「人命救助訓練かー、やっぱオイラは海とか水辺がいいな。緑谷もそうだろ?」
と災害訓練場へ向かうバスの途中、峰田が言った。
「え? うーん。訓練するならそうだね」
「だよな。昼の砂浜で水着、焼けた肌、開放的な気分を取るか、夜の豪華客船できわどい恰好のセレブの護衛なんかも捨てがたいよなあ。なんで海外女優のドレスってあんなに胸元が開いてんだろ」
「ケロ、また峰田ちゃんと緑谷ちゃんがいやらしい話してるわ」
と、軽蔑するような口調で蛙吹。
「だから違うって! 濡れると『爆破』の威力も起爆感度も下がっちゃうから、訓練するなら欠点を克服する水辺がいいってだけだよ!?」
と、必死すぎて逆に誤解を加速する緑谷。
「濡れると感度が下がる……? 逆じゃないのか緑谷!?」
と、わきまえない峰田。
アホくせぇ、と轟は車窓に頬杖をつき、ガラスに反射する自分を眺めた。複製された自分が問いかけて来る。そんなアホくさい相手に負けたのは誰だと、父親によく似た目つきがそう語る。
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ほどなくして災害救助訓練施設、USJに到着した。1-Aが、教師である13号の演説を聞き終わる頃、異変にいち早く気づいたのは相澤だった。その視線を緑谷も追う。眼下の噴水広場に不自然な黒いモヤが広がり、その中からならず者といった出で立ちが二十人ほど歩み出る。
状況は極めて切迫していた。敵の実力は未知数で、通信は妨害されており、生徒を守らなければならない。
緑谷は柵に片手を置き、じっと広場を見下ろした。黒いモヤを発生させ、そこへワープするレアな強個性。その使い手らしきモヤを纏った人物。
相澤は生徒の避難を13号に任せ、時間稼ぎの為に単身で広場に駆け下り、多勢に無勢の状況を切り崩していく。雄英側の戦力が分散された事を確認し、黒いモヤのヴィラン、黒霧は個性を起動する。
避難を開始する13号と生徒たちの先にある、USJの出入り口に立ちふさがるように黒いモヤが立ち込め、黒霧が捉えどころのない形を作り、紳士然とした口調で言った。
「初めまして、我々はヴィラン連合。覚えていただかなくとも結構ですよ、あなたたちはオールマイトの撒き餌になっていただきますから。死肉でできた、新鮮な餌に」
異様な個性と強襲にたじろぐ生徒の中で一人、緑谷はヒーローフリークとして培ってきた知識の源から引きずり出す。
声があり、口があり、喉があり。つまりは肺があり、身体の全てがモヤではなく、少なくとも口腔部と胴体は存在する可能性が高い。そういった個性を身に纏うヒーローやヴィランの情報を脳裏に呼び覚まし、『
重く湿った岩を乗せられたような空気が漂う。みな、足取りは重かった。1-Aはそれが眼前の黒いモヤのヴィランの威圧感だと思い、黒霧は恐怖で足が止まったのだと思った。
「皆さん僕の後ろに!」
13号がグローブの指キャップを外し、そこから発動させた『ブラックホール』の個性で黒霧を吸い込む。モヤを吸引されるのを嫌って、距離を取るだろうと考えての攻撃だ。
その13号の思惑とは裏腹に、黒霧は突っ込んで来た。そして『ブラックホール』に呑まれる寸前で『ワープゲート』を13号の指先の前に展開させる。出口は13号の死角である背面。
13号は自身の『ブラックホール』で背を塵にしながらも、痛みで意識を失う直前に個性を解除し、致命傷を避けた。
一連の出来事に、みな声を失った。目の前でプロヒーローが倒され、目の前には倒したヴィランがいる。信じがたく、非現実的な現実。
「プロヒーローは損ですね。個性が割れてしまっているから対処しやすい。さて、ヒーローの卵にはバロットになっても――」
地に倒れた13号に一瞥し、1-Aの生徒に向きなおる。すでに緑谷が肉薄していた。胴を狙った『爆破』を発動する。
