Oracion   作:若布.

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ジクフリクラスタですいません。


第一章

 こんなんだったっけか、と思わずにはいられない。

 召喚初日の夜、森の中の小屋に案内されたと思ったら、四人がけのテーブルは料理で埋め尽くされていた。

 目の前でほかほかと湯気を立てる具沢山のクリームシチュー、籠に山と積まれたバターロール、大皿の上で存在感を放つ、ハーブやスパイスのたっぷりかかった大きな牛肉のオーブン焼き、スキレットごと出されたスペイン風オムレツ。

 聖杯戦争って、こんなんだったっけ。もっと赤くて辛くて痛かったような。

 

「とりあえず豪勢にしてみたはいいけど、ちょっとやりすぎたなあ……」

 

 うーん、と首を捻る女の手にはミトンが着けられていて、エプロンと相まってまるで主婦か何かのようだ。しかもその手はまだ皿を運んでくる。最後にテーブルに置かれた木のボウルの中には、ハムや空豆の混ざったポテトサラダがあった。

 向かいに座るエミヤオルタも呆れている。彼はダークスーツのジャケットを脱ぎ、グレーのシャツの袖をまくっていた。

 

「どうやっても三人で消費する量では無い。久しぶりにやったな、マスター」

「うっぐぅ……ごめんて。おかしいねえ、二人で食べるご飯にも慣れたつもりだったんだけど」

「まあ最初の頃に比べればマシになったか。おいキャスター、残念ながらこれがうちのマスターだ。阿呆面晒しているところ悪いが、慣れろ。飯は食っておけ」

「誰が阿呆面だ……つか、本当にこれ食っていいのかよ」

 

 サーヴァントは食べなくても活動できる。受肉しているエミヤオルタはともかく、自分は飯を食わなくてもいいというのに。まあ、娯楽としてはありがたいし出されたものは遠慮なく頂くのだが。

 未だ眉間に皺を寄せている黒い弓兵の隣に腰掛け、マスターは寂しそうに微笑んだ。

 

「皆で食べるご飯、好きなんだ。ごめんね、嫌なら食べなくても――あっ」

 

 その口が後ろ向きな言葉を吐くのが、どうも気に食わなかったので。

 遮るようにしてシチューを一口啜ってみる。優しい味が広がった。

 ああ、と意味の無い母音だけしか言わなくなったマスターを尻目に、シチューを味わって嚥下する。

 

「うめえ」

 

 一言だけの感想で、マスターの顔が泣き出しそうに歪んだ。

 何でそんな顔をするのか分からない。分からないが。

 

「……そっか、よかった」

 

 そのまま淡く相好を崩した彼女が人類悪だなんて、考えられなかった。

 

第一章 邂逅、月夜

 

 結局三分の一程残ってしまった食物を片づけたマスターは食後のお茶まで出してきた。綺麗に拭かれたテーブルに並ぶティーカップには琥珀色の液体が揺れている。

 

「……さてと、私が仮眠とってる間に、どこまで聞いたのかな?」

 

 徐に口を開いた女は、先程までとは打って変わって『魔術師』の雰囲気を漂わせていた。

 

「お前さんとこいつが何であるか、は聞いた。悪いが、もう一つ質問していいか?」

 

 マスターは何も言わず静かに笑んでいる。沈黙を了承と受け取り、キャスターは続けた。

 

「お前さんが聖杯にかける望みは何だ。このような状況で、何故戦争に参加した?」

 

 死ななければ人類悪にならない、というのなら、死なないようにするのが普通ではないのか。聖杯戦争などという命の危険溢れる催しに参加したところでメリットも無い。もっとも、聖杯を使って彼女の状況を改善できるなら話は別だが。

 暫く黙っていたマスターは、紅茶で喉を湿すと答えた。

 

「簡単に言うなら、後始末だよ。今回の聖杯は元々私が保管していたもの。盗まれたから、取り戻しに来た」

「聖杯を、保管……?」

 

 到底信じられる話ではなかった。しかし嘘を言っているようには見えない。

 鸚鵡返しに訊ねても、そういう仕事をしていたんだ、というざっくりとした説明しか彼女はしなかった。

 

「ごめんね、説明が上手くできないんだけど、あれは――あの聖杯は、本来こんなことに使える代物じゃない。既にリソースの一部を使ってしまった、燃料不足の願望機なの」

「……別の聖杯戦争にでも使われたのか?」

「近いね。もっと入り組んでいるけど、とにかくサーヴァント召喚に利用されたあとのその聖杯を回収して、魔力を補充せずに、願望機として再利用できないように保管してたのが私。あれはあまり正しい用途で使われなかったものだから」

