半分以上を共にしている付き合いだ。

 はっきりと親友だと言える、まどか以上の付き合い。さやかの関わって来ている人間の中で、一番付き合いの長い歴史がある人物であり、親友でもあり、幼馴染であり、異性である。

 

 男性と女性の間には友情が無いと言うが、ならば幼馴染とは、どの様な意味合いが含まれているのだろうか。

 幼馴染とは決して異性だけで成り立つものではない。幼い頃から接し続けている友達なら、誰だって幼馴染だ。

 つまり、まどかとも幼馴染の範囲に入るのかもしれない。小学生からの付き合いなら含まれても良いだろう。

 

 だが、仁美の言う幼馴染とは友達としてではなく、異性としてを指している。さやかが肯定した幼馴染とは、異性としての関係だろうか。友人としての関係だろうか___しかし、過去のさやかが考えていたものはどちらでもない。友人と異性の間で揺れている、どちら付かずな関係だった。

 

 だからこそ、さやかは恭介の関係性が幼馴染と聞かれ、言い淀んでしまった。

 そんなさやかの心情を鋭く見抜いたように、仁美は眉をひそめながら問いただし始めた。

 

「本当にそれだけ? 私、決めたんですの。もう自分には嘘はつかないって……あなたはどうですか? さやかさん。貴女自身の本当の気持ちに、向き合えていますか?」

 

 自分自身の気持ちに向き合えているのか。要は、恭介の事をどう思っているのか。恭介に対する感情を理解させているのかを、遠回しに言っていた。

 

 遠回しではあるが、魔法少女になってから言われたのは初めてかもしれない。魔法少女になる前には、契約を踏み切る直前にマミから言われていたからだ。

 人間として恋愛をしたいなら魔法少女になるべきではない。

 そう聞かれて、人間として恋愛をしたいはずだったのに、まるでそんな自分と矛盾するように魔法少女の契約をしていた。

 

 命を捧げてまで彼を愛した結果が、今の自分だ。

 それがどういう意味なのか、それを理解できていないほど愚かではない。

 仁美に言われるまでもなく、本当の気持ちなど、さやかにはもうとっくに理解していたのだ。

 

「あなたは私の大切なお友達ですわ___だから、抜け駆けも横取りするようなことも、したくないんですの」

 

「……」

 

「あなたには私の先を越す権利があるべきです」

 

「……それで、何が言いたい訳?」

 

「っ!」

 

 最後の答えを遠回しにして語る仁美に、早く答えを言うよう静かなトーンで相槌を打った。

 そんな声を聞いた仁美は、詰まってしまうように息を呑む。こんな雰囲気を出すような子だっただろうか。そう思いながらも、さやかの要望に答えるように続きを話し始めた。

 

「私、明日の放課後に上条くんに告白します。ですので、丸一日だけお待ちしますわ。さやかさんは後悔なさらないように決めてください。さやかさんのお気持ちを、上条くんに____」

 

「え、いや。別に告白すれば良いじゃん」

 

「……え?」

 

 最後まで喋り終わる前に、間を割って入ってきた言葉を聞いて、仁美は時が止まったような感覚が訪れた。

 しかし、そんな仁美を置いていくように、さやかは立て続けに話し始めた。

 

「いや、だからさ……何で一々あたしの行動を待つの? 恋愛も戦争も先手必勝なんだから、別にあたしの行動を待たなくても良いんだよ?」

 

 先手必勝。魔法少女の戦いの中で、マミから言われた言葉。

 実際には、攻撃は最大の防御と言う意味で言われた事だったが、命がけでの戦いの中でさやかが辿り着いた一つの答えであった。

 相手が意識させる前に速度を出せるからこそ、先手必勝で動く戦い方。それが今では、さやかにとって根強いイニシアチブとなっていた。

 それは戦いの中だけではない。恋もそうだと考えていた。

 どれだけ長い年月を共に居ようと、関係を壊さない様に行動した結果、友情の枠から飛び出せなかった者は何れ、他の者に取られてしまう。

 

