「ぼく、オールマイトみたいなヒーローになりたい」
と、さざ波に反射する朝日の煌めきの瞳で言った子供がいた。
「おれは、オールマイトを超えるヒーローになる」
と、夜の波間にぎらついた月明かりの瞳で言った子供がいた。
両親が幼稚園の送迎バスを待つ暇つぶしで井戸端会議をやっている間、緑谷出久と爆豪勝己は一つのタブレットをそれぞれの手で持ち合って夢を語った。なりたい偶像を口にした。
偶像の対象は二人の視線の先、タブレット内の動画で輝かしい活躍を見せていた。前髪を兎の耳のように跳ねさせた、自信に溢れた笑顔と金髪。そして天をも支えられそうな筋骨隆々の体躯。名を、オールマイト。それが二人の偶像であり、共通点だ。
その点に遡れば一年ほど前の年少組の頃。緑谷が幼稚園で特に意味も無く走って転び、膝を擦りむいた。それにたまたま気づき、傷口をオールマイト柄のハンカチで縛ったのが爆豪だ。
「うぇっ、オール……んぐっハンカチ、うぁあ、お母さっ。ありがっ。ひぅう。痛いぃ。ぼくも」 ひゅうと大きく震える肺で息継ぎし。 「好き、オールマイト。血がっ出てっ」
涙を拭いながら、痛みと共通のヒーローのファンを見つけた嬉しさで何が言いたいのかわからない緑谷を見て、爆豪は小さく笑って言った。
「うん、おれも好き。だから泣くなよ。オールマイトだったら絶対に泣かない」
「はあぁっ、ふうぅ……う、うん」
それで泣き止めるほど緑谷は器用な人間ではなかったが、とにかく涙があふれてしまわないように懸命になった。
「それ、あげる。そのハンカチ。泣かなかったら」
「ふぐっ! うっ!」
ヒーローならきっとこうすると、爆豪は考えてそうした。
力んだ緑谷の瞳からは虚しくも、つう、と何滴かの雫がこぼれた。それでも結局、爆豪はハンカチをあげた。懸命に涙を堪える緑谷に対する敬意なのかもしれないし、ただただそうしたかっただけなのかもしれない。
その夜、爆豪の母はアレ? と疑問を口にする。
「勝己、あんた買ったばっかのオールマイトのハンカチどしたの? 手洗いするって言ってたけど」
「なんでもない」
ぷい、とテレビのヒーロー特集に視線をやる。
「ええー失くしちゃった?」
「ん」
と、怒られた時の肯定の意を返す。
「新しく出たやつじゃなかったっけ? もー、大事にするって言うから買ってあげたのに。何枚あると思ってんの、あーあ。名前書いてたんだよね?」
「ん」
「もう買わないからね」
「ん」
その反応に、珍しいなと母は思った。いつもならグズるのに。
その答えは翌朝になってわかった。緑谷の母が、申し訳なさそうに洗ったハンカチを返してきたのだ。
「どーもすみません。うちの子が貰ったとか言うんですけど、名前書いてあるし、大事な物かと思って」
そう言う母親のスカートをぎゅっと緑谷は握りしめて気まずそうに地面を見つめているだけだ。
庇うように爆豪が言った。
「それ、あげたの」
その言葉で、なんとなく母達は合点をいかせた。どーもうちの子がすみません応酬の後に打ち解け、子どもがオールマイトのグッズにうるさくての話題にシフトし、送迎バスを待つ間のお喋りになった。
その間、手持ち無沙汰の緑谷は母親から借りたタブレット片手に爆豪に話しかけた。この間はありがとう、ぼく緑谷、オールマイト好き?
