次の話は世界観、設定などを共有してますが時系列が飛ぶ予定です。
『桜の花は薄いピンク色なんだ。お前は覚えてないと思うし、信じられないとも思うけどな。でも、この事を覚えておいてほしい。そうしたら俺はきっと――もっと頑張れるから。……そろそろ時間だから行くよ。じゃあ春華、またな』
これが私の記憶の中にある彼――ハルくんの最後の言葉。それから彼は帰ってくることは無かった。もうすぐ彼が居なくなってから一年が経つ。彼が居なくても世界は回るし、誰も彼が居なくなったことを気にする素振りはない。そう、私と彼の家族以外は。
『ハルくんのことでお話があります。実は私、最後にハルくんに会ったんです』
彼がいなくなって1ヶ月が経ったある日、私は彼の家を訪れていた。
『冬華ちゃん、確か前に、前日の学校帰りが最後に会った時だって言ってたわよね』
『ごめんなさい、あれは嘘なんです。本当は私、あの日ハルくんと話したんです。彼がこの街を出るってことも、帰ってこないかもって言うことも全部わかってたんです! 今まで黙っててごめんなさい!』
私は全て知っていた。彼がこの街から出ていくことも、帰ってこないかもしれない事も。そして、ハルくんがその事を両親にすら伝えてないことも。それを分かった上で私は黙っていたのだ。
『……詳しく聞かせてもらえる?』
そこから私は、あの日彼から聞いた内容を記憶してる限り、一言一句違うことなく伝えた。
『そう、そんな事があったの……話してくれてありがとう、冬華ちゃん。それに、ずっと一人で抱え込んで辛かったでしょう?』
彼の母親からかけられた優しい言葉を受けて、思わず私の目から涙が零れる。
『いいのよ、好きなだけ泣いて。それにしてもあの子ったら、女の子との約束を守れないなんて。帰ってきたらお説教ね』
『おばさん……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい』
堪えきれなくなった私は、思わず彼女の胸を借りて思いっきり泣いたのだった。
私は大学生になった。彼に先立って高校を卒業し、今では隣の市にある大学に通っている。新しい友達もできたし、サークルを始めとした学校生活だって上手くいっている。でも、彼はいない。どこにもいない。
地元の友達も、近所に住んでるおじさんやおばさんも、最早誰も彼のことを気にしていない。まるで、ハルくんが世界から忘れ去られてしまったかのようだ。
彼が居なくても世界は回るし、そんな世界で私は楽しく生きていられる。その事に時折、どうしようもない罪悪感を覚えるのだ。
彼――■■くんを…………ってあれ?
彼の名前は、なんだっけ?
おかしい、おかしいよ、何で思い出せないんだろう。ほんとに大事な人だったはずなのに。さっきまで覚えていたはずなのに! 思い出せない、思い出せない!
名前は、名前は……なんだっけ?
ああ、更に彼が私から遠のく…………
更に一年後、私の中で彼のことがとうとう朧気になってきた。名前を忘れてから、覚えておこうとずっと心がけているのに徐々に記憶は摩耗していく。名前の次に忘れたのは彼の顔。次は好きな食べ物や趣味。そしてとうとう過去の思い出すら忘れ始めた。忘れないように、一度覚えていることをノートにまとめたりもしたが、不思議なことに日に日に読むことの出来ないページが増えていく。文字が書いてあることは分かるのに、何故かその内容が読み取れないのだ。
「あぁ、もう忘れたくないのに……!」
今となっては、はっきりと思い出せるのは最後の彼の言葉、咲きもしないはずの桜の花について語った変な話だけだ。彼の覚えておいてほしいという祈りが、呪いのように私の頭からあの言葉を離さないでいてくれる。そうだ。忘れるもんか、彼の言葉を。
とうとう私も大学三回生になり、就活を始めた。まだ時間的に余裕はあるものの、今の時代は甘いことを言ってられない。「夏一番」が吹き、夏を迎えようとしてる中、私が部屋で履歴書を書こうとした矢先のことである。
「冬華、手紙が届いてるよ」
下から
「今行くよ」
明衣お姉ちゃんから手紙を受け取り、私は自室に戻る。届いたのは差出人不明の謎の封筒だった。本来なら怪しく危険なので捨てるはずのものだが、その筆跡に妙な懐かしさを覚えた私は、少しの逡巡のあと封筒を開く。そこに入っていたのは何枚かの便箋だった。恐る恐る便箋を開くと、最初に「桜の花の色を覚えていますか?」という文字列が目に入る。
その瞬間、私の脳内に電撃が走る。強く頭を打たれたような気分になり、周りから音が消え、手紙以外の全てが視界に入らなくなった。
ふと、手紙に水滴が落ちる。それが私の目から零れ落ちた涙と気づいた瞬間に、ようやく思考回路が復旧する。ああ、なんで私は忘れていたんだろう。あんなに大事な人だったのに。指切りげんまんで約束を交わしたのに! 忘れまいと誓ったはずだったのに!!
