探偵な魔女は黒猫がお好き   作:灰かぶり

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魔女の笑顔は闇の祝福

 闇とは、不吉の象徴。

 古今東西、老若男女。いつでも誰でも、暗さを恐れる。

 電気という発明により人は夜でも明るさを得て、その恐怖を追い払うように光の下へ歩み始めたが、映見のいる場所は未だその恩恵にあずかれていなかった。

 いや、あずかれることは無いのかもしれない。

 在るはずの無い階段を上った先、待ち受けるのは魔女の部屋。

 正にこれほど、不吉な闇が似合う場所も無いだろう。

 

「おっと、少し待ってくれたまえ。今カーテンを開けるから」

 

 シャッという音と共に、光が差し込む。カーテンを閉め切っていただけらしい。

 オチとしては三流だが、とりあえず、恩恵はまだ必要無い時間帯のようだった。

 

「まぶし――って何? この部屋……」

 

 右側から射しこんで来た光に映見が右目を瞑り、急襲した紫外線から手を上げてニキビの気になる肌を守る。効果のほどはご想像通り、大して無い。

 同時に、無事な左目へと照らされた魔女の部屋が映し出され、映見はあっけに取られた。

 

「良い部屋だろう? 好きなものに囲まれて過ごす事は、この世で最たる贅沢さ」

 

 魔女が壁際を移動しながら誇らしげに言い、映見が入ってきたドアと反対側の壁に備えられていたカーテンを開ける。

 どうやら角部屋だったらしく、右と正面からの光の幕が中央で重なり、舞台をライトアップするかのように部屋の全貌が明かされた。

 

「これが……好きなもの?」

 

 部屋の端にあるのは、質素なベッドに木の机。古びた椅子に、天井にはランタン。一階のリビングと比べて広さは半分で、そしてかなり生活水準が落ちたような部屋だった。むしろ過去へタイムスリップしたような。

 しかし、問題はそこではない。

 

「……目がチカチカする」

 

 物が極端に少ないおかげで十分なスペースのある部屋を埋め尽くすのは、色とりどりの絵画。額に飾られたものもあれば、紙のまま放置されている物もある。

 壁には既にびっしりと絵が掛けられており、飾る場所がもうないのだろう、大量の絵画は全てゴミのように打ち捨てられていた。

 

「言っておくけど全てゴミではないよ。私にとっては命と言っても過言ではないものだ」

 

 心を見透かした魔女が落ちている紙切れを踏まぬように歩き、額縁を足でどかす。どうやら部屋の中央を片付けるつもりらしいが、随分と自分の命をぞんざいに扱うものだ。

 

「命ならもっと大切にすればいいのに……」

「大切だとも。どこに何があるかはちゃんと把握しているよ」

「そんな、リモコンとかじゃあるまいし……」

 

 部屋を片付けられない言い訳だ、それじゃ。

 

「何を言っても無駄だぜ。整理整頓なんて言葉、あいつの耳には届かねーんだから」

 

 足元から聞こえる声。地面を這っている変態や、床から頭だけ出した幽霊でなければ、心当たりは一匹しかいない。

 

「黒猫も来たんだ」

「なんだよ、来ちゃ悪いのか?」

 

 長い尻尾を叩きつけ、黒猫がお座りの態勢をとる。

 

「ううん、そういう訳じゃないけど。魔女に会わせるまでが仕事だって言ってたから、もうお役御免なのかなと思って」

「そこまで無責任じゃねーよ」

「責任?」

「連れてきたのは俺だって何遍も言ってんだろ」

 

 ひねくれた物言いをしながらも、黒猫は映見の側から離れようとはしなかった。

 ただ汚い部屋に入りたくないだけかもしれないが、長い尻尾に微かに触れる足元から温かさがせりあがってきて、映見にはそれがどこか、心強かった。

 それに猫というものは元々、素直な生き物じゃない。

 

「もしかして、心配してくれてる?」

「別に。まあ、あんだけ震えて泣きつかれたら、放っておくのも後味悪いしな」

「なっ!? 泣いてないわよ!」

「泣いてたじゃん」

「泣・い・て・な・い!」

「震えてはいたよな」

「…………!」

 

 ぐうの音も出ないとはこの事か。

 映見は先程の醜態をここぞとばかりに責めてくる黒猫を睨んだ。くねらせている尻尾が勝ち誇っているように見えるのは被害妄想かもしれないが、もしかしたら撫でまわしたのを逆恨みしている可能性もある。

 挑発しているように揺れる所を見るとやはり復讐か、と映見が思った時、相変わらず足音の聞こえないメイドの声が真後ろから聞こえた。

 

「お取り込み中の所、申し訳ありません」

「そんなに取りこんでねーよ」

 

 またもや突然現れたメイドに固まってしまった映見に代わり、黒猫が返事をする。

 

「では言い換えます。イチャイチャしてる所、申し訳ありません」

「何で言い換えやがった!? んなこと全くしてないだろ!」

「そこを通して頂けますか?」

「は、はいっ!」

「俺の話を聞け!」

 

 映見も同じく物申したい気持ちではあったが、素直に入口を塞いでいた体をどかす為に、素早く一歩下がった。

 美人には逆らえない。そんな男性の気持ちが今なら分かる、と思った映見だったが、恐怖と惚気では天と地ほど意味に違いがあった。

 

「どうも」

 

 一礼しながら通り過ぎ、メイドが床に散らばっていた絵を踏まぬようにして魔女の元へ歩く。

 それを追ったのは黒猫の声。

 

「こら、訂正しろ! 俺がこんな貧乳を相手にする訳アイタタタタタッ!」

 

 黒猫のセリフが中盤に差し掛かったと同時に、映見は条件反射を越える素早さで足元のピンと立っている耳へと手を伸ばした。

 