この時代。ようやく個性黎明期が終わり、政権交代の後に個性に対する法が一般に馴染んだ頃。オールマイト以外のヒーローの人気も高かった。それでも二人はオールマイトこそが憧れだったし、同じくらい好きだった。ようやく見つけた同志だ。仲良くなるのに時間はいらなかった。
緑谷は気が弱く、運動神経も平均的。けれども、どこかどんくささが残る。同学年にからかわれていた。
そんな彼を、爆豪は庇った。気が強く、運動神経は秀でていたのもある。それがヒーローとしての立ち振る舞いだと信じていた。
「ぼく、かっちゃんのサイドキックになるよ」
緑谷にそう言われると、悪い気はしなかった。おれがこいつを引っ張っていかなければとさえ考えてすらいた。
ちょうど四歳前後だったので、そろそろ個性が発現する時期。将来はどんなヒーローを目指すかを語らい、どんな個性なのかと期待に胸を膨らませた。
五歳、六歳。小学校に上がる頃、遅咲きに緑谷出久の個性が発現した。両親の『グリセリン』と『酸化汗』が混じり合った、汗腺から出るニトログリセリンに似た体液を起爆させる『爆破』だ。ヒーロー映えする強個性。
爆豪勝己は無個性だった。
病院でそれを告げられた時、気丈に振る舞ってはいたもののその夜ベッドの中で押し殺すように泣いた。
親はただただ、ドアの前で立ち尽くす他になかった。『物を引き寄せる』と『火を吹く』のどちらも引き継がれないという、個性遺伝に関連する一種の突然変異。
それでも、爆豪と緑谷の関係性は変わらなかった。
緑谷は無個性と知ってもへこたれない爆豪に尊敬の念を抱く。自分だったらきっと折れてしまうだろう。絶望してしまうかも。
そうしていつもと変わらないヒーロートークに花を咲かせる。
小学校高学年。誰もが自身の個性から将来を夢見る時期。なりたい職業ナンバー1を不動にするヒーローについて誰もが語っていた。
ただなんとなく、二人の間に限り、将来の話題は消えてなくなった。
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中学校。個性により出来る事が広がり、自信過剰になる者が多い中。爆豪はいつだって、クラスで、学年でただ一人無個性の彼は好奇の目にさらされ続けていた。
からかわれもした。無個性である事をバカにされもしたが、持ち前の勝気な性格と恵まれた身体能力でふてぶてしく捻じ伏せた。
それをスカした態度と取られて素行不良な連中に良く思われない事も多かった。
決して緑谷の助けを借りようとはしなかったが、シメた同級生の部活の先輩が絡み、呼び出された時は多勢に無勢で袋叩きにあった。
鳩尾に一発貰い、倒れて意識が朦朧とする視界に赤いスニーカーが映る。その脚はひどく震えていた。
ふっと目が覚めて周囲を見渡すと、どうやら保健室のベッドにいた。頬や手の甲にはガーゼなどで処置してある。
「あ、かっちゃん。大丈夫そう?」
と、丸椅子に腰かけていた緑谷が覗きこむ。
「緑谷、おまえ、あれだけいた連中全員やったのか?」
そっと、自分の中にある蜘蛛の糸で作られた繊細なナニかを壊してしまわないように尋ねた。
「え、いや。ははは。『爆破』使ったら、見た目が派手だから皆逃げちゃった」
気恥ずかしそうに言う緑谷に、ナニかを失わずに済んだ安堵感と、あまりにもあっけない顛末に小さく破顔する。
「なんだそりゃ、あいつら数だけか」
「僕、個性使うのヘタだからさ。全身を『爆破』させちゃうんだよね。それでビックリしちゃったんじゃないかな」
へへ、と頬を掻いて緑谷も笑う。
「ま、確かに自分の身体もそんな爆破に包まれるんじゃないかって考えたら逃げるか……まだ手からだけとか、うまくいかねーの?」
「えっ? うん、まあ。服とかには爆破が干渉しないから助かるけど、爆破させる部位を指定ってのが難しくてさ。センスなくて、個性制御の」
