キュゥべえの一言に思考が止まってしまう。魔法少女とは何かを聞き、聴き慣れていないような難しい言葉や知らない単語が口に出されるが、なるべくついてこれるようにしてきたつもりだ。聞いたのはまどか自身であるし、勧誘をしてきたキュゥべえにも話す義務はあるはず。だからこそ、戸惑いながらも耳を傾け飲み込んできたつもりだ。
今まで話している内容は大きな塊の一部分でしかないだろう。長くはなるだろうが、話の一部分でも魔法少女や魔女の重要性、危険性などは十分に理解できているからこそ、学生が参考書類を開き、難しいからといって投げ出すようなこともせずに聞いていたつもりだ。しかし、先程キュゥべえは何を言ったのだろうか。いや、何を言ったのか聞こえてはいるし頭では理解しているが、気持ちがその言葉を否定したがっている。重要な話だからこそ考えることを辞めてはいけないのは分かっている。最初に言った通り元々はキュゥべえが魔法少女にならないかと勧誘してきた側ではあるけれども、魔法少女に関して聞くか聞かないかを選択するのはまどか自身であり、そして詳しい内容を聞くことを選択した。ならば、まどかはキュゥべえの話を全て聞くべきだと分かっているのだが、それでもその言葉を否定して考えることを遮断してしまう。だからこそ、もう一度何を言ったかを聞くことにした。否定してしまっているから。考えることを辞めてしまっているから。認めてしまいたくないから。自分の聞き間違いでいてほしいから。分かっているが足掻いてしまう。
「キュゥべえ…さっきは何を言ったの? 魔法少女は何って?」
「ソウルジェムが濁りきれば、魔法少女は魔女になるんだ」
ソウルジェムが濁れば魔法少女は魔女になる。キュゥべえは声色を変えず普通の出来事だと言わんばかりに、まるで流れ作業のようにそう口にした。聞き間違いではなかった。考えることを止め、ぼやけた頭に鋭く研がれたナイフのようなもので直接切りつけるようにその言葉は刻み込まれる。まどかは油をさしていない機械のように硬い動作でゆっくりと首を回し、マミに確認を取るように顔を向ける。頭に刻み込まれたその言葉が嘘であってほしいとすがりつくように。
嘘であって欲しいと願うまどかの青ざめた表情とは対照的に、マミの表情は真剣で力強いものだった。マミと視線が合い、本当のことであるというようにゆっくりと首を縦に振った。そして、駄目押しだと言わんばかりにマミはまどかに語りかける。
「キュゥべえは嘘はつかないわ。キュゥべえには人間誰もが持っている感情というものを持ち合わせていないの。感情というものは精神疾患。つまりは病気の類としか捉えていないのよ」
「それじゃあ…」
「うん…魔法少女が魔女になると聞いたときは私も驚いたわ…なんでもっと早く言ってくれないのって。そしたらキュゥべえはなんて言ったと思う?」
「……」
「聞かれてないから、よ。そう、私たちが聞いていないから。それだけのことだったみたいね」
遠い過去にあった話のように喋るその姿は儚げであった。マミにとっては既に終わった話ではあるが、まどかにとっては衝撃的で言葉を失っていた。
魔女は人間に害をなす存在。そして、魔法少女はその魔女を倒す存在。魔法少女のことを正義の味方だと考えていたまどかは、余りにも純粋で浅はかな考えだったのかもしれない。魔女は人間にとって害をなす存在かも知れないし、悪なのかもしれないし、人外なのかもしれないが、元をたどれば同じ魔法少女であり人間だった。敵だと信じこみ魔法少女達は魔女を狩る。しかし、その実態は同じ人間。未知の生物から街の人々を守っているはずだったのに、同じ人間同士で、同じ年頃の少女たちが殺し合いをする。終の見えない戦いの果てには自らが魔女となりまた殺し合いを始める。そう思うと胸が苦しく、吐き気が込上がり思わず口元を押さえてしまう。
キュゥべえは何故このようなことをするのだろうか。人一人に何でも願いを叶えてもらうというのは確かに魅力的かも知れない。人間が誰しも一度は思ってみる魔法が使えたらというものが実現できるのは、夢のある話かも知れない。だが、たったそれだけで自分と同じような少女達は否応なく死ぬか生きるかの戦いの場に駆り出される。魔女を狩らなければ、グリーフシードを手に入れられなけれれば魔法少女は強制的に魔女になる。それなのに、聞かれなかったからだけで済まされるのはあんまりではないのか。そう思わずにはいられなかった。
