さーて、用意しましたのはー、こちらっ。手のひらを返して片手を腰にやる。端の丸まったカーペットの上に物が並べられている。
折り畳み式はしご(約一メートル)、ガムテープ(はがせるものとそうでないものの二種類)、ひも、スマートフォン、付属のケーブル……のみ。
結局、休日にした準備といえば、家の物置からはしごを引っ張り出すくらいだった。
たったこれだけでいいのかって?
十分だ。
あとは
ついでに言えば、というかこれが最重要事項ともいえるが、このやり方なら足がつかないのだ。
にゃはははは、とふんぞり返って高笑いしたくなるのを抑える。
流れはこうだ。
1.授業終了とともにそれとなく教室を出て、誰よりも速く屋上へダッシュ。持参したはしごを使って屋上の最上部に上る。
2.屋上にやってきて遠藤を痛めつける中川達の一部始終を、ガムテープでカモフラージュしたスマホのカメラで撮る。ムービーで。
3.1→2を五日間繰り返す。
4.週末にネットカフェでスマホからパソコンにデータを移し、コーヒー飲みつつ架空アカウントからSNSに動画をアップ。
思ったより簡単だったのではなかろうか。
そうだろう。
人を社会的に殺すのは案外簡単だからな。
とはいっても、まあ俺が晒したところで、炎上したところで、別に中川達に前科がつくわけでもないし。
ただ恥をかくだけである。あいつらの将来には全くと言っていいほど影響しない。
中川達が思い知ってくれればそれでいいのである。
俺は二種類のガムテープをそれぞれ数枚ずつ切り取って勉強机の端っこにぺたぺたと貼っていく。
影響させる方法もあるけどね。方法は単純。遠藤の仕業っぽく中川達に嫌がらせをしまくって、キレた奴らが遠藤を殺しでもすれば、奴らが致死罪に問われることは間違いない。誰が犯人かなんてのは、クラス中の常識にまでなってるからな。言い逃れは不可能。
要するに遠藤の家族がいじめの犯人を訴えれば、犯人達は前科を免れないのだ。
……別にそうなってもいいけど。
多分そこまでの事態にはならないだろう。
中川達にも頭はあるから、自己保身くらいそっちで考えるだろうさ。
余計なことをしなければ中川達はネットで叩かれるだけで済んで前科もつかないんだから、出来るなら余計なことはしないでいただきたい。そのほうが穏便にカタがつく。
そんなことを考えながら俺はハサミではがせるほうのガムテープの一片に丸い穴をあける。スマホのカメラのレンズの穴である。
それを丁寧にスマホの裏側に貼り付けて、その一面をはがせるテープで埋め尽くす。レンズの穴が隠れてしまわないように気を付ける。
その上からはがせないガムテープを同じ手順で切って貼っていく。
これでスマートフォンの細工は完了。
次ははしごだ。
はしごの段に二メートルほどの長さに切ったひもを結び付けておく。
通学用のリュックサックに収め、背負って飛び跳ねておかしな音がしないか確認する。
よし、OK。異常なし。
もう特に下準備が必要なものは……ないな。
俺は他の物もしゃしゃっとリュックに突っ込み、そこからは夕食、入浴とまったくもっていつも通りの生活を営んで、さっさと眠りについた。
はいはい、やってきました僕らの学び舎、高等学校。
校門をくぐるのにこれほど清々しさを感じたのはいつぶりだろう。
透き通る青空は俺や遠藤を祝福してくれているようだ。決して中川達ではないことを切に祈る。
……それにしてもいい天気だ。雲一つない青空に恵まれました。これも皆さんの日ごろの行いがいいからだと思います。
湿り気を含んだ六月の風は声帯によさそうですねえ。
無駄話はさておいて。
俺のリュックには文字通りはしごが入っている。
じゃあ普段持っていく荷物はどこに入れているの?と疑問に思った方もいることだろう。
普段持っていく荷物か。そんなものはない。
