手短にシャワーを済ませリビングのソファに身を投げ出す。時刻は5時20分ほど。あと一時間ほどしたら親が起きてくるから部屋に戻るべきだろう。つけたテレビには最近のニュースが流れている。どうやら自殺した高校生についてらしい。
彼女はどういう思いで死を決意したのだろう。いじめたものへの憎悪を抱きながら死んだのか。それとも家族への先へ旅立つも申し訳無さを感じながら死んだのか。他人のことだ。どれだけ考えても同じ境遇に育っていない限りそれは想像の域を出ないし薄っぺらい同情でしかない。
でも、できることなら代わってあげたかった気持ちもなくはない。自分みたいな勝手に人間不信に陥っているようなどうしようもない人間がのうのうと日々を無駄にしていくくらいなら、名前すら知らない誰かの苦しみを肩代わりしてその人に幸せな人生を歩んでもらいたい。くだらない自己犠牲だ。こんなことをしてところで他人に押し付けてしまったという罪悪感しか生まれない。
でも、苦しみをひとつ知る度に、自分が徳の高い人間に近づいて行っているような気持ちになる。きっと本当に虐待やいじめに遭った人が聞いたら激怒すると思う。でもこれが私の本心だ。人の辛さを理解できない人間に人を救うことが果たしてできるだろうか。できないと思う。
「辛くなったらいつでも言いな。」、「まだ諦めるには早いよ。」、「まだ頑張ろう。」と中身のないありふれた一言しか言えないだろう。憂うことができない人間は、その同情の優しさが苦しみの淵に立っている人間を突き落とすのだ。
だから私は理解できるようになりたい。不謹慎は百も承知だ。でも、紙切れのような人間になりたくないのだ。悩んでいる人間がいたら、的確なアドバイスをしたい。絶望した人間がいるのなら、希望を与えられる一言を言いたい。同情ではなく共感ができる人間になりたいのだ。
恵まれた環境にいるのは自覚している。親に嬲り殴られているわけでもなく、学校で後ろ指を指されているわけでもない。したいことを好きなだけできている。だからこそ、この状況に甘えるのではなく、痛みを知り、重苦を知り、相手に寄り添えるような人間になりたい。
大した才能もなく、愛されることを忘れ、歪な性格をした何ひとつとして誇れるものを持たない自分がせめてものと掲げた信条だ。この志だけは絶対に曲げない。曲げるわけにはいかない。曲げてしまえば、自分は堕ちていく気がする。人間のゴミとして生きることになる。嫉妬と羨望と猜疑心に満ちた醜い過去を持っているのだ。志くらいはせめて胸を張れるくらい崇高なものであるべきだ。
自分は果たして愛されているのか、ふと疑問に思った。日菜姉さんには多分愛されていると思う。自分が日菜姉さんに怒鳴ってしまった日からかれこれ3年ほど経つが未だになんとかよりを戻そうと色々してくれている。普通はくだらない意地を張り続けている人間など諦めているだろう。まして日菜姉さんだ。自分に興味を失って無関心になってもおかしくない。それでもこうして逃げ続けているが構ってくれている分少なくとも嫌われてはいないはずだ。
紗夜姉さんも自分が勝手に嫌っていただけだ。日菜姉さんに失望されて精神的にやばかった時に八つ当たりをしていただけだ。今はもう紗夜姉さんに嫉妬もしていなければ憎たらしい視線も送っていない。ただ、自分が嫌っていたのが紗夜姉さんにも伝わって変に避けられてしまって余所余所しい雰囲気になっているのであまり会話はしていない。できることなら日菜姉さんと同じようにまた仲良くなりたいものだ。自分のこれからの行動次第だが、日菜姉さんのようにトラウマがない分まだ復縁の可能性は高い。
日菜姉さんはあの日が原因で自分に対してじゃなくても「好き」という言葉を彼女の口から聞いた瞬間遊んでもらっていた幸せな日々とそのあとの失望の眼差しがセットで襲いかかってくる。あの軽蔑の目がトラウマとなっていて、好かれたらその分後で期待に応えきれなかった時の視線に込められる侮蔑の感情が大きくなって自分に襲いかかる気がして上手く接することができないのだ。
なにも日菜姉さんが悪いわけじゃない。紗夜姉さんも自分を見下すかもしれないし実は自分が過度に恐れすぎているだけで大丈夫なのかもしれない。たまたま日菜姉さんがトラウマの原因となっただけだ。自分が過去に打ち克つことが出来れば問題ないだろう。日菜姉さんは構ってくれるのでチャンスも多い。紗夜姉さんよりもハードルは高いが不可能ではない。
なら、親はどうだろう。叱られた記憶もなければ、暴力を振るわれているわけでもない。食事も出してくれるし、お小遣いもくれる。ただ、そこに笑顔はないだけだ。そりゃそうだ。なにも恩返しできない娘に愛想よく笑い続けろっていうのが無理な話だ。完璧すぎるくらいにできた姉が既に二人いるのだからそちらに愛を送ってくれと私も思う。