 

 だから二度と悪用されないように守っていた。

 けれど。

 

「で、そいつが盗まれたと」

「どさくさに紛れてねえ。それが十年前の話。この十年でどれだけ再充填できたか知らないけど、たった十年。冬木の聖杯で六十年かかっていたことを考えても、サーヴァントを喚ぶだけならともかく、願望機として機能できる訳がないんだ。足りないものを無視して無理矢理引き起こされたと見ていい。このままいけばこの戦争、破綻するよ」

 

 戦争の破綻。それが意味するものは何なのか想像もつかないが、とりあえず嫌な予感しかしなかった。

 では、彼女の目的は。

 

「つまりお前さんは勝つためじゃなく、止めるために聖杯戦争に参加するってことか」

 

 首肯を一つ返したマスターは、一転して申し訳無さそうに目を伏せた。

 

「だから、ね。願望機としての機能は諦めてもらう他ないんだ。せっかく召喚に応じてもらったのにこれだもの、降りてくれても構わないんだよ」

 

 キャスターは開いた口が塞がらなかった。

 サーヴァントに『やりたくないなら帰っていい』なんて言うマスターがどこにいる。従わなければ令呪でも使ってしまえばいいのだ。ここで己がハイそうですかと座に帰ればもう一度召喚を繰り返すことになるというのに。

優しすぎる。この女、間違いなく魔術師に向いていない。

 だが、そこが面白くもあった。口角が上がるのを抑えきれない。自分のマスター運は最悪だと思っていたが、久しぶりに大当たりだ。

 

「そうだな、まあ普通の英霊だったらこんな話蹴ってたところだが――お前さんは運が良い。生憎とオレは聖杯なんぞにかける願いも無いんでね。強いヤツと心躍る戦いができればそれでいい」

 

 マスターはほんの少しだけ懐かしむように、その言葉を聞いていた。

 その反応を不思議に思いながらも、キャスターは改めて宣言した。

 

「お前さんと一緒に戦ってやるよ、マスター」

「……ありがとう」

 

 ああ、そっちの笑顔の方が余程いい。

 どこか影のあった顔が、花咲くように綻んだ。

 

 

 

「では作戦会議を始めます!」

 

 鼻息荒く地図をテーブルに広げたマスターは、先程とは打って変わって生き生きとしている。水を得た魚のようだ。否、手慣れた雰囲気と言うべきか。

 

「私たちがいるのはこの山の北側ね。まず第一目標は聖杯を探すことなんだけど」

 

 彼女は地図の北西部に位置する山を指し、それからその指を南東に滑らせた。

 どうやらこの一帯は山間の谷になっていて、中央に流れる川の他に目立つものは無い。地図には田畑を示す記号ばかりが載っている。断言しよう、まごうことなきド田舎である。

 

「当ては?」

「無いねえ。残念なことに全く無い」

 

 にべもない返答であった。大丈夫なのかそれはと言いかけたキャスターの言葉を、今まで黙っていたエミヤオルタが遮った。

 

「通常、というか冬木の聖杯戦争の場合、監督役として聖杯を管理していたのは聖堂教会だった。しかし今回、教会は無関係だ。関わらせてもらえないと言った方が正しい。よってまず教会を当たるという選択肢は消え、目星もつかなくなったわけだ」

「エミヤも探してくれてるのだけど、ちっとも手がかりが見つからなくてねえ」

「ちょっと待て、教会が関わらせてもらえない?」

 

 一応冬木の聖杯戦争を経験済みであるキャスターは瞠目した。監督役がいないのでは戦争が無法化しないか。加えて、隠蔽工作はどうする。

 

「そう、今回の聖杯戦争は完全なる私闘。しかも参加する魔術師にはほとんど魔術協会の息がかかってる。部外者は私達だけかもね」

「だから聖杯がどこにあるか分からない、と」

「そういうことだ。加えて、隠蔽工作だの何だのも今回する必要が無い。何故ならここにはもう誰も住んでいないからだ」

 

 さっきからおかしなことばかり言われている気がする。怪訝な表情をしているであろう己に、苦笑してマスターが教えてくれた。

 

「ここね、近いうちダムができるんだ。ただでさえ少なかった住民も全員退去して、今は廃村」

「ダム……あー了解、今理解した。そりゃ誰も住まねえな、水に沈むんだから」

 

