その夜は、特に何事もなく過ぎた。
ユーミアがいつどこからお義兄様を狙ってくるかわからないため、私はお義兄様から片時も離れるわけにはいかない。だからお義兄様のベッドで一緒に寝ましょうと、私としては至極真っ当な提案をしたつもりだったのだが、それはお義兄様に見事に拒否されてしまった。
そういうわけで私がお義兄様のベッドに、お義兄様はソファーに寝ることになった。世の中はなかなか上手くいかない。
とにかく。
一夜明けて、今日はユーミアが一週間の休暇を終えて研究所に戻ってくる。ユーミアの目的は、お義兄様の脳を取り出しそれをアンドロイドのボディに移植すること。
どこででも出来るという作業では決してない。人間の脳を取り出し機械の身体に移し替えるというのは、並大抵の施設ではとてもではないが不可能だ。ということは、お義兄様に施術するための設備…、恐らくはユーミア個人が保有する研究施設にお義兄様を連れ出すはずだ。
「おはよう咲夜…よく眠れたかい?」
お義兄様がダークグレーのスーツの上に白衣という仕事用の出で立ちでリビングルームに入ってくる。腕を伸ばしてしきりに欠伸を繰り返していた、もう、この状況で緊張感がないったら…。
「おはようございますお義兄様。しゃっきりなさってください、そんなことでは先が思いやられます」
「咲夜こそ、あまり根を詰め過ぎないようにしないと。睡眠不足はお肌の大敵だよ」
「私の肌が本当に睡眠不足で劣化するということであればそうしますけど」
私はジト目でお義兄様を睨む。
しかしお義兄様はしれっと私に答えを返した。
「劣化するよ、咲夜の身体は僕が持てる限りの技術を注ぎ込んだ、人間が持つ機能をほぼ再現可能なカスタム機だもの。知らなければ人間そのもの、ストレスグラフの数値が人工細胞の状態に反映するんだ。だから美容には人並みに気を使っておくれ」
「…善処します」
お義兄様は私が機械の身体ということに関して、変な気を回さない。腫れ物を触るように扱われるよりは、事実を踏まえた上であっけらかんと話してくれたほうが私も気が楽だ。
でも、そう思えるのはきっとあの夜、お義兄様が私を…女性として扱ってくださったから。
「お義兄様…その…エッチなことを出来る機能も…人間性の再現に必要…だったのですよね…」
「え!? ああ…それは…その…なんだ…つまり…そりゃ人間性を追求する上で当然必要だし!? それがないと片手落ちと言うか…不完全だろそれじゃ!?」
「あの…市販型にもそういった機能を搭載するおつもりですか?」
「それはない。市販型にそれをするには生産コストがかかりすぎる」
などと真面目なんだか不真面目なんだかよくわからない会話のさなかに…彼女は姿を現した。
バン!という大きな音と共に、勢いよくリビングの扉が開け放たれる。
「桐夜様~~~ん! 四季島ユーミア、ただ今グアムより戻って参りましたわ~!」
「ユ、ユーミア!? なんだその恰好は…!?」
「桐夜様、見てくださいませ、南国の光をいっぱいに受けて小麦色に焼けた褐色のお・は・だ(はぁと)! どうですどうです~? 水着の下は焼いていないので、褐色の肌と白い肌のエロコントラストが性欲をダイレクトに刺激すると思いませんか? 本当はビキニで過ごしたかったのですが、桐夜様はワンピース型の水着跡のほうが萌えるんじゃないかと思いましてですね…見たいですか? 見たいですよねー? いいんですよ桐夜様、我慢などしないで、どうぞ本能の赴くがままに、ユーミアの水着を優しくずらして…あん、でも乱暴に剥いてくださっても~、それともユーミアの水着に桐夜様の固くなったアレを擦り付けてドバドバ出してくださっても…」
「離れなさいこの淫乱ビッチ!」
「あら咲夜様、いらっしゃったんですか?」
私はユーミアとお義兄様の間に割って入る。
四季島ユーミアは…今日はいつものメイド服ではなかった。メイド服ではなく…水着の上に白衣を羽織っている。その水着も、ワンピース型ではあるにせよ、ある意味ビキニよりも露出度の高い代物だった。肩掛けタイプではないため上乳が思いっ切り強調されている、ユーミアのはち切れそうな爆乳が深い谷間を作り出していた。
また、側面の布地がごっそり切り取られており、腰のあたりで前面と背面のリボンが結ばれている。そして、巨大な丸メガネはそのままだが…ネコミミカチューシャではなく、今日はイヌミミカチューシャを着用していた。
どこからどう見ても、コスプレ好きの痴女だ。こんな格好で研究所内を所長室まで歩いてきたのだとしたら、気が狂っているとしか思えない。
「そんな恰好でお義兄様に近づかないで!」
こいつのあまりに素っ頓狂なコスチュームに気を奪われてしまったが、ユーミアをお義兄様に近づけてはいけない。当面の目的はお義兄様を拉致することのはず、そんなことは絶対にさせない!