「――このッ!」
黒霧は接近に対して反射的に距離を取ろうとした。爆風圧でモヤの一部が吹き飛ばされる。緑谷は離脱を許さず、喰らいつく。
個性には相性がある。『蛙』が『氷』に弱いように、『透明』が範囲攻撃に弱いように、気体を操る個性が爆風に弱いように。
それに加えて、と黒霧は内心で舌打ちする。
このガキは他人に個性を使う事になんのためらいも無い。
いくらプロ志望とは言え異常だ。子供がふざけ合って個性を向けるのとは全く違う、手加減なしの敵意を込めた個性を向けるのはプロでも難しい。なぜなら人間には同族を殺める事に対する禁忌感、生物としての潜在的なリミッターが存在しているからだ。
だから軍隊では攻撃の思考を徹底してコントロールするし、死刑の執行は誰がボタンを押したかわからないようになっている。
攻撃には潜在的な抑制がかかっている。そのはずだ、雄英生なら尚の事。
そのはずなのに、雄英は何を教えているのだと毒づいた。こちら側の人間が居るなどと、聞いていない。
一瞬でも隙があれば、生徒全員を別々の場所にワープさせるだけのモヤを発生させられるが、読んでいるのか追撃の手を緩める気配が無い。ワープ系の個性使いが最も嫌がる戦術だ。個性の希少性故に対抗策はあまり出回っていないはずだが、よほどの知識量のようだ。
多少の負傷は甘んじて、いったん本隊と合流すべきか。その思考は背で味わった硬く冷たい感触で掻き消された。
雄英生の一人の足元から、地を這う氷が伸びて背後に氷壁を作ったのだろう。そう、これが正常だ。加減と捕縛を考慮した、抑制の効いた攻撃。手強いプロになるだろう。今のうちに摘んでおきたい芽。
「調子に乗るな!」
黒霧は緑谷の攻撃が到達するまでの短い時間に、カウンターとして最少の『ワープゲート』を作った。モヤの中に血肉や骨が混ざるのは精神衛生面上の理由で避けたかったが、そうも言っていられない。
緑谷の左手がゲートを通過し、急ごしらえ故に適当な座標に造られた出口からひょっこりと出て、あらぬ方向へ『爆破』が発動された。
その瞬間にゲートは閉じられる。ねじ切られた左手がぼたりと地に落ちた。
ガキが痛みと原理不明の攻撃に混乱する。その隙に『ワープゲート』で離脱する。黒霧は、そういう算段だった。
「……病人が」
緑谷の右手に頸部を掴まれていた。『爆破』により熱を持った手袋越しの掌は、刑罰としての烙印を押し当てられている心持にさせる。
ガキの表情を見下ろす。左手が欠損したにも関わらず不感無覚としているが、どこか怯えているようにも見える。誰かにこうすることを強迫されており、不本意に感じていながらも一切の躊躇が無いという矛盾に満ちた瞳。
黒霧には、この行為の正当性が何なのか。また、どうして口元と胴は実体であると見抜いたのかわからなかった。わからなかったが、一つだけ言える事がある。
「いいかお前」
緑谷が『爆破』を断行する。
『ワープゲート』の個性が解除され、一人の男が爆風で後頭部を氷壁に打ち付け、背を預けたまま崩れ落ちた。
ほんの十数秒の間に、1-Aには目まぐるしく非情な現実に直面した。
「え? し……てか、ころ……」
「いや、たぶん爆破の衝撃とか、氷壁に頭ぶつけた脳震盪とか、だと思う。息も動悸もある」
誰かがこぼした疑問に、耳郎が耳たぶのイヤホンジャックを地面に挿して答えた。
「ていうか、緑谷! お前手!」
緑谷の背に投げかけた峰田の一言で、轟が傷口を氷で覆って止血する。落ちた左手も氷漬けにするが、それは鋭利な刃物による切断ではなく、不定形の気体により引きちぎられている。接合は怪しかった。
これが実力差なのか? あの状況で瞬間的に判断を下し、動くのがヒーローとしての? と、轟はモヤのヴィランの爛れた頭部と、蛙吹が抱える氷の中の左手を見やってかぶりを振る。
