「咲夜…? どうしたんだい? 食欲がないのか?」
私とお義兄様は、所長室のリビングで夕食を共にしている。
お義兄様の自室も兼ねているこの所長室は、リビング、キッチン、バスルームなど生活に必要なものはあらかた揃っている。広さも調度品も申し分ないこの部屋は所長室という堅苦しい名称よりも、スイートルームと呼んだほうが実態に近い。
「咲夜? 大丈夫か? お腹でも痛いのか…?」
返事を返さない私に、お義兄様が再び質問してくる。
「…ごめんなさいお義兄様、少し食欲がないんです…」
「そんな…! 大変だ…、熱はないか? もう部屋に帰って寝たほうがいいんじゃないか?」
「大丈夫です、お義兄様。そんなに心配なさらないで」
私は無理に笑顔を作ってお義兄様に答える。
食欲…か…。私に、本当の意味での食欲なんてあるのだろうか。あの子の…咲夜の言うことを信じるならば(あの子をA-2と呼ぶのはもう躊躇われる、あの子だって“咲夜”なのだ、恐らくは)、私の身体は人間のものではなく、脳以外は機械だという。
でも、実際には私は食欲を感じることが(今はとてもそんな気分じゃないにしても)出来る。ものを食べるし、それを消化して排泄もするし、睡眠も取る。それら全てが、機械が代行している結果なのだろうか。全て、人間に似せたフェイクでしかないのか。
わからない…私には。
「ねえ、お義兄様?」
「ええと、体温計はどこにやったかな…、え? なんだい咲夜?」
慌てふためいておろおろしているお義兄様に、私は言った。
「今から…ドライブに連れて行ってくださいませんか?」
* * *
湾岸エリアを真っ直ぐに伸びるハイウェイ。助手席に乗る私は、左手に広がる夜の海を眺めている。
「ありがとうお義兄様…わがままを聞いてくださって」
「いいよ咲夜、ドライブに行くって約束したのは僕だしね。それに明日までユーミアは有給休暇中だ。ユーミアがいないんじゃプロジェクトもろくに進められない。スタッフのみんなにとっても良い臨時休暇さ」
お義兄様は法定速度を守って走行車線を走らせる。きちんとシートベルトを締め、前だけを見つめて、ハンドルをしっかりと握りしめている。いつもより、若干緊張しているみたいだ。
「お義兄様…? 少し表情が険しいみたい…。やはり突然ドライブなんてご迷惑でしたよね」
「いや…違うんだ…運転がね…少し久しぶりで…ははは。言っちゃなんだけど、僕はペーパードライバーでね、運転自体が半年ぶりなんだよ…」
「ごめんさい…私、知らなくて…」
「いいんだよ、たまに運転しないと車も錆び付いちゃうしさ。お姫様をエスコート出来るんだから、コイツだって喜んでるよ」
お義兄様はハンドルをポンポンと叩いて私に微笑んだ。
…それは一瞬のことで、すぐに前方に真剣な眼差しを向け、運転に集中する。
「ねえ、お義兄様…」
「なんだい咲夜?」
「お義兄様は…ユーミアさんを愛してる?」
「どうしたんだい咲夜、藪から棒に」
「答えてください、お義兄様はユーミアさんを…愛してらっしゃいますか?」
私はお義兄様のほうを見ずに、相変わらず窓の外に広がる暗い海を見つめながら質問する。
「そうだ…ね…ユーミアとは婚約もしている。そしてユーミアは、僕のかけがえのない研究パートナーだ。ユーミアがいなければ…僕の構築した理論はその半分も実践出来なかったのは間違いない事実だよ」
「そういうことを聞いているのではありません」
私はバックに流れていく海を見ながら小声で言う。
「彼女はね、正真正銘の天才なんだ、ちょっと悔しいけど、僕なんか彼女の足元にも及ばないだろう。最初はユーミアの才能に嫉妬したものだけど、でもね、笑っちゃうけど彼女の芸術的とも言うべき斬新かつ先鋭的な実践手段に接しているうちに、僕は…もうどうしようもなくなってしまったんだ。あの才能に触れてそれに囚われない科学者なんているはずが」
「そんなことは聞いていませんっ!!!」
キキッっと音を立てて、車が少し左右にぶれる。
「さ、咲夜…どうしたんだい?」
慎重にスピードを落とし、お義兄様が私に顔を向けて話しかける。
私は窓の外の海から視線を外し、俯いたままお義兄様に謝る。
「ごめんなさいお義兄様…大きな声を出すつもりはなかったの…許してくださいます?」
「いや、いいんだよ咲夜…思っていることがあるなら何でも言ってほしい。僕は咲夜のお兄ちゃんなんだから」
笑いながらお義兄様はそう言った。
「そうだな…愛してるよ。僕はユーミアから離れることは出来ない。あの才能を目の当たりにして、離れることなんて…僕には出来ない」
私は返事をしなかった。
私は顔を上げ再び海を…お義兄様から顔を背け、夜の海を見つめる。
一体…私は今どんな表情をしているのだろうか…。
握りしめた拳に爪が少し食い込むのを感じた。
「ところで…どこまで行きますお姫様? あまり遠出すると帰りが遅くなりそうだ」
「帰りたく…ありません」
「え? でも咲夜…」
今夜は…今夜だけはあそこに帰りたくない…。こんな状態で…病室に一人きりでいるのなんて、私には絶対に耐えられない…。
全て…明らかにしなくては…、今夜、全てを…。私は一体何者なのか…そして…。
「どこかに泊まりましょうお義兄様…どこでもいい…明日の朝に帰ればいいのでしょう?」
「そうは言ってもね…」
「今夜はお義兄様も休暇です。どうせ明日からもお忙しいのでしょ? それまで二人で羽を伸ばしましょうよ」
「やれやれ…。わかったよお姫様、お望みの通りに。どこか近くのホテルを見つけよう」
「ありがとうお義兄様」
車は次の出口でハイウェイを降りる。
* * *
「参ったな、どうやら世間は大型連休の真っ最中だったらしい。研究所に籠りきりだと、こういう時に困るね…今夜はダブルの部屋しか空いてないそうだ」
フロントから私の待つロビーに戻ったお義兄様が、困ったように言う。
「お義兄様、それがどうかしたのですか?」
「いや、だってさ…」
「兄妹で同じ部屋に泊まることのどこに問題があるのです?」
私はお義兄様をその場に残し、スタスタとフロントに向かう。
「ダブルの部屋で結構です、兄と一緒に泊まります」
予約係の女性に、私はそう告げた。
「お義兄様、今夜はもう運転なさらないでしょう? 日本酒はお好きではないですよね。ワインになさいますか、それともブランデー?」
「ちょ…咲夜…そんな勝手に…」
私はお義兄様に構わず、ルームサービスを手配する。
「一番上等な赤ワインのボトルとグラスをふたつ、チーズのような軽いものをお願いします。すぐ持ってきてもらって結構です。さあ、行きましょうお義兄様」
呆気に取られるお義兄様の手を引いて、私たちは部屋に向かう。
* * *
今回のドライブのくだり、ミステリファンなら一発だと思いますが、真賀田四季博士のあの流れをモチーフにしてます。真賀田博士サイコー、超サイコー。