Oracion   作:若布.

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はた迷惑ステッキさん登場回


第四章

 忘れ去られた村のぐるりを取り巻く山々、そのうち一番高い山の頂上に、忘れ去られた神の社がある。

 もはや祀る者もおらず、ただ小さな本殿と社務所、そして鳥居を風雨に腐らせていくだけだった神社の境内に、一人の男が足を踏み入れた。

 黒いスーツのその男は長髪の女性を片腕に抱きかかえ、さらにもう一人、女と同じ髪色の小さな子供を小脇に抱えていた。彼は真っ直ぐ鳥居をくぐり、本殿の階段を革靴のまま上がって格子戸を開く。

 

「やあ、待ってたよ」

 

 突然の来訪者に驚きもせず、にこやかに振り向いたのは青年であった。整った顔で綺麗に微笑み、白くゆったりとした礼服の両腕を持ち上げて彼は歓迎の意を示す。

 迎え入れられた方の男は微塵も表情を動かさぬまま、抱えていた子供を床に無造作に落とした。

 

「うん、これで揃ったね。十年間、本当にご苦労様。あとは僕に任せて、君は世紀の大事業をゆっくり鑑賞していてくれたまえ」

 

 ぎしぎしと不穏に軋む床板を踏みしめ、青年は床に転がされた夕焼け色の髪の子供を睥睨する。

 おかあさん、と子供が虚ろな目をして微かに呟いた。

 

「憐れだね、ツヴェルフ。サーヴァントを母と誤認した可哀想な子。君の存在意義なんて、最初から一つしかなかったのに」

 

 青年はしゃがみ込み、ツヴェルフと呼んだ子供の腹に手を当てて呪を唱えた。

 びくりと子供が痙攣し、腹から緩慢に引きずり出されていく金色を、口から血の色の泡を吐きながら見下ろしていた。

 やがて完全に外に現れた金の杯を片手に携え、青年は立ち上がる。その足元には既に事切れた小さな身体がぐったりと身を横たえていた。

 魔術的な措置により子供に埋め込まれていた金色の願望機を、青年は愉快そうに弄ぶ。

擦り切れた床板にはっきり描かれた魔法陣を、来訪者の真鍮の瞳がじっと見つめていた。

 

 

 

 それは何の前触れも無く始まった災厄であった、と、受肉して後あれ程激しかった記憶喪失がぴたりと止んだエミヤオルタは記憶している。

 当時、人理継続保証機関カルデアには、一人のマスターと百にも届く数のサーヴァントがいた。まだ少女と形容するに相応しい、魔術師ですらなかった一般人のマスターは、一度世界を救ったあともマスターとして人理を守り続けていた。

 以前彼女が相対したのは、人類どころか星すら巻き込む大災厄だったという。ビーストⅠと呼称された魔術式の企てた『転生計画』を防いだ少女は、星を救った功績から、死後に英霊の座へ導かれることが決まっていた。その特性から、『全ての英霊を従えた救世主』という英霊になる予定だった――以上は、今回の計画に参加する時点でアラヤからエミヤオルタへと与えられた知識である。

 英霊としての可能性を内包した彼女は、世界を救った後に今度は身内に狙われることになった。主に数多のサーヴァントを従える能力を狙っての、色々な汚い思惑が彼女をつけ狙った。

 だが、一人だけ全く違う観点から彼女に目をつけた者がいた。現在エミヤオルタの眼前で着々と魔法陣を書き上げている青年その人である。

 その男はたいそう賢く、また典型的な魔術師であった。いったいどこでどうやって少女の可能性を知ったか、もしくは推測したかは定かでないが、とにかく彼はカルデアに潜入し、あるとき事を起こした。

 ――もし、生きているうちに『全ての英霊を従えた救世主の英霊』という可能性を無理にでも発現させたら、どうなるか?

