「好き」って言わないで。   作:ilru

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白痴でも。

 1週間、永遠にも思える時間が経過した。本当に長かった。丸で自分だけが同じ時間を繰り返しているんじゃないか、そんな錯覚すら覚えてしまうほどに、この1週間は同じ日々の繰り返しだった。

 朝、誰よりも早く起きて、学校へ行く。授業を受けて、日菜姉さん達と会わないように素早く帰宅して部屋に閉じこもる。食事は常に顔を下に向けていた。

 いったいどんな顔をすれば良いのか。相手の機嫌をとって幸せだの何だの恍惚とした気持ちに浸っていながら、いざ自分の琴線に触れられるとあの有様だ。予想出来なかったわけでもないだろうに。ましてや今まで日菜姉さんを避けてきた1番の要因だったのに、想像通りの過ちを犯した。

 

 莫迦だ。阿呆だ。白痴だ。いつまでたっても成長しない。自分の感情を理性で抑えることすら出来ず、人の優しさに仇で返す。正真正銘人間のクズだ。一時の天使の声に惑わされ、苦行に耐えれると思い上がった出来損ないだ。あの時調子に乗らなければ、あの希望に満ちた声が悪魔の囁きであったことに気づけたなら。どうしようもないたらればが津波のようになって自分を襲う。今の自分はよだかよりも醜く弱い、人の形を留めた人以下の何かだ。どれだけ自分を謗ろうが過去を悔いようが結果は変わらない。

 

 いつもは気晴らしに使う音楽や本すらも、今の私を癒してやくれなかった。平時なら心に刺さる歌詞や言葉も、私の心には届かなかった。

 

 まさに手遅れだ。心の支えを失った。愛していた唯一の姉を他の誰でもない自分の手で手放した。もう自分に生きる意味や価値など存在しない。早くここから消えてしまいたい。私という存在を消し去り、1人別の世界へと飛んでしまいたい。なんならいっそのこと死んでしまえたらどんなに楽だろう。

 私にとって日菜姉さんを失うこと、それは存在意義の欠如に等しかった。

 

 部屋の片隅に目を向ける。紙の袋がぽつんと置かれており、中には借りた服とお詫びのお茶請けが入っている。もはやこれが唯一今の私を繋ぎ止めていると行っても過言ではないだろう。これがなかったら今頃自分は死に救済を求めていてもなんら違和感は無い。

 

 今日は土曜日。カーテンの隙間から太陽の木漏れ日が差し込み、日菜姉さんや紗夜姉さんよりも幾回りも暗い錆納戸の髪を照らす。それが一筋の影となって部屋の床に映し出される。

 

 影を意味もなくぼんやりと見つめる。まるで自分のようだ。周りには幸せが、光が満ち満ちているのに、それに気づかず壁を張り、暗い世界に引きこもり続ける。影が、私の裸の心を惜しげもなく照らす。

 変化を望みながら停滞を選び、自分は出来ると驕り高ぶり、自分のせいだと口では言いながら実際は何も悪くないと相手を傷付ける言葉ばかり吐き出し続ける。

 

 影から目を逸らす。外着に着替え、紙袋を掴み取り、慎重にドアを開ける。日菜姉さんと紗夜姉さんの予定は知らないので鉢合わせてしまう可能性があったが、幸い2人は家に居ないらしい。

 

 この服を返したら、部屋に引きこもり続けよう。もう2度と同じ轍を踏まないように、自分をこの部屋に縛り続けて、いつかの毒虫のように死んでしまおう。それこそが関係をぶち壊すことしか出来ない私の取れる最善策だ。

 

 家から出る。真上に位置する太陽が雲にその多くを遮られながらも煌々と存在感を放ち続ける。慣れない光量に目が僅かな鈍痛と共に眩むのをじっと耐える。忌々しげに太陽に目を向けた後、俯きがちに、それでも前から人が来たら対応出来るように最低限頭を下げて歩き続ける。

 まずはライブハウスに行って、蘭ちゃん達がいるか確認する。居れば僥倖、そこで渡してサヨナラだ。いなければそこから蘭ちゃんの家まで記憶を辿りながら逆行していく。

 

 何も考えずただひたすらに歩いていくと、見覚えのあるカフェテリアに到着した。紛れもなく、私が日菜姉さんを捨てた場所だ。自分があの時吐いた言葉がリフレインし続ける。無意識に左手で口、もう片方の手で耳を抑えながら傍を通り、ライブハウスの中に入る。

