「美樹さん、また後で会いましょう」
「うん、杏子によろしくね」
教室の中で帰りの準備をしているさやかに、ほむらは小さく手を振りながら急ぎ足で飛び出して行った。
ほむらの課題の一つであった、マミとの協力関係が築けたその翌日。無事に事が運んだことで、放課後にはワルプルギスの夜対策に時間を費やしたいという思いが、ほむらの脚に出ていた証拠であった。
「さやかちゃん、私達はマミさんの所に行くんだよね」
「うん。まどかにも色々話すことはあるから」
ほむらが教室を出ていく姿を見届けた後、帰りの身支度を済ませていたまどかが側に寄っていた。
話すこととは、ワルプルギスの夜然り、ほむらがどうしてまどかの事に拘るのかについてだ。
早朝。さやかがまどかに向けてテレパシーを使い、あの二人が協力関係を結んだと聞かせたときは、あまりにも良い驚き方をしていた事を覚えている。
しかし、その気持ちはよく分かると、さやかは何度も大きくうなずいていたのだが、詳しい話はまだまだ聞かされていなかったので細かい説明はしていなかった。
強い魔女が見滝原に来るとは言ったものの、未来からまどかを護るために戻ってきたと言う、気になっているであろうほむらの正体を明かしてはいない。
杏子の過去を話さなかったマミに倣い、もしかしたらほむら自身で打ち明けたいだろうと考えた、さやかなりの配慮であった。
「……」
「どうしたのさやかちゃん?」
「ん? いや、あの二人の姿を見たら、良いパートナーになりそうだって安心したんだ」
終業のチャイムが鳴ってから時間が経っていないので、思ったよりも教室の中にいる人の数は多かった。
その中を見渡していたさやかが一つの場所を眺めており、それに気付いたまどかは視線の先を辿っていくと、さやかの言っていた意味を理解した。
同じクラスメイトである仁美と恭介の姿。帰りの支度をしている恭介の隣には、楽しげに笑みを浮かべている仁美の姿が見えていた。
それを少しだけ眺めていたさやかは、何処か安心したようなため息を吐いたのだった。
昨日の相談で、仁美が話していた内容通りであれば、恭介へ告白をするのは今日の放課後。それを心配して二人を眺めたのだが、二人の雰囲気からは悪い印象などは見て取れなかった。
告白はきっと上手くいくだろう。気立ても良ければ要領の良い仁美なら、この先も恭介と歩き続けれるはずだ。
少なくとも、仁美と恭介の事を知っているさやかにはそう思えていた。
確信していると言っても良いほど、二人の相性は問題ない。そう結論付けたさやかは、二人から視線を外し帰りの身支度を済ませようとした。
ほむら同様、魔法少女であるさやかにも時間は限られている。早くマミの下に向かい、ワルプルギスの夜に向けての特訓をしなければならない。でなければ、視線の先に居た二人を護ることが出来ないからだ。
身支度を済ませ終わったさやかはまどかに声をかけて、教室を出ようと机から離れたその時だった。
さやかの進行方向に、一人の少女がさやかを遮るように仁王立ちした。
「さやかさん」
「仁美?」
さやかが視線を外していた間に、恭介の隣にいたはずの仁美が目の前に現れていた。
一体何の用があるのだろうと思いながら、さやかは目の前にいる仁美から恭介の方へ視線を少しだけ動かす。そこには、帰りの身支度を済ませた状態で静かに椅子へ座り、読書に勤しんでいる恭介の姿が見えた。
「あれ、恭介と一緒に帰るんじゃなかったの? 私は一緒に帰れないけど」
これから帰るというのに、本を開いている姿を見たさやかは疑問を覚え、目の前にいる仁美に聞いていた。
「何を言っていますの。最近はまどかさんと暁美さんと一緒に帰る事が多くて、そもそも一緒に帰ってくれないじゃありませんか」
「いやぁ。あたしも色々やることが多くてさ。最近は特に大変で__って、そんな事を話しに来たわけじゃないよね」
目の前にいる少女は、これから一世一代の告白をしようと考えている少女なのだ。
教室にいる友人と世間話をしたいが為に、態々その相手を待たせてまで話しかけている訳では無いだろう。
それに加えて、友人と談笑したいと思っているほど穏やかな表情はしていなかった。
先程恭介と話していた笑みは無く、真剣な眼差しでさやかを見据えている。
