探偵な魔女は黒猫がお好き   作:灰かぶり

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安心な黒猫とメイドの恐怖

 真夏の日差しは遥か高みから降り注ぎ、世界を照らす。

 そこにあるのは光の世界。暴かれる闇が、尻尾を巻いて逃げだすのもしょうがない。

 繋がる世界のどこかでは逃げ出した闇が居座っているはずだが、少なくとも映見が認識できる小さな世界には、未だ夜に包まれるには時間の猶予があるはずだった。

 そのはず、だった。

 

「……ねぇ、黒猫さん」

「なんだ?」

「……ここ、どこ?」

 

 黒猫の後を追いながら歩く中で、段々と膨らんでいった疑問がついに破裂し、我慢できなくなった映見は尋ねた。

 ため息付きで、黒猫が答える。

 

「どこって……深摩山に決まってんじゃねーか」

「だよね」

 

 深摩山の頂上にある公園から出て、下っている最中なのだから当たり前だ。富士山だなんて世界遺産を言われたら驚きである。あるのだが、

 

「――なんか、寒くない?」

 

 映見は体を震わせながら言った。本当に言いたかったことは別にあったが、とりあえず真っ先に感じたことを口に出してみた。

 木々に囲まれた森のような道は、空から降る木漏れ日の彩りがほとんどなく、真っ暗という訳ではないが、月の明かりに照らされている方がまだマシと思えるほどに不気味で薄暗い。暑苦しい太陽は微かにしか届かず、周りの異様な雰囲気も重なって、映見のさらけ出された手足に鳥肌を立てた。

 真夏の昼間に、涼しげな夜を感さじる森の世界。この小さな山にこんな場所があったことを、映見は全く知らなかった。

 まさに怪談話をするには打ってつけ、と考えれば季節にもピッタリだったが、今すぐにも何か出てきそうなこんな場所でやるにはハードルが高すぎて、怯えた映見は周囲を見渡しながら腕をこすり始めたが、寒気はちっとも取れなかった。

 

「いつもこんなもんだよ、こいつらは」

「こ、こいつら!? なにそれ、やっぱなんかいるの!?」

 

 映見の怯えた声に黒猫が呆れる。

 

「うるさい奴だな、黙ってついて来ないと置いてっちまうぞ。全く、久しぶりの人間の客がこんな女だなんて……」

 

 前を行く黒猫は溜息をつきながら歩く速度をあげた。振り向きもしないその様子は、先程の言い合いで機嫌を損ねてしまったからかもしれない。

 映見は慌てて黒猫の後を追った。

 

「ちょっと待ってよ! お願いだからこんな所で一人にしないで……」

「だったらつべこべ文句言うんじゃねーよ。日本には『山を撫でる子』っていう、お淑やかな強く優しい女性になるようにって風習があるんじゃねーのか?」

「文句なんて言ってないし、それを言うなら大和撫子じゃないの?」

 

 山を撫でたら、ただの怪獣だ。

 

「そうそう、それ。山と、ナデシコ?」

「うーん、ちょっと違うかな」

 

 区切る所が、というか区切ったら駄目だ。

 

「…………もういいだろ、とりあえずそう言うことだよ」

 

 追いついた映見と歩調を合わせていた黒猫は、またもや前を向いてスタスタ歩き出す。

 

「あ、もう。待ってってば」

 

 ピンと伸びた尻尾に追いすがる。怒っている、のだろうか。

 ここで置き去りにされたらたまったもんじゃないと思い、映見は大分喋ることに慣れてきた黒猫のご機嫌を損ねないように話しかけた。

 

「ねぇ、黒猫さん。さっき言ってたことなんだけど……」

「? さっきって?」

「ほら、いつもこいつらはこんなもんだよ、って……」

「ああ、気にすんな」

 

 そんな無茶な。余計に寒くなった気がして、怖さのあまり映見は黒猫の尻尾を掴んだ。

 

「フギャッ! お、お前、尻尾はやめ――」

「ど、どうせ教えてくれないなら、変なこと言わないでよぉ……」

 

 もう嫌だ、と言うように映見は首を振った。木々の葉が揺れ、おぞましくこちらを手招きしているようにも見える。どうしてこんな所に自分は居るのだろう。

 

「コラコラ! 猫の尻尾は優しく扱えよ! どうせ人間には見えないんだから関係ねーだろ!」

「や、やっぱりお化けが……!」

「ギャーッ! 離せバカ! お化けなんかじゃねーし、別に何もしねーよこいつらは!」

 

 つい握り締めてしまった尻尾を離し、映見は毛を逆立てる黒猫をジトッと見つめた。

 

「お化けじゃないなら、何なのよ?」

「名前なんかねーよ。こいつらはこいつらだ」

「? 名前が、無い?」

 

 再び歩き出す黒猫に、映見はピッタリとくっついて行った。

 

「『名も無き者たち』だったかな、あの『魔女』が言うには。安心しろよ、お前のことは歓迎してるみたいだぜ」

 

 名も無き者たち。不思議な響きだ。だけど全く答えになっていない。

 映見は改めて周りを見渡すが、歓迎されている気にはやはりならなかった。

 

「とりあえず、お化けじゃないんだよね?」

「『名を失った者』はここにはいねーよ」

「分かるように言ってよ、もう……」

 

 決壊間近の涙腺は、いわゆる半泣き状態。わざと怖がらしているのだろうかこの黒猫は、と映見は「うぅ……」と呻きながら恨めしげに尻尾を睨んだ。

 訳の分からない状況に加えて、訳の分からない単語ばかり追加されていく彼女の頭はパンク寸前だった。

 

(大体、なんで私はこんなヒョイヒョイ簡単について行ってるんだろ?)

 

 今更ながらに――本当に遅ればせながらだった――感じるのは、疑問。

 喋る黒猫に連れられて、魔女に会いに行くなんて、一体どんなファンタジーだ。

 

(用心深い方だと思ってたんだけどなぁ、私……)

 

 怪しい人にはついて行かない。小学生のみならず、可愛い女子高生にも必須の心構えだ。自分で言うのもなんだが。

 人ならぬ猫には採用されなかったのか、と映見は自分の心に問いかけた。喋るだけならセーフだったのだろうか。

 

「何ボーっとしてんだよ。ホントに置いてっちまうぞ」

「あ、うん」

 

 黒猫の揺れる尻尾を目印に、映見は素直に頷きついて行く。本当にこれで良かったのか、自分に問いかけながら。

 

(ゆきねぇ……)

 

 他にやり方があったのではないだろうかと思い、映見はポケットに手を突っ込んで携帯電話を握り締めた。

 警察に行って話を聞いたり、周りの人間から事情を聴いたり。

 しかし、一介の女子高生が何をしようが、新しい事実など出てこないだろう。そもそも警察もきちんと調べてるはずだし、何をどうすればいいのかなんて分からない。

 

(だったら、やっぱり――)

 

 映見は目の前のユラユラ揺れる尻尾を見つめた。

 藁にもすがる思い。にしても、なんだか催眠術をかけられているみたいで妖しげだ。

 