 

「あっ、あの時の…」

 

 受付のところから声が聞こえた。目を向けるとそこには綺麗な黒色の髪を携えた女性が目を皿にしてこちらを見ていた。

 白と青のボーダーシャツを着ており、その上に黒のカーディガンのようなものを羽織っている。下はジーンズで彼女の常に湛えられた朗らかな笑顔も相俟ってか、いかにも活発な人という雰囲気を醸し出している。

 あの時、というのは恐らく蘭ちゃんの練習について行った時か、日菜姉さんと行った時のどちらかだが、より鮮明に人の記憶に残りやすいことをしたのは間違いなく後者だろう。現に彼女だけではなく他にも幾人からか視線を向けられている。まぁあれだけ大声で喧嘩すれば否応にも記憶に残るだろうと割り切って、視線は気にせずにズカズカと受付の女性のところへ歩み寄る。

 

「あの、すいません。」

「は、はい。何でしょうか?」

 

 心なしか声が震えている気がする。そんなにもあの時の私は怖かったのだろうか。私の顔なんかどう弄っても般若の足元にも及ばないはずなのだが。彼女が私に怯えていようがいまいが、受け答えが出来ている以上それは些細な問題に過ぎない。気にせず言葉を紡ぐ。

 

「蘭ちゃん、afterglowって今日練習ありますか?」

「え、えーと、確認しますので少し待ってくださいね。」

 

 そう言ってペラペラとけたたましく音を立てながらプリントの束を捲って今日の予約を確認するのをひたすら待つ。やがて終わったのか彼女は顔を上げて少し申し訳なさそうに頰を掻きながら今しがた確認した事実を伝えた。

 

「今日は練習入ってないみたいですね。」

「そうですか。ありがとうございます。」

「いえいえ、是非またお越し下さい。」

「ええ、是非。」

 

 次があればですけどね、それは喉の奥にしまって最低限の返事を交わし、外に出る。

 太陽は雲で隠されていたが代わりに密閉されたかのようなジメジメとした気持ちの悪い空気が全身を包む

 汗ばんできた体に嫌悪感を抱きつつ、先週通った道を逆向きに進み続け、やがて1つの家を見つける。

 

 表札に「美竹」と書かれているのを確認して、呼び鈴を鳴らす。ピーンポーンと音が鳴り、無機質なノイズがガサガサッと幽かに音を出してから、男性の声が聞こえた。

 

「はい。どちら様でしょうか。」

「美竹蘭さんの友人の氷川と申します。」

「少し待って下さい。」

 

 予想外の人物の登場に少々肝を抜かされたが落ち着いて自己紹介をする。呼び鈴が役目を終える音を耳にすると当時にドタドタと足音が玄関に近づき、ガチャリと解錠される。

 

「こんにちは。本日は先日蘭さんからお借りした服を返しに来ました。」

「ああ、あの時の君か。まぁ少し上がりなさい。」

「いえ、今日は返しにきただけなので…」

「まぁそう言わずに。汗もかいているし折角ここまで来たのだから少しうちで涼んでいきなさい。」

「…はい、では失礼させて頂きます。」

 

 ここで渡して帰る予定だったが、有無を言わさぬオーラを言外に感じ取り、仕方なく家にお邪魔させてもらう。

 家の中は少し広めの和室がある事を除けばごくありふれた一般家庭とほぼ同じ構図と言って差し支えないだろう。玄関の近くに二階への階段ー恐らく蘭ちゃんの部屋があるのだろうーが設置され、その隣の廊下からリビング、キッチンや浴室などに繋がっている。

 リビングで話すのかと思ったら、「こっちに来なさい」と和室へと促された。あまり感じることのない畳や障子、襖などが仄めかす和の雰囲気に少しだけ身を投じつつ、向かい合うように置かれた座布団の片方に正座で座る。

 

「そんなにかしこまらなくても大丈夫だよ。」

「そうですか。ではお言葉に甘えて。」

 

 そう言って、僅かに正座を崩す。流石に初対面の相手に胡座で座ろうとはつゆにも思わなかった。

 

「さて。いきなり家にあげて申し訳ない。」

「いえ、予定はなかったので大丈夫です。」

「そうか。ならよかった。申し遅れながら、蘭の父をやらせてもらってます。」

「蘭さんの友人をさせてもらってます。」

 

