私とお義兄様は、海に面した小さなバルコニーでテーブルを挟んでいた。開け放したベランダからは、カーテンが風にそよいでいる。剃刀で削いだばかりのような鋭く細い三日月と星の光が柔らかく海を照らす、夜風はほのかな潮の香りを運んでくれた。
テーブルの上には年代物の赤ワインと数種類のチーズ、そしてフルーツが少し。お義兄様はあまりお酒が強くはない、少しずつ舐めるように赤い液体を口にする。
「お義兄様、それ…私も飲んでいいでしょう?」
「おいおい…咲夜はまだ未成年だろう」
「ルームサービスを頼んだのは私ですよ、それに…綾小路の令嬢であるこの私がワインの嗜み方も知らないなんて知られたら、お家の恥ではなくて?」
「仕方ないなあ、今夜は羽目を外すって言ったしね…。でも、一杯だけだよ?」
「うふふ…きっと私、お義兄様よりお酒強いですよ?」
私は笑いながら、お兄様が注いでくれるワインのグラスを見つめる。
「ねえ、お義兄様…。記憶を無くす前の…事故に遭う前の私は、どんな娘だったのでしょう?」
私はワイングラスに口を付けながら、お義兄様に尋ねた。
「そうだね…咲夜は…とても強い娘だったよ…いろんな意味でね。あの歳で、あそこまで強い意志を持った娘はそういないだろうね。子供の頃は『私の馬になりなさい!』なんて言って、よく僕の背に乗っかってきたものさ」
「まあ、私ったら、とてもお転婆だったのね」
「お転婆…まあ、そういう言い方もあるかもしれない…ははは…」
お義兄様は少しだけ引きつった笑いを浮かべる。きっと私は、お義兄様に迷惑ばかりかけていたのだろう。
“私があなたに真実を告げるのはね、悔しいからよ!”
“私はただでは死なない。死んでたまるか!”
動かなくなる前に、
確かにそう、お義兄様の言う通りだわ。
「でもね咲夜…」
お義兄様は言う。
「僕は…今の咲夜も好きだよ。もちろん昔の咲夜も好きさ、僕の妹だもの。でもね…記憶を失っても、僕たちのことを忘れ去ってしまったとしても、今この瞬間に、咲夜は新しい時間を生きている…。どちらの咲夜も、僕の大切な妹であることに変わりはない」
「いやだ、もう…。おかしなお義兄様…」
お義兄様の言葉に、私は泣きそうになるのを必死にこらえる。
今はまだ泣くべき時じゃない、きっと、もっとこの先に、涙を流すべき時が来る…そんな気がする。
内心の不安をごまかすために、私はグラスを一気にあおる。
「さ、咲夜…ちょっとペースが早いんじゃないかな…」
「言ったでしょうお義兄様? 私、きっとお義兄様よりお酒が強いわ」
私は笑いながら空になったグラスをテーブルに置いて立ち上がる。
「お風呂…先にいただきますね。お義兄様は海を見ながら、ゆっくり日頃の疲れをいやしてください」
「あ…ああ、本当に大丈夫かい?」
「もう、心配し過ぎですよ?」
私はお義兄様をバルコニーに残して、バスルームに向かった。
* * *
頭からシャワーを浴びながら、私は浴室の鏡に映った自分の身体を見つめる。15歳にしては、発育の未熟な、凹凸が控えめなこの身体…。
普通の女の子ならば、この身体を見て「いつか私も成長して、もっと女らしい身体に…」なんて夢想するのだろう。そして牛乳をたくさん飲んだり、ファッション誌を読んだり、色んな女の子らしい方法で、大人の女性に近づこうとするのかもしれない。
でも…あの子の言うことが本当ならば、私がそんな夢想をすることも、努力することも、無意味でしかない。いくら未来の自分を想像したとしても、それは空しい想像でしかない。そこに、未来などというものは存在しない。
何故なら…成長などしないから。
私の身体が本当に機械で出来ているのならば、私の身体は成長など望めない。私はお義兄様と共に、同じ時を歩んでいくことは出来ない…。
コックを捻って、お湯を止める。
髪から、身体から、雫が伝って落ちていく。
私は鏡の中の私をじっと見つめる。
「お願い咲夜…私に力を貸して」
* * *
「お義兄様」
バルコニーでワイングラスを傾けているお義兄様に、私はベランダから呼び掛ける。
「ああ、上がったのかい咲…、さ、咲夜…?」
私を見たお義兄様は、狼狽して私に言う。
「さ、咲夜…服を…服を着なさい…」
私は素肌の上にバスタオル一枚だけを身体に巻いている。長い金色の髪から垂れ落ちる雫が床を濡らしていた。
「お義兄様…こちらに来て」
「咲夜、一体なにを…」
「お願い、お義兄様…こちらに来てください」
お義兄様はわけがわかならいと言った表情で立ち上がり、ベランダから部屋に入ってくる。
「そんな恰好じゃ風邪を引いちゃうよ? バスローブがあっただろう、早く着ておいで」
私はそれに返事をしなかった、右手でそっとお義兄様の胸に触れる。
「お義兄様…私を…抱いてください」
「さ、咲夜!?」
「抱いてお義兄様…今ここで…」
私はお義兄様の手を取り、傍らの大きなダブルベッドにお義兄様を引き寄せる。
二人の身体は、柔らかなベッドの感触に包まれた。
私は仰向けのお義兄様に、馬乗りにまたがる。
「咲夜!? どうしたんだいきなり…」
「お願いです、お義兄様…それとも、私は可愛くないですか、魅力的じゃないですか」
「そういう問題じゃない…! 僕たちは兄妹なんだぞ!」
「半分しか血の繋がりはありません」
「半分は繋がってるじゃないか!」
私は馬乗りのまま、身体に巻いたバスタオルを取って床に投げ捨てる。湯上りの火照った肌が顕わになる。
「咲夜っ…服を着なさい…咲夜…」
お義兄様は私の身体から顔を背けて言った。
「抱けませんか、お義兄様…血の通っていない機械の身体なんて、抱くに値しませんか?」
「さ、咲夜、お前っ…!?」
お義兄様は信じられないものを見るような、怯えに近い眼差しで私を見つめる。
「やっぱり…そうなのですね…」
お義兄様のその表情を見て確信出来た。
いや…
でも、やっぱり希望は…持っていたかった…。
私は…私は…
「なぜ…どうして…なぜなのよおおおおおおおおおおおおおおっ!!!」
私はお義兄様の胸を握りしめた両の拳で叩きながら叫んだ。
「どうしてこんな身体にしたんです!? 誰が頼みました? こんなおかしな身体にしてくれだなんて!」
「咲夜…」
「みんなと一緒に成長することも出来ないっ…! 好きな人が出来ても…愛し合うことすら出来ない…! 勝手にこんな…こんな身体にして、どう責任を取ってくれるんですお義兄様ああああっ!」
叫びながら、私は泣いていた。泣いて絶叫する以外にどうしたらいいのかわからなかったから。
お義兄様に思いの丈をぶつけながら、私はまだ泣くことが出来るんだ、そう思った。
「責任を取ってください、お義兄様…私の身体に…傷を付けて…この先ずっと、ずっとずっと一生残る、深い傷を…お願い…」
私はお義兄さまの胸に顔をうずめ、泣き続ける。
…どれくらい泣いていたのだろう。
お義兄様はベッドサイドに手を伸ばし、照明を落とす。
森博嗣先生ファンの方、謝ります。ごめんなさい。でも書きたくて仕方なかったんです。反省!
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