爆豪は自宅の玄関の前で短く息を吐き出し、感情を整える。プロヒーローにとって精神制御は基礎中の基礎だ。
ただいま、と帰宅する。おかえり、と母親がキッチンから言った。
「先お風呂入るでしょ」
「ん」
「今日カレーだから」
「ん」
階段を登る足音を耳に、母親は包丁を握る手を止めた。いったい自分に何が出来ると言うのか。
自室に入るとベッドに倒れ込んだ。ガキじゃあるまいし、と誰に言うでもなく零す。意図的に思考を停止させるため、携帯端末で適当にトレンドを漁る。
いま机の上の参考書でも目にしようものなら、たぶん当たり散らしただろうから。
ディスプレイの中では誰かと誰かの熱愛報道だとか、どこかの取締役が逮捕されたとか、診断メーカーの文字が並んでいた。
ふと、#違法アイテムエンジニアのハッシュタグに目を止めた。
ニュース記事まで辿ると、認可を受けていないエンジニアが公的機関を介さずにアイテムをヴィランへ流していたらしい。組織的犯罪で、ヒーローが工房(マンションのワンルーム)に踏み込んだ際にアイテムによる反撃を受けて重傷を負ったそうだ。
基本的にヒーローコスチュームには防弾防刃はもちろんの事、防炎絶縁等の処理が施されている。国が認めた基準の最低限の性能でも、かなりの防御力があるはずだ。
それを抜かれたのならヒーローがヘボだったか、よほどエンジニアの腕が良かったのだろう。もぐりで開発したのなら、アイテムの素材も三級品に違いない。
パトカーに連れられた主犯が動画にちらりと映る。痩せていて、どう見ても戦闘経験のない開発職。
こんな弱そうなやつでもヒーローと戦えるのか。
それはプロに対する落胆でもあり、プロになれるのではという儚い希望だ。
起き上がって戸棚から課題を取りだした。サポート科の実技試験の練習にと作った簡単なスタンガンと催涙弾。
実技では例年、雄英敷地内に造られたシチュエーションエリアで行われる。化学薬品施設だったり、ホームセンターだったり、車工場だったり、普通のホテルだったり。とにかく毎年変わる。そこでヴィランが襲撃してきただの、バイオハザードが起きただとシチュエーションが告げられ、その場で対応策となるアイテムを作らねばならない。
だから受験生はみな、手の届く範囲でアイテムを作って予習しておく。結局のところ本番はアドリブ力が試されるので、作動原理を把握しておけばよい。実用性は二の次だ。
いま、爆豪の手に収まるそれはしかし、市販品よりも過剰な物だった。アイテムの領域に踏み込んでいないものの、無意識的に社会や運命に対する防衛本能が働いたからかもしれない。
あのひょろいエンジニアはアイテムを使ったからだ、俺の劣化版でじゃあ……けど、身体能力はかなりある方だ。いや、と薄暗い室内で、頭を振った。
バカげてる。俺はまだ、諦めていない。まだやれる事はあるはずだ。俺は弱くない。オールマイトを超える俺が、弱い訳にはいかない。認められるか。
たぶんその辺のヴィランくらいなら……。
ノックの音で、反射的に時計を見た。硬く、あまりにも硬く課題品を握りしめていた事に今更気付く。
「あのね、勝己」
と母親の声。
「ん?」
「お母さん達の事、恨んでる?」
「なんで」
よせ、言うな。それだけは言ってくれるな。
「無個性で、苦しい思いをさせちゃって」
嗚呼、クソ。ひでえ一日だ。
「俺がいつ泣きごと言った?」
震える声で、突き放すように叫ぶ。
「一言でも個性持ちが良かったなんて口にしたかよ! あんたまで俺を憐れんでじゃあねえッ!」
「ご……そんなんつもりじゃ、ごめん」
「同情ってのはな! ツエーやつがヨエーやつに向けるもんだろうがよ、クソッ、なんなんだよどいつもこいつも……」
弱者の証が零れてしまわないように上を見上げた。
「あってたまるか、そんな事。オール、ッ、オールマイトを超えるやつが弱いなんて事が……受け入れられるかよ」
爆豪はドアを開けるとするりと母親の手を逃れ、スニーカーをつっかける。
