やはり一色いろはが俺の許嫁なのはまちがっている。 作:白大河
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これもひとえに皆様の応援のお影です。本当にありがとうございます。
これからも頑張って作品をアップしていきたいと思いますので、引き続き応援の程よろしくお願いいたします。
「あ、ダメですよセンパイ。そんなとこ無理に引っ張っちゃ……!」
「……うるさい、少し黙れ……どうするかは俺が決める」
「あっ……駄目だって言ってるのに! ダメ! あっあっあーーーっ!」
ガラガラと音をたて、高く積み上げられたジェンガが盛大に崩れていく。小さな木のパーツが何個かテーブルから滑り落ち、畳の上へと転がった。
「ほらー、だから駄目だっていったじゃないですか!」
「うるさいな、初めてなんだから仕方ないだろ……っていうか、今のは一色が悪い」
転げ落ちたパーツを拾いながら、俺は一色に抗議の意を示す。
いや、実際あんな野次を入れられたら取れるものも取れなくなるだろ。
っていうか……そもそも、距離が近いんだよ。
ジェンガが始まったときは俺の向かい側に座っていたはずなのだが、抜きやすい位置を探り、動いているうちに何故か今俺の隣に来ているんですけど……?
ジェンガのパーツを抜こうと動くたびに肩が触れ、つい避けてしまうのでどうにも集中できない。
「えー? 私のせいですかぁ?」
「全くお兄ちゃんは駄目だなぁ……」
一色と小町がニヤニヤと下卑た笑みを浮かべながら俺を煽ってくる。
くそっ、分かっててやってんなコレ。
────
あれから、ひとしきり料理を食べ終え、会話も一段落して一色夫妻が席をたった頃。
一色が「まだ時間もあるしゲームでもしませんか?」と、どこからかゲームを持ってきた。
それはテレビゲームではなく全てテーブルゲームやボードゲームと言われる類のもの。
人生ゲーム、トランプ、ウノ、そしてジェンガ。
ありきたりなゲームばかりだが……一色? 仲間外れが一つだけ混ざっているぞ?
「ゲームやるのはいいけど、これは一人用だろ?」
俺がそう指摘しジェンガを指差すと、一瞬場が凍ったのが分かった。
「はい?」
「お兄ちゃん……?」
一色が目を丸くし、小町が呆れたように俺を見てくる。
なんだよ、うちにあるジェンガはいつも俺一人で遊んでるぞ。
箱から出して、崩して、キレイに積み上げて、また箱にしまうゲームだろ?
そう説明しても場はますます凍りつくばかり。
なぜだ……。
「それじゃタダの積み木じゃないですか……じゃあ、今日はセンパイの初ジェンガ大会ってことで」
そんな風に俺の初めてのジェンガ大会が始まったのだ。
いや、別に大会形式ではなかったけど。
──────
「すまん、俺ちょっとトイレ……」
俺が崩してしまったジェンガを、一色と小町が積み上げている間に、俺は少し席を立つことにした。尿意が限界だ。実際先程のゲームも、尿意との我慢比べみたいなところがあったので、俺の実力で負けたわけではない、断じて無いので次は俺が勝つ。年長者としての威厳を示してやるからな、首を洗って待ってろよ!
あ、完全に負けフラグだわこれ。
「早く戻ってきてくださいねー」
そうして、少々捨て台詞のようなセリフを脳内で吐きつつ。
一色の声を背中越しに聞き、俺は和室を後にする。
一色家はマンションであり、おっさんの家ほどの広さはないが、それでも十分過ぎるほどに広い。そしてまだ踏み入ったことのない部屋が複数ある。
俺が目指すトイレは来た道を戻り、リビングと玄関を繋ぐ廊下の間だ。
リビングではもみじさんが何やら飲み物を用意していたので一声かけ、俺はトイレへと向かったのだった。
*
しかし、誕生日会か……。まさかこんな形で自分の誕生日にパーティーを開いてもらえるとは思っても見なかったので、危うく泣きそうになった。
ギリギリ堪えたが……俺、最後に泣いたのなんていつだろうな……?
とりあえず今回は、醜態を晒さずにすんで本当に良かった。
そんな事を考えながらトイレで用を済ませ、手を洗い、自分の顔を見る。
何だお前、めっちゃニヤケてるな気持ち悪いぞ?