「まあ、どうにかなるかな……」

 

 魔女とやらもきっとお婆さんだろうから、全力で逃げればどうにかなるはず。自慢の健脚に、いざという時は頼むぞと願かけて、映見は自分の少し陽に焼けている足を見つめた。

 

「? なんか言ったか?」

「ううん、こっちの話」

 

 独り言を聞き咎めた黒猫に、逃げる算段を考えていたことがばれたらマズイと思い映見は話を逸らした。

 

「そういえばさ、名前」

「名前? だから、こいつらにはそんなもの――」

「違う違う、あなたの名前」

 

 意味は分からなかったが、先程挙がった名前の話題に乗りかかるようにして、映見は黒猫に尋ねた。

 まだこの黒猫の名前を聞いていない。

 

「いつまでも『黒猫さん』じゃ不便かな、って思って。私の名前は『深森映見』」

「フカモリ、エイミ?」

「そ。深海魚の『深』に、森林の『森』」

「シンシン?」

「フ・カ・モ・リ!」

「……へぇ、『深い森』って名字なのか」

「あ……そう言えば、そうだね」

 

 深い森。公園で、黒猫に教えてもらった言葉を思い出す。

 

『深い森で迷ったら、魔女に道を聞きなさい』

 

 偶然、だろうか。

 

「それで?」

「え?」

「下はなんて書くんだ?」

「――ああ」

 

 気を取り直して、映見は興味深々な様子の黒猫に答えた。

 

「えっと、映画の『映』に、ミは、そのまま『見る』の『見』」

「へぇ。やっぱり面白いな、人間の名前って」

「……面白いってどういう意味よ」

 

 馬鹿にされた気がして、映見は前を歩き続ける黒猫をジロっと睨んだ。

 面白がっている雰囲気の黒猫が、振り向かずに答えを返す。

 

「いや、お前って目が大きいからさ。やっぱり名前を『付け』られたら、その名前の通りに『成る』んだな、人間も。『映し見る』、だって」

「……?」

 

 笑いながら言う黒猫。何故か嬉しそうな様子とどこか違和感のある言葉に、映見は首を傾げた。

 だが、黒猫の重ねた言葉が、映見の湧いた疑問を音速で置き去りにする。

 

「それに日本人なのに『エイミー』だって……ククク」

「伸ばし棒を足すな」

 

 猫にまでからかわれるとは。

 たまにからかわれる呼び名を言い当てられて、映見は眉を顰めた。一般的な名前として教科書に偶に出てくるから、英語の授業は嫌いだった。

 

「いいじゃねーか。ピッタリだぞ、『エイミー』。お前って顔つきが日本人みたいにノッペラしてないし――って、あれ? お前もしかして日本人じゃないのか?」

「純粋培養な日本人よ」

「そっか。いやー、最近の人間は自分の生まれた土地から簡単に出て行っちまうから、バラバラになってよく分かんなくなるんだよな。それにここら辺の人間は髪が黒いはずなのに、余所の土地の人間みたいにいつの間にか茶色や金色になっちまってるしよ」

「……ただ染めてるだけでしょそれ。あと、私のは天然だからね」

 

 妙に違うような知識はさておいて、映見は自分の栗色の髪を手で抑えながら反論した。

 何となく、この黒猫には染めていると思われたくなかった。

 

「見りゃ分かるよ。お前の髪、似合ってるもんな」

「…………うえっ!?」

 

 いつか聞いたことのあるようなその言葉に、動揺してしまう。

 叔母の褒めてくれた髪。男の人に褒められたのは、初めてかもしれない。

 

(――って人じゃないでしょ! 猫よ、猫!)

 

 男ではあるが、雄ではないか。

 映見は動揺を必死に押さえつけるように、尻尾のように括っていた自分の髪をいじった。長い尻尾は目の前まで届き、枝毛が発見しやすい。

 落ち着け、自分。

 

「顔もノッペラってしてないから、海を渡ってもきっと見分けつかないでそのまま土地に馴染めるぞ、お前」

「…………あ、そういう意味ね」

 

 少しガッカリしてしまったのは、きっと気のせいのはずだ。

 映見は枝毛を放っておくことにし、溜息をついた。

 

「無駄にいい声で褒めないでよ、もう……しかもド直球だし」

「? 何か言ったか?」

「何でもない」

「……独り言の多い奴だな、お前は」

 

 お前にだけは言われたくない。とは言っても仕方なさそうなので、映見はもう一つの気に入らない点を指摘する。

 

「お前じゃなくて、『映見』」

「あん?」

「名前教えたんだから、『お前』はやめてよ」

 

 黒猫は歩を止めず、顔だけを後ろへ向けて、映見へと呆れたような眼差しをよこす。

 

「贅沢な奴だな、名前で呼んで欲しいなんて」

「普通でしょ、別に。それで?」

「それで……って?」

「私が教えたんだから、あなたの名前も教えてよ」

 

 喋る黒猫なんてファンタジーな生き物にも、名前で呼べば少しは現実感が伴うかもしれない。

 半ばもうその存在を受け入れてはいたが、どこかでキッチリと線引きしなければ気が済まない映見は、黒猫の隣に並びながら答えを待った。見下ろすだけならば、普通の猫と変わりない。

 顔を上げた黒猫と視線が合う。だがその瞳は、なおも呆れたままだった。

 

「自己紹介はさっきしたじゃねーか」

 

 何言ってんだお前は、と聞こえてきそうな瞳。映見にとってはごまかすのがデフォルトになってしまっていた黒猫だが、その様子は本当に、意味が全く分かっていないようだった。

 

「黒猫ってことは分かるわよ。『魔女の』っていうのは、見ただけじゃ分からなかったけど」

 

 というかそんなの分かる人いるのだろうか。

 

「だから、そう言ってんだろ」

「? だから、名前よ。なんて呼べばいいのかってこと」

「……だーかーら、『黒猫』だって言ってるだろ。お前だってそう呼んでるじゃねーか」

「――はい?」

 

 納得のイエス、ではない。自然と語尾の音が上がり、映見の感情を表した。

 黒猫は、確かに黒猫だが。

 

「もしかして、名前付けられてないの? その魔女って人が飼い主なんでしょ?」

「飼い主じゃない! 俺はあくまで使いだ!」

「同じようなもんじゃないの? よく分かんないけど」

「全然違う!」

 

 黒猫が視線を外し、前を向き直す。

 納得できない境界線(ライン)なのかな、と良く分からいまま納得していた映見に、黒猫が改めて告げる。

 

「とにかく、俺は『黒猫』なんだよ」

「つまり、名前が無いってこと?」

「――無いと言えば無いし、有ると言えば有る」

 

 黒猫の歩調が、逃げ出すように上がる。

 

「『付けられた』名前だけど、『与えられた』名前じゃないんだよ」

 

 急に飛び上がり、木に登った黒猫の言葉は、映見にはよく聞こえなかった。

 ただ、顔の見えないその黒猫の声は、どこか悲しげに聞こえた。

 

「……何か、悪いこと聞いちゃった? ごめんね、私よく余計なこと言っちゃうみたいだから」

「気にすんな、別に怒ってねーよ。とにかく俺は『黒猫』だ――仮の名前を『付けられた』だけだけど、それが唯一だからそう呼べ。それよりも、」

 

 木の上の黒猫が、道を示すかのように顎を動かす。

 

「着いたぜ」

「え?」

 

 何を言っているのか分からないまま、映見は見上げていた視線を黒猫の示した方へと向けた。

 そこにあったのは、映見を余計に混乱へと招く光景。

 

(――家?)