 それは則ち未来の先取りである。数多ある選択肢の中から一つの可能性を引きずり出し、生身の少女に埋め込む、外道の術式である。当然、そのように構築された術式は膨大な魔力を必要としたが、それを補って余りあるリソースがカルデアにはあった。聖杯という、リソースだった。

 男は保管庫から一つ聖杯を盗み出し、マスターに術式を作用させた。

 結果から言えば、確かに彼女は変転した。だが顕れたのは救世主ではなかった。

 ()()()()()()()

 救世主は獣に堕ちた。彼女は自我を無くし、ただ目についた脅威を全て排除するだけの破壊機構と化したのである。――後に『ビーストØ/D』と呼称されることとなる、大災害の降臨だった。

 『全ての英霊を従える』概念体の能力は『全ての英霊の宝具を使用できる』ことだった。目の前の敵の属性、特性を瞬時に判断し、最適な武器を選び出す。皮肉にも、それまでの彼女の戦いと全く同じ状況が生まれていた。

 そうして、彼女は殺した。

 殺して、殺して、殺し尽くした。

 最愛の仲間を、その手で。

 皆殺しだった。人もサーヴァントも関係なく、反撃を躊躇った者から死んでいった。もはや彼女は人類最後のマスターではなく、一体の殺戮兵器であった。

 当時、エミヤオルタともう一人のエミヤはこの事態を受けて守護者として再起動し、アラヤからのバックアップを受けて彼女の暴走を食い止めようとした。実際、不可能だったが。その獣はたった二人の殺し屋が殺せるような相手では無かった。まさしく、生きた大災害だった。

 ただ一人、人間の中で奇跡的に生き残ったもう一人の藤丸立香だけが、その事態を収めることに成功した。彼の手には、死にゆくサーヴァントの一人が最後の力で託した聖杯があった。

 

『この獣を人に戻して』

 

 願いは、叶った。

 彼女の特性は二つ。『全ての英霊を従える』こと、そして『救世主』であること。この二つは相互関係にあり、どちらが欠けても『英霊:藤丸立香』は成立しない。彼女は全き一般人であり、英霊たちの助力無しには世界を救えるはずもなかったからである。

 聖杯はこれら二つの特性のうち、前者を消去することで少年の願いを叶えた。その特性は各英霊と培った記録、及びそれに伴う絆によるものである。したがってそれを()()()()()()()、『全ての英霊を従える』概念そのものが消失する。従者の側から関係を断つ。そのように聖杯は作用した。カルデアに召喚された分霊の記録、特異点ではぐれサーヴァントとして喚ばれ人類最後のマスターに味方した、また逆に特異点の元凶に喚ばれ彼女に敵対した分霊の記録、ありとあらゆる『彼女に関する記録』は、文字通り、無かったことになった。

 ただし、それも応急処置に過ぎない。完全な聖杯ならまだしも、カルデアに残っていた聖杯は全て燃料不足の不完全な願望機であった。よって記録を完全に消去するには至らず、封印のみに留まった。それが解けるのは――彼女が息絶えたその時だ。

 記憶を封印されなかった例外は何騎か存在する。受肉し今なおここに存在しているエミヤオルタ、忘却補正により不完全な聖杯の力を跳ね除けたアヴェンジャー達――うち、現在召喚されていない者達については推測の域を出ないが、へシアン・ロボを見る限り、彼らもまたスキルによって憶えているのは間違いない。そして最後の一騎、身の内に宿した聖杯によって記録封印に抗った正規のエミヤである。

 

「…………お人好しめ」

 

朽ちた社の内壁に背を預け、誰にも聞こえない声量でエミヤオルタは呟く。誰に向けて言ったのか、自分でも定かではなかった。

 破壊し尽くされたカルデアでの最後の夜、まだエーテルの身のままであった彼は夢を見た。地獄を見なれた男にすら、地獄と思わせる(記憶)だった。

 それで気づいてしまったのだ。彼女が、あの光景を、あの悲鳴を、宝具を振るったその手応えを、残らず憶えているということに。

 それは、彼女にとってはいったいどんな地獄だったのだろう。

 愛した者を、守りたかった者を、勝手に動く己の手が次々と殺していく。何もできず、目を閉じることすら許されず。ただ惨劇を脳に焼きつけられ。

 エミヤオルタは魘され泣き叫ぶ少女を抱きしめて押さえ込み、夜を過ごした。その様を目にしてしまった赤い弓兵も、また気づいたようであった。彼はいっそ絶望の方がまだマシだと言うかのような、最後の希望を目の前で握り潰されたような、悲愴に過ぎる目を、していた。

直後、二人は彼女を殺そうとした。もういっそ死んだ方が彼女のためだとすら思った。こんなになってまで何故生きる。もう終わらせてしまえばいい。本気で、そう思っていた。

 だがアラヤが弓兵達に告げたのは、さらに残酷な命令であった。

 守護者にせよと。そのために動けと、人類の総意思は言った。殺すな、生かせ、ぎりぎりまで生かして、契約を結ばせろ。

この仕事に二人も人員を割く必要はないと判断されたのか、エミヤオルタだけが残ることになった。赤い弓兵が既に重傷を負っていたのもその一因であった。受肉しようにも霊基が傷つきすぎていた。