このままでは小町に何を言われるか分かったものではない。俺は一度自分の頬を叩き、たるんだ顔をもとに戻す。
さて、ジェンガのリベンジマッチと行こうじゃないか。
「やぁ八幡くん、少し話せないかな?」
しかし、トイレを出た所でそう声をかけられた。
声のした方角を確認すると、そこは一色家でも俺が足を踏み入れたことのない領域その二。
トイレの斜め向かいにあり、いつも鍵付きの扉で閉ざされている部屋。
だがその日は珍しく扉は開け放たれ、中では一人の男性が高そうな椅子に座りギターを持ちながら、こちらを覗いていた。
「あ、
その声の主は
一色いろはの父で、もみじさんの夫。つまりパパはすだ。
すでに何度も顔を合わせているが、こうして二人きりで話すのは初めてな気がする。
なんだろう、何かお説教だろうか? 『さっき渡した鍵を返してくれ』とかだと助かるんだけど……。
「はは、問題ないよ。さ、狭い所だけど入って」
促されるまま、俺は部屋へと足を踏み入れる。そして驚愕した。
部屋はそれなりに広いと思うのだが、凄く狭く感じる。というか物が多い。
そこには大量の本と、そして楽器が置かれていたのだ。
本と言っても、俺が読むタイプの本とは違う、ハードカバーの物や雑誌サイズの本が多く。楽器はキーボードを初め、一体何本あるのかという程のギターやベースが壁に立てかけられ、まるで楽器店にでも入り込んだような錯覚に陥る。楽器店行ったこと無いけど。
「凄いですね」
「趣味でね、別に集めるつもりはなかったんだけど、気がついたらこんな数になってたんだ」
コレクター気質というやつだろうか。
まあ俺も気がついたら沢山揃ってるものとかあるので、気持ちはわからなくもない。
「どうかな、最近のいろはの様子は?」
弘法さんは、抱えていたギターを一度ジャランと鳴らし、そう聞いてきたので、俺は少しだけ考えて返答した。
「はぁ……どうなんですかね、とりあえず中間で落ちた成績分は取り戻したみたいですけど……今は模試の結果が出ないとなんとも言えないです」
「そうか、まあコレばっかりは本人の力が全てだからね」
「……そう、ですね」
なんだろう? やっぱりお説教だろうか?
この人はおっさんとは少しタイプが違うので、考えが読めない。
いや、おっさんの考えを読めたこともないんだけど……。
「そんなに固くならないで、もっと楽に話してくれていいんだよ? ああ、そうか。すまない、椅子が無かったね」
「あ、いえ、お構いなく」
そう言うと、弘法さんは立ち上がり、俺の真横に積み上げられていた雑誌を持ち上げ、下から丸いキャスター付きの椅子を発掘し、俺に座るよう促してくる。
座って……いいんだよな……?
持ち上げた大量の雑誌の置き場所に困っている弘法さんを横目に、俺はちょっとだけ遠慮しながら、そこに腰掛けた。
「改めて誕生日おめでとう、幾つになったのかな?」
「十六ですね」
「十六か、若いなぁ羨ましいよ。ああ、ちょっと年寄り臭い言い方だったかな」
「あ、いえ」
正直にいえば、弘法さんはおっさんに比べると落ち着いた喋り方をする人なので、むしろおっさんより年上なんじゃないかと思ってしまう事もあるのだが、流石にこれを本人に言うのはやめて置いたほうが良いだろう。
「……僕は妻や娘のようにお喋りが得意な方ではなくてね、やっぱり退屈かな?」
「いえ、そんな事は」
まあ多少気を使うというのはあるが、別に退屈という事はない。
おっさん達に比べ、冷静な話が出来るという点でも貴重な人材だと思っている。
何かあったら盾になってもらわなければ……まぁ今の所、上手く行った試しはないのだが。
「そうかい? ありがとう。ああ、そうだ、八幡くんは音楽はやるのかな?」
「全く、出来る楽器といえばリコーダーとカスタネットぐらいですかね」
学校で習ったのはその二つぐらい、ああ、あとタンバリンとトライアングルもいけるか。
リコーダーは音楽の授業でかなりやったが、今ではエーデルワイスが吹けるかどうかも怪しいレベルだ。ミーソレードーソファー……その後なんだっけ?
