中川は加害者。
俺は第三者。
……それがどうした?
「うわ、今日も来た」いじめの元凶、中川より吐き出された薄っぺらい言葉に、俺は教室の入り口へと目を向ける。
そこより入りくる人物はいじめの標的、遠藤。唇をぎゅっと引き結んでいる。
退屈そうにしていた中川達は、待ってましたとばかりに彼女に
「来ないでほしかったな」
「生理的に無理」
「キモイ」
「空気悪くなったわ、
気分悪そうに男子が毒を吐けば、女子はきゃーっはっはと笑い声で応じる。
遠藤は肩をこわばらせながら、自分の席へ向かった。
本当に喘息になってしまえ。今自分が何を言ったかがわかるだろうさ……。
俺はいじめの首謀者、中川の一挙手一投足を意識しながら、読書を続けていた。俺の席は中川の席の二つ前なので直接見ることはできないが、声を聴くことは十分に可能だ。
遠藤が席についても悪口は収まる気配を見せない。
「デブがよく学校来る気になるよな」
「ほんとそれ。クソデブがよぉ」
「調子乗ってるとラーメンのダシにすんぞ」
「ただし誰も食べませんw」
「スタッフもいただきませんw」
「デブ」
「デーーブ」
「デーーーーーーーーーヴ」
男子が遠藤に一歩づつ詰め寄る。ちなみに遠藤はそこまで太ってはいない。「太ってる」の定義ってなんだ。考えても無駄だこいつら何も考えていない。
「デブちゃんは言葉も話せなくなっちゃったのかな?」
そして示し合わせたように爆笑。
頭の悪い野郎どもだ。もう少し言葉にバリエーションはないのだろうか。幼稚だし。
俺の位置からは見えないが、きっと遠藤は目に涙をためているんだろう、と容易に想像がついてしまう。
彼女は悪いことは何もしていない。していないことを挙げればきりがないが、要するに中川達の暇つぶしに利用されているだけである。
友達作りが少しばかり遅れただけでこれかよ。心の中で
ふと、思い出した。
いじめをする人間には家庭環境に恵まれていない者が多いとどこかで聞いたことがある。心がすさむと他人に危害を加えることにも抵抗がなくなってしまうんだとか。
親から冷たく扱われて、その腹いせにいじめをした結果、世間からも疎まれるなんて本当に最悪だと思う。いじめっ子の精神状態のほうが心配になってくる始末。
で、そのようにいじめをする後ろ姿は、その子の親御さんの背中によく似ているんだろうな。皮肉なものである。
地獄が繰り返されるのだ。
でも、それがどうした。
いじめっ子の立場に立って何が解決するというのだ。
理由もなくひどい仕打ちを受けるのは誰であろうと気の毒である。それは確かにそうだ。
しかしここは学校。
これは意味もなく暴力をふるういじめっ子に向けた言葉だ。
「そういえばこの前さあ……」
中川が唐突に別の話題を振った。
中川を取り巻くクラスメイトは「何だよもう終わりかよ」とでも言いたげだ。がっかりしている。
遠藤はほーっと肩の力を抜き、椅子の背に体を預けた。
「この前、遠藤が触った所の手すりがめっちゃテカッててさ、マジ汚ぇ!と思って」
「遠藤さんは手汗がすごいんですっ☆」
中川にいじりを終わらせる気はなかったらしい。
男子の一人が嬉々としてそれに呼応する。男子のぶりっこって気色悪いな。
遠藤は硬直。戦慄している。
俺は時計を見るふりをして中川達を振り返った。
「臭すぎて死ぬかと思って、そんで一生懸命手ぇ洗ってたら皮むけてきちゃってぇ……」
よくもそんなに抑揚をつけて話せるもんだ。呆れを通り越して感心しちゃうぜ。
中川は自分の手の平をしげしげと見つめる。唇がほんの少し吊り上がったのがはっきりと分かった。
待っているのだ。
男子の答えを。
自分の手を汚さないために。
「死刑w」
「激臭スポットを増やした罪で」
冗談めかして馬鹿な男子が騒ぐ。
「いやマジそれだわー」中川だ。
中川は高揚感を隠しもせずに立ち上がり、俺の横を通り過ぎて遠藤を取り囲む男子どもの一歩後ろについた。
「遠藤とか死んでもそこまで変わらんくね?」と男子。
「そうだな死んでいいな」
「まあ、遠藤なんてうんこみたいなもんだし」
「うんこに生きる価値なし☆」
「ファブリーズが効かないだと……」
「流しちゃおうか♪」
「そうしようそうしよう、キュッ」名前も知らない男子がレバーを引くジェスチャーをして見せる。
ジャ―――!と誰かが発した大声で爆笑が起こる。