 聖杯から知識をダウンロードしてみて分かった。

 そういえば、と思い出す。細かい地理以前に、ここがどこの国かまだ知らない。

 聖杯に聞いてみる。答えが返ってきた。そんな馬鹿な。

 思わず目の前のマスターに確認をとる。

 

「待て待て待て、そもそもここって」

「日本だけど」

 

 あっさり聖杯と同じ解答を出してくださった。そんな馬鹿な。

 

「ウッソだろお前、じゃあ外のあれは」

「ああ、あれ? よく出来てるでしょう。力作なんだよ」

「まさかの自作」

「平地より何か建ってた方が戦闘にも便利だから。神殿として機能できるようにちょっとだけ細工もしたんだよ? これでもルーンは齧ってたしね」

 

 確かにお膳立てがしっかりしすぎているなとは思っていた。更地に家を建てようとしたら土台がもうありました、みたいな妙な感覚だったのだが、まさか本当に土台ができていたとは。

 

「もしかして構築式ちょっと間違ってた? 三十回くらい見直したから大丈夫だと思うんだけど……」

 

 不安げにこちらを窺う彼女に、慌てて首を振ってみせる。術式構築の手順がおかげでいくつもすっ飛ばせたし、邪魔になることもなかったのだから。

 

「いんや、全然問題無かったぜ。時間短縮にゃバッチリだ。いい師匠がいたんだな」

「……うん」

 

 ああまた、そんな寂しそうな顔をしないでくれ。

 そのとき、エミヤオルタの咳払いが空気を揺らした。途端にマスターの雰囲気が戻る。

 

「話を戻すぞ。とにかく第一目標は聖杯の在り処を探すことだ。それと、オレは戦力に数えるなよ。さすがに二人のサーヴァントを連れているとバレては事だからな、()()()()()マスターの護衛に徹することになる」

「もし参加せざるを得なかった場合、そこからの戦闘では開き直って暴れてもらう予定だけどね」

「なるほどな、了解した」

 

 その言葉で、結局やることは通常の聖杯戦争と変わりないのだと実感した。

 潰しあって、殺しあう。

 それ以外に何があるのか。

 

「とりあえずこんな感じかな? ちなみに、今召喚されてるのはセイバー、ランサー、アサシン、そしてキャスターの四騎。予定ではあと二日のうちに全陣営が揃う」

「真名は……さすがにまだ分かんねえか」

「さすがにね。まあ私は一目見ればだいたい――」

 

 ぱしり、と。

 空気が罅割れた。

 エミヤオルタが素早く立ち上がり、礼装も纏わずスーツのまま、マスターを庇うように手に黒白の銃剣を構える。彼もエミヤなのだからあれは投影品なのだろう。

 マスターも気づいている。エミヤオルタの防衛ラインから出ない位置に立ち、ポケットからいくつか鉱石を取り出して握っていた。

 キャスターも静かに立ち、いくつか自身にルーンを使い強化とした。

 

「……一個目の結界、切れたね」

 

 囁くような声が確認を取る。頷いたエミヤオルタが真鍮の目を厳しく細めた。

 

「始まってもいないというのに、気が早い奴もいたものだ。マスター、防御システムは」

「……駄目だ、的確に潰されてる。あれ造るの大変だったのになあ」

 

 小さくぼやいた彼女の目は強い光に満ちていた。戦場を知っている目だ、とキャスターは気づいた。彼女は、戦場に身を窶していたことがあるのだ。

 全員が息を殺し、狭い室内から出ることなく身構えていた。キャスターはちらりと背後を見る。大きめの窓が一つ。あそこからなら離脱も可能だ。

 脱出の策を講じた、しかしその瞬間。

 轟音と共に光が襲った。

 

「――チィッ!!」

 

 舌打ちして横に転がる。こんなもの防げる訳がない。何だこの凄まじい魔力の暴流は!

 じゅうっと何かが蒸発する音がした。見れば、さっきまで自分のいた位置から先の構造物が軒並み消滅していた。月光が射し込んでくる。夜風が冷たく頬を撫で、同時に冷や汗が背を落ちた。

 そうだマスターは。

 咄嗟に振り向くと、無傷のエミヤオルタが同じく無傷のマスターを抱いてしゃがんでいた。マスターの息が荒い。その顔は青白く歪んでいる。

 

「こらセイバー、加減をしろと言っただろう。避けてくれたからいいものの、あんなやり方で殺してしまっては死体が残らないじゃあないか!」

 

 誠に陽気な高笑いと共に放たれた愉快そうな声が、静かだった森を騒々しく揺らした。続いて、すまない、と一言だけの謝罪が聞こえる。

 ひゅ、とマスターが息を飲んだ。

 

