やはり一色いろはが俺の許嫁なのはまちがっている。 作:白大河
先週はちょっと体調崩しておりました。
変な天気が続きますが
皆様も体調には十分お気をつけください……。
あれから俺達は場所を移し、近くの小さな公園へとやってきていた。
既に日は落ちかけ、ヒグラシが鳴き始める中、俺は両手に飲み物を携え、先にベンチへと座らせていた由比ヶ浜の下へと駆け寄っていく。
「ほい……紅茶で良かったか?」
「あ、うん。ありがとう。幾ら?」
暑さのピークは過ぎたとは言えまだまだ夏、暑さに耐えかねた俺が自販機で買ってきたペットボトルのうち一本を渡すと、由比ヶ浜はそう言って鞄を漁り始めた。
当然、中から出てくるのは財布だ。由比ヶ浜らしい少し小さく、それでいて派手な財布。
「いや、これぐらい気にしなくても……」
「駄目だよ、ちゃんと払う! 自販機なら百四十円だよね……」
由比ヶ浜がそう言って小銭を渡してこようとするので、俺は『ここで揉めるのも面倒くさいか……』とそのまま百四十円をポケットに仕舞い、実は百六十円だったという真実も心の奥へとそっと仕舞ってから、隣へと腰掛けた。
ちなみに隣といっても、俺と由比ヶ浜の間にはサブレも座っているので、密着しているとかではない。
うんうんサブレ、悪いんだけどちょっと大人しくしててくれな?
「それで……?」
「ん?」
「私に聞いて欲しいんでしょ?」
「あ、ああ。そうだったな……えっと……どこから話したもんかな──」
一瞬だけ今回の目的を忘れていた俺は、カシュっという音とともにペットボトルの蓋を開けて軽く喉を潤してから、ふぅっと息を吐き。
俺と一色の物語を話し始めた。
それは長いようで短い、それでいて突拍子もなく、ともすればフィクションとも思えるような話。
入学式にサブレを助け病院に運ばれた後、一色の祖父であるおっさんに会ったこと。
退院して、初めて一色と出会ったこと。
そこで一色を許嫁として紹介され、家庭教師をやる羽目になったこと。
一年間毎週一色の家に通ったこと、一色が去年の文化祭で志望校を総武に変えたこと。
そして、合格までのことと合格してから今日までのこと。
かなり端折ったとは言え、この一年の間に起こった出来事を話すのにはそれなりに時間がかかった。
折角の公園に来ているのにベンチの上で長時間動かない飼い主達に愛想を尽かしたのか、サブレはいつの間にやら由比ヶ浜の膝の上でスヤスヤと寝息を立てている。
正直少し羨ましい、いや、別に由比ヶ浜の膝枕がってことじゃないぞ?
この状況で悩みもなさそうな顔で寝ていられることが羨ましいのだ。
俺も出来ることなら全てを放り出して眠ってしまいたい。
一色のことも、おっさんのことも、それこそこれから訪れる受験のことや将来のことも何も考えず眠っていられたら一体どんなに素晴らしいことだろう?