「桜の花の色」というフレーズをきっかけに、忘れかけていた様々な記憶が蘇っていく。彼と最後に交わした言葉が、彼との思い出が、彼が好きだったものが次々と頭の中に浮かんでくる。でも、思い出せたのはそこまでだった。彼の顔や、名前はどうしても思い出せない。
いろんなことを思い出せたことを喜ぶべきか、彼の顔と名前が思い出せないことを嘆くべきか。よく分からないまま、私は手紙の続きに目を通し始める。
「この手紙をお前が読んでいると言う事は、俺は失敗したんだろう。これまでの三年間、何とかこの事態を解決しようとしてみたけど、事態は悪化するばかりだった。最初は四人でやってた抵抗も、とうとう俺一人になってるのが現状だ。俺がまだ消えてないのは、お前が俺のことを忘れないでいてくれたからだろう。本当にありがとうな。でも、どうやら俺もそろそろ限界らしい。この手紙が届く頃まで、生きていられるかは分からない。だから、後のことをお前に託す。勝手に巻き込んで悪いとは思ってる。俺には、約束を守れなかったことを許して欲しいと言う権利すら無いだろう。ただ、あまり不確かな希望を与えなくはないけど、この事態が解決したら、また会えるかもしれない。残りの便箋に、これまで分かったことや今後どうすれば良いのかの方針を記しておく。到底信じられないかも知れないが、全て事実だ。最後に、お前に任せてしまう自分が情けないが、後は頼んだぞ、春華。 甘利春」
それは、非情にも彼からの別れの挨拶だった。ただ、希望が絶たれたわけでは無いことも記されている。また、最後に彼の名前も記されていたが、名前の欄に書かれている文字は知らない文字で、結局、彼の名前は思い出せない。
「良し、託されちゃった以上やるしかないか。今まで忘れてた分の穴埋めをしないといけないしね!」
まだ望みがある、それが分かっただけで私の心は嘘みたいに晴れやかになっていた。どんなに難しいことだってやり遂げて見せよう。そう思えるほどに。
二ヶ月が経って、大学の講義が終わり夏休みに入った。あの後、彼がまとめてくれた、荒唐無稽とすら言える異常事態の内容とその対処案をなんとか頭に入れて、旅に出るための旅費を用意した私は、今日旅に出る。通学時にしか使っていなかったバイクに旅用の道具を詰め込み、彼を探し、そして助けるための旅に出るのだ。
「あら、冬華ちゃん、大荷物ね。旅行にでも行くの?」
家の外で荷物をまとめていると、隣の家のおばさん――彼のお母さんが声をかけてくる。
「はい、ちょっと人に会いに行くんです。……ずっと一緒にいた大切な人に」
貴方の息子に会いにいく、とは言えなかった。彼の存在が母親の中からすら消えているという事実を突きつけられたら、受け止められる自信がなかったからだ。
「そう。……よく分からないけど頑張ってね?」
「はい、じゃあ行ってきます」
「行ってらっしゃい、気をつけてね」
そういって、おばさんは家の中へ戻って行った。恐らくあの調子だと、私の推測通り既に彼のことを覚えていないだろう。推測に過ぎない、だからまだ耐えられる。
「頑張らないといけない理由がまた増えちゃったな」
私はそう呟き、作業を再開する。
「大丈夫? 忘れ物とかない?」
「全く心配性だなぁ、明衣姉ちゃんは。大丈夫だよ、私だってもう大人だし、困ったら自分でなんとかするって!」
「それでも冬華はいつまでも私の妹なんだから。心配くらいさせてよ」
「うん……ありがとうお姉ちゃん。じゃあ行ってくるね!」
「行ってらっしゃい!」
お姉ちゃんに送り出され、私の旅が始まる。あぁ、それにしても絶好の旅日和だ。さあ行こう。君を探す旅へ。
ここまで読んでくださってありがとうございます、
実はこちらの作品は私が本気で書いた初めてのオリジナル作品です。
思い入れなども強いので楽しんで頂けたのなら幸いです。
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