「まあいい。さて出ておいで、『ビースト』。獣の権能、今見せてくれても構わんぞ?」

 

 そこに混じるのは嘲笑だ。吐き気のするような哄笑だ。

 半分消し飛んだ建物の中で、マスターは黙って拳を握りしめている。

 

「……エミヤ、一度離脱して。私はキャスターと切り抜ける。どうせあれは三人がかりでも殺せるような英雄じゃない――逃げるよ」

 

 低い声の指示を受け、エミヤオルタが彼女を離す。そのままゆっくりと距離を置き、かき消えた。その足下に光った魔法陣が直後に砕ける。おそらく決まった場所に転移するゲートのような魔術だ。壊れたのはアシがつかないようにだろう。

 

「さてと、キャスター? 初戦で大変申し訳無いけど、絶対勝てないから離脱します。私が合図したら真後ろの魔法陣に飛び込んで」

「了解」

 

 返事をしたそのときだった。

 

「何だつまらん――もういい。殺せ、セイバー」

 

 ひどく冷たい命令が聞こえた。

 キャスターは同時に地を蹴りマスターを庇って立ち塞がる。寸の間おかず、翳した杖に轟速で落ちてきた大剣の刃が直撃した。

 

「ぐぅ……っ!!」

 

 床に足がめり込む。食いしばった歯の奥から出た苦い呻きを噛み殺せず、キャスタークラスの不自由さを痛感した。槍が無い以外にも弊害まみれとは笑えない。

 駄目だ、いくらルーンで強化したとはいえ、素の筋力値が違いすぎる。向こうはセイバー、こっちはキャスター、鍔迫り合いがすぐ崩れるのは自明の理である。

 だから、馬鹿正直に白兵戦を仕掛けるつもりは無い。無いが、残念ながら両手が塞がっていてルーンを刻めない。

ところが直後、己の後ろからまさに刻もうとしていたルーンが発動した。

 

「アンサズ!!」

 

 火の玉が真っ直ぐセイバーに激突する。超至近距離からの、しかももういくつか強化を重ねた渾身の一撃である。さすがのセイバーもほんのわずかにたたらを踏んだ、その隙をキャスターは逃さない。

 

「オラァ!!」

 

 気合一閃、杖を力任せに振り切ったと同時に雨あられと火炎弾を撃ち込む。もうもうと立つ煙の向こうを省みることなく、キャスターは後ろに下がりマスターを抱き上げた。

 

「キャスター撤退!!」

「了解だ!!」

 

 もう二歩跳べば魔法陣の真上、あとは転移を発動するだけだが――セイバーがそれを許さない。粉塵の中から突っ切ってきた男の白銀の髪が月光を吸って輝いた。大剣が振るわれる。

 あと一歩、時間が足りない。

 瞬間、マスターが手を伸ばした。手の甲に青い魔術回路が浮かび上がる。

 

「冥界神に願い奉る! 『オシリスの塵』!!」

 

 がぁん、と鉄板を殴ったような轟音が響いた。

 振り下ろされた剣は透明な壁に阻まれ、弾き返された。男の翡翠色の瞳がほんの僅かに見開かれる。

 直後、魔法陣に到達したキャスターは転移の術式にスイッチを入れた。

 

 

 

「ぜえ、ぜえ、ぜえ……し、死ぬかと、思った」

「おい大丈夫か」

「あは、ちょっと、使いすぎた……力、入んないや」

 

 転移した先も森であった。

 ぺたんと地面に座り込んで力無く笑うマスターの魔力は、先の二回の魔術でかなり削られたようだった。ルーンはともかく、あんな高性能な防護魔術を用いたのだから当然だろう。

 暫し呼吸を整えていた彼女は、ようやくそれに成功すると「エミヤ」と従者の名を呼んだ。

 

「ここに。無事かマスター」

 

 森の中からすぐ現れたエミヤオルタは無傷のままで、戦闘の痕跡も見られない。多少スーツやシャツに砂埃が付いているくらいだ。

 

「何とか……追っ手は?」

「無い。とりあえず、撒くことはできたな」

 

 その言葉で今度こそ脱力しきったマスターはぐったりと上体を折り曲げた。額が落ち葉塗れになるのも構わず、地に伏せている。かと思ったら、そのままぐだぐだとぼやき始めた。

 

「最悪に過ぎる……まさかジークフリートとは。あのマスター絶対嫌な性格してるよう」

「魔術師に嫌な性格をしていない奴などいないだろう」

「そうだけどーーーもーーーあんなの反則だようーーーーー」

 

 何にも効かないじゃん、とぐりぐり頭を地面に押し付けながらマスターが叫んでいる。

そこでキャスターは首を傾げた。はて、今の戦闘のどこに真名を当てられる要素があったのだ?