「誰が、貧乳だ……」

「怖い! 痛い! 静かに耳を持ちあげるのはやめろ!」

 

 猫のくせに巨乳好きとは世も末だ。だからこれはきっと世直しに近い。

 

「世の女性を代表して一つ言う! 女性の価値は胸の大きさでは決まらないんだ、このセクハラ猫!」

「分かったからとりあえず耳を離せ! このまな板め!」

「ま、まな板……! 私は平均だ!」

「何が平均だ! 世の女性に謝れ! しまいにゃ引っ掻くぞ!」

「猫のオスが世の女性を代表するな! お前が謝れ!」

「2人とも、とりあえず私に謝ろうか?」

 

 世の女性代表決定戦になりつつあった論争を止めたのは、世の人外女性――あくまでイメージである――代表格である、魔女の声。

 

「親睦を深めるのは結構だが、私の絵を踏みながらとは……いい度胸をしているね」

「あ……」

 

 境界線を一歩越えた右足の下にはド派手な色をした抽象画、らしきもの。ついでに肉球も乗っている。

 映見の頬に、真夏にはちょうど良い冷や水が流れる。

 

「忘れたのならもう一度。この絵達は、私の命と言っても過言ではない」

 

 真夏に雪を降らせたようなその声は、まるでスキー場でかき氷を食べているかのような間違いを犯してしまった気にさせる。キーンとする頭痛はしないが、代わりにかなり肝が冷えて、黒猫のセクハラなどもう意に介せない。

 そして、雪が吹雪の様相を呈する。

 

「何か、するべきことと、言うべきことがあるんじゃないかな?」

 

 映見はすぐさま、部屋の境界線を越えていた足を引っ込めて頭を下げた。いつになく素直な黒猫も、爪を引っ込めた手で頬を掻く。

 

「ごめんなさい」

「悪かった」

 

 今するべきことは猫との会話という、世界が仰天するようなことではない。映見は慌てて踏んでいた絵を拾い、部屋に入ろうとした。

 

「私も片づけ、手伝います」

「惜しいね」

「え?」

 

 おしい。もう少し。あとちょっと。

 どう言い換えても、しっくりこないタイミングの言葉。

 こちらを向いていた魔女の顔が、残念そうに左右へ動く。

 

「惜しくも正解じゃないし、その優しさが惜しい気もする。しかし君が今するべきことは、この部屋に入らないということだけさ。すぐ済むから待っていたまえ。絵はそこに置いときなさい」

 

 教師の様な諭す口調。怒っている訳ではないらしいが、するべき事と言った割にそれだけとは、なんだか冷たい。映見はやるせない思いを抱いたまま、その場に慎重に絵を置いた。

 絵、というより、真っ赤な絵の具を使った子供の落書きみたいだ。映見のその失礼な感想は背を向けた魔女にはばれなかったらしく、魔女は別の者へと言葉を続けた。

 

「君もだよ、メイ。私は私の絵には誰も触らせる気などないのだから、手伝いは誰にも出来ない」

 

 部屋の中に入り、絵を拾おうとしていたメイドが、ビクッと大きな反応を見せて固まる。

 

「下がりなさい」

「……はい」

 

 魔女の厳しい言葉に静かに頷いて、メイドがこちらへと戻ってくる。心なしか、しょぼんとしているように見えた。飼い主に邪険にされた犬のようだ。

 思わず慰めたくなるその様子に、映見は恐怖を振り払って声をかけてみた。

 

「あの、気を落とさないでください」

「お気遣いは無用です」

 

 返事はしてくれたが、目も合わせてくれず。やはり余計なお世話だったらしい。

 人間が嫌いというならどうしようも無いが、誰かに嫌われるのは映見としては辛いものがあった。

 それにしても、

 

「せっかくメイドさんがいるんだから、片づけてもらえばいいのにね」

 

 映見は足を畳み、黒猫の耳に口を寄せて言った。半分は後ろに佇むメイドに気を使った発言だったが、半分は本気だ。

 黒猫が小さな鼻からため息をつく。

 

「俺に言わず、あいつに言ってくれ。片づけられたくない――って言うか触られたくないからって誰も部屋に入れないようにしちまうんだよ」

「? 部屋に、入れない?」

 

 組んだ腕を太ももに載せながら、外開きのドアの方へと首を回す。半開きのままだったので、視線の先にはちょうどドアノブがあった。

 古びたドアに付いている、やけに意匠のこったドアノブ。よく分からない文様が施されていたが、それだけ。鍵などはどこにも付いて無く、ゲームで最初に訪れる安い宿屋の様なこの部屋に――見たことはないのでやっぱりイメージだ――合っている、シンプルな木の扉。

 

「さっきみたいに留守の時に片づけちゃえば? 入れないこともないでしょ、これなら」

「もしもそのような事態になったら、私の魔女としての誇りにかけて全身全霊の天罰を下すさ」

 

 ピンと伸びる映見の背筋は、授業中のお喋りを聞き咎められた時よりも真っ直ぐだった。なんて地獄耳。そして、魔女が与える天罰。

 十字架に(はりつけ)にされて、火炙(ひあぶ)りにされたり、雷に打たれたり、槍なんかを一杯刺されるのかもしれない。そんな想像をして顔を真っ青にした映見は、焦りながら必死に言い訳をした。

 

「いや! やっぱり本人の許可なく、そんなことやっちゃダメですよね! 私も勝手にお母さんが部屋入ったら嫌だし!」

「分かってくれて嬉しいよ。危うく本気を出すところだった」

 

 良かった、セーフらしい。ホッとした映見が次に抱いた感情は、いわゆる「怖いもの見たさ」。

 崖を目の前にすると、映見は絶対に覗きこむタイプだった。

 

