「遅くなってすまない、爆豪少年」
小声で柔らかく詫びた。だが、視線の先はオール・フォー・ワンへ向いている。
肩で息をしながら、爆豪は言った。
「速すぎる。もうちょっとであの脳味噌ヤローをブチのめせそうだった」
「オーケーそういう事にしておこう」
「しかしなんだあのスーツ姿の、口だけ付いた出来そこないの茹で卵みてェな頭のヤローは」
「黒霧が潰された時点で撤退するべきだったね、弔。脳無に掴まれば、黒霧と二人で離脱出来た」
オール・フォー・ワンは、不出来だが愛すべき教え子に語るような口調で言った。
足元に転がる相澤を蹴り、死柄木はぶつくさと愚痴をこぼす。
「遅いよ先生。しかもこんな……計画もクソもない、バグってる。台無しだ何もかも」
「失敗は恥じるべきではない、真に恥ずべきは失敗を隠してしまうことだ。学びなさい」
「それもこれもアイツのせいだ、なんなんだアイツは。脳無をいなせるやつがいるなんて」
その一言で、オール・フォー・ワンは死柄木が指差す爆豪へ、無いはずの視線を向ける。その瞬間、オール・フォー・ワンとオールマイトを除くその場の誰もが、死柄木でさえ怖気を覚えた。恐怖が針のように細い雨となり降り注ぎ、全身を透過するような凍てつき。
「へえ……しかしなるほど、いい後継者を見つけたようだね。彼を僕にぶつけようというわけだ。そして自分と同じ道を歩ませたいのかな。無様に平和の象徴としての姿を偽るような、道化に」
こいつがオールマイトに傷を負わせた。爆豪はなんとか一言いってやりたかった。だが何かを喋れば声が震えそうで、そもそも固唾を飲むのが精いっぱいだった。それほどまでに規格外過ぎる。
そんな小さな肩に、オールマイトはそっと手を置く。
「私は誰かをお前と戦わせようなどと思ってはいないし、誰かが言ったから私はお前と戦うわけじゃない。お前はただただ、誰でもないヒーローと戦っているのだ」
「相変わらず正義を楯に詭弁を弄するのが好きらしいな。まあいい、少し早いお披露目だがこの子は僕の教え子でね、お互いの後継者の顔合わせという事で、手打ちにしようじゃないか」
「ようやく顔を出したモグラを見逃せと」
「僕は構わないがね、いまやり合っても」
いびつな音でオール・フォー・ワンの右腕が肥大化していく。地面に亀裂が広がり、本能的な脅威が相澤と13号の意識を呼び覚ました。覚醒によってオール・フォー・ワンの畏怖もその身に晒されたが、ボロボロの身体でなんとか懸命に立ち上がろうとする。
相澤たちや、噴水の縁を背に気を失っている緑谷の安全性を考えれば、千載一遇のチャンスをドブに捨てたとしても受け入れざるを得ない。爆豪一人なら『OFA』で逃げられるかもしれないが、それ以外は戦闘の余波で死ぬ可能性が高い。
オール・フォー・ワンにしても、死柄木を安全に離脱させるには戦闘は回避すべきだ。脳無がいるとはいえ、既に応援は呼ばれているはず。何かワープ系の個性を探して奪っておく必要があるなと、内心で独り言ちる。
オールマイトが口を開きかけた瞬間、小さく声がした。
その場の誰もが耳を疑った。
そんなはずはないがしかし、確かにこう聞こえたのだ「待て」と。
その声を発した人物へと視線が集まる。
「逃がさ、ないぞ」
血で赤黒く染まったコスチュームを身に纏う緑谷出久がふらつく足で立ち上がり、そう言い放った。
すでにその身体は満身創痍で、とてもではないがチンピラ相手でも戦えそうにない。だらりと力なく垂れた左手の切断面を覆っていた氷は砕かれ溶け出て、血がばたりばたりと流れ落ちている。
そんな重症で、絶望的な実力差を無視して「待て」などと、常軌を逸脱している。オール・フォー・ワンとは別種の狂気が、そこに揺らめいている。
脳無に殴られた緑谷は、気を失っている間ずうっと夢を見ていた。
不定形にゆがみ、滲んだ《彼》が聞き取れない程甲高く、唸るような低い声で糾弾し続ける逃れられない罰夢。
近づいた《彼》が最後に叫びつける。そこだけは明瞭に響いた。
