ガンダムビルドダイバーズ外伝 〜方舟の少女〜 作:楽雁つばさ
リナリアとグレービー・リボンに行って、その数日後。
「どうもですよ、ジンくん」
GBNにログインして間もなく、エントランスロビーで声をかけられた。
見ると、ロコモが俺を見つけて、歩み寄ってくる。
「…奇遇だな、こんなところで会うなんて」
「いいえ、そろそろ来るかなと思って、待っていたのですよ」
そういうロコモは、一つの画面を開いた。
「連れて行きたい場所があるのですよ」
「連れてくって、どこに?」
「行けばわかるのですよ」
その一言と共に、俺とロコモは、どこかに転送された。
「…ここは…?」
フォースネスト…だろうか。
少し広い室内。カウンターテーブルを境に、右側には椅子の列、左側には所狭しと食器や食品が陳列された棚がある。
照明が少し暗めで、なんというか、バーのような雰囲気だ。
「ようこそ。ジンさん」
棚と棚の間から、一人の男が現れた。
「…いえ、プライベートルームですし、ここではあえて、『カケガワ・ジンヤ』さん、とお呼びしましょうか」
…驚いたな。
まさかこの世界で、本名を呼ばれることがあるとは。
「誰だ。どうしてその名前を知っている?」
俺の覚えている限り、GBNのダイバーには、本名を教えたことはない。
ましてや、初対面の相手が、なぜそれを知っているのか。
「はじめまして。僕はマエザキ・ケイスケ。…この世界では、オーナー・ケイと名乗っています」
男はそう名乗り、軽く頭を下げる。
そして。
「簡潔に申しますと、タクさん、ミカさん、ラグザさん計3名の、雇い主です」
……。
「えっ? 今、なんて?」
一瞬、言葉を失い、思わず聞き返した。
「タクさん、ミカさん、ラグザさん計3人の、雇い主です」
同じ言葉が返される。
聞き間違い…じゃなさそうだな。
「マジか…」
つい、常套句が出る。
確かに俺は、先日ロコモと話して『そういう存在がいる』という可能性に確信を持っていた。
とはいえ、まさか当の本人が前触れもなく姿を現すとは。
青天の霹靂…とでもいうのだろうか。
「驚かせてしまってすみません。ですが、今や一刻の猶予もない状態…。そこで今回は、僕が直接話をしに来ました」
ケイと名乗った男性は、一度咳払いをしてから、改めて俺を見る。
「単刀直入に申し上げます。リナリア様を僕らに引き渡してください」
……。
まぁ、そういう話になるよな。
こいつは、それが目的の男なのだから。
「タダで、とは言いません。お望みとあれば、どんな謝礼でもお支払い致します。勿論、リアルの世界でお支払いしても構いません」
ケイは頭を下げた。
「どうか。どうかあの子を、僕に引き渡してくれませんか」
なんだか、随分と丁寧な態度だ。
「…なんというか、状況が飲み込めないな。どうしてそこまで…?」
面食らってしまう俺。
「ええと…。そうですね。どこから説明すればいいのやら…。そもそも、あなたはどこまでご存知なのですか?」
対して、ケイと名乗った男は、そう聞き返してきた。
「どこって…」
以前にも考えたが、俺はリナリアのことを、ほとんど何も知らない。
「とりあえず、リナリアがエルダイバーだってことくらいは…」
歯切れ悪くそう答えると、ケイは首を傾げた。
「…『エルダイバー』…?」
その単語を反芻して、
「…なるほど。確かに、現状を簡潔に言い表すなら、最適な単語ですね…」
納得するように何度か頷き、少し考える。
「…わかりました。では、まずそこからご説明しましょう。…少々特殊ではありますが、あの子は現実世界に肉体を持ち、現実世界から、この世界にダイブしています」
「……は?」
間抜けな顔で聞き返す俺に、ダイは頷いて見せた。
「あの子、『リナリア』は、エルダイバーではありません」
…いや。
いやいやいや。
「ちょ、ちょっと、待ってくれ」
今一度、奴の言葉を反芻する。
「リナリアはエルダイバーじゃない、だって…?」
そんなバカな。
「ってか、あれ…ええっ?」