その考えで行くと、私は親にあまり愛されていないという結論に達するが、別に悲しくはない。そもそも最初からあまり愛されていなかったのだ。生まれた瞬間あたりは私の誕生に喜んだかもしれないが、覚えていない以上そんなもの私の中ではないに等しい。元から親の愛情を受けていないのだからあった時の気持ちなんて知らないからなんとも思わない。
階段から誰かが降りてくる音がする。壁に掛けられた時計を見ると針は両方とも六を示していた。どうやら考えに熱中するあまり時間を確認するのが疎かになってしまっていたらしい。この時間なら多分親だ。別に嫌われているわけでもなく、ただただお互いに不干渉なだけなので一緒にいても問題ないが二人きりで一言もしゃべらずにいるのは精神的にくるものがあるのでおとなしく部屋に退散させてもらうとしよう。でも、階段を降りてきた人物は、私の予想どおりではなくなんなら意外とすら言いたくなるような人だった。
「日菜姉さん、どうしてこんな時間に。」
日菜姉さんは基本的に自由人だ。さすがに昼まで寝ていることはあまりないが、かといっていつもはもう少し遅い時間に起きているはずだ。
「憂月がなんとなく起きてる気がしたからきたの。最近まともに話してくれないし。」
「それは、その、すみません。」
自分の心が弱いばかりに、日菜姉さんに迷惑をかけてしまった。でも、日菜姉さんには嫌われたくないが、過度に好かれたくもない。
いや、それは自分の身を守るためでしかない。自分が好きだから、嫌われたくないし、自分が壊れるのが怖いから、好かれたくもない。なんて自分よがりな考えなんだろう。
もし本当にもう一度関係をやり直したいのなら、日菜姉さんを信じて自分から歩みこむべきなのに。結局、変わりたいだなんて口では言いながら、3年前と何一つ変わってない、逃げ続けている自分に嫌気が指す。
「ううん、別に謝って欲しいわけじゃないんだ。今回はお願いがあってきたの。」
「お願い、ですか?」
「うん、お願い。」
自虐に陥っていたところで日菜姉さんに声がして意識をそちらに集中させる。お願いとは一体なんだろうか。わざわざこの時間に頼まなければいけないほど重要なものなのだろうかとも思ったが、自分が基本鍵をかけて部屋にこもっているのを思い出して、こうした不意をついた形でなければ自分に頼みごとなんて中々できないなと気付いた。
次からは日菜姉さんの手を煩わせないためにも部屋の鍵を閉めないか基本リビングで過ごすようにしよう。日菜姉さんの目からは絶対に言うんだという強い気持ちを感じる。
出来ればそんな感情で見ないで欲しい。自分は、その瞳を向けられるほどの価値を持った人間ではないのだから。その心意気は紗夜姉さんに向けるべきだろう。自分なんかパシリを頼む程度の軽い気持ちで十分だ。
「憂月、今日1日暇?」
「へ、あ、うん、暇だけど。」
「じゃあ今日1日、私の買い物に付き合って欲しいんだけど、いいかな?」
断ろう、と即座に思った。日菜姉さんと一緒に1日を過ごすのはいくらなんでもキツすぎる。こっちが勝手にトラウマを抱えて想像でしかない日菜姉さんに怯えているだけなのだが、一緒に過ごすことでそれが現実に変わる可能性が飛躍する。
だから「ごめんなさい。今日は無理です。代わりに紗夜姉さんを誘ってみたら如何ですか?」と言おうとして喉まで出かかった時に、もう1人の自分が声を上げた気がした。
─変わるんじゃなかったのか。自分から逃げないんじゃなかったのか。そうやってまた、自分を甘やかし続けるのか。日菜姉さんが今まで私を誘うことなどあったか?なかっただろう。私はまた日菜姉さんの優しさを無に帰すのか。これを逃したら、二度と仲直り出来ないかもしれないぞ。
そうだ。私は変わらなければならない。今までの弱い自分と訣別するんだ。特に何かきっかけがあったわけじゃない。強いて言うなら、日菜姉さんがいつもより早く起きたから。でも今が1日踏み出す時だ。今こそこの影のようなどす黒い負の感情の渦から逃げ出す時だ。直感でそう感じた。
だから、私は返事をした。これから一緒に1日を過ごすため、出来るだけ不快な感情を与えないよう細心の注意を払って持ち得る限りの満面の笑みで、明るい声でこう言った。
「良いですよ。行きましょう、日菜姉さん。」
窓から、太陽の日差しがカーテンの隙間を通り抜け、リビングを心地良く光につつんでいた。
今更ですけど簡単なプロフィール。キャラを固めるための下書きみたいなものでしたので伏線とかストーリーに直接関係する設定などはありません。
氷川 憂月(ひかわ うづき)/あだ名:うーちゃん(日菜命名)
誕生日:12月25日
身長:153cm
体重:秘密だぞ☆
好きな食べ物:ガム、キャンディ、ジャンクフード
嫌いな食べ物:骨つきの魚料理
学年:高校1年生(氷川姉妹高校二年生の時)
趣味:キーボード、読書、音楽鑑賞