外を見渡せば明かりも少なく、殆どの人達は寝静まった深夜。
マンションのベランダには、夜空にも負けないほどの長い黒髪を夜風に揺らすほむらが、手すりにもたれかかりながら黄昏れていた。
「明日……やっと明日。全てが終わる……」
そう呟きながら部屋の中を横目で見ると、先程まで騒がしかった室内の光景は何処にも無く、電気が消されているからか静かで暗い雰囲気が漂っていた。
しかしベランダから見えるソファーには、騒がしかった元凶である青色の少女がお腹を出しながら寝転んでおり、その姿は暗い部屋には似合わないほど明るく光っているようにほむらは感じていた。
室内を見ていた目線を夜景に戻そうとしたのだが、ほむらは室内から一人の足音が聞こえてくることに気付いた。
目線だけではなく、伏せていた顔を持ち上げて部屋の中を眺めていると、奥からまた一人、ベランダへ入り込んでくる者が現れ始めていた。
「ほむらちゃん。隣、良いかな?」
「まどか……ええ、良いわよ」
ほむらが護るべき少女が、部屋の中からベランダへと足を踏み入れていた。
ベランダに置いてあったサンダルを履いたまどかは、ほむらの隣でマンションから見える夜景を共に眺めていた。
言葉を交わすこともなくしばらく時間が経っていたのだが、頃合いだと言うようにまどかの口が静かに開いていった。
「明日、なんだよね」
「明日……ええ、明日。全てが終わるわ……今度こそ、必ずワルプルギスを倒してみせる。そしてまどかを___貴女を、必ず救ってみせる」
まどかに明日と問われ、何に対して指しているのかを察していたほむらは、決意を新たにまどかへ答えていた。
ほむらを救ったのは他の鹿目まどかかもしれない。
しかしほむらは、自分自身を救ってくれたまどかも、目の前にいるまどかも同じだと言うように見つめていた。
「大丈夫だよほむらちゃん。皆がいるもん。それに、私は魔法少女にはならない。それが皆のためだって分かったから」
「それでも私は心配なの。過去の経験上、貴女は何度もそう言って、最後には魔法少女になった……」
契約をしている姿を思い出しているのか、まどかから目線を外しベランダの手すりに置いていた腕に顔をうずめていた。
そして、顔を伏せながらも、少しだけ唇を震わせながらもまどかに問いかける。
「ねぇ、もし。もしの話よ……美樹さんや杏子。巴マミが死んだら……あなたは皆を生き返らせるために、魔法少女になるかしら?」
「……」
「答えにくいわよね……それでも私は、貴女に契約をしてほしくは無い。貴女さえ無事なら、私は___」
「もう、駄目だよほむらちゃん。そんなに後ろ向きに考えてちゃ」
まどかはそう言いながら、手すりに置いてあったほむらの手を握る
頼もしく格好良く、美しくも見えていたその手だったが、今のまどかにはとてもか細く、小さく感じてしまっていた。
「それでも不安なの、まどか……今度こそ、今度こそ……そう言い聞かせて何度も戦っていたのに、その度に失敗して、やり直して……そうして訪れた今回は、今までにないほど絶好の機会なの。これを逃してしまったらって思うと……」
ほむらの家で見た大量の資料。
鮮明に書かれている内容や、資料の数だけ、それほどほむらが繰り返してきた証拠だ。
まどかには目の前の少女がどれだけの時間や、命の危険が伴う場所を渡り歩いてきたのかは分からない。
いや、今のまどかの立場では、ほむらを理解する事が出来ないのは分かっていた。
昔のまどか___魔法少女のまどかは、魔法少女ではないほむらに向かって。今の自分と同じ理解出来ない立場にいるほむらに足かせを付けた。
だからこそ救いたい。
もう、何度もループして抜け出せられない少女を、今の自分がその手を取り、救い出してあげたい。
その想いや願いは、何者でもない少女の小さな灯火だ。