個性制御とは発動、変形、異形型の3個性に共通する、拡張性を包括した便宜上の名だ。例えば火を吹く個性使いが自らの舌を焼かないのは、ひとえに個性制御の働きだ。それが未熟ならば口の中を火傷する。
『落下』させる個性も、制御を卓越させれば落下速度を極限まで遅く操作して、疑似的な浮遊を与える事も出来る。
鍛錬と才能で磨けば、個性に幅を持たせる技術だ。
へえ、と無感動に相槌打って会話を続ける。
「でも練習してんだろ?」
「まー、頑張ってるよ。個性を使い過ぎると汗腺から血が出ちゃうし、めちゃくちゃ痛いから大変だけど」
「雄英、行くんだもんな」
「あ……うん」
あっけらかんとする爆豪に、緑谷は静かに敬意を覚えた。上級生もいる個性持ちに囲まれてもなお、平然と相対せる強靭な精神力に。心の底から。その行為こそがヒーローたる本質的条件を満たしているように感じられた。
自分に同じことが出来るだろうか? きっと無理だ。泣き寝入りで終わるだろう。いくらバカにされても、きっと下を向いて家に帰るだけ。
緑谷は爆豪の中に見出してしまった。一度もあった事の無いオールマイトよりも身近で輝く光。
憧れ、羨望、偶像を。
この一件は風の噂でクラスに広まった。上級生に囲まれても立ち向かった無個性と、助太刀した一人の男。ありていに言えば武勇伝のようなもの。
もともと仲の良かった二人がバディに見えたのもある。
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「なー爆豪、おまえ雄英のサポート科受けるんだって」
そろそろ受験本番を意識しだす時期の放課後、帰ろうとする爆豪と緑谷にクラスメートの一人が尋ねた。
「ああ、まあな」
「マジか、スゲーな。やっぱあれか。将来はアイテム開発職?」
「どーかな、わかんねえよ。んな先の事」
「いやいや、海外のプロヒーローも大金積んで日本工房のワンオフアイテム、オーダーするらしいじゃん。夢あるっしょ」
「ほんで緑谷はヒーロー科でしょ?」
と、女子が当人に話しを振った。
「まさかこのクラスから二人も雄英入りが出るとはね~」
「い、いやでもまだ受かるって決まった訳じゃあ」
「ゆーて二人とも模試はボーダー超えてんだろ? 緑谷は強個性だし」
「爆豪はもう規格化アイテムくらいならリバースエンジニアリング出来るってチラッと聞いたぞ」
「んあー才能、今のうちにサインくれサイン」
もてはやされる雰囲気に耐え兼ねた緑谷は、無理やり会話を断ち切って爆豪と共に教室を出た。
「やっぱあれかねー。二人仲良いし、爆豪が作ったアイテムをプロになった緑谷が使ったりすんのかね」
「ほーん、それで爆豪はサポート科か、エリート目指すなら普通科行くし。胸熱やな」
そんな会話を背にして。
いつものように図書館の自習室で勉強を済ませると、もう辺りはすっかり暗くなっていた。日も短くなった季節、吐く息もほんのりと白い。
商店街に寄って馴染みの肉屋のコロッケを買い食いした。恰幅のいい店主はいつも、二人の為にこの時間に揚げてくれる。はふはふと齧りつくと、肉の甘味をたっぷりと吸ったジャガイモが美味い。『熱量感知』の個性で揚げていると店主は言う。味から推察するにたぶん本当だ。
そのまま住宅街に向かうと、台所の換気扇から何かは分からないがとにかく良い匂いが漂う。
バチカンのビルボードチャートというマニアックな内容についてぺらぺらと喋る、いきいきした緑谷と適度に相槌を打つ爆豪。
いつもとなんらかわらない下校の風景。これがずっと続けばいいな、と緑谷は思った。
「そういや緑谷、おまえさ、個性制御の方は上手くいってんのか」
珍しく爆豪が会話の腰を折った。
「え、いやー」
尋ねられた内容に固唾を飲む。
「なかなかね、難しくって。あ、でね、チャートの中にはスイスから傭兵的に派遣されてるヒーローが」
「部位指定っつったら割かし基本だろ、発動型の個性制御の中でも」