これまで起きた不可解な事件。
その全ての前提に、リナリアがエルダイバーであることを置いて、今まで納得してきたんだ。
彼女がエルダイバーでないとすれば、それらを疑わなければいけなくなる。
…マズい、色々と混乱してきた。
「ジンくん、ちょっと落ち着くのですよ」
俺が余程取り乱していたのか、隣にいたロコモがアイテムリストを開き、コーヒーを取り出して、俺に渡した。
「あ、ああ…」
それを受け取り、飲む。
苦い。だが美味い。
普遍的な味だが、それがまた良い。
おかげで、少し落ち着いたような気になる。
「すみません。僕も、あなた方がどこまで、どのように把握しているのか、わからなかったもので…」
ケイは頭を下げる。
「だったら、とりあえず一度、最初から全てを話してほしいのですよ」
一方で、ロコモが肩をすくめて見せた。
「…そうしたほうが、よさそうですね」
ケイはカウンターのイスに、俺たちを促す。
「どうぞ、座って下さい。少し長い話になりますので」
「は、はぁ…」
よくわからないが、このままではいられない。
ひとまず、彼の話を聞こう。
マエザキ・ケイスケ。
この世界でケイと名乗る彼は、普段は資産家の使用人をしている。
ケイの遣える資産家は、GBNのスポンサーの一つでもある。
ある日、ケイは資産家からの依頼で、一つの話をGBN運営に持ちかけた。
プロジェクト・シナト
簡単に言えば、かなり高度なダイブ環境で、GBNにダイブする、というものだ。
専用のデバイス『シナト』を介することで、あらゆる感覚を脳内に再現し、まるで生きているかのように、GBNにいられるシステム。
ただ、シナトを一般流通させるには、莫大な予算と長い時間が必要になる。
プロジェクトは却下され、シナトの話は消えた。
資産家が作らせた、試作機を残して。
それから数ヶ月後、一つの事件が発生した。
資産家の娘が、病床に伏してしまったのだ。
彼女の体を治すには、とても難しい治療が必要だった。
請け負ってくれる医者が見つかるか否か。
それすらもわからぬ、危うい状況だった。
医者が見つかり、病状が回復するその日まで。
せめて心だけは、肉体を蝕む病魔から解放させてやりたい。
そう願った資産家は、娘の少女にGBNを勧めた。
試作型のシナトと共に。
シナトによるダイブ中は、現実でのあらゆる感覚を、GBNでの感覚で上書きできる。
それはつまり、病状の苦しみから、少女の意識を切り離すことができる、とも言える。
その少女の名は、ナライア。
この世界では、リナリアと名乗っている。
「…マジかよ…」
全てを聴き、理解した上で出た俺の言葉は、やはり陳腐だった。
「…じゃあ、あなたや例の三人が、リナリアを狙っていたのは…」
「治療を引き受けてくれる医者が、見つかったらからです」
俺からの確認の問いに、ケイは頷く。
「それで、リナリアを現実に引き戻そうとしてる、ということか…」
俺が頷く一方で、
「…いや、ちょっと待つのですよ」
ロコモは意を唱えた。
「仮に、あなたの言ってることが真実だとしても、GBNの中なんて、所詮は仮想世界でしかないのですよ? わざわざGBNを介さなくても、リナリアちゃんがリアルの世界にいるタイミングを狙えばいいじゃないですか」
…確かに、ロコモの言う通りだ。
リナリアがエルダイバーじゃないとしたら、どんなに長い時間をGBNにいることが出来ても、睡眠や食事は現実世界で行う必要があるはずだ。
「そのタイミングが、ないのです」
しかし、ケイはこれを否定した。
「ナライア様が最後にこの世界にダイブしてから、そろそろ半年が経ちます。…が、その間、あの子は現実世界には一度も帰ってきていません」
…そんなバカな。
「じゃあ、今のリナリアちゃんは、リアルの世界では事実上の昏睡状態だとでも言うのですか…?」
「その通りです」
ロコモの聞き返しに、ケイは頷いた。
「そして、おそらくあの子は、自分がリアルの人間だということを、忘れてしまっています」
…は?