___あぁ、これは昨日の話の続きをしたいんだろう。
仁美にそんな眼差しを向けられてしまう事態。そんな眼差しを向けられる事態など、それぐらいしか思いつかなかった。
「さやかさん。少しだけ面を貸していただけませんか」
「お嬢様が何不良みたいな言い方してんだか……うん、良いよ。まどかはマミさんの所に___」
「まどかさんも一緒に来ていただいてもよろしいでしょうか?」
用があるのは自分だけだ。そう思い、さやかは隣で見ていたまどかを先に、マミの所に行くよう伝えたのだが、それは仁美により止められてしまった。
「え、私も? でも……良いの?」
「はい。私がお願いしたいんです。私とさやかさんだけでは、私が何をするか分かりませんから」
「随分物騒なことを言うなぁ」
まどかは部外者である自分も含まれて大丈夫なのかと聞いていたのだが、二人だけでは冷静に居られず、何をするか分からないと答えられ、穏やかでは無い言い草にさやかは頬をかいていた。
しかし、仁美の言葉通り、いつもの落ち着いた雰囲気は隠れていた。
あの仁美がそこまで感情を発露している。それは、それだけさやかと恭介の関係などを真剣に考えてくれている証拠だと、さやか自身も良く分かっていた。
だが、いくら何を言われようともさやかの気持ちは変わらない。それを話したのが昨日の出来事であり、仁美もそれを理解できていないはずがない。
それでも諦めきれないのか、遠のくさやかの腕を掴もうと手を伸ばして来ていた。
「屋上に行きましょう。さやかさん」
「良いよ」
まるで喧嘩をする前のワンシーンのようだと、まどかは二人の姿と会話で連想していた。
しかし、まどかの言うことはあながち間違ってはいない。仁美はさやかに向けて喧嘩を売る覚悟で来ていた。
だが、何処にでも居るような不良がする喧嘩とは訳が違う、仁美の気持ちを伝えるための喧嘩を売りに来ているのだ。
屋上に足を運んだ三人。さやかと仁美は対面上に立っており、その二人をまどかは少し離れた場所で眺めていた。
仁美は先程と同じ様に、真剣な眼差しでさやかを見続けている。しかし、さやかはいつもと変わらない態度をとっているように落ち着いていた。
お互いに喋ろうとする切っ掛けが見当たらず、静かな時間が流れていた。だが、その時間を切り開いていくように、仁美の口がゆっくりと開かれ始めた。
「昨日の話、覚えていらっしゃいますでしょうか」
「うん。勿論覚えてるよ」
「約束通りです。今日、私は上条くんに告白をいたします」
「そっか。うん、頑張って。仁美なら大丈夫だから___」
「くっ!!」
仁美が告白をすることに何も思わない。そんな態度を取り続けるさやかに、思わず身体の震えを抑え込むことが出来ず、さやかの胸ぐらに手を伸ばしていた。
それでもさやかの表情は依然として変わらない。親友に胸ぐらを掴まれようとも、信念が揺らぐことはない。
そんなさやかの態度を見せ続けられた仁美は更に意識を強くさせ、掴んでいた腕には力がこみ上げていた。
「仁美ちゃん!」
仁美がさやかの胸ぐらを掴んでいる姿を見てしまい、思わず声を上げてしまった。
急いで止めようと二人へ駆け寄ろうとしたのだが___
「まどかさんは黙ってくださいッ!!」
「っ!」
今まで聞いたことのない仁美の怒鳴り声。その声を聞いたまどかは金縛りにあったようにその場から動けず、立ち止まってしまった。
「私は冷静です……まどかさんはそこで見ていてください……」
「仁美、少し苦しいよ」
胸ぐらを掴まれ、衣類が喉を締め付けている。それが苦しいと声を出していたのだが、それでも抵抗の意思を見せないさやかに、仁美は苛立ちを覚えていた。
「どうして振り払わないのですか」
「あたしは仁美を傷つけたくない」
「傷つけたくない、ですか……お生憎ですが、私はさやかさんの答えに傷つきました」
「……」
「さやかさん。貴女のお気持ちは良く分かりましたわ。そして、私のことを。上条さんの事を大切にしてくださっていることも___ですが、それでも私はさやかさんを許せません」
徐々に掴んでいた腕の力が緩んでいき、さやかの首元から離れていく。
「貴女のことは大切な親友だと思っています。だからこそ私は、さやかさんに向けて堂々と言えることが出来たんです。他ならない貴女だからこそ、私は言えたんです」
「うん、分かってるよ」