「待って勝己! 今のは無神経だった!」
そのまま家を飛び出した。
xxxxxx
ものの、どうすっかな。
コンビニで買ったホットコーヒーを啜り、無理やり心を落ち着かせる。我ながら幼稚だ。この歳で家出まがいの事するなんて。
それに、と学ランの内ポケットに意識をやる。課題品の重さが異物に感じられた。
こんな物を公共の場に持って来るなんて、見つかれば補導じゃすまないかもしれない。
ショッピングモールの二階テラスの柵に前腕を乗せ、階下の通りを見下ろす。クリスマスを待ちきれないカップル、家族連れ、バイトに向かう途中の学生。全員が個性持ちだと考えると、この時ばかりは流石にセンチになった。もしも俺が個性持ちだったらどんな個性がいいかな、などの妄想を止める事は難しい。
例えば、もしも別の、どっか別の世界で個性持ちの俺がいたとして、今の俺を見たら笑うだろうか。無個性のくせにオールマイトを超えるだとかほざいてんじゃねえとブチのめされそうだ。絶望に陥りそうになる。
来世に賭けて、ワンチャンダイブしとけ。とか。
結局、強くなきゃあヒーローにはなれない。
賑やかな雰囲気と明るいクリスマスソングに耐え兼ねて、その場を離れた。
特に意味も無く、今まで行った事の無い場所へ足を向けた。無意識的に、自分の事を誰も知らない所へ行きたかったからかもしれない。
そんな場所があれば、オールマイトを超えると言っておいて諦観の念に沈んでいる自分を慰めようとするやつはいない。
気が付くと辺りに人の気配は無く、人工の明かりも無い。遠くで高速道路を走る、低く唸るようなトラックの音がまばらに聞こえる。
目の前には廃工場があった。何を造っていたのかわからないが、とにかく巨大なタンクにポンプが格子のように張り巡らされている。
ここどこだろ。ぼんやりと見上げると、星空を背景に動く人影が目に入る。
こんな時間に人? と、目を細めた。
ふらりふらりとタンクに外付けされた階段を登っている。適当な踊り場で身を乗り出した。
「は!? あっ! クソ」
爆豪は反射的に警察へ連絡を取ろうとポケットに手をやる。やって、舌打ちして駆け出す。ベッドの上に置いてきたままだ。
「おいちょっと待ててめえコラ!」
叫びながらフェンスをよじ登り、敷地内に入る。
「く、来るなー」
と気の抜けた男性の声。
「うるせー! ツイてねーと諦めて考え直せ! ガキにテメーの死体を見せつけて嬉しがる変態か!? ぁあ!」
「ど、どういう引き留め方だ……」
身体能力には自信があった。廃材が雑に置かれている脇を抜け、あっという間に階段を駆け上がって男の下に辿りつく。呼吸を整えて試算する。金網で透けて見える地面のせいで実際よりも高い位置に思えるが、だいたい16メートル前後って所か。
「まあ、そのなんだ。ちっと話そうや」
「勘弁してくれよ、俺だって覚悟して来たんだ」
そう言った男の身なりはひどく汚かった。中年の脂ぎった肉付き、溜まったフケにサイズの合っていないシャツ。すえた臭いが漂ってくる。
「見つけちまったもんはしょうがねえだろうが」
「人が居ない所を探したってのに」
中年男性は改めて爆豪を頭からつま先まで眺めて、苛立ったように言った。
「それで、何を話せって」
「や、まあ何ってそりゃ。アレだよ、何で飛び降りようなんて思ったんだ」
こういった場合どうすればいいのか。とにかく時間を稼ごうと適当に話題を振る。
「何で?」
中年男性は小ばかにしたように鼻で笑う。
「何でって職歴無しの40代フリーターだから。死のうとするくらい当たり前だろ。満足したか?」
「いや当たり前って言うか……」
爆豪は言葉に詰まった。
死のうとする人間の瞳があまりにも色が無く、熱が無く、光が無く、ただ顔に二つ行儀よく収まっているだけだ。それに気づくと、他のパーツもただそこにあるだけ。身体すら、どこか現実から浮き出ているような気配がある。