「人間を、忘れる…?」
あまりにも非現実的な言葉に、俺は思わず反芻してしまう。
けれど、ケイの目は真剣だ。
「そうですね…。例えば、この世界を一種の『明晰夢』のような状態だとしましょう」
明晰夢…。
夢の中で『夢を見ている』という自覚を持つ夢…だったか。
「僕らダイバーは、自分が『現実世界からGBNにダイブしている』という事を認識している。しかし、今のナライア様は、夢を見ている自覚を忘れてしまった状態。リアルの世界に存在する自分自身を、全く自覚していない状態なのです」
…ええと。
「つまり、リナリアちゃんは、リアルの世界の自分を覚えていないから、『自分がエルダイバーだと思い込んでいる』…ってことですか?」
ロコモが簡潔に言い換えると、ケイは頷いた。
「ええ。…だから、あの子には今一度、現実世界の自分を、自覚してもらわなければならないのです」
「それで、わざわざ回りくどい方法を使って、リナリアを連れて行こうとしたんだな…」
リナリアの意識を、ナライアとして現実に戻すために。
彼女自身に『現実世界に帰る』という認識をさせるため、だったんだ。
「ご理解頂けたでしょうか」
ケイはそう言って、俺の返答を待つ。
リナリアの経緯。ケイの行動の意味。
確かに、この二つの結びつきはよくわかる。
が…。
「理解はしたが…。いまいち、納得できないな」
俺はまだ、根本的なところが引っ掛かっていた。
「そもそも俺は、リナリアがエルダイバーらしき言動をしているところを、何度も見ている」
彼女がエルダイバーでなければ、成り立たないことが何度もあった。
「ここまで話してもらって悪いんだが、今の俺には、リナリアが『自分をエルダイバーだと思い込んでいるだけ』だとは思えない」
「…実を言いますと、それについては我々も頭を抱えていまして…」
俺の結論に、ケイはは目を逸らす。
一方で、
「…どうやら、ここからはボクの補足が必要みたいですね」
ロコモが身を乗り出した。
「実は、ボクもリナリアちゃんについて、前々からボクなりに調べていたのですよ」
そう言って、一つの画面を開く。
ログデータ画面のようだが、見たことのない表示だ。
「そこには不審な点が多かったのですけど、今、ケイさんの話を聞いて、全部繋がったのですよ」
ロコモは画面の中から二つの項目をタッチして、俺とケイに見えるように向けた。
「まずこれは、運営に登録されていた試作型シナトの型式番号。…こっちが、リナリアちゃんのログイン履歴に残っているホスト番号。…見ての通り、完全に一致しているのですよ」
二つの英数字の羅列は、確かに同じものだ。
というか…この文字の羅列、俺は以前に見た記憶がある。
あれは確か…ウティエルとの再会や、擬似グランドガンダムとの交戦があった日だ。
その日の俺は、ログインしてすぐに、リナリアのログデータを確認した。
あの時見た奇妙な文字の羅列が、まさに今見ている英数字と一致している。
「…じゃあ、やっぱりリナリアは、普通のダイバーだってことなのか…」
これが位置情報ではなく、リナリアの存在をリアルと結びつけるものだったとは。
「…だとしたら、リナリアが起こしたいくつかの不可解なことは、一体なぜ…」
「そう、そこなのですよ」
ロコモは指を鳴らした。
「確かに、リナリアちゃんは通常のダイバーにはできないことを、何度もやってのけているのですよ。…けど、ケイさんが言うように、リナリアちゃんはエルダイバーじゃない。そこで重要なのが…」
鳴らした後に残った人差し指を、俺に向ける。
「…俺、か?」
思わず胸に手を当てると、俺を指していたロコモの指がくるりと彼女自身に向けられる。
その動きに呼応するように、俺からステータス画面が呼び出され、彼女の元で大きく開いた。
あれは…、エペランサスでパードスが開いていたものと同じだ
「ダイバー:ジン。元フューチャーコンパスの重要戦力であり、元マスダイバー」
当然、俺の過去についても記されている。
「そして…」
更に、ステータス画面の奥から、登録ガンプラのステータスが開かれた。
アヴァンシェルではなく、クリスタイル・オーガンダムのほうだ。
「クラフタルシステム。…GN粒子に特殊な粒子を混ぜ込んで、ビームエフェクトを限りなく実体に近い状態にするもの。…これらが鍵になっているのですよ」
俺と、俺のガンプラ…?