「……ちなみに、聞いてもいいですか?」

「ん? なんだい?」

「……天罰って、どんな事されちゃうんですか?」

「住所を調べて、イタ電、ピンポンダッシュ、エトセトラ。最終的に、身に覚えのない出前を取りまくる。せめてもの情けとして、美味しいお店を選んではやるがね」

「――それは、なんて……!」

 

 なんて恐ろしく、地味な天罰。ただの嫌がらせだということを除けば、魔女の誇りは本物らしい。魔女って何だろう、とは思うが。

 映見と魔女の会話を聞いていた黒猫が、耳を情けなく垂らす。

 

「ガキか、お前は。ババアのくせして」

「猫の場合においては、魂から爪の垢まで、その存在の全てを悪魔の供物として捧げてやる」

「猫だけ魔女の本領発揮すんなよ!」

「大丈夫。女子高生に色目を使う黒猫限定さ」

「俺じゃねー、か…………いや俺じゃねーよな!?」

 

 高速で叩きつける尻尾の音は聞こえているはずだが、魔女は無視して作業を進め、額縁に飾られた絵を手に持ってキョロキョロする。どこに置こうか悩んでいるようだった。

 それにしても、色目を使われた女子高生とは自分のことだろうか。

 

「……胸がどうのこうの言ってたくせに、色目使ってたんだ?」

「俺の目は金色だけだよ!」

 

 クワッと見開き迫る瞳の色は、金色より充血が目立つ。

 映見としてはちょっとした冗談のつもりだったのだが、予想以上のその反応に気分を害していた。そこまで必死に否定しなくても、とも思う映見の女心は、紅葉も色づくほどに秋真っ盛りだった。

 そんな複雑な乙女心と色目使いの猫に対して肩を竦め、魔女へと視線を戻す。手に持つ絵と壁に飾られている絵を交換しようとしていたが、背が届いていない。

 

(――あれ? でも……)

 

 どうやら諦めたらしく、壁に立て掛けるだけにした魔女。

 女子高生、と言った魔女。

 

(私、女子高生だって言ったっけ?)

 

 後で行えと言われた自己紹介は、まだ部屋に入れず待機中のはず。

 

「もうしばらく待っていてくれたまえ、映見。すぐに済むから」

「あ、はい。分かりました」

 

 名前を呼ばれて、映見は咄嗟に頷いた。

 名前も分かっていたのだから、女子高生ということがばれていても不思議ではないのかもしれない。

 

「それとも、私が可愛いからかな?」

「何言ってんだ、お前は」

「……ちょっと言ってみただけじゃない」

 

 不安を紛らわすための冗談なのに、この黒猫には人間のユーモアというものが理解できないらしい。映見は黒猫をそう馬鹿にしながらも、少し本気も混じっていたのは否めないので、半分以上はいじけただけだった。

 そして、時間差で襲ってきた恥ずかしさが、教室でくしゃみをしただけで笑われる時の羞恥心を上回り、映見は咳払いをしてごまかすことにした。

 

「オッホンッ! ま、冗談は置いといて。あれだけ嫌がるんじゃ、確かに勝手に部屋に入って片づけたり出来ないよね」

「何言ってんだ、お前は」

「…………今のは普通の会話なんだけど」

 

 自意識過剰なユーモアと同じ言葉を返されて、映見は不満げに手を組んだ。折角ごまかしたのに、と恥やら怒りやらで赤い顔をした映見が睨んだ黒猫は、どこかのほほんと伏せていた。完全に待ちの体勢だ。

 

「俺の話聞いてたか? そもそも『部屋に入れない』って言ったんだよ」

「? だから、部屋に入れてくれないんでしょ?」

「階段、見ただろ」

 

 同意を求めて尋ねた映見に返ってきたのは、同じく同意を求める単純な問い。

 確かに見た。というか上ってきた。

 

「階段がどうかした?」

「お前気付かなかったのか? あの場所に階段なんて、最初は無かっただろ」

「――あ」

 

 呆けたように口が空いたのは、驚いたからではない。

 

「そう言えば、そうだった……」

「だろ?」

 

 自分でも気付いていたことを改めて指摘され、映見は深く頷いた。

 

「でも、まあここまで来たら何でもアリかなーって思うんだけど。私としては」

「何でもアリって……。頭の中が畑ってやつだな、お前は」

「土と草しかなさそうね」

 

 しかも花より豊かそうだ。しっかり耕している自覚があった映見は、黒猫へと悪意なく言い返した。

 

「大体、何でもアリの代表が何言ってるのよ。このお喋り猫め」

「言っとくけど、あいつに比べたら猫が喋るなんて可愛いもんだぞ? それに、猫が喋ったら可愛いじゃねーか」

「セクハラするおっさんみたいな猫じゃなければね」

「俺はおっさんじゃねーよ」

「セクハラは認めるのね?」

「セクハラってなんだ?」

 

 駄目だ、この猫は。ばらつきのある黒猫の知識に、どこまでがセーフなのか映見には分からなかったので諦めた。

 教える気には決してならない。

 

「それで、階段がどうしたのよ?」

「いてっ!」

 

 つい横道に逸れてしまう会話に終止符を打つように、映見が黒猫の鼻を弾く。クラスでもナンバーワンと定評のある映見のデコピンは、2割の力でも黒猫にとっては大きな痛手だったらしい。

 

「いてーな! 鼻だけ赤くなっちまったらどうしてくれんだ!」

「はいはい、ごめんごめん」

「全然心がこもってね―ぞ!」

 