 座に帰る間際、彼は願った。身の内にあった二つの聖杯、うち一つに『忘れぬように』、もう一つに『いつか彼女の助けとなれるように』と。アラヤの守護者ではなく一人のサーヴァントとして、マスターを救うために。

 それぞれに、思うことがあった。

 互いに確認したことはない。ただ、言うまでもなく分かりきっていた。どのような末路を辿っていても、彼らは同一人物であるのだから。

 二人、それぞれに約束をした。

 否、壊れ狂った少女に対し一方的に誓ったのだ。

 必ず救うと、誓ったのだ。

 ――地獄を見た。

 地獄を見た。地獄を見た。地獄を見た。

 誰もが願った未来(幸福)が、粉々に砕かれてゆくのを見た。

 

『もし、私が道を踏み外したら。私が悪い誰かに利用されることがあったら』

 

 いつだったか寂しそうに微笑んだ彼女が、冷たい獣になるのを見た。

 

『そうしたら、エミヤが私を殺してくれる?』

 

 完成間近の魔法陣の中心に浮く、少女だったマスターの髪が海月の如く宙を揺蕩う。

 固く閉じられた瞼の奥の琥珀を思う。

 いつか、どうか幸せにと。サーヴァントの多くが願ってやまなかった、儚い救世主の瞳を思う。

 もう二度と、その琥珀がガラス玉の空虚を抱かぬように。ただそれだけを為すために、黒い守護者はここにいる。

 

『ありがとう、エミヤ。やっぱりあなたは――』

 

 彼女の望んだ正義の味方であるために、錬鉄の英雄はここにいる。

 

第四章 それぞれの

 

 誰も、一言も発しない。

 すっかり夜も更けて、昼間の戦闘が嘘のように静寂が森に満ちていた。マスターを拉致し逃走したエミヤオルタを追うのは、全員が戦闘可能なレベルまで回復してからだと立香が判断したのである。そしてキャスターもそれに異論は無かった。逸る気持ちのままにぼろぼろの状態で突き進んだとて、彼女を救い出せるとは到底思えなかったからだ。何せ向こうには、まだセイバーが残っている。

 元の面影を残さぬほど破壊された隠れ家の外で、キャスターは木に背を預け杖を抱えて座り込んでいた。身体の傷は大方治ったが、それより、心が縄で擦られているようにしつこく痛んでいた。

 魔力の切れた立香は焚き火の傍で身を縮めて寝息を立てている。その隣にはランサーが彼を守るように座していた。

 

「……どうだった」

 

 キャスターは火を眺めながら問う。

 背後でアーチャーが実体化し、腕を組んで頭を振った。

 

「駄目だな、既にホムンクルスは行方を眩ませていて、あの学校はもぬけの殻だ。大した情報は得られなかった。それと、ゴーレムの残骸が増えていた」

「……つーことは、やっぱ」

「『回収』されたと考えるのが妥当だろう。バーサーカーのマスターという役割以外の、何らかの使用方法があるはずだ」

 

 そして、このタイミング。

 バーサーカーが倒され、残るサーヴァントはセイバー、アーチャー、ランサー、キャスターの四騎。そのうちセイバーを除く三騎が同陣営である。

 キャスターの見立てでは、敵はバーサーカーとライダーを使ってキャスター達を倒し、人類悪を回収する予定だった。ところがバーサーカーの陣営が独立し、さらにライダーがはぐれサーヴァントと化した(おそらくはマスターを喰い殺した)ことで、彼らは積極性を排し静観を決め込んだ。結果、ライダーとバーサーカーが潰し合う形となった。敵にとってはまさしく、厄介事が共倒れになってくれた訳だ。だからこそ今動いた。残る駒はセイバーのみ――否、もう一つ、駒はすぐ近くに隠れていた。

 

「このタイミングでオルタを寝返らせる、か。下手すりゃその十年前の事件の直後から、奴らは繋がってたってことになる」

「……ああ」

 

 アーチャーの声は低く沈んでいる。

 キャスターとて納得できるはずがなかった。エミヤオルタは『守護者』で、藤丸立香を獣にしないために受肉までしたのではなかったか。これではまるであべこべで、その真意が全く見えてこない。

