「好き」って言わないで。   作:ilru

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今日で第1話を投稿してから半年が経つらしいですね。そして、物語も漸く終わりを迎えます


「好き」って言わないで。

 静寂が部屋を包んでいた。主をなくした部屋が私を責めているような気がした。

 

 私はただ呆然とその場に立ち尽くしていた。虚無感だけが心を蝕んでいる。

 何が行けなかったんだろう。何処で彼女の琴線に触れてしまったんだろうか。そんな分かりきった問いばかりを頭の中で繰り返している。

 こんな時すら流れない涙が憎くて仕方がなかった。

 

「なんか凄い勢いでおねーちゃん出て行ったけど……」

 

 そう言いながら、日菜姉さんが部屋に入ってきた。

 

「……ごめんなさい」

 

 振り向いて、そう言った。

 

「何が……あったの?」

 

 今の一言で何があったか察したらしい日菜姉さんは、優しい笑みでゆっくりと私の方へ歩み寄ってくる。

 

「別に……いつも通り、私が失敗しただけですよ」

 

 乾いた、空っぽな笑い声が知らず知らずのうちに出ていて、耳が痛かった。

 

「詳しく聞いてもいい?」

 

 日菜姉さんが私を抱き寄せ、そっと頭を撫で始めた。空虚な心に日菜姉さんの愛が満たされていき、漸く一筋だけ涙が頬を伝った。

 

「……うん」

 

 数分程の出来事を彼女に全て伝えるのに、それ程時間はかからなかった。ゆっくりと、私は出来るだけ多くのことを思い出しながら、努めて客観的に日菜姉さんに事の顛末を伝えた。日菜姉さんはただ黙って、時々相槌をうちながら黙って私の髪を撫で続けてくれた。

 

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

 

 全てを伝え終えた後、沈黙を嫌うようにその言葉が何度も出てきた。

 

「うーちゃんは悪くないよ……だから謝らないで」

「でも……私のせいで……一緒にお祭り行けなくなっちゃったし……」

 

 そう、悪いのは私だ。私が下手に調子に乗らなければ、紗夜姉さんが家を飛び出すことも、日菜姉さんに心配させることもなかったんだから。

 

 一緒にお祭りに行けなくしてごめんなさい。貴女の大好きな日菜姉さんを悲しませてしまってごめんなさい。出来損ないの妹でごめんなさい。

 そんなどうしようもない謝罪を嗚咽と共に吐き出す。

 

「紗夜姉さん……どうしよ……」

「どうしようって仲直りするんじゃないの? あたしの時みたいに」

 

 沈んだ思いもある程度落ち着いてきた頃、溢れた問いに日菜姉さんがきょとんとした表情でそう返してきた。

 

「日菜姉さんの時は私の独り相撲みたいなものでしたからね。私からちゃんと向き合えば解決したんです。でも今回は逆なんですよ」

「でも仲直り出来るよ」

「どうしてです?」

「だってうーちゃん優しいじゃん」

「私が?」

 

 そう言って、日菜姉さんは天使のようににぱっと笑った。

 

「冗談はやめて下さい」

 

 ほんと、笑えない冗談だ。私が優しい? そんなことある筈がない。昔のトラウマに多少はマシになったとはいえ囚われたままだし、ちょっとしたことですぐ癇癪を起こすし、自分のことしか考えられない。そのくせ他人には自分を都合の良いように愛して欲しいと願っている、どうしようもないないエゴイストだ。そんな人間が優しいだなんて口が裂けても言えない。

 

「でも、ずっとあたし達のこと考えてくれてたじゃん。頑張ってあたし達と向き合おうって」

「それは私がそうしたいからやっていただけで、姉さん達が私をどう思ってたなんて全く考えてませんでした」

「それでも、誰かの事をずっと想い続けられるんだからそれは優しい人間だよ!」

 

 いくら否定しても、日菜姉さんは一貫として私を優しい人間と主張してくる。それがどうもむず痒くて、嬉しかったが、納得は出来なかった。だって、それは私にとっての『優しい』の定義とは違うから。

 

「でも、同情しか出来ないような人間が優しいなんてあるわけ無いじゃないですか」

「それを言ったらあたし非情な女になっちゃうんだけど」

「まぁ……ある意味では、そうですね……」

「そこは否定してよ!」

 

 一概に否定し切れないのが氷川日菜という少女なのだ。共感性なんて求めるだけ無駄だ。

 