「それが、どう関係するんだ?」
「ジンくん。キミは、クラフタルシステム…というか、あれの肝になる『硬化粒子』が、どういうアルゴリズムで成り立っているのか、理解していますか?」
…あるごりずむ?
なんか、どこかで聞いたことのあるような単語だが、ピンとこない。
「…その様子だと、やっぱり理解してプログラムを組み立てたわけではないのですね」
俺が余程変な顔をしていたのか、ロコモは息をついて、言葉を続ける。
「どうせ偶然起きた現象に興味を持って、同じ条件で似たような現象を再現できたから、様々なトライ&エラーで実験を繰り返しつつ、独自に実戦レベルまで持ってきた…って感じでしょう?」
「まぁ…そうだな」
頷くと、ロコモは息をつく。
「まったく。馬鹿正直って言うか、なんていうか…。まぁその努力と、結果を実らせたことは称賛に値するのですけれど」
…褒められてるのか、貶されてるのか、わからない。
「で、そんな硬化粒子ですけどね。…実はこれ、GBNを構成する膨大なプログラムの中から、いくつもの『粗』の隙間を掻い潜って、やっと成立しているものなのですよ」
…なんだって?
「特定の条件が重なって、初めて成り立っている、偶発的な現象にすぎないのですよ」
「…どういう意味だ?」
いまいちピンとこない俺。そこに、
「…そうか」
それまで黙っていたケイが、急に声を発した。
「バグ、ですね」
「ご明察ですよ」
ロコモがケイの方を向いて、また指を鳴らす。
「…すまん、俺にもわかるように説明してくれ」
運営に関係する二人には分かっても、俺には分からない。
「…ジンさんは、無意識とはいえ、バグを活用していたのです。ですが、貴方は『そういう機能』だと思い込んでいた…とでも言いますか」
「極端な話、クラフタルシステムの実態とは、硬化粒子によって『強引にバグを引き起こすプログラム』なのですよ」
ケイの解説に、ロコモが付け足してくれる。
…って、
「クラフタルシステムが、バグだって…?」
そんなバカな。
いくらなんでも、それはないはずだ。
現在の愛機クリスタイル・オーガンダムが完成したのは、フューチャーコンパス解散の後。
しかし、これはクラフタルシステムを、モビルスーツ単体で扱えるようにした、一種の到達点のような存在だ。
それ以前から、クラフタルシステムを搭載した大型の武装を、モビルスーツとは別で運用していた。
その起源を遡れば、数年前にまで遡る。
「もしそうだとしたら、とっくにGBN運営が対処して、使えなくなっていなければおかしいじゃないか」
ログすら残さないブレイクデカールでさえ、今や修正パッチが存在している。GBN運営の管理能力は、決して低くはない。
そんな中で、素人が偶然発見しただけのものが、何年も野放しにされているわけがない。
そう思う俺だったが…。
「ジンくん。…いつか、キミがボクに、セイゴくんについて聞いた時、ボクがなんて返したか、覚えているですか?」
ロコモはそんな問いを投げかけた。
「…えっ? いや、ええと…」
言葉に詰まる俺の前に、ロコモは新しくサブの画面を開き、ザッとスクロールして一つの項目を選ぶ。
『ダイバーなんて星の数ほどいるのですよ? いくらボクが半分運営だからって、個々のダイバーの状況を、わざわざ把握していたらキリがないのですよ』
画面から、あの日の彼女のセリフが再生された。
「要するに、こういうことなのですよ」
と、ロコモはサブ画面を閉じた。
「じゃあ、単に運営が、バグだと気付いてないだけ、って言いたいのか?」
「ええ。…まぁ、GBNのシステムそのものに影響を与えるわけでもなければ、ゲーム的なパワーバランスを崩すほどの性能でもないから、『優先的に対処すべき案件ではない』と判断されている可能性もあるのですけど」
…ふむ。
