目を覚ますと、窓からは朝の眩しい光が差し込んでいた。
かすかに波の音が聞こえてくる、ここは…いつもの病室ではない、海辺にある小ざっぱりしたリゾートホテルのスーペリアダブル。私が5人くらい並んで寝てもまだ余裕がありそうな大きなふかふかのベッドで、私はお義兄様に寄り添っている。
お義兄様はまだ眠りの中にいる、彼の安らかな寝息を聞いているだけで私は心が満たされていくのを感じることが出来た。
昨日、このベッドの上で、私はお義兄様に抱かれた。血の通っていない、人間ではない、ただの機械の塊でしかない、神の恩寵から遠く見放された私の身体を、お義兄様は抱いてくださった。私は自分のお腹に手を触れ、昨夜自分がお義兄様にしたことを思い返す。
私はしっかりと、お義兄様の精を私の身体の中に受け止めた。お義兄様は何度も私の身体の奥深くにそれを放出した。人間の身体であったなら、昨日の行為によってお義兄様の子供を授かることもあったかもしれない。そうなれば私はどれほどの幸福を感じることが出来ただろう。
でも私は、脳以外の私の身体は人間のそれではない。私の妄想は永遠に現実となることはない。それでは、昨日私の中に注ぎ込まれたお義兄様の精は、一体どうなってしまうのだろうか。異物として処理され、そのまま不要なものとして体外に排出されるのだろうか。
やりきれない、それでは私の身体のどこにも希望なんてない…
そこまで考えて、私は小さなため息をつく。…やめよう、考えれば考えるだけ、空しさが募るばかり。そんなことは、既にわかっていたことだ。
それに…私がこんな身体になり記憶を失わなければ、お義兄様に抱かれるなどという僥倖がそもそも存在しなかったと言える。
それはそうだ、私とお義兄様は兄妹なのだ、普通なら身体で結ばれるなんてあり得ない。お義兄様は…責任を取ってくださいという私のわがままを尊重して、私の望みを聞いてくださっただけ。
お義兄様はまだ夢の中でまどろんでいる。その夢の中に、私が入り込むことは出来るのだろうか。
私は…お義兄様の眠りを乱さないようにゆっくりと顔を近づけて、お義兄様の唇にそっと自分の唇を重ねた。
ありがとう、お義兄様…、咲夜はあなたを愛しています…。
ベッドサイドの時計を見て時刻を確かめてから、私はお義兄様の耳元に囁く。
「お義兄様、朝です」
* * *
研究所へ戻る車の中で、お義兄様は運転しながら私の身体について昨日とは別の説明をしてくれた。
「咲夜、君の身体について知っておいて欲しいことがある。これは非常に重要なことだ」
「事実を知った今なら、咲夜にも理解出来るはずだ。いいかい? 20メートル離れた場所にいる職員3人の会話を聞き取り正確に反復する、500余年前の月日を聞いてその曜日を正確に言い当てる、こんなことが普通の人間に可能か否か? そうだよ咲夜…、もうわかっているね、答えはもちろんノーだ。…うん、研究所の食堂で咲夜に出した二つの質問のことだ。僕は咲夜が普通の人間として日常を過ごせるように、機体に制御システム…リミッターを設けておいたんだ」
「しかし、どうやらリミッターはその機能を徐々に失いつつあるらしい。感覚機能と計算速度の人間離れした能力の増大は、その機体が持っている本来のスペックなんだよ。リミッターの開放によってそれが顕在化してきたんだ。それらの能力を、咲夜の脳は“誰にでも可能な当然の出来事”と認識させて咲夜を欺いた。なぜか? そんな能力を持つ自分自身への疑問の発生を回避するためだ。人間には不可能な能力の発現、それは自身の身体への疑問に直結する。あの時点で自分の身体が機械で構築されていると知ったら、咲夜の心はその事実に耐えられなかったと思う」
「実際問題として、咲夜の身体能力・計算能力は人間のそれとは比べ物にならない。その機体は、それだけの性能を持っているんだ。だから僕は、大部分のシステムにリミッターを設けておいた。リミッターが機能している限り、機体の出力は最小限にしか発揮されない。つまり普通の女の子とほぼ変わらない…それなら人間として何らおかしいところなく生活していける…はずだった」