「あらあら咲夜様、どうしてしまわれたのですか? ちゃんと咲夜様にもお土産を買ってきましたよ? ほら~」
ユーミアが白衣の内ポケットをゴソゴソと探る。まずい…何かの武器…それともガス…?
「お義兄様、下がって!」
私はお義兄様を後ろ手で庇って、攻撃に備える。
「はい咲夜様にプレゼントです。私の水着とあわせてみたんですけど、着てみます?」
おい待て…。
それは…どう好意的に見ても水着という概念からは何万光年の隔たりがあるとしか思えない、ほとんど紐状の布切れだった。
「…は?」
私は思わず間抜けな声をあげてしまう。
そんな紐が着れるわけないでしょ!と、心の中でツッコミを入れてしまう自分が情けない。
「咲夜、落ち着くんだ。ユーミア、君に話がある。まずは座って話を聞いてほしい。咲夜もいいね」
私は不承不承頷いた。
* * *
「私が桐夜様の脳をアンドロイドに移植?」
お義兄様は現在の状況をかいつまんでユーミアに説明した。私はその間、お義兄様の横にぴったりと張り付いている。ユーミアは私たちの向かいのソファーに腰かけて話を聞いていた。
「咲夜は東館地下の廃棄された人工進化研究所で、機能停止寸前の“A-2 001”にそう聞かされたそうだ。ユーミア、僕はA-2たちを廃棄しろだなんて言った覚えはないし、機体が大破するのほどの実験を命じた覚えもない。なのに、8機のA-2のうち、6機までもが全損に追い込まれている。これは一体どういうことなんだ?」
「どういうことと言われましても…困りましたわ…ユーミアは早く桐夜様に私の小麦色の肌を舐め尽くしていただいて、そのまま緊縛水着露出調教セックスをしてほしかっただけですのに…」
私は立ち上がりテーブルを叩いてユーミアの言葉を遮る。
「誤魔化さないで! あの子は…
「それでは咲夜様は、今のユーミアのこの身体が、既にアンドロイドのものだとおっしゃるんですか?」
「その通りよ、そしてそれは調べればすぐにわかることだわ」
「桐夜様は…咲夜様のおっしゃることを信じるのですか…? いくら何でも荒唐無稽過ぎます、ユーミアが桐夜様にそんな…」
私はお義兄様を振り返る。だめよお義兄様、ユーミアの言葉に惑わされてはいけません…。
お義兄様は腕を組んだままユーミアを見つめていた。
「ユーミア、僕は咲夜が嘘を言っているとは思えない。咲夜は…多少…いや、かなり…違うな…信じられないくらい傲慢で尊大なところがあるのが玉に瑕だったが、嘘は言わない子だった!」
あの…お義兄様? 褒めるか貶すかどちらかにしていただけますか…。
「そしてユーミア、僕は君を心から愛している、本当だよ。それは今も、微塵も変わっていない」
お義兄様のその言葉は、私の心はズキズキと蝕む。
私は思わず、自分の胸元を握りしめる。今、この場でお義兄様の口からそれを聞くのは、やはり辛い。
「だからユーミア…僕は君を信じるよ」
「桐夜様っ…そうですよね、ああっ桐夜様ぁ…、早く咲夜様の誤解も解いてくださいませ…」
「お義兄様、だめですっ! この女はお義兄様を…!」
私はお義兄様の腕にしがみついて懇願する。
違います、お義兄様はユーミアを愛しているかもしれない、そしてユーミアも。
でも、この女の愛は、お義兄様の愛とは別物なのです! その中身は、全く異なる、異質異形のものなのです…!
「落ち着いて咲夜…、そう、僕はユーミアを信じている」
お義兄様はユーミアを真っ直ぐ見つめて言い放つ。
「同じ科学者だから…科学の高みを共に目指すものだから…僕はユーミアを心から信じている。ユーミアが間違いなく、僕と共に人間を捨てようとしていることを」
え…?