だが、少女の小さな灯火を大きくしようとする材料が、少女の中には存在した____膨大な因果の糸が巻き付いていることによって。
「さやかちゃんと話していたときにね、人には迷惑をかけても、足かせにはなりたくないって言ってたんだ。もしかしたら、私はほむらちゃんに、とんでもなく大きな足かせを付けちゃったんじゃないかって、思ったんだ」
「そ、そんな訳ない! 私はまどかが好きだから! 私が勝手にやって___っ!」
腕の中にうずくまりながら喋っていたほむらは、その言葉を聞いて否定しようと勢いよくまどかに体を向けた。
しかし、その時のまどかを見たほむらは、言葉が喉を通らずに詰まってしまった。
そこには、魔女やキュゥべえとは別次元の存在感を持つ、あまりにも美しい衣装を身に着け、白く輝く翼の生えた少女が佇んでいるように見えたように思えたからだ。
いや、少女と表現すれば良いのか、女性と表現すれば良いのかほむらには分から無かった。
目の前にいる何かは、まどかのようでまどかではない存在であり、本当に存在してるのかも分からない曖昧な感覚があった。
だが、今までに感じたことのない感覚。
明らかに常軌を逸脱していると言っても良い雰囲気をまどかからか発しており、ほむらは動けずにいた。
そんな状態にいるほむらをよそに、まどかは何事もなく語り続ける。
「それでもね……違う私がほむらちゃんにお願いしたから、ほむらちゃんは頑張り続けたんだよね。だから……だから今度は私が、言わないといけないと思うの」
「ま、まど、か……」
体が言うことを聞いてくれないでいたほむらは、まどかが言おうとしている言葉を遮ろうとしても、思うように口が開かなかった。
恐怖と言った不快感などの類から来る感覚ではなく、不快感を覚えるような嫌な思いは全く感じなかった。
寧ろ、そこまでの存在を目の前にして恐怖の類が全く無いことが、ほむらには酷く恐ろしく感じていた。
このまま身を委ねてしまえば楽になる。何を思っていたのかはほむら自身にも分からなかった。
だが、本能が無理矢理訴えかけて来て、抗うことを止めさせようとするばかりであった。
それでもほむらは狂気とも言える経験が幸いして、襲ってくる感覚に委ねることを一歩手前で踏み留まり、意識を強く保とうとしていた。
「ほむらちゃん。もう、良いんだよ……もう、ほむらちゃんは___」
「……っ」
喋り続ける存在に、これは自分の意志だということを伝えるために。
「待ってッ!!」
「ほむら、ちゃん?」
「はあっ……!! はあっ……!!」
ほむらが決死の思いで放った言葉により、ほむらに包んでいた緊張が解かれ、空気を求めようと激しく呼吸をしていた。
「ほむらちゃん、大丈夫……?」
「ま、まどかなの? まどかだよね?」
「え? う、うん。どうしたの?」
「どうしたのって、そんな……」
ほむらがもう一度まどかを見たときには、先程の異様な雰囲気は無く、いつも通りのまどかが心配そうにこちらの様子を伺っているだけであった。
気の所為だったと言い捨てられない現実味があり、まどかの体に異常が無いのかを確かめたほむらだったが、何処にも変化はなかった。
「まどか……嫌……何処にも行かないで……」
「ほむらちゃん?」
あのまま何も言わずに本能に従ってしまっていたら、目の前にいる少女は何処かに行ってしまうのではないか。
自分の手には届かない場所へ、あまりにも遠い場所に旅立ってしまうのではないかと心配になり、自分の目の前にまどかがいることを確認しようと抱きしめていた。
「く、苦しいよほむらちゃん」
「あっ、ご、ごめんなさい……まどかが、私の知らない何処かに行ってしまいそうで、不安で仕方が無くなって、それで……」
「それを言うの、多分私の方だよ」