教科書は教室の外に設置されているロッカーに全部入れてあるので家には持ち帰らないからな。宿題がある日は別だが。
かばんはいつも机の横にかけている。うちはロッカーにバッグを収納しないタイプの学校なのだ。
つまり普段カバンの中はスッカスカで何も入っていないということである。週に三度、体操服が入るくらいだろうか。
それではみんなのカバンには何が入ってるのかといえば、教科書を律儀に持ち帰っているのだ。もしくは学校と関係ない図書とか持ってきてる。漫画とか小説とか。
だから俺は気づかれない。面白すぎるほどに。顔には出さないが。薬の売人の気持ちがわかるようだ。
得意のポーカーフェイス(真顔)をたたえながら、靴を履き替え、一階にある自分のクラスへと足を向ける。
初夏ということで気温も上がってきているが、まだクーラーはついておらず、行き交う生徒たちは皆、夏服の襟を緩めていた。
ぱたぱたとスリッパを鳴らして、開けっ放しになっていた教室のドアをくぐる。
、室内は騒然としていた。
考える間もなく、思い当たることがあった。
俺がこっそり「犯人」と中川達の机に週末に落書きしたんだった。もともと落書きされていた遠藤の机はすっかりキレイにしておいたんだった。
さりげなくクラスメイトの様子を観察しつつ、少し戸惑うような動作をしてから俺は席に着いた。
俺が週末に机にかいた犯人の文字は消されていた。
が、クラスの雰囲気は先週とは全く異なっていた。
今まで見て見ぬふりをしていた人間達が教室のあちこちに散らばり、それぞれが大きな声で同じような会話を繰り返している。いじめの元凶には目もくれずにだ。
元凶たちが険悪なムードを醸し出すが、彼らには何の効果がない。
いじめっ子を怖がる気持ちよりも勝っている感情があるのだ。
そう。
彼らは犯人アートを目撃したのだろう。そしてその目撃談は中川達が止める間もなくクラス中に拡散したのだろう。
教室のそこかしこで「誰がやったんだろうな」と会議が繰り広げられ、時々、非難めいたというよりは好奇心に満ちた視線が俺の後ろにいる中川達(被害者)に送られる。
隣の席の奴が話しかけてきた。名前は軽部だがまあどうでもいい。
「おい、お前も聞いたか」
顔を近づけて軽部は聞いてきた。思いのほか真剣な表情だった。
「……なんかあったの?」
ここは不思議そうに聞き返すのがいいだろう。
軽部はうんとうなづき、ちらりと中川達を見て小声で早口にしゃべりだす。
「いや、それがよ……。朝、山口が学校に来てここのドア開けたらさ、いくつかの机に『犯人』って落書きがしてあったらしいんだよ。そんでよく見てみたら、遠藤をいじめてた奴の机だけに書いてあったとか。それも、定規で引いたようないびつな文字だったらしい。ホラーだよな」
「……今は無いみたいだけど?」
「ああ、中川が後から来て消させたんだ。すごい剣幕だったぜ。見た途端に金切り声上げてさ。しばらく歯ぎしりしてたけど、急におとなしくなったんだよな。なんでか知らんけど」
「へえ、流石にばれるとまずいと思ったのかな?」
「……ばれても、あの加藤だからな」
まだ登校していない遠藤の席をちらりと見て、気の毒そうに軽部は小さくつぶやいた。本当はどう思っているのか。
「加藤だもんね」
適当に
中川はぎゅっと眉根を寄せて不審者の目つきで教室中を見まわしている。明らかに疑心暗鬼の表情だ。
どうやら俺の仕掛けた罠にはまってくれたようだ。一つ一つ字体と文字の
勘違いしてくれたんだな。
いじめをよく思わない行動派がこの中に
いじめは基本的に数の勝負だ。数が多いほうが勝つ。それは中川も百も承知のことだろう。
今この状況では、中川グループより、圧倒的に中立派が多いのだ。
その中に複数の反逆者が紛れ込んでいると知ったら。
もちろん、こう思うよな。
―――中立派は全員、私たちの敵なんじゃないか?