だが、そういうわけにもいかないのが人間の辛いところなのである。
「──で、今に至るって感じだな……」
「そっか……去年ヒッキーにそんなことがあったんだ……」
ようやく俺と一色の物語が現代へと追いつき、俺が『ふぅっ』と息を吐くと、由比ヶ浜がポツリとそう呟いた。
その顔は泣いているような、笑っているような、物凄く複雑そうな表情で、感情を読み取れない。
ともすればその呟きからは僅かに“後悔の念”のようなものが感じ取れた気がしたが、由比ヶ浜が後悔する理由がないので流石にそれは俺の気のせいだろう……。
「黙っていたのは……悪かったと思ってる」
「なんで謝るの? 別に……ヒッキーは何も悪く無いじゃん……」
「いや……まぁそう言われるとそうなんだが……」
居た堪れない雰囲気につい謝ってしまったが、実際俺自身何が悪くて、何に対し謝っているのか? と問われればよく分かってはいなかった。
俺と一色のことに由比ヶ浜は全くといっていいほど関係してないのは事実だし、もっと言えばこうして打ち明ける必要すらなかった話だ。
まあ強いて関係している部分をあげるなら事故の原因がサブレだったというところぐらいか。映画のスタッフロールだったら『サブレ(友情出演)』とか表記されそうな端役も端役だけど……。
「……このコト知らなかったのって……もしかして私だけだったりする……?」
それでも、こうして話しておかなければならないと思ったのは、由比ヶ浜の態度が変わったのが雪ノ下姉とのやり取りの──許嫁だと暴露された──後ということから、やはり原因は俺にあるのだろうと思ったからに他ならない。
だから俺は由比ヶ浜の質問にはできるだけ誠実に答えようと、少しだけ背筋を正した。
「いや、基本ウチと一色の家族だけだな。当然雪ノ下に言った覚えもないし、雪ノ下姉がなんで知ってるのかは一色も分からんらしい……」
「ふーん……他には?」
俺の答えに一瞬だけ由比ヶ浜が不快そうに眉を潜める。
恐らくここで嘘をつくのは悪手だろう。その必要性もない。
つまり、偶然にしても知っている人物が他にいるなら正直に話したほうが良い場面である。そう考えた俺は改めて他に俺たちのことを知る人物がいないか思考を巡らせた。
「他……ああ、材木座が知ってるか……」
「中二が……?」
「そっちは別件で色々あってな……」
他には誰か……戸塚には当然言ってないし……川崎は……どうだっただろうか?
確か話してないはずだよな? おっさんを紹介した日のやり取りで、何かを感じ取っているかもしれないが、少なくともここまでの話はしていないし、はっきりと問い詰められたこともないから問題はないはず……。
とはいえ……もし、このことを川崎に説明したら川崎も由比ヶ浜と同じように怒るのだろうか? だとしたら……。
そこまで考えたところで、俺は一つの可能性に辿り着いた。
いや、あるいは確信したと言ってもいいかもしれない。
……ああ、そうか。そういうことか。
だから由比ヶ浜は怒っていたのだ。
「悪い……」
「なんで謝るの?」
改めて頭を下げる俺に、由比ヶ浜が苛立たしげに、そして少しだけ戸惑いの色をにじませながらそう呟いた。
実際、俺自身こんなことをするのは“らしくない”とは思っている。
こんなことをされても由比ヶ浜は困るだけだろう。
別に由比ヶ浜が俺に愛想を尽かし、もう話したくないと言うのであれば、ここで俺達の関係を終わりにしても良かった。
というか、むしろそうするのがベストだろう。
二学期からは由比ヶ浜と出会う前の俺に戻り、お互いまた別々の道を歩いた方が由比ヶ浜のためでもある。
それこそが比企谷八幡であり、俺らしい選択であるとも言えるはずだ……だが、いくら俺の中の冷静な部分がそう理解しても、俺は自分の感情を抑えることが出来ずに居た。
「由比ヶ浜に避けられるのは……正直、少し辛かったから……かな……」
「へ? それってどういう……?」
俺が頭を上げ、そう言うと由比ヶ浜が不思議そうな顔を向けて来る。
本当はこんなことも言うべきではないのかもしれない。
こんな恥ずかしいやり方よりもっとスマートな方法があるのかもしれない。
それでも、この時の俺はこの場を納めるために──由比ヶ浜との関係を維持するために──今溜めこんでいる感情を吐き出すことしか出来なかったのだ。
「……俺にとって由比ヶ浜は……その……初めて出来た“友達”だから……」
それは俺の人生の汚点とも言えるような恥ずかしいカミングアウト。
言われた由比ヶ浜はポカンとまるで何を言われたか分からない、そんな間抜けな顔で俺を見つめてくる。
ああ、顔が熱い……。
折角落ちた太陽がまた上ってきたような感覚だ。これが熱中症というやつだろうか?
