「好き」って言わないで。   作:ilru

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その先に。

 あれから、何度陽が沈んでは星が瞬いただろう。

 

 月と太陽は日に日にその距離を遠くしたり、はたまた近づけたりしているのに、私と紗夜姉さんの距離は塵一粒ほども変わらなかった。いっそ笑えてしまうくらい、進展もなければ、後退もなく、私と日菜姉さんが仲直りを果たそうと、紗夜姉さんはどこ吹く風と言わんがばかりにその関係を崩すことなく日々を過ごしている。

 

 ━どうして。なんで。貴女とこんなにも距離が遠いのだろう。

 

 たった2、3メートル。壁を隔てた先の部屋にいる貴女に、いつまでたっても足が向くことはない。そのどうしようもない現実に、腹を抱えた。どれだけ悟りを開こうが、努力しようが、結局私は私のままで、変われやしない。一丁前に綺麗事のように、変わらなくても良いんだ、と吐いたところで、それは所詮戯言でしかなかったらしい。

 

 嗚呼、憎い。変われない自分が憎い。歩みを向けられない自分が憎い。貴女に対して期待してしまっている自分を自覚するたびに胃が焼けてしまいそうなほど気持ち悪くなってしまう。

 

 私と日菜姉さんとの関係に変化に気づいた紗夜姉さんが、彼女自身から私に歩み寄ってきてくれるのではないか。そんな考えが、偉そうに心の淵でふんぞり返っている。そのまま突き落としてしまえたらどんなに楽なことか。

 

 自分が変われば相手も変わる? 我がことながら笑わせてくれる。そんなわけないだろうに。お前が自分が変われば周りも変わるほど影響力のある人間なのか? 違うだろう。お前が変わろうが変わらなかろうが、世界は明日も明後日も回る。今日もお前に向けられることのなかった紗夜姉さんの声こそがそのなによりの証明だろう。

 

 ━第一、縁を戻して、お前は何がしたいんだ? 

 

 自分に向けて放った質問に、私は何も答えられなかった。今まで考えたことすらもなかった。

 

 姉妹3人、仲良しこよしな関係になって、何になる? 

 日菜姉さんに嫌われたくなかったから、仲良くなりたいから、必死になって来た。同じように、紗夜姉さんとも、笑っていたいから。

 

 でも、その先は? 

 一緒に笑って、楽しんで、それからどうする。

 

 仲良くなりたいから、私はこうして足りない頭を総動員させて悩んでいる。でも、仲良くなったらどうなる? もう私がこうやって動く必要はどこにもない。

 壁は消えるだろうから、いつでも一緒に過ごすことは出来るだろう。でも、元々一緒にいる時間など殆ど無かったので、平時で関わり合うことなど滅多にない。仲良くなったところで、そもそも関わる機会がないのなら、別に距離が離れていようが近かろうが大して変わらないのでは? 

 それに、私が日菜姉さんと紗夜姉さんと仲良くなれたところで、日菜姉さんと紗夜姉さんの軋轢が消えるわけではないじゃないか。

 

 ─あれ? もしかして、今までの思いも、努力も、結局無駄だった? 

 

 目の前が真っ暗になっていくような気がした。それ以上は考えてはいけないと、脳がけたたましく警告を鳴らす。不協和音が部屋に響いた。

 

 どうやら無意識のうちにキーボードの鍵盤を無茶苦茶に弾いていたらしい。多分、最悪な方向へ進んでいく思考につられて、徐々に苛立ちや不安と言った感情が指先に伝わり、繊細に動いていた手が荒々しくなってしまっていたのだろう。

 

 視線を下ろすと、鍵盤の上には叩きつけたかのように置かれた両手に、全体重が掛かっていた。故障していないか確かめてみると、真ん中のファに少しノイズが混じってしまっていた。

 

 ため息をついてキーボードの電源を切り、あまり座り心地のいいとは言えない椅子から立つ。立ち眩みで奪われていく視界を無視して、感覚だけを頼りにベッドにその身を投げ出す。薄れていく意識の中で、今日も焦燥が膨れ上がっていった。

 

 ▼△▼

 

「……きなさい」

 

 身体を揺さぶられているような気がする。でも、普段誰よりも早く私に起こしてくれる人なんているはずがない。だからこれはきっと気のせいだろう。

 

「……起きなさい」

 

 今度は耳から声が聞こえた。起きなさいと言っている。きっと紗夜姉さんが日菜姉さんを起こしているのだろう。

 ……ん? じゃあなんで私はそれが聞こえる位置にいるんだ? 彼女達と合わないように出来るだけ早く家を出ているようにしているから、その声は聞こえない筈だ。

 

