正直、ゾクゾクした。
新たなる謎を手にした快感だろうか。こんな風に感じたのは生まれて初めてだ。
探偵小説では主人公が新たな事件に心躍らせるシーンがあるが、あの主人公は今思えばサイコパスだったんじゃないか。
そして同時に、「また面倒なことになった」とも思うのだ。
我ながら矛盾していると思うが、あいにく矛盾や混沌は俺の大好物だ。ご飯何杯でもいけちゃうぜ。
これまでと手口が違う。
それが一ノ瀬のノートを見た時の第一印象だった。
手口が違うということは、犯人が中川じゃない可能性がある。どうせ中川だろ、と断定が出来ない。面倒なことだ。
試しに一つ、カマをかけてみるか。それで尻尾を出せばこっちのものだ、と密かに舌なめずりをする俺である。
「またかよ」と俺は苦々しく口にした。
中川達の反応を見る。
中川、一ノ瀬、雨宮の目が一瞬こちらを向き、複雑そうに伏せられる。
まずはこれが当然の反応だろう、愚痴を吐かれていい気持ちはしまい。
問題はその次だ。
本音というのは演技の直後にもろに出るものだからな。
「……」
「……」
「……」
黙りこくる三人だった。
いや、相手の出方をうかがっているともいえそうだ。
荷物を置いた場所にそそくさと戻り、雨宮と話す中川、一ノ瀬を観察する。
ここでは「さりげなく」に徹するのがポイントだ。しつこいようだが、バレては元も子もないからな。
「どうしてこんなことするのかな……」
落とした肩を回すようにして居住まいを正し、雨宮はつぶやく。
「……」
「……」
二人は黙っている。いじめをした経験があるものとしては耳が痛いだろうな。
「……違う…よね?」
雨宮は遠慮がちに尋ねる。
目線は一ノ瀬と中川の両方に向けられているようだが、問い詰めたいのは中川だろう。
あなたの仕業ではないよね?、と。
いささか礼儀に欠ける行為だが、そうしたくなる雨宮の気持ちも分からなくはない。
中川は憎むべきいじめの元凶だったのだ。
俺だったらこれほど控えめに聞ける気がしない。間違いなく初めから中川を犯人として決めてかかっただろう。
まあ疑われて当然だ。犯人は現場に戻ってくるとも言う。そもそも、中川は違うと断定できる要素が無いのだ。
「いやいや。ないですそんなこと……」
以外にも中川はぶんぶん首を振って否定した。
もちろん、犯人が犯行を認める道理はない。しかし……仲間に手を出しはしないとでも言いたいのだろうが、いくら何でもあからさますぎやしないか。
明らかに動揺している。
登校し始めてから約二週間、こいつはクラス内でもことさらに慎重に振舞ってきたというのに。
やはりこいつが犯人か。
「……」
一ノ瀬は引き続きノートに向かって放心状態を継続している。
騒げば騒いだだけこの間の事件を蒸し返すことになるからな。正しい選択だ。
「じゃ、他の人か……。一ノ瀬さん、誰か心当たりのある人はいる?」
雨宮は心なしか不愛想に中川との話を切り、今度は一ノ瀬に、一度した質問を繰り返した。
そのサバサバとした態度から、雨宮が中川への疑いを微塵も捨てていないことが察せられた。
「いない……です」
一ノ瀬は答えた。いすぎて誰だか分からない、と。
「……そうよね」
雨宮は同意した。いない方がおかしいわよね、と。
雨宮と一ノ瀬が二人してため息を吐く。
俺は「いい加減教室に戻るか」という様子で教科書を抱えたまま手持ち無沙汰に三人の様子をうかがっている。
すると、腕を組んだ中川の流し目と目が合った。
俺が目を細めると、中川は口元を引き締め、視線を一ノ瀬に戻す。額に汗がにじみ、心なしか暑そうだった。
これは何かあるなと中川を凝視していると、今度はしっかり顔をこちらに向けて睨まれた。
まずい、俺が中川を疑っていることがバレたか。もしくは変態だと思われたか。きっと前者だろう。
が、少しばかりヘマをやらかしてしまった。
今日のところは撤退しよう。嫌われるのは別に構わないが、こちらの捜査を邪魔されては困る。
俺は荷物を抱えて教室を出た。いや、出ようとした。
「あれ?どうしたんですか?そろそろ次の授業が始まりますけど」
素っ頓狂な声をあげて家庭科室を覗いたのは、バカトウだった。
眉がピクリと動く。
