「好き」って言わないで。   作:ilru

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「私は貴方が嫌いです。」消えたんですって。ショック。マジでショック。自分は親切な人がくれました。あの人には本当に感謝しかない。一生ついてく。もし保存できなかったらめげずにツイッターで聞き回りましょう。
blackbird書こうと思ってたけどこの1年くらいは消えないだろう悲しみをこれ書くことで紛らわそうと思います。珍しくほぼ日常というか闇が少ない回です。多分これだけかな?


消えないで。

 懐かしい香りがした。シトラスの香りだ。日菜姉さんの甘い、太陽のような匂い。昔は良く嗅いだ匂いだ。と言うのも、日菜姉さんがよく人に抱きつく癖があったので、否応にも鼻に入った。

 

 優しい感触がした。柔らかい人肌だ。日菜姉さんの心地良い、木漏れ日のような感触。昔は良く感じた感触だ。重ね重ね言うが、日菜姉さんに抱きつく癖があったから。

 

 きっとこれは夢なのだろう。覚束ない思考で、それを確信する。自分から日菜姉さんを捨てたはずなのに、未練たらしく捨てきれなかった心の残滓がこの夢を見せているんだろう。

 

 きっと夢だ。夢じゃなきゃあり得ない。だからこそ、強く、その温もりのする方へ動く。抱き寄せる。必死に掴みとろうとする。泡沫の夢で終わらせないために。強く、強く。

 

 せめて、夢だけは、夢の中ぐらいはこの感覚に沈んでいたい。やがて、消えてしまうから。醒めない夢など決してないと分かっているから。今だけ、どうか今だけは、私に幸せを下さい。

 

 微かに、消えゆくものを感じた。嫌だ。やめて。消えないで。離れないで。まだ足りない。溺れ足りない。まだ感じていたい。もっとこの世界にいたい。まだこの幸せに微睡んでいたい。お願い。まだ、醒めないで。消えないで。

 

 ▼ ▽ ▼

 

 ゆっくりと目を開ける。覚醒する思考と共に猛烈な喪失感に襲われる。もう一度寝れば、またあの夢を見れるのではないか、未練がましくそう思うが、周りを見渡したところここは私の知らないところだ。知らない顔もある。知らない人の前で二度寝するのは流石に無礼がすぎるだろう。

 

「ねぇ、あんた、大丈夫?」

「何がですか?」

 

 顔は知らないのに、声はやけに聞いた気がする少女が私にそう問うてきた。

 

「いや、泣いてるから。」

「え?」

 

 頰を摩る。今まで感じなかった何かが指先にあたる。手を目の前に移動させ、じっとその摩った指を見る。指先は、窓から差し込む太陽の陽の反射して夢のようにキラキラと輝いていた。慈しむようにしばらく眺めてから、視線を名前の知らない少女に向ける。

 

「えっと、ここはどこでしょうか?」

「あんた、覚えてないの?公園で男に襲われて、あたしとモカが助けたら急に寝ちゃったのよ。ここはあたしの家。」

 

 そうだ。思い出した。日菜姉さんに怒鳴り散らした後、走りまくってヘトヘトになって公園で寝ようとしていたところを襲われたんだ。後一歩遅れていたらと想像したらぶるっと寒気がする。

 

「危ないところを助けていただきありがとうございました。えっと…」

「蘭。美竹、蘭。」

「…蘭さん、ですね。もう1人いた友達の方は?」

「モカ、青葉モカって言うの。」

「モカさんですね。えっと、それでそのモカさ…」

「ねぇ。」

「はい?」

「その敬語やめない?私たち歳近いだろうし。」

 

 長い間敬語で話してきたから外せと言われてもそうそう簡単に外せるものではないのだが、言ってきたということは嫌なのだろう。敬語のこのよそよそしい感じが。

 

「癖みたいなものなんですけど、はい。いや、うん、努力はする。」

「ありがとう。それで、モカが何?」

「ああ、うん。その、モカさんにもお礼を言いたいんだけど、どこにいる?」

「今日午後からバンドの練習行くけど付いていく?」

「バンド?」

「そう。Afterglowってバンドやってるの。私はボーカル兼リズムギター。」

「へーそれはすごい。」

 

 ギターなんかコードを正しく鳴らすだけでもちゃんと押さえたり鳴らさない音はミュートしたりで大変そうなのにそれを高速で何度も形を変えて色々なコードを鳴らしながら歌っているなんて尊敬の念しか湧いてこない。