現実は生きているからだ。だから死する人間は異物として人の目に映る。
「別にいいだろ、俺が死んだって。なんか問題あるか? どっかの誰かがシフト埋めるだけ。貯金も無いし、増税するし。マジで住民税とか払ってらんねーよ。破綻する破綻するって言われ続ける年金納めるなんて、蒔く種の無い畑を耕し続けてる気分だわ」
「それは」
「自己責任ってか。だったらきみが俺の死を見るのもそうだろ、こんな時間に中学生が出歩くなよ」
「言ってねえだろ。なにも死ぬ事ねーって」
「未来が無いのに生きる意味あるか? 誰が雇うんだよヘルニア持ちのおっさんを。もうずっと、笑えることに子宮に居る頃からずぅっと貧乏が続いてるんだ、明日からもそうなら、勇気出して楽になりたいだろ」
「俺だって生まれた時からずっと無個性で、きっとこれこれからもそうだ。それに生活保護とか」
「へー珍しいな。じゃあ俺の『指の爪が少し光る』個性が羨ましいか? こんなの無個性と変わらないだろ。でその生活保護受けてりゃ未来があるのか? 世間やネットから白い目で見られる辛さが、まあ……きみにはわかってほしくはないが」
なんと言葉を投げ掛ければいいのか、爆豪は口をつぐんだ。自殺を試みている人間がいれば止めようとする。それがヒーロー以前に人間としての行為なのだろう。
だが未来が無いから死にたいという志願者を、どうやって引き留めればいいのか。果たしてそれは正しい事なのか。わからないでいた。
「いいよな、未来があるやつは余裕があって。きみ、若いしイケメンだし、足速かったから身体能力も高いんだろ? まあ個性無くても順調にやってけるって知ってるから、俺を止めに来たんだろ? 人生の安全圏から」
「……違う」
自分に言い聞かせるように、拳を握りしめて言った。
「残念だったな、可愛い女の子じゃなくて。こんなクズの中年じゃ助ける気も失せたろ。それともあれか? 俺が工場で金属盗むシケたヴィランだったらよかったか? そいつをやっつけられりゃあヒーローになれるもんな!」
中年男性は泣きながら口走る。底辺を這いつくばった人生をこんな子供に吐露する情けなさと、過去の再認識の辛さに。
「期待はずれで悪かったな……でも本当に苦しいんだ、終わらせたい。死にたいやつの気持ちは、死にたく無いやつにはわからんよ。少なくとも俺より未来のあるきみには、絶対に止められない」
「ふざッけんじゃねえ!」
爆豪は細い手すりの上に立ち、中年男性を見下ろして言った。
「どいつこいつも舐めやがってよぉ……俺はァ! オールマイトを超える男だぞ。女を期待してだとか、自分よりヨエーヴィランを捕まえて喜ぶケチなヤローが、どーやってオールマイトを超えんだよ! ぇえ! おい! 聞ぃてんのか!」
突然の豹変に、中年男性はぽかんとした。
「は? いや無理だろ。オールマイトを? 無個性なんだろ? きみ。てか危ないぞ、降りなさい」
「無個性の事は言うんじゃねーよ! 課題品持って出ちまって、もしかしたらヴィランと戦闘するかもしんねーとか、チラッと思ったりもしたがよー。まずぁテメーだ、テメーからだ。未来があるやつのいう事に聞く耳持たねーってんならよー。これから未来を無くすやつのいう事なら再考すんだろうな」
「おいバカよせ!」
「その言葉、そのまま返す」
爆豪はポケットに手を突っ込んだまま、ふてぶてしく笑って背から重力を受け入れた。
最後に見上げる景色が、星空をバックにして手を伸ばしたブサイクなおっさんとは。と他人事のように思えた。
それは二律背反だった。オールマイトを超えんとするなら、死は許されない。しかし、心のどこかで絶望の淵に覗いた、来世に賭けるという死への逃避。
無個性がオールマイトを超える事など出来はしないと、本当はどこかで理解していたし、否定もしたかった。奇跡が起きて突然に個性が目覚めるかもという、妄想に似た希望もあった。
あるいは、かつて己に誓った偶像に対する背任に起因した、燃えるような罪の意識。生存本能が覆い隠しておいたそれに、仄暗い情感で剥ぎ取って見つけてしまったからかも。