いや違う。これは違う。
轟は、これがヒーローの行いだと認める訳にはいかなかった。代替案が無かったとしても。
ヴィランを倒すという目的の為に自他に非情を強いる事が正しいのであれば、個性婚によって強個性を産み落とす事も、産み落とされた子に非情な訓練を科す事も、その為ならば家族を蔑ろにする事も。その全てが、結果としてNO.1ヒーローになる事に帰結するならば、行為は許されてしまうからだ。
なぜならNO.1ヒーローになるという事は、多くのヴィランを倒すという事だからだ。
だから認める訳にはいかなかった。たとえモヤのヴィランによって自分が引きちぎられていたとしても、クラスの誰かがそうなっていたとしても。緑谷の行為からは対極に位置しなくてはならなかった。
「八百万、13号先生の手当てをしてくれ。医療品とか『創造』で産み出せるだろ」
「え、ええ、そうですわね」
唐突に脳味噌が露出した夜色の巨体が目の前に降ってきた。威圧感はあったが生徒は眼中になく、意識を失ったモヤのヴィランを手に、去って行く。
「なん、だったんだ今の。急に」
と、峰田。
緑谷がクラスの面々を見る事無く、夜色の巨体を追って噴水広場に駆け下りる。
「おい緑谷待て!」
轟は連れ戻すべきか迷った。生徒はUSJから離脱するのがベストな選択肢だが。
逡巡の迷いの間に、手当てを受けた13号が意識を取り戻す。
「緑谷くんは僕が追います。轟くんは皆をUSJから退避させてください。先ほどのモヤのヴィランが出入り口で立ちふさがったという事は、外に伏兵はいないはずです。通信妨害もUSJに限られている。自動運転バスの通信機器で応援を頼んでください。後はそのまま逃げて」
緑谷を追うべきか、13号の指示に従うか。もしもの事があれば、強個性である轟が対処しなければならないだろう。ここで集団から離れる選択肢を取る訳にはいかなかった。
「わかりました」
峰田が蛙吹の抱える腕を見上げる。作り物のように思えた。気落ちして地面に眺めると、影が走った。空を見上げる。
「雷?」
「なに言ってんだ、昼間だぞ。俺は個性使ってねえし」
「水平に、いや疲れてんのかなオイラ」
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どういう事だこりゃあ。
と、主犯格の死柄木は頬を強く引っ掻いた。眼下には凄惨な姿のモヤのヴィラン、黒霧が横たわっている。
黒霧が生徒を『ワープゲート』でUSJ各所の災害区画へ飛ばし、分断させた上で潜ませていた手下に襲わせる手筈だった。
しかしなかなか災害区画から戦闘の気配が無い。ちらと出入り口付近へ視線をやると、いつの間にか氷壁が作られていた。
夜色の巨体、改造人間の脳無に、黒霧がヤバそうだったら一時撤退させろと命じた結果がこれだ。
「死んでねぇだろうな。おい、お前がツブれたらどーやって帰るんだ」
つま先で脇腹を小突くと、僅かにうめき声が返ってくる。
舌打ちして、何があったんだよと出入り口に視線をやると、ガキが一人駆けて来る。ヒーロー気取りのバカが、と死柄木の神経を逆なでした。
「脳無、アイツと遊んでやれ」
その命令で脳無はズッ、と重心を低くし、アスファルト砕いて前方へ跳ねる。同時に、USJの外壁を一息で飛び越えた爆豪が噴水広場に着地し、脳無の進路へ割って入るように駆けた。
緑谷の右側面に脳無のフックが衝突する。『反応装甲』が起動するも、10メートルほど吹き飛ばされた。
同時に爆豪の拳が脳無の横腹に突き刺さり、巨体が冗談のようにふわりと浮く。すぐさま体勢を立て直し、爆豪に構える。
「なんだ、こいつ」
爆豪は思わずこぼした。
オールマイト級に速く、完璧に入ったのにダメージが無い、てか今のは緑谷か? なんで一人でいんだよ。