 

「それで、付いてくるの?来ないの?」

「え、あ、うん。行く。付いて行く。」

「そ。ならなんか食べに下降りよう。何も食べてないでしょう?」

 

 タイミング良く、腹の虫がぐ〜と鳴った。恥ずかしい。手で顔を隠しながら、蘭さんの顔をチラッと見る。赤のメッシュを指でいじりながら苦笑いを浮かべていた。

 

 ▼ ▽ ▼

 

「ねぇ」

「はい?」

「あんた、なんであんな場所にいたの?」

「あんな場所、か…」

 

 現在、私は美竹家のダイニングで朝食兼昼食みたいなものを食べている。蘭さんもどうやら私が目覚めるのを待っていたため、まだ食べていなかったらしい。律儀、というか申し訳ないなと思いつつ、出された味噌汁や焼き鮭など絵に描いたような和食を頬張っていたら、蘭さんがそう聞いてきた。

 

「姉と喧嘩してね…私が悪いんだけど、逆ギレみたいなことをしちゃって、家に帰りたくないから公園で寝ようと思ってたらああなったの…」

 

 細部を隠しながら事実を告げる。出会って間もない人に他人の姉妹喧嘩に巻き込むわけにもいかない。

 

「その…なんで喧嘩したの?」

「別に、大したことじゃないよ。少なくとも出会ってすぐの人に開けっぴろげに話さなきゃいけなくなるほどじゃ。」

「…そう。」

 

 蘭さんが少し唇を噛んだ。しまった。これではかなり皮肉をきかせて言っているではないか。親身になって聞いてくれているのに、無意識に突き放している。まぁ、本心でもあるのだが。流石にこんな醜い一人相撲じみた何かは人に聞かせるものじゃない。どのように伝えても、結局自分が変わることでしか解決しないのだから。

 

 思考を切り替える。少なくとも今日一日は蘭さんと一緒に行動するのだ。早々に不機嫌になられたら非常に気不味い。せめて会ったこともないが他の人がいるバンドの練習までは蘭さんの機嫌を直してもらわなければ。

 

「そう言えばさ!蘭さんはなんでバンドやってるの?」

 

 出来る限り明るい声と笑顔で、話をそらそうとする。喧嘩の話は相手を貶めない限り笑い声すら生まれない。その笑い声すら下衆なものだが。

 

「その蘭さん、って呼ぶのやめたら言ってあげてもいいよ。」

「うぐっ、じゃあなんて呼べと…」

「普通に蘭でいいじゃん。」

「それはハードル高いよ…」

「じゃあ好きに呼べば?」

「蘭さんで。」

「却下。」

「ふぇぇ…」

 

 日菜姉さん然り、紗夜姉さん然り、父さん母さん然り、誰かを呼ぶとき、常に「さん」をつけてきたため、人をそれ以外にどう呼べばいいのか分からない。というかこれが付かないと馴れ馴れしくないかな、とか気持ち悪くないかな、とか色々不安になるので「さん」付で呼ぶのは私の精神衛生上1番健全なのだが、どうやら蘭さんのお気に召さなかったらしい。そもそも同年代の友達があまりいなかったからこういう時どう呼んだり接したらいいのかイマイチよく分からない。とりあえず敬語はアウトなのだろう。

 

「じゃあ蘭様は?」

「あんたは私をなんだと思ってるの?」

「危機を救ってくれた女神様。」

「モカが聞いたら喜びそう。」

「じゃそれで良い?」

「却下。外でそう呼ばれるのは恥ずかしい。」

「えーじゃあ…」

 

 蘭殿、はふざけすぎか。蘭、呼び捨てはなんか生意気というか偉そうというかなんか嫌な気がするから違う。なんて呼ぼう。少し恥ずかしいけどこれで呼ぶか。

 

「蘭ちゃん。」

「ちゃっ!」

 

 おお、照れてる照れてる。あの人形みたいに仏頂面だった顔が珍しく崩れた。素早くポケットに手を突っ込むが、携帯がないことが判明し、仕方なく写真に撮ることを断念する。残念だ。会ったらモカさんかバンドの人に見せようと思ったのに。

 