 

 木造の家。大きな三角屋根が目立つそれは、昔家族で泊まったことのある、キャンプ場のコテージを映見に思い出させた。

 木の色はそのまま使われていたが、ドアだけ真っ赤な色をしていて、煙突から出ているのはただの煙。赤色が目に毒だったが、それ以外で特に不思議な点は無い。

 ただ、周りの木々が守るようにその家を囲みながらも、不自然なほどその家と距離を置いていた。そして、暗い森の中、そこだけが照らされているかのように、神々しい光が集まっている。

 急に現れた、神聖さを感じさせる開けた場所。そこだけ草も生えていない。

 むき出しの、平らな地面に建つ家を、映見はボーっと見つめた。自分がよく知っていると思っていた近所の小さな山の中に、こんな家があったなんて。

 

(って、あれ?)

 

 近所の山。平らな地面。

 山にあるはずの、傾斜が無い。

 

(…………あれれ?)

 

 心の中で追加した疑問の声の間抜けさに気付かぬまま、映見は慌てて後ろを振り返った。

 そこには自分が辿ってきた道があり、どこまでいっても平らな道が真っすぐ続いていた。

 木々に囲まれた、暗い森の道。

 真っすぐ山の坂道を下っていたはずの映見の記憶はいつの間にか途切れていて、はっきりとここが自分の知っている場所だと、彼女に言ってはくれなかった。

 

『深摩山に決まってんじゃねーか』

 

 おぼろげに再生される、黒猫の声。

 上を見上げても高い木々があるだけで、山の頂は見えず。周りを見渡しても木が多すぎて、真っ暗で先が見えない。

 映見は再び、後ろに続く、どこまでも真っすぐ伸びている道を見つめた。その道だけが、暗い森に囲まれた中で、唯一の出口のようにうっすらと輝いていた。

 ここは、どこだ。

 

「ようこそ、『魔女』の家へ――」

 

 頭の中に浮かんでいた、しかし場所の単語だけが違う声に、映見は振り返った。

 いつの間にか地に降り立ち、赤い扉を背景にした黒猫が、告げるように言葉を放つ。

 

「――歓迎するぜ、迷い込んだ人間よ」

 

 輝く瞳と、揺れる尻尾。

 光の下に居るはずなの、夜の闇のように真っ暗なその猫を見て、映見は固唾を飲んだ。

 

「さてと。『出口』を知りたいなら、ついてきな」

 

 悪戯な笑みを浮かべた黒猫が、背を向けて歩き出す。

 揺れる尻尾に惑わされ、映見は熱に浮かされたように、黒猫の後をついて行った。

 もう二度と、自分の知る世界には戻れない。そんな予感を感じながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな予感を感じながら、不吉な血の色を思い出させる扉をくぐり、彼女を待ち受けていた光景は、

 

「……アンタ、何やってんの?」

 

 コタツの中に入ろうとする黒猫。

 

「何って、見て分からないのか? 『猫はコタツでタマになる』だよ」

「日本一アットホームな家の猫になるみたいね、それじゃ」

 

 お次は海産物の名前をした家族でも出てくるのだろうか。

 

「At homeな家? どういう意味だ?」

 

 やたらと発音の良い英語が耳に届いた。

 生意気にも、自分より正確かもしれない。英語の成績だけはどうにもならない映見は、悔しさ半分、驚き半分で答えた。

 

「温かい家って意味よ」

「温かい家……暖房器具なら、ばっちり完備してるぞ」

「あらそれはわざわざどうもご丁寧に」

 

 やや早口で捲し立てる。

 この黒猫に突っ込んではいけない。まだ出会って間もないながらに、映見は付き合い方に関して悟ったような結論を出した。

 

「それで、夏なのになんでコタツがあるのか、なんて聞かないから、とりあえずそこから出てきてお客さんを案内してくれない?」

「おお、そうだった。悪いな、この中に入らなきゃどうも帰った気がしなくて」

「気が済んだなら良かったわ」

 

 いそいそと出てくる黒猫へ白けた目線を送る。特に効き目は無いことは何となく分かっていたが、どうにもこうにも感情が収まらない。

 黒猫がコタツからいそいそと出る。満足したのか、四肢を床に付けたままウーンと大きく伸びをする猫らしい様子は、どこか人間臭く感じていた雰囲気との間にギャップを生じさせて、ちょっと可愛い。

 なんて思える頃に戻りたい。

 

「色々ぶち壊しね、アンタって」

 

 先程の雰囲気はどこへ行ってしまったのだろうか。映見は白けた目が、完全な白目にでもなりそうな気分だった。

 

「どこもぶち壊してないぞ、別に」

「そういう意味じゃないけど……もうういいや」

「……うーん、まだまだ勉強が足りないな」

 

 唸る黒猫。勉強熱心な所には感心してしまう。

 しかし、全く教える気にはならない。

 

「それよりも、案内してほしい……けど、その前に一つ聞いていい?」

「おう」

「ここ……どこ?」

 

 デジャブのように感じる質問だが、その意味合いは大分違った。

 

「どこって、さっきも言っただろ? 『魔女』の家だよ」

「――ここが、魔女の家、ね……」

 

 玄関を開けてすぐ繋がっている、中央にコタツのある広いリビング。フローリングは綺麗に磨かれていて、センスの良いペルシャ風の絨毯が敷かれている。

 居間と繋がる形で存在している、カウンター越しに見えるキッチンには、暖房完備と自慢したのと同じで色々な設備が充実している。映見のような中流家庭のお宅ではお目にかかれない、最新のシステムキッチン、というやつだろうか。

 何よりも目につくのは、自宅で映画館を味わえると宣伝出来そうな大きなテレビ。映見の自宅にあるテレビより、2倍の大きさはありそうだった。

 外見とは裏腹に、かなり裕福な、有名人の別荘のような居心地を醸し出しているお宅。

 ここが、魔女の家。

 

「…………魔女ってもしかして、テレビとかに出てる人?」

「このテレビ、地上波は映らないんだよ。映画専用だから知らないけど、出てないと思うぞ」

「あ、そう……」

 

 電波は通ってないけど、電気は通っているのかとか。随分と、憧れちゃうような現代風のお洒落な家であるとか。魔女ってなんだ、とか。

 聞きたいことが多すぎて逆にもう何も聞けなくなり、映見は玄関の側で固まった。

 