 加えて、裏切りに対する怒りで沸点を超えていた頭が冷えてくるにつれ、キャスターの脳内にはさらなる違和感が生まれていた。

 

「おい弓兵、パスはどうなってる」

「……健在だ。魔力提供に問題は無い」

「オレもだ。()()()()()()()()()

 

 もし――とても業腹だが――エミヤオルタの立場に自分がいたら、とキャスターは仮定する。

 敵戦力は一つでも潰しておきたい。そして相手はサーヴァントであり、しかも片方は自分の使い魔になった男である。さらに言えば、アーチャーとキャスターという二人のサーヴァントを縛る令呪と、霊基を維持するパスを掌握できている。破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)みたいなもので契約を切るとまではいかずとも、アーチャーへの魔力提供を遮断し、さらにキャスターへのパスにマスター側から介入して魔力提供を断つことができれば最高だ。上手くいけば敵戦力の三分の二を削ることができる。ランサーの相手はセイバーがすればいい。残るは障害にもならない凡骨魔術師の青年だけになる。加えて、マスターとサーヴァントのパスが残っている状態ではサーヴァント側からマスターを逆探知され、ビースト顕現を邪魔されるリスクがある。パスへの対処は最優先事項であるはずなのだ。

 さて、では何故エミヤオルタはそれをしないのか?

 

「おかしいだろ。オレらはまだ魔力提供を受けている上に、マスターの場所だって何となく分かる。これじゃまるでオレらに見つけてほしいと言ってるようなもんだ」

 

 謎が謎を呼び、あの黒い弓兵が何を考えているか露程も予測できない。いったいあの男は何がしたいのか、何が目的なのか、そもそも誰の味方なのか。

 アーチャーは何も言わない。黙って木に凭れている。

 ぱちり、炎の中で枝が爆ぜた。

 

「……場所、分かるの?」

 

 今まで眠っていたはずの立香が緩慢な動作で起き上がる。まだ動きが鈍い。起こされた上体をランサーがそっと横から支えた。

 

「分かるぜ、何となくだけどな。なあアーチャー?」

 

 頭を倒して斜め後ろに視線を投げたキャスターに、アーチャーは是を返した。

 

「ああ。私の感覚では、あの一番高い山だ」

 褐色の指が闇の中のある方角を示す。人間である立香には確実に見えていないが、サーヴァントは夜目が利く。二人にはこの辺りで一番標高の高い山が見えていた。

 キャスターにしても同意見であった。山のどこかは流石に掴めないが、少なくともあの山の中にいるのは間違いない。

 

「近づけばもっと詳細に分かるはずだ」

「……分かった。夜が明けたら、行こう」

「マスター、それは」

 

 今まで沈黙を続けていたランサーが初めて声を発した。炎に照らされた青白い顔が、僅かに心配の色を宿していた。

 

「大丈夫だよ、ランサー。俺は大丈夫。ああでも、俺の魔力が回復しないんじゃあ、ランサーだって戦えないか」

 

 眉根を寄せ考え込んだ青年をランサーは暫し見つめて、やがて何かを決心したように頷き、胸に手を当てた。

 

「マスター、これを。エミヤオルタから預かったものだ」

 

 その身の内から金の杯が取り出される。

 立香は目を丸くした。炎の色が、海色をゆらゆらと舐めていた。

 

「せ、聖杯……!? ああそうか、あの人はそうだった。え、それ中身残ってるの?」

「ああ、セイバーとの戦いで使え、と。今となっては信用できないかもしれないが、オレは彼がこれを預けてくれたことに報いたいと思う」

 

 だから魔力のことはいい、そう言いたかったのだろう。

 立香が心底安堵したように肩の力を抜き首肯した。

 

「……決まりだな、夜明けが来たら出発だ」

 

 キャスターの言葉に異論を唱える者はいなかった。

 

 

 

 連なる山々の峰のうち、最も高い一つを目指す。

 一行は二手に分かれていた。二人ずつではなく、サーヴァントと人間に、である。

 

「無茶だ」

 

 出発前、ランサーはそう断言した。

 あまりの一刀両断っぷりに気勢を削がれたらしく視線を泳がせた立香であったが、それでも負けじと再び自分のサーヴァントを睨んで声を張り上げる。

 