「それで、蘭ちゃんって呼べば良い?」

「あ、うん。あんたが恥ずかしくないならそれで良いや。じゃあなんであたし達がバンドを始めたか、だったっけ?」

「え?あ、うん。」

 

 話を逸らすのに必死過ぎて思わず忘れていた。

 

「あたしたち、Afterglowの5人は幼馴染なんだ。小さい頃から、ずっと一緒だった。小学校も、6年間ずっと同じクラスだったんだ。」

「へぇ〜そりゃすごい。」

「でしょ。」

 

 少し憂いを帯びた顔ではにかみながら、蘭ちゃんがそう返してくれた。1人ならまだしも5人も6年間ずっと一緒だったとは一体どれほどの確率なのか。もしかしたら宝くじが当たるよりも高いかもしれない。流石にないかもしれないが。

 

「でもね、中学の時に私だけ違うクラスになっちゃった時があったんだ。」

「ありゃりゃ、そりゃ災難だったね。」

 

 私は学校では基本ずっと1人なのでその気持ちは分からないが、多分私は小学生の時日菜姉さんが家に突発的天体観測に行って帰ってこなかった時と同じ感じだろうか。なら確かに、それは寂しかっただろう。今まで当たり前のように隣にいた人が急にいなくなるのだ。仕方ないとはいえさぞ心細かっただろう。

 

「その時にさ、つぐみ、バンドのキーボードの子がね、バンドしようって言ってくれたんだ。あたし達の居場所を作るために。」

「へぇ〜。思ってたよりも良い話だね。」

「どんなのを想像してたのよ。」

「普通に軽音部で組んだのかと。中学からってことは割と長い間やってるんだね。」

「まぁね。オリジナル曲とか作り出したのは最近だけど。」

「いつか聞かせてよ。」

「今日練習で見れるよ。」

「本当?そりゃ楽しみだ。」

 

 蘭ちゃんは友達に恵まれたのだろう。幼馴染でも普通はそこまでしない。私だったら自然消滅してるだろう。それほど、彼女は幼馴染から必要とされていたのだろう。大切にされていたのだろう。筋違いな嫉妬を僅かに抱きながら、それからは世間話をしながら食べ続けた。大半は私の持ち物がどうなったかなのだが。衣類は完全にダメになっていたが、服を見るたびにあの恥辱を思い出しそうで嫌なのでそれはそれで良かったかもしれない。財布や本などの貴重品は無事だった。

 

 ▼      ▽     ▼

 

「ごめんね、服まで借りて。」

「良いよ、返してくれるなら。」

 

 蘭ちゃんと一緒に商店街を横切る。どうやら先の話でも出てきたつぐみさんの家で合流してからスタジオに行くらしい。

 

「そういえばお礼の品って何持っていけば良いんだろう。」

「モカだからそこのパン屋さんでいいんじゃない?」

「そんなんで良いの?」

「モカだから。」

 

 悩んでいると蘭ちゃん前方を指差しながら答えてくれた。指の先を見ると、「山吹ベーカリー」というパン屋さんがあった。中に入ると、特徴的な銀髪が目に入った。

 

「およ?」

「あっモカ、いたんだ。」

「モカちゃんはどこにでもいるよ〜。」

「モカさん、昨日は助けていただきありがとうございました。」

「いえいえ〜。無事で良かったよ〜。それよりも蘭と熱い夜を過ごせた〜?」

「ちょっ、モカ!」

 

 うん、中々に独特な人だ。まず銀髪ってどういう遺伝子を組み合わせたらそうなるのか、ハーフなのか?

 飄々とした雰囲気に蘭ちゃんを揶揄っているところから恐らくムードメーカーかそれに近いボケ担当みたいなポジションなのだろう。

 

「お礼にここのパンを奢りますよ。」

「えっ、本当に〜?」

 

 モカさんが丸で念願のおもちゃを与えられた子供のように目をキラキラと輝かせながら確認してきた。

 

「あんた、財布の中消し飛ぶよ。」

「えっそんなに。じゃあやっぱり2、3個で。」

「チェ〜。まぁいいか〜。」

 

 そう言いながら自分のトレイに次々とパンを乗せていく。その数は軽く10を超え、もはやパンの山だった。

 

「あの、私奢るんですよ?」

「大丈夫。いつもこのくらい食べてるから。なんなら今日はちょっと少なめかな。」

「え?本当ですか?」

「ふふふ〜本当なのだよ〜。」

「お金は?」

「ポイントカードで払ってるから大丈夫〜。じゃあこれとこれを奢ってくれない?」

「あっはい。分かりました。」

 