「どうした? 早く上がれよ」

「はぁ……ま、いいか。それで、魔女ってのはどこ?」

「今は出掛けてるみたいだな。もう少ししたら戻るんじゃねーか?」

 

 連れてきたくせに、どこか他人事のようだ。ガッカリしたような、ホッとしたような。

 

「あ、靴は脱いで上がっていいぞ。『郷に入っては郷に従え』だからな、この家は」

「……それじゃ、お邪魔します」

 

 珍しく合っていたその言葉を聞き、映見は靴ひもを解かないままスニーカーを脱いだ。

 どうしてもことわざの様なものを使いたがる黒猫に、日本人は別に靴を脱ぎたいわけではない、ということは言わないであげた。

 

「靴はこちらに入れておきます」

「あ、どうも、ご丁寧……に?」

 

 今、誰か。

 

「それではこちらへどうぞ」

「あ、はい。――はいぃ?」

 

 コタツの側にある革張りのソファー――コタツにそれはどうだろう――に案内され、なすがままに座らされた映見は、自分でも驚くほど素っ頓狂な声をあげた。

 

「お、いたのか。っておいおい、案内の前にまずは自己紹介しなきゃいけないんだぞ、人間には。『鳩が鉄砲喰らった顔』してんじゃん」

「それはただの死に顔です。――ですが、そうですね。久しぶりの人間のお客様だったので、つい興奮してしまい忘れていました」

「興奮って……無表情で言われても分かんねーよ」

「いつもより喋っています」

「自分で言うか、それ」

 

 高速に瞬きを繰り返す映見の視界の中では、改めてコタツに入って顔だけ出している黒猫と、いつの間にか現れた女性が喋っていた。

 東洋とも西洋ともつかぬ、国籍不明な肌の色と、美しい顔。その整った造形の中で目を引く切れ長の瞳が、冷たい美人の鋭さを演出している。

 そして、肩で切り揃えられた髪は、まるでカラスの濡れた羽のような黒さを越え、神話にある三本脚のカラスのような、近寄りがたいほどの深い黒を思い起こさせる。

 黒猫を無視して、女性がこちらを振り返った。

 

「申し遅れました、わたくし――」

 

 髪と同じ色で飾り付けられた、彼女の服装。

 黒の生地が大半を占め、白のレースで所々を控えめに主張するそれは、テレビや大量販店でよく見かけるフリフリのメイド服、ではない。

 本格的なメイド服。メイドの本場な外国では、このようなメイド服なのかと納得させられる。それは、着ている人物が似合いすぎているから、かもしれない。

 世界一メイド服が似合うのに、どこか神秘的な雰囲気を漂わせる女性。全然イメージと違うが、もしかしてこの人が、魔女――

 

「――『メイド』です」

 

 やはりメイドだった。

 

「そのまんまじゃない――ってそれだけ?」

「はい」

「いや、ハイじゃなくて……その、あなたは、誰なの、とか?」

「『メイド』です」

「…………えっと、名前、とか?」

「『メイド』です」

「…………この家の、続柄というか、どんな関わりのある人、とか?」

「『メイド』です」

 

 一言一句、無表情のままで返すそれは、映見に変な威圧感を与えた。

 簡潔すぎる自己紹介。意味の分からなかった黒猫のそれよりも、分かりやす過ぎるほど分かやすいそれは、一周回ってやはり分からない。

 別に趣味まで聞きたいわけではなかったが、自分が間違っているのだろうか。

 

「『メイド』です」

「――って何も聞いてない!」

「申し訳ありません。やはり、興奮してしまっているようです」

 

 頭を静かに下げながら「出過ぎたまねを……」と呟いて、メイドは粛々と壁際に下がっていった。

 そのまま目を瞑り、姿勢良すぎだろと言いたくなるほどの立ち姿で固まるメイドを見ながら、映見はソファーに身を沈める。何だこれ、柔らかい。

 

「……とりあえず、聞いても無駄なのかな、やっぱり」

「『メイド』に何を聞きたいんだ?」

「何でメイドか聞きたい」

 

 コタツが体になっている黒猫へ、文句のような諦めの言葉を吐く。

 西洋のお屋敷にいるようなメイドさんと、コタツに丸まる黒猫。同時に存在しているその光景は、まさに異文化交流の結晶。

 ファンタジーはもう息をしていないかもしれない。

 

「メイドさんがいるなんて聞いてないし、そもそも何でメイドさんが魔女の家に居るのよ」

「? 人間で魔女って言ったら、メイドさんが付き物だって『魔女』が言ってたぞ?」

「聞いたこと無いわよそんなの」

 

 映見がそうぼやくと、動かなくなったメイドが畏まったままで会話に割り込んできた。

 

「ならば今覚えて頂けたら光栄です。『魔女』に『メイド』は絶対だと。むしろ『黒猫』なんかより」

 

 何やら最後が刺々しい。

 映見はソファーからコタツの方へと身を乗り出し、黒猫へと顔を――顔しか見えない――寄せた。

 

「……ねぇ、あの人と仲悪いの? 一緒に住んでるんでしょ?」

「奇妙なお年頃なんだよ、あいつ。でも怒ったら怖いから気をつけろよ……」

「な、何をどう気をつければいいのよ……」

 

 脅すようなセリフに、映見は潜めていた声音をますます落とした。お年頃は関係ないだろうが、確かに奇妙な印象は受ける。

 やはりこの黒猫の仲間だから只者ではないのだろうか。

 

(でも、よく考えたら、この黒猫よりはマトモよね)

 

 喋る猫より見た目は人間――しかもとびきり美人である――な女性に対して怯えるのも変な話かもしれない。

 かなり現代風な部屋とミスマッチなメイドではあったが、映見は久しぶりの推定人間との会話に臨もうとして、静かに佇む彼女に声をかけた。

 

「あの……メイド、さん?」

「はい」

「あなたの名前もやっぱり……メイド、だったりするの?」

「はい」

「あ、そうなんだ……」

「…………」

「…………」

 

 いきなり躓いてしまったかもしれない。

 

「…………えっと――あ! 綺麗なお部屋ですよね! やっぱりメイドさんが掃除してたりするんですか?」

「はい」

「…………そうですよね! メイドですもんね! やっぱり掃除だけじゃなくて、家事もなんでも出来るんですか?」

「はい」

「…………ア、アハハ、すごいなぁ。私、掃除も家事も苦手で何も出来ないんですよ。何かコツとかあったりするんですか?」

「…………」

「…………えっと」

「猫の毛をあまり床に散らさないコツならあるぞ。とにかくひたすら舐めるんだ」

「アンタには聞いてない!」

 

 久々な人間同士の会話を邪魔されて、映見は反射的に足元を踏みつけた。が、コタツにピュッと引っ込み、避けられる。くっ、憎い。

 親の敵のように黒猫が消えた箇所のコタツ布団を睨みつけていると、黒猫が余裕綽々の(てい)で別の所からヒョコッと顔を出した。遠いので足は届かない。

 