「無茶は承知だっ! それでもこれは譲れないぞ、ランサー。俺は一人で行く。お前はセイバーを引きつけてくれ」

「何故そのようなことをする必要がある」

「……悪い、言えない。でも大事なことなんだ、頼むランサー」

「駄目だ。仮にセイバーを押さえられてもマスターが残っている。魔術戦になればお前に勝ち目は無い」

「そ、そこまではっきり言われると泣けてくるな……。いやいや、やってみなくちゃ分からないだろ!」

 

 いや充分分かりきってると思うがな、とキャスターは冷静に脳内でつっこんだ。

 とはいえ、彼には立香を止める気は毛頭無かった。短期間であったがこの青年が無茶はしても無謀はしないと知っている。ここまでサーヴァント達を遠ざけようとしているのは、きっと何か、彼だけが単独で動かなければならない理由があるからなのだ。キャスターと同じくアーチャーも黙していたのは、彼も立香の真意を薄々察したからであろう。

 まあそれにしても、無茶には違いなかった。片や凡骨、片やあのセイバーの出鱈目な出力を補って余りある魔力を有する魔術師である。勝敗などもうこの時点で判じられる。もし立香がセイバーのマスターに見つかれば、即ち死だ。逃走すら不可能だろう。

 しかし立香は一歩も引かぬとばかりに足を踏ん張って、全力でランサーに対峙していた。とにかく、と彼は宣言する。

 

「俺は一人で反対側から行く」

「却下する。わざわざ死にに行くのか」

「ぐっ……」

 

 ばっさりである。

 が、言葉に詰まっていた立香はやがて握りしめた右手をランサーに突き出し、叫んだ。

 

「どうしても認められないってんなら仕方ない」

 

 にやり、青年は不敵に口元を歪めた。ランサーが一転して目に見えて焦り始める。

 

「マスター、まさか」

「そのまさかだ。令呪を以て命じる、俺の単独行動を黙認しろ、ランサー!」

 

 ……何だかなあ、とキャスターは赤く光って消えていく一画を遠い目で眺めていた。

 自害よりはよっぽどマシかもしれないが、人によっては自害より酷に感じるような命令を下すのだな、と。

 

 

 

 そんな訳で、サーヴァント三騎は森の中を警戒しつつ歩いていた。ランサーが先頭で、アーチャー、キャスターと続く。

 ランサーがちょっとどころではなく沈んでいるのも気のせいではないだろうが、気にしたら負けである。

 

「……まあ、何だ。あまり気を落とすな。確かに我々だけの方が移動速度も上がるし、彼への守りを考えずに済む。彼の判断は正しかったと思うがね」

 

 お人好しが何やら励ましらしき言葉を投げかけているのを後ろから眺め、キャスターはため息を吐く。ランサーの背を覆う緋色のふわふわした装飾が、どうも二割くらい萎れて見えた。

 

「……オレは、マスターも守れない程頼りなく見えたのだろうか」

「いやそうではなくてだな……」

 

 明らかにしおしおと萎びていくふわふわが、ランサーの意気消沈っぷりを如実に表していた。ほら下手にフォロー入れるからそうなる、とキャスターは必死で言葉を選ぶアーチャーに心底呆れ果てていた。

 そろそろ助け舟でも出してやるとしよう。決戦前にこれでは気合いも入らないというものだ。

 

「そんなに今のマスターを気に入ってんのか?」

 

 ぽい、と最後尾から無造作に放った疑問は、先頭のランサーの足を見事に止めてみせた。つられて後ろの二人も立ち止まる。

 

「……そう、見えたか」

「見えた。オレが言えた口じゃねえが、よっぽどだぜ、お前さんは」

 

 そうか、と振り返った彼は白い髪を揺らして首を傾げる。ややあって、薄い唇が笑みを浮かべた。

 

「そうだな、気に入っている。それに……どうも、不思議な感覚があってな」

「?」

 

 キャスターは首を傾げ――アーチャーが何だか複雑な面持ちになっているのを視界の端におさめてさらに疑問符を大きくする。

 

「オレは彼を知っている、ような気がする。ずっと前に親しかった友人に、久しぶりに会うような」

 

 果たしてランサーの言葉もまた、キャスターの首をもっと捻らせるには十分であった。

 

「んだそりゃ。生前の友にでも似てたか?」

「いや、彼は――む」

 