「そうかも知れない……だけど私には、まどかが私の所から離れていくんじゃないかって、そう思ったから……」
抱きしめていた腕を離し、まどかの手を握る。
そのままの、先程まどかが言おうとしていたことについて、ほむらが口を開いた。
「ねぇ、まどか」
「どうしたの?」
「まどかが言いかけた言葉。もう少しだけ待って欲しいな。もう少しだけ、貴女のために頑張りたいの」
「……うん、分かった。もう少しだけ、私はほむらちゃんの足かせでいるね。だから……頑張ってほむらちゃん。私のことを救って欲しいな」
「も、勿論よまどかっ! 私がまどかを必ず救ってみせるから!」
まどかから救ってほしいと言われたほむらは、嬉しそうにまどかに抱きついていた。
「も、もう、苦しいよほむらちゃん。ほら、夜も遅いから、さやかちゃんを布団に移動させて一緒に寝よ?」
「ええ……もうそろそろ布団に入ったほうが良い時間よね。分かったわ」
そう言いながらベランダから戻ってきた二人は、リビングに置いてあった来客用の敷布団を二枚並べていた。
大人でも余裕を持って入れる大きさだった敷布を二枚並べれば、中学生が三人入っても十分に余裕があった。
ほむら達はソファーに寝ていたさやかを布団の中に移動させると、二人もその中に入り、深い眠りに入っていったのだった。
「おいマミ」
「ん?」
「あんな事言ってるけど、良いのかよ」
リビングの隣にあるマミの部屋。そこのベッドに寝転んでいた杏子は、ベランダで話していたほむら達の内容を聞いてしまっていた。
同室にいるマミも聞いており、杏子にその事を問われていた。
「まどかのやつ、最後の最後にどうしようも無くなったら必ず魔法少女になる。この世界を救おうとしてな」
「……」
「あんただって分かってんだろ? 何を願うかは知らねぇが、あいつが願いを叶えれば良くも悪くも世界の終わりを意味するはず……どっちにしろ、この戦いが世界を護る戦いになるってのは変えられない」
「世界を護る、か……」
「あんたが望んでいたことだ。そうだろ?」
世界を護る戦いとなると言われ、マミは目を閉じ、思い返していた。
魔法少女の真実を知ってしまったあの日。
全てを捨てて、世界を救おうと決意したあの日。
その時に抱いた願いが、思いもよらぬ形ではあるが目の前に訪れてしまった。
「世界を護る。その一心で、魔女や魔法少女達を殺して来た。それが何百年、何千年の時が必要になっても、私は全ての人達を救おうとしたわ……ほら、佐倉さん。これ見て?」
「これは……さっき撮ってたやつか?」
マミに手招きをされた杏子は、折りたたみの机に乗っているノートパソコンの画面を覗き込んだ。
そこには、先程のパーティーで撮られたであろう写真の数々が映し出されていた。
「良い笑顔よね。とっても可愛くて、綺麗って思うわ」
「そうだな……」
「でも、私はこの笑顔を壊すことになる。そうでしょう?」
「聞かなくたって、あんたも分かってることだろう」
「ふふっ……けど、こんな風に終わるなんて、私も思って無かったかなぁ」
「あんたの夢が、か? それとも……」
「……さぁ、私達も寝ましょう。明日は忙しい一日になるわよ」
マミは写真が映し出されていたノートパソコンを閉じると、杏子が寝転んでいるベッドの中に入り込んでいく。
「なぁ、マミ」
「どうしたの?」
「ワルプルギス。本当に勝てると思うか?」
隣に寝ていた杏子からそう聞かれ、マミは何も言わず口を閉じていた。
しかし、答えを聞かずとも杏子は続けて話し始めた。
「キュゥべえが言ってただろう。まどかが魔法少女にならないと勝てないってよ。あんたはその解決方法があるみたいだが……どうするつもりだ?」
「大丈夫、勝てるわよ」
「勝てる方法があるって言っても賭けに近い。更に言えばその方法を言うことは出来ない、か……」