「何で…何でなのキュゥべえ…どうして騙すような…」
「マミが言ったとおり、僕たちは聞かれなかったから答えないだけだ。騙してなどはいないさ」
まどかはなぜ騙すような真似をするのかと聞くも、キュゥべえは先程と同じように表情を変えずただ当たり前のように、決められたことを話しているかのように平然と口に出す。
キュゥべえには感情が無いとマミは言っていた。キュゥべえ自身もそれについて否定の言葉を出してはいないし、キュゥべえのように全ての生き物に感情が存在するわけではない。
感情は基本的に考えたり感じたりするもので、脳の大きさによってその生き物が感情を持っているかの有無が決められているらしい。例えば、虫などは小さすぎて感情が無く、本能によって行動を起こしているという。しかし、身近にいる動物、猫や犬などは言葉が喋られなくても人間と意思の疎通は可能だ。
巴マミが言うように、キュゥべえに感情はないのだろうし、キュゥべえ自身もそれを否定してなければ逆に認めている節はある。だからこそまどかにはキュゥべえのことが不気味で仕方なく思えた。
キュゥべえは人間と同等、いや、人間以上の知能を持っているだろう。それだけの知能を持っているのであれば、感情を持っているだろうと考えられる脳の大きさも十分にあるはずだ。それなのに、キュゥべえは感情というものを持たず、淡々と決められた言葉を喋る。その姿は、自分自身の意思で喋っているのではなく、何か別の意思がキュゥべえに働きかけている。キュゥべえはそこにいるが、キュゥべえを操り何者かが喋っているような、そんな感覚に襲われてくる。もちろんそれは、まどかの勘違いだったり、深く考えてしまっているだけかもしれない。しかし、キュゥべえに対し不気味さを、恐怖を覚えてしまっているのは確実に言えることであった。
「キュゥべえは何がしたいの? 私たちのことが嫌いなの?」
ここまで様々な話を聞き、こう言った質問に行き着いてしまうのは当然のことかもしれない。願いという釣り針を垂らし、一生を引き換えにまだ年端もいかない中学生を戦場に強制的に駆り出される。歴史の教科書を開けば、そのぐらいの歳の子が戦場に足を運ぶ時代は確かにあった。しかし、今は現代だ。今もなお世界中のどこかで戦争の火蓋は切られている。まどかが存在する日本も間接的に関係はあるかもしれないけれども、まどか自身には直接的な関係はない。そもそも、キュゥべえは何故人の願いを叶えるのか。何故魔法少女を作り上げるのか。話を聞く限りでは目的が全く見えずにいた。
キュゥべえが悪魔のような契約を人間と交わし、自分にとって不利益になることは喋らず魔法少女という名の奴隷を作り上げる。人間にとってそのままの通り悪魔とも言えるような存在ならば、まどかはキュゥべえという存在を考えなしに軽蔑することが出来る。それが出来たらここまで考えることもせず楽になることもできたのだが…。
「さっきも言った通り僕には感情というものがないから、人類を君たちの言う嫌いと言った感情になることはないよ。それに、まどかの言う目的は勿論あるさ。僕が目的とするものは人間とインキュベーター両方に利益になるものなんだ。まどかは僕に嫌いかと聞いたけど、もし仮に僕に感情があるならば人類とは友好的な関係を築けているはずだよ」
「どう言う意味…?」
「まどかはエントロピーという言葉を知っているかい?例えば、木を燃やした時に得られるエネルギーはその材料となる木を育てる時に使うエネルギーとでは釣り合いが合わないんだ。つまり、このままではエネルギーが無くなる一方になっちゃうよね。ここまではいいかい?」
「う、うん…」
「それは宇宙にも言えることなんだ。宇宙にも寿命がある。そして、その寿命を延ばす為の研究を続け、感情をエネルギーに変換する技術を生み出した。だけど、僕らインキュベーターは感情というものは持ち合わせていない。そこで、宇宙を調査した結果人類に、詳しく言えば第二次性微期の女性に目をつけた。彼女たちの希望と絶望の相転移は最もエネルギー効率が良いんだ」
「彼女たちの生み出したソウルジェムが燃え尽きグリーフシードに変わる瞬間、宇宙を延命させる為の膨大なエネルギーが放出される。それが、魔法少女と魔女。君たちの知りたかった僕たちの目的だよ」
「これは、長い目で見れば君たち人類も得になるはずだよ?それは、僕の説明を聞いたまどかも分かってるはずだ」