 

「おいマスター、お前さんあれを『ジークフリート』だと知ってたのか?」

 

 ジークフリート、またの名をザイフリート。ドイツの叙事詩『ニーベルンゲンの歌』に登場する竜殺しの大英雄。確かに有名な英雄だが、宝具の真名解放すらされていなかったのにそれを言い当てるとはどういうことか。

 

「んえ? ああ、言ってなかったね。私、真名看破のスキル持ち」

「は?」

 

 何だそれルーラーじゃあるまいし、と言いかけたキャスターに顔を上げた彼女は続ける。前髪に落ち葉がくっついていた。

 

「私の獣の権能はそういう力を帯びているってこと。会ったことの無い英霊でも真名が分かる、みたいなものだと思ってくれたらいいよ」

 

 本日何度目かの絶句を経験したキャスターを尻目に、でもねえとマスターはぼやく。

 

「分かったからといって弱点を物理的に突けるかっていうと違うもんねえ。エミヤに後ろから狙い撃ってもらう?」

「難しいな。対策などとうに講じられているだろうし、マスターの存在もある」

「だよねえ……」

 

 がっくり項垂れた彼女の頭についた落ち葉をエミヤオルタが取り除く。この主従、どうも距離が近い。

 しかし、とキャスターは彼女らの事情から一旦目を離すことにして、現在の状況を整理する。

 陣地作成はこれでほぼ不可能になったと言っていい。あの隠れ家は早々にバレた上に、こちらがキャスタークラスであることは杖という得物からも露見しただろう。あそこ以外の霊地も押さえられ、待ち伏せされるに違いない。キャスタークラスの一番のメリットが消えた訳だ。

 

「どうすんだマスター。もうあそこには戻れないってことだろ」

 

 振り返って尋ねる。相変わらずエミヤオルタに葉っぱ掃除をされていたマスターは、そうだね、と座り込んだまま首肯した。

 

「仕方ない、次善策でいこう。えっとねキャスター、今回の参加者が皆魔術協会の連中だって話はしたよね」

 

 突然何の話を始めるのやら、結論が見えぬキャスターは曖昧に頷く。

 

「でね、さっきのセイバーのマスター、『ビースト』って言ったよね。私が何であるか知っている。私とあの人、初対面なんだけど」

「……情報を提供した奴がいる?」

「そ。おそらく聖杯を盗んで今回の戦争を企画した張本人――分かりやすいように『元凶』と呼ぶけど、そいつが自分と同じ目的の人間と手を組んで、協力して私の死体を回収しようとしているんだと、思う」

 

 つまり同盟だ。理解しかけて、キャスターは思い至った。

 待て。その言い方だと、まるで――

 

「まさか今回の戦争のゴールは、勝者を決めるんじゃなく」

 

 嫌な推測は的中してしまった。マスターがへらりと力無く笑う。全てを諦めたような、それでいてまだ立ち上がろうともがくような。

 

「ああ、気づいちゃったか。そうだよ、元々この戦争は私を(おび)き出すために仕組まれたもの。最初から『何でも願いを叶える』なんて賞品は意識されてない」

 

 向こうのサーヴァントは知らないと思うけど、と彼女は言い足す。

 

「そこからさっきの話に戻るのだけど、私を人類悪にしたい『元凶』派と、それに倫理的観点及び危機感から対抗する反対派、魔術協会内の二つの派閥がそれぞれ人員を出しあって始まったのがこの戦争。正確には元凶派に反対派が割り込んだ形ね。なので私には反対派という協力者がいるわけ。で、そっちに身を寄せるのが次善策。本来はあの霊地に反対派と籠城しつつ聖杯探索っていう作戦だったんだけど、間に合わなかったねえ」

「……人類悪をめぐる派閥争い、か」

 

 そこまで知っていて、マスターはこの聖杯戦争に身を投じた。狙われることを理解していて、なお『聖杯を回収する』という自身の役目を果たそうとしている。

 なんて事だ。

 

「ごめんね、できれば黙っていたかったけど、こうなったらもう」

「……何で謝る。アンタは何も悪くねえだろ」

「……キャスターは、優しいね」

 