自然と中立派の人間を疑ってかかるようになる。
何の悪気もなく中川達に都合の悪い噂を拡散する彼らは中川の目にはどう映るだろうか。
計画通り。数の力って怖いだろう?中川……。
「……来たぞ」
馬鹿男子が憎々しげに言う。
遠藤が沈んだ表情で俺の横を通過し、席に着いた。
馬鹿男子がつかつかと遠藤に歩み寄る。
「いや……」
中川が声だけで制した。こしょこしょと馬鹿男子に耳打ちをしているようだ。
「ぁあ~~。なるほどねぇ……」
馬鹿男子は答える。
不快な声だ。これは俺の想像でしかないが、きっと表情も気持ち悪い。
どうせ「放課後に好きなだけやればいいでしょ」とでも言われたんだろ。とっさにいやらしいこと考えたんだろ。
安心してくれ全部俺が撮ってやるから☆
俺は心の中で密かに笑って、
帰りのホームルームも終わりに近づいている。
今日の中川達はおとなしかった。平和だったなぁ……。
よし。気を引き締めていこう。
本当の地獄はここからだ。
「きりーつ。気を付け。さようなら!」
今日の日直が帰りの挨拶をした。
「「さようなら!」」
俺はさりげなく、しかし素早く教室を出て階段まで早足で向かう。
ここで、周りに誰もいないのを確かめて。
スリッパを脱いで足音を消し、階段を屋上まで駆け上がりましょう。
着きました。
屋上に通じる扉は可能な限り音を立てずに開けましょう。閉めるのも忘れないように。
そよ風が気持ちいいですが、はあはあ言ってる暇はありません。
すぐに階段室の裏手、運動場から見えない位置に回り込んで、下ろしたリュックからはしごを取り出します。
カチャカチャと手際よく組み立てて、階段室の上へさっそく上っていきましょう。
ここはこの辺の建物の中では一番高いので、上ってしまえば誰にも見られる心配がないのです。
さらに階段室は備品室も兼ねているので屋根の面積が広く、組み立てたはしごを折りたたまずに置いておけます。
極めつけは何といってもその高さ。三メートル近いんです。はしご無しには上れません。すごいですねー。
……とか言ってる場合じゃねえ。
あらかじめ結びつけていたひもを利用して、はしごをそおっと引っ張り上げる。意外と重い。腰を痛めないように慎重に……。
俺はポケットからスマホを取り出し、カメラを起動、レンズを階段室の後ろ側、運動場からは死角になって見えない方にちょいっと出して
完璧だ……!
はがせるガムテープをピッと切ってスマホを固定する。
ガチャ バーン
屋上の扉が乱暴に開けられた。
来たか。俺はもしジャンプされても見えないように体を伏せた。
首を動かしてはしごとリュックの位置を再確認。問題はない。
わらわらと聞き覚えのある声の連中が屋上に出てきた。中川達と馬鹿男子、遠藤である。
中川と遠藤の声は聞こえないが、おおかた中川が怯える遠藤の肩を捕まえているんだろう。耳元で適当な脅し文句でも囁いて助けを求められなくしているに違いない。
連中の声は運動場から見えない階段室の裏側へと移動していく。
俺は手を伸ばしてスマホの画面の左下、ムービーボタンをタップする。
「きゃっ」
遠藤が声を上げる。突き飛ばされたのだろうか。
ドンッと音がして振動が伝わってきた。遠藤が壁にぶつかったのだ。
予想通り。
中川、やっちまったな。遠藤がいるのは
そうだよな。運動場から見えないほうがいいもんな。壁に押し付けて逃げ場を無くしたいよな。
「落書き……お前だろ」
「……誰とやった?」
「教えて?友達でしょ?」中川が問い詰めにかかる。
優しい声だなぁ……、いじめてるくせに。断じて友達じゃないぞ。
「……知らない……」
遠藤は首を振るが、
「あ?」
馬鹿男子が冷えた声音で威圧する。
「ひっ」
「言えよ。オラァ」蹴りが入る。
鈍い音から一拍遅れて、
「うっ」
遠藤がうめいた。うずくまり、地面に手をついて吐息を漏らす。
「…………」
「……」
「駄目だ、こいつ何も言わねえよ。始めようぜ~」
「うん、そうだね。やっちゃえやっちゃえー」