「憂月、起きなさい」

 

 今度こそ、はっきりと聞こえた。ガバッと勢いよくベッドから起き上がり、頭元に置いてある時計を確認する。

 短針はぴったり7を指していた。普段の私ならもう家を出ているような時間だ。

 

「寝坊は感心しませんよ」

 

 ベッドの少し離れたところには、すでに制服に着替えた紗夜姉さんが呆れ半分といった感じの目をしながら立っていた。

 寝起きの妹に始めて投げる言葉がそれかと思いつつも、紗夜姉さんの性格なら仕方がないかと独り合点しつつ、足をベッドから下ろす。

 

「朝ご飯はもう出来ているから、早く降りて来なさい。学校に遅れないようにね」

 

 冷たく、突き放すようにそう言って、紗夜姉さんは藍の髪を僅かに靡かせて振り返った。

 

 私は、ほとんど無意識に手を伸ばしていた。指先から伝わる人の温度となめらかな肌触りが、お前は何をしているんだと訴えてくる。

 

「ちょっと、何よ?」

 

 急に手首を掴まれたことに驚いたのか、紗夜姉さんが勢いよく手を振り払う。

 

「あっ、すみません」

 

 呆気なく払われた手は、そのまま力なく垂れていった。

 自分の行動に理解できず、疑問符ばかりが浮かぶ頭で、ぼんやりとただ手を見つめる。

 

 視界の端で何かが動いた。下げた視線を元に戻すと、紗夜姉さんが今度こそ私の部屋から出ていった。なにかを嫌うような、苦しい目つきをしていた。

 

 

 現実に戻り、取り敢えずこのままでは遅刻してしまうと思ったので、寝巻きをベッドに脱ぎ捨ててクローゼットから制服を掻っ攫い、出来る限り早く着替える。

 

 階段を降り、リビングに入ると、日菜姉さんだけがダイニングで朝食を取っていた。

 

「おはようございます。紗夜姉さんは?」

「おはよ。おねーちゃんなら憂月起こした後そのまま学校に行っちゃったよ」

「そうですか」

 

 朝食のトーストを頬張りながら、日菜姉さんは答えてくれた。それに返しながら、彼女の向かいに座り冷水を一口呷った。冷たさで浮かび上がる胃の輪郭が眠気覚ましに丁度良かった。

 

 いつもよりも少し遅い朝は新鮮だった。いつもよりも多く射し込む太陽に、自分以外の物音。耳を澄ますと、ニュースのアナウンサーの声に混じって、鳥の囀りや蝉の鳴き声が聞こえる。カーテンの隙間から忍び込んでくる日差しが、とても温かかった。

 

「時間は間に合うの?」

 

 テレビを聞きながら口の中でパサパサになって中々飲み込めないトーストの塊に悪戦苦闘していると、日菜姉さんがその玲瓏な瞳を私に向けてきた。

 

「ええ。元々早く行っていただけなので。まだ10分くらいなら」

「そっ。あたしそろそろ行くから、鍵よろしくね〜」

 

 そう言って、自分の隣の席に置いていたバッグを掴み、私に空いた手をヒラヒラと振りながら、玄関の方へと姿を消えていった。

 かつてのような静寂が訪れた。テレビからは絶えず声も聞こえてくるが、空虚だとは思わなかった。

 

 ━これからはまったり朝を過ごすのもいいかもしれない。

 

 水で強引に塊となっていたトーストを流し込み、歯磨きなど身支度を整えてから家を出た。時刻は8時前。通っている高校はここからそう遠くはないので始業時間には余裕で間に合うだろう。

 

 戸締りし、振り返ると、澄徹とした空が目の前いっぱいに広がった。

 最後に青空をちゃんと見たのはいつだっただろうか。久しぶりに空を眺めながら、しかし軽やかな足取りで進むことはできなかった。

 

 頭の中は、紗夜姉さんのことでいっぱいだった。兎にも角にも、まずはきっかけが欲しい。なにか会話の種になるもの、共通の話題、見た目或いは環境の変化、何でも良いから彼女と関わりたかった。離れた距離を埋めるために。そして、一つのアイデアが頭に浮かんだ。

 青空に影が差した。

 

 ▼△▼

 

 学校はおおよそ滞りなく進んだ。クラスメートから「氷川さんが寝坊したぞ!」とちょっとした騒ぎになったこと以外では余りにも変わらない日常であった。

 取り敢えず騒いだ奴らに私は遅刻していない、いつもより遅いだけだと声高らかに主張したい。あと私をはしゃぎたいという私欲のために利用するなとも。

 