「友、達……? 初めての?」
「ああ……恥ずかしい話だけどな……俺は生まれてこの方その……友達なんて出来たことがないんだよ……お前が……由比ヶ浜が俺の人生で初めての友達だ。だから……その……なんだ? このまま避けられて、関係を終わらせたくない……っていうのが正直なところなんだが……」
恐らく由比ヶ浜が怒っていた理由は俺が“友人として話すべきことを話していなかった”ということに対する不満だったのだと思う。
よくドラマとかでもあるだろ?
『何で言ってくれなかったんだ! 俺達友達だろ!』とかいうベタなアレである。
まあ、俺自身友達なんて初めてでその辺りの作法は分からないし、友達だから何でもかんでも話せというのも違うとは思うが。
少なくとも、今回の件に関してはこんなバレ方をするぐらいなら先に説明しておくべきだったのだろう。
今だって『材木座より後に知った』という事実に怒ってる節があったしな。
なのに、俺は『いつか話そう』とかすら考えていなかった。
そこに由比ヶ浜の怒りの本質があるのではないだろうか?
ならば、これ以上の被害拡大を防ぐためにも──一色に良からぬ噂が立つ前に──ここで由比ヶ浜には許しを請わなければならない。
ここで由比ヶ浜に見限られるのはリスクが高すぎるのだ。
どうにか納得してもらいたいところである……。
勿論俺自身が由比ヶ浜との関係をここで終わらせたくないというのも嘘ではない。
結局、どんな理屈を付けたところで俺にできるのは頭を下げることぐらいだった。
「それって……その……ヒッキーにとって私は……特別な存在……ってこと?」
「ん? まあ……そうだな。特別というか特殊というか……英語で言うとSpecialだ。なんか格好いいだろ?」
流石に恥ずかしすぎたので最後は少し茶化してしまったが、由比ヶ浜はそんな俺の態度に思わずといった調子で「ふふっ」と吹き出した。
まあ、友達が多い由比ヶ浜にしてみれば、笑い話に聞こえるのだろう。
高二にもなる男が一体何を言っているのか。本当に恥ずかしい話である。
「ふふ、ごめん。笑うつもりじゃなかったんだけど……ぷっ」
「……思いっきり笑ってるじゃねぇか」
そう言いながらも、由比ヶ浜は顔を背け必死で震える肩を抑えていた。
くそっ、やっぱ言うんじゃなかった……。
そんな耳まで真っ赤にして笑わなくたっていいだろうに……。
もう二度と言わん。
やっぱ由比ヶ浜との関係もここで終わらせた方が後々の為にもなるのかもしれない。
「くふっ、ごめん。でも……そっか……私って、ヒッキーにとって初めての友達だったんだね……」
後悔と羞恥で顔が赤くなる俺に、由比ヶ浜は一頻り笑ってそう言うと、いつの間にか起きていたサブレをゆっくりと地面へと下ろしていく。
するとサブレはその十数分ぶりの開放感からか一度ブルブルと身体を震わせ、由比ヶ浜の足元を「きゃんきゃん♪」と楽しげに回りはじめた。
その様子がまるで俺の恥ずかしい発言を言いふらしている様に見えるのは流石に俺の被害妄想だろうか?
こいつが人語を理解していなくて良かった……。
いや、本当に良かった……。
「ずるいなぁ……。そんなコト言われたら、なんか全部どうでも良くなっちゃった」
サブレを撫でながらそういう由比ヶ浜は先程までとは違い、まるで憑き物でも落ちたようにすっきりとした顔をしている。
どうやら、俺への怒りはひとまず収まったようだ。
ふぅ…… とりあえず当面の問題はクリア……か?