 私のトレイにうさぎのしっぽパンとメロンパンを乗せてきた。

 せっかくだし自分も何か買っていこうと、パンが並んでいる棚を吟味する。もっとも、ピークが過ぎているのとモカさんのせいでほとんどないのだが。

 

「本当はチョココロネがおススメなんだけどねぇ〜、今はないから〜、このアンパンなんかはどう?」

「じゃぁそれにします。」

 

 手早くメタリカあんぱんという名前のアンパンをトレイに乗せてもういいかと思い、レジに向かう。

 

「お会計お願いします。」

「あっ君もしかして初めて?」

「はい。そうですけど。」

「じゃあ特別に一個おまけしてあげる。」

「えっいいんですか?」

「いいのいいの、こっちはモカで潤ってるし、これからもご贔屓してしてくれれば。」

「そういうことなら週一でいきますね。」

「おっ言ったねぇ〜。待ってるよ。はいこれお釣り。」

「ありがとうございます。じゃあまた来週。」

「またね。」

 

 レジにいたローズマリーの髪をポニーテールにしたおそらく同年代であろう少女と軽く会話を交わしながら会計を済まし、先に外に出て蘭ちゃんとモカさんを待つ。そういえばレジの人の名前聞くの忘れてた。その内蘭ちゃんに聞こう。

 

「モカ、あんたそれ本当に練習前に食べるの?」

「ん〜はんぶん食べて〜残りは練習後かな〜。」

「それで晩御飯も食べるんでしょ。なんで太らないの。」

「それはもちろん、ひーちゃんに送ってるからだよ〜。」

 

 軽口を叩きながら蘭ちゃんとモカさんが出てきた。

 

「終わった?ならつぐみさんのところに行きたいんだけどどこにあるの、蘭ちゃん?」

「どこも何もすぐ目の前だよ。」

「いや、羽沢珈琲店なのか北沢精肉店なのか分かんないんだけど。」

「そういえばつぐみの苗字言ってなかったね。こっちだよ。」

 

 そう言って、羽沢珈琲店の方へ足を進める蘭ちゃんを追いかける。

 

「あっ、蘭ちゃん、モカちゃん、いらっしゃい!」

「もう〜蘭遅〜い!ケーキ二個も食べちゃったじゃん!」

「おっモカと一緒に来たのか。」

 

 喫茶店の奥の方から蘭ちゃんとモカさんを呼ぶ声が聞こえ蘭ちゃんの後ろで影を隠しながらちらりと声のする方へ視線を向ける。肩口あたりに切り揃えた茶髪の女の子に、胸囲のインパクトがすごい先ほどの発言からおそらくスイーツが好きな桃色の髪の女の子、そしてスレンダーな身体つきをした多分高身長の長い赤い髪をストレートに下ろした少女がいる。この三人が残りのafterglowのメンバーなのだろう。それにしても髪の色が謎だ。桃色に赤色は地毛に見えるがどうやったらそんな色の髪になるのか。赤毛のアンが先祖にでもいるのだろうか。

 

「おはよう、つぐみ。」

「おはよ〜。」

 

 つぐみと呼ばれた茶髪の少女がこちらに寄ってくる。そのことで今まで隠れていたのがばれてしまった。

 

「えっと。その子は?」

「ああ、昨日帰り道で男に襲われてたの助けたんだ。今日の練習見るけど大丈夫?」

「うん。多分大丈夫だよ。」

「今日はよろしくお願いします。」

 

 心の中で胸をなでおろす。これでダメですなんて言われたら今日の計画が台無しだ。なんの考えも思いつかないまま日菜姉さんと対面することになる。afterglowの練習を見る目的は気持ちをリフレッシュさせ、日菜姉さんに対してどうやって接すればいいかアイディアを得るためだ。

 

「わー!それ蘭の服?すっごい似合ってるよ!」

 

 桃色の少女がこちらに寄ってきた。相手の、次に自分の胸を見る。

 

「チッ。」

「えっ私なんか変なこと言った⁉︎」

「すみません。違いますよ。それにしてもよくわかりましたね。これ蘭ちゃんの服なんです。えっと…」

「私、上原ひまりっていうの。好きに呼んで!」

「じゃあひまりさんで。」

 