「分かっていません!……一体、貴女に何があったと言うのですか? まどかさんもそうです。貴女達二人には、何か秘密があるように思えます。ですが、それを私には話そうとはしませんでした。それは、私に話したとしてもどうにもならない事。私に出来ることがあれば相談してくれるはず。そう思い、私もむやみに口を挟みませんでした」
「……」
「ですが、昨日の貴女の瞳は……一体、何があればそんな風になるのですか? あんな雰囲気は、生まれて十四年の少女が出せて良いものではありません。数日前までは何も変わらないさやかさんでした。ですが、たった数日です。その間に、人が変わったようになっていました……さやかさん、教えて下さい。貴女には一体何が起きたんですか? 私では、さやかさんを助けることは出来ないんですか……!?」
胸に手を置きながら、仁美はさやかに向けて叫んでいた。
自分では力になれないのか。それは、さやかの事を思う仁美の純粋な本心であった。
だが、そんな仁美に向けてさやかは首を振り、突き放すように口を開いた。
「仁美……はっきり言うよ。仁美には関係ない。仁美が何を言っても、助けようとしても、もう変えられることが出来ない。あんたはあんたらしく、あたしの親友で居てよ。そして、恭介を幸せにしてあげて」
「っ!」
仁美はその言葉に地面を見るようにうつむき、握りこぶしを作っていた。
自分では何も出来ない。親友を助ける事が出来ないと言われてしまう事実に、仁美はそれが悔しいと思い歯を食いしばった。
仁美に答えるように、さやかははっきりと伝えた。しかし、それでも仁美の中にある気持ちを、上手く片付けることが出来ていない様子を感じていた。
それを見たさやかは、小さくため息を吐きながら口を開いた。
「全く仕方がないなぁ……こんな一般庶民の友人作ってたって、あんたがこれから進んでいく道には邪魔になる可能性だってあるんだ。何処にでもいるような女の子なんて気にしないでさ、仁美は良いから、将来有望な彼氏を作って、さっさと幸せに____」
さやかが最後まで言い終わる前には、乾いた破裂音が響いた。
この感覚は前にも受けたことがある。そんなデジャブを感じながら、右頬に強い痛みを受けていた。
「いい加減にしてくださいっ! さやかさんは一体何処まで人を馬鹿にすれば気が済みますの!? もっと……もっと御仁を大切にしてください! もっと私を見てください!! 私はさやかさんに、そんな事を言わせたくて呼び止めたんじゃありません! これでは私の、ただの独り相撲では無いですか……っ!!」
下をうつむいていた仁美を次に見たときには、まぶたに涙を浮かべていた姿だった。
自分を大切にしろ。そんな言葉を、さやかは過去に何度も聞いたような気がしていた。
さやかは人に心配をかける事をしている自覚は確かにあったが、そこまで死に急いでは無いはず。そう思ったのだが、過去にまどかや杏子から同じような言葉を言われていた。
自分の為にしていることなのだから、そこまで心配しなくても良いのにと思っていたのだが、静かに涙を流し続けている仁美にそれを言うことは出来ず、優しく声をかけていた。
「私は仁美のことが大好きだよ。でも、私のせいで仁美が苦しんでしまうなら、私は仁美の親友じゃなくても良い」
「そ、そんな……っ!!」
「責めてる訳じゃないんだ。ただ、迷惑になることは良くても、人生の足かせになるような事はしたくない。仁美にとって、恭介は人生の分岐点になると思うからさ、ここで私を考えて行動を躊躇するようだったら、あたしはあたしが嫌になっちゃうよ」
「ですが、私は!」
「お願いだよ仁美。あたしの事を本当に想ってくれるなら、仁美はあたしの事を気にせず、恭介に告白して」
「さやかさん……私は、ただ……」
「あたしは嬉しかったよ。仁美がこんなにあたしのことを考えてくれるなんて。本当に嬉しかった___それでも、あたしの意思は変わらない」
「……」
「仁美は何も悪くないよ。決めたのはあたし自身だ。だから、何も気にせずに告白して。大丈夫。仁美なら恭介と絶対に付き合えるよ。それが私の願いでもあるから……行こう、まどか」
「うん……またね、仁美ちゃん」
立ち去っていくさやかたちに何も言うことは出来ず、そのまま流れ出る涙を枯らすことしか出来なかった。