「ギターには興味はないかい?」
「あー、まぁ格好いいなぁとは思いますけど、触ったこともないのでなんとも……」
まあ興味がない言えば嘘にはなる。
こう、格好良くギターやピアノを弾くというのは時として憧れを抱くこともあるのだ。
音楽が出来る奴は決まってモテたりするしな……。
「そうか、それなら誕生日プレゼントに一本どうだい?」
すると、弘法さんは俺の心の中を見透かしたかのように、そんな事を言ってきた。
まるでジュースを一杯奢るようなそのノリに「何か聞き間違えたか?」と思わず耳を疑う。
だが、弘法さんは返事を待つようにニコニコと笑みを浮かべたまま、こちらの様子を伺っていた。
いやいや、流石にギターは貰えないだろう。
確か十万とかするんじゃないのか? 実際楽器屋なんて行ったこと無いから具体的な数字はわからないが、べらぼうに高いイメージはある。
「え!? いやいや、今日は色々貰ってますし、そもそも俺弾けないし楽譜もよめないんで」
「私がギターを始めたのは君と同じぐらいの年の頃だよ、そうだな……これなんかどうだい?」
言いながら弘法さんは部屋の隅から、一本のギターを持ちあげた。
それはボリュームのツマミのようなものが着いている赤茶色のギター。ほぼ左右対称のボディの上部には中央のネック部分に向かう角のような二本の突起、そのシルエットはさながら悪魔……。いや、怒ったカバ○君の額にネック部分を突き刺した感じだな、うん。
っていうかこれ新品なんじゃないの? ホコリもそれほどついていないし、少なくともそのギターが今も大事に手入れされているのがわかる。目立った傷もないその美麗なフォルムは、ここ一、二年内に買ったと言われても信じてしまいそうな程だ。
だが弘法さんはそのギターのストラップ部分を俺の首にかけ「さぁ」とギターを預けてきたので、俺は慌ててそれを受け取った。
「どうかな? これは私が学生の時に買ったものだから、かなり古いんだけど」
「そんなに昔のなんすか?」
学生の頃というとバイト代とかで買ったのだろうか。
それなら俺でも買える値段だったりするのだろうか?
それでも決して安いとは思えないが……。
しかし、俺はその一瞬、そういった値段に関する思考が一瞬飛んでしまった。
初めてギターを持っている自分に、柄にもなく少しだけ興奮してしまっていたのだ。
やばい、今の俺格好いい……気がする。
「ちょっと音を出してみてくれないかな」
「いや、だから俺弾いたことない……」
「教えてあげるよ」
そう言うと弘法さんは俺の左手を掴み、ネックの部分を握らせると。
次に俺の指を取って、一本一本弦を押さえさせた。
「ここと、ここ、それとここを押さえて……そう、それで弾いてみて」
「こう、ですか?」
俺は左手をいびつな形で固定したまま。
右腕で弦を弾く。すると『じゃらららぁん!』となんとも言えない音が部屋に響いた。
「うまいうまい、それがCコードだ」
弘法さんは俺が出した音を絶賛し、拍手をしながらニッコリと笑う。
いや、さすがにこれぐらいは誰でも出来るだろう。
まるで幼稚園児が描いた絵を褒めているようなその態度に俺は思わず苦笑いを返した。
「ただ一個だけ。音を鳴らす時は弦に対して垂直に弾くようにするといい、癖になってからだと直すのも面倒だからね」
俺の音を聞きながら、弘法さんは壁にかけてあったギターをスムーズに取り、同じ様に鳴らす。
いや、同じ様にじゃないな、全然違った。俺のとは違い、弘法さんは『ジャラン!』っと短く小気味良い音だった。正直カッコいいと思ってしまった。女だったら惚れていたかもしれない。
女八幡チョロイン説浮上。
「楽譜なんて読めなくてもコードを五つ位覚えるとね、簡単な曲が弾けるんだよ。ドレミの数より少ない。どうだい? そう考えると簡単そうだろ?」
確かにそう言われてみると簡単な気がする。
……って、いやいや、そんな筈無いだろう。もしかして俺騙されてるんじゃないの?
甘い話には罠があるというものだ。うかつに手を出してはいけない。
「八幡くんは普段どんな音楽を聞くのかな?」
「え……っと、最近だと
「うーん、ごめん、僕は知らない人だね。もう僕はオジサンだから、若い子の聞く曲というのはあまり馴染みがないんだ、申し訳ない」
それはそうだろう、二人共メインは声優だ。いわゆる歌手とは少し毛色が違う。
この二人が特別好きという程でもないのに、とっさに答えてしまったが、むしろ知ってたらどうしようとハラハラしたほどだ。
どちらかといえば、こちらが謝りたい。
「まあでも、そういう自分が好きなアーティストの曲も弾けるようになったら楽しいと思わないかい?」
弾ける……弾けるのだろうか?