「あっぶねーな。お前、最初も俺のこと蹴ろうとしたし、実は足癖悪い?」

「うるさいわね、ちょっと黙っててよ! 私は今メイドさんと話してるんだから!」

「へいへい。まあ俺も、とりあえず仕事は終わったし、休ませてもらうわ」

 

 そう言って、完全にコタツへ引っ込む黒猫。恐らく丸くなっているのだろう。

 しかしこれで、もう邪魔猫はいない。

 

「えっと、それで、あの……」

「はい」

「…………コツ、とか」

「コツ――」

「! はい! コツ!」

「コツと」

「…………コツコツと、やるのが――コツ。なーんて……」

「はい」

「……あ、そう、ですか」

 

 会話の広げ方が、分からない。

 何を聞いても一言で返されそうな、全く弾みそうに無い空気。そんな重い気まずさに耐えられず、映見はコタツ布団をめくって、眼鏡を掛けた永遠の小学生の気分で呼びかけた。

 

「――助けてー、黒猫ー……」

「耳は取れなかったから、青い狸にはなってないぞ」

 

 逃げ込んだ先に居る猫は、残念なことに何でも解決するポケットなど持ってなさそうだったが、今はその四次元な口が頼り。人間――そうであって欲しい――と喋るのに猫の力を頼るとは、ちょっと泣きたいが仕方ない。

 

「という訳で、何とかしてよ」

「何が、という訳、なんだよ」

「だって、全く会話にならないんだもんあの人……。ジーッと石像みたいに動かないし、なんか威圧感が……」

 

 チラッと視界に映すのは、彫像が如きメイド。美人の無表情がこんなに怖いとは知らなかった。

 

「じゃあ喋んなきゃいいだろ?」

「居辛い空気ってあるでしょ……! いきなり知らない他人の家で、あんなメイドさんと2人きりにさせられたら困るわよ……!」

「喋る猫の化け物よりマシなんじゃねーか」

 

 丸まったままの黒猫が、まるで興味が無いと言うようにそっぽを向く。微かに鳴らした鼻息が、コタツの中の暗闇とその色でよく見えない、黒猫の拗ねている感情を代弁していた。

 映見はコタツの中へ手を伸ばした。

 

「猫のクセに執念深いわね。ほら、ゴロゴロゴロ――」

「猫は関係ないだろが――ってこら、顎は、そこは、やめ……!」

 

 顎を撫でると返ってきた恥じらいの声と、少し想像と違ったグルグルという喜びの音。喋る猫といえども生理現象には逆らえないらしい。

 なおもグルグルと喉を鳴らす黒猫の顎を、映見は更にくすぐった。

 

「とりあえずそこから出てきて場を取り持ってよ。ほらほら」

「さっきは黙れって言ってたくせに――あ、み、耳の中は、やめて……!」

「ごめんごめん、謝るからさ。ここも撫でてあげるから機嫌直してよ」

「あ……! そ、そこは! …………ホントに勘弁してニャ!」

 

 思いの外に効き目があった。完全にただの猫になっている。

 可愛いというより面白くてつい夢中になってしまい、更なる急所を的確に責めようと映見が手を動かし始めた時。

 背中を、冷たい剣で斬られた。

 

「――随分と、仲が良いようですね」

「っ……!」

 

 女の声。

 背後から突如として降ってきたそれに、悪寒が背筋を走り、肌が粟立つ。体が、固まる。

 後ろを振り返ることなんて、出来なかった。

 

「……おい、あんまり脅かすなよ。こいつは人間の、しかも乙女なんだぞ」

「お客様に言った訳ではありません。あなたに言ったんですよ」

「…………別に、仲良くしてねーよ」

 

 自分越しに続く会話を、映見は指一つ動かせないまま聞いていた。

 前の声は、罰が悪いように聞こえ、そして後ろの声は、

 

「そうですか。まあ、私には関係ありませんが――時に、お客様」

 

 罰を与えるかのように、響いた。

 

「私は『メイド』」

 

 映見は必死の思いで眼だけを横に動かした。

 そこに見えたのは、壁と窓と、外の光。

 置物の彼女は、居ない。

 

「招くべきお客様はもてなし、招かれざるお客様には相応の報いを与えます。そして――」

 

 いつの間に、なんて考える余裕は、ない。

 ただ、

 

「――迷い込んできたお客様がどちらになるのかは、お客様次第ですので」

 

 殺される。そう慄いた映見の体が一瞬大きくぶれ、揺れた視界の中を小さな影が素早く過る。

 それは、恐怖による幻覚ではなかった。

 

「……おい、こいつに手を出すなよ」

 

 映見を飛び越えて、音も無くソファーの背もたれに着地した黒猫が、メイドと対峙しながら言った。映見はその言葉が耳に届きながらも、理解する余裕は無かった。ただ分かったのは、背後にいる黒猫の盾の様な存在感と、優しく背中をさすってくれていた尻尾の感触。

 大丈夫。そう伝えてくれている気がした。

 

「そんなつもりはありません――まだ」

「こいつは俺が連れてきた客だぞ」

「ですが、人間です」

「あいつが連れてこいって言ったんだとしてもか?」

「…………」

 

 続けられていた会話が止まり、映見の手に汗が落ちる。

 いつの間にか噴きだしていた、冷たい汗。映見は拭うこともせず、恐る恐る首を回した。

 視界の端に映るのは、人間味の無い無機質な顔――人間とは思えなくなった、美しい化物の顔。

 

「だとしても――だからこそ、ですよ」

 

 その声音に、ひっ、と小さな悲鳴を上げて、映見は黒猫の長い尻尾を掴んだ。

 文句は聞こえてこなかった。

 

「だったら俺は、使いとしての命令に従うまでだ。あいつに会わせるまでが、俺の仕事だからな」

「……相変わらず人間に甘いですね、あなたは」

「仕事だって言ってるだろ」

「そういうことにしておきます」

 

 譲歩するような納得をしたメイドが、静かに元の場所へと戻っていく。

 動く人形に、表情はない。完璧なその作法には、音すら無い。

 壁際で目を瞑り、畏まった姿勢に戻るまで、映見はずっと目が離せなかった。

 目に見えない凶器が、いつ自分に襲いかかってくるのか。そんな恐怖に囚われながら。

 

「…………おい、もう大丈夫だから離せよ」

「え?」

 

 顔を横に向けた映見の目の前には、困り顔の黒猫。

 

「尻尾。痛いんだよ、結構」

「あ、ごめん」

 

 パッと手を離すと、支配から解放された黒猫が再びコタツへ戻ろうとする。

 映見は慌てて、黒猫の体を捕まえた。

 

「ちょっと、待って」

「こら、持ちあげるな」

「1人にしないで」

「あ?」

「ここに、居て」

 

 持ちあげた体を、膝の上へ置く。

 もう、どこにも逃げられない。体を震わせながら、映見はそう思った。

 いつでも逃げ出せるなんて、甘かった。甘すぎた。

 ここは、魔女の家なのだ。

 

「お願い」

 