「まあ、ね。数量操作に比べたらってだけで、実は結構難しいんだ」
適当に顔を撫でる。
「プロだと基礎にして奥義って言ってる人もいるくらいで。個性制御が上手いヒーローって結構地味でいぶし銀って感じが」
「どれくらい出来るようになったんだ。掌とまではいかねーまでも、腕からくらいはいけたんか」
「あーと、うん。いや、実は全然でさ。練習し過ぎると全身の汗腺から血が出てきて、一回それを人に見られたら大騒ぎでさ」
気まずそうに頭を掻いた。
「でも結構いるよ? 逆にそれでゴリ押しちゃうヒーローって。ビルボードには乗ってな」
「そんなんで雄英のヒーロー科行けんのかよ」
あはは、と緑谷は誤魔化すように自嘲気味に笑って言った。
「実はサポート科にも願書出してるんだよね」
寒空に室外機の駆動音と、どこかで犬の遠吠え。
「一応ね。もちろんヒーロー科が第一志望だけど、ヒーロー資格は卒業後からでも取れるし。マイナーだから知らないかもだけど、アイテムを主軸にしたヒーローも多いから学んだことは無駄にならない。あっ! それに他科からでも成績によってはヒーロー科に編入出来るって……」
ふと、足音が自分一人である事に気付いて、街灯に投射された光の中で振り返った。
月明かりすら雲が隠した夜闇の中で一人、緑谷の歩みについて来なかった爆豪がただ一人立ち尽くす。
「なんでてめえなんだ」
懸命に憎悪を押し殺し、震える声で言った。
「どーしてお前みたいな半端なやつが強個性で俺は無個性なんだ。おかしいだろ、これ」
緑谷は言おうとしたが口が動かなかった。爆豪から初めて向けられた憎しみに動揺したし、何を言いたいのか、言えばいいのか、自分でもわからないから。
「全身血だるまになる? 汗腺が痛む? だから嫌か。だったら俺にくれよ。たいして使いもしねー個性ならよこせ。代わりに失血死寸前まで血を出してやるよ、寝れないほど痛くても構わねえ」
通学鞄を落とし、詰め寄って胸ぐらを掴み上げる。
「俺がそんなに憐れか、だからヒーロー科諦めてサポート科に来るのか? 来てまた俺を憐れみたいのか」
「ち、違」
「中一んとき、俺がボコられた場所、よく偶然出くわしたよな?」
緑谷はただ、焦点を合わせないようにするだけだった。
「アイテム主体のプロがいるくらい知ってるに決まってんだろ。将来俺がお前のサポートアイテムを作るだと? クラスのボケどもはホントぶち殺してやりてえよ」
濡れた呪詛を告げた。
「言いたかないが信じてたよ、ガキの頃、オールマイトみたいになるっつったお前を。今言ったらこの場で殺すからな」
短くそれだけ言うと緑谷から手を放し、それまでの怨嗟を嘘のように切り替えて通学鞄を拾い上げて立ち去った。
緑谷は動けなかった。茫然と、しかしなんとか事態の大きさを捉えようと泥のように鈍い思考に沈む。
アイテム主体のプロがいると言っても個性とのシナジーありきだ。無個性なら普通は諦めてしまうヒーローへの道。
かっちゃんは諦めてなかった。出会ったばかりの頃、語り合った事を。
無個性だと知った時もあっけらかんとしていたし、一言も悔しいなんて言葉を聞かなかった。だからてっきり、もう手放してしまったのだと勝手に思っていた。
違う。必死に耐えていたんだ。ひがんだりすれば、僕がオールマイトみたいなヒーローになりたいという夢に傷を付けるかもしれないから。だから
かっちゃんはとても強くて、高いところに居るんだと見上げていた。そんな僕の足は、ずっとかっちゃんの夢を踏んでいたんだ。何年もの間。
理解すると強烈な吐き気に襲われた。何度か飲み下したが、ついに堪え切れずに道路わきの排水溝にもどす。
胃の中のものを全て吐き、胃液も空っぽになった。酸で喉が熱くなり、動悸がおかしい。グレーチングにはついさっき食べたコロッケの欠片がくっついている。
それを見て涙が出てきた。
もう二度と、爆豪勝己と並んでコロッケを食べる事は無いのだとわかったので。