「……ねぇヒッキー、一応一つだけ聞かせて?」
しかし、そう安心したのも束の間、由比ヶ浜はうーんと伸びをして立ち上がると、俺の方へと振り返る。
その表情は逆光になっていたためよく見えなかったが、声のトーンはコレまでのものより少し低く真剣そのものだった。
どうやらまだゲームクリアとはいかないらしい。
女の子って本当よく分からん……。
「……何?」
「ヒッキーといろはちゃんが許嫁ってことはさ、結局二人は付き合ってる“フリ”じゃなくて、本当に付き合ってるっていうことなの?」
その問いは恐らく一学期に起こった一色への誹謗中傷事件の事を言っているのだろう。
なるほど……俺と一色が許嫁だという事がバレると今度はそういう勘違いが発生するわけか……。
だが、当然ソレは大きな間違いだ。
しっかりと否定しておかなければ。
「いや……あれは本当にフリだけだ、別に付き合ってるわけじゃない」
「でも、許嫁ってことは将来的にはその……結婚……するわけでしょ? 今日だってヒッキーの家に居るみたいだし……」
トーンを落としていく由比ヶ浜に俺はふと首を傾げ考える。
そういえば、俺は一番大事なことを伝え忘れていたのかも知れない。
「いや、あいつ他に好きなやついるんだよ。許嫁っていうのも“お互い別に好きな相手が出来たら解消”って話だからな」
「他に……好きな人? いろはちゃんが? ヒッキー以外に……?」
俺の言葉に由比ヶ浜の眉がピクリと上がったように見えたが、俺はそのまま説明を続けていく。
「ああ、だからなんつーかな、許嫁って言っても名ばかりっていうか……まあ、俺にとっては一色はもう一人の妹みたいなもんっていうか──」
「それ、いろはちゃんが言ったの?」
そこまで言ったところで、由比ヶ浜が再びドンっと勢いよくベンチに腰掛け、俺を睨んできた。
突然のことに俺は思わずビクリと肩を震わせ、一瞬喉をつまらせる。
「それって……?」
「他に好きな人が居るって! いろはちゃんが言ったの?」
俺の問いに、由比ヶ浜は声を荒らげ俺に詰め寄ってきた。そこには誰の目にも明らかなほどに苛立ちの色が感じられる。
俺、また何か余計なことを言っただろうか?
何も……おかしなことは言ってないよな……?
とりあえず質問には答えなければ……誠実に……誠実に……。
「い、いや、言わなくても分かるだろ……」
「──っ!! そんな訳ないじゃん!!」
だが、俺がそう答えた瞬間。今日一番の怒声が響いた。
突然のことに足元で遊んでいたサブレも何事かと「ワン!」と一度大きく吠え、俺と由比ヶ浜の間で視線を行ったり来たりさせている。
「ゆ、由比ヶ浜……?」
「もっと、ちゃんといろはちゃんのコト見てあげてよ……! なんで、そうなるのさ! そんなの……そんなのいろはちゃんが可哀想だよ……!」
「……」
由比ヶ浜の叫びはこの場にいない一色のためとは思えないほどに悲痛なもので、その瞳には今にも零れ落ちそうなほどに涙を溜めていた。
一体、何が由比ヶ浜をそこまで感情的にさせたのか?
正直、このときの俺には全く持って理解ができず、ただ目を白黒とさせることしか出来なかった。
俺が? 一色のことを見ていない?
その言葉の意味が分からない俺には、由比ヶ浜の叫びになんと返したら良いのか分からず、そこから数十秒ほどの無言の時間が流れた。
本当に短い時間だが俺にとってみれば拷問のような気まずい時間だ。
それがたった数十秒で済んだのは、サブレが居たからだろう。
サブレは喉が渇いたのか、ベンチに飛び乗ろうとぴょんぴょんと跳ね、由比ヶ浜のペットボトルについた水滴をペロペロと舐め始めたのだ。
「……ねぇヒッキー。これは友達としてのアドバイスだから……ちゃんと聞いて?」
その必死な様子が愛らしく、そして少し間抜けな姿に思わず「プッ」と笑みを零してしまった由比ヶ浜はお泊りセットの中から犬用の水筒を取り出しながら背中越しに俺にそう語りかけてくる。
「あのね……妹扱いされて喜ぶ女の子なんていないんだよ?」
そして、その場にしゃがみ込み、サブレに水を飲ませながら由比ヶ浜はほんの僅かに首をこちらに回し俺に流し目を向けてそう言ったのだった。
「それってどういう……?」
だが、情けないことに俺にはその言葉の意味が分からない。
当然だ、情けない話ではあるのだが俺には何故由比ヶ浜が怒鳴ったのかも分かっていないのだ。
そしてそのアドバイスが由比ヶ浜の怒りとどう繋がったのかもわからない。
そもそも、別に本当に一色のことを妹だと思っているわけではないしなぁ……。
「えっと……由比ヶ浜……さん?」
思わず由比ヶ浜の横顔を覗き込みそう問いかける俺に、由比ヶ浜はやがて「はぁ」と分かりやすいほど大きなため息を吐くと、次にパンパンっという乾いた音を周囲に響かせた。
由比ヶ浜がその両頬を自らの手のひらで叩いたのだ。
「よぉし!! 二人の関係も分かったし、ヒッキーの気持ちもわかった。それに……なら……まだ私にも……」
由比ヶ浜はそういうと気合を入れるように勢いよく立ち上がった。
最後の方はよく聞き取れなかったが『チャンスがある』とかなんとか言っていたように聞こえたか?