「はずだった?」
私は疑問を挟む。
「そう、そのはずだったんだ。だが、こないだ咲夜の身体機構を改めてモニターしてわかったことだけど、リミッターは機能を失いつつあり、咲夜の身体は本来のスペックが示す性能に、着実に近づいている。このままだと遅かれ早かれ全てのリミッターが解除されてしまうだろう」
「そうなると…私はどうなるのですか?」
「別に…どうにもならない。人間を超える能力を獲得するだけの話さ。五感の機能に関しては、咲夜自身がそれを制御出来れば大した問題はない。リミッターが外れても自己制御は可能なはずだからね。ただ…出力系統だけがやっかいだ」
「どういう…ことです?」
「その…また僕は咲夜に謝らなければいけないんだけど…、A-1の機体はTYPE SAKUYAシリーズの試作1号機という話はしたね。最初の機体ということもあり、多くの実験的というか意欲的な機能を…その…搭載しているんだ…。その時はまさかA-1を咲夜の身体に使うことになるなんて思わなかったんだ。しかし、咲夜の身体として使用する機体を検討した時、僕はA-1を使うしかないと思った。余計な性能をオミットした量産機では自己防衛という点に関して性能的な不安が残る、もしまた咲夜が危険な目に遭った時、その危機を回避出来るだけの性能を持たせたかった。でも…」
「でも…何ですかお義兄様?」
「やはりA-1を咲夜の身体にするべきではなかった。A-1には予定されていた統一規格では到底実現不可能な…僕の…子供じみた欲望を詰め込み過ぎた…端的に言って危険な機体なんだ。
私はお義兄様に悟られないくらいの小さな溜息をつく。
この数日で、一体何度目の溜息だろうか。機械の身体であるとはいえ、このままでは心がおばあちゃんになってしまいそうだ。
「欲望とおっしゃるなら、昨日の夜に随分たくさんいただきましたけど?」
「え!? いや…それは…ええと…」
お義兄様が真っ赤に顔を染めて狼狽する。お可愛いです、お義兄様。
私は自分の右手をハンドルを握るお義兄様の左手にそっと重ねる。
「冗談です。つまり、お義兄様がおっしゃりたいのは、私の身体は人間より遥かに力が強い…そういうことでしょう?」
お義兄様の話を茶化してはみたが、心の中ではいささかげんなりしていた。
思っていた以上に酷い話になりそうだった。
「自覚があるのか!? まさかもうそこまでリミッターが…」
「いいえ。少なくとも今現在、私の筋力は普通の女の子とそう変わらないと思います。でも…そうであるのならば、私のその出力リミッターとやらをすぐに外してください。そうすれば、ユーミアからお義兄様を守りやすくなるはずです」
どうせもう人間の身体ではないのだ。割り切ってしまえれば、戦力となる要素は多いほうがいい…と、私は自分を誤魔化してみる。
「咲夜…、ユーミアのことは僕に任せてほしい…」
思ってもみなかったお義兄様の言葉をすぐには承服できず、私は反論する。
「いけませんお義兄様! ユーミアは…あの女は、お義兄様以外何も見えていない、いえ、そもそも見ようとしていない、見る必要を感じていないのです! 二人だけで人以外の何かに進化することが、お義兄様の最大の幸福だと信じているんですよ! あまりにも危険すぎます!」
「そうだとしても…ユーミアは僕のパートナーであり、尊敬する科学者であり、そして…婚約者だ。彼女を止めるのは僕の役目だよ」
恐らく…止めても無駄なのだろう、こういうところだけ強情なんだから…。
「でもお義兄様、危険だと判断したら、私は自分を抑制出来る自信はありません。何があってもお義兄様をお守りします。それだけは覚えておいてください、お願いですから、ご自分を大切にして…」
「ああ、可愛い妹の頼みだ。肝に銘じておくよ」
そして私たちは、綾小路人工知能研究所に帰還する。
四季島ユーミア、あなたの思い通りには絶対にさせない、お義兄様を、私のような身体にさせたりなんかしない、
そうだ、お前さえ…お前さえいなければ、お義兄様は…私の…私だけのお義兄様なんだ…!
今月中に咲夜の話は完結させたいです。