ちらと盗み見ると、13号が介抱していた。チンピラが襲いかかるも、さすがにプロ相手では返り討ちに合っている。
爆豪の横やりで脳無の攻撃は僅かに芯からズレ、『反応装甲』で減衰し、死柄木に遊べと命じられていたとはいえ、そもそものパワーが桁違いだ。まず無事ではない。
脳無と爆豪の攻撃の瞬間は同時だった。拳を握りしめて後悔しても遅い、あとほんの
気を失っている緑谷らしき生徒から、脳無へと意識を移して集中する。オールマイト級のヴィラン相手に、そんな余裕はない。
オールマイトのフォロワーを思わせる意匠の黒いフルフェイスヘルメット姿は、死柄木にとって予定の無い闖入者だ。
「あ? なんだお前……ま誰でもいいが、脳無、そいつをやれ」
言うが早いか、脳無の暴風のような乱打が爆豪を襲う。
舌打ちで『OFAラフアウト』を発動させた。
筋肉の動きから腕の振りを想定し、そこから繰り出される打撃の到達点を弾き出して回避する。避けきれない場合は軌道を逸らし、最小限のダメージに抑え込む。
「うぉっ、マジかあの不審者。なんで脳無の攻撃を耐えられる。ムカつくなぁ、ほんとムカつく、大勢連れてきたもののプロ一人に手間取るし、黒霧は役に立たねえし」
対オールマイト用に調整された脳無の猛攻を防ぎ続けられたのは、力に頼った単調な打撃だからであり、ほんの一日二日ではあるが事前にオールマイトとの防御特訓の賜物であり、個人のセンスであり、上限の30%解放を行っているからだった。
「あああ、訳わかんねえ。オールマイトはいない、変なヘルメット野郎に邪魔されるわ、クソゲーかよ」
死柄木は首元を病的に掻きむしる。薄らと血が滲んでいた。不意に飛んできた捕縛布を掴み、『崩壊』の個性を発動して粉々にする。
「オールマイトがいるって情報、どっから仕入れたんだ」
13号と共にチンピラを鎮圧した相澤が死柄木に迫る。
「イレイザーヘッド……」
「僕もいる」
13号が死柄木の足を掬うように『ブラックホール』を発動する。
「クソが! 一対多なんて恥ずかしくないのかよ!」
「一山いくらのヴィランを俺にけしかけたのは誰だ」
「あの脳無ってやつに命令を出しているのはあなたですね? 止めてください」
「力づくでやってみろよ、ヒーローなんだろ」
「許さないからな」
13号は静かに怒りを滾らせ、そう宣告した。介抱した緑谷のボロボロの身体に行われた悪意と、それを防げなかった自分に対する不甲斐なさ。
マズい、なんでこんなことに、と死柄木は相澤のマキビシをローテクスニーカーで踏み抜いた痛みに苦悶した。脳無はヘルメット野郎の防御を崩しきれない。ガキどもは逃がしただろうからプロの応援を呼ばれる。黒霧は使い物にならない。
しかし焦燥感に駆られたのは爆豪も同じだった。
ダメージの蓄積と30%解放の体力消耗により、代替案を考えなければならなかった。オールマイトならどうするか、その思考の一瞬に差し込まれた一打を支えきれず体勢を崩した。並の相手ならともかく、そんな僅かな隙さえ許されない純粋な筋力差があった。
脳無は本能的に打撃から組み付きに攻撃方法を変え、掴みかかる。かろうじて反応できた爆豪は、襲い来る両手を掌で受け止めた。凄まじい膂力で捻じ伏せられそうになる。体中の骨が悲鳴をあげる。脂汗を流し、歯を砕かんばかりに噛みしめた。
相澤の捕縛布が死柄木の両手を捕える。
どちらもが王手を指す。
瞬きの間に脳無は吹き飛ばされ、どこからともなく降ってきたその男は打撃の残心で立っていた。平和の象徴は。
瞬きの間に相澤と13号は崩れ落ち、どこからともなく降ってきたその男はゆうゆうと立っていた。悪の支配者は。
オールマイトは、今まで爆豪が見た事の無い表情で悪の支配者を睨みつける。目が無く耳が無く鼻がない、爛れた頭部のスーツ姿の男。オール・フォー・ワンを。