 泣きそうに歪む目元とは裏腹に、その唇はまだ笑みを刻んでいた。

 優しいのはアンタの方だ。言い募ろうとする心をぐっと押さえつけキャスターは歯を食いしばる。腹が立った。優しすぎる彼女にも、彼女を利用せんと目論む人でなし共にも、彼女がこんな、どっちに行っても地獄しか待っていないような分かれ道に立たされている状況にも、そうなっても救いを求めようとしないことにも。

 

「――マスター」

 

 不意に、今まで沈黙を貫いていたエミヤオルタが彼女を呼んだ。

 なに、と応じる声音は恐ろしく柔らかい。

 

「簡易結界に反応があった。何か来るぞ」

 

 一難去ってまた一難、だ。身構えたマスターの傍らで、キャスターも杖を構える。

 それからきっかり十秒後、キャスターの探知可能範囲にそれは感じ取られた。

 

「サーヴァントがいるぜ。どうする?」

 

 さっきのセイバーではなさそうだが、味方とは限らない。マスターの言うような『元凶』派のサーヴァントであれば戦闘は免れない。

 やがて、正面の茂みが騒々しく揺れて――現れたのは黒髪の青年であった。

 

「立香! よかった無事だった! オルタも!」

「……立香」

 

 顔を綻ばせた青年を目にしたマスターが、ほう、と息を吐いて力を抜いた。エミヤオルタも銃を下ろす。

 それでその青年が敵ではないと分かり、キャスターは緊張を解いた。どうやら彼がマスターの言う『反対派』のメンバーであるようだ。

 

「転移陣が動いたから何かあったかと思って。怪我は無い?」

 

 腰を下ろしたままのマスターに青年は手を差し伸べる。それを掴んで立ち上がり、彼女は首を振った。

 

「大丈夫、ちょっと魔力を使いすぎただけ。立香、ランサーは?」

「霊体化して後ろにいる。あ、もしかしてそこの人が立香のサーヴァント?」

「そうだよ、クラスはキャスター」

「そっか。よろしく、キャスター」

 

 青年の海色の瞳が好奇心を滲ませてキャスターを認めた。おう、と鷹揚に返事をして、キャスターはふと先程からの会話が妙であることに気づく。

 立香?

 

「キャスター、紹介するね。彼は藤丸立香。私の十年来の友人で、さっき言ってた協力者の一人。ランサーのマスターでもある。同姓同名だからややこしいかな?」

 

 偶然なんだよねと苦笑する、立香と呼ばれた青年。白い半袖シャツに黒のスラックスという簡素な出で立ちで、短い黒髪は襟足だけが背の真ん中まで伸びて一纏めに括られている。顔立ちも髪や眼の色も違うから、親戚でもないのだろう。偶然とは怖いものだ。

 

「それで立香、何があった? 俺、あっちの拠点はまだ見てないんだ」

 

 しかし立香が立香を立香と呼ぶ――名前がゲシュタルト崩壊しそうである。

 知らず目を白黒させていたキャスターとは反対に、マスターは落ち着いた様子で同姓同名の彼へ説明を始めた。

 

 

 

「ジ、ジークフリートかよ……動く要塞とか無茶苦茶だ」

 

 頰を引き攣らせる立香にマスターも渋い顔でため息を吐く。何せ悪竜の血鎧(アーマー・オブ・ファヴニール)は背中の一点以外、Bランク以下の攻撃を全カット、Aランク以上の攻撃ですらBランク相当分のダメージをカットするという、立香の言う通り『要塞』級の防御力を誇る宝具――とは、マスターの説明である。どうも詳しい。

 

「何とか多対一にもっていって背中を狙うしかないでしょう。他の二人の戦力はどうなの?」

「召喚を邪魔された。連中、ハナから戦争なんてする気が無いんだきっと。まあ召喚自体はできるって連絡が入ってるから、近いうち合流できるぞ」

「そっか……とりあえず、ジークフリート対策をしなくちゃならないね。

 ランサー、あなたの意見は?」

 

 立香の背の向こうに目を向けてマスターが意見を求めた。

 すぐに空間が揺らぎ、サーヴァントが現界する。痩身に金色の鎧、病的に白い肌に白い髪の男である。

 

「マスターの魔力さえあれば互角だ。オレは燃費が悪いのでな」

「ぐうっ」

 

 吊り目ぎみの青い瞳にちらりと一瞥された立香が身を折る。魔力の話がだいぶクリティカルヒットしている。

 

「どうしたマスター」

「ごめん、ごめんなランサー……俺がポンコツなばっかりに……」

 

 無表情のままのランサーはきょとりと首を傾げた。しゃらりと金の大きなピアスが揺れる。

 

