本屋の袋を片手に、街灯で照らされた道を我武者羅に走り続ける。時々本の角が脇腹や太腿に当たったが痛みを感じるほど余裕は無かった。行く当てなんてものはないがただ走り続けるしかなかった。風と共にこの罪悪感を振り払いたかった。
多分、本気で自分を殺したくなったのは後にも先にもこの時だけだと思う。遂にやってしまったのだ。ついに、全てを失った。自分のせいで、日菜姉さんに傷を負わせてしまった。自分が耐えていれば、そのまま幸せに関係を修復できたのに、自分の心がそれに能わなかったがばかりに、時間の経過が勝手に心を強くすると思い上がった愚かな自分の軽率な行動が、より大きな溝を作った。自分がどうなろうがどうでも良かった。ただ、日菜姉さんさえ笑顔でいてくれれば良かったはずなのに。それが今はどうだ。自分を守るために日菜姉さんを攻撃した。滑稽だ。実に実に実に滑稽だ。結局私は口先だけの女だったのだ。日菜姉さんのためならとか言いながら、自分の利になることしかしなかった。日菜姉さんの善意を自分の都合のいいように解釈し続けた。そして最後には悲劇のヒロイン面だ。
何が、私に近寄らないでだ。自分にはトラウマがあるのだと言い訳をして避けて、日菜姉さんから寄って来ることで自分は愛されていると思いたかっただけだろうに。
何が、私に優しくして期待させて失望するんでしょ、だ。日菜姉さんの優しさには何一つ邪な感情は入っていない。良くも悪くもあの人は裏表無く人に接する。嫌なことは嫌とはっきり言うし、好意もストレートに相手に伝える。私がその優しさに甘えて勝手に自分のエゴを押し付けていただけだ。「私を愛してくれて嫌なこと1つ言わない氷川日菜」を自分が勝手に作り上げたのだ。そして現実がそれを潰しにかかるとヒステリーのように泣き叫んで攻撃する。失望したのは日菜姉さんじゃない、私の方だ。私が現実を、本当の日菜姉さんを受け入れる心を持っていないから、自分から突き放したのだ。本物を見たくないから。自分の作り上げた、自分に都合のいい「氷川日菜」に縋っていたいから。
いや、違う。私は悪くない。日菜姉さんがあんな事を聞くから。あんな顔で質問するから。どうしてあんな事を聞くのだ。私にとってタブーであることくらいわかるだろう。どうしてあの人はいつも空気が読めないんだ。天才だからか。人と違う感性を持っているからか。それならわざとじゃないから人を傷つけても仕方ないよねってことか。巫山戯るな。冗談じゃない。それは甘えだろ。天才だから読めないんだと、今の自分に甘えているだけだ。私とまた仲良くなりたいのならそれくらい分かってもらわないと困る。
腐った頭がよく吠える。どれだけ日菜姉さんを悪く言おうが、それは全部自分に当てはまることでもあるのだから。天才だから空気が読めない事に甘えているのなら、私だってトラウマを理由に過去に囚われる事を受け入れている。
真逆の2つの考え方が巣食う脳内を必死に押さえつけるために、体を動かし続ける。どのみち今はどれだけ考えたところでまともな答えは1つも出てこないだろう。なら、何も考えられなくなるまで走り続けて、眠ってしまおう。寝る場所は…まぁ、公園で大丈夫か。今日はだいぶ暑かったし、多分1日くらい野宿してもどうにかなるはずだ。幸い明日は日曜日だ。起きたら頭を冷やして、そしてこれからどうすべき自分が納得できるまで考え続け、家に帰る。取り敢えず日菜姉さんには絶対に謝ろう。私が感情に走ったせいで日菜姉さんを傷つけたのは紛れも無い事実だ。それで罵倒されようが誹謗中傷を受けようがそれは自分が招いた事だから甘んじて受け入れよう。