確かに、クラフタルシステムは決して万能じゃない。
長い時間をかけて実戦レベルに到達できたが、それでも『必要とする粒子出力が激しい』という大きな問題だけは、未だに解決できていない。
…しかし。
「待ってくれ」
今回の本題は、そこじゃない。
「仮に、お前の言う通り、クラフタルシステムの実態がバグだとしたら、それはリナリアの件と、どう関係あるんだ?」
俺の事より、今はリナリアのことだ。
「それが、大きく関係しているのですよ」
ロコモはそう答える。
「クラフタルシステムは、それ単体ではGBNのシステムデータにはほとんど影響を及ぼさない。けれど『もう一つの特別な存在』と交わることで、一種の化学反応のように、明確な影響を及ぼし始めたのですよ」
「…もう一つの、特別な存在…?」
俺がその言葉を反芻すると、ケイがハッとした。
「…そうか。その特別な存在というのが、シナトなのですね」
「そう。…クラフタルシステムと、シナト。これらが共に在ることで、共鳴するかのように、絡み合い、一つの結果を作り出しているのですよ」
彼の言葉に、ロコモが頷く。
「…なるほど。その相乗効果が、今のナライア様に変化を齎している、と…」
ケイは理解したようだが、俺はまた、いまいちピンとこない。
「要するに」
そんな俺の様子を見て、ロコモは簡潔な答えをくれた。
「リナリアちゃんは、ジンくんのガンプラと関わり、絡み合うことで、『本物のエルダイバー』に、なりかけているのですよ」
…いやいや。
そんなバカな。
そんなわけないじゃないか。
咄嗟に思いついた言葉は、すべて詰まり、出てこない。
それほどの衝撃と、驚愕。
なによりも。
「そうか…」
納得。
ロコモの結論が現実離れしているのは分かっている。
しかしそれ以上に、俺の中にあった様々な疑問が、ロコモの答えに結びついていた。
「そういう…ことだったんだな…」
スワークルの外れでリナリアを助けたあの日から、俺は既に気付いていた。
俺のガンプラ、クリスタイル・オーガンダムが、不可解な現象を起こす時。
それは決まって、リナリアが関わる時だった。
一方で、リナリアがエルダイバーらしき仕草を見せるのも、やはりクリスタイル・オーガンダムがそばにある時だった。
つまり、二つの条件が揃うことで、リナリアの意識は、徐々にエルダイバーへと近づいていたんだ。
その結果が、つい先日のオーバーレイと、ブレイクブースト。
彼女自身がガンプラになったかのような、現象。
「全部、俺のせいだったのか…」
リナリアが『エルダイバーだから』不思議なことができたんじゃない。
それを誘発させていたのは、俺だったんだ。
「…いや、そこまでは言ってないのですよ」
と、ロコモは俺の肩を軽く叩く。
「ジンくんとリナリアちゃん。お互いが特殊な事例を抱えていて、それらが絡み合うことで、一つの事態が進行している。…言ってしまえば、単なる『偶然』に過ぎないのですよ、こんなこと」
ロコモはそう言ってくれるが、
「偶然…。そうでしょう。…しかし、それが長く続いたせいで、事態が深刻になっている事に、変わりはありません」
その奥で、ケイは顔をしかめている。
「昏睡状態が長く続けば、その分、ナライア様の治療も難しくなる…」
やがて、彼は俺の前に立った。
「ジンさん。こんなことを言うのは、大変心苦しいですが…、これ以上、ナライア様に関わらないでください」
頭を下げる。
「もし、このまま貴方と関わり続けていれば、あの子は我々の手の届かない所に行ってしまう。…どうか、あの子の命を守るためにも、これ以上のことは…」
そこから先は、言葉にならない。
けれど、わかる。
わかっている。
俺の存在が。リナリアをリアルから遠ざけるのなら。
俺が関わることは、リナリアの命を削る事でもある。
「…わかった」