いや、でも、何がチャンスなのかが全く分からないので、俺の聞き間違いだろうか……? チャンス……タンス……ピンズ……サンズ……?
駄目だ、この状況に相応しい言葉が思い浮かばない……。
なんにせよ、突然立ち上がったの由比ヶ浜は、くるっと俺の方へと振り返るとニコッといういつもの笑顔を向けて来る。
その両頬には季節外れの見事な紅葉。
先程のセルフビンタは何かの儀式だったのだろうか……?
もしかして最近の流行りなのか? 女の子良く分からん。
「ヒッキー!」
「は、はい!!」
「……多分ね。私まだ少し混乱してるんだと思う」
戸惑う俺に、由比ヶ浜は何かが吹っ切れたようなスッキリとした、それでいて真面目な顔で先程取り出した水筒を鞄の中に仕舞いながら言葉を続けていく。
「だから、少しだけ時間を頂戴?」
「時間?」
「うん、頭の中を整理する時間。そうしたら、またヒッキーの“友達”の由比ヶ浜結衣に戻るから……それまで少しだけ待ってて?」
そこまで言うと由比ヶ浜は俺の返事も待たず、再び気合を入れるように「よしっ」と鞄を肩に引っ掛けサブレのリードを引いた。
すると、ようやく飼い主が動き出したと察したサブレが勢いよくリードを引っ張って走り出していく。
「ほらほら、そうと決まったら今日は解散! ヒッキーも早く帰ってあげて、いろはちゃん待ってんでしょ?」
「お、おう……?」
気がつけば、数メートル先へと歩きだしている由比ヶ浜を追うように俺も慌てて立ち上がった。
一体、由比ヶ浜の中で何があったのだろう?
とりあえず、今日の話し合いは成功ということでいいのだろうか……?
俺と由比ヶ浜はまだ友達のまま……ってことでいいんだよな?
だが、それならそれでもう一つ言って置かなければいけないことが……。
「あ、あのな由比ヶ浜……悪いんだが許嫁のことは他の奴らには……!」
「分かってる、言いふらしたりしないよ」
どうやら、全て承知の上らしい。
流石我が友由比ヶ浜である。
「それじゃヒッキー、またね! ちょ、ちょっと待ってよサブレ!」
「わん! わん!」
最後に由比ヶ浜はそう言うと、サブレに引っ張られ足をもつれさせながら公園を出ていってしまった。
一人取り残された俺の頭上で街頭の一つが光を灯す。
気がつけば、すっかり日が落ち、周囲は暗くなっていた。
とりあえず、一件落着……でいいんだよな?
由比ヶ浜に言うべきことは言ったし、あと他にあの場に居たのは雪ノ下と平塚先生だが……あの二人なら夏休み中に噂が広まるということはないだろう……多分。
むしろ心配なのは材木座だからな。
まあ、とにかく……今日は久しぶりに枕を高くして眠れそうだ──。
*
*
*
「ただいま」
「おかえりー」
「おかえりなさーい。遅かったですね、何処まで行ってたんですか?」
由比ヶ浜との話し合いが終わり家に帰ると、一色と小町の二人がキッチンで何かをしているのが見えた。
まあ、何かと言ってもキッチンでやることなんて料理ぐらいしかないとは思うのだが……でも、おかしいな?