 黒猫が器用に鼻を抑えて文句を言ってきたが、また横道に逸れそうだったので訴えを棄却した映見は、畳んだ足に肘をつき、両手で顔を支える。黒猫をジッと見つめる大きく開いた彼女の目は、早く答えをよこせと脅していた。

 話題が逸れる原因は、半分は自分の責任だという事に彼女は気付かない。

 

「…………だから、あいつ階段を消しちまうんだよ」

 

 大きな目でジ―っと見つめられる無言のプレッシャーに負けたのか、目を逸らした黒猫が消え入りそうな声で言った。

 望んだ答えは手に入れたが、望み通りに理解へ至ることは叶わなかった。

 

「階段を、消す?」

「おう」

「……天井から下りてくる、とかじゃなくて?」

「屋根裏部屋じゃあるまいし、二階へ行く階段がそんなお手軽に下りてくる訳ねーだろ。そんな大掛かりな物あそこにあったか?」

 

 確かに、黒猫の言う通りだった。

 音も時間も無く、最初からそこにあったかのような自然さで、階段はあった。

 

「……じゃあ、ホントに消しちゃうんだ」

「あいつって留守にする時、戸締りよりも階段のことを気にするくらい絶対に消していくんだぜ? おかげで2階には上がれないから困るんだよな」

「困るって、2階は他に何かあるの?」

「こいつの部屋」

 

 黒猫が少し赤くなっていた鼻先を後ろへ向けた。その先に居たのは、目を瞑り黙ったままのメイド。

 返事をする代わりにそのまま頭を下げられ、映見もつられて小さくお辞儀する。

 つまりこのメイドは、魔女が留守の時には自分の部屋へ行けない、ということか。映見は納得して、同時に納得できなかった。

 

「あんたの部屋とか無いの?」

「俺にはコタツがある」

 

 あれは部屋だったのか、という事はともかく。

 

「じゃあアンタ関係無いじゃん」

「屋根に上りたい時とか困るだろ?」

 

 首を傾げる黒猫。人間も猫と同じように、いつだって屋根へ上りたいと思っているようだ。

 馬鹿と煙は何とやら。

 黒猫の知識の網に引っ掛かることわざか、映見が呆れ半分に試そうとした時、魔女の言葉と、

 

「ふむ、面倒だな。――――」

 

 聞こえない音が、聞こえた。

 

 

 ガシャンッ!

 

 

「――わっ!」

 

 突然、一斉に開かれた窓。

 そして音と共に侵入してきた風が、部屋中の絵画を巻き上げる。吹き荒れる風と吹雪く絵に、映見は顔を守るようにして両手をかざし、強く目を瞑った。

 

「ちょっと、一体何が――」

「すぐ終わるから、そのままでいろよ」

「――何で私の後ろに隠れてんのよ!」

「猫だから」

「アンタ、都合の良い時だけ猫になるわよね!?」

 

 叩きつけられる風に負けぬように映見は声を荒げるが、それにはちゃっかりしている黒猫への苛立ちも多分に含まれている。結局、猫なのか猫じゃないのか、はっきりして欲しいところだ。

 

「って、それどころじゃない――?」

 

 反響する音は、自らの声だけ。

 悲鳴をあげる映見を容赦なく叩きつけていた風は、いつの間にか止んでいた。

 

「よっと」

「失礼」

 

 黒猫とメイドが伏せたままだった映見の横を通り過ぎる。彼らの後を追う映見の視界の中には、先程と同じ、物の少ないガランとした部屋。

 ただ、床に散らばっていたはずの絵は、もうどこにも無い。

 

「あ、れ……?」

 

 近づく黒猫とメイドに目を向けず、魔女が部屋を見渡して頷く。

 

「ふむ、綺麗になった。だけど折角お客さんが見に来たんだから、壁に飾る絵はもう少し考える時間が欲しかったかな」

「こんな趣味の悪いもん見に来た訳じゃないだろ。大体いつまでも待たせるんじゃねーよ、部屋の片づけぐらいで」

「レディの部屋に入るんだ、時間など惜しみなく待てる位の度量は欲しいものだね。たとえ、ただのオスだとしても」

「レディって自称は、何歳まででもオッケーなのか?」

 

 黒猫の首を傾げた失礼な疑問に魔女は表情を変えず、メイドへとゆっくり顔を向けた。

 

「メイ、窓を閉めておくれ、この猫畜生を空に浮かぶ雲へと放り投げてから。腐りきった真っ黒な性根も雲に洗われて真っ白になれるかもしれない」

「かしこまりました」

「え? ちょ、ま……純粋な疑問なのにー!」

 

 首根っこを掴まれた黒猫が悲痛な叫びを部屋に残し、窓の外へと消えていく。黒猫の安否よりも、見た目は子供の魔女に年齢の話は禁句だという事が映見の脳裏に刻まれた。

 そんな年齢不詳――気になる所だが聞く勇気は無い――の赤い魔女は、真っ赤な椅子に座っていた。彼女の前にあるオーガニック調の机を挟んだこちら側には、大きな革張りのソファーがあり、下のリビングにあった物より高級そうだ。

 広い室内の中央に置かれていたそれは、正に来客セット。真っ赤な椅子という点だけは、目にもお客にも優しく無いのが問題かもしれないが、目と口を大きく開けた映見にとっての問題点はやっぱりそこではない。

 

「どこ、から……?」

 

 古びた木の柔らかな感触が伝わる床へ、映見は腰が抜けたように尻もちをつき、年月を重ねた木の板は彼女の軽い体重も支えきれなかったのか、失礼な悲鳴をあげる。

 メイドの窓を閉める音が、お喋り猫が居なくなった静かな室内で妙に響く。

 風と音と、下らない会話。たったそれだけで、在ったはずの物が消えて、無かった物が現れる。

 まるで、手品だ。

 