 危ない危ない。生まれつきの格差に思わず憎悪を向けてしまうところだった。大丈夫。まだ私は成長する。私はまだ成長期だから問題無い。心配無い。

 

「それじゃ、そろそろ練習行こっか。」

 

 蘭ちゃんがみんなにそう促し、次々と店を出て行くのについていく。

 

 ▼     ▽     ▼

 

 凄い。それが、afterglowのバンドの音を聞いた最初の感想だった。激しく体を芯から震わせるドラムに二つのギターが鋭く唸りをあげる。澄んだ歌声が部屋中に響き渡る。キーボードがそれを優しく包み込み、ベースが全体の厚みを増加させる。そして息の合った演奏がより確かな音となって大気を伝う。何がどう凄いのかはよく分からない。ただ、心が躍る。気分が高揚する。

 

 嗚呼、彼女たちがまるで夕焼けのようだ。私には余りにも眩しすぎる。

 こういうのをないものねだりと言うのだろうか。羨ましい。信頼し合える友を持った彼女たちが。姉が世界の全てだった私がずっと持たなかったもの。私の、なんでも心の内を曝け出せる友を持っていたならば、何か変われただろうか。もっと明るくいられただろうか。私を見てくれる友が一人でもいたならば、劣等感に苛まれることなく、日菜姉さんや紗夜姉さんと仲良く過ごせただろうか。なんてことは無い、いつものたらればだ。私がこうだったら、こうなれたら。そんなことばかり考えてしまう。

 

「じゃあ、最後に新曲でもやってみようか。」

 

 蘭ちゃんが振り返り、みんなにそう言った。

 

「蘭〜、曲の名前決まったの〜?」

「いや、まだ決まってない。」

「も〜二週間後に本番だよ〜。曲は出来てるからいいけど〜。肝心の歌詞とタイトルが決まってないと〜。」

「ごめん。もうすぐ出来そうだから。もうちょっとだけ待って。」

「大丈夫だよ、蘭ちゃん。焦らないでゆっくりやってね。」

「ありがとう、つぐみ。」

 

 羨望と嫉妬、少しの諦観の混ざった視線を彼女たちに向けていた。一瞬だけ、蘭ちゃんと目があった気がしたが、すぐにメンバーたちに顔を向け、練習に戻っていった。

 

 ▼     ▽     ▼

 

「今日は付き合ってくれてありがとね。」

「こっちこそなんのアドバイスもできなくてごめんね。」

 

 すっかり暗くなった帰り道を蘭ちゃんと並んで歩く。練習の後、みんなで夕焼けを見て、一番星探しをするのが恒例らしい。ちなみに一番星を最初に見つけたのはつぐみさんだった。あれは早すぎる。ああいう競技があったら世界狙えると思う。

 

「じゃあ、あたし家こっちだから。」

「うん。じゃあね。蘭ちゃん。」

「うん、またね。」

 

 名残惜しいが、明日は学校があるから家に帰らなければならない。憂鬱な気持ちになる。結局アイディアは何一つ思い浮かばなかった。どうしよう。どんな顔をして家に帰ればいいのだろう、日菜姉さんに「ただいま」と言えばいいのだろう。分からない。何一つ。無能な頭では姑息な手すら思い浮かばない。

 

 家に着いてしまった。と家の前に立っているだけでは扉は開かないし心の準備をしようがしまいが言うべき言葉は何一つ思い付いていないため邪魔なだけになるのでチャイムを鳴らす。いつもは日菜姉さんの「おかえり」に癒されたいと思っていたが、この時だけは親の簡素な「おかえり」がとても恋しかった。しかし、望んだ通りにいかないのが現実というもので、開いた扉から、青い三つ編みの髪がゆらゆらと揺れる。夢で感じたシトラスの香りが鼻腔を擽る。

 

「あっ、おかえり、憂月…」

「ただいま、日菜姉さん。」

 

 反射的に、顔を伏せる。そのまま日菜姉さんを押しのけるように家に入り、自分の部屋に直行する。一応昨日からずっと持っていた本を机の上へ放り投げ、蘭ちゃんから借りた服を残り僅かな理性で丁寧に脱いで畳む。クローゼットから部屋着を乱雑に取り出し着替えた後、ベッドに身を投じて素早く眠りにつこうとする。願うなら、まだ消えないでいて。私にあの夢をまた見させてください。





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