お義兄様の腕に縋り付いていた私は、顔を上げてお義兄様を見上げる。お義兄様は確信に満ちた表情で先を続けた。
「四季島ユーミアであれば、確実にそうするだろう。それだけの理論、手段、そして実験サンプルまで全て揃っているんだ。気付けなかった僕も僕だけど…、これだけの好条件が揃っているのにそれを見過ごすのならば、逆にそれこそユーミアらしくない。…そうだろう、ユーミア?」
私はユーミアを見る。
ユーミアはじっと俯いて、何も反論しないでいる。
いや…両肩が…少し震えている。
その震えが、だんだん少しずつ大きくなってくる。
「くっ…くふぅ…ふぅ…」
痙攣したような、引きつった声がユーミアの口から洩れる。
いえ…これは…まさか…。
「くふっ…ふはっ…あはぁ…あははははっ…」
笑っている…?
四季島ユーミアは最初は押し殺していた笑いが止められないのか、その哄笑は部屋中に響き渡るほどに…。
「くははっははははあっはははっはあーはっはははははははははははははぎゃはっははっははっはあははっはははっは」
はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは」
私はたぶん、バケモノを見るような目でユーミアを見ていたのだと思う。ユーミアは立ち上がり、もはや何の遠慮もなく斟酌もなく、ただただ大笑いしていた。お義兄様はそんなユーミアの様子を見ても何一つ動じることなく、ユーミアを見つめている。
「くふふふふふはふぅううう、さすが桐夜様です、そこまでこのユーミアを信じていてくださったなんて…。でも、考えてみれば当然ですよね。桐夜様はこのユーミアを愛してくださっている、信じてくださっている。この程度のこと、ユーミアたちは理解し合えて当然です。でも、やっぱり言葉ではっきり言われると、嬉しいものですね…ユーミア、もう…イっちゃいそうですぅ…くふふふふふふふふふふふふ」
ユーミアが水着の上から自分の性器を指でさすりだした。
それを目の当たりにして…私は…怖かった。
狂ってる…! 何なのだこの女は…。お義兄様に企みを看過されて…それなのにこの態度は…余裕は…なに…?
「それで桐夜様…ご推察の通り既にユーミアは自らの進化を成功させました。この後は桐夜様の番になります。ボディですが機能別に複数ご用意いたしましたが、どのみちTYPE SAKUYAシリーズの改良が進めばボディなど交換してしまうのです。どれを選んでも大差はないかと」
わからない…こいつは…この女は…一体何を言ってるの…。
「ユーミア、君も僕を愛しているのなら、僕の答えをわかっているはずだ」
「もちろんです桐夜様、あなたは必ず人間からの進化という道を拒否されます」
「その通り…さすがユーミアだ。僕たちは愛し合い理解し合っている、本当に嬉しいよ」
お義兄様はゆっくりと立ち上がり、白衣の内ポケットから…それを取り出す。
「まあ…」
ユーミアがそれを見て目を細める。
お義兄様は…銃を構えていた。
「これが何だかわかるねユーミア?」
「もちろんです、A-7の試作型携帯兵装…分子分解砲ですね」
「そうだ、ユーミアがその機体をどれほどカスタマイズしているか知らないが、これにロックオンされれば防御も回避も不可能だ」
お義兄様が構える銃が機械音声を発する。
【安全装置解除 対象をロックしました】
お義兄様…? その銃は…? それにA-7て…? いえ、それよりも…お義兄様はユーミアを殺す気なの…?
ああ…やはりお義兄様は私を選んでくださった…! 私のことを信じてくれたんだ! ユーミアはわけのわからないことを言っていたけど、あれは全て負け惜しみ! 敗者の戯言! お義兄様、撃ってください、その女は危険です、殺してください…早く…殺してしまえ…!
「本気でユーミアを破壊する気なのですか桐夜様?」
「そうしなければ、君は止められないだろう?」
「無駄だとわかっていても、ですか?」
「やってみなくちゃわからないさ…」
「ふふふ…桐夜様…お可愛いこと…」
お義兄様がトリガーにかける指に力を籠める…。
「ぐぁっ!」
お義兄様がまさにユーミアを撃ち殺そうとするその瞬間、何者かが背後からお義兄様を羽交い絞めにする!