「得になるからって…何も知らない、何も言われなかった人たちが犠牲になっても良いの…?」
「君たち人類の個体数を考えても、これは十分有益な取引なんだ。それに、さっきも言った通り僕たちも聞かれていたら答えていた。だから、僕ももう一度聞かせてほしい」
「僕と契約して魔法少女になってよ」
言葉が出ない。今までの説明を聞いて、魔法少女になると言える人がいるのだろうか。まどかは口を開いたまま、その場に静止してしまう。何も知らない少女が、いきなり宇宙の延命に命を捧げてくれと言われてもその場で答えることはできない。今から選択することは、まどかの人生を決めてしまう選択肢だった。
まどかは魔法少女の話を聞いていた時、ふと魔法少女になった自分の姿を思い描いていた。さやかのような自信も人から褒められることも何もなく、自分は無価値のまま過ごしていくのではないかと思う自分がいた。マミの威圧に当てられながらも、魔法少女の話を聞き、自分がそんな力を手に入れたら、人の一生を守れたら、願いが叶わなくてもそれだけで自分は幸せになると。だけど、それは勝手な想像に過ぎず、魔法少女というものはアニメや漫画のように、周りに希望だけを振りまいていくものではなく、時に絶望を振りまいてしまう幻想に過ぎなかったと突きつけられると、頭に痛みが走るような感覚が襲って来る。
「キュゥべえ…私は魔法少女になれない。そんな話を聞いて、例えなったとしても、私じゃ続けられる気がしない…宇宙の延命とか、私たちにとってそれがとても良いものだとしても、今の私は魔法少女になっても誰も救えない…だから…」
「…君達はいつもそうだね。僕の話を自分たちから進んで聞いたとしても、そうして自分という個体だけでしか考えない。君の言う誰かを救うという願いがあるのなら、人類のことを考えているのなら、それこそ魔法少女になるべきじゃないのかな?」
「そうだね、キュゥべえの言っている通りかもしれない。私たちの未来も救えて、何でも願いを叶えることなんて、それこそ一生を捧げないとできないことかもしれない。だけど、私たちが持っている感情はそんな簡単に割り切れるものじゃないんだよ。少なくとも、私はそう思う」
「そうかい…だけど忘れないで。君には魔法少女になる資格がある。今はダメかもしれないけど、いつか君が魔法少女になりたいと願う日が来れば、僕はいつでも君のそばに来るから。それじゃあマミ、僕は行くね」
「そう、それじゃあねキュゥべえ。次はお茶をご馳走するわ」
まどかの勧誘に失敗したキュゥべえは、マミに軽く挨拶を交わし闇の中に消えていった。まどかとさやか以外の魔法少女に勧誘しに行くのか、それとも他に用事があるのかはわからない。キュゥべえがこの部屋から居なくなることが分かると、まどかは体から力が抜けその場に寝転んでしまう。思うように力が入らず、まるで地面と体が引っ付いてしまったように、うつ伏せになり大きなため息を吐く。
力が抜けているまどかの姿を見たマミは、体にもたれかかっているさやかをゆっくりと床に転ばせる。頭には枕替わりにクッションを挟み、体にはタオルケットを優しくかけていた。体の自由が戻ったマミはまどかに近づき、床についている頭を優しく持ち上げると自分の膝に乗せる。まどかはマミの行動に驚くが、それを防ぐようにマミは膝に乗っているまどかの頭を優しく撫で始める。
「ふふ、今日は大変だったわね…いきなり見たこともない動物を助けたり、魔法少女や魔女のことを知ったり、考えたり、泣いたり…もし良かったら、私の膝を貸してあげるわ。寝心地は良いと思うから、ね?」
「マミさん…はい、とっても温かくて、優しくて、甘い香りがして…」
「こんな私が言うのもおかしいけど、魔法少女にならないって言ってくれてありがとう。キュゥべえはこれからもあなたたちの勧誘を続けるとは思うけど、私の本音を言うのであれば、これからも断り続けて欲しい…それでも願いを叶えなければいけないってなったら仕方ないのかもしれないけれど、できればそうして欲しいわ」
「そうですね…キュゥべえの話を聞いて魔法少女になろうとはあんまり思いませんでした。それでも、マミさんの言う通り、魔法少女の先が魔女になるって分かってても、願いを叶えたいってって思う日が来るんでしょうか…私には分かりません…」