ピッと体中の毛が逆立つような感覚を覚えた。反射的に振り返ると、一ノ瀬はノートを閉じ、中川は机の前に立って一ノ瀬とノートを隠すところだった。
お呼びじゃないぞ、帰れ。
「いえ、特には……」
雨宮は言葉を濁す。
話すだけ無駄だろう。
バカトウは先日のいじめの隠蔽工作の一員だった。
それどころかこいつは被害者の必死の訴え(実際は俺が偽造したものだが)をいじめの犯人の前で暴露した。
その日からいじめには暴力が加わるようになった。隠蔽者どころか、こいつは「支援者」にまで堕ちたのだ。
そんな人間に今回のことが知られても、またもみ消されるだけだ。
「そうですか。それでは。……生徒は早く教室に戻れよ。遅れてくると、勘違いされるぞ」
いたって真面目な口調で付け加え、バカトウは廊下に消えた。
嵐が過ぎ去ったような心持ちの四人、それぞれの心には強烈なわだかまりが残った。
「……はい」
「すぐ戻ります」
「……引き留めて悪かったわね。遅れないうちに教室に帰りなさい。遅れないうちに」
不自然に残っている理由をごまかしつつ、雨宮はバカトウの言葉の一部を繰り返す。
「大丈夫です」
「……」
家庭科の用意を抱え、無言の一ノ瀬と中川に続いて、俺も家庭科室を出た。
部屋を出る間際に雨宮がため息をつく音が聞こえた。
顔を合わせることもなく、俺の前方で中川と一ノ瀬は階段を上る。頭にバカトウの言葉が反響している。
『遅れてくると勘違いされるぞ』
分かっている、そんなことは。
そんな真っ当なセリフは、お前が言うべきじゃない。
正義のヒーローがこっそり助言として与えてこそふさわしい言葉だ。
あんたは底なしの悪者でいてくれた方がいいんだ。散々悪党チックに振舞ってきたくせに、急に手のひらを返さないでくれ。
あんたが真面目な口調で真っ当なことを言ったせいで、否が応にも意識してしまうだろう。
クズ以外の何者にも見えないバカトウのような教師でも、人並みの良心は持ち合わせていると。
いじめを黙認せざるを得ない理由があったのかもしれないと。
いじめを結果的に助長したことに対して罪の意識を少なからず持っているのかもしれないと。
そう意識してしまったら、戻れなくなる。
もう誰も責めることが出来なくなってしまう。
許しがたい罪ですら、誰もが犯す間違いの一つとして受け入れざるを得なくなるだろう。
ああ、こんな気分はうんざりだ。消えてしまえばいい。
クラスメイトの輪の中で意味もない話題に花を咲かせる夢をしばし見ていたが、目覚まし時計が耳をつんざき、暗澹たる気分で朝を迎える。
バッグを肩に下げ、ローファーに足を通すと、靴下に包まれた足が落書きまみれになった錯覚を覚え、冷や汗が噴き出る。
「今日は学校に行きたくない」と、笑顔で自分を見送る母親には言い出せず、ふらふらと道路に出る。
一歩一歩学校へと歩みを進めるにつれて、自分がしたいじめを他人からされるのではないかという重圧がみるみる高まり、息苦しさに何度も立ち止まる。
一つ目の難関である下駄箱に到着し、祈るような思いで汗ばんだ手を自分の上履きに伸ばす。
安堵のため息を長く吐き、教室のドアをくぐる。
はっとして机を凝視すると、遠目に机はきれいなままだった。
ひとまず安心だと席に着く。すると、気が付いてしまった。
机の端に小さな文字で、確かに鉛筆で「キエロ」と書かれていた。
胸にぴりりと痛みが走る。
心臓がどくどくと鳴り、顔面の筋肉が
昨日机の中に置き忘れたノートは破られてはいなかったものの、決して開くまいと固く決意する。
だが、授業があるのだから仕方がない。
恐怖におののきつつもノートに手をかけた。
またも安堵の息を吐き、おおよそ普段と変わらず授業を受ける。
しかし再び絶望に襲われる。
昨日写したノートの中央部分にうっすらと書かれた「バカ」を見つけてしまった。
思考と視線ばかりがパニックし、暗い空間に幽閉されたような閉塞感を覚える。教室はもはや出入り口を封鎖された巨大な石室にしか思えない。
まだいくつも
怖い。
歩くと足を引っかけられそうな予感がする。
誰かに監視されているのではという疑念がまとわりついて離れない。
どうして私だけ。他の人は?