何を言ってもさやかは変わることはない。気持ちが揺れることがなく、相手にするしないの域を超えてしまっていた。
自分のことは気にせずに、恭介に告白して欲しいと言う願い。その願いが偽りのない本心であることも、仁美には嫌なほど伝わってしまった。
たった一人の少女を。友人を。親友を助けることも出来ない。話を聞くことすら、手を伸ばすことすら許されない。
それが、仁美にはあまりにも悔しくて、さやかが立ち去った後も声を抑えるように顔を覆い、涙を流し続けていた。
「これで、良かったのかな」
「なーにまどかが不安になってんのよ」
荷物を置いている教室へ戻ろうと、屋上に続いていた階段を下りながら不安そうにまどかは、声をぽつりと出していた。
しかし、それを言うのであればさやかのセリフだろうと思い、その声を拾い上げていた。
「さやかちゃん、無理してない?」
無理しているかと聞かれて、さやかは考えるように顎へ手を添える。
「無理してる、か。それが、びっくりするほど何とも無いんだよね。少し前のあたしなら、世界なんて滅んじまえー! って、思いそうだけど……」
「ねぇ、さやかちゃん」
「ん……?」
肩が触れ合いそうになるほど近い距離にいたまどかが、より一層近づき始める。遂には肩が触れ合い、さやかの手の平に自分自身の手のひらを重ね、指を絡ませた。
同時に腕も組み始め、まるで恋人同士が引っ付いているほどの距離になっていた。
「おぉう。さっきまであんな事があったのに、よくそんな事が出来るね。え、なに? 本格的に私の嫁にでもして欲しいの?」
「え!? い、いや、そうじゃなくて……一緒にいたいなって」
決してさやかが言っている様な思いで引っ付いている訳では無い。そう言いながらも、絡ませている指を解くことはせず、腕を組んだまま離すことはなかった。
「ふーん……まぁ、まどかと手を繋ぐのは好きだから、あたしは良いんだけど」
まどかに抱きついたり、頭を撫でたりと、身体が何度も触れ合うスキンシップは頻繁にしていた。
基本的にさやかからすることが多く、まどかから抱きついてきたりすることはあまりないのだが、だからと言って断る理由はない。
さやかはまどかに触れられるのは好きであった。
女の子らしい柔らかさがあって、香水を付けていないはずなのに、優しい香りがしている。それに、大好きな親友に触れられるのは妙な安心感が感じられたからだ。
そんな事を考えていると、手を握っているまどかの手の平がほんの少しだけ力が入るような感覚がした。
「さやかちゃん、とっても温かい」
「んー、まどかも温かいよ」
「ねぇ、さやかちゃん。仁美ちゃんに言ってたよね。誰かの迷惑になるのは良いけど、足かせになりたくはないって」
「え? あ、あー……そんなこと言ってたっけ? ごめん、その時の勢いで言ったから、あんまし覚えてない」
あの時口に出していたことを掘り返され、恥ずかしいと思っているのか、はぐらかすような様子を見せていた。
「そうなの?……私はね、その気持ちすっごく分かるよ。私はいつも周りの人に迷惑ばかりかけて、誰かの為になれる私っているのかなって、何度も思うんだ……だから、さやかちゃんの足かせに、もしかしたらなってるんじゃないかって」
まどかが語るもしかしたらの話。それを聞いたさやかは、大げさに手を振り否定し始めていた。
「まどかがあたしの足かせぇ? 無い無い、一生そんなこと無いよ。あんたみたいな優しい女の子にそんな事思う訳……そう言えば、あいつはどうなんだろう」
「え?」
「いや、なんだかさ。ほむらの顔が浮かんだんだよね」
「ほむらちゃんの?」
ほむらがまどかのことを迷惑だなんて思うことはない。それは、ほむらの変わらない信念であり、正義でもある。
命を捧げて叶えた願い。他の人間を捨ててまで、まどかを優先出来る覚悟を持った魔法少女であり、足かせに思うだなんて論外だ。
だが、それは同時に呪いのようにほむらに纏わり続けてきた願いだ。
まどかを助けることが出来るまで、途方も無い時間を戦い続けなければならない。それが、見えない足かせを付けているのではないかと思ってしまい、ほむらの顔が浮かんでしまった。
考えようによってはそう見えるかも知れないが、それでもほむらが、まどかのことを足かせに思う日なんて来るはずがないだろう。