 声が震える。動悸が、収まらない。

 目を瞑っているはずなのに、横から感じる視線。傷つけられた訳ではないのに、悟らされた思い。

 人は、いつでも簡単に、死んでしまう。

 

「……分かったよ」

 

 黒猫は仕方無さそうに言って、映見の膝の上に寝そべった。

 感じる重みが少しだけ心強いけれど、震える膝が居心地悪そうで、申し訳ない。

 

「ごめんね」

「別に、連れてきたのは俺だからな。お前が謝ることじゃねーよ」

 

 意味を取り違えながら返ってきた声音はぶっきらぼうだったが、腕を撫でるようにして動く長い尻尾は、どこか優しげで。

 大丈夫だから、と映見の心がまた勝手に解釈してしまっていた。

 

――ううん。本当に、気遣ってくれている。

 

「……ありがとう、黒猫」

「…………連れてきたのは俺なんだから、礼もいらねーだろ」

 

 まるで興味がないように、黒猫がそっぽを向く。

 相変わらず意味を取り違えていたが、優しく撫でてくれ続ける尻尾が、わざと間違えていることを教えてくれた。

 それに、ついて行くのを決めたのは、自分。だけど、それを言うのはやめておこう。映見は甘やかすように黒猫を撫でながら、その優しさに甘えることにした。

 

「黒猫って、照れ屋?」

「べ、別に、照れてねーよ!」

「うん、分かった」

「何だその微笑みは! 絶対分かってねーだろ!?」

 

 震えが治まった膝の上、バランス良く黒猫が立ち上がる。優しい尻尾が腕に叩きつけられて、痛くない。

 もうちょっとだけ撫でていて欲しかったが、それも言わない。

 

「その尻尾って、便利だよね。色々動かせて」

「俺の話聞いてたか!? その微笑みをやめ――」

「それよりも」

「――お、おう。何だよ急に……」

 

 驚いて後ずさった黒猫へと顔を寄せると、映見は声を隠すように口元へ手をかざした。

 

「私って、あの人に嫌われてるの……?」

「……気にすんな、ってのも無理な話か」

「当り前じゃない……」

 

 威圧感だけ放ちながら動かないメイドの様子を窺う。

 いきなりの殺意。そんなもの感じる経験なんて花の女子高生にはなかったが、あれはそういうものだと映見は思っていた。

 あんなもの浴びせられて知らない顔ができるほど、自分の顔の皮は厚くない。

 

「それに、人間がどうのこうのって……。あまり歓迎されてない感じ……?」

「まあ、仕方ねーよ。ただでさえ人間嫌いに加えて、お前は特別だからな」

「? 特別?」

 

 眉をひそめた映見に向かって、黒猫が声を落として続ける。

 

「わざわざ『魔女』が、俺を使って迎えよこすなんて初めてだったからさ。人間でも、人間以外でも。あいつはご主人さま一筋だから、特別扱いなお前が気に入らないんだと思うぞ」

「そう……なんだ」

 

 人間以外、というのも気になるが、ここまで来たらもうそういう存在もいるのだと受け入れてしまう。

 それよりも、

 

「魔女がどんな人か知らないけど……なんで私、そんなビップ的な扱いなの?」

 

 聞きようによっては良い気分になるが、とんでもない被害を受けたこの状況では、とても愉快な気持ちにはなれそうにない。

 

「俺だってよく分かんねーよ。だから『メイド』も警戒してるんだろうな、今までで初めてのことだから」

 

 そう言って、黒猫がメイドをチラッと見る。映見もつられて視線を動かしそうになったが、なんとか押し止めた。

 見ただけでどうにかなる訳では無かったが、映見はもう、そちらを見ることすら怖くなっていた。

 映見の様子に気付いた黒猫が、申し訳無さそうに耳を垂れる。

 

「悪い。『ご主人様命!』みたいな奴だからさ、あいつ。まさかあそこまでやるなんて俺も予想外だったけど……。あんま下手なことはしねーほうがいいな、こりゃ」

 

 その言葉に、体が強張る。心臓まで止まってしまったかのように、全身が固まる。

 唯一勝手に動いた喉のゴクリと大きく唾を飲み込む音だけが、恐怖に静まり返った映見の中で嫌味なほどに響いた。

 

(……多分、あれは)

 

 虫けらを見る、冷たい目。踏みつぶすだけで終わりだと、そう釘を指す目。

 今までに味わったことの無かった拒絶を思い出し、映見の心は震えた。

 怖いと、感じる暇もなかった。「死」というものを、単純な事実として簡単に押し付けられただけ。

 きっと人間ではないのだろう。自然とそう思うことが出来てしまうほど、彼女が大きく、そして恐ろしいものに見えた。

 改めて自分がとんでもない間違いを犯した気になり、固まっていた映見の体は、心と一緒に震え始めた。

 

(死ぬ時って、あんな風になるのかな?)

 

 走馬灯すらなかった。ただ、殺されるのだと、死ぬのだと、そう思っただけ。

 叔母も死ぬ前は、こんな風に――

 

(――嫌、だな……)

 

 死にたくない。黒猫と出会った時も、そう思った。けど、今は泣きそうな思いで、そう願ってしまう。

 映見は自らの震える体を抱きしめた。

 死が充満しているように感じるこの部屋の中で、逃げられない気がして、ただ心細かった。

 死にたく、ない。

 

「大丈夫だって」

「――え?」

 

 心の声に反応したようなタイミングで告げられた黒猫の言葉に、映見は戸惑った。口に出していたのだろうか。

 膝の上に乗ったままの黒猫は、膝から降りずにその場で寝そべる。

 

「俺が守ってやるよ……仕事だからな」

 

 言葉から遅れて、長い尻尾が頬に届く。寝そべった黒猫の表情は窺い知れない。

 それでも、頬を撫でる尻尾の感触が、黒猫の想いを伝えてくれた。

 大丈夫。言葉にしてくれたその想いが、勝手に解釈していた訳ではないのだと教えてくれた。それがとても嬉しくて、心と体を(むしば)む恐怖がどこかへ去っていくのが分かった。

 そして映見は、ふと、不思議に思った。

 

「……ねぇ」

「? 何だよ、変な顔して」

 

 そっちも変な顔してる、なんて憎まれ口を叩くより、どうしても聞きたいことがある。

 

「あなたは……人間が嫌いじゃないの?」

 

 人間が嫌い。黒猫はメイドの彼女をそう評した。ならば、彼もそうである方が、きっと正しいはず。

 なのに、

 

「どうして、あなたは……そんなに優しくしてくれるの?」

 

 思い浮かべるのは、先程のことだけではない。

 初めてこの黒猫と出会った時。逃げ出した自分に彼は、怯えを除いて安心をくれた。

 それは彼の言う仕事、だったのかもしれない。けれどそれだけじゃないと、彼のあの時向けた瞳と、今も伝わる尻尾の感触が、教えてくれていた。

 

「どうしてって……仕事だって言ってんだろ。人間だって、別に好きでも嫌いでもないさ」

「…………そっか」

 