「確かにマスターの魔力量は人並み以下だが」

「もうやめてランサー! 立香が泣いちゃう!」

 

 慌てて遮ったマスターは立香を抱き寄せ黒髪を撫でて必死で慰めている。彼女も魔力が然程多くないから、彼の気持ちが痛い程理解できるのだろう。エミヤオルタがその様を見て、声を殺して笑っていた。

 

「と、とにかく! セイバーの相手はランサーにしてもらうことになると思うから、それまで魔力は温存するように。そうだ、あとでサーヴァント同士話をしておいて。実際セイバーの剣を受けたキャスターから言えることもあるでしょう」

「おう」

「承知した。しかしキャスターのマスター、相手がジークフリートならば、オレも戦闘経験の記録が残っている。多少は助力になるかと」

 

 あらそう、とマスターが目を丸くした。

 

「なら余計に話をしておかないとね。キャスターだってセイバーを相手しなきゃいけなくなるかもしれないし」

「嫌なこと言ってくれるぜ、ったく」

 

 割ともう懲り懲りなキャスターであった。これがランサークラスなら多少は楽しめただろうに。

 肩を竦めれば、苦笑するマスターと目が合う。

 友人の手前、余計な心配をさせたくないのか随分明るく振舞っていた彼女だが、そのときほんの一瞬だけ、その琥珀色がぐらりと揺らいだ。

 けれどあっという間に元に戻って彼女は一つ手を叩く。

 

「さ、とりあえず移動しましょう。立香、悪いけどそっちに身を寄せることになっちゃった。案内お願いできる?」

「勿論。立香がそう言うと思って、俺も色々準備してきたよ」

 

 互いを呼びあう二人は仲睦まじく、きょうだいのようであった。

 

 

 それで、とキャスターは立香に案内され辿り着いた隠れ家――古めかしい日本家屋の外で結界を組みながら口火を切る。

 

「まだ真名も明かしてなかったな。これから同盟を組むんだ、言っておこう。オレはクー・フーリン、クランの猛犬ってな」

 

 ぼう、と夜闇が光りランサーが正面に姿を現した。金色の鎧の男は慇懃に礼をする。

 

「先に名を明かして頂いたこと、感謝する。応えよう、オレはカルナ。太陽神スーリヤの息子。共に戦えることを光栄に思うぞ、光の御子よ。ところで貴殿は槍の名手と聞いているが」

 

 それを言われるとちょっと遣る瀬無い心持ちになる。何せ今回はキャスターだ、いつもと勝手が違いすぎた。

 

「うっせえ、こちとら槍無しだ悪いか。キャスターなんぞ性にあわねえっての」

「そうか。残念だ、手合わせでもと思ったが」

「よーしやめようこの話やめよう、な?」

 

 あまりに色々抉られるのでキャスターは手を振って話を早々に切り上げた。己の槍が無いだの何だのより、確認せねばならぬことがある。

 

「で、アンタはどこまで事情を知っている?」

 

 問いかけても、ランサーの淡い青色の瞳には何の感情も浮かんでこない。恐ろしい程に冷静な眼差しだった。

 

「こちらのマスターからおおよそは聞いた。人類悪、それを狙う魔術師、この聖杯戦争がおかしいこと」

 

 だが、と彼は続ける。

 

「オレは聖杯に何も望むものがない。故にこの戦い、マスターが望む通りに貴殿の主を守護しよう」

 

 ――嘘を言っているようには見えなかった。正真正銘、彼はあの女を全力を以て護るだろう。それこそ彼の主の願うように。

 キャスターは自然入っていた肩の力を抜く。どうもこのカルナという男、こちらが気後れするくらい真っ直ぐだ。

 

「んじゃ、よろしく頼むぜ。そういやマスターたちは大丈夫か?」

 

 ふと思い出したのはふらふら覚束ない足取りの己のマスターを支える青年のことであった。二人とエミヤオルタが隠れ家の中に入ってから全く物音がしないので少々気がかりであったキャスターである。

 聞かれたランサーが答えようとしたちょうどそのとき、家の引き戸が軋みながら開いて、中からエミヤオルタが出てきた。

 

「二人とも寝入った。ランサーのマスターはともかく、うちのマスターは色々と限界に近かったからな」

「そうか。お前はどうすんだ? 受肉してんなら睡眠は要るだろ」

「問題ない、元々多少寝ずとも動ける身体だ……と言いたいところだが、面倒なことにあのマスターは添い寝しないと夜中に悪夢で目を覚ます。用が済んだら寝所に戻るさ」

「添い寝って……ああいい、もう何も言わん。で? 用って何だよ」

 