 どちらともなく頭を下げる。その何処か奇妙な一連の出来事、遂に抑えきれなくなり、ふふっと口元を押さえて笑ってしまう。すると目の前からもクククッと笑い声を抑える声が聞こえ、やっぱり向こうもこれに違和感を拭えなかったらしい。

 

「ふふっ、あの、蘭さんは今どこに?」

「今頃友人たちとスタジオとやらにいるはずだ。」

「いつ頃お帰りになりますか?」

「しばらくすれば帰ってくるだろう。」

「では、それまでお話でもしていましょうか。」

 

 ここまま服を押し付けて帰っても良かったが、折角だ。最後の晩餐ならぬ最後の会話を楽しんで帰るのも有りだろう。そして自分の世界の泥沼に沈み、塵芥となって世界から消えてしまおう。

 

 ▼

 

 それから蘭ちゃんの父、長いから蘭パパとでも読んでおこう。蘭パパとも会話は意外にも弾んだ。と言っても主に蘭ちゃんの事だったが。生け花の話も少しだけ聞いたが自分が想像していたよりも奥深かった。ただそれっぽく花をいけるだけだと思っていたがちゃんと季節に合った花を選ぶ必要があったり、流派によって表現形式が変わったり、聞いていてとても興味深かった。

 もうそろそろ蘭ちゃんが帰ってくるだろうと時間に差し掛かって来た頃、蘭パパがふいにこんなことを言ってきた。

 

「でも、君がいてくれて良かったよ。」

「何故ですか?」

 

 発言の意図が分からず、素直に真意を聞こうとする。

 

「今まで蘭は幼馴染たちとしかうまく馴染めていなかったからね。他の人たちとも仲良く出来ているか心配だったんだよ。」

「ああ、確かに。」

 

 言われてみれば、一度しか蘭ちゃんには会っていないがそれでもあまり社交的な雰囲気は受けなかった。でもまさか幼馴染しか友達がいないとは。そもそも同年代の友達が今までいなかった自分のことは一旦棚に上げておき、その事実に吃驚していた。恐らく彼女の交友関係は狭く深くなのだろう。

 

「ええ、私で良ければいつまでも蘭さんの友達でいましょう。」

「ああ、蘭のことをよろしく頼むよ。」

 

 朗らかな顔をして蘭パパがそう言ってはにかむ。心なしか深く刻まれた眉間のしわが僅かに緩んだように見えた。

 次は何を話そうか、期待を帯びた目で互いに視線を交えていると、施錠される音が聞こえた。どうやら蘭ちゃんが帰ってきたらしい。

 

「じゃあ私はそろそろお暇させてもらいますね。」

「ああ、是非また来るといい。」

 

 時間的にも丁度日が傾きかけていて丁度良い頃だ。多分今出れば廊下で蘭ちゃんと鉢合わせるだろう。そこで軽く挨拶をして帰宅しよう。

 和室を出て、玄関へ向かうべく足を前に出そうとした時、視線の端に赤色が目に入った。そちらに振り向くと、蘭ちゃんが口をパクパクさせて赤のメッシュを揺らしていた。

 

「蘭ちゃん、こんにちは。」

「あ、あんた、何で…」

「服を返しに。」

「服?…あ、あれね。別に良いのに。」

 

 なぜ私がいるのか分からず困惑していたが、私と話して思い至ったらしい。というより自分が貸した服の存在を普通忘れるだろうか。

 

「あんた、いつからいたの?」

「うーんと、1時間ほど前からかな?」

「何してたの?」

「蘭ちゃんのお父さんとお話ししてた。」

「なっ!」

 

 廊下に立て掛けられた時計を尻目にそう答えると、途端に彼女はまるで自分の黒歴史を語られているかのように顔を赤らめて、自分に向かってドカドカと歩み寄ってきた。

 

「え、あ、ちょ、私、帰るんだけど。」

「いいから!」

 

 そう言って私の手首をひったくり、二階の蘭ちゃんの部屋へと進んでいく。部屋に入り、鍵をかけたことを確認してから、彼女はキッと目を鋭くして私に詰め寄ってきた。

 

「ねぇ、何話したの?」

「主に蘭ちゃんのこととか、花道のこととか?小さい頃の蘭ちゃん、可愛かったよ〜。」

「っ!見たの?」

「蘭のお父さんが嬉々としてアルバム持ってきてくれた。」

「お願い!全部忘れて!」

「え〜可愛かったのに。」

「かわっ!」

 