 何となく、予想できた答え。

 決してこちらを向こうとしない黒猫は表情を隠せても、尻尾に動揺が表れていた。

 やっぱり、照れ屋なのかもしれない。

 

「…………それと、やっぱり、ありがとう」

 

 誘拐された犯人と人質が仲良くなる。そんな話にも似ている。

 けど改めて思うのは、久しぶりに笑えていたことや、この黒猫の真摯な態度。自分を、守ろうとしてくれたこと。そこにきっと嘘はない。

 色々まとめて、この黒猫には、感謝してもいいかもしれない。

 そして、信じていいのかもしれない。

 

「だから、礼なんていらないって言っただろうが」

「……ツンデレって知ってる?」

「? なんだそれ、日本のことわざか?」

「ことわざじゃないけど、日本特有の言い回し、みたいなものかな」

「へー……どんな意味なんだ?」

「何だったかな? 忘れちゃったかも」

 

 興味深々な黒猫に、言ったら怒るかもしれないと思い、映見はごまかした。

 おかしくて馬鹿っぽい、不思議な誘拐犯。さらわれることを決めたのは自分だが、やっぱりおかしい。

 こんなにホッとしてしまうなんて。

 

(さっきの話も、やっぱ関係あんのかな……?)

 

 映見は必死に記憶を探った。それは確かに、どこかで聞いた話。

 

(多分、テレビだったと思うんだけど……。えっと、何とか症候群――)

「ストックホルム症候群、だね」

「そうそう、それ! ――ん?」

 

 今、誰か。第二弾。

 そして今のは、心の声ならぬ、心の中だけの疑問。返事があるのは絶対おかしい。

 

「確かに、今の君の状況はそれに近いかもしれないが、どちらかというと単なる『アメとムチ』と言った方がいいかもしれないね。それか、日本特有の言い回しで、いわゆる『ギャップ萌え』。もしくは、不良の番長がある日河原で子犬を拾っていた…………いや、これは同じ意味だし、うちの黒猫が番長になって猫を拾ってしまうから、色々違うかな?」

 

 含み笑いな、愉快な口調。この場に居る者には、誰も当てはまらない。

 おやっ、と耳を動かした黒猫が、玄関へと鼻先を向ける。

 

「おう、お帰り。意外と遅かったな」

「ただいまクロ。と、言いたい所だが、実は結構前からドアの前で盗み聞きしていたのだよ。君の『俺が守ってやるよ』という臭いセリフもバッチリ聞こえていたから安心したまえ」

「なっ! てめ――」

「いや、本当に嬉しいよ。君がそんなことを恥ずかしげもなく言えるまでに成長したと思うとね。感動しすぎで、危うく腹がよじれて死ぬ寸前だった。もしかして私を笑い殺す気だったのかな?」

 

 鈴を転がすような澄んだ高い声。そこに含まれていた嘲笑に、膝の上の黒猫が恥ずかしげに悶える。

 

「あれは違う! つい勢いで――」

「それにビックリだよ、猫畜生風情がまさか、うら若き乙女と何気に良い雰囲気を作っているのだから。『黒猫』ではなく『ジゴロ猫』に変えてやってもいいぞ、君の名前を」

「結構だ!」

「そうか、それは残念だな。近所の雌猫もこぞって発情期になるだろうに……モテモテというやつだぞ?」

「猫にモテたくなんかねーよ!」

「猫が何を言っているんだか」

 

 理解が、追いつかない。

 それは突然、全力投球なキャッチボールの会話――随分と一方的に投げつけられていた――が繰り広げられたと言うだけでなく。

 黒猫とお喋りしている相手に、目を奪われてしまったからだった。

 

「お帰りなさいませ、ご主人様」

「ああ。ただいま、メイ」

 

 いつの間にか赤いドアの側まで移動していたメイドが綺麗なお辞儀をする。

 やはり音も無く移動していたが、映見はもう驚かなかった。

 驚く余裕も、無かった。

 

「あちらでお客さまがお待ちして――」

「君の様子も見ていたよ、メイ」

「――っ!」

 

 無表情な美女メイドの言葉を遮り、彼女の鉄面皮を崩すのは、少女。

 

「少し……やりすぎ、だね」

 

 赤いドアを背景に、赤いドレスを着た少女。妖艶な笑顔で呟いたその言葉に、空気が凍った。

 

「…………申し訳、ございません」

「まあ、メイの気持ちも分かるから、今回は良しとしよう。君たちの反応が見たくて放っておいた、というのもあるからね」

「……ありがたきお言葉です」

「固いね、君は。お客様が緊張してしまうのも分かるよ。もう少し、サービストークというものを覚えたほうがいいかもしれないね」

「『メイド』に言葉は、要りません」

「然り、かな。まあ、君が喋ると余計怖がらせてしまいそうだしね」

 

 全身から死の匂いを放っていたメイドを屈服させるのは、彼女の高い身長の半分にも満たない、赤い少女。

 そう、赤い。

 

「――おや、放っておきすぎたかな?」

 

 こちらを捉えるのは、真っ赤な瞳。

 歩を進めて揺れるのは、腰まで伸ばした真っ赤な髪。

 

「こんにちは、お嬢さん。うちの猫の抱き心地はどうだい?」

「……おい、こいつ目が点になってるぞ。ちゃんと自己紹介しろよ」

「ふむ。随分とご執心の様子だね、クロ。発情期なら今すぐ去勢しようか?」

「な、なんて恐ろしいことを……! 猫じゃないから大丈夫だっ!」

「だから猫だろ? 君は」

 

 座っていると目線がちょうど合い、赤い少女の顔は映見の目の前にあった。

 西洋人の子供の顔。しかし、そこにあるはずの無い年月を感じてしまうのは、歴史的な絵画から抜け出してきたような美しさがあったから。

 触れることすら躊躇われる程に肌は白く、目に入れるだけで感動する程にその顔立ちは整っている。

 子どもなのに妖しげで、現実なのに虚構のような美しさ。だが、そんな矛盾も、映見には認識できなかった。

 ただ、

 

「――真っ赤……」

 

 血よりも深くて、夕日よりも鮮やか。そんな言葉じゃ足りないほど、どこまでも赤い。

 この世の者とは思えないその赤さに、映見の心は奪われていた。

 

「今は、ね」

「――今、は?」

「連れの2人が黒くて地味だから、なるべく派手さを心がけているんだよ」

 

 冗談めかしたその言葉に、映見はようやく、少女の会話の相手が自分だということに気付いた。

 

「あ、あの、どうも――」

「待ちたまえ」

 

 少女の小さな手が、目の前に掲げられる。

 

「君はゲストだ。自己紹介は先ず、こちらからさせてもらえないかな?」

「え。あ、はい」

 

 真っ赤、と口走ってしまったことを謝ろうと思っただけなのだが。

 

「赤いことを評されるのは誉だから、気にしなくてもいいよ」

「あ、そうですか……って、また心を――!」

「顔に書いているよ。可愛らしいお嬢さんだね、君は。なぁクロ?」

「……なんで俺に振るんだよ」

 