何その諦めからの嬉しそうなセリフ。残酷さも感じさせてくるとか三色団子かよ……。
まったく、笑えない。
「はっじまっるよー☆☆」
「死ね死ねっ」
「今日も臭かったね遠藤さん!」
「今日も変わらないでいてくれたご褒美っ」
またしても鈍い音がして、
「うぅ……」
二の腕を押さえて遠藤は泣きだした。
「わ、キモッ」
「ありえん」
「視界に入らないでほしい」
「おい、お前らもやれよ」
「私やる」
中川が前に出て、ガッと遠藤の足元、太ももあたりを踏みつけた。
「あっ」
遠藤があえぐ。
男子は軽く絶句し、女子は色めき立つ。
「声もキモイ」
「死んで」
「消えてください」
「ほら、南もやりなよ。
「えっ……」
「もしかして、できない?」
「あ、いや、」
「そんなことないよね?」
「……うん…」
ニコニコ笑顔の中川に背中を押されて、
なるほど、肉体と精神、両方から攻めるやり方か。
一番効果の大きい方法だな。
遠藤も南も二人の友情も、完璧にズタズタだ。
よくやるよ。
でもな、中川。
そのやり方は良くない。
その脅し交じりの連帯感が、いじめのメンバー全員の顔をカメラの前に晒す結果になってるんだぞ。
この後、遠藤は散々蹴られ続け、それでもまだ足りないような顔をしながら中川ファミリーは「行こ行こ」とか言いながらぞろぞろ帰っていった。
一人屋上に放置されたのは遠藤。
彼女が痛みにきしむ体を起こしてふらふらと下階に消えていくまで、俺はただうつ伏せ状態のままスマホのカメラを回し続けた。
十分足らずの出来事だったが、これが彼女の精神に及ぼす悪影響は計り知れない。
助けるわけにはいかなかった。
世間にいいカッコするのは目的ではないから。それに今更助けたところで、今まで見捨ててきた人間が何を言える。どんな慰めの言葉をかけられるというのだ。
……いや、そんなことはどうだっていい。
とにかくこの映像が証拠になる。部外者の俺が映り込むわけにはいかなかった。
家族もすっかり寝静まった日付も変わりがけの自室。
部屋の明かりを消し、耳にはイヤホンをつけて、俺は何度も何度も暴力の副産物として発せられる遠藤の悲鳴を聞いている。
金曜の夜のことである。
あれから五日間、俺は同じ手法で中川達のいじめ映像を撮り続けた。
そしてとうとう中川達にカメラの存在に気づかれることなく、金曜の夜を迎えた。
今日も遠藤はちゃんと自分の足で歩いて帰っていった。耐えきったのだ。
ここで、一つだけ予定外の出来事があったことを告白せねばなるまい。
いじめは五日間で合計一時間弱にも及んだ。
その動画をすべてスマホに入れておくとどうなるか。
めちゃくちゃ重くなる。
使いづらくてしょうがないが、処理落ちしないだけましか。
明日、ネットカフェでこのスマホの映像を晒せば、俺の任務は終了。めでたくトンズラできる。それまでの辛抱だ。
念のため、一通り見返しているところである。
撮っている間は映像を見ることはできないので(見てたら頭が見えてバレる)、音だけ聞いていた俺にとっては実質初見ともいえる。
無言で、早送りの動画を目で追っていく。
……。
……!
待てよ……!
……!
へ、へぇ―――、こういうことまでするんだ、最近の子は。
馬鹿男子はいじめている女子を
触っちゃうんだ。
へぇ―――。
………。
……。
…。
。
名前は確か××××だったな。
「確か」じゃない。何度も確認済みだ。
映像の中で何度も名前が呼ばれている。
ノリなのか何なのか知らんが、見逃せないな。
遠藤が抵抗できないのをいいことに。
日付は金曜日の放課後となっている。今日じゃないか!特に音がしなかったから気づかなかったぜ……。
と、その時。
イヤホンで塞いだ耳に中川の言葉が反響した。
冷たく濁った、例えるなら泥水を固めた氷のような。
『やれやれぇ……クスクス』
くにゃりと吊り上がる唇はまるで三日月のように。
見開かれた瞳は焦点を失って。
中川、お前はいったい何を考えている……?
遠藤は病院送りにされずに済みました。精神的にはズタボロでしょうが。