そもそも、終わりのない戦いを続けるのは今回が最後になるはずだ。
今更そんな事を気にすることは無い。そう思うと、さやかは頭を振っていた。
「うーん、やっぱ思い違い……それに、まどかはまどからしく、無理に特別なことをしようとせずにそのままで良いと思うけどなぁ。もしかしたらさ、この人の特別になりたいって思う日が来るかも知れないから」
「さやかちゃんの言う、上条くんみたいに、かな」
「うん。この人のためなら命をかけれるって思う人。まどかの周りにはそんな風に考えてる人って、結構いるんだよ?」
「言われてみればそうだよね……」
さやかは恭介に。マミは見滝原の人たちに。ほむらはまどかに。杏子はさやかに。まどかの周りには、この人のためなら命をかけても良いと、本気で思ってしまっている者が多かった。
「全員魔法少女絡みで、実際に命をかけちゃってる。全くどうなってんだかこの世の中は……」
「さやかちゃんが言ったら元も子もないよ」
「でも、実際そうだと思うよ。一応あたしたちはさ、まだまだ思春期真っ只中の中学生なんだからさ、もう少し年相応に可愛らしい感じで恋バナに花咲かせても良いわけじゃん」
「あぅ……」
可愛らしく恋バナを興じたい。そう言われ、まどかは先程の出来事を思い返していた。
片や親友の胸ぐらを掴みながら涙を流すお嬢様。片や読んで字の如く魔法少女になり、死ぬか生きるかの世界に身を投じる血なまぐさい少女。そんな二人の想いは、両方とも同じ男の子に矢印が向けられていた。
可愛らしい恋バナと言うには程遠い内容で、まどかは何も言えず声を漏らしていた。
「人生って色々だねー……って、よう。恭介」
「ん? やぁ、さやか。鹿目さんも、何だか久しぶりだね」
「うん、久しぶり上条くん」
話しながら歩いていると、思っていたよりも時間の流れが早く感じられ、いつの間にか教室の前に戻っていた。
放課後からしばらくたった現在では、帰り道に何処かへ遊びに行く話をしていた生徒や、部活動に勤しもうと準備をしていた生徒。他にも、そのまま友達と帰ろうと話していた生徒たちは一人残らず消えていた。
屋上にいる仁美を待っている恭介だけが椅子に座り読書をしており、さやかは手を上げながら声をかけていた。
「志筑さんはどうしたんだい? さやかに用があるって言ってたんだけど……」
「仁美? あぁ、えーっとね……」
さやかが戻って来るのなら仁美も一緒に居るのかと思いきや、その隣にはまどかの姿しか見えずに不思議そうに聞いていた。
「仁美はもう少し時間がかかりそうだから、待っててあげてね」
「そうなのかい? 分かったよ」
答えにくい疑問を聞かれてしまったさやかは、屋上で泣いている仁美の姿が頭に浮かび上がり、はぐらかすように答えていた。
涙でまぶたが腫れてしまい、それを隠すにも時間がかかるだろう。そう思い答えたのだが、恭介は待たされることに特に気にしていないのか、何も言わずに聞き入れてくれていた。
「それじゃ恭介、また明日ね」
「またね上条くん」
「あっ___さやか、少し待ってくれないか?」
「ん?」
さやかとまどかの二人は、いつもの場所で待たせているであろうマミのことを思い、鞄を回収しそのまま教室を出ていこうと思ったのだが、恭介の呼び止める声に足を止めてしまう。
どうしたのだろうと思い恭介へ振り向くのだが、呼び止めた本人である恭介は、何か言いにくそうに視線を左右へ動かしていた。
「あ、いや。今更こんな事を言うのは、なんだかおかしな話かも知れないけど……」
「どうしたの?」
「さやかにもう一度、言いたいことがあったんだ」
緊張しているとまでは言わないが、言い出しにくい言葉を言えるように、少しだけ深呼吸をして言い出し始めていた。
「医者から諦めなさいって言われて、状況は絶望的だったはずなのに、今では腕も足も何もなかったように治った。本当に不思議なことばかりで、そう___さやかに言った奇跡が、本当に僕の身に起きた思いだったよ」
「……」
「さやかは僕が起こした奇跡だって言ってくれた。何が何でも治したいって思いが、それに繋がったって言ってくれた。でもね、僕はこう思うんだ。いつも僕の事を想ってくれていたさやかのおかげで、僕に奇跡が起きたんじゃないかって」
「っ!」