「呆けてないで座りたまえ、映見。そんな床よりも座り心地が良いのは保証するよ」

 

 自身の目の前にあるソファーを手で示すのは、魔女。手品師ではない。

 だからやっぱり、手品じゃない。

 

「階段も、ホントに、消してたんだ……」

 

 それはきっと、魔法だ。映見は少しだけ、憧れの様な感情と、高揚する気持ちが湧きあがっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「君は、とても豊かな子だね」

 

 魔女がティーカップの取っ手に指を差し込み、口へと運ぶ。メイドがどこからか運んできた紅茶は、入れ方が上手なのか、「午後の」という商品名が付きながらもいつでも飲める大量生産品しか飲んだ事の無い映見でも、違いが分かるほどに花の香りの様なものがした。

 ご満悦な様子の魔女を見て映見も同じように紅茶を飲み、傍らに立っていたメイドに声をかけた。

 

「美味しいですね、これ」

「ありがとうございます」

 

 返ってきたのは相変わらずの無表情だったが、気持ちというのは伝えるのが大事だ。どこまでも冷たいメイドにめげてしまいそうになる心を奮い立たせて、映見は口元に運んでいたティーカップを机にある受け皿へと置いた。中身と一緒で、ティーセットも何やら気品が溢れている。

 値段はいくらぐらいするのだろう。

 

「貰い物だから、ちょっと分からないな。古いから結構な価値はあると思うけど、まぁ気にしなくていいよ。あくまで引き立て役さ」

「…………あ、ぅ」

「顔じゃないよ。目が点ならぬ、目が円になっていたのでね。ちなみに、日本円の方だ」

 

 もう嫌だ、この人。守銭奴扱いされた映見は顔が赤くなるのを止められないまま、メイドにおかわりを要求している魔女を上目遣いで睨んだ。とりあえずここは話題を変える――もとい、話題を戻すべきだ。

 

「ウオッホン! えーっと、それで、何が豊かなんですか?」

「おや、風邪かい? 夏だからといってそんな薄着をしているからだよ、映見。まあ肌を晒すのは若者の特権かもしれないが」

「風邪じゃないです!」

 

 嫌味と分かる勘違いに声を荒げる映見に対して、魔女がおかしげに口元へ手をやる。メイドはそのやや後方で、銀の台車の上にある薔薇柄のティーポットから、同じ柄のティーカップへ静かに紅茶のおかわりを注いでいた。

 高い位置から滝のように紅い液体が落ちる。

 

「勿論、分かっているよ。あまりにも咳払いが下手だったから、ちょっと注意ついでにからかってみただけさ」

「っ! ぐ、ぐぬぬぬ……!」

「もう少し可愛い悔しがり方は無かったのかな?」

 

 手で隠れた魔女の口元から、クックック、と笑いが溢れる。悔しい。何よりも、そのブカブカな袖で口を隠す仕種が可愛いのが悔しい。

 ヒラヒラの可愛いドレスを着たフランス人形に、ただの女子高生が可愛さで敵う術は無いのだ。自分の可笑しな挙動を棚に上げ、映見は可愛くないという言葉だけ抽出して悔しがった。

 そんな映見に向け、魔女が足を組みかえながらニヒルに微笑む。

 

「さてと、話を戻そうか。なんだったかな? 可愛さとは何かについてだったかな?」

「……違います!」

「良かった、覚えていたみたいだね。もう忘れてしまったかと思ったよ」

 

 少しだけ忘れかけていたことは内緒にしよう。澄ました顔を取り繕う映見の横に、魔女のおかわりの紅茶を持ってきたメイドが現れる。

 メイドの手から離れ、魔女の目の前へと着地する薔薇柄のティーカップ。カチャン、とすら音を立てず、余程完璧に置かれたらしい。中にある紅い液体には、細波すら立たなかった。

 

「豊かな感性。つまり、想像力が旺盛だなと思っただけさ」

 

 魔女がティーカップを手に取り、小さくも妙な色気がある口へと紅茶を注ぐ。

 

「想像力?」

「『魔法を使えるなんて凄いですね』、だったかな?」

 

 再びご満悦な様子の魔女がティーカップを置き、「やはりメイの入れてくれた紅茶が一番だよ」とメイドを労う。会釈するだけで表情は変わらなかったが、映見にはメイドの尻尾がブンブン振れている幻が見えた気がした。多分、気のせいだろう。

 

「はい、凄いですよねー。私、魔法って初めて見ました!」

「まるでどこかには在るような言い種だね」

「あ、そうですね。えっと……と、とにかく感動しました!」

「語彙力は豊かではないらしい」

「なっ……!」

 

 首を振り、呆れるような口調。映見はそんな魔女の言い方にムッとした。からかわれているのか馬鹿にされているのかの違いぐらいは、いくらなんでも心得ている。

 

「私、素直な感想を言っただけですけど……」

 

 魔法で出したソファーに座りながら漏らした言葉は、自然と出た真実だ。つい出てしまう機会が多い余計な口は、空気が読めない場面も多々あるが、褒め言葉なら問題ないはず。

 

「それに語彙力って言いますけど、心が本当に凄いと感じたなら、一々言葉で飾る必要は無いと思います」

「それは誰の受け売りだろうね」

 

 思いがけぬ言葉の虚をつかれ、映見は呆けた。

 それは叔母の教えのようなもの。幼い頃に告げられ、今なお心に根付いている、愛する彼女の魔法の言葉。

 どうして、分かったのだろう。

 戸惑う映見に向けて、ティーカップから離した魔女の薄い唇が開く。

 

「魔法など在る訳が無い」

「え?」

 

 飛んで跳ねて、戻った答え。それが意味するのは、始まりから間違っているという否定。

 