『今言ったらこの場で殺すからな』
意識を取り戻す。同時に『投薬』で血圧と心臓を整えた。
そしてオールマイトでさえ手を出せない敵に言い放つ。
爆豪はその姿に絶句した。先ほどはショルダーマントで見えなかったが、左手が無い。そして何が緑谷をそこまで突き動かすのか、まだわからないでいた。嫌な予感がして、その原因を探る思考を無理やり切り替える。この状況下、オールマイトならどうすると考える事で。
ほう、と感嘆してオール・フォー・ワンは言った。
「なかなか面白い子だな。きみは何者だ、どうして僕に戦いを挑む? 返答によっては望みを叶えてあげよう」
「先生!」
死柄木は無性に腹が立った。誰もが戦いを避ける選択肢を取る中、一人だけ戦い続ける意思を持ち、自分でさえたじろぐ先生の威圧感をものともしない緑谷に途方もなく負けた気がした。ヒーロー気取りのバカに興味を持たれたことに対する嫉妬心でもある。
答えなくていい、という相澤を無視して緑谷は誰に言うでもなく口を開く。ただ自分自身に言い聞かせるように。
「僕は……
「まったく面白いな、雄英ともあろう教育機関が。いずれという事にしておこう」
オール・フォー・ワンは死柄木を抱え、『触手』で黒霧を掴み、『エアウォーク』と『跳躍』の個性を使い、凄まじい速度で離脱する。
マイクロセカンド間の出来事だった。
地から離れた数メートルという低空で、放たれた炎色の閃光が交差するようにすれ違い、触手を蹴り破った。黒霧だけが地に落ちる。
「足癖の悪い後継者だな、要を失ってしまった。搦め手を隠さず、『個性強制発動』を黒霧に使えばよかった」
言って、内心でかぶりを振る。いや、あの後継者を見くびっていた。まさかあの少年の身丈で、あれほどまでに動くとは思わなかった。油断もある。
離陸時の発射力ゆえ、既に雄英上空のオール・フォー・ワンは黒霧の回収を諦める。
オール・フォー・ワンは弔と黒霧の二人を重要視している物言いだった。その内の一人、小脇に抱えられた弔は無理だが、触手で掴んだ黒霧がその二人目と推察でき、後者は捕える隙がある。
そして強敵相手に一瞬だけ後手に回るのなら、瞬間的にそれを補う力を出力するしかない。
『OFA
黒霧は逃がさない。
混乱した状況の中でその判断を爆豪が下せたのは、緑谷の壮絶な行動の原因から逃れる為に、オールマイトならどうするかという命題へ思考を冷静に推移させたからだった。
とはいえ、30%解放で全力疾走と例えていた実力で行った50%解放の反動は大きかった。毛細血管がねじ切れ、強い筋肉収縮が体中に起こった。心臓が過負荷で握りしめられたように痛む。
だがそれに見合うだけの結果は残せたはずだと、数十メートルほど後ろを振り返った。オールマイトが心配そうな表情を向けているので、気遣い無用とばかりに軽く手を振る。
殴り飛ばされた脳無は、オール・フォー・ワンが出現してから停止したままだった。
相澤が倒れかけた緑谷を受け止める。そう言えば発目は、課題提出前に正体がバレるとGPS衛星の不正使用もイモづるなので困ると言っていた事を思い出し、最後の力を振り絞ってUSJの外壁を飛び越える。
そのとたんに通信が入った。適当な雑木林の木にもたれて応答する。
『だいぶ負傷しているようですね』
「わかんのか」
『バイタルデータも送られてくるので。ボロボロですね、帰ってこれます?』
「ああ。いや、どうかな、正直わかんねえ」
どっと疲労感が押し寄せて来る。喋るのもおっくうだ。めまいがする。
『んじゃあ迎えに行きますよ。もし課題品を調べられそうになったら粉々にしてもいいんで』
「マジか、提出は今日の午後だぞ」
『一度や二度くらい提出ミスっても大丈夫でしょう』
「悪いな」
『そのかわり、何が起きたか詳細に教えてくださいよ』
通信を切ると腰を落とし、へたり込む。アドレナリンが切れると、妙な吐き気がしてきた。たぶん腕の骨にヒビが入ってる。