腹を抱えて笑う男子、女子、中川。
見て見ぬふりのクラスメイトもさすがにこれには耐えきれなかった模様。一緒になって笑っている。
俺は苦笑する。
遠藤は机を見つめながら泣いているのだ。小さな肩を壊れそうに震わせて。笑い泣きの中川とはえらい違いだ。
こいつ、上手くやりやがったな。
『初めに死ねと言い出したのは男子。私はその口車に乗せられただけなんです』という自分に都合のいい状況を、中川は馬鹿男子を巧みに利用してまんまと作りやがった。現に今の会話も全て馬鹿な男子どもによるもの。中川はただ笑っていただけだ。
仮に今教師に見つかってしまっても、怒られるのはきっと主に男子だろう。
「あいつが言い出した」と言われても「こんな大事になるとは思ってなかったほんの軽い気持ちでやった今はそれを後悔しているごめんなさい」と泣けばたいていの大人は納得してくれる。
「そうかそうか君もつらかったんだね」ふざけるなよ。
人の本心なんて誰にも分からないからな。演技がうまけりゃ本当にどうにかなってしまったりする。泣くふりして手で顔を隠せば表情も知られることはない。もういっそ女優にでもなったらどうだ。
……でも忘れるなよ。俺からしたら中川もその他諸々の女子男子もいじめの実行犯だからな。
いじめに関与してない俺が言うんだから間違いない。
俺はいつも通り自分の席で読書にふけっているが、耳は遠藤や中川のほうに釘付けである。
中川はかなりの凶悪犯だな……。
今日もいじめは続いている。
休み時間のたびに罵倒されるってどういう気分なんだろうな。俺には経験が無いので理解できないが……。
午前中の授業をすべて消化し、教室は昼食時、ワイワイガヤガヤとやけに無機質な騒音に包まれている。
遠藤はいつものごとく一人。
二つ後ろの席の俺も似たようなものだから安心しろ、と声をかけてやりたくもなるが、彼女は中川達のいる後ろなど振り返りたくもないだろう。
それに俺が遠藤のことを意識していると思われるのは避けたい。
陰ながらいじめを止めたいのであれば、まずは標的にならないことが先決だ。
購買で適当に買った焼きそばパンを食し、五時間目の移動教室の準備を始める。教科はたしか家庭科だったはずだ。
と、ここでまさかのハプニングが発生。
遠藤に話しかける女子がいる。
相手は、入学当初、遠藤とよく話していた女子、
遠藤が初めて話しかけた女子でもある。
俺の中のおぼろげな記憶をたどれば、二人は普通に仲良さそうにしていたと思うのだが、今では立派に遠藤を無視している一人である。……友情って何なんだろうな。
ともかく、遠藤がまともに人と話しているのを見るのは久しぶりだった。
変だな。無視されてたはずなのに。……いや、今はもう無視ですらないか。いじめは言葉による精神攻撃へと形を変えて、悪化していく一方だ。
そうでなくとも、南の態度には違和感を感じざるを得なかった。
妙に遠慮がちで、目を合わせない。合えばそらす。不自然極まりない。
何か裏があるんじゃないか。ついそう思ってしまった。
そんなわけないよな。
そんなわけない。
裏があるに決まっているさ。
俺の後方の席から中川のくすくす笑いが聞こえてくるんだもんな。きっと南に何か命令したんだろう。
ちらちらと前の二人の様子をうかがいながら俺は移動教室の準備を進める。クラスの連中は移動を始めていた。
「えっと…………次の授業、家庭科から理科に変更になったらしいよ……。先生が伝えておいてくれって」
言いにくそうに、「二人だけの秘密」めかして南は囁く。周りに聞かれないように注意を払っているようにも見えた。
そこに楽しげな空気はない。当然だ。二人は友達なんてたいそうなものじゃない。ただの、いじめの加害者と被害者なのだ。
「……うん、それだけ」
至極簡単に、南は会話を終わらせる。
じゃあね、というせめてもの別れの言葉を遠藤は待っていたはずだ。
その期待には応えずに南は身をひるがえす。南は遠藤に背を向けて、遠藤は南の背中を見つめて、どちらも辛そうに顔を歪めた。
「……そっか、ありがとう」
遠藤は弱々しくお礼を言い、教科書を出し始める。
南はそのまま去っていく。向かった先の廊下では、中川がニコニコしている。いつの間に……。
心底楽しそうに南の肩をポンポン叩く。……お前も俺の仲間か?