 だからこそ、他の者が告白するのなら、玉砕覚悟でもさやかは告白しようと思っていた。

 たとえ友情を壊しかねない状況になったとしても、それでも良く知らない女の子に取られるぐらいならそれでも良いと思っていた。

 仁美が望む関係性を掴み取りたいのなら、大切な友人であれど、自分の行動を待つ必要が無いと思った。

 

 これは戦争だ。

 一人の男を取り合おうとする戦争を、仁美は仕掛けようとしているはずなのに、正々堂々真正面から宣言する必要が何処にある。

 恋愛と戦争は手段を選ばないと言うらしい。似たような考えを持っていたさやかも、確かにその通りだと感じた。

 

 だが、仁美は違う。まるでさやかが変なことを言っているような表情を作り、疑いを向ける目線をさやかへと向けていた。

 

「い、いや、何を言っていますのさやかさん? あなたは上条くんの隣で、ずっと歩いて来ましたのよ? ご家族を除けば、あなたが一番上条くんと過ごしてきた幼馴染でしょう。怪我をしたときだって、あなたはいつも甲斐甲斐しくお見舞いへと足を運んでいたじゃありませんか」

 

「それは仁美だって行きたかったでしょう? でも、家庭環境で時間が取れずに行けなかった。でも私は行けた。それだけだよ」

 

 さやかから構わず告白したら良いと言う発言を聞いて、驚きを隠さないようにまくしたて始める仁美。しかし、さやかはそれを見ても冷静に耳を傾け、その答えを返していた。

 だが、そんな答えでは満足が出来ないと言うように、仁美は続けていた。

 

「確かにその通りかも知れませんわ。ですが、それを理由に私が上条くんのお見舞いを行かなかった言い訳には出来ません。私の環境は、私自身が一番理解しているからです。時間が取れなかったのは、私の能力不足に他ありませんわ」

 

「それじゃ、私と仁美は同じ立場だね。これで仁美が告白を譲る必要は無くなったよ」

 

「違います! それを含めても、あなたと上条くんが過ごして来た時間には釣り合いません。あなたは上条くんの事を、私と同じ様にお慕いしている。だから私は、そんなあなただからこそ、こうして話をさせていただいているんです。そうじゃないんですか?」

 

「うん。あたしは恭介のことが大好きだよ」

 

「そ、それほどはっきりとご自分のお気持ちに気付いているのなら、それこそあなたがお先に告白をするべきですわ!」

 

 仁美からさやかは。恭介の事が好きだと分かっているのに、それを隠すようにする傾向があった。

 だからこそ、本当の気持ちに向き合えているかと聞いたのだが、隠すこともせず思いの丈を伝えられまたもや驚くも、それなら尚更言う通りに告白をしたほうが良いと進めていた。

 それでも仁美の言い分に納得を見せないさやかは、眉をハの字にさせ唸りながら顎をかいていた。

 

「うーん、それとこれとは違うんじゃないかな? 別にあたしの気持ちが強いからって、それに仁美が譲る必要はないよ。何処の誰かも分からない人が告白しようってなってたら、その前にあたしが告白しようって思うけど……」

 

「さやかさんは、私なら構わないと言っていますの?」

 

 何処の誰かも分からない人ではない仁美なら、別に告白を止める気は無い。急いで先に告白をする必要は無い。そんな意味合いに聞こえる話し方をされてしまい、仁美はその意図が本当に合っているのかを確かめるように聞いていた。

 そして、さやかから返ってくる言葉で、仁美は理解する。目の前の少女の持つ意思は、気持ちは。自分が思っているよりも、狂気を孕んでいるかのように、硬い意思になっていることを。

 

「仁美なら、あたしよりも恭介を幸せに出来るんじゃないかな……って、なんだか上から目線だね。えーっと、確かにあたしは恭介の近くにいたよ? でも、だから恭介の気持ちを一番良く知っているって言うのは、イコールで繋がっていなかったんだ」

「どういう意味ですの?」

 

「仁美の言う通り、あたしは恭介の一番近くに居たはずだと思う___でもね、一番近くに居た癖に、あたしは恭介の気持ちを分かってあげられてなかった。恭介が苦しんでいるときに、慰めてあげられなかった。恭介が辛いときに、余計に辛い思いをさせちゃったんだ」