そう、答えるしかない。
他に、どうしようもない。
「…ちょっと待つのですよ、ジンくん」
しかし、ロコモが俺の肩に手を置いた。
「ケイさん。ボクはまだ、あなたの言うことを完璧に信じているわけじゃない。…リナリアちゃんが昏睡状態だっていうなら、その証拠の一つくらい、あっても良いのではないですか?」
まだロコモには、何か引っかかることがあるのだろうか。
ケイはその言葉を聞いて、少し考えてから、画面を操作する。
「…今、あなた方宛に、ナライア様が居る病院の情報と、その住所をお送りしました。僕を疑うのであれば、ご自身の目で見てきて下さい。…無論、関係者各位には、僕から話を付けておきますので」
確認すると、確かに俺のメッセージリストの中に、病院の住所が送られていた。
「ご理解頂けたら、文末の宛先までご連絡下さい。…今後については、それからお話ししましょう」
「…わかったのですよ」
ケイの言葉に、ロコモが頷く。
俺も黙って頷くと、程なくして、俺たちはエントランスロビーに戻された。
翌日。
俺は仕事を休んで、リナリアのいる病院に行った。
そこで、様々な管を繋がれて、眠ったままの少女の姿を見た。
うまく言えないが、一目で理解した。
この子が、ナライア。
GBNでリナリアを名乗り、俺のそばに居る少女だということ。
そして。
このままでは、その命は長くないのだろう、ということも。
更に、数日後。
俺は、エントランスロビーの付近にある、公園のような場所で、一人佇んでいた。
「リナリア、か…」
その名を呟いて、思い耽る。
彼女は、エルダイバーではなかった。
ただ、ダイブ環境が少し特殊、というだけ。
そこに、俺という存在が関わってしまったことで、彼女はエルダイバーに近付いている。
自分が、リアルの肉体を持っていることを、忘れてしまっている。
それはまるで、GBNが彼女を閉じ込めているかのようで。
「…ジン?」
ふと、名前を呼ばれた。
振り返ると、そこにリナリアがいる。
「今、わたしのこと、呼んだ?」
いつのまにか、俺の側に来ていたようだ。
前触れがなかったので少し驚いたが…丁度いい。
「…ああ。お前の事を考えていたのさ」
伝えよう。
そう決めて、俺は彼女に向き直った。
「わたしの…こと?」
「お前の、お前自身のことについて、だけどな」
真剣な目でそう言うと、彼女の顔が曇る。
「わたし自身の…こと…」
「…ああ。落ち着いて聞いてくれ」
お前は、本当は、エルダイバーじゃない。
れっきとした人間で、俺たちと同じく、現実世界に肉体を持っているダイバーなんだ。
そう、伝えるんだ。
伝えなきゃ。
「お前は…」
けれど…。
本当に、それで良いのだろうか。
今ここで、彼女にそれを伝えることが、本当に正しいのだろうか。
何か、まだ俺の中で、引っかかるものがある。
それが、俺に先の言葉を詰まらせた。
故に、長い沈黙が訪れる。
「…わたしは」
先にそれを破ったのは、リナリアだった。
「…わたしは、エルダイバー。『エルダイバー:リナリア』、だよ。この世界に住んで、この世界で暮らしてる」
少しずつ力強くなっていく声。
「ここが、わたしの生きる世界。わたしはここに生きる、エルダイバーという存在…」
その言葉を紡ぐ表情は、前に見たことがある。
スワークルの喫茶店で、周りの客を見ていた時の表情だ。
「だから、わたしはここで生きている」
どこか大人びている顔。
「それじゃ…だめなのかな」
諦めていたものを、求めるような視線。
「ねぇ、ジン」
それが、俺を捉える。
「それだけじゃ、ダメ、なのかな」
俺の答えを待つ。
エルダイバーである少女、リナリア。
…違う。
彼女は、自分がそうだと思い込んでいるだけ。
リアルの自分を、忘れているだけ。
だから、思い出さなきゃいけない。