「それなのに、僕はさやかに酷いことを言った。軽蔑されてもおかしくない事をしたんだ。本当にごめん……そして、ありがとう。さやかが側にいてくれて、本当に嬉しかった」
恥ずかしそうに。しかし嬉しそうな笑顔を見せながら、さやかに言えなかった想いを伝えていた。
その笑顔を見せられたさやかは恭介と同じ様に笑い、少しだけ下を向いてしまった。
「ふふっ……何言ってんのよ、もう。恥ずかしいよ」
「さやかには伝えておきたかったんだ……嫌だったかな?」
「どっちだと思う?」
「出来れば、嫌じゃなければ良いんだけど」
「そうだなぁ……それじゃあ、これが答えだよ___」
「えっ?」
今まで感じたことのないような柔らかな感触が、突如恭介に包まれる。同時に、ふんわりと香る甘い匂いが恭介の鼻腔をくすぐった。
何が起きたのか一瞬分からなかったが、恭介の目の端に水色の髪の毛が映っている。頬から伝わるさらさらとした感触を感じて、ようやく意識をはっきりとさせて気付いた。
今まで感じていた全ての感触は、さやかの身体が抱きついている感触であったと。
表情は隠れてしまい見えなかった。だが、さやかの隣にいたまどかの姿は見えており、さやかが抱きついている事に顔を赤くし、驚きながら顔を手で隠していた。
まるで、見てはいけないものを見るような。そう、それは深夜に放送されているドラマの濡れ場を見てしまった表情で、それを考えてしまった恭介も顔が赤くなり始めていた。
「さ、さやか!?」
異性である女の子とは言え付き合いは長く、恭介からは家族の延長線上に近い人物としてでしか見ていなかった。
だが、病室で覆いかぶさられた時に見た表情。腕が治った時に触れた指。そして、身体に押し付けられている柔らかさは、さやかのことを女の子として意識せざるを得なかった。
身体から離そうとするのだが、全身を押し付けるように抱きしめてくるさやかに困惑し、恭介はその腕を空中で泳がせることしか出来ずにいた。
すると、耳元にさやかの声が聞こえてくる。
「良かった。本当に良かった。あたしも嬉しいんだ。恭介の役に立てたって。あたしなんかが、恭介の助けになれたのが」
「そんな。僕はいつも、助けられてばかりだよ」
「それ以上にあたしはね、恭介に助けられてるって思うよ」
「さやか……」
「ねぇ恭介。少しだけ、我儘させて?」
「え___?」
恭介を抱きしめていた柔らかい感触が離れていく。そして、恭介の目の前には、先程見えなかったさやかが現れた。
我儘をさせてほしい。そう言われて間もなく、目の前の近くにいたさやかの顔が徐々に近づき始め、恭介の頬に柔らかな感触が触れた。
少しだけしっとりとしていて、吸われたような小さな音が聞こえ、恭介の意識は少しばかり飛んでしまう。だが、頬に触れた感触が離れ、遠ざかっていくさやかの表情を見て意識を取り戻し、思わず頬に手を当ててしまった。
「ふふっ……頬だったら、ただの挨拶でもするんだよ。だから、難しく考えなくて良いからね」
「さ、さやか」
何をされたのかは分かっている。今、さやかに口づけを受けたのだと。
可愛らしく笑い、ほんのりと赤く頬を染めているさやか。それを見た恭介は、柔らかいものが触れた場所を中心に、さやかと同じ様に自分自身の頬にも熱を帯びていく感覚が訪れる。
「仁美のこと、傷つけるんじゃないわよ? もしそんな事したら、あたしが許さないからね。ほら、まどか……ちょっと、何のぼせた後みたいに赤くしてんのよ。行くよ」
「は、はぇ……?」
目の前にいた親友が仲の良い男の子を抱擁し、唇を頬に落とした。
それを間近で見てしまったまどかは、二人以上に頬を赤く染め上げてあっけに取られていたのだが、さやかに連れ去られるように教室を後にした。
「一体、何が起きてたんだろう……」
走り去ったさやかの背中を見えなくなるまで見つめ続けた恭介は、あの時の柔らかな感触が忘れられず、余韻を覚えているように頬を触っていた。
何だかさやかに驚かされてばっかりだ。そう思い、高鳴っている鼓動を抑え込むように椅子へ座り始めていた。
だが、いくら時間が経とうとも先程の出来事が頭から離れず、恭介はもやもやとした感覚が頭を包んでいた。
しかし、さやかから言われた仁美を傷付けるなという言葉が気になり、屋上に続いている廊下へ歩を進めていたのであった。