別にコピーバンドをやりたいというわけではないが、確かにそう言われると弾いてみたいという気持ちにはなる。
「でも……ギターって高いですよね? やっぱ貰うわけには……」
「ピンきりだね。まあ高い奴はそれこそ目が飛び出るような値段のものもあるけど、それは少しバイトをすれば買えるレベルだよ。逆にこれなんかは……」
そう言うと弘法さんは、部屋にあるギターを一つ指差し、俺の耳元で値段を教えてくれた。
……うわぁ……聞かなきゃよかった……。まじかよ……車とか買えるんじゃないの?
「内緒だよ?」と鼻先に人差し指を近づけ小さく笑いながら、小声で告げる弘法さんは、やはり一色の親なのだなぁと感じさせられた。
「正直な所ね、これだけあると妻と娘が『少し整理しろ』と煩いんだ。もし貰ってくれるなら僕も助かるんだよ」
ああ……、女子には理解されない男の趣味というやつか。
俺も母親や小町には理解してもらえない趣味というのを持っているのでとても良くわかる。
そういう事なら……貰っても良いのか?
「あー、センパイ遅いと思ったらこんな所に! パパも! 何やってるの!」
「え? お兄ちゃんなんでギターなんて持ってるの? 弾けるの?」
そんな風に少し気持ちがゆらぎ始めた頃、部屋に闖入者が現れた。一色と小町……いろこまコンビだ。
そういや、ジェンガの途中で抜け出してきたんだった、すっかり忘れてたな。
「八幡くんにギターをプレゼントしようと思ってね」
「あ! それいいかも! センパイ貰って下さいよ、どんどん増えてくんですよこれ。もうこれ以上増やさないって毎回約束するのに、いつの間にか増えてるんです!」
弘法さんの説明に、一色が勢いよくそう答えると、弘法さんは少し困ったように笑って「ね?」 と俺に目配せをしてきた。
どうやら弘法さんも家の中では立場が弱いらしい。
そういえば、婿養子だって聞いたし、おっさんにも色々言われて辛い立場なのかもしれない、ちょっとだけ親近感。
だが、今日はもう色々と貰いすぎているしなぁ……どうしたもんか。
「八幡くん、想像してごらん? 自分の部屋にギターが置いてある風景を」
俺は言われるがまま、想像してみた。
学校から帰って自室に戻る自分。机の横にギターが立て掛けてある風景を……。
それは、オタク趣味なアイテムのように誰かに引かれたりしない、部屋に置いてあってもマイナスなイメージにならない最高のオブジェ。
凄くいい……。
「格好良くないかい?」
「カッコいいです!」
即答してしまった。
だって考えてみろ、ギターだぞ。
自分の部屋にギターが置いてある風景ってやっぱちょっとカッコいいと思ってしまうだろ。弾ける弾けないは別として。
「だろう? 邪魔になったら返してくれても良いし、ちょっと趣味を増やすつもりでやってみないかい?」
返す、つまりレンタルも可ということか……。
借りるぐらいなら……大丈夫か?
「でも、本当にいいんですか?」
「ああもちろん。あ、でももし弾けるようになったら、いつか一緒にセッションしてくれると嬉しいかな」
「約束はできないですけど……わかりました」
俺がそう強く頷くと、弘法さんは俺に握手を求めてきたので、俺も慌ててその手を取る。
その指はおっさんとは違って細く、そしてとても硬かった。
「それじゃ、ギターの他にこれと……あとこれも必要かな、それと……この本なんかが初心者にはわかりやすいから参考にするといい。ああ、分からない事があったらいつでも聞きに来てくれてかまわないからね」
弘法さんはとても楽しそうにそう言って、ギターオプション一式を紙袋に詰めてくれた。
ギターは真っ黒なギターケース付きだ。
まじか……これが今日から俺のもの……。
そうして俺はその日、新たに中古のギターを手に入れたのだった。
「……ありがとうございます」
そうか、コレ全部持って帰るのか……ちょっと早まったかもしれない。
*
「それじゃぁ……今日はありがとうございました」
「ありがとうございましたー!」
あれから、俺は弘法さんにいくつかのコードとチューニングの方法を教えてもらい、もう一度ジェンガ大会に戻ったのだが、気がつけば夜も二十一時近い時間。
流石に長居しすぎたかと、俺は小町に『そろそろ帰るか』と声をかけ腰を上げた。
「いえいえ、とても楽しかったわ、小町ちゃんもまたいつでも遊びに来てね?」
「小町ちゃんまたね! センパイも!」
俺がついでかよ……。まあいいけど……。
別れを惜しむように、手を握り合う女性陣に少しだけ疎外感を感じながら。増えた荷物を抱え、俺は玄関の扉を開け、最後にもう一度振り返る。
「一色」
「はい?」
「今日は……ありがとな」
俺が礼を言うと、一色は少しだけ驚いたように目を丸く見開いた後「どういたしまして」と優しく笑った。
その笑顔はとても眩しく、元々のアイドルのような美少女顔も相まって俺の精神にダイレクトアタックをしかけてくる。駄目だ顔が火照る。やめろ、そんな風に見られると好きになっちゃうだろ。俺、今顔赤くない……?