「で、でも、さっきビューってなって、パッてなって……」

「君の言う通り、言葉とは飾る物では無い。だが、放棄していい物でも無い。伝える為に紡ぐべき物ではあるのだよ、映見?」

「うっ……」

 

 確かに、偉そうに人の受け売りを振りかざしながら、擬音だらけの説明では語彙力も説得力も足りない。

 情けなさと恥ずかしさで顔を伏せた映見の耳に、クスッと小さく零した笑い声が聞こえた。ふと顔を上げると、美しく苦笑する魔女の顔があった。

 

「馬鹿にしてすまなかったね、映見。先に間違えたのは私だ。君の賞賛は確かに、伝えるべき想いが紡がれた言葉だった。ただ、『魔法』という括りが嫌いな私の幼さ故の過ちだ。気分を害したなら謝るよ、本当にすまない」

「え? あ、いや、そんな……。私も、語彙力欲しいなーって自分でも思っちゃう時があるから、気にしないで下さい」

 

 よく意味は分からなかったが、目上の人――見た目は子供だが――に謝られたようなくすぐったさが体を駆け巡り、映見は照れを隠すようにティーカップを手にとって口に運んだ。

 中身は既にもう無い。

 

「おかわりをご所望ですか?」

「…………お願い、します」

 

 ご所望した訳ではなかったが、映見は素直にメイドへとカップを渡した。なんだろう、フォローを入れてもらったような、恥を上塗られたような、この不思議な気持ちは。

 なんとも言えない映見の表情は、肩と袖口を揺らす魔女の様子を見て、一瞬でしかめ面に変わった。

 

「何がおかしいんですか、何が」

「いや、本当に君は豊かな子だと思ってね」

「想像力、関係無いと思いますけど」

「人間性の話さ」

 

 ひときしり笑って気が済んだのか、魔女は「ふぅ」と一息ついて目を瞑る。

 人間性とは、また随分と大きく馬鹿にされたものだ。映見は悔しく思ったが、それよりも聞きたい事が多々出来てしまい、感情的になるのは止めておいた。

 それに、口では勝てないと本能が察している。

 

「それで、えーっと……魔女、さん?」

「なんで疑問形なんだい?」

「いや、名前、ではないかなーっと思ったんですけど……やっぱり、魔女なんですか?」

「やっぱり、『魔女』だね」

 

 やっぱりか、と映見は納得した。

 黒猫の名前を聞いた時の再現だ。

 

「言っておくけど、私の場合はクロとは違うよ。『魔女』は仮名では無く、ただの名刺みたいなものさ」

「名刺?」

「あの子と違って、自分で後付けしたんだよ。『黒猫』だから黒猫になったように、『魔女』だから魔女な訳じゃない」

「…………ごめんなさい。意味が良く、わかんないです」

「別に、『少女』でも『令嬢(フロイライン)』でも、なんでも良かったのさ。ただ『魔女』というのがピッタリだと知人に言われたから、そう名乗ることにしただけ。蔑称として呼ばれたのだけど、案外気に入ってるよ」

 

 説明は終わりだ、と言うように魔女が腕を組むのを見て、映見は煙に巻かれた心持だった。

 黒猫は、『黒猫』だと言っていた。魔女は、『魔女』だと名乗りながら、『魔女』では無いと言っている。

 

「つまり、魔女じゃないから、魔法じゃないんですか?」

「魔法を使うのがイコール魔女ならば、確かにそうだね」

「……?」

 

 更に首の角度を曲げ、疑問を深くした映見に対して、魔女がどうでもいい事のように言い捨てる。

 

「君達の名前は一つだけなのかい?」

「え? いや、そりゃそうですよ。当たり前じゃないですか」

「違うね。人はいくつもの名前を持ってる。時には賛辞を込めた敬称を、時には受け入れ難い蔑称を。長く生きれば生きるほど、様々な名を得る。つまらない事象からでも、ね」

「……??」

「私の『魔女』と君の『女子高生』は同じような意味、ということだよ」

 

 それは単なる身分だ。ならば彼女には、

 

「本当の名前があるんですか?」

「君を知らない他人にとって、君は単なる『女子高生』で、それ以上でも以下でもない。人々がそう認識するならば、その名は嘘では無くなる」

「……わざと分かりにくく言ってませんか?」

「そんなつもりは無いよ。ただ疑いを晴らそうとしただけさ。『魔女』というのは、私の真実では無くても、君達の事実なのだと」

「そ、そうじゃなくて、私は本当の名前を聞いて――」

「忘れた」

「――は?」

 

 取るべき進路を見失わせる荒れ狂った波が、突然ピタッと凪のように収まった魔女の言葉に、映見は呆ける反応しか返せなかった。

 どうでもいいというスタンスは崩さず、魔女が続ける。

 

「独り身が長かったものでね。無い訳ではなかったが、誰にも知られないまま、失われもせず長い時を過ごしている内に、どこかへ行ってしまったよ。まぁ、特に必要なものでも無かったから構わないのだけどね」

「構わないって、そんな……」

 

 何も言えず、映見は目を伏せた。

 自分の名前を忘れるなんて、想像も出来ない。どれほど長く、どれほど孤独でいたら、そんな事になるのだろう。そしてそれは、どれほど辛いことなのだろう。自分ならば、構わないなんて簡単には言えない。

 寄り添えぬ悲しみに想いを馳せ、心を痛めていた映見に慈しむような笑い声がかかった。

 

「やっぱり君は思っていた通り、豊かな子だね」

 

 引っ掛かる言葉。そして、真っ直ぐにこちらを見据える魔女の眼差しがとても優しく思えて、映見は違和感を感じた。

 

「……思っていた通りって、どういう――」

「そのままの意味さ。納得しただけだよ」

「納得?」

 

 また新たな疑問が増え、映見は魔女を訝しむように見つめた。が、魔女は答えない。

 

「あの……魔女さん? 納得って――」

 

 

 ガンガンガンッ!