 ご機嫌斜めな黒猫を無視して、赤い少女が告げる。

 

「申し遅れてすまないね。私は――」

 

 聞かなくても、分かる。

 この世の者とは思えない、どこまでも赤い少女。

 きっと、この子が――

 

「――『名も無き者たちの友』であり、」

「――え?」

 

 予想は外れ、意味も分からない。

 

「『名を忘れられた者たちの主』であり、」

 

 重ねられた言葉に、戸惑う。

 

「『名を失った者たちの理解者』だ」

 

 どこかで聞いたことのある響き。どこで、聞いたのだったか。

 赤い瞳に吸い込まれて、映見の頭は働けず、何も思い出せなかった。

 

「…………なんてね」

 

 赤は閉じられ、世界が戻る。

 取り返せた意識の中で映見は、少女が告げた言葉たちを、もう一度繰り返す。

 特に、最後の言葉。

 

「…………なんてね?」

「意味が通じない言葉など、質の悪い冗談より劣るものさ。だけどこれが正式なものでね。許してくれると助かるよ、伝える気のないこの無礼な自己紹介を」

「…………えっと、大丈夫、です」

 

 とは言えないが、ここは仕方ないだろう。

 許さない選択肢など、この少女を目の前にしたら、とても見当たらない。

 

「うん、ありがとう。とりあえず、『魔女』と呼んでくれたら助かるよ。どちらかと言うと見た目は魔女っ子だがね」

「何が魔女っ子だよ、いい年して恥ずかしい……」

「この黒い猫畜生は私が預かろう。すまないね、重かっただろう? 近頃は運動不足だったから、太陽にでも焼かれてしまえばスリムになると思ったんだけどね」

 

 赤い少女が、映見の膝の上で寝そべっていた黒猫の首根っこを掴む。

 持ち上げられた黒猫がジタバタしながら少女へ叫んだ。

 

「やっぱり嫌がらせだったのかこの仕事は!? めちゃめちゃ暑かったんだぞ、こいつが来るまでのあの公園での待ちぼうけ!」 

「誤解だよ。嫌がらせは八割程度さ」

「ほぼ嫌がらせじゃねーか!」

「二割は親切心だよ? もっとスリムになりたかっただろう?」

「全部嫌がらせか! そもそも焼かれてダイエットってなんだ――」

 

 言葉を後に残し、黒猫が放物線を描く。

 まるでゴミのように投げ捨てられた黒猫が軽やかに着地した先は、メイドの足元。

 

「――っとと。いきなり何しやがる!?」

「運命とはいつも突発的なんだよ、クロ。そもそも、宣言してから投げる馬鹿は救いようがないさ」

「そもそも投げるな!」

「そもそも邪魔だったんだ。メイ、しばらく黙らせておいてくれ。さて――」

 

 静かに返事をして、忠実に命令を実行するメイド。ムグッ、と最後の言葉を残し、宙に浮かんでジタバタする顔面を掴まれた黒猫。

 そんな一人と一匹に――その一匹は瀕死の状態になりかけていた――背を向けて、少女がその赤い瞳を再び映見に向ける。

 

「お待たせしたね。映見」

「! どうして……!」

 

 自己紹介のやり取りは、まだ終わってないはずだ。

 

「帰りの道中で、嬉しそうに教えてもらったものでね。驚かすような真似も含めて、ちょっとルール違反だが、勘弁してくれたまえ」

 

 教えてもらった。

 誰に。

 

「私、黒猫にしか名前、教えてないはずですけど……?」

「盗み聞き、というやつになるのかな。まあ聞こえてしまっただけだから、許してやって欲しい。それに、彼らは君のことが随分と気に入ってしまったみたいでね」

「……?」

 

 映見は首を傾げた。訳が分からないことには慣れたが、やっぱり訳が分からない。

 意味の通じない言葉は、質の悪い冗談よりも劣る。そう言ったのは、この少女のはずだ。

 

「劣っているからこそ、美しく在れる言葉もある。秘密や嘘というのはその類さ」

「…………また、顔に、」

「書いてあるね」

 

 茶目っ気たっぷりな笑顔が憎い。しかしその幼い様子の中でも消えぬ妖しげな美しさに圧倒され、全てを忘れて惹き込まれる。

 魔女。そう呼んでくれと、まるで羽よりも軽く言われたが、全くイメージが違う。だけどピッタリだ、とも映見は思った。

 絵画の中から出てきたような少女。絵本の中でしか知らない魔女。現実味が無いという点では一致する。

 お喋り黒猫や化物美人メイドが当たり前のように感じてしまうほど、その少女の全てがお伽話(ファンタジー)のように映見は感じた。

 そして、絵本の(ページ)をめくることを促すように、少女が――魔女がその腕を小さく横に動かして、映見を導く。

 

「さて、可愛いお穣さん。あっちに私の部屋があるんだが、お茶でもどうかな? そこで改めて君の口から聞くとしよう。その素敵な名前を含めて――色々と、ね」

 

 そう言って背を向けて歩き出す魔女の行く手にあったのは、二階へと通じる階段。

 

(――かい、だん?)

 

 メイドが固まっていた場所。確かに視界に映したはずのその場所には、階段があった。

 

「さっきまで、そんな物どこにも――」

「さあ、おいで」

 

 戸惑う映見の言葉を遮り、魔女が振り向いて告げる。

 

「『出口』が、知りたいんだろう?」

「――!」

 

 妖しく響く、招きの言葉。誘うように微笑む魔女。

 視線は外さぬまま、映見はゆっくりとポケットに手を突っ込んだ。そして、携帯電話の無機質な冷たさを感じながら、その中にある言葉を握り締めた。

 探すべきものがある。だから、この状況を考えるのは後回しだ。

 

「……はい。よろしく、お願いします」

 

 流れる汗は、不安と恐怖。

 意気込んで来たはずなのに、さらに深い森の奥へ迷い込んでしまったように、映見は感じた。

 この先に、出口はあるのか。分からなくても、進むしかない。柔らかい雲の上のような座り心地のソファーから腰を浮かし、映見は魔女の元へと歩を進めた。

 真っ赤な魔女が階段を上る。

 

「お願いします、ね……」

 

 呟くその顔は、陰って見えない。

 

「願われるような存在でもないけどね、私は」

 

 自嘲のようにも、釘をさすようにも聞こえる言葉を残し、階段の先にある扉へと魔女は姿を消した。

 映見は不気味な言葉に怯む足を動かし、魔女の後を追った。

 一歩一歩、階段を踏みしめる。右足と左足を、ゆっくり交互に動かして。そして、ギシッと響くのは、階段からの悲鳴。

 この部屋に入ってからずっと自分の足音しか聞こえないことに気付いて、自分が太っているだけだと普段ならしないような言い訳を心の中でしながら、魔女の待つ部屋へと映見は進んでいった。

 

 

 

 




無口なメイドにしようとしたけど、結局は結構しゃべってしまってる……。言い訳すると、人間とはあまりしゃべらない設定なんですけどね……連れの2人がお喋りだから。
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