あの中年男性にとって、自殺を思いとどまらせるのが救いになるのか、爆豪にはわからなかった。ただ、急いで階段を駆け下りようとするその懸命な姿を見て、たぶん俺は今、強くはないがヒーローなのだと思った。
これから飛び降りようとするやつが、先に飛び降りたやつの心配なんてする訳がないのだから。
雑に積まれていた上を向くパイプに腹部を貫かれ、廃材置き場に叩きつけられた。頭を強く打ち、耳鳴りがひどい。たぶん鼻血も出てる。身体が痙攣しているのが他人事のように分かった。
ぼんやりとする視界で、ひどく焦燥した中年男性がどこかに通話していた。途切れ途切れに耳に入る。
「――飛びッ飛び降りた! 学生が、早く来てくれ場所は――」
「――血? 出てるよ! 救急車はあとどれくらいで着く!? ああ、どうしたら……なんでこんな辺鄙なとこで死のうとしたんだ俺!――」
「――ふざけんなよ! お、お、お前ら税金で飯食ってんだろうがよ! いねーのかよ! 救急医療に長けたヒーローとかよ!――」
ボケが、んな都合よくヒーローが来るかよ。爆豪はおぼろげながらに内心で突っ込んだ。自分の事を棚に上げて。
気付けば暗雲は霧散して明瞭な丸い月がしずしずと輝いている。
最後になって晴れやがる。まあ、悪くねえ。感傷に浸っていると、そこにフッと影が出来る。ん? と目を細めるとその影はみるみるうちに大きくなってくる。
白い満月に黒い影のコントラストは、如実にそれを際立たせた。ウサギの耳のような特徴的な前髪は特に。
「わーたーしーがー」
天から力強い声と共に降ってくる。聞く者に勇気と活力与える英雄の声と共に。
爆豪は終に、無個性だと知った日ぶりに双眸から雫をこぼした。安堵か、やすらぎか、それに似た何か。
「消防の応援を受けて歩佐初自動車道を駆け抜けて来た!」
大地を揺らす着地音だったが、衝撃は逃がしているのかそれほどでもない。つくづく規格外なヒーローだ。
「おお、お、オールマイ……」
と、中年は腰を抜かした。
「そこの善良なる一般市民! 救急車の速やかな到着の為に入口のフェンスを開けてきてくれ!」
適当な小石を指弾で飛ばして南京錠を破壊した。
中年男性は四つん這いになりながら立ち上がって千鳥足で駆けだした。
「わ、わかった。わかったからその子供は頼む。俺の、俺なんかの為にっ、救うためにそんな事になっちまって」
「オール……イト。聞きてぇ、とがある」
息も絶え絶えで爆豪が口を開く。
「喋らない方がいい少年」
手刀でパイプを切断した。内心で呻く。パイプを抜かない限りはこれ以上の出血はなさそうだがshit! 服を裂いて怪我を確認すると打撲や骨折、寒さで衰弱しきった身体では病院まで持つかどうか。マントを外して被せてやる。
抱えて運ぼうにも、この様子では身体に負担がかかりすぎる。どうすべきか。
「おれ、みてーな無個性でも、っはあ……ヒーローに、なれ。っと思うか?」
「喋るな」
「こた、え」
激痛の身にあって、どこか嬉しそうな含み笑いの表情と、答えなければしゃべり続けるという意思にオールマイトは口を開いた。
「なれる、と言うべきなのだろう。きみを元気づける為には。しかし私は隠し事が多いが、嘘はつかない。心苦しいが、難しいと言うほかにない」
泣き笑いで爆豪勝己は言い放つ。
「簡単、だったよ」
震える小さな手を、オールマイトは握りしめた。
「ツイて、生き、ら。あんたを超えっくらい」
息を無理やり整えて宣言した。
「のヒーローになるから」
「少年、きみをここで終わらせる訳にはいかない、どうしても。そして方法はこれしかないし、これでいいと、私は思う」
ちらと背後を確認する。中年男性はまだヨタヨタとこちらに戻ってきている。髪の毛を一本、引き抜いた。
「先の宣言、平和の象徴を受け継ぐ覚悟と受け取った」
中年男性の頭上を、爆豪を抱きあげたオールマイトが跳んだ。