 

 

 ふらつく言葉を掻き消す音。

 ガラスをたたく不協和音に反応して映見が目を向けると、窓に黒い影が張り付いているのが見えた。

 

「おや、やっと帰ってきたようだ」

 

 魔女は待ちくたびれたとでも言いたげな表情を作ったが、いつまでも窓から入ってこない黒猫を見て、彫像の如く佇むメイドに不審げな目を向ける。

 

「メイ、もしかして窓を閉めたのかい?」

「はい。うるさい虫が入ってきてはいけないと思いまして」

「困った子だね、本当に」

 

 呆れた笑みを見せ、「入れてあげなさい」と言う魔女の言葉に、メイドがやや不満げな態度を出しながら従う。

 虫扱いとは、ちょっと可哀そうだ。

 

「家族の仲が悪いというのは心を痛めるものだけど、ああ見えて意外と信頼し合ってるんだよ」

「とてもそうは思えないんですけど……」

 

 鷲掴みにしたり、投げ飛ばしたりしてる場面を思い出し、映見は苦笑した。

 

「ただのじゃれ合いみたいなものさ。あの子たちにとっては、ね」

「はぁ……」

 

 随分と過激なじゃれ合いだ。それに、まるで兄弟喧嘩を微笑ましく見つめる親のような言い分だが、投げろと言ったのはこの魔女ではないだろうか。

 映見はそんな意味を込めてジトッとした視線を送ったが、気付いていないのか、それとも無視しているのか。心を読むはずの魔女は我関せずの態度で、優雅に紅茶を飲んでいる。

 

(変な人たち……)

 

 それとも、人じゃないから変なのだろうか。

 変なる定義について映見が混乱し始めた時、もう慣れ親しみ始めた声が彼女の耳に届いた。

 

「よくも本気で投げてくれたなお前! 雲どころか、一瞬ホントにお空の上に行っちゃうと思ったじゃねーか!」

「そこまで上に高く投げたつもりはありません」

「落ちてる時に思ったんだよ!」

 

 どうやら無事、生還したらしい。開け放たれた窓から軽やかに入り、文句を言う黒猫を見て映見は少しホッとした。あの黒猫の事だから、そこまで心配していた訳じゃないけど。

 涼しげなメイドに文句を言っても効かないと悟ったのか、黒猫がこちらへ近寄りながら糾弾の標的を変える。

 

「よくもやってくれたな、このロリババ魔女! 危うく死にかけたじゃねーか!」

「大丈夫だよ、メイもそこまではしないさ」

「したじゃねーか! あの空中散歩の速度と角度が見えなかったのか!?」

「クロ、今はお客様の前だ。見苦しいからやめなさい。それに、自分の仕事を放棄して散歩とは暢気なものだね。これからは今までの倍は働いてもらうことにしよう」

「待遇の改善を断固要求するっ!」

「難しい言葉を覚えたものだ」

 

 パチパチと拍手する魔女――どう見ても褒めている様子には見えない――を睨み、黒猫が今にも飛びかからんとする態勢で唸り声を上げる。

 魔女の使いとは、色々と大変な仕事らしい。最初に出会った時の黒猫の言葉を思い出して、映見はちょっと同情の目線を送った。やけに不本意なことを強調していたし、逃げ出す計画も建てていた気が――

 

「それじゃ、映見。本題に入ろうか」

「え?」

 

 急に水を向けられて、映見は戸惑った。黒猫は未だ、ストライキの決行も辞さない構えなのに。

 

「え……っと。もう、いいんですか?」

「この子はいつもこうだから、放っておいて構わないよ」

「いつもこうなんだから、ちょっとは我が身を直せよ!」

「人の振り見て、と言いたいんだろうけど、生憎ながら私には参考にするべき存在が居なくてね」

「! うぉっ!」

 

 傲慢とも取れるセリフを吐き、魔女が摘み上げた黒猫を映見の座っていた二人掛けのソファーの空いているスペースへとヒョイと投げた。

 

「っとと。こら! 何度も軽々しく投げるな――」

「仕事の時間だ、クロ」

 

 鋭く放たれた言葉はどこか冷たく、場の空気を凍らせ、氷柱(つらら)が生えてきて刺されたかのように背筋が張り詰める。

 黒猫も雰囲気を察したのか、真面目な声音で問う。

 

「……仕事、って。俺にさせる気か?」

「私が今、他の仕事をしているのは君も知っているだろ?」

「――あぁ、だから留守にしてたのか」

 

 納得の鳴き声がガランとした部屋の中に響く。が、よく分からない。

 仕事って、何の事だろう。

 

「魔女って……働くんですか?」

「働く、という言葉が何かしらの対価を得る為の労働を指すのならば、違うね」

「――えっ、と……」

「ただの趣味――いや、好む好まざる関係無くやっているのだから、趣味と言うには無粋だね。言うなれば、そう……『魔女』が『魔女』たる所以かな?」

「言うなれば、全然意味が分かりません」

「学生が勉強するのと一緒さ」

 

 やっぱり分からない。

 魔女のウィンクに、映見はしかめ面で応えた。失礼な気もするが、段々と腹が立ってきた。もしかしておちょくられているのではないだろうか。

 黒猫が姿勢と共に、魔女を()()()

 

「お前の言いたい事は分かったが……それならなんで俺を放り投げさせた?」

「気分だ」

「あんまりだっ!」

「難しい言い回しも覚えたようだね」

 

 再び称賛の拍手――もう完全に馬鹿にしている――を送る魔女に、先程の気配は窺えない。

 