 雑談と歩みの両方がぴたりと止まった。

 キャスターも察知し口を噤む。もうそろそろ気を引き締めておかねばなるまい。

 木立の先から、凄まじいまでの覇気が感じられる。それでいて清廉であり、いっそ美しさすら宿す気配。その様はまるで幻想種のようであった。

 そう、かの英雄がかつて討ち果たしたという竜種のような。

 

「…………どうやら、正解だったようだな」

 

 キャスターの言葉に、ランサーが頷き再び歩き出した。

 三人は固まって木々の間を縫っていく。一歩進む度にその先の英霊が如何に強大であるか思い知らされる。英霊としての格でいえば間違いなく目の前のランサーと並ぶ、大英雄。

 

「――セイバー」

 

 森が途切れた。

 森林限界。高すぎる山にほとんど木は生えず、あるのはハイマツ、下草、そしてわずかな茂みばかり。もう隠れる場所などない。

 火山特有の黒みがかった砂利が地を覆っている。山頂付近は霧が出始めていた。些か悪くなった視界の中で、翡翠の燐光が鮮やかに輝いている。

 

「よくぞ来られた、ランサー、アーチャー、キャスター。だがここを通す訳にはいかない」

 

 背の大剣を抜く男の声は凛と響き、同時に苛烈なる決意を三人に示した。

 何があっても通さぬ。迷いのない、巌のような意志である。

 

「いいや、通させてもらう。こちらにも譲れぬものはある」

 

 ランサーが金色の槍を強く握りしめる。彼らは互いに強固に過ぎる防御を誇るサーヴァント、この二人が相対したとて、そう易々と決着がつくものではない。

 それでも、押し通る。

 

「――ならば、かかってくるがいい」

 

 静かな声だった。なのに、これは咆哮だとキャスターは感じた。猛獣――否、それすら超越した生命が吼えた。

 セイバーが剣を構える。ランサーが前傾姿勢をとる。アーチャーが距離を取って洋弓を投影し、キャスターは体内で大量に魔力を回す。

 もはや言葉は必要なかった。次の瞬間、四騎は最大火力を以て激突した。

 

 

「い、息が上がってきた……」

 

 肺腑を出た呼気がぜいぜいと喉を鳴らす。誠に人の身は不便なものだと、先程英霊達の軽々とした山登りを見送った立香は痛感した。

 サーヴァント一行の向かった山道とは反対側の道を登る。只管に登る。道と言っても獣道とも言えないような最悪の道程であるが、この際文句は言っていられない。汗を拭い、やっと三分の一程度登ることのできた辺りで一旦足を止める。

 

『なっさけないですねえマスター(仮)! そんなんじゃまた凛さんにスパルタですよスパルタ!』

 

 と、彼以外誰もいないはずの森の中で嫌にハイテンションな声が響く。

 立香は特に驚くこともせず、苦笑いで応えた。

 

「スパルタはやだなあ……ていうかその(仮)、いつまでつけるの? そもそも俺なんてマスターどころか呼び捨てでいいのに」

 

 すると、青年の負っていたリュックサックからもそもそと何かふざけたフォルムのものが飛び出し、またきゃいきゃいと姦しく騒ぎ立てた。赤い棒の先端に星、それをぐるっと囲んだファンシーな装飾。とりあえず、二十歳を超えた男が持っていい代物ではない。たぶん見られたらご近所さんで色々噂される類の持ち物である。

 

『そんなぁ、なんて勿体ない! せっかくルビーちゃんが(仮)とはいえマスターと呼んであげてるというのに、感謝はすれども遠慮なんて! 人生の八割損しますよマスター(仮)!』

「そ、そんなに? 俺の人生そんなに失われるの? 呼び名如きで?」

『はい! ですのでまあしばらくはマスター(仮)でいきます。ああでももし私が愛想尽かした場合、ソッコー呼び捨てに切り替えて契約ぶちってするんでよろしく☆』

「はは、じゃあせめてこれが終わってから愛想尽かしてくれ。今はまだ、ルビーの力を借りないと立香(おれ)どころか魔術師一人倒せないんだから」

 

 ぴた、と饒舌(舌は無い)が止まった。

 ステッキはふよふよ宙を飛んで立香の数メートル先で停止し、じゃあ、と呟いた。

 

『きちんと最後までやり遂げたら、一回は(仮)外してあげますよ。そんでぶちっと契約切って、すぐ呼び捨てにして差し上げます』

 

 そのまま先導するかのように進むステッキを、立香はほんの少しだけ惚けたあと慌てて追いかけた。

 