「おお、ちょっとな……ってなんでまだ居るの……?」
最早一色が家に居ること自体に疑問はないが、この時間、少なくとも日が落ちてからもウチにいるというのは実は割りと珍しかったりするのだ。
いくら小町が居るとはいえ年頃のJKが男の家に夜中まで居座っているなんて知り合いにバレたら許嫁のコトを別にしても悪い噂が立つのは明白だし、単純に暗くなれば帰りが心配になるからな。
「今日おばさまの帰りが遅くなるらしいのでお夕飯頼まれたんですよ」
またかよ……。うちの母ちゃん一色がうちに来るようになってからというもの定期的にこういうことするから本当に困る。
わざわざ一色に頼まなくても普段俺と小町で普通に飯作ってるだろう。
あまり恥ずかしいことをしないで欲しい。
「いや、別に飯ぐらい俺と小町で作れるから帰りなさい? ほら、送ってくから支度しろ」
「大丈夫ですってば ほらほらもうちょっとで出来ますから座って待っててください♪」
しかし、俺がそう言って一色を連れ出そうとキッチンへ足を踏み入れると、そのまま一色に追い出され無理矢理椅子に座らされてしまった。
こうなったらもうてこでも動かないか……仕方ない、とりあえずもみじさんに連絡だけいれて、一色は後で家まで送ってくとするか。
どうせ、今送ってくのも後で送ってくのも俺の手間は変わらないしな。
「おこめー、お玉とって」
「はいはーい」
「ふふふふふんふ♪ ふんふんふーん♪」
楽しそうな女子二人の会話と鼻歌を聞きながら、俺はスマホを弄りもみじさんに一色の帰りが遅くなることを伝え、自分の母の無茶振りを謝罪していく。
全く……一色に頼むぐらいなら俺に一言言ってくれればいいのに……はぁ、なんだか今日は謝ってばっかだな……。
とりあえず由比ヶ浜の方は問題なく事が進んだが……。
でも、やはり由比ヶ浜の言葉は引っかかるな……。
妹扱いされて喜ぶ女の子がいないとかどうとか……?
もしかしたら、こうやって夜道を心配して、送っていくという行為も一色にしてみれば妹扱いとして嫌な気分になるものだったりするのだろうか?
「一色」
「はい? なんですか?」
『お前って妹みたいに思われるの嫌なの?』そう問いかけようとして、俺は口を噤む。
なんて頭の悪い質問なのだろうと思ったからだ。
一体ソレを聞いて俺はどうするつもりだったのか。
「……いや、なんでもない」
「? ご飯ならもうすぐ出来ますからねー」
「……ああ、早めに頼む」
結局俺はそのまま、スマホに視線を戻しもみじさんへのメッセージを打っていく。
あれ? 既読が一瞬で着いたし、返信が3秒で来たぞ? 怖い。
「あ、そうだセンパイ、明日って何か予定ありますか?」
俺がもみじさんからの返信に既読を付けないよう、スマホをソファへと投げると。今度はキッチンからそんな声が飛んできた。
「明日? 明日は一日家でゴロゴロしてるかな明日も暑そうだし──」
反射的に答えてしまったが、言ってからしまったと思った。
なんとなく、嫌な予感がしたのだ。
予定があると言っておかないと面倒くさいことになりそうな、そんな予感。
だがそう感じた時には既に遅く、ふと振り向けば一色がコチラに向かってニコニコと笑顔を向けていた。
「じゃあ、明日は一緒にお祭りに行きましょうね♪」
あ、嫌です。
ということでガハマさんとの蟠りを“とりあえず”解消しました。
夏休み編からなかなか抜け出せないですが
多分あと1話か2話で終わる……はず……。
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