 家に帰っても、私は1人だった。日菜姉さんによれば、今日はRoseliaの練習はないらしいので、紗夜姉さんが帰ってくるまで時間を潰す必要がある。暫く考えを巡らせて、そういえば高校に入ってから読書週間が廃れてしまっていたのを思い出したので、本を読むことにした。自分の部屋に入り、勉強机の向かいに鎮座する本棚へ向かう。

 純文学に海外文学、ライトノベルや絵本、マンガなど様々なジャンルの本がごちゃ混ぜに並べられた本棚から、適当に1冊を引き抜く。そのまま勉強机から椅子を引き、足を組み、本を片手に持ち、もう片方を机に肘をつけて読書を始める。適当に取った本は、「銀河鉄道の夜」だった。

 

 本を半ば程読み終えた頃、鍵が開く音がしたかと思うと、猛烈な勢いで階段を駆け上がる足音がし、勢いそのままに部屋のドアが大きな音を立てて開いた。

 目を向けると、ドアはキィキィと小さな悲鳴を上げながらゆらゆらと揺れていた。恐らく今ので何処かが壊れたか、はたまた外れたか、詳しいことは分からないが兎も角良くないことが起こったのだろう。

 開けた張本人は、目をキラキラと、彼女風に言うならるんっと輝かせながら立っていた。

 

「入ってもいい?」

 

 まるで悲鳴など聴こえていないとばかりに声を弾ませながら私にそう聞いた。

 

「普通は開ける前に聞くんですけどね」

 

 私は呆れた顔をしたが、内心は満更でもなかった。一応印をつけて本を閉じ、元の位置に戻してから、2人が座れるベッドへと移動する。私が座ると、隣にボフっと勢いよく空気が抜ける音がした。甘いシトラスの香りが舞い上がり、部屋と混ざり合った。

 

「それで、どうしたんですか?」

 

 足はベッドの横に投げ出していたので、上半身だけを捻って日菜姉さんの方を見た。

 

「憂月、今日って暇?」

 

 私の顔をじっと見て、彼女はそう言った。純真無垢な子どものような瞳だった。

 

「えっと、どうでしたっけね」

 

 帰宅部でバイトもしていない時点で、予定の有無など分かりきったものなのだが、彼女の目が余りにも悪戯心を擽るものだから、つい悪い笑みを浮かべてシラを切ってしっまった。

 

「も〜。勿体ぶらないで教えてよ〜」

「ふふ、すみません。もちろんありませんよ」

 

 余りやり過ぎるといじけて話が聞けなくなるので、頃合いを見て謝罪と返答をする。

 

「じゃあさ、一緒に祭りに行かない?!」

「祭り……ですか?」

「そう。七夕祭り」

 

 そういえば、と思い出したかのように壁に掛けられたカレンダーを見やる。今日の日付のところを見ると、可愛らしく短冊のイラストが刷り込まれていた。

 

「……遠慮しときます」

 

 少しま悩んでから、私は日菜姉さんの誘いを断った。

 

「えー! 何でー?」

 

 断られたことが意外だったらしく、目を大きく見開いて、背中をのけぞらせた。ベッドが軋む音がした。

 

「私よりも誘うべき相手がいるでしょう?」

「んーそうなんだけど、来てくれるかなー?」

 

 日菜姉さんが背中を倒し、仰向けになった。口元に人差し指を持って行き、唸りながら考えていた。

 

「きっと上手くいきますよ。私も出来る限りで手伝いますから」

 

 倒れたことで太ももほどの位置にある日菜姉さんの頭をそっと撫でる。甘い香水の香りが広がった。

 

「ほんと! ありがとう! じゃあそれだけだから、またね!」

 

 そう言って、勢い良く上体を起こし、その勢いで立ち上がった。スプリングが一際大きく軋んだ。そしてまるで台風のようにあっという間に立ち去ってしまった。

 部屋は、再び静寂に包まれた。またしても暇になってしまったので、紗夜姉さんが帰ってくるまで読書を再開することにした。静かにベッドから立ち上がり、本棚から先まで読んでいた本を抜き取り、再び椅子に腰掛けた。

 

 

 差し込んできた夕陽が白い紙を茜色に染まった頃、玄関の方から鍵が開く音がした。次いで、誰かと話している声が聞こえる。多分、帰ってきたのは紗夜姉さんだろう。会話は、大方日菜姉さんが祭りに誘っているとか。

 しばらくしてから、階段から足音が聞こえた。ゆったりとした、落ち着いた音だった。それは私の部屋の前を横切って、隣の部屋の前で鳴り止んだ。そしてドアが開く音が聞こえた。