 ヤバイ。こうやって蘭ちゃんをいじるの楽しくなってきた。現に彼女は今私に過去の自分の事を忘れて欲しい気持ちと褒められて嬉しい気持ちが綯交ぜになって、目は鷹のように睨んだままなのだが口元が若干緩んでいたり頰が赤くなったりで非常に可愛らしい顔となっている。ぶっちゃけ睨まれても全然怖くない上にむしろ可愛さを助長させている。

 

 そんな事を思っていると、そうだ、っと言わんがばかりに顔をパッとさせて私を見た。

 

「じゃああんたの話聞かせてよ。」

「私の?」

「そう。それでおあいこ。」

「え、普通に無理なんですけど。」

「あたしの聞いたんだからそっちも教えてよ。」

「いや無理だって。」

「何で?」

「面白くないから。」

「それでも良いから。」

「嫌だよ。」

「良いから。」

 

 しつこい。蘭ちゃんはこんなにズケズケと人のプライベートに踏み込んでくるような人間だっただろうか。いや、彼女のことは蘭パパからの話でしかあまり知らないが、それでもどちらかと言うと一歩引いた関係である時が多い気がする。それとも過去を聞かれた羞恥で頭が回らなくなっているのだろうか。折れてしまった方が楽だが夕焼けのように輝いている彼女の心を私の私利私欲に塗れた穢れた感情で汚すわけにはいかない。

 

「いい加減にして。」

 

 明確な拒絶を彼女に突きつける。日菜姉さんと同じように、相手に否定の意思を最大限にぶつける。これが1番手取り早いからだ。

 またやった。お前は生涯人を傷つけることしか出来ないんだ。自分で排斥するたびにそう言われているような気がして自己嫌悪に襲われるが、言わない方が彼女にとって幸せなんだ、と無理に信じ込み自分の行いを正当化する。

 そうだ。自分のこの独占欲や自己中心的な欲望で溢れている心の内を晒すことは誰であっても私が許さない。

 

「でも。あんた、苦しそうな目をしてる。少し前の私みたいに。」

「でもそれに根拠はないじゃん。本当に私が苦しんでいるかどうか知らないでしょ?」

 

 蘭ちゃんの的を射た意見に思わず虚勢をはる。例え蘭ちゃんの言っていることが正しくても、私がそれを認めない限り、それは決して正解にはならない。罪を犯してもバレなければ犯罪とならないように。

 

「でも、本当に苦しんでいるのなら友達として助けてあげたい。」

 

 尚も蘭ちゃんは私に近づいてくる。私を救おうと、慈悲を投げかけてくる。恐らくこれが彼女にとってのいつも通りの、当たり前の行動なのだろう。苦しんでいる友達がいたら助ける、相談に乗ってあげる。それは偽善でも何でもなく、本心からくる純粋な優しさ。だからこそ、それは他のどんなものよりも私を苦しめた。

 

「もうやめて!」

 

 私の声が部屋の空気を震わせる。蘭ちゃんの目が僅かに開かれる。

 

「お願いだからやめて!そんなに優しさを私に向けないで!また期待しちゃうから!日菜姉さんの時みたいにまた勝手に期待して、勝手に裏切られたと思い込んで、そして攻撃して、相手を傷つける!」

 

 慟哭が喉を飛び出し大気を伝い、私と蘭ちゃんの鼓膜へと伝わっていく。

 

「馬鹿みたいじゃん!全部私のせいなのに、人のせいにして!もう人に期待するのは嫌なの!大切な人を傷つけたくないの!だからお願い!私に優しくしないで、お願いだから!」

 

 そこまで言って、目の前が急に遮られた。そして聞こえるドクンドクンと一定のリズムを刻む音と柔らかな感触。次いで頭になにかが乗せられ、髪がサラサラと撫でられる。

 

 あまりにも突飛な出来事に、一瞬なにが起こったのか分からなくなった。私が止まった思考を再び回転させ、現状を把握したのはそこから約1分後のことだった。

 

 今、私は蘭ちゃんに抱き寄せらせ、彼女の胸に頭を埋め、頭を優しく撫でられているようだ。

 

「どうして?」

 

 突然の出来事に対して浮かんだのは羞恥ではなく、純粋な疑問。また、あの時と同じように相手を泣かせていると思い込んでいたので、予想外の展開に困惑せざるを得なかった。埋もれていた胸から顔を上げ、目と鼻の先の距離にある彼女の聖母のような顔を見ながらそう尋ねた。