 

「それは……」

 

 恭介がまだ学校に通っている姿を見ていた時は、さやかの言うような事態___仲違いをしていた素振りは見せていなかった。

 事故が起き、入院している時に何かがあったのだろうと、懺悔するように語るさやかから察していた。

 

「恭介は親友だよ。大切な幼馴染で、異性として大好きな男の子___でも、だからって恭介が、あたしに対してそうは思っている訳ではない。恭介は私の事は親友としてでしか見て無くて、あたしは異性として見ていた。仮に異性として見られたとしても、あたしは一人の女として恭介を幸せにする事は、これからも出来ないんだ」

 

「な、何を言っていますの? これからも出来ないって……まだ、私もあなたも、何も始まってないじゃありませんか!」

 

「ううん。仁美がこうして話を持ちかけてくる前には、もう始まってたんだよ。そして終わってた。あたしはもう、使えるものは全て使ったんだ。その結果、恭介の隣で幸せにすることは、あたしにはもう出来ない」

 

 まるで仁美が告白を促す前には、既に終わってしまったと話すさやかに思わず声を上げ始めた。

 しかし、さやかは首を振る。仁美が思っている以上に、様々なことが起きていたと言うように。

 

 それが仁美には我慢ならなかった。

 理由も喋らず、何度も出来ないと話すさやかに、まるで自分自身を卑下しているように語る大切な親友を見て、仁美は机を強く叩き立ち上がった。

 

「いい加減に……いい加減にしてください!! 幸せにすることが出来ない!? あなたがいたから上条くんは頑張ってこれたんですよ!? 貴女がいるから、上条くんは……私は……っ!!」

 

 

 怒鳴るように叫ぶ仁美を、さやかは至って落ち着いた表情で眺めていた。

 しかし、騒がしいファーストフード店とは言え、仁美の凛とした声はよく通ってしまう。それが怒鳴るように発しているなら尚更だった。

 

 中に居た客が、立ち上がっていた仁美を目の端で何度も捉えて、様子をうかがうように何度も見ている。その視線を感じたさやかは、仁美と同じ様に立ち上がり声をかけた。

 

「外、出ようか。少し場所を移動しよう。ここじゃ目立っちゃうからね」

 

「……分かりましたわ」

 

 さやかは仁美に移動するように言い、注文しておいた食べかけのホットドックを口に中に押し込み、中途半端に飲んでいた水も一緒に含み、胃の中に流し食べ切っていた。

 不服そうな表情の仁美ではあったが、熱を帯びた頭を冷やすように、さやかと同じ様に水を飲み込む。そして、さやかと共にその場から立ち去り、緑の多い公園の道を歩きながら、先程の話の続きを再開し始めていたのだった。

 

「仁美はさ、もう少し素直になって良いと思うよ?」

 

「何を言っていますの? 私はこれ以上無いほど素直にしていますわ」

 

「そうかなぁ。あたしには窮屈そうに見えるよ。心の底では色んなものを溜め込んでいる。それって、仁美が他の人以上に色々我慢してるから、そうなってるんじゃないかな」

 

 さやかが魔法少女になった日。それは、とある工場で魔女の口付けを受けた人々が、集団自殺を強要されそうになった日。さやかとマミが助けに入り何事も無かったが、その人々の中には仁美も含まれていたのは、さやかの記憶に新しい事件だった。

 

 魔女の口付けと言うものは、普段の日常が順風満帆で幸せに感じられている人々には効きにくい。だが、幸せに生きていると思っていう人々でさえ、心の底には負の感情を潜めている。

 しかし、その負の感情を見せてしまっている。心の空きを晒してしまっている人間を、魔女は狙い定めている。

 

 最初は少しの感情かも知れないが、魔女たちはその感情を無理矢理誇張させることが出来る。

 それは、心にストレスや負の感情を多く溜めているものほど効きやすい。工場に居た人たちは、そういった感情を溜め込んでしまった人たちだ。

 その中に居た仁美も同様だ。だからこそ、それを知っているさやかは窮屈そうだと言い張り、そのまま仁美へ話し続けた。

 