ふと、視界の端に遊具があることに気づいた。足を止め、そこに向かってゆっくりと足を運ぶ。どうやらこの公園は私が今日の朝夢で見た公園のようだ。まだあの夢を見てから1日も経ってないのにもう随分と昔のことのように思える。郷愁に浸りながら、ブランコまでほとんど無意識に歩を進める。懐かしげに手で座るところを摩ったとのちに、ゆっくりを腰掛ける。
ぼーっと、何の考えずにブランコを漕ぎ続ける。特に意味はない。強いて言うなら思い出の中の日菜姉さんと同じことをする事で、少しでも彼女に近づこうとしているのかもしれない。もしくは、誰かに認めて欲しいのかもしれない。かつて私がしていたように、無条件の肯定を得ることに憧れているのかもしれない。紗夜姉さんと日菜姉さんという比較対象がいたせいで、私がどれだけ頑張っても、その努力が正当に見られることは無かった。だから、いつ頃からか、承認欲求が常に胸の中にあった。自分を見て欲しかった。結果じゃなくて過程を見て欲しかった。自分を唯一見てくれていた人すら今はもういないけど、それもこの気持ちはずっと私の胸内を燻っている。
ずっと漕ぎ続けていると、揺りかごに中にいるような気分になり、走っていた疲労も相まってか、徐々に眠気を感じてきた。ブランコを降りて、近くにあったベンチに横になる。昼間に買った「黒死館殺人事件」を枕がわりにし、いざ夢の世界へ誘われようとした時、聞き慣れない声が聞こえた。
「おい、嬢ちゃん。」
横たえた体を持ち上げ、微睡みに浸りかけた頭を必死に回転され、相手の姿を確認する。パーマのかかっていて先端だけが金に近い茶色に染められている。いかつい顔立ちに丸の形をしたグラサンをかけ、無精髭を生やしている。浅黒い肌をしており、服は大胆に胸元を開けた赤のシャツに黒のコート、ジーンズに革のたかそうな靴を履いている。どういう目的だろうか。普通なら公園で野宿しようとしている人をやめさせようとするのだろうが、見た目的に違う気がする。かといってナンパかというと、可能性はなくは無いがストライクゾーンを外れてそうなのでこれも違うと信じたい。
「そんなところで寝てたら風邪引くぞ。俺がいい場所に連れて行ってやるから付いて来い。」
どうやらナンパの方らしい。人は見かけに寄らないらしい。この人絶対に同い年か年上好きだと思ったのに。
「お断りします。どうせラブホでしょう?それなら小遣い目当てで援交したがってるやつとシて来てください。」
「おいおい、そんな固いこと言うなよ。誰がお前さんをラブホに連れて行くって言ったんだよ。」
「その見た目が物語ってますけど。ラブホじゃなくてもナンパは間に合ってますんでどうぞお引き取り下さい。」
「まぁまぁ少しお茶でもしに行こうや。」
「嫌です。眠いんですよ。帰って下さい。」
「いいじゃねぇかよ。」
しつこい。こっちは嫌だって断っているのにずっと粘ってくるし距離も気づいたら話しかけられた時の半分以上の距離になっている。後ろに下がろうにもこっちはベンチに座っている以上下がれない。
「俺はな、あんたに一目惚れしたんだ。惚れた相手と一緒にいたいと思うのは自然だろう。」
「もしそれが告白なら返事はノーです。あんたみたいなヤリ◯ン野郎みたいな見た目してるやつと交際なんてお断りです。」
どれだけ突き放そうとしても詰め寄ってくる。日菜姉さんの方がまだ可愛げがあったぞこれ。ついにはベンチの隣に腰掛けられた。立ち上がって逃げようとしたが、手首を掴まれ強制的に座らされて、太腿をさすりながら詰め寄ってくる。というかキモい。お前がキャバ嬢に詰め寄るおっさんかよ。
「まぁいいじゃねぇか。俺と一緒に熱い夜でも過ごしてみねぇか?」
「やっぱりヤるのが目的なんじゃ無いですか。嫌ですよ青姦なんて。私そんな特殊な性癖持ってないですからね!」