 

「分かんない。でも、こうしなきゃって思って。」

 

 まるで子供を慈しむような目で見ながら、彼女はそう答えた。

 

「今まで辛かったのかなって。誰にも言えなくて、ずっと1人で溜め込んできたのかなって思って。」

「ああ…」

 

 わなわなと唇が震える。堰を切ったかのように、視界が滲み、次々と涙が頬を伝い彼女の服へと吸い込まれていく。

 どうして、彼女はこんなにも優しいのだろう。まだあって間もないのに、どうしてここまでしてくれるのだろう。

 

「あのね…」

 

 気づいたら、私は訥々と、自分の事を語っていた。2人の自慢の姉たちがいる事。そのせいで誰も自分を見てくれなくなった事。唯一私を見てくれていた姉すらも、この前喧嘩して傷つけてしまった事。

 あんなにも、硬く閉ざされていた私の心は、人の肌の温もりでいとも容易く溶けて無くなってしまった。

 

 ずっと、こうなる事を望んでいたのかもしれない。日菜姉さんとの日々は日菜姉さんを中心に回っていて、私は常に彼女の意思を尊重して過ごしていた。そこに私の意見はあまり入っていなかった。

 でも、ずっと自分の事を見て欲しかった。ただ一緒に遊んだりするだけではなく、言葉にして、自分の話を聞いて欲しかった。こんな事をしたんだよ、あんな事があったんだよ、取り留めのない事でも相手に言いたかった。ただ、自分の話を聞いてくれる人が欲しかった。自分をちゃんと内側から見てくれる人にずっと焦がれていた。

 一言、言葉を紡ぐ度に心がどうしようもないほどに満たされていく。

 

 私がしゃべっている間、彼女はひたすらに黙って相槌を打ってくれた。それだけで既に私は幸せだった。

 

「どうすればいいのかな。」

 

 そして、私の過去を語り終えた時、ぽつりと、言葉が漏れた。

 

「なにが?」

 

 絶えず頭を撫でながら、蘭ちゃんは優しくそう返してくれた。

 

「日菜姉さん達と仲直りできるかな。」

「きっとできるよ。あんたの本心をきちんと伝えられたら。」

「でも、怖いよ。またやらかしちゃうんじゃないかって。また、傷つけちゃうんじゃないかって。」

「大丈夫だよ。きっと。」

 

 一層強く抱きしめながら、彼女はそう言ってくれた。不思議と、自分の気持ちを伝えることに抵抗がなくなっていた。今まで散々閉じ込め続けた本心は、人肌ですっかりとその砦を壊され、外の世界へと飛び出していた。

 

「でも、もしまだ踏み出せないなら、明日、ライブに来てくれないかな。」

「ライブ?」

「そう。お父さんにバンドを認めてもらうために、明日ライブするの。新曲も歌う。だからそれを聞いて、勇気を持って欲しいんだけど。」

「うん。行くよ。絶対に行く。」

 

 にへらっと頬を緩めて無邪気な幼子のような笑顔を向ける。それにつられて、彼女も目を細くした。

 

「今日はどうする?泊まっていく?」

「えっとね、泊まっていってもいいかな?」

「うん。いいよ。」

 

 初めて、我儘を言った気がした。少し前、それこそ今日の午前中の私ならきっと即刻帰宅を選んでいただろう。興味はあっても、迷惑かもしれない、不快な思いをさせるかもしれない。そんな考えが私にまとわりつき、自由を奪っていった。

 でも、蘭ちゃんがそれを取り払ってくれた。今まで縛り付けていた鎖を外してくれた。

 心が鳥のように軽やかな気持ちとなった。

 

「じゃあ伝えてくるからちょっと待ってて。」

「…もう少し。もう少しだけこのままでいさせて。」

 

 体勢を解こうとする蘭ちゃんに対してまたも自分の我儘を通そうとする。嫌じゃないかなとビクビクしていると、仕方ないなと言ってまた元通りの姿勢に戻り、そっと、今度は背中もさすってくれた。

 まるで揺かごの中にいるような気分になる。

 

 こうして張り詰めていた空気は徐々にその形を失い、遂には完全に溶けて消え、代わりに弛緩した安らかな雰囲気が溢れんばかりに部屋を満たした。私はその心地良い雰囲気の中で、そっと瞼を閉じた。

 

 

 




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