彼女自身が、それを自覚しなければ、いけない。
そのための答えは。
「…ダメだ」
否定。
「お前は、エルダイバーじゃない」
俺が、否定すること。
それは、彼女の命のためでもある。
「思い出すんだ、リナリア。お前は俺と同じ、リアルに本当の自分を持つ、れっきとした人間なんだ」
何度も、同じ時間を共に過ごした俺だから。
事態の片棒を担いだ俺だからこそ。
この口から、言わなきゃいけない。
「お前は、エルダイバー、なんかじゃ、ないんだ」
念を押すように、伝える。
またすこし、沈黙。
…やがて。
「…そっか」
リナリアは、笑った。
「そうだよね。…うん、そう…なんだよね」
乾いた声。
「わたしは、エルダイバーじゃ、ないんだよね」
その瞳に浮かべたのは。
「ジンも、それじゃダメ、って、思うんだね…」
涙。
リナリアは、泣きはじめていた。
「り、リナリア…?」
その表情は、あまりにも…。
「お前、なんでそんな顔を…?」
苦しそうな笑顔。
なにか、とても強い感情を、押し殺したような顔。
「…ごめんね、ジン」
リナリアの姿が。
その輪郭が、歪む。
「今まで、ありがとう」
そう一言を残して。
彼女は、このエリアから消えた。
「えっ…?」
リナリアは当然、俺の前から消えた。
いつか、スワークルのはずれで、彼女を怒らせてしまった時と同じだ。
俺はまた、彼女を怒らせてしまったのだろうか。
追いかけようと画面を操作するが、エラーが出てしまう。
「どういうことだよ…?」
…いや、落ち着け。
思い出せ。
なにか、ヒントがあるはずだ。
リナリアの行動を、改めて振り返る。
すると、
「…ん?」
一つ、妙なことに気が付いた。
先程俺が言い淀んだ時、彼女は自分から、エルダイバーだと名乗った。
リナリアはエルダイバーじゃない。しかし、エルダイバーに近付いている。
俺が言おうとして、言えなかったこと。
それを伝えるより早く、彼女はそれを予測した。
つまり…。
「…あいつは、もう気が付いていたのか…?」
自分がエルダイバーになりかけていること。
リアルの世界で、自分が昏睡状態であること。
どちらも、既に彼女は気付いている。
だからこそ、俺が言おうとしたことを、推測できたんだ。
「そういえば…」
また一つ、思い出す。
いつか、擬似グランドガンダムと戦った時。
あの直前、俺はリナリアに『大事な話がある』と、呼び出された。
あの後、彼女が俺に切り出したのは、エルダイバーという存在についての話。
『そのことなんだけど』と言って、その先は言葉にならなかった。
あの時も、彼女は怯えて、泣いていた。
あの時には、もう気付いていたんだ。
「…いいや」
違う。
思い返せば、初めて会った時。
ガードフレームに追い回されて、逃げ回っていた時から。
彼女はずっと、それに怯えていた。
その先にある未来、リアルに戻る事への、明確な恐怖をもっていた。
つまり。
「あいつは、最初から全部わかっていたのか…」
彼女がエルダイバーに近づいていること。
それは、システムやバクが、勝手に引き起こしていることかもしれない。
けれど、彼女自身も、それを知り、それを理解している。
そして、そうなることを拒んでいない。
むしろ、そうなることを、望んでいる。
リアルの世界を、忘れているんじゃない。
完全なエルダイバーになることで、『忘れようとしている』んだ。
だからずっと、ケイの差し向けた刺客から逃げていた。
そして、俺を頼った。
けれど。
その俺が、さっき彼女に言った言葉。
現実から逃げて、この世界に生きようとする彼女に、俺が送った答えは…。
「…『ダメだ』、か…」
思わず抱えた頭。
「はぁ…」
それがやけに重くて、溜息が漏れた。
とりあえず、わかったことを伝えるために、ロコモと合流した。
「…なるほど、ですよ」