「お義兄様っ!? お義兄様を放せっ!」
私はお義兄様を拘束する腕を振りほどこうと手を伸ばすが、しかし私自身も別の誰かに腕を取られ床に組み伏せられた。
「くっ、放せぇっ! お義兄様ぁ! ご無事ですか!? …え…そん…な…!?」
私は組み伏せられたまま、何とか顔だけを上げてお義兄様のほうを見る。お義兄様も私と同じように、背後から腕を極められ苦悶の表情を浮かべていた。
問題は…お義兄様を拘束している相手…あれは…私と同じ顔…まさか…。
「そんな…A-2…なの…?」
「正解ですよ咲夜様ぁ、あなた方を拘束しているのは、AIをいじってユーミアの奴隷にしたA-2ちゃんでっす。8機のうち6機はぶっ潰しちゃいましたが、2機はこういう時のために残しておいたんです。備えあれば憂いなし、ですよ? もっともー、後でやっぱり潰すんですけどね、咲夜様、あなたと同じようにいいいいいいいいいいいいいいいいいいいははははっははっははははっははぎゃははははっはあっははっははっはははっははははっはははははははははははははははははははははははははは」
ユーミアは私を見下して高笑いを上げる。
くそ…この女ぁ…よくも私を…お義兄様を…!
「それでは桐夜様、ユーミアと共に参りましょう。人間を捨てることに不安はあると思います。桐夜様が最も不安を感じておられるのは本体の設置場所ですよね? 大丈夫です、ご安心くださいませぇ」
「やめろユーミアっ…その話はあとで聞く! いいから早く僕を連れていけ!」
お義兄様!? 何をおっしゃってるの!? 駄目です、まだ諦めないで…!
私は声を振り絞ってユーミアに抗う。
「やめなさいユーミア! お義兄様を機械の身体なんかにしないで…! 人間を捨てて鉄クズに成り下がるなんて…私とあなただけで充分でしょう!?」
「あらあらまあまあ、咲夜様にはこの身体の素晴らしさがちっともおわかりにならないのですね…。人間ですって? ユーミアは既に人間を超えています。そしてこれから桐夜様も同じように、神の領域に辿り着くのです…!」
私はユーミアを睨みつける、今の私にはそれしか出来ないのが死ぬほど悔しい。拘束から逃れようと身をよじるが、ユーミアに操られたA-2は私よりも遥かに強い力で私を押さえつけていた。私は声をふりしぼる。
「お前なんかに私の…そして
「はあ…、結構なご高説でしたが…その理屈ではやはり咲夜様は人間ではありませんね」
「っ…! やめるんだユーミア! それ以上は言うんじゃない!」
お義兄様がユーミアを静止している。
お義兄様…、早く助けなければ…このままでは…。
「桐夜様…、もしかして咲夜様にお伝えしていないのですか? それではこの身体の素晴らしさの半分も伝わらないじゃありませんか。なーんだ、だから咲夜様は駄々をこねてらっしゃんたんですね」
ユーミアは身をかがめて、組み伏せられたままの私に顔を近づける。
そして語るのは、私にとっての、まさしく呪詛…。
「よろしいですか咲夜様? あなたの本体は…つまり脳は、あなたの頭の中には存在していません」
…は…? この女は言うに事欠いて何を言って…
「やめろユーミアっ! わかった! ユーミアの望む通りに僕も人間を捨てる! だから、やめてくれ…」
お義兄様が叫んでいる。
いけない、この先は聞いてはいけない、私の心が警告を発している。
「咲夜様…、
何を言ってる…? この女は、一体何を…
「そしてね、咲夜様…。あなたの大事なお義兄様である桐夜様が選んだ、あなたの脳みその設置場所は…高度2,000kmの衛星軌道上なのですよ…誰の手も届かない、遠い遠いお空の彼方…そこに咲夜様の脳みそが補助装置に接続されて、この星を周回しているのですよ」
この女は…いま…何て…言った…
「咲夜様の理屈で言えばですね、咲夜様の魂は身体を地上に残して、この星を永遠に周回し続けるのです。いやん、なんかロマンチックじゃありません?」
私の頭の中にあるのが…受信装置…?
脳は…宇宙に…ある…?
魂は宇宙を彷徨って、身体は作り物で…。
「あ…あぁ…いや…いやぁ…わたし…わたしは…」
わたしは…こんなものは…バケモノだ…人間じゃない…正真正銘のバケモノなんだ…。
ユーミアが笑っている。おかしくて仕方がないというように。
いつまでもいつまでも笑っていた。