「はあ……実に運がなかった。血枝か油かは知らないが、まさか時計3にダークロードがいるとはね」
トリステイン魔法学院教師ジャン・コルベールは、落ち着いた、それこそ紅茶を飲みながらの世間話のような口調の声に唖然とする。
それが学院の中庭で同僚や生徒たちとの会話であるのならその声音に何も問題はない。だがあいにくとここは魔法学院の生徒の二年生進級をかけた試験の場であり、さらに言うなれば声は知覚できる限り、目の前に横たわる死体から発せられたものだった。しかも言っていることは理解不能である。
「……む?聞こえなかったかな?もしもし、そこの方聞こえていたら少し手伝ってもらいたいのだが」
「え、ああ、聞こえていますが……」
確認するような声に、コルベールは思わず異常事態とはかけ離れた返事をしてしまった。
死体は戦場で幾度となく見たことがあるが、まさか死体と会話する日が来ようとは思ってもみなかったため、現実感がどこかにすっ飛んでしまっている。
「ああよかった……なら、私の腰のポーチにイグ葉があるので使って起こしてはもらえないかな?」
「イグは……?」
「イグドラシルの葉だよ。ああ、もしかして使ったことはないのかな?」
「はあ……あいにくと何か使い道があるものとは聞いたことがなくてですね……」
「ふむ、なるほど……では私の指示通りにしてほしい。まずはともかくポーチの中からイグドラシルの葉を取り出して……」
やや特徴のある話し方だが、なんとも気さくに会話をする死体である。
ここに至りコルベールは、もしかして脈が止まる特異体質持ちで何らかの理由で動けなくなったただの人なのではないかと、自分でもよくわからない納得をしたくなってくる。
だが、そう思ってしまうと次の工程が少し厳しいものになる。死体改め特異体質の彼女は腰のポーチといった。半裸にも見える扇情的な衣装の、腰のポーチ。つまり肌の一歩手前である。
――許可を出されたとはいえ、動かぬ女性の際どい箇所の肌に触れかねない所を探るのは、正直気まずいですね……。
意識しすぎて手をこまねいてしまうコルベールだが、枯れた訳でもないのに齢42になって未だ独り身という境遇であるのだから緊張してしまうのも仕方がない。
そしてどうやらあちらもこちらのうろたえる様子に気づいてしまったようで、
「……ん?どうかしたのか……ああ、もしかして割と初心な方だったのかな?それは申し訳ないことをした。安売りするつもりはないが今のこの肉体は生命活動を止めたただの肉の塊だ。もしセクシャルなことをしてしまっても少しなら目を瞑るから気にせず弄ってくれ」
「そういう身も蓋もないことを言うのはよしてもらいたいのですが……」
なんとも珍妙な性格の特異体質の女性なようだった。
このまま問答をしてもこちらに心労が溜まるだけだと判断し、はあ、とため息をひとつ付いたコルベールは、
――いや、この女性は今何かとんでもないことを言わなかったか?この肉体は生命活動を止めたとか……ということは彼女はつまりやはり……?
一瞬理解したくないその言葉の意味を理解しそうになって、これ以上のことは考えないほうが常識を破砕されずにすむという結論に達してスルー。
たった数分程度のやりとりで既に数日の軍務に匹敵する疲労感を得て、コルベールは言うとおりにポーチへと手を伸ばしたのだった。
一方で、コルベールに離れているようにと指示された生徒たちは彼と彼が相手をしている女性を遠巻きにに伺っていた。
初めはぐったりとしすぎていた女性の様子にすわ死体かと怯える様子の生徒が目立ったが、コルベールが問答を始めた結果何かしらの理由で動けなくなったのだと納得し、安堵の空気が広がっている。既にコルベールからの次の指示を待つ間に、先ほど呼び出した自分の使い魔と交流を深める生徒もちらほらといた程だ。
そんな中、気が気でないのは先ほど女性の出てきた鏡を生み出した生徒――ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールである。
なにせ意気込んで臨んだ『使い魔召喚の儀』で最初に現れたのがトロそうな平民の男で、その次は死体にしか見えなかった女だ。今はコルベールが陰になって見えないため詳しい様子はわからないが、あれだけぐったりしているとなれば相当な怪我人か病人だろう。格好も奇妙だったので、もしかすると今脇でボーっとしている平民並みにどうしようもない存在かもしれない。
今はコルベールが言葉を交わしている以上会話ができる程度には健康体であるらしいが、もしかすると末期に遺言を残しているのかもしれない。使い魔を召喚直後に死なせるなど主として最大の失態だろう。
しかし改めて冷静になれば、そのような状況なら学院の教師の中では常識人枠にカテゴリされるコルベールが召喚者であるルイズを呼ばない筈がない。ならば、しばらくは大丈夫なのだろう。
ルイズは少し心が落ち着いたことを感じ、
「なあなあ、結局ここいったい何処なんだよ?」
間抜け面な平民の使い魔の暢気な言葉に再び心が苛ついたことを感じたのだった。
キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーは、お互いを先祖代々の宿敵と目している少女が自らの召喚した平民と言い争いを始めたのを、離れた場所から眺めていた。
キュルケとその隣にいる少女を除いた、同じようにルイズと平民の様子を見ていた級友達は嘲笑を隠そうともしない様子だったが、
「ねえタバサ……人が、それも二回続けて召喚されるのって珍しいんじゃない?」