先の推察をすべて話した俺に、ロコモはうんうんと頷いてみせる。
「要するに、問題は二つ、ですね」
そして、指を二本立てた。
「ひとつは、ジンくんが馬鹿で朴念仁で無神経だから、リナリアちゃんの信頼を裏切ってしまった、ということ」
…もうちょっと柔らかい言葉にしてほしいものだ。
「まあこれは、ジンくんが土下座して泣き喚きながら赦しを乞いつつ腹を切れば良いとして」
「もうちょっと柔らかい言葉にしてほしいものだな」
「不服ですか? 介錯はボクがしてあげるのに」
「そもそも切腹をしねぇよ」
「すればいいのに…。そうしたら、ボクとリナリアちゃんで二人になれるのに…」
ロコモはやれやれと肩をすくめる。
どこまで本気なんだ、こいつは。
「…冗談はさておき、話を戻すですよ」
そうしてくれ。
「もう一つの問題は、リナリアちゃんが、最初から全部わかっていたこと。…しかも、その上でエルダイバーになろうとしていること、ですね…」
そう。
それが大きな問題なんだ。
「理由まではわからないにしろ、その意思を無視して強引にリアルへ導くのは、やっぱり気が引けるのですよ」
「ああ…」
このままリナリアをリアルの世界に戻さなければ、彼女の命は病気に蝕まれ続けていく。
しかし、彼女自身がそれを理解し、その上で『戻りたくない』という意思をみせていた。
俺と出会った最初から、これまで、ずっと…。
「正直、どうしていいかわからないんだよな…」
思わず弱音が漏れてしまう。
「考えうる手段は二つ、ですね」
対して、ロコモは険しい顔で答えた。
「まず一つは、ケイに賛同して、リナリアちゃんを強引にリアルの世界へ戻すこと」
「だがら、それは本人が嫌がって…」
「ええ。…だから。今まで以上に強引、場合によっては『非人道的』なことすら視野に入れないと、難しいのですよ」
非人道的…か…。
本人の意思を無視して強行するのだから、言葉相応の行為も視野に入るのかもしれないな…。
「そして、もうひとつの方法は」
と、ロコモは身を乗り出した。
「このまま、リナリアちゃんを完全なエルダイバーとして確立させること、ですよ」
心なしか、前者よりも口調が強くなっている。
「本人の意思を尊重するのなら、これが一番良い。…そう思いませんか?」
それは…そうなのかもしれない。
とはいえ…、
「…可能なのか? そんなことが」
俺にはいまひとつ、それが現実的なことのようには思えないでいる。
「そんな前例、聞いたことがないぞ」
だからそう付け足したのだが、
「でも、それが進行しているからこそ、ケイは焦って、ボクらに事態を説明したのですよ」
ロコモはそう答えた。
「これは、言い換えればそれこそが『現時点で既にほとんど上手くいっている』ことの証明でもあると思いませんか?」
…ふむ。
「それに。他のエルダイバーがリアルの世界で生きている以上、その逆が不可能だとも言い切れないでしょう?」
…そう言われると、そんな気がしてくる。
「だから、そうする手段もありえる、と思うわけですよ」
ロコモは深く頷いてみせた。
それが、彼女自身の決断であると言わんばかりに。
だが。
「…しかし、なぁ…」
どうも、俺の腑には落ちない。
ロコモの意図を否定したいわけじゃないが、それに賛同することは、どうにも気が引けるんだ。
リナリアをエルダイバーにする。
それは、はたして本当に正しいことなのだろうか…。
「うーん…」
悩み耽り、口に出す言葉を失う俺。
ロコモは少し待っていたが、
「ジンくんが悩む気持ちもわかるので、今すぐ決めろ、とは言えないですよ。…でも、結論は早い方が良いですね」
と、息をついて、続けた。
「こうしている間にも、リアルのリナリアちゃんは、病気で命をすり減らしているのだから」
その日。
それ以降は、有益な会話にならなかった。