「あのー……」

「おや、悪かったね放っておいて。それではどうぞ」

「え? ど、どうぞって……」

「こら! まだ俺の話は終わってねーぞ!」

「私の話は終わったよ」

「あ!?」

 

 なおも食い下がる黒猫に向けて、魔女が人差し指を立てる。静謐を保つよう要求するその仕種に、黒猫も黙りこくった。

 一瞬の静寂を、作った張本人がそっと壊す。

 

「少しだけ、仕事を抜きにこの子とお喋りしたかったんだ」

「……は? お前が?」

「メイで無い事は間違いないから、そういうことになるね。だからクロには少しの間、空の旅を楽しんでもらったという次第さ」

「楽しめねーよ! てかさっき気分とか何とか言ってたじゃねーか!」

「私をそういう気分にさせた、という自覚は無いのかな?」

「無いっ!」

「だろうね」

 

 魔女が呆れを示すように両手を掲げて首を振る。随分とオーバーなリアクションだ。

 だが、今はそれよりも聞きたい事がある。映見はやや置いてけぼりにされていた空間に割って入った。

 

「あの、魔女さん」

「なんだい? 客人を放っておくという無礼な所業への文句ならば、そこの駄猫が受け付けているよ」

「ダネコの意味は分かんねーけど、なんかムカつくぞ!」

「私の造語で、とても素晴らしい猫という意味だよ」

「嘘つけっ!」

「――あのっ!」

 

 強めに言い放った語調に、魔女と黒猫の視線が集まる。メイドはまるでそこに存在しないかのような所作で目を瞑っていたが。

 

「何度もすまないね。こういう風になるから、この子にはしばらくの間消えてもらったんだ」

「……人のせいにするなよな」

「猫ならば構わないのかな?」

「構うに決まってんだろ。言葉のあやとりだよ」

「とり、が余計かな」

 

 魔女がまたもや言い合いに発展しそうな憎まれ口を叩く。が、その言い種は終わりを告げるように静かで、魔女は目を瞑りティーカップで口元を隠した。黒猫も意図を察したのか、小さな舌打ちだけで消化不良の不満を表し、映見を見つめる。

 なんだか、緊張する。

 

「あの、ですね…………えっと、」

 

 喉を通る唾に押し戻される言葉。どう言えばいいんだろう。

 黒猫が沈黙する映見を訝しみ、気遣わしげな声をけてくれた。

 

「……固くなる必要無いぜ。気楽に――とはいかないだろうけど、お前の今悩んでいる事を言えばいいだけだ。『出口』、教えて欲しいんだろ?」

「あ、うん……」

 

 頷いて思い出すのは、黒猫と出会った時に告げられた言葉。自らが告げた、願い。

 答えが分からず迷っているが、答えを求める想いに迷いは無い。

 だけど、違う。

 

「あの、魔女さん……」

 

 魔女は応えず、静かに目を瞑ったまま。その拒絶にも似た雰囲気に、躊躇いが生まれる。

 しかし映見は、大きな息と共にその躊躇いを吐き出し、妙に清々しい空気と共に、勇気を吸い込んだ。

 そして出た言葉は、彼女の抱える悩みでは無かった。

 

「私の事……知ってるんですか?」

 

 頭の中で渦巻いていた疑問をまとめられず、映見は心のままに魔女へ尋ねた。

 名前を知っていたのは分かる。「あの子たちに教えてもらった」と彼女は言っていたから、きっと黒猫に自己紹介した時に周りに居たらしい何かに聞いたのだろう。「名も無き者達」、と黒猫が言っていた彼らに。全然意味は分からないが、もうそういう物なのだと、なんとかギリギリで納得できる。

 女子高生だということも、外見から大凡の見当はつくかもしれない。しかし、叔母からの受け売りの言葉――それを見抜いた魔女の確信には、納得がいかない。

 それに、

 

「……私とお喋りしたかったって、どういう意味ですか?」

 

 思っていた通り。納得した。

 魔女との会話の節々に表れていた言葉と雰囲気は、映見に疑念と困惑を呼んでいた。

 訳の分からない空間と状況、そして知らない他人――未知なる存在と言い換えていいかもしれない――から送られるそれらは、恐怖にも似た何かを生む。

 それでも尋ねた映見の勇気に、赤い魔女は答えない。

 

「――1つ、忠告しよう。ちなみにこれは助言では無い」

 

 応えてくれても、答えはくれない。

 

「……なんですか?」

「もし森で迷ったならば、ジッと助けが来るのを待つ方が賢明だ」

「……は?」

「自らの力で出口を探そうと進むのは、無謀ではあるが勇敢だ」

「い、一体、何の話を――」

「だが、興味本位で寄り道するのは愚昧(ぐまい)だ」

 

 薄く笑むその表情に、真実を隠す。

 

「もし歩き出そうとするならば、記憶を、月明かりを、はたまた川の流れを頼りに、意志を持って突き進むべきだ。そうすれば、意外と民家に――森に住む妖しげな魔女の家に辿り着くことだって出来るかもしれない」

「……忠告じゃ、なかったんですか?」

「これは忠告だよ、映見」

 

 彼女は明かさない。彼女に明かりは、灯らない。

 

「花の名を知ろうとしてはいけない。色鮮やかな蝶に心を奪われてはいけない。留まらず、『出口』だけを求めなさい。さもなければ君はさ迷い疲れ、月明かりも届かぬ森の奥深く、暗い所で独り――」

 

 何故なら彼女は――

 

「――眠ることになる」

 

――魔女なのだから。

 




これにて主要キャラの紹介終了。次回からが本編、みたいなものです。投稿間隔が空きすぎで申し訳ありません……。
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