「うーちゃんが共感できないと優しい人間とは呼べないっていうけど、それでも優しいよ、少なくともおねーちゃんには」

 

 少し弛緩した空気をまた張り戻すように、日菜姉さんは普段からは想像できないような真面目くさった表情でそう言った。

 

「まだ言いますか」

「だって本当にそう思うもん!」

「どうしてそう思うんです? 似てないでしょう、私と紗夜姉さん」

「ううん、似てる。すっごく」

「どこがですか?」

「どっちもあたしのことを避けつつもなんだかんだ好き、じゃない嫌ってないところとか、真面目なところとか」

「そこまで言ったら言い直さなくても良いですよ? でも共感が出来ない以上それは同情なんです」

 

 我ながらめんどくさいなって思う。それが同情か共感かは、詰まる所自分が、他人がどう思うか次第で、私がそう思えば私は紗夜姉さんに共感できる、優しい人間だ。

 でも、出来ない。勝手に知った気になって憐れまれるくらいなら、最初から無関心でいてくれた方が楽な事を、私は知っているから。そして、恐らく紗夜姉さんも。勿論これも想像でしかないんだけど。

 

「あーもう、これじゃキリがないよ!」

 

 終わりの見えない会話に会話に痺れを切らし、日菜姉さんは大きな声でそう叫んだ。

 

「兎に角、うーちゃんはおねーちゃんとどうしたい?」

「仲直りしたいです」

「じゃあちゃんとそう言わなきゃ」

「でも、私のせいで紗夜姉さんは飛び出していったわけですし」

「じゃあ尚更うーちゃんが行かなきゃ。大丈夫、仲直り出来るよ。あたしが保証する」

 

 そう言って、より一層強く抱きしめてくれた。根拠は何一つないけど、確かな自信が私の胸に灯ったような気がした。

 

「……よし、じゃあ行ってくる」

 

 日菜姉さんから離れる名残惜しいが、この火が消えてしまわぬ内に行かなければならない。最後にぎゅっと日菜姉さんの温かみを感じてから、長い間密着していた体を離す。

 

「あっできるだけ早く帰ってきてね。祭はもう無理かもしれないけど、花火なら家から見えるかもしれないじゃん」

 

 最後に、とびっきりの笑顔で手を振る日菜姉さんを尻目に、私は手を振り返しながら飛び出した。

 

 夏の夜は蒸し暑かった。雲の隙間から、月影が街灯の光と混ざり合って、木々の上を歩いていた。

 

 人通りは全くと言っていい程無く、暑いはずなのに何処か寒気がした。多分みんな祭の喧騒にその身を投じているのだろう。

 

 景色はタイムラプスのように流れていく。息はとうに上がりきっていて、肩と口を使って必死に酸素を送り込む。疲労は溜まっていくばかりだったが、間歇的に鳴る足音はその感覚をどんどん短くしている。

 

 何処にいるのかは、何となく分かっていた。紗夜姉さんが、少しでも私を、姉妹のことを思ってくれているなら、あの人はきっとあそこにいる。私達3人の想い出の場所に。

 

 道沿いに柵にように並ぶ街路樹が見えたところで、漸く歩き始める。息を整えて、入り口から中に入る。

 

 そこは公園だった。滑り台があって、降りた先には砂場がくっついていて、少し離れた所には雲梯が、ブランコがあって、少し広い以外は何の変哲も無い、ただの公園だった。そして、私達姉妹が唯一3人一緒に遊んだ、いつか夢にも出てきた公園。他に3人で遊べるような場所がなかっただけだが。

 

 真ん中に灯台のように灯る街灯の下にはベンチがある。そこにターコイズブルーの髪があるのを見て、思わず大きく息を吐き出す。

 

 ゆっくりと、彼女の元へと近づいていく。静寂を裂く足音が鼓膜に届く度に、手が汗ばんでいく。

 

「紗夜姉さん」

 

 あと一歩で彼女に触れる、それくらいの距離まで近づいてから私は声をかけた。後ろからでは彼女の顔色を窺えない。

 

 声をかけても、紗夜姉さんは微動だにせず、ずっと頭を下に向けていた。

 

「……憂月」

 

 長い、長い沈黙の果てに、姉さんはそれだけ言って、顔を上げた。

 

「……ッ!」

 

 彼女の目は赤く腫れていた。頰には涙が通った跡があって、街灯がそれを綺麗に浮かび上がらせている。

 

 どうしようなんて考える暇もなく、気づけば私は彼女の前に立ち、強く抱きしめた。

 