 よし、と小さく鼻を鳴らして立ち上がり、読んでいた本を本棚の適当な位置に差し込む。今度きちんと整理するとでもしよう。

 

 薄暗い廊下を少しばかり歩く。素足が、ペタペタと腑抜けた音を静まり返った廊下に響き渡らせる。それで、緊張していた気持ちも幾らかほぐれていった。

 やがて、紗夜姉さんの部屋の前に着いた。中からは、小さなギターの音が扉越しに聞こえてくる。どうやらアンプに繋いでいないらしい。

 

 深呼吸を2、3度繰り返し、細かく震える手足を抑える。そして、慎重に、扉を3回ノックした。

 

「はい? 誰ですか?」

 

 ギターの音が止み、紗夜姉さんの声が聞こえた。

 

「あ、う、憂月です。入っても良いですか?」

 

 やはり緊張を殺しきれず、少しどもってしまったが、なんとかそれだけを絞り出した。

 

「……ええ、どうぞ」

 

 暫くの間の後に、返事が返ってきた。

 

「失礼します」

 

 小声でそう言って、ひっそりとドアを開ける。

 

 初めて見た紗夜姉さんの部屋は、正直、中々にお洒落だった。

 窓には白色のカーテンがかけられていて、彼女の髪色や雰囲気にとても合っていた。ベッドには可愛らしいクッションが大体5つくらい置かれていて、頭元にある棚には小さな観葉植物が置かれている。小物など無駄と感じるようなものはあまり置かれてなく、それが清潔感を醸し出していた。

 紗夜姉さんはベッドに座って、群青色のギターを太ももの上に置いていた。

 

「何か用かしら? 無いのならギターの練習をしたいのだけど」

 

 まるで私に興味ないとばかりに、冷たい口調で私を急かしてきた。

 

 口を何度か開けては閉め、視線を泳がせ、指を絡めて言葉の最終確認をする。やがて、沈黙を破った。

 

「あの! えっと……今日は七夕ですし……祭りに行きませんか?」

「……はぁ、貴女も?」

「ええ」

 

 時計の針が秒を刻む音だけが部屋を包んだ。

 

「止めておくわ」

 

 紗夜姉さんは、それだけを言った。

 

「理由を聞いても?」

「私と行くよりも日菜と行くほうが楽しいでしょう?」

 

 少し卑屈そうに彼女はそう言って、これで終わりとばかりに話を切り上げようとした。

 

「話はそれだけね。なら練習したいから帰ってくれる?」

 

 そう言って紗夜姉さんは私に早く出て行けとオーラを放つ。でも、ここで大人しく帰ってしまってはいけないような気がして、なんとか、部屋にとどまる口実を必死に考えた。

 紗夜姉さんと少しでも話して、距離を縮めるきっかけになれれば、話題なんてどうでも良かった。そして、今朝思いついていた話題を吟味もせずに、口に出してしまった。

 

 

「あと、その、出来れば、ギターを……教えてもらえたり……しませんか?」

 

 なんとかそれだけを喉仏から搾り出した。再度訪れた沈黙に妙な達成感が胸中に広がる。

 

 浸っていた意識を外に戻すと、紗夜姉さんが顔をうつ向け、肩を震わせていた。訳がわからなかった。観葉植物の土の匂いが鼻腔をくすぐった。紗夜姉さんが言葉を発した時には、もうその匂いを思い出せなかった。

 

「今度は貴女が……また私は……」

 

 途端、紗夜姉さんは勢いよく顔を上げ、私を睨みつけた。日菜姉さんのようなターコイスブルーの髪が大きく靡いた。彼女の目は、猛禽類のように鋭く私を縛り付けた。

 

「どうして貴女も私の真似をするの?!」

 

 突然発せられた大声に、鼓膜はおおきく震え上がった。

 

「いつもいつも! 日菜は私の真似しては追い越して、私から全部奪っていく! もうギターしかないの! 私にはギターしか残ってないのよ! なのに……今度は貴女がそれを奪うの……? 日菜から好かれて、それ以上を貴女は望むの? もう嫌よ、奪われるのは……」

 

 余りにも痛すぎる慟哭が8畳ほどの部屋を悲愴に染め上げた。その本心からの叫びは、どうしようもなく私を悲しくさせた。まるで彼女の都合の良いようにしか見られていなかったのだ。

 

 紗夜姉さんは、ギターをベッドの上に置いたかと思うと、突然バッと立ち上がった。そして、私を押しのけて、部屋から出て行ってしまった。また、静寂が、今度は違う部屋に訪れた。嫌な沈黙だった。ギターは、ベッドを軋ませてはくれなかった。

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