「あぁもう黙ってヤらせろやお前!」
ついに痺れを切らしたのか、乱暴にベンチに押し倒される。肩や背中、後頭部を勢い良くぶつけたが、私を犯そうとする目の前のやつに抵抗のに精一杯でそんなことを気にしていられない。距離を離そうと力一杯相手を押すが、相手はいかつい男で私は筋トレや運動に縁の無い女子高生、力の差は歴然。抵抗しようと努めても大した意味もなく、来ていたTシャツは前を乱雑に破られて下着が丸出しになり、下はスカートの中に手を入れ、パンツをこれも乱暴に脱がされた。
「なんだ?黒とか誘ってんのかお前?」
「黒色が好きなだけです。誰があんたを誘うんですかこのイカレチ◯コ。」
「んだとオラァ!犯されてぇのかお前⁈」
「誰かー!助けてー!」
「黙っとけお前!」
「カハッ、ゴホッ、カッ!」
せめてもの抵抗のつもりで出来る限り暴言を吐く。押し倒して強引に私のヴァギナに指を入れようとするのを足を閉じたり体をくねらしたり相手の手首を抑えたりしながら助けを呼ぶ。しかしそのせいで片手で首を掴まれ、うまく呼吸が出来なくなる。指がヴァギナに触れる。気持ち悪い。気持ち悪い気持ち悪い。まるで蛆虫が身体中を這っているような悪寒に晒される。
「いやぁ!やめて!お願い!誰か!助けっケホッ!」
「恨むんならここで俺に出会ったことを恨むんだな。」
勝利を確信したかのようにニヤニヤとゲスな顔を浮かべながら男はそう言った。抵抗しようと必死に体をくねらそうするが、ライブハウスからここまでぶっ通しで走っていたのが祟って上手く力が入らない。もうこれ以上は無理だ。なおもきつく締められる首と鼠蹊部からヴァギナの周りを摩る吐き気を催すほど気色の悪い感触を感じながらそう悟った。これがきっと私の罰なのだろう。今までの罪深き行動を償い時がきたのだろう。日菜姉さんを悲しませ、優しさを裏切ったツケが回って来たのだ。
でも、だからって、これは幾ら何でもあんまりじゃ無いか。私だって望んで裏切ったわけじゃ無い。好き好んで日菜姉さんを悲しませたわけじゃ無い。私は変わろうとしたのだ。今までの自分と決別し、自分から幸せを掴もうと不相応ながらも願って、頑張ったのだ。
私はただ、日菜姉さんと紗夜姉さんから愛されたかっただけなのに。なのに、神は私にこんな仕打ちを下すのか。私には変化を、進歩を願うことすら烏滸がましいと言うのか。お前に幸せなど似合わないとでも言うのか。
巫山戯るな。巫山戯るな巫山戯るな巫山戯るな。
涙で頰を濡らしながら、最後の抵抗で男を強く睨む。
「あぁ?なんだよその目は?お前は、大人しく俺に犯されてりゃいいんだよ!」
ヴァギナに入りかけていた指を引っ込め、拳を上げ、私の顔に向かって振り落とされそうになり、もうダメだと思った時、救いの声が聞こえた。
「ちょっとあんた!こんなところで何やってんの!」
「お巡りさ〜ん!こっちで強姦しようとしてる人がいますよ〜。」
「チッ、もう少しだったのに。命拾いしたな、嬢ちゃん。」
舌打ちをしながら私から離れ、そのまま遠くの方へ走っていった男を見ながら、何が起きたか分からず呆然としていたところに、先程助けてくれた少女たちが寄って来た。
「いや〜危機一髪でしたな〜。」
「ねぇ!あんた!大丈夫⁈」
「え?あ、あぁ…」
「ちょっ、あんた!ねぇ!⁈」
「ん?およよ、これはしっかり寝てしまってますなぁ〜。」
「呑気なこと言ってないでどうすんのよ、これ。」
危機を去ったことによる安堵感、はたまた今までの疲れと眠気が襲ってきたのか、それともその両方なのかよく分からないが、私を助けてくれた彼女達の会話を最後に私の意識は急速に遠退いていった。