「家庭の関係上、仁美には色んなしがらみがあってさ、自分より一回り大きい大人に囲まれて、決められた教えを守って、周りの人に合わせるように生きて来て……それが本当に素直に生きてきたって、正直に言える? 仁美と私の生活水準も位も違う。それが普通だとして生きて来ても、一人の少女として見れば十分素直に生きれてないって思うよ」

 

「……」

 

「お見舞いにだって行きたかったはずなのに、好きな人が傷付いている時にこそ、側に居てあげたいって思うはずなのに、その気持を抑え込んで毎日お稽古に行って……だからあたしは、仁美はもっと素直に行動してほしいって思うんだ」

 

「何が、言いたいんです」

 

「あたしはもう、十分素直に生きて幸せを受け取れた。他の人にはない特別を願えれた。大切な親友が居て、親友を護って、親友を護ろうとする友だちも出来て、凄すぎる先輩も居て、私を護ってくれる友達も居て、大好きな男の子を救うことが出来た……だけど、あたしじゃ恭介を幸せには出来ないんだ」

 

「何を……何を言っていますの」

 

「だからさ、今度は仁美が素直に生きてよ。私はもう十分だから」

「な、何が素直に生きてですか。貴女も生きているでしょう……! 何を、勝手なことを……っ!! 貴女は、上条くんの事を、私よりも愛しているでしょう!?」

 

 今の自分は生きていない。そんな風に語るさやかに、仁美は握りこぶしを強く作り、お店の時に出していた声より多くはないが、明らかに怒気が含まれた低い声を出し始めた。

 自分よりも恭介のことを愛しているだろう。さやかに言い放ったその言葉は、同じ男の子を愛している自分自身にとって悔しい思いではあったが、それでもはっきりと伝えた。

 

 それを聞いたさやかは、まるで過去の出来事だったと言うように空を見上げながら、仁美に答え始めていた。

 

「愛してる、か……ふふっ。うん、愛してる。あたしの命を、恭介に捧げても良いって思うぐらい、恭介の事、愛してるよ」

 

「っ!?」

 

 命を捧げても良いと言うさやかには、仁美はそれが比喩表現とは思えないほどの、美しく透き通る青い瞳で笑みを浮かべている姿を見て感じてしまった。

 

 底が見えない。今まで短くはない時間を共に過ごしてきたはずなのに、彼女がこんな風に笑っている姿は一度も見たことがないと思っていた。

 まるで人が変わった。そんな事はありえ無いはずなのに、あまりにも短期間で彼女の住んでいる環境が変わり果ててしまい、適応しようとした結果を見せつけられているように、仁美はその目を。雰囲気を感じてしまった。

 

「あ、あなたは……一体、誰ですの? さやかさんは、そんな表情をしたことがありません……っ!」

 

 目の前にいるさやかは、もはや自分の知っているさやかではない。人が変わったなんて、そんな現実的ではありえない瞬間を見てしまった仁美は、少しだけ震える身体を押さえつけていた。

 しかし、さやかはこれが最後だと言うように、仁美をそのままに口を開き始めていた。

 

「あたしは恭介を幸せにしたい。でもね、恭介を幸せに出来るなら、それはあたしじゃなくても良いんだと思う。だから、仁美なら恭介を幸せに出来る。一番近くに居たと思っていた、あたしなんかよりも……仁美。私から最後のお願い。恭介を幸せにしてあげて」

 

「さやか、さん……」

 

「私からはもう何も言うことはないよ。仁美は___無いみたいだね。それじゃあ、あたしは用があるから行くよ。また明日」

 

 さやかの言葉を聞き、何も言うことが出来ずに仁美は立ち尽くしていた。

 何も言おうとしない姿をさやかは、その場から静かに離れていく。

 

 後ろを振り返ることもなく、真っ直ぐに歩いていくさやかの後ろ姿を、仁美は追いかけることも止めることも出来ず、後ろ姿が見えなくなるまで、眺めることしか出来ずにいたのだった。

 

 

 

 

 

 

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