沈んだ表情で一ノ瀬はきょろきょろと教室内を見回した。
夜も眠れていないのだろう、目にくっきりと青黒いくまが浮き出ている。
想像してみてくれ。
これが一ノ瀬が受けているいじめである。
陰湿だ。
陰湿でないいじめなんてあるのか?という話だが、とにかく陰湿だ。陰湿極まりない。
程度としてはむしろ軽い部類に入るだろう。嫌がらせ以上、いじめ未満とでもいうべきか。
問題は、最初の発見からかれこれ一週間が経過しているが、犯人が割れる気配が微塵もないことだ。
どういうことだ。
なぜ犯人が出てこない。
いじめを仕掛けずにいじめが出来るかよ。絶対どこかに仕掛けるタイミングがあるはずだろうが。まさか相手は魔法使い⁉ ナンチャッテ!!!
軽い頭痛を覚え、額に手をやる。考えただけ気が滅入って仕方がない。
ざわざわとやかましいがどこか平和な教室内の喧騒は俺一人をいじめの渦中に置き去りにしていくように、やけに耳に響いた。
何度か放課後にこっそり居残ってみたものの、見つけられたのはこの学校には教師の見回り制度がないことと、あとは静寂くらいのものだった。
教室の床はある程度掃除が行き届いていて、ノートの切れ端は散らばっていないし、机にも目立った落書きは見当たらない。
怪しげな動きを見せるクラスメイトもいなければ、外部から侵入してくる人間で一ノ瀬とかかわりを持つ奴もいないのである。偶然だとは思うがそれはちょっと寂しくないか。
要はノートを細工している奴などいなかったのだ。
犯人の手口は「本当は、犯人なんていないんじゃないか?」と思いたくなるほど巧妙、そして
クラスメイトの大半はこのいじめの存在にすら無頓着だ。一ノ瀬と中川もとい雨宮が隠しているせいでもあるが。
暴力で一ノ瀬が傷つけられないのは喜ばしい。
ただ、全く尻尾を出さないのである。
一見綺麗な机やノートにターゲットである一ノ瀬が今日は大丈夫かと安心したそばから、本人が凝視しないとわからないレベルの悪趣味なイタズラが仕掛けられているんだからな。手足も何も使わずに……。
なんとも
やるならきっちりやりやがれ、はっきりせいやボケ、などと考えてしまうのは不謹慎だろうか。
やり口は単純極まりない、ノートの落書きを発見させるだけ。だが効果は抜群だ。
ポケモンに例えるなら毒タイプ。
じわじわと相手を追い詰め、ターゲットを自ら破滅へと向かわせる。
謎なのは、先の事件の加害者の中で一ノ瀬のみがこうしたいじめを受けている点である。
夕暮れ時の自室。
明かりのともることのない部屋で開いた窓の隅でひらひらと揺れるカーテンをぽけっと眺めながら、今日あった家庭科室での会話を
いやはや、バレずに済んでよかった。
家庭科室で疑われた時はどうなることかと思ったけど。なんかアイツもいたけど。
ギリギリセーフ。雨宮先生、完全に出し抜いちゃいました☆ バカトウ、何それ?
一ノ瀬だって私が犯人だと疑ってるだろうね。なんせ前科一犯ですから。
でもね、次は絶対バレないんだ。
何でかって?
以前バレた時は誰かに尻尾を
だから今回は、尻尾が無い。手がかりが残っていないんだ。犯人はおろか、仕掛け人すら出てこないよ。邪魔な仲間はもういない。
この意味が分かる?……そう、絶対バレないってこと。
もう一度言うよ。
絶対バレないから。
書くの遅れましたってレベルじゃねえぞオイ!(半ギレ)