「ま、待って待ってルビー、俺は徒歩、君は空中散歩、俺の足場は超劣悪。OK?」

『OKに決まってますとも。ほらもう少し速度上げますよー』

「ひええ……」

 

 既にスパルタじゃんと呟いた青年の額に、戻ってきたステッキがダイレクトアタックをかましたりしたのは――まあ、いいとして。

 その妙にハイテンションな魔術礼装は、とある人物からの借り物であった。皆にはずっと隠していた。時計塔からここまでほとんどスリープ状態で荷物の中に潜んでいた、立香の秘密兵器。

 それと同時に、彼の自殺行為を実現するものでもある。

 

「ええい、やるよやるよ頑張るよ! オレの力を借りるんだ、俺だってちょっとくらい――」

 

 歩みと飛行、どちらも止まった。

 嫌な気配だな、と立香は思った。

 相手を全く対等に見ていない。どころか、まるで虫けらを靴の底で潰して地に擦りつけるのと何ら変わらぬと宣言しているかのような、舐め腐った殺意であった。

 極わずかに腹も立ったが、それもそうかと立香は思い直す。何せ自分はへっぽこマスター、まともな魔術など一つ二つ使えれば上等なくらい。あまりの才能の無さに師は呆れ果てていた。

 

「サーヴァントも連れず、痕跡も消さず、挙句礼装と会話しながらノコノコやってくるとは。馬鹿もここに極まったという感じかな?」

 

 互いの距離は約十五メートル。

 貴族らしい礼服に身を包んだ男の周囲が嘲りの笑みを浮かべ、そうして自らの魔術を起動する。

 杭だ。大量の氷が杭となって木々の間に浮遊する。その数、百は下るまい。

 あまりのスピードに立香は一瞬呼吸を忘れた。カルデアで見慣れていたあの神代の魔術には劣るが、それでも現代魔術界では相当の能力である。芸術の域まで昇華された見事な業である。

――だが。

 

「生憎、馬鹿は俺の取り柄みたいなもんでね」

 

 凡才、藤丸立香は不敵に笑んだ。

ルビー、と呼べば即座手元にやってくる自慢のステッキ。

遠坂凛は頭を抱えていたものだが、別に立香はこの傍迷惑でうるさいステッキが嫌いではなかった。何だかんだ言いながらもこうして力を貸してくれるのだし、いいんじゃないかな、と。

 

「いくよルビー。定刻まであと少し、なるべく予定通りに沈める――できるか?」

『私を誰だと思ってるんですか。愉快型魔術礼装、最強最悪マジカルルビーちゃんですよ? こーんな、大師父の爪の先程も実力の無いやつ、ぴったりベストタイミングでおじゃんです』

 

 ――彼がサーヴァント達との同行を拒否した理由は二つ。

 一つ目は、セイバーのマスターを何としてでも殺すこと。ここでマスター側からセイバー陣営を崩し、脱落させる。自分を囮として引きずり出す。向こうとしてもこちらの最大戦力であるランサーを何とかしたいはずなのだから、この餌に食いつかない訳がない。

 最適なタイミングでサーヴァント達をあの場所へ向かわせねばならない。力を借りるためにはそれが必要だ。セイバーに手こずって全てが手遅れにならぬよう、ここでこの魔術師を適切な時間で倒すことにより調整する。早すぎても駄目だ。それでは自分も間に合ってしまう。

 そして二つ目は。

 

『魔法少女ゲフンゲフン、魔法青年プリズマ☆リツカ、今日も元気に人理修復です!』

「……その名乗り、やっぱりやるんだ」

 

 この黒歴史の記録を彼らの座に持ち帰ってほしくなかったから……ではなく。

 ()()()()()()()()()()()()()。間に合ってはならない。間に合ってしまっては、対処ができてしまう。せざるを得ない。あの男の本懐は遂げられぬまま、そして救世主の願いも叶わない。

 タイミングをずらす。全てが始まり全てが終わったそのときにこそ、立香の、あの男の、正真正銘最後の戦場が待っている。

 だから。

 だからこんなところで終われない。

 絶対に負ける訳にはいかない――!!

 

 

 

 

 

 こうして、それぞれの前哨戦が幕を上げた。

 それとちょうど同時刻。山頂の男は魔法陣の完成を見届け、その手に一対の銃を投影し。

 術者の青年の頭部に、風穴を開けた。


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