「これから先のことは確かにわからないわ。だけど、そうならないように少しでも少なくするのが私の、魔法少女の役目だから。だから、心配しないで」
「マミさん…どうして…何で、そんな風に言えるんですか?辛くないんですか…?」
こんな質問はするべきではないのかもしれない。辛くないはずがない。街の人を守っているものがその災害の原因だと教えられて。倒してきたものが自分と同じ存在だと知って。だけど、マミに優しくされてしまうからなのか、気持ちが、感情の高ぶりが抑えられなくなり涙を流しながらもそう口にしてしまう。
「そうね、確かにキュゥべえから教えられたときは辛かったわ…魔女を倒すことが魔法少女としての役割で、正義だって思ってやってきた事は、もしかしたら大きな間違いだったんじゃないかなって…。だけどね、それ以上に怖かったの。ここで足を止めて、私が魔女になったら、一体どれだけの人間が犠牲になってしまうのか。魔法少女と魔女の強さは比例するらしいわ。自分で言うのもなんだけど、私が魔女になれば必ず大きな被害をもたらしてしまう。だから、私は魔女になってはいけないの」
マミは自分が正しいと思い行っていた行為が、敵と決めつけて倒してきた相手は全て自分たちと同じ存在と分かった時には、もう取り返しのつかないほどの魔女を、魔法少女を倒していた。綺麗に思えたその両手や身体も、何かに汚れているように見えてしまった。何もかも遅かった。自分の身体には、汚れと共に、人一人には背負いきれないほどの魂を、因果を背負ってしまった。そして、その因果がマミを魔法少女として強くしてしまい、そんな彼女が魔女になった時の被害は、一般的な魔女の強さを遥かに超えてしまっているだろう。
絶望をしてはならない。魔女を倒さなければ、魔法少女は生きることを許されない。魔女を倒さなければ、自分が魔女になってしまえば、街の人々に被害を及ぼしかねない。マミは逃げることの許されない世界に足を踏み込んでしまっている。
それでも、彼女は希望を捨ててはいなかった。
「魔法少女は魔女になってしまう。これは、変えられない事実かも知れない。だからこそ、私は魔女を倒さないといけない。私たちは魔女になったとき、関係のない人々を巻き込み、殺してしまう…そんなの、誰だってやりたくないと思うの。希望を振りまくために魔法少女になった子だっていっぱいいると思うわ。だから、私がそれを止めないといけない」
「私は、正義の味方じゃないかもしれない…でも、街の人を一人でも多く助けたいのは変わらない。そして、それは魔女になった魔法少女達も同様よ。人間に戻すことはできないけれど、一人でも彼女たちを倒して、これ以上の魔女を、周りの人を手にかけさせない。それが、魔女になった魔法少女に対しての救いだと考えているの」
「マミさん……」
「私は死なないわ。私には成し遂げないといけない夢があるもの。それが何年掛かるか分からないけれども、それを達成するまでは死ぬ気はないわ。だから、私はずっと、あなたたちの傍にいて守ってあげるから…安心して、ね?」
マミはまどかにそう言いながら優しくまどかの頭を撫で続けていた。まどかはマミのその想いの強さに、その姿に心を打たれ涙を静かに流す。この涙は、悲しいから自分のために泣いているのではない。マミの美しさに涙を流している。貴方だけのために、その想いで涙を流している。
魔法少女。魔女。ソウルジェム。グリーフシード。インキュベーター。巴マミ。今日のことを友人に話したらどのような反応を受けるだろうか。頭がおかしくなったのかと言われ、信じては貰えないだろう。しかし、その話が嘘だろうが本当だろうが、まどかが今見てきたものや感じてきたものや話してきたものは紛れもない真実だった。全てを飲み込んで明日を過ごすことが出来るかはわからない。それだけのことを知ってしまった。
まどかはマミの表情を見ると、中学生のものとは思えない一回り大きな胸部が視線を遮るが、それでもまどかに優しく微笑む姿が見て取れた。マミが魔法少女に対しどのような思いを持っているかはまだわからない。彼女の威圧を浴びたとしても、今頭を撫でてまどかに微笑む姿は嘘偽りないと思いたいし、演技だとは思えなかった。仮に演技なのだとしたら今頃魔法少女ではなく天才女優として一躍有名になっているだろう。そんな風に思ってしまうほど彼女の手や表情から伝わる温かさや優しさや物腰は本物だった。