 もしかしたら嫌かもしれない。でも、今は日菜姉さんに言葉を信じよう。もし私が紗夜姉さんの立場なら、百の慰めよりも一つのハグの方が救われる。

 

 優しく、慈しむように紗夜姉さんの髪を撫でる。日菜姉さんとは違う、ラベンダーのような匂いが広がった。それを払いのけるように、力強く、でも柔らかな手付きで、繊細な髪に指を通し続ける。

 

 胸元で、わずかな振動を感じた。次いで、小さな嗚咽が夜の空気を震わせる。それが止んだのは、大体10分くらいした頃だった。紗夜姉さんが、弱々しい手付きで私を押し退けた。

 

「ごめんなさい」

 

 そう謝った紗夜姉さんは、何処か悲しげだった。

 

「いえ、落ち着いてくれてよかったです」

 

 そういえば自分から抱き締めたのは初めてだっけ、と胸元の温もりを名残惜しく思いながら、笑顔でそう返す。

 

 そこから少し沈黙が続いた。それを先に破ったのは紗夜姉さんだった。

 

「ずっと分からなかったの」

 

 震える声で彼女は話始めた。

 

「生まれた時から、日菜と比べられて。長女だから日菜に負けちゃいけないと思って努力しても、日菜は軽々と私を超えてきて。

 だから、貴女を見る度に何処か安心する自分がいて、それがとても許せなくて。

 本当はね、ずっと前から気づいていたのよ。日菜は、貴女は唯私と仲良くしたいだけだって。

 でも、日菜に嫉妬する自分が嫌いだった。貴女を見下してしまう自分が憎くて仕方がなかった。

 だから、貴女達を避けるようになったの。自分を守るように、自分の醜さを隠すように。

 そうしたらね、分からなくなっちゃったのよ。姉としての自分の在り方がどんなのだったか、どうして貴女達を避けているのか。

 逃げるように、ギターを始めたわ。そういえばまだ日菜はやってなかったなって。そして出来たら貴女といつかセッションできたら良いなって。本当に馬鹿よね。

 気づいた頃には、それが私の全てになってて、貴女と日菜は仲良くなってて。まるで私だけが取り残されたような気がしたの。

 だからつい貴女に強く当たってしまったの。私がずっと欲しかったものを手に入れた貴女が妬ましかった。そんな貴女が、姉の矜持を失って、ギターしかない私からそれすら奪う死神に見えた」

 

「ねえ、憂月」

 

 長い語らいの後に、一息ついてから、紗夜姉さんは私の名前を呼んだ。

 

「私は、どうすれば良かったのかしらね」

 

 そう言った彼女は、箒星のように儚げで、綺麗だった。一筋の涙が、また彼女の頰を撫でた。

 

「……私は、ずっと姉さん達が嫌いでした」

 

 彼女は本心を私に語ってくれた。なら、私も今までの思いを全力でぶつけなきゃ。そんな気がした。

 

「私は何をやっても人並みで、努力しても精々が二流でした。でも、姉さん達は私よりも少ない努力で軽々と1番になって、父さんや母さん、みんなの期待に応えてて。

 それを見る度に、どうして、同じ血を分けた姉妹なのに、私だけこんなにも出来損ないなんだろうって。私の何がいけなかったんだろうって。

 私を見る度に、周りの目が期待から失望に変わっていくのが辛くて。姉さん達さえいなければこんな惨めな思いをせずに済んだのにって、自然を姉さん達を恨むようになったんです。

 日菜姉さんが嫌いでした。彼女が私に話しかけてくる度に周りの視線が痛かったし、そんなことを気にしない日菜姉さんが鬱陶しくて、当然のように持つその才能が憎かったです。

 紗夜姉さんが嫌いでした。紗夜姉さんだって余りある才能を持っているのに、いつも苦しそうな顔をする貴女を殺してやりたいと何度も思いました。貴女が自分を能無しを言うになら、私は一体なんなんですか? 路傍の石ですか? 人間未満のゴミですか?」

 

 今まで長いこと塞ぎ込んできた憎悪を、濁流にように吐き出す。その全てを、紗夜姉さんは、顔を顰めながらも受け止めてくれた。

 

「でも、それじゃダメだって気づいたんです。

 姉さん達は何も悪くなくて、ただ出来るからやってるだけで、それを勝手に妬んで、憎んで避けてる自分が1番ダメだったんだって。

 だから、変わろうって決めたんです。今まで抱いた全ての感情を知らないふりして、ちゃんと姉さん達と向き合おうって。そして、一緒に笑い合うんだって。全然上手くできませんでしたけどね」