「……あー……そうだ、来週は休みでいいんだよな?」
なんとなく空いた間に耐えられず、俺は一色から顔をそらし、確認の意味を込めて最後にそう問いかける。
「はい、例の打ち上げなんで」
「了解、じゃあまた再来週にな」
「はい、再来週。お待ちしてます」
まあ分かりきってることではあったが。
このタイミングでの休みは助かった、これで気持ちの整理をつけられるというものだ。
今日の出来事は、ボッチの俺にはあまりにも刺激が強すぎた。少し冷静になる時間が必要だろうからな……。
そうして、俺と小町は一色一家と別れを告げ、帰路へとついた。
日も落ち、すっかり暗くなった夜道を二人で歩く。ここに来た時とはまるで正反対に今は心がとても穏やかだった。
「お兄ちゃん、なんかカッコいいね、バンドマンって感じ」
背中に背負う黒いギターケースを見ながら、小町が俺の周りを一周する。
全く、危ないからちゃんと前見て歩きなさい。
「そうか? まぁ全然弾けないから見た目だけだけどな」
「そこは練習あるのみじゃない? 誰だって最初は初心者なんだよ。あ、今の小町的にポイント高い」
まあ本当に弾けるようになったら、俺的にもポイント高いけどな……。
プロになりたいとか、そんな高い志はサラサラないが、一曲ぐらい弾けるように少し頑張ってみるか。
*
帰宅後。
俺はおっさんに電話をかけた、話すことは沢山ある。プレゼントの礼と、次の休みの連絡、それと……。
「おう、八幡! 元気でヤッてるか?!」
考えがまとまるより先に、おっさんとの通話が繋がった。
第一声からテンションが高い、俺は思わず、電話を耳元から少し離す。
そうだ、おっさんと話す時はこの距離がデフォだったわ、ここんとこ電話してないからすっかり忘れていた。
「あー……あの、さ、今日、誕生日プレゼント。財布。受け取りました。ありがとうございます」
どうもおっさんに真面目に礼をいうというのは、気恥ずかしく、日本語がおかしくなってしまう。日本に来たばかりの外国人のようだ。情けない。
「おお! やっとか、八月八日に連絡来なかったから何かあったんじゃないかと心配したぞ、誕生日おめでとう。どうだ? 気に入ったか?」
「ああ、うん、すごい、気に入っ……りました」
「ははは、喋り方が変になってるぞ」
くっ、指摘されてしまった。なんとか気付かれないうちに素の喋り方にシフトしたかったのだが。
突っ込まれると恥ずかしいなこれ。
「まぁ、気に入ってくれたなら良かった。小町ちゃんから『何かいい財布を買わせたい』っていう話を聞いてたんでな、丁度いいかと思ってな、知り合いに頼んで作ってもらったんだ」
「あー、うん。めちゃくちゃ格好良かった」
「そうかそうか、お前の名前をイメージして「8」の字をいれてもらったんだ」
え? あれ「メビウスの輪」とか「無限」じゃなくて「8」なの?
俺は再び財布を眺める、さっきまで格好いいと思っていたんだけど、これが八幡の「8」だと思うとちょっとダサく見えてくる不思議。
「直接渡せなくて悪かったな」
「それは別に……何か用事でもあったんだろ?」
「いや、今ニューヨークに来てるんだ」
「ニューヨーク!? なんでまた?」
「ちょっと色々あってな」
おっさんは少しだけ歯切れ悪くそう言って、言葉を続ける。
なんだろう、海外まで行かなきゃいけない『色々』というのが想像できない。仕事のトラブルとかだろうか?