 至極真面目にとんでもないことを言うエミヤオルタにそう訊ねれば、彼はランサーの方へ目を向けた。

 

「ランサー、アンタがセイバーと全力で戦うとして、あの凡骨マスターの全魔力で何秒保つ?」

 

 さらっと凡骨と宣う彼に、それを意にも介さぬ様子でランサーが淡々と答えた。

 

「十秒も保たん。宝具を考えないとしても、魔力放出だけでマスターは枯れる」

「燃費悪すぎだろ……」

 

 思わずキャスターは呟いた。それでは力をセーブせざるを得ない。

 一方何やら思案していたエミヤオルタが、自身の胸に手を当て――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「は……?」

 

 言葉を失う。振り向けば、ランサーが目を丸くしている。

 

「ふむ、ここに入れたはずなんだが……ああ、あった」

 

 ずるりと出てきた手には勿論血も付いていないし、胸に穴も開いていない。割とスプラッタな光景に呆気にとられていたキャスターは、そのときようやく彼の手に金色の何かが握られているのに気づいた。

 そこから感じられるのは膨大な魔力。まさか、それは。

 

「いざというときに使え。奴等の聖杯の十分の一も残っていないが、一戦分くらいは賄えるだろう」

 

 ぽい、と何の躊躇いもなく放り投げられたその金の盃を、ほぼ条件反射でランサーがキャッチした。

 

「えっちょ、待て待て待て待ってくれ、何でお前が聖杯持ってんだ!?」

「もう一つあるが」

「何だと……?」

 

 カルナが呆然と呟いた。それはそうだろう、本来ならば死に物狂いで掴み取るはずの目玉商品が、一介のサーヴァントの胸から二つも出てくるとかどういうことだ。

 

「貴様らすごい顔だな……まあいい。それはな、うちのマスターが昔保管していた内の一つだ。そっちは以前の持ち主に使い倒された挙句オレの強化と受肉に大半を使ってしまった上、補充もできていないからほとんど空だがね、燃費の悪いサーヴァント一人の魔力を数時間補うくらいは残っている。悪いがもう一つはオレが使わせてもらうぞ」

「……聖杯、盗まれた一つだけじゃなかったのかよ」

「誰が一つだけだと言った。多いときで二十近い聖杯を管理していたんだぞ」

 

 あ、もう駄目だ。あまりの爆弾発言にランサーと二人、沈黙しかできない。

 全く愉快な阿呆面だとエミヤオルタは嗤った。

 

「とはいえ、現存しているのはオレの二つと盗まれた一つだけだ」

「何でんなもん胸に入ってんだよ……」

「昔、とある理由で聖杯を用いた霊基強化を試したことがあってな。サーヴァントは魔力を溜め込み霊基を強化できるだろう。それを応用したのが聖杯の中身を用いた転臨システムだった。まあ、強化ごときで中身を使いきれるはずもなく、しかし願望機にはできないような中途半端な魔力プールが残ったんだが」

 

 滅茶苦茶な話である。確かに理論上は可能だろうが、そんなことに聖杯を使うなど聞いたことがない。

 絶句するキャスターの傍らで、ようやっとショックから脱せたらしいランサーが聖杯を握りしめて頭を下げた。

 

「感謝する、エミヤオルタ。このカルナ、貴殿の信に報い必ずやセイバーを討ち果たしてみせると真名に誓おう」

「……マスターには黙っていろよ。オレの独断だ」

 

 居心地悪そうにふいと踵を返して、エミヤオルタは家の中へ消えていった。

 何だかその反応がいけ好かない赤い弓兵を思い出させて、やっぱり同一人物なんだなと今さらキャスターは実感した。

 

 

 ああ、泣いている。少し遅かった。

 畳に敷かれた煎餅蒲団の上で、横たわる夕焼け色の女は静かに涙を流していた。

 時折閉じた瞼が戦慄いて、何かに怯えているようだった。

 隣の蒲団でぐっすりと眠る青年を起こさぬよう足音を消して、彼女の蒲団に滑り込む。

 エミヤ、と眠っているはずの彼女が呟いた。

 

「エミヤ、アーチャー、殺して。私を殺して」

 

 ぎゅうと布地を握りしめる白い手を、己が手で覆ってやる。

 

「大丈夫だ、マスター。オレが殺してやる。何も殺させず、何も滅ぼさせず、お前を終わらせてやる」

 

 囁く声が夜闇に溶ける。

 月だけが煌々と明るい、そんな夜だった。

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