先程の切迫した空気とは打って変わって、自然豊かで緩やかな時間が流れている。聞きなれた小鳥のさえずりでさえ、砂漠のオアシスのように安堵をもたらした。
空いた時間に、どうしても緑谷の姿が脳裏をよぎる。飽きもせずヒーローフリークを語っていた、あの頃の面影はどこにもなかった。
いつからあんなになっちまったんだと考えてみる。考えてみるがしかし、それはあの夜以外の可能性の模索であり、逃避だった。それもやがて逃げ道は塞がれ、一つの答えに向かい合う。
俺があんな事言っちまったからか。
あの夜の時のような憎悪はもうない、かといって許せるとも思っていない。ではタガが外れた狂気に身を置いている姿に清々したかと問われれば否だ。のうのうと普通科などで学生生活を送っていたら、それはそれで反吐が出る。
一つだけ確かな事は、あんな緑谷は見たくなかった。
結局のところ、昔のようにオールマイトの偶像を追っていてくれればよかった。なぜ、緑谷は
しばらくすると、発目が貸し出し電動自転車に乗ってやって来た。雄英の広大過ぎる敷地を移動する為に、学生証を持っている者は自由にシェアレンタルできる。
「動けます?」
「無理。肩、貸してくれ。というか、もっと適した乗り物なかったのかよ」
「そんな事言われてもですね」
発目は荷台に爆豪を座らせ、不満げに言った。
「そりゃ私だってどっ可愛いベイビーで回収したかったですよ? でもそんなので移動してたらセンサーに捕捉されちゃいますよ。ほら、しっかり腰に手を回して掴まってください」
ガタガタと舗装されていない道から、遊歩道に移る。事態の収拾に向かった教師とのバッティングを避ける為、少し遠回りをした。発目から、オイルと金属と薬液の混ざった工業臭がする。
「おおう、なんですかこの脳味噌丸出し生物は」
ヘルメットから映像データをスマホに移し、眺めていた発目が尋ねる。
「ながら運転はやめろや……俺にもよくわからねえ」
ほうほう、と爆豪の注意を無視してスマホをスワスワし続けている。
ふと、究極に自分本位のこの女に友達はいるのだろうかと疑問に思う。いやいるはずがない。だからこそ吐露できる気がした。発目には憐れみも同情も存在しない。
「お前って友達いんのか」
「んー、エンジニアのネットコミュニティにはいますね。ただまあ世間一般のそれとはちょっと違うと思いますよ。興味を探求したらいつの間にか持ちつ持たれつの関係になったりならなかったりって感じです」
「そいつらと仲が悪くなったらどうする」
「必要になったら関係修復を試みますかね」
「クソドライだな」
「だから一般的な友達とは違うって言ったじゃないですか。しかし意外ですね、爆豪くんこそ、そういう所はドライだと考えていましたが。というか爆豪くんこそ友達いないでしょ」
「たしかにまあ、いなくなっちまったな」
「進学先が別でそれきりって感じですか?」
進む先が違うという意味ではそうだった。
沈黙する爆豪に、発目は続けて言った。
「それとも仲が悪くなった? まどっちでもいいですけど、必要ならとっとと関係修復した方がお得ですよ」
「んな簡単な話じゃねーんだよ」
「もしも私が不仲故にパフォーマンスが落ちると感じたらパパッと謝っちゃいますけど……わお、ずいぶん個性的な頭部のヴィラン」
「そこまでストイックになれるかボケ」
「そういうセンチな所があるとは意外ですね。……ええ! このヴィラン、明らかに複数の個性を……はあーこんなことが。やっぱり爆豪くんは私にとってのお湯ですよ! お湯!」
「……お前やっぱ俺のことバカにしてんだろ」
お湯と呼ばれて喜ぶやつがいるだろうか。それに見せてはいけない情報のような気がする。気がするが、言ってやめるような性格ではないし、もう指一本動かせる気がしない。
だから自転車に乗ったままサポート科の校舎に入ったり、エレベーターで発目の工房まで連れていかれたり、保健室のベッドではなく数日前に見た手術台のアイテムに寝かされたのも止める事が出来なかった。