「そうね……奇跡を願ってくれたら、きっと上手くいくわ」
「ははっ。絶望を振りまく厄災となる魔法少女が、奇跡を願うだって? あんたらしくない言葉だな」
願っていてくれたら上手く事が進むと言われ、それを聞いた杏子は驚いた顔をすると、少しだけ笑い出していた。
「良いじゃない。私達の元を辿れば、人々を救おうと願う少女達ばかりだったはずよ。だから、同じ魔法少女の私達だって、見滝原も護って、人々を護って、まどかさんも救えて……きっと、大団円で終わるわよ」
「そこに、あんたはいるのかよ」
「……」
まるでナイフのような一言だった。
全てが上手くいくと良い放ったマミは、その言葉を返すことが出来なかった。
「あんた___死ぬ気なんだろ。この戦いで」
「なんのことかしら……? さぁ、もう寝ましょう。寝不足で力が出ませんでしたなんて、そんなの笑えないわよ」
杏子の言葉から逃げるように、マミは布団に深く潜り込むようにしていた。
しかし、杏子に呼び止められた事により、それも遮られてしまう。
「マミさん」
「佐倉、さん?」
その呼び方がマミにとって、とても懐かしく感じたからだ。
「覚えてる? 昔、あたしが言ったこと」
「……ワルプルギスを、一緒に倒そうって言ったことかしら」
「覚えててくれたんだ……マミさんに言ったよね。あたしたちならワルプルギスを倒せるって。だから、一緒に倒そうよ……」
「佐倉さん……ほら、こっちにいらっしゃい」
「ん……」
マミは胸の位置にある布団を持ち上げ、少しだけ空洞を作るように見せていた。
そこへ入るよう杏子に伝えると、隙間が作られていたマミの胸元にすっぽりと収まっていた。
体を包み込んでくる甘い匂い。
匂いは修行時代の時に、今のように一緒に眠っていたことを思い出してしまう。
その時を思い出しながら大きな胸元に頬を乗せ、腰回りに腕を回せば、柔らかい肉体が全体で感じられていた。
「マミさんはもう頑張ったよ」
昔の事が杏子の頭の中で回りながら、ぽつりぽつりと言葉が出てき始めていた。
「多くの少女を殺した。でも、それ以上に多くの人々を救った……分かってたんだ。誰かを救うには、他の誰かを犠牲にしなくちゃいけない事もあるって……でも、人はそう簡単には割り切れない。一人を犠牲にして、百人を救う決断を避けたがるんだ……誰もその舵を取りたくないんだ……」
「綺麗事ばかりじゃ皆を救えない……いえ、私は皆を救うことを諦めた。だから私は、犠牲を出すことを承知で人々を救う事を決めたのよ。全ては私が決めた自己満足。そこまで深い意味なんて無いわよ」
頭を撫でてくるマミの手の温かさを感じた杏子は、マミの体を抱いている腕に力が入ってしまう。
この感覚を忘れないように。
「本当はね、マミさんの事好きだよ。嫌な所も怖い所もいっぱい見た……でも、その度に色んな事を教えてくれた……嫌だって思った事もある。だけど、全部あたしの中で生きているんだ……その教えは、今でもあたしの中で培われてるんだ……」
「そう……良かった。佐倉さんの為になってたのなら、私は師匠として嬉しいわ……」
「マミさん……忘れないよ。マミさんの事」
「ありがとう、佐倉さん。貴女が風見野に帰る前、言ってくれたわよね? 私も助けたいって……私は貴女に助けてもらったわ。最後の最後で、私の事を本当の意味で理解してくれる魔法少女が現れたもの……」
「それはやっぱり、魔法少女としての佐倉杏子だから?」
「そんな事ない。貴女の全てを見た上で、そう思ったの」
「そっか……良かった。ずっと心残りだったんだ……マミさんも助けれないかって。ずっと……」
「ありがとう……大好きだったわ。佐倉さん」
「私も、大好きだったよ。マミさん」
次の日、見滝原は暗闇に包まれた。