「……人が召喚されることも、続けて二回召喚が起こることも、私は聞いたことが無い」
「ふぅん……」
ちらりと視線を向けると、タバサも興味深そうに二人の被召喚者を見つめていた。
ルイズよりも先に使い魔を召喚していた二人は、キュルケがサラマンダーでタバサが風竜とどちらもレア且つ力のある使い魔を手に入れていたのだが、ルイズの召喚した二人の平民というのもある意味レアである。
とはいえ、一方は死にかけでありもう一方は主人と絶賛口論中だ。レアな召喚であっても主人としての能力が示せなければ無意味であり、
「ふふ……これでルイズにももうちょっと張り合いが出て来れば面白くなるんだけど」
ちろり、とキュルケは唇を舐める。
張り合いの無い宿敵ほどそそらない物は無い。常々そう思いルイズにちょっかいを出しては発破をかけてきていたキュルケに、常なる恋の微熱とは違う熱が生まれようとしていた。
しかし、ふと気づけば隣のタバサが険しい顔をしている。
タバサが見つめているのはルイズと少年ではなく、コルベールが介抱しているらしい女性のほうだ。今はコルベールの陰になってよくわからないが、どうもキュルケ自身と相通じるものがありそうな露出の高い衣装を身に纏っていたのを覚えている。後で大丈夫そうなら、ファッションについて話すのも面白そうな逸材だったと思いをめぐらしつつ、
「何か気になることでも見つけた?」
と問うてはみるが、返事が無い。
この親友は意味のない言葉にはガン無視かますという強力なスルースキルの持ち主であるのだが、今現在の問答はそのラインには引っかかってはいないはずだった。いつの間にかルール改訂がなされていたらしいことを理解し、ため息をつく。こういうことはたまにあるのだ、主にタバサの機嫌とかの影響で。
やるせない何かを感じつつそのままタバサがじっと見つめる方向に視線を向け、
まさにその時、視界に光が迸った。
コルベールは今目の前で起きていることに驚きと困惑と呆然と――その他諸々の感情を隠すことが出来なかった。
倒れる女性に言われるがままに厚みのあるハーブ類のような大きい葉を腰のポーチから取り出し、指示に従い精神力を込める。そしてその葉を女性の上に乗せればその体は突如光り出し、
「うむ、何とかなったな……いやいや実に助かったよ、さすがに何度も死んでいるとはいうが特に今回はイレギュラーな事態だったからどうなることかと思った」
先ほどまで脈も無くピクリとも動かず四肢を弛緩させた死体以外の何者でもない存在が、むくりと起き上がったのだった。
――この時点で取り乱さなかった自分を褒めたい。
もっともあまりに予想外の事だったために頭がフリーズしていたのだから、ある意味取り乱していると言えなくも無いが、それが周囲の生徒に伝わらず余計な混乱に結びつかなかったことは良いことだろう。
というより更なる不穏な言葉を聞いた気がする。何度も死んでいるとはどういう事なのか――考えてはいけない、と戦場で培った危機回避本能が告げていたのでスルー。今日だけでスルースキルがモリモリ伸びていく気がするのはさておき。
いつのまにか目の前の奇跡の体現者は何事も無かったかのように立ち、衣服の埃を払っていた。そして服の裾を直すような仕草の後、こちらへ向き直る。ただし服自体が比喩表現ではなく数枚の布の集合体か何かにしか見えない程度の薄く露出の高いものであるため、裾を直したのか端っこを摘んだのか区別がつかなかった。
もはやコルベールはこの女性が何者なのか理解できない、とした上で意識を落ち着かせる。
いくらつい先ほどまで会話が成立していたとしても、理解の埒外の存在であるならば、周囲の生徒の安全を考える上では相手が立ち上がったと言うことは其処からどのように動くか読みづらくなったともいえる。だからこそ、再び冷静に相手を観察する。
目の前の女性、その背丈は余り高くなく、どちらかといえば年少の学生とさほど変わらないだろう。しかしながら体つきは確かに女性然としており、出るところ引っ込むところは確かに見て取れる。それを覆う衣服は先に見たとおり『火』の力によってボロボロになっていたが、それでも平民の衣服とするには少々質感が柔らか過ぎることははっきりと見てとれた。
顔つきはどことなく少女らしさの残る、しかしパーツバランスとしては落ち着いた大人の物であった。表情は眠たげにも見える眦の下がった細目に、結ばれながらも自然にやや上がった口角と、激しさをまったく感じない独特な表情。そしてそれらを覆う長く伸ばされた髪は、艶やかと言うほどではないが手入れはそれなりにされている様にも見える。
統合して常識の範疇で考えるのであれば、成人直後程度の下級貴族もしくは裕福な平民。相変わらず衣服のデザインについては不明な点が多いため出身までは特定できなかったが、コルベールはそのような判断を下し、故に最大限の警戒はしつつも最低限の礼を失せぬように先ず名乗りを上げる。
「私の名はジャン・コルベール、二つ名は『炎蛇』。このトリステイン魔法学院で教師を務めている者です。失礼ですがミス、お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
その言葉を受けた女性はあごに手を当て、ふむ、と一言置いたかと思えばどこからとも無く学者帽と方眼鏡を取り出して装着。そして例の表情でさらに口角を少しだけ上げ、
「私の名前はマキナ・ムラクモ。ロマンを求めるFCASサマル型の――セージ(賢者)だ」
眠たげなドヤ顔という奇妙奇天烈な表情をしたのだった。
即座にストック使い潰して次はいつになるやら。
それでも豚はとても美味しい。