がっしりと身体を固定され、身じろぎもできない。
「なあおい間違ってたら言ってくれ、お前もしかして医療用のアイテムを俺で試す気じゃねェだろうな」
発目がスイッチを入れると、わしわしとアームが動き出す。その内のレンズが付いた一つが、くまなく身体を精査する。
携帯端末をスワスワしながら、発目はぼやくように言った。
「開放、複雑骨折は無し、手首と前腕が折れてますが手術は無しで行けそうですね。残念ながら」
「聞いてんのか! ヒビくれぇだから問題ねぇって!」
「ヒビも骨折の内に入りますよ。まあ爆豪くんが保健室に行きたいというのなら止めませんが、たぶんヒーロー科の先生方とバッティングしちゃいますよ。それとも学校抜け出して整骨院に? 親御さんに不審がられません?」
たしかにそれはそれで面倒な事になりそうだった。
「わかったよ、やってくれ」
「整復で大丈夫だと思うので、引っ張りますね。麻酔いります?」
爆豪の腕がアームにがっしりと掴まれた。おそらく麻酔薬が入っているであろう注射器アームがスタンバっている。
「いや、いい」
「結構痛いのに怖いもの知らずですね。でも安心してください、このどっ可愛いベイビーはそのへんの病院よりも的確な処置を施せますので!」
学生のアイテムに麻酔注射されるほうが怖ーよ。と言ってもしょうがないので飲み込む。
それに、いま看護教諭であるリカバリーガールの治療を最も必要としているのは緑谷だ。骨折程度で余計な手間をかけさせたくはない。
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適当なビルの屋上に降り立ったオール・フォー・ワンは、静かに雄英のある方向へ顔を向けた。晴天の下にある敵地へと。
死柄木 弔の初陣としては残念極まる結果に終わった。オールマイトを殺し損ねたのはいいとしても、黒霧を失ったのは手痛い出費だ。
それにあの後継者は、そうとう遣う。『OFA』を譲渡されて一年か二年か、それだけのあいだ隠し育ててきた秘蔵は、弔にとって高い壁になるだろう。
「どういう事だよ先生!」
オール・フォー・ワンの思考を遮り、大仰に手を振って死柄木が抗議する。
「妙なガキが二人もいやがるし、雄英の資料にはあの場にオールマイトがいるはずが遅れて来るし……ハメられたのか?」
「その可能性はゼロではないが、無視できるほど低い。だがそういった視点を持つ事は素晴らしい」
「わからねえ。なんでそんなに余裕がある」
「楽しむ事だ、弔。悪為は楽しんでこそ真価を発揮する。楽しんで人を痛めつける姿を見て、人はどう思う? ヒーローが何度でも笑って立ち上がる姿を見るのと同じ気色悪さが、そこにある。だから必要なんだ。時に入念な計画もヒーローによって予想外に崩される事もあるだろう、叩きのめされて逃げる事もあうだろう。それすらも寛容になって楽しめるようにならなければならない。それに、つまらないとすぐ辞めたくなるが、楽しい事は永遠に続けられるだろう?」
死柄木にはその言葉を実感としてまだ理解できなかった。
それを言えるのは、自らを盤上の駒を動かすプレイヤーだと自覚している者だけだからだ。
駒の怪訝な顔を無視して、プレイヤーはふと夢想する。
あの
オールマイトを超えるという事は、彼を倒すことによって証明されるものではないのかね。と。
良ければその協力させてほしい。と。
招待状は『テレパス』の個性で送ってある。どう反応するか、想像するだけで胸が躍る。
オール・フォー・ワンは、超常黎明期より一世紀近く生きている。あらゆる種類の人間と接し、人心を掌握してきた。あの手の切迫した人間は、掃いて捨てる程見た。トラウマ、欲望、期待によるプレッシャー。手慣れたものだ。
ただ、緑谷の精神構造はその誰よりも繊細で柔らかく入り組んでおり、そして優し過ぎる事を知る由も無い。
その理解者は一人しかいないという事も。