 

 そう言って、少し自虐気味に、でも朗らかに私は笑った。

 

「ずっとトラウマに縛られたままで、上手く抜け出せなくて、日菜姉さんにブチ切れちゃったんですよね。でも、そんな時に友達が助けてくれて……まだ出会って1日しか経ってなかったのにですよ。信じられます? でも、彼女は真摯に私の話を聞いて、受け入れてくれたんです。

 それで、変に自分を偽るよりも赤裸々になって、本当の自分をぶつけるべきだって気づいたんです。そうしたら日菜姉さんと仲直り出来ました。

 だから、紗夜姉さんもきっと私と、日菜姉さんとまた仲良く出来るはずです。出来損ないの私に出来て紗夜姉さんにできないわけないじゃないですか」

「本当に……そう思う?」

「はい。私を信じてください」

 

 数ヶ月前の私ならこんな言葉口が裂けても言えなかっただろうと思う。

 私自体は何も変わっていない。でも、確かに変われたのだ。上手く言葉にできないけど、そう思う。

 だから今度は、私が変える番だ。自信満々に胸を張って、私は紗夜姉さんに手を伸ばした。

 

「ありがとう、憂月」

 

 紗夜姉さんはそう言って、笑って私の手を取り立ち上がった。

 

「さぁ、そろそろ帰りましょうか。日菜も待ちくたびれているでしょうから」

「今ならまだ花火見れますかね?」

「見れるんじゃないかしら。でも、もし無理でも来年があるでしょう?」

「紗夜姉さんちゃんと日菜姉さんと仲直り出来ますか?」

「貴女に出来て私に出来ないことはないんでしょう?」

「っ!! そうでしたね!」

 

 紗夜姉さんの隣に立って、並んで帰路につきながらする会話。なんてことはない、普通に会話。それが堪らなく嬉しかった。

 

「あぁ、そうそう、憂月」

「はい、なんでしょう?」

 

 まるで犬のように心をウキウキさせながら、紗夜姉さんの返し待つ。

 

「何かお願いとかあるかしら?」

「お願いですか?」

「ええ、姉として私が出来ることはない?」

 

 咄嗟のことで最初は何も思い浮かばなかった。今とても幸せだし、もしかしたら無いかもと思ったが、一つだけあった。

 

 深呼吸をしてから、しっかり紗夜姉さんの目を見て、意を決して私は言った。

 

「『好き』って言わないでください」

 

 私は何も変わってないし、多分人は簡単に変われない。というか変わらない。だから、私は苦しめられたくない。苦しんでいる姿を、紗夜姉さんに見せたくない。

 

 好きって薄情だ。自分が今世紀最大の思いを込めても、相手には紙切れ程の価値しかないように、その言葉の重みは人によって大きく異なる。それが堪らなく嫌いだった。だから、私はずっと、愛が欲しかった。愛されたかった。誰にとっても不変で、同等以上の価値を持つ愛で満たされたかった。

 

 愛も好きも、結局自分がどう思うかで、どっちも同じじゃないかと思う。でも、それでも、私は愛してるって言われたかった。好きなんて言葉は大っ嫌いだ。

 だから、私は言わなくちゃいけなかった。例えそれが我儘で、酷く独善的なエゴだとしても、これが私を私たらしめる所以でもあるし、心からの本心なのだ。

 

 遠くで、花火が咲く音が聞こえた。空を見上げると、眩しいほどの月明かりが澄み切った夜空を照らしていた。




これでこの話は終わりです。これは余談なんですが、少し憂月について語らせてください。
まず、名前をつけるにあたって、他の人と同じように朝又は昼と夜両方にあるものを付けたくて、思いついたのが「月」でした。「憂」は、単に自分が好きな漢字をつけました。好きな理由は太宰治さんの優しい人云々の話なんですが、関係ないので割愛します。
次に、この話をどうしようかなと思った時、日菜を太陽、憂月を月、紗夜を夜と見立てた時に、月は太陽に照らされ、また夜は月に照らされる存在です。なので、憂月は日菜に救われて、紗夜は憂月に救われるような、そんなお話にしたかったんです。紆余曲折あって、途中で投げ出したりしましたが、なんとか達成できました。この後どうなり、どんな日々を過ごしたかは、全て読者の皆様にお任せします。

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