「まあニューヨークには来たこともなかったんでいい機会だし、夫婦水入らずで旅行って所だ。何か土産買って帰るから、期待しとけよ」
「あ、ども……」
ああ、旅行か。そういえば旅行中だという話は以前聞いたな。てっきり二泊三日とかそこらだろうと思ってたからすっかり失念していた。
土産というと『ニューヨークに行ってきました!』とか書いてあるクッキーだろうか。
土産物の定番だよな。
俺土産もらうような友達いた事ないから、貰ったこと無いけど。
ならなんで知ってるのかって? 千葉駅に売ってるからだよ。いわせんな恥ずかしい。
「すまんな、もっと話したいんだが今日はこれから忙しいんでな。続きはまた今度でもいいか?」
「あ、ああ。じゃあ来週バイト休みらしいんで、そこのバイト代カットだけはよろしく」
本当はもう少し話したかったが、忙しいのなら仕方がないか。
あ、あと今日の分もカットしてもらうんだった。今日俺何もしてないしな。
それと……やはり時給も少し見直してもらおう……。
今は今朝ほど「やめたい」という思いは強くない、しかしそれでも思うところはある。
まあ、全部含めて次の給料日に話せばいいか。
「ん? ああ、なんか部活の打ち上げ? だったか? それは聞いてる、まったくなぁ、お前という許嫁がいながら他の男と遊びに行くとか……」
なんだ、もう一色から休みの話は聞いているのか。
まあ許嫁云々は正直今回の件とは関係ないのでどうでもいいんだが、今日も結局休みになってしまったし、勉強時間の確保の方が心配だ。来週も含めて二連続で休みなわけだしな。
とはいえ、あいつ割と自習はしてるみたいだし、それほど心配は無いのかもしれない。
「まあ、あいつもなぁ、楓に似て可愛いから、仕方ないとも思うんだが。過保護と言われようと、変なことに巻き込まれないか心配でなぁ」
何? 愚痴に見せかけた惚気なの?
正直おっさんの惚気話とか病院で聞き飽きたから勘弁して欲しいんだが、もう切っていいかしら?
「おっと、これ以上はまた長くなるな、悪いが続きはまた今度な」
「ああ、うん。了解」
おっさんにそう言われ、俺は改めて時計を見る。
これから用事があるということは、飲み会とかだろうか?
いや、そうか。向こうはニューヨークだから時差があるのか。何時間ぐらいずれているのだろう?
「八幡、儂が日本にいない間、ちゃんといろはのこと守ってやってくれよ?」
そんな事を考えていると、おっさんは突如真面目なトーンでそう語りかけてくる。
この問は単に知り合いとして頼んでいるのか、家庭教師としてか、それとも……。
俺は瞬時に答えを見つけることが出来ず、少しの間沈黙が流れた。
「……頼んだぞ?」
確認するように、もう一度おっさんにそう告げられ、俺は「お、う……」と微妙な返答をすることしか出来なかった。
どんな意味であれ、俺の助けが必要な状況なんてそうそう来ないだろう……。
そう思いながら、その日は通話を切った。
一気に周囲が静かになり、一人になったのだと実感させられる。
なぜだろう、いつもの事なはずなのに、今日はこの静寂が妙に懐かしく感じる。
俺は今日の出来事を思い浮かべながらギターをケースから取り出し、ベッドの上で教えられたCコードを押さえ、弦を鳴らす……。
だが、押さえ方を間違えていたのだろうか?
弘法さんに教わった時とは違い不快な音が室内に響いた。
「ひでぇ音」
しかし、俺はきっと今の音を忘れないだろう。
酷い顔で一色の家に行き、少し遅い誕生日を祝ってもらい、ニヤケ顔で帰ってきた今日の事をきっと俺は忘れない。忘れられない。そう感じていた……。
リア充ルートへの分岐点の一つ……かもしれない誕生日会 後編でした。
いかがでしたでしょうか?
パパはすの名前、ついに解禁です!
色々調べたのですが、『いろは歌』を作ったのがかの『弘法大師』らしく。(諸説あり)
「たいし」だと川崎弟になってしまうので、「弘法」の読み方を変えて「ヒロノリ」ということになりました。
今回の活動報告は色々裏話というか愚痴満載になると思いますので、そういうのに興味があったりお時間があるという方は目を通して頂けると嬉しいです。
感想、コメント、評価、メッセージいつでもお待ちしています!
p.s
来週更新ちょっと遅れるかもしれません(震え声)