彼女達はさっさと教科書をもって行ってしまい、その時間、中川がそれ以上遠藤と関わることは無かった。
中川が「いじりもそろそろ飽きた」のであれば、第三者である俺の手出しは無用になり、遠藤は無事、平穏を手にすることができるだろう。
が、中川の淡白な行動が俺には不可解なものに見えて仕方がなかった。
遠藤春乃は家庭科教師の雨宮に
くすくす笑いがそこらじゅうで起こっている。
南の言っていたことは嘘っぱちだった。時間割に変更はなく、この授業は家庭科の授業で、一人理科の用意をしてきた遠藤は現在進行形でキレ性の家庭科教師、雨宮にこっぴどいお叱りを受けている。
俺は念のためにと持ってきていた家庭科の授業の用意を机上に出し、ふっ、とため息をついた。
授業開始のチャイムが鳴って雨宮が教室に入ってきて、やっと遠藤は
遅いんだよと思ったが、遠藤は南を信じていたかったのかもしれない、と思い直した。完全なウソと分かってしまうまでは、南を疑いたくはなかったのだろう。曲がりなりにも一度は毎日のように会話をした仲だから。
遠藤の中ではまだ、続いているのだろう。元に戻れると思っているのだろう。
無理だとは言わない。きっと俺が成功した事例を知らないだけ。
彼女は南との関係の修復を望んでいる。だから南につかれた嘘のことも言わなかったのではないか。
「南に騙された」と本当のことを言ったって、中川達に口裏を合わせられたらセンセーにも信じてもらえないのは目に見えているけれど。
教師とはそういう生き物だ。基本的に多数派の言うことを聞く。少数意見は尊重こそすれ適用はされない。
教師だけじゃない。人という生き物がそもそも多数派重視なのだ。
だからそれを振り切って教師にいじめの対応をさせるには、教師、できれば担任に強い問題意識を起こさせなくてはいけない。
そのために最も有効な手段は、教師に面と向かって助けを求めることではない。
密告だ。
人は秘密には必ず何らかの意味をつけたがるものだ。例えばさっきの遠藤と南の会話であるなら、あえて小声で話すことによって遠藤に南と友達と呼べる関係だった頃の記憶をよみがえらせて「私たちはまだ続いてるんだ」と錯覚させ、それを真っ向から裏切ることで心に深い傷を負わせる、とかな。これはおそらく俺の考えすぎだが、裏切られた側はそこまで裏読みしていまうくらい傷つくんだぜ。
懸念としては、教師もとい学校に解決の意思がない場合だが……、……それはおいおい考えていくとしよう。
ということで、まずはうちの担任の加藤にいじめが起きていることを知らせてみるか。
俺は真顔で教壇上の遠藤(怒られている)を眺めながら、いじめを止めるための計画を練り始めた。
キーンコーンカーンコーン
チャイムが鳴り、散々だった家庭科の授業が終わりを迎える頃には、俺のいじめ告発計画はまとまっていた。ちなみに授業中、遠藤はずっとうとうとしていたし、中川は終始クスクスクスクスうるさかった。遠藤は夜あまり眠れていないのかもしれない。精神が不安定だと寝つきがどうしても悪くなるのだ。中川はどうでもいい。
計画の全般はこんな感じだ。
明日提出する予定の宿題の中に、いじめの告発文書を紛れ込ませる。俺がやったとバレないように、文字はパソコンで打ったものをあらかじめ自宅で印刷しておき、ポケットに忍ばせて登校。回収の際にノートとノートの間にそっと入れる、といった具合だ。
提出するのは数学のノート。そして俺は数学の係。つまり運ぶのは俺だ。
そして、人目につかないところまで来たら、告発文書をノートの隙間に押し込む。バレることは無い。
ことを済ませた後は担任の出方をうかがう。一応シミュレーションはしておくつもりだ。
……さて、これで今日の授業も終わりか。俺は教科書をもって椅子を立つ。
中川が出入り口付近でいじめ友達とこそこそ話している。遠藤は早々と教室に戻ったようだ。
俺はポーカーフェイスで表情筋をがっちり固めて中川達の横を通り、教室へ帰ろうとする。
そこで、聞き捨てならない文句が俺の耳に飛び込んできた。
「明日の放課後、しばらく教室に残らない?みんなでさ……」
その言葉で俺は完全に察した。どうやら授業後に残って遠藤の机や教科書に落書きをするようだ。どうせ今日は見たいテレビかなんかがあるんだろう。……いや、下見をする可能性もあるな。だとしたら計画的犯行だ。
また被害が増える。
それはそれで結構だ。
エスカレートすればするほど、いじめの手口は雑になっていくからな。決定的な証拠もつかみやすくなる。
カメラに収めるのも、ビデオに録るのも、今よりはるかに簡単になってくる。次第に周りが見えなくなっていくのだ。
それを使って、今度はいじめの犯人達に絶望を味わわせる。
……悪いことはしちゃいけないよ?中川さん。
とにかく、明日だ。
告発と、落書きの処理。とりあえずはこの二つ。
処理といっても、素直に落書きを消すわけじゃない。
さあ、どうしてくれようか……。俺は教室で帰り支度をしながら、